(この記事は執筆当時のもので、現在は古くなっている情報を含んでいます。最新の記事であるhttp://history-link-bottega.com/archives/14929526.htmlを合わせてお読みください)

 どの大学でも出題傾向を把握することはとても大切ですが、一橋大学の世界史では意欲的な出題がされることが多いため、特にその傾向が強くなります。以下、全体の簡単な特徴をしめした上で、大問ごとの出題傾向について紹介します。ただ、一橋ではここ5年ほどで出題傾向に大きな変化が見られ、従来型の出題傾向の把握だけでは対処しきれないことがあるかもしれません。この近年の変化については、別の記事(一橋大学「世界史」出題傾向2)の方で示したいと思います。


(出題形式)

 ・120

 ・大問3×400字論述 (時折、200×2200字+100×2などのパターンアリ)

 ・大問1400字論述が1のみ、大問2と大問3は複数問になることがある

 

(出題傾向)

 ・西洋史2題、アジア史1題が基本

 

(大問ごとの分析)

【大問1】
 [ 1 ]では中世・近世・近代史(9世紀~17世紀)がメイン。1990年代には4世紀前後の内容が出題されたこともありますが、古代史は少ない。内容としてはドイツ史が重視されています。かつての一橋の学長であった阿部勤也がドイツ中世史の日本を代表する人物であったことをはじめとして、ドイツ系の優秀な学者が多い(マルクス研究で有名な良知力[らち・ちから]など)ことと無関係ではないかもしれません。ドイツ以外で出題されるとすれば英・仏・伊の中世史が目立ちます。

以下は1995年~2016年までに[ 1 ]で出題された問題を地域別にまとめたものです。(以下、大問23の解説に出てくる表も1995年~2016年までの集計です。)


一橋出題傾向表1

・「叙任権闘争」などはドイツ・イタリアともに1として数えています。

・フランス史は5回ですが、うち2回が「カール大帝」、1回が「フランク王国」をテーマ としたものであり、神聖ローマ帝国の前史としてとらえる方が妥当。

・その他は「農業技術・制度の変化(1996年)」

45世紀のローマ帝国の政治・社会(1997年)」

「聖トマスとアリストテレスの都市国家論比較(2016年)」

・西欧全体は「三十年戦争」です。

 

やはり、全体として神聖ローマ帝国を軸として時代別の変遷を問う問題、他の地域とのかかわりや比較を問う出題が目立ちます。

【大問2】
 [ 2 ]では主に18世紀以降の近代史と現代史が出題される傾向がありますが、出題範囲は多岐にわたり、焦点が絞りづらいです。それでも、あえて傾向を示すのであれば[ 1 ]に比して明らかにフランス史とアメリカ史の割合が多いことは見て取れます。

 

一橋出題傾向表2
 50字論述などの短い論述問題は数に加えず、複数問でも一連のものは1問として数えました) 

 

その他は「第2・第3産業革命(1995)」

18世紀半ばのグローバルな紛争(2009:七年戦争)」

「女性参政権(2010)」

「国際連盟と国際連合(2012)」

「エンゲルスの歴史観と西スラヴ人の歴史(2014)」

「ヨーロッパ共同体と東南アジア諸国連合(2015)」です。

18世紀以前は「絶対主義の絶対性(2001)」

「ピョートル1世の西欧化と国内改革(2004年)」

「中世都市市民ほか(2006)」です。

・アメリカ史に関しては20世紀史が頻繁に出題されています。

(マッカーシズム、ヴェトナム戦争、核軍縮、米西戦争[19世紀末]など)

フランス史についてはフランス革命や啓蒙思想と関連する事柄についての出題が近年特に目立ちます。

【大問3】

[ 3 ]はアジア史が出題されますが、近現代史が圧倒的に多いです。中でも多いのが明・清~第2次世界大戦前までの中国史です。戦後中国史は全くと言っていいほど出題がありませんでしたが、2010年に「アジア=アフリカ会議」に関する出題(100字)がありますし、油断はできないと思っていましたら2016年に朝鮮戦争が出題されました。東大でも2016年は久しぶりの戦後史が出題されましたね。中国史以外で比較的よく出題されるのはインド、東南アジア、朝鮮史です。また、「植民地」をテーマにしたと見られる出題も多く見受けられます。明末~清~辛亥革命の前後を軸として学習し、インド史、東南アジア史に対する理解を充実させていくことが[ 3 ]の対策としては有効でしょう。


一橋出題傾向表3


・清は出題回数で突出していますが、内容は「支配の確立(建国~三藩の乱)」、「交易体制」、「清末の改革(洋務運動~光緒新政)」に集中しています。清末の改革を現代史としてとらえれば、「清朝における支配の確立期~交易体制の変遷」というまとまりと「清朝の衰退と改革~日中戦争以前の民族運動の高揚と国民党・共産党」というまとまりの二つにまとめることができるでしょう。

・朝鮮史は日本の支配や清国との関係の中で出題されることが多いです。

   ex) 朝鮮の開化派の改革(2013

1920年代後半から1940年代前半にいたる日本植民地化の朝鮮(200字、2009

 

(全体的な出題内容分析)

   分野別

-政治史・経済史・社会史・宗教史が中心。

   -政治史の出題頻度は総じて高い。

   -西洋中世・近世史では近年宗教に関連する出題が増加しています。

   -近現代史では、ヨーロッパの革命・国際関係・民族問題が頻出。

    また、ここ4年ほどで超国家的機関・共同体に関する問題が2題出題されていま     す(ただし、単純な比較ではなく国際政治の中に位置付けることが要求されています)。

     ex) ECASEANの歴史的役割(2015

国際連合と国際連盟の設立と問題点(2012

 

  史料問題

   -多くの設問が実際の史料(ただし、現代語訳・簡略化されたもの)を利用したものになっています。そのため、こうした史料が何かを判断する理解力は最低限求められます。また、後述するように、近年はこの史料読解のレベルが引き上げられる傾向があり、より深い読み取りを要求されることがあるので注意が必要です。(一橋大学「世界史」出題傾向2参照)

  

Ex.1)  独立小問としての難問(2014年 III-1 B

  明朝は、徐光啓の建議を採用し、合計30門の紅夷砲をマカオから購入し、北京、および(B)や寧遠などの軍事拠点に投入した。

 

解答は山海関。この問題には「明の軍事拠点」としかヒントがないので、当時数多くあった軍事拠点から特定のしようがなく、難問というよりはむしろ悪問。山海関は明の呉三桂によって守られていた中国と東北地方の国境付近に位置する軍事上の要地で、李自成の乱で北京が陥落すると、侵攻してきていた清の軍勢に山海関を明け渡した。

 

Ex.2)  本文が論述の前提となった難問(2012年 III-1

 

   次の文章は1820年代初頭に植民地官僚ラッフルズが彼の母国イギリスとアジアとの交易について述べたものである。これを読んで、問1、問2に答えなさい。
 私がイギリス国旗をかかげたとき、その人口は二百人にも達しないほどでした。三ヶ月のうちに、その数は三千人に及び、現在は一万人を越えております。主としてシナ人であります。最後の二ヶ月のあいだに主として原住民の色々な種類の船が百七十三隻も到着したり、出帆したりしました。それはすでに重要な商港となったのです。
(中略)……イギリスにおける東インド会社とシナにおける行(ホン)商人の独占は、私たちの船舶や広東港における公正な競争といったようなものの観念を排除しております。……(A.  )においてすべての目的は達せられるでしょう。……シナ人自身が(A.  )にやってきて購買します。彼らは行(ホン)商人の制限や着服なしに広東の色々な港に輸入する手段をもっております。シナの多くの総督は自分で秘密に外国貿易に従事しており、(A.  )は、自由港として、かようにしてヨーロッパ・アジアおよびシナの間を結ぶ環となり、偉大な集積港となるのです。事実、そうなってきています。

 

問1 文中の(A.  )に入る地名を答えなさい。

 

:この設問では、Aをシンガポールと確定することが必要となります。この問題自体はそれほど難度の高いものではありませんが、これに続く設問が「ところで、ラッフルズは(A.  )における交易の自由がアジアの物流を一変させると考えていますが、この思想との対比において、イギリスの東南アジアにおけるその後の政治的経済的活動の展開を述べなさい(200字以内)」であることを考えると、「ラッフルズ」からシンガポールを連想できなかった受験生には心理的にかなりきつい設問であった可能性があります。もっとも、設問で要求していることは19世紀前半におけるイギリスの自由貿易主義と、実際にその後の東南アジア地域で進められた植民地経営の対比にあるので、シンガポールがわからなくても対応することはできます。