世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

中学受験、大学受験(国立・私大とも)など数多くの受験をこなし、脱サラ後に西洋史を専攻、学費捻出のため塾講師や中高で世界史を担当しつつ、イギリスの大学院で歴史学のMSc(修士号)を取得、大学でも西洋史の講義を担当するなど西洋史を教える仕事に長年従事してきた管理人HANDが、受験世界史でポイントとなる部分を徹底解説!各校の過去問対策、受験対策のほか、世界史を理解する上で役に立つ視点や勉強法についての情報を随時更新していきます。

以下のような方はとくにオススメ!

・東大、一橋などの国公立や早稲田、慶応の受験を世界史で考えている。
・論述対策を進めたい。
・教科書やプリントだと不足している情報が多すぎて、背景にあるつながりが見えない。
・『詳説世界史』などを読むだけでは気づけない、専門的な歴史的視点を養いたい。
・世界史を覚えるのが苦手で、どうやって勉強したらよいのかわからない。
・世界史の教員になりたてだが、西洋史が専門ではないので少し突っ込んだ知見を知りたい。

※ 目標に向けて頑張る受験生の皆さんの一助になればと思って頑張って更新し、情報もチェックしておりますが、人間ですのでミスなどが出ることもあります。当サイトの情報をご利用の際はあくまでも自己責任でお願いいたします。

※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw また、大手予備校のHPからも閲覧できるかと思います。正規の問題が手元にあった方がわかりやすいと思います。


 今年度の早稲田の法学部論述も300字(250字以上)となりました。2016年の入試以降、3年連続で300字論述が出題されたことになりますので、この形式はほぼ定着したと言っても良いかと思います。

 また、今回の論述もかなり「東大くさい」出題となりました。いわゆるロシアの「南下政策」については、東大ではたびたび出題される頻出問題です。つい最近でも、2014年の「ロシアの対外政策とユーラシアの国際情勢」が記憶に新しいところかと思います。以前、早稲田の法学部の出題傾向でもお話ししましたが、東大の問題をマイナーチェンジしたような出題がされることが多いので、東大の過去問(特に大論述)に目を通しておくことはわりと役に立つ気がします。また、2017年の問題解説で「今回はイギリスを中心に複数の要素を抱えるテーマについて説明するという形のものでしたが、場合によってはむしろ地理的に広い範囲のもの同士の関係を問う(いわゆるグローバルな展開の)設問が出題される可能性もあると思います」とお話ししていましたが、今回の設問はまさにその通りの形になりました。同じ「南下政策」でもバルカン方面に視点を集中させるのではなく、東アジア方面に目を向けろ、と言うことですね。ただ、それ以外の部分では特に大きな注意点はないかと思います。ロシアの南下政策の基本をおさえた上で、東アジア方面でのポイントを示せれば良いわけですね。「東アジア」ですので、字数的にも2014年の東大で要求されていた「中央アジア」の部分については(原則)示す必要がありません。ロシアの「南下政策」のような言葉は使われる文脈によって何を意味するかが変わってくるので、注意が必要です。

難度で言えば昨年の問題の方が難しかったかと思います。

 

 ちなみに、「東アジア」というのはユーラシア大陸の東部にあたるモンゴル高原、中国大陸、朝鮮半島、台湾などの「極東」と呼ばれる地域とほぼ同義です。私が世界史で説明するときにはおおまかに「東アジア=日中韓」で説明します。地理的には以下の地域です。


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Wikipedia「東アジア」より)

 

 もっとも、地理的な概念も同じく幅や揺れのあるものですから、使われる文脈によっては変化します。例えば、外務省のHPでは東アジアとして以下の地図が示されていたりします。これはつまり、日中韓を含む極東地域を「北東アジア」、その南にあるインドシナ半島やマレー半島、フィリピン、スマトラ、ジャワなどを含む地域を「東南アジア」として全体を「東アジア」としてとらえているということです。

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(外務省HPより)

 

 もっとも、世界史で東アジアをこうした形で認識することはまれですので、みなさんは「東アジア≒日中韓(+台湾・モンゴル)」で理解してもらってそれほど差し支えありません。いずれにしても、論述を解く際には「設問の要求にこたえる」ことが最優先になりますので、個々の言葉・用語がどういう意味をもっているかをとらえるということはとても重要です。時代だけでなく、「東アジア」、「中央アジア」、「南アジア」などの地理概念が世界史ではどのような意味で使われているかということには普段から注意を向けておく必要があると思います。

 

早稲田大学法学部世界史2018年論述問題

(問題概要・解説とポイント)

 

【問題概要】

・時期は18世紀から19世紀末(17011900

・同時期のロシアの「南下政策」の経緯を示せ

・同じく、ロシアの「東アジア進出」について示せ

・指定語句を全て用いよ(クリミア戦争/サン=ステファノ条約/ベルリン条約/北京条約)

・指定字数は250字から300

・指定語句には下線を付せ。句読点、数字は1字に数える。

 

問題の全文は早稲田大学の入学センターのHPにもありますし、各予備校が公開していますので、そちらも参照してください。

 

【解答手順1:設問内容の確認】

 設問の要求

:設問の要求は明快です。ただし、時期には注意した方が良いでしょう。問題文を正確におこすと、<18世紀から19世紀末までの時期におけるロシアの「南下政策」の経緯と「東アジア進出」について>説明せよとなっています。ですので、よく出てくる19世紀のロシアの「東方問題」だけではなく、18世紀の進出についても言及しなくてはならない点はきちんとおさえておきましょう。

 

【解答手順2:南下政策の経緯をまとめる】

 ロシアの南下政策については、大枠をしっかりとらえておくことが良いかと思います。18世紀以降ということになると、その大枠は以下の通りです。

 

① 18世紀

 エカチェリーナ2世のときにクリミア半島に進出(キュチュク=カイナルジャ条約)

② 19世紀

  不凍港と地中海への出口を求めて、

  A:ウンキャル=スケレッシ条約でボスフォラス海峡・ダーダネルス海峡の独占通行権を得た、かと思いきや

  B:その後のロンドン会議、クリミア戦争後のパリ条約で挫折し、

  C:露土戦争後のベルリン会議で再度挫折した

 

ものすごく単純化すると以上のようになります。ロシアの南下政策と東方問題の詳細については「2014年東大の問題解説」と、「あると便利なテーマ史⑦(東方問題とロシアの南下政策)」に述べてありますので、こちらをご参照ください。

 

ちなみに、地理的な情報としてクリミア半島を示しておきます。


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  赤い丸で囲まれた部分がクリミア半島です。青い丸で囲まれている部分は問題の中で言及されていたアゾフ海になります。また、オレンジ色で囲んだ部分にあるのがボスフォラス海峡、緑色で囲んだ部分がダーダネルス海峡になります。ギリシア独立戦争でロシア・トルコが締結したアドリアノープル条約や、同じくロシア・トルコが締結した相互援助条約であるウンキャル=スケレッシ条約などで通行に関する諸権利を得た部分です。見ての通り、黒海からエーゲ海(地中海方面)に抜けるための超重要な海峡です。

 

【解答手順3:ロシアの東アジア進出についてまとめる】

続いて、ロシアの「東アジア進出」についてまとめます。厳密にいえば、ロシアの東方への進出はすでに17世紀のピョートル1世の頃(ネルチンスク条約)から始まっています。18世紀には、1727年のキャフタ条約やベーリングのカムチャッカ・オホーツク探検などもありますが、字数や設問の意図を考えても、本設問では省いてしまって良いと思います。

「東アジア進出」の中心になるのは指示語にも見られる「北京条約」と「旅順」でしょう。ここでいう北京条約は1860年にロシアがアロー戦争の仲介を行ったことで清との間に締結した露清間での北京条約のことです。また、「旅順」については日清戦争後の三国干渉と、その後のロシアによる租借を思い浮かべればよいかと思います。ですから、この設問での「東アジア進出」は、教科書や参考書でよく出てくる(露清)北京条約締結にいたるまでのロシアの動きと、日清戦争後のロシアの南下についてまとめれば十分、ということになります。

 

<露清北京条約締結までの流れ>

1847 ムラヴィヨフの東シベリア総督就任

1858 アイグン条約:アロー戦争(1856-1860)に乗じて結ぶ

 ‐アムール川(黒竜江)以北をロシア領に

 ‐沿海州が清とロシアの共同管理に

1860 (露清)北京条約:アロー戦争の講和を調停した見返り

 ‐沿海州がロシア領に→ウラジヴォストークの建設開始

 

<三国干渉とロシアの南下>

 1895 三国干渉:ロシア・フランス・ドイツの圧力により日本が遼東半島を清に返還

    乙未事変:ロシアを背景に権力奪回を図ろうとした閔妃を日本が暗殺

 1896 東清鉄道の敷設権獲得→露仏同盟以降建設が進められていたシベリア鉄道と連結

 1898 遼東半島の旅順・大連を租借

 

 それぞれ、地理情報を掲載しておきます。まず、したの赤丸で囲まれた部分が沿海州です。現在はロシア領となっています。「海沿いの州」なので、ある意味わかりやすいネーミングです。ちなみに、この沿海州の西の境にはウスリー川(ウスリー江)が流れていて、現在の中国とロシアの国境となっています。1969年に発生した中ソ国境紛争の舞台となったダマンスキー島(珍宝島)はこのウスリー江の中州です。

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(沿海州)

 また、下の地図はロシアが敷設権を獲得した東清鉄道の本線と支線を簡略化した図です。青い色の支線のうち、長春‐旅順間は日露戦争後のポーツマス条約で日本へと譲渡され、これが南満州鉄道(満鉄)になります。

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(東清鉄道)

 
ロシアは17世紀末から日本にも進出しています。日本も「東アジア」ですから、もし字数に余裕があったり、上記の内容が思い出せないようでしたら、以下のことに言及するのも手ではあります。ただ、指示語からうかがえる設問の意図は明らかに上に書いた「北京条約」や「三国干渉」だと思われますので、下に挙げたものは何も書けないときの緊急避難的なものだと思ってください。

 

<日本周辺へのロシアの進出>

1792 ラクスマンの根室来航と大黒屋光太夫の帰国

1804 レザノフの長崎来航

1855 日露和親条約

1875 樺太千島交換条約  など

 

【解答例】

 18世紀にトルコに勝利したエカチェリーナ2世は、キュチュク=カイナルジャ条約でクリミア半島を奪った。19世紀には、ギリシア独立戦争やエジプト・トルコ戦争に介入し、ボスフォラス・ダーダネルス海峡を通る地中海への出口を確保したが、ロンドン会議やクリミア戦争の敗北で妨げられた。その後、露土戦争に勝利しサン=ステファノ条約で再度南下を図ったが、列強とのベルリン条約で挫折した。東アジアでは、アロー戦争に乗じた北京条約で沿海州を獲得し、ウラジヴォストーク建設に着手した。日本の開国後、樺太にも進出し、三国干渉の見返りとして旅順・大連を租借し、東清鉄道の敷設権を得て、露仏同盟後に建設したシベリア鉄道と連結させた。(300字)

 コメント欄で一橋分析をご希望の方がいらっしゃったので、とりあえずここ数年の過去問を分析した表のみ掲載しておきます。ちょっとここのところ本業と自分の引っ越し作業に追われて保険やらなんやらの契約とか手続きでエライことになっておりますので、細かい分析は後ほど加筆します。(もしかすると今年度の本番には間に合わないかもしれません[汗]、申し訳ない)


一橋分析

こちらの表をご覧になる際に、特に気を付けておきたいのは「思い込み」です。一橋の傾向変化は最近のものですので、こちらをご参考にされる際は必ずこれまでの傾向・分析とセットでご覧になることをおすすめいたします。でないと思わぬ思い込み、先入観が生まれかねないのでご注意ください。

また、上の表では特にイスラームの出題はほとんどないように見えますが、私個人としてはイスラームの出題可能性を完全には排除できません。理由は、近年一橋の出題が東大をはじめとする他の国公立と近づいている傾向があることから、イスラームそのままでなくとも何らかの形で関連事項が入り込んでくることを否定できないからです。

以上、いくつかの留保があることをご承知の上でご覧ください。
また、あくまで傾向は傾向にすぎません。出てくる問題を「予言」できるわけではありませんので、そのあたりもご承知おきください。

ご無沙汰いたしておりました。2018年センター試験「世界史B」の解答と解説をまとめましたので、ご紹介いたします。分析については各予備校の方から細かい分析が出ておりますので、こちらでは昨年と同様、各設問ごとの解説に加えて少し詳しい関連知識を掲載していきます。もっとも、センターの問題は消去法などを駆使することによって、ここでご紹介している知識などがなくても十分に解ける仕様になっております。ただ、これから私大・国立の2次などにのぞむ際には、大学によっては役立つ知識もあろうかと思い、ご紹介してあります。過去問については各予備校のHPや新聞社などで紹介されておりますのでそちらをご参照ください。急いで作成してチェックなどはあまり入れておりませんので、間違いなどがある可能性もございます。その場合、責任は負いかねますのでご注意くださいw 

一通り解いてみた感想ですが、例年と比べてやや易しいのかな、と感じましたが、個人差もあるので例年並みかな、という印象でした。念のため各校の分析を見てみましたが軒並み「標準」、「例年並み」となっておりますので、いつもと比べて特別難しいか、簡単であるということはなかったようです。ひっかけ的な設問もほとんどなく、素直な問題構成でした。センター当日もとても寒かったですが、受験本番、体調に気を付けて残りの試験をぜひ頑張ってください!

問1 
 

:猛安・謀克は金の部族制度で、「1謀克=300戸」、「1猛安=10謀克」とする行政・軍事制度

【解説】

  領邦教会制は宗教改革、アウクスブルクの宗教和議後のドイツ地域で成立

  マンサブダール制はインドのムガル帝国で導入された官僚制度。位階ごとにマンサブ(禄)を決定し、これに応じて給与などが決定された。

  骨品制は新羅の身分制。王族を聖骨・真骨とし、出身氏族によって五階級に分けた。

 

問2  

【解説】

 :『ローマ法大全』の編纂は、ビザンツ帝国のユスティニアヌスの時代(6C)に、法学者のトリボニアヌスによるもので、「ローマの平和(パクス=ロマーナ:AD12C)」とは時期が異なる。

 

問3  

【解説】

 フィレンツェで栄えたのは毛織物工業と金融業。

  アドリアノープルはバルカン半島にある都市で、五賢帝のひとりハドリアヌスが建設したことからハドリアノポリスと呼ばれたのが起源。1362年にオスマン帝国のムラト1世がこの街を征服し、1366年以降はそれまでのブルサに代わって都となった。(オスマンの都はブルサアドリアノープルイスタンブルとなる。下図参照。)

   一方、ガズナ朝は10C、アフガニスタンに建国されたトルコ系イスラーム王朝であり、領域内にアドリアノープルを含むことはない。(ガズナ朝の領域は下図参照。)

  第4回十字軍で占領されるのはコンスタンティノープル。ヴェネツィアを中心とする第4回十字軍はコンスタンティノープル陥落後にラテン帝国を建国した。イェルサレムには、第1回十字軍の際にキリスト教徒側がイェルサレム王国を建国したが、第3回十字軍の時にイスラーム(アイユーブ朝)のサラディンによって奪回されている。


1

 


2

Wikipediaより「ガズナ朝(1040年)」)

 

問4  

【解説】

  『ラーマーヤナ』は『マハーバーラタ』とならぶインドの2大叙事詩。

  『イーリアス』はギリシアのホメロスの作によると伝えられる。

  『ギルガメシュ叙事詩』は古代シュメールで成立した。『旧約聖書』のノアと大洪水の逸話の原型が見られることでも有名。

 

問5  

【解説】

  アングロ=サクソン七王国(ヘプターキー)の統一はウェセックス王エグバート。

  マグナ=カルタはジョン王の時(1215)。

  シモン=ド=モンフォールの反乱はヘンリ3世の時。

(反乱は1258年から。議会は1265年に開催)

 

問6  

【解説】

  緑営は漢人が中心の、平時には主として治安維持にあたった軍事組織。

  タンジマートのきっかけとなるギュルハネ勅令(1839年)を出したのはアブデュル=メジト1世。アブデュル=ハミト2世は露土戦争(1877年~1878年)に際してミドハト憲法を停止し、スルタン専制を敷いた人物。

  十月宣言(勅書)は1905年の第1次ロシア革命の際にニコライ2世が発したもので、ロシアの立憲化を進める第1歩となったもの。アレクサンドル1世は19世紀はじめのロシア皇帝で、ウィーン会議で神聖同盟の提唱などを行った人物。

 

問7  

【解説】

  大月氏は、通常BC2CAD1Cにかけてソグディアナからバクトリアにかけて存在した国。対して、ホスロー1世はササン朝ペルシアの君主で、ビザンツ帝国のユスティニアヌスと抗争を繰り広げたことで有名な6Cの人物。

   中国では、インドのクシャーナ朝のことを指して大月氏と呼ぶこともあるが、クシャーナ朝のことだとしても、その衰退は3Cのことであり、ホスロー1世とは時代が合わない。

  冒頓単于は匈奴の君主。前漢の高祖劉邦との白登山の戦い(BC200年)で有名。

  ヴァルダナ朝は南インドを領域内におさめていない。(下図参照)

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Wikipedia「ヴァルダナ朝」より)

問8  

【解説】

  澶淵の盟は北宋と遼の間で結ばれたもの。(1004年)

  土地を支給された成人から税を取るのは均田制に基づくもの。

  「湖広」は長江中流域のこと。長江下流域は「蘇湖(江浙)」で、ここが穀物地帯であったのは宋代のこと。

 

問9  

【解説】

  『漢書』は紀伝体による記述。

 

10  

【解説】

  シヴァを主神とするのはヒンドゥー教。

  ヒジュラはイスラーム

  景教はネストリウス派

 

11  

【解説】

 :下図参照。また、ハラッパーはインダス文明の遺跡。

4

 

12  

【解説】

  イッソスの戦いはマケドニアのアレクサンドロスとアケメネス朝ペルシアのダレイオス1世が激突した戦い。(BC333年)

  司馬炎は西晋の建国者。蜀の建国者は劉備。

  劉永福が組織したのは黒旗軍。

 

13  

【解説】

  バルフォア宣言(1917年)はユダヤ人の「国家(言語はnational home)」建設を認めたもの。

  モーセは、十戒で有名な人物なので、「戒律主義を批判した」はおかしい。

  アフラ=マズダはゾロアスター教の神。ユダヤ教徒の神はヤハウェ。

 

 

14  

【解説】

  乾隆帝が対外交易港として指定したのは広州。

 

15  (もっとも、ステュアート朝はもともとスコットランド王家なので、正確には「イングランドでステュアート朝が成立した」が正しい。)

【解説】

  ラダイト運動が起こるのは19世紀はじめ。

  ウォルポールが下院を掌握したのは1721-42にかけて。

  グラッドストンがアイルランド自治法案を提出するのは19世紀後半。(1886年と1893年) また第3回自治法案を提出するのはアスキス内閣(1912年)。第3回自治法案も貴族院(上院)で否決されたが、1911年に制定された議会法により庶民院(下院)の優越が定められていたため、その規定に従って1914年に成立する見通しとなったが、第1次世界大戦の勃発により延期された。

 

 

16  

【解説】

 ・ワッハーブ派はアラビア半島で起こった復古主義的なイスラーム改革運動。当時(18世紀半ば以降)のイスラーム世界は神秘主義など、本来のムハンマドの教えから遠ざかっているとワッハーブ派の創始者イブン=アブドゥル=ワッハーブは考え、ムハンマドの本来の教えに立ち返るために『クルアーン(コーラン)』の教えに忠実であるべきと考える、復古主義・原理主義的な教えを唱えた。乱暴な解釈ではあるが、キリスト教世界におけるルターの主教改革運動のイスラーム版ととらえると理解しやすい。

  (復古主義、とは古いもの、昔に立ち返るということ。原理主義、とは宗教上では経典や教義に忠実に従うことを言う。)

 ・このワッハーブ派を支援したのがアラビア半島東部の豪族サウード家で、サウード家はワッハーブ王国や現在のサウジアラビアを建国することとなった。

 

17  

【解説】

 ① ウィクリフが異端とされたのは神聖ローマ皇帝ジギスムントによって開かれたコンスタンツ公会議(1414-1418)。この時、ベーメンのフスも異端とされ火刑に処せられたため、ベーメンのフス派がまもなくフス戦争(1419-36)を起こした。

   一方、エフェソス公会議は431年に開かれてネストリウス派を異端とした公会議である。

 ② サレカット=イスラームはインドネシアで1911年に結成されたジャワ島の商人同盟で、元々は華人商人に対抗するために生まれたものであったが次第に民族的・政治的な運動を行うようになった。

 ③ 白蓮教は南宋~清の頃に流行した民間信仰。世界史上、白蓮教徒の乱と呼ばれるものはいくつかあるが、世界史上で有名なのは元末に起こった紅巾の乱の別名、または清朝支配下の1796-1804年に起こった白蓮教徒の乱。

   

18  

【解説】

 ・アメリカが占領したのは南半分。北半分はソ連の占領地域。

 

19  (慶州は別名を金城ともいう)

【解説】

 ② ポタラ宮殿はチベットのラサにある宮殿。

 ③ クトゥブ=ミナールはデリー=スルタン朝の最初の王朝である奴隷王朝の建国者、クトゥブッディーン=アイバクによって建てられた、世界で最も高いミナレット。

 ④ パスカルはフランスの数学者、哲学者。落体の法則に関するエピソードで有名なのはガリレオ=ガリレイ。

 

20  

【解説】

 ドイツ植民が行われたのはエルベ川以東で、ここには後のプロイセンのもととなるドイツ騎士団領やブランデンブルク辺境伯領が建設された。

 

21  (スペイン王カルロス1世は神聖ローマ皇帝カール5世と同一人物)

【解説】

 ① カペー朝の創始者はパリ伯ユーグ=カペー。(987年~)

 ② 審査法が制定されるのは1673年、チャールズ2世の治世。

 ③ クローヴィスはフランク族の王で、アタナシウス派キリスト教に改宗した人物。

 

22  (デンマークがシュレスヴィヒ・ホルシュタインをプロイセンに奪われるのは、1864年のデンマーク戦争の時)

【解説】

 ① ハンガリーの主体となっているのはマジャール人。

 ② カルマル同盟を結ぶのはデンマーク・スウェーデン・ノルウェー。

 ③ ポーランドで選挙王政が導入されるのはヤゲウォ朝の断絶後。

 

23  

【解説】

 ① クテシフォンはパルティアやササン朝の都。アケメネス朝はもともとはスサに都をおいたが、ダレイオス1世の時に新都ペルセポリスを建設した。

② サーマーン朝は中央アジアのイラン系イスラーム王朝。都はブハラ。

   一方、コルドバはイベリア半島の都市で、後ウマイヤ朝の都。

 ④ アッシリアの都はニネヴェ。(古都はアッシュール)

 

24  

【解説】

 ① ヴィシー政権の首班はペタン。ブルムはフランス人民戦線内閣の首相。

 ③ スターリングラードの戦いはドイツが敗走し始める契機となった戦い。(1942-43

 ④ バドリオはスペインではなく、イタリアのムッソリーニ退陣後の首相。

 

25  

【解説】

 リューベックはハンザ同盟の盟主。

 ロンバルディア同盟は北イタリアの都市同盟で、盟主はミラノ。

 

26  

【解説】

 ① 新法を推進したのは王安石。司馬光はこれを批判した旧法党の指導者で、『資治通鑑』の著者としても有名。

 ③ 新法が導入された北宋期に北方を悩ました異民族としては、遼、西夏がある。後に遼にかわって金が勃興した際、滅亡した遼の王族が西のトルキスタンに逃亡して建国するのが西遼(1132-1218)で、建国時にはすでに北宋は滅亡していた。

 ④ 東林派と非東林派の争いは明代末期。

 

27  

【解説】

 まず、第1次世界大戦は1914-18年。五・四運動が発生したのは1919年。義和団事件の勃発は1900年。
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 上の図にあるように、第1次世界大戦は赤の線の間で起こっているが、この間にアメリカとイギリスの逆転が起こっているので、aの文章は正。

 また、義和団事件が起こった時の日本との貿易額は50,000弱だが、五・四運動当時の貿易額は約450,0009倍近くにのぼるため、bの文章は誤り。

 

28  

【解説】

 問題の通り、どちらも正文。

 

29  

【解説】

 ② 陳勝・呉広の乱は秦末の農民反乱。

 ③ ジャックリーの乱はフランスの農民反乱(1358

   同時期にイギリスで発生したのはワット=タイラーの乱(1381)。

 ④ ハイドゥの乱は元のフビライに反抗して起こったモンゴル帝国内の反乱。

 

30  

【解説】

 ① リシュリューはフランスのルイ13世の宰相。

 ② 十四か条の平和原則を提唱したのはアメリカ大統領ウィルソン。

 ④ インド皇帝に即位したのはイギリスのヴィクトリア女王。

 

31  

【解説】

 ルワンダ内戦は1990-1993と比較的新しい。

 

32  

【解説】

 ① ブレジネフは第2次世界大戦後のソヴィエト連邦の指導者で、フルシチョフの次。

   時期としては1964-82

 ② フェビアン協会は第1次世界大戦よりも前。(1884)早くからウェッブ夫妻やバーナード=ショーが参加した漸進的改革を目指すイギリスの社会主義運動。

 ④ 極東軍事裁判所は第2次世界大戦後に開廷された。

 

33  

【解説】

 ① イベリア半島に存在したのは西ゴート王国。東ゴート王国の支配地はイタリア半島。

 ③ ユトレヒト条約では「イギリスが」スペインからジブラルタルとミノルカを獲得したのであって、スペインが獲得したのではない。

 ④ スペインでは、アサーニャ率いる人民戦線内閣がフランコ率いるファシズム勢力に敗北した。

 

34  

【解説】

 ① ダライ=ラマ14世の亡命先はインド。中印国境紛争のきっかけとなった。

 ② ジェームズ2世亡命の原因は名誉革命(1688-89)。

   ばら戦争は百年戦争後まもなくイギリスで発生した内乱(1455-85)で、テューダー朝成立のきっかけとなった。

 ④ 衛満は衛氏朝鮮の建国者で、BC2Cごろの人物。

 

35  

【解説】

 ② 浙江財閥は蔣介石と結んで共産党を弾圧。

 ③ 1911年、清朝の発した鉄道国有令に激しく反発して暴動を起こしたのは、四川保路同志会などを通して利権回収運動を進めていた四川省成都。この暴動鎮圧のために清朝の軍隊が出動した隙をついて発生したのが19111010日の武昌蜂起。(辛亥革命の開始)

 ④ 中華民国の建国宣言がなされたのは南京において(1912年、孫文による)。当時、北京には袁世凱が実権を握る清朝政府(皇帝:宣統帝[溥儀])が依然として存在していた。

 

36  ANZUSの参加国はA=オーストラリア(Australia)NZ=ニュージーランド、US=アメリカ合衆国(United States)

【解説】

 ① ドプチェクはチェコスロヴァキアで発生した「プラハの春(1968)」の指導者。

 ② アデナウアーは西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の首相。

 ③ バグダード条約機構はイギリスが中心となってできた反共同盟。

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