世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

中学受験、大学受験(国立・私大とも)など数多くの受験をこなし、脱サラ後に西洋史を専攻、学費捻出のため塾講師や中高で世界史を担当しつつ、イギリスの大学院で歴史学のMSc(修士号)を取得、大学でも西洋史の講義を担当するなど西洋史を教える仕事に長年従事してきた管理人HANDが、受験世界史でポイントとなる部分を徹底解説!各校の過去問対策、受験対策のほか、世界史を理解する上で役に立つ視点や勉強法についての情報を随時更新していきます。

以下のような方はとくにオススメ!

・東大、一橋などの国公立や早稲田、慶応の受験を世界史で考えている。
・論述対策を進めたい。
・教科書やプリントだと不足している情報が多すぎて、背景にあるつながりが見えない。
・『詳説世界史』などを読むだけでは気づけない、専門的な歴史的視点を養いたい。
・世界史を覚えるのが苦手で、どうやって勉強したらよいのかわからない。
・世界史の教員になりたてだが、西洋史が専門ではないので少し突っ込んだ知見を知りたい。

※ 目標に向けて頑張る受験生の皆さんの一助になればと思って頑張って更新し、情報もチェックしておりますが、人間ですのでミスなどが出ることもあります。当サイトの情報をご利用の際はあくまでも自己責任でお願いいたします。

※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw また、大手予備校のHPからも閲覧できるかと思います。正規の問題が手元にあった方がわかりやすいと思います。


それでは、2016年の一橋「世界史」の過去問解答例と分析を行っていきましょう。ちなみに、この年の一橋の問題について、河合塾は(Ⅰ-やや難、Ⅱ-やや難、Ⅲ-標準)、代ゼミは(Ⅰ-標準、Ⅱ-標準、Ⅲ-標準)としていました。駿台についてはすいません、業務多忙だったせいもあり、手元に資料を保存していないので各自で駿台のHPにでも行ってご確認ください。

 個人的には、Ⅰ-やや易、Ⅱ-やや難、Ⅲ-標準といったところでしょうか。満点を取ると仮定すれば難しい問題なのですが、合格点をとるということを考えればそれほど難しい問題とは思えません。Ⅰは中世都市とポリスの比較をする基本問題ですし、Ⅱもユグノーについてとフリードリヒの啓蒙専制が書ければ、シュレジェンなどの情報が十分に書けなくても半分はとれるでしょう。同じく、Ⅲも台湾の部分が十分に書けなかったとしても半分程度の解答を作成することは可能ですから、全体として6割を確保しにいくことは例年と比べても難しくなかったかなという印象です。あとは、史資料の読解と歴史に対する総合的理解を要求される設問に対して平均点がどう動くかということと、どうやって周りから一歩抜け出すかが問題となった年でしょう。比較的多くの生徒が合格した年でしたが、合格した生徒によれば「世界史はわりととれました!」とのことでしたから、普段から歴史の全体像を気にして、設問の読みがしっかりできる生徒にとってはやはり解きやすい設問だったように思います。

 

2016年 Ⅰ 

■ 問 題 概 要 

 

国公立の問題は、あちこちの学習塾や場合によっては大学などでも公開されているので概要だけを示します。というか、志望校であれば是非赤本を買いましょうw 手元にあるのとないのとでは大きな差があると思います。

[設問概要]
・聖トマスとアリストテレスの「都市国家論」の相違がなぜ生じたのかを考察しなさい。(400字)
・条件:両者が念頭においていたと思われる都市社会の歴史的実態を対比させつつ論じること。
・本文として、
上田辰之助『トマス・アクィナス研究』より引用された文章が付されているが、その文章の中でも以下の部分に下線が付されている。

 聖トマスにおいてcivitasは「都市国家」ではあるが、「都市」という地理的・経済的方面に要点が存するに反し、アリストテレースは「都市国家」を主として政治組織として考察し、経済生活の問題はこれを第二次的にしか取り扱っていない

 

■ 解 答 例 

アリストテレスと聖トマスの都市国家論の相違は、前者が政治的共同体としての側面が強いポリス、後者が経済活動を基礎とした中世都市という異なる歴史的実態を持つ都市社会を論の前提としていることからきている。前者が想定する、アテネに代表されるポリスでは軍役に参加する成人男子市民が全て民会を通じて政治に参加する直接民主制が成立し、官職も抽選で選出されるなどの政治的平等が達成された。ギリシア人は植民市を築き商工業や交易も発展させたが、経済活動は政治的活動に比して副次的なものと考えられ、農作業など労働の多くは奴隷に委ねられた。一方、後者が前提とした中世都市は、商工業や交易で得た資金で自治を獲得し防衛を傭兵に頼るなど、経済力に基礎をおいた。都市内部では手工業者がツンフト闘争を通して市政に参入するなどの変化はあったが、基本的にはギルドを形成する大商人による寡頭政治が行われ、親方と徒弟といった階級秩序が存在した。(400字)

■ 採 点 基 準 

:設問にある要求は以下の2点。

(1)聖トマス(トマス=アクィナス)とアリストテレスの「都市国家論」の相違が生じた理由

(2)両者が念頭に置いていたと思われる都市社会の歴史的実態を対比させる

 

よって、以上の2点に対する答えを明確に示しつつ、必要な事項を整理する必要がある。

(1)に対する答えを用意するためにも、まずは「両者が念頭に置いていた都市社会の相違とは何か」と「両者の都市国家論の相違点とは何か」を整理することから始めるのが解答への近道。

 

【A:両者が念頭においていた都市社会(ポリスと中世都市)の相違】

① ポリス(アテネ)の特徴について示す。

 :民会と直接民主政、奴隷制に立脚、将軍職以外の官職を抽選で決定、商工業も発展、など

② 中世都市の特徴について示す

 :商工業、交易活動の発展、自治権の獲得、都市内部の身分秩序(ギルド・ツンフト)、など

 

【B:両者の都市国家論の相違】

③ アリストテレスの前提=ポリス(特にアテネを想定)

④ アリストテレスの都市国家論:政治的組織として考察、経済生活は第二次的なもの

⑤ 聖トマスの前提=中世都市 

⑥ 聖トマスの都市国家論:地理的・経済的な要素を重視し、都市を「完全社会」とみる 

 (理由):中世都市には各種の階級や組合などが存在し、人間生活が自給自足されることで「他力の補助」を必要とせず、これにより「完全性」が保たれるから。さらに、この「経済上の自給自足」が「精神生活の充足(よき生活)」を支えているとする。

 

以上のA・Bを整理すれば、両者の都市国家論の相違が、両者が前提としている都市社会の相違と対応していることが読み取れるので、それをもとに「アリストテレスの都市国家論」と「聖トマスの都市国家論」の相違を際立たせるような都市社会の歴史的実態を拾い上げて、両者の違いが生じた理由として示してやればよい。

 

【C:両者の都市国家論の相違が生じた理由】

⑦ ポリスが政治的共同体としての側面が強かったのに対し、中世都市は経済的な繁栄を形成の前提とした(自治権の獲得など) 

⑧ ポリスの市民が労働を奴隷に委ねて経済活動から遠ざかったのに対して、中世都市市民の活動の中心は政治的活動よりも手工業・商業・交易活動といった経済活動であった 

⑨ ポリス市民(市民に奴隷は含まれない)は政治的に平等であったのに対し、中世都市では原則として政治に携わるのは経済力の豊かな大商人や親方階層であり、階級秩序が存在した。

 

本設問については、歴史的な知識の有無よりも、設問の意図をくんで適切な論を構築することと、できた論の整合性に重きが置かれていると思われる。

 

■ 解 法 

1、とにかく、まずは史資料を熟読する。その上で、本文が聖トマスならびにアリストテレスについてどのような見方をしているか、以下のように整理しましょう。

 

 [聖トマス]

 ・都市の完全性を二因に帰する。①経済上の自給自足(物)

                 ②精神生活の充足(霊) 

「霊物両生活の充足(4行目)」

 ・物の完全性=自足性に存する

(不完全である物は他力を必要とし、その程度が大きいほど不完全である)

 ・特に、聖トマスは経済的自足性(物)を重視

  →「生活資料のすべてについての生活自足は完全社会たる都市において得られる」

  →「都市はすべての人間社会中最後にしてもっとも完全なるもの」

   (理由)都市には各種の階級や組合などが存在し、人間生活の自給自足にあてられるから

 ・都市の経済性を重視すること=中世ヨーロッパの実情に即している(経済都市)

      

[アリストテレス]

・論の進め方は聖トマスと類似しているが「実質的には著しき差異」がある

 →聖トマスのcivitas:地理的・経済的要素を重視している

 →アリストテレスの都市国家:政治組織として考察(経済は二次的なもの)

 

2、ポリスと中世都市の特徴を整理

[ポリス(アテネ)]

 :民会と直接民主政、奴隷制に立脚、将軍職以外の官職を抽選で決定、商工業も発展、など

 

[中世都市]

 :商工業、交易活動の発展、自治権の獲得、都市内部の身分秩序(ギルド・ツンフト)、など

 

  大切なことは、いくつかある特徴の中から、設問本文に即してどの特徴について論ずるのが適切であるかを見極めること。そう考えれば、政治的組織としての点を重視するアリストテレスの立場から、同じギリシアのポリスでもスパルタではなくアテネ民主政について言及すべきであることは自明ですし、聖トマスが「各種の階級・組合」に注目していることから、中世都市の身分秩序に触れるべきことは明白です。また、ここでは対比が要求されるわけですから、アテネ民主政に対する中世都市の政治システム、中世都市の身分秩序に対するギリシアの奴隷制といったように、必要な部分が何か、よく考えてまとめるべきでしょう。

 

●解答作成のポイント

 (1)両者が前提とする都市社会の歴史的実態の対比

設問がアリストテレス時代の都市社会(=ポリス[特にアテネ])と聖トマス時代の都市社会(中世都市)の歴史的実態を対比することを求めていることに気づくのは必須条件です。 両者の特徴を書き連ねるのはそれほど難しい作業ではありません。

 (2)両者の論の相違と前提とする都市社会の相違の関連性について検討

ポリスと中世都市の相違が、どのように両者の「都市国家論」の相違と関連するのかを考察する必要があります。これは世界史で教わる知識ではないので、資料の読解と二つの異なる「都市社会」の特徴からの考察によって導くしかありません。文章から「聖トマス=地理的・経済的方面(言い換えれば物的側面)を重視」しているのに対し、「アリストテレス=政治組織として都市をとらえる」という違いが存在することを読み取り、両「都市社会」の相違とうまく結び付けてやればよいでしょう。

 

 

ワンポイント

最後に、本設問の解答とは無関係ですが、聖トマスはアリストテレス哲学を受容して神中心主義と人間中心主義を調和させ、スコラ哲学を大成した人物であるからこそ、ここで両者の都市国家論の対比がなされているのだということは知っておいてよいでしょう。両者は無関係の二人ではなく、ヨーロッパの思想体系の中でつながっているのです。

 

2016年 Ⅱ

■ 問 題 概 要 

 
・ベルリンにある、「フランス大聖堂」と「聖ヘートヴィヒ聖堂」という2つの聖堂が建設された理由を比較しつつ、建設をめぐる宗教的・政治的背景を説明せよ(400字)
・フランス大聖堂と聖へ―トヴィヒ聖堂について紹介する文が付されていますが、特に以下の2か所に下線が付されています。
 「
フランス大聖堂は、その名の通り、ベルリンに定住した約6千人のユグノーのために特別に建てられた」
 「
聖ヘートヴィヒ聖堂は、ポーランド系新住民のために建設されたカトリック教会です。」
・また、両聖堂の建設開始と完成の年も示されており、それによればフランス大聖堂は1701年開始・1705年完成、聖ヘートヴィヒ聖堂は1747年開始、1773年完成である。
 

 

■ 解 答 例 

1685年のルイ14世によるナントの勅令廃止で信仰の自由を失ったフランスのユグノーたちは北欧各国へ亡命した。新教国プロイセンは、産業振興のため商工業者が多いユグノーを受け入れ、王国に昇格してホーエンツォレルン家領を統合した1701年には彼らのためフランス大聖堂を建設した。18世紀前半にフリードリヒ=ヴィルヘルム1世がユンカーを登用して官僚制や軍隊を整備し、王権の強化を進めた後、1740年に即位したフリードリヒ2世はオーストリア継承戦争と七年戦争でオーストリアのマリア=テレジアと争い、ハプスブルク家が領有していた鉱工業地帯シュレジェンを獲得して軍備の強化に努めた。近代化を進めるために啓蒙思想を受容した彼の統治下では、旧ハプスブルク領のカトリックに対して寛容な宗教政策がとられて聖ヘートヴィヒ聖堂が建設され、1772年の第1回ポーランド分割で新たに支配下に入ったポーランド系カトリックに対する受け皿ともなった。400字)
(2016.11.23、一部を訂正しました。[プロイセンの王権について、絶対王政を確立したという表現を使っておりましたが、少々表現として強かったように思いましたので王権の強化を進めたとしておきました。]) 

 

■ 採 点 基 準 

:設問が求めるのはユグノーのためのフランス大聖堂とポーランド系住民(カトリック)のための聖ヘートヴィヒ聖堂という二つの聖堂の建設について、

 

(1)建設された理由を比較せよ

 (2)建設をめぐる宗教的背景を説明せよ

 (3)建設をめぐる政治的背景を説明せよ    という3点である。

 

 論点は整理しやすいですが、建設時期がフランス大聖堂の18世紀初頭(プロイセン公フリードリヒ1世の時期)と聖ヘートヴィヒ聖堂の18世紀半ば~後半(フリードリヒ2世の時期)と異なる時期にまたがっていることには注意を払う必要があるでしょう。

 

【A. 宗教的背景】

① 1685年のルイ14世によるナントの勅令廃止(仏)

② ナントの勅令廃止によるユグノーの北欧各国への亡命

③ フリードリヒ2世の啓蒙専制君主としての国家建設と宗教的寛容との関係

 (③は設問文章中の「パンテオン」などの語からも想起することができる)

④ 新たに獲得したシュレジェン(またはハプスブルク家の領地)にカトリック(またはポーランド系住民)が多いこと。

(予備校の模範解答などにはシュレジェンにポーランド系カトリックが多いことなどが示されていますが、これは教科書や通常の参考書のレベルをこえた要求であり、少なくとも2016年度の受験生がこれを示すことは望むべくもありません。むしろ、ハプスブルク領がプロイセン支配下に入ることにどのような宗教的意義があるかを見出す想像力が重要。ただし、ポーランド分割[1772]を聖堂建設の理由[1747-]に結びつけることは時期的に無理なので注意。)

 

【B.政治的背景】

④ 18世紀初頭のプロイセンにおける軍国主義的絶対王政の形成

 - 1701  フリードリヒ1世時代にプロイセン王国としてホーエンツォレルン家領を統合

 - 1713~ フリードリヒ=ヴィルヘルムによるユンカー出身者を用いた軍隊・官僚制の整備

⑤ フリードリヒ2世の即位と近代化策

⑥ オーストリア継承戦争(1740-48)と七年戦争によるオーストリアとの争いとシュレジェン獲得

⑦ シュレジェンが鉱工業地帯であること

⑧ 第1回ポーランド分割(1772) [2回・第3回分割にもプロイセンは参加しているが、1773年に完成した聖ヘートヴィヒ聖堂の「建設理由」を問う本設問では必ずしも言及の必要はありません。ただ、「新たに加わったポーランド系カトリックの受け皿となった」とは言えるでしょう。]

 

【C.両聖堂が建設された理由】(A.Bとの重複箇所あり。適切に統合できるかがカギ)

(フランス大聖堂)≒なぜ、ユグノーを受け入れたか

⑨ プロイセンがドイツ地域を代表する新教国であること

⑩ 国内の産業育成のために亡命してきたユグノーを受け入れたこと

 

(聖ヘートヴィヒ聖堂)≒なぜ、ポーランド系カトリックが統治下に入ったのか

⑪ シュレジェンの領有とポーランド分割(ただし、ポーランド分割開始時には建設はほぼ完成)

⑫ 宗教的寛容・移民や新たな住民の受け入れ


■ 解 法 

Iほどではないが、同じく資料文が参考にはなるので、まずは読解と整理を。

 

1701年にユグノーに対して建てられたフランス大聖堂(1705年完成)

→亡命ユグノーを想起する必要あり(1685年 ナントの勅令廃止)

1747年に建設が開始された聖ヘートヴィヒ聖堂(ポーランド系の「新」住民のため)

1740-1748 オーストリア継承戦争:シュレジェンの獲得

 時期に注目できるかどうか。

1773年に完成した聖ヘートヴィヒ聖堂の円形聖堂

=ローマのパンテオンを模して造られたもの

 =当時の国王(フリードリヒ2世:1740-1786)の基本思想

  「君主は国家第一の下僕」(啓蒙専制君主)

 →ここから「啓蒙」と「宗教的寛容」を結びつけて論ずることができるかどうか。


●解答のポイント

 (1)文章の読解と分析

  一橋の大問Ⅰ・Ⅱでは史料・文章の読解と分析が必須です。ベルリンが当時のプロイセンの都であること、18世紀がプロイセンにとっての発展期であり、その世紀の半ばからは啓蒙専制君主フリードリヒ2世の統治下で近代化が図られたことなどは必ず想起しなくてはならないでしょう。

 

 (2)当時のヨーロッパの宗教事情の確認

  ユグノーという単語から、一橋の受験者であれば1685年のフランスにおけるナントの王令廃止とそれにともなうユグノー(多くの商工業者を含む)の北西欧地域への亡命はすぐに思いつくことができます。問題は、もう一つのカトリックをどのように処理するかということですが、18世紀ドイツ地域においてプロイセンと覇を競いあうハプスブルク家の支配下ではカトリックの勢いが強いことは教科書レベルの知識であっても引き出すことは可能なはずです。

 

 (3)プロイセンにおける宗教の意義と、政治的状況との関係性についての考察

  プロイセンが新教国であり、富国強兵策を展開していたことから、商工業者の多い亡命ユグノーが保護の対象となったことや、フリードリヒ2世が啓蒙思想に傾倒していたことから宗教的寛容が国策として打ち出されたことを指摘するべきでしょう。

 

 

 ★ ワンポイント

 「啓蒙」は今後一橋の大問2を説くうえでキーになる概念になるかもしれないので良く理解しておきましょう。最近の歴史学会の動向としても「宗教的寛容」や「啓蒙」といったテーマは注目されています。西欧で絶対王政が成立したのに対し、地主貴族が優勢だった東欧地域では啓蒙専制君主という形で、君主が啓蒙思想を利用しながら国家の近代化と権力の集中を図るスタイルが成立したわけですが、その際、君主が啓蒙思想を利用してその力を抑えたのは当時力を持っていた旧来からの地主貴族や教会勢力でした。つまり、啓蒙専制君主は国の近代化を進めると同時にこうした教会勢力の伸張をおさえる意味でも啓蒙思想を利用したわけですが、それは啓蒙思想が宗教的寛容の要素を色濃く持っていたからだ。フランスにおける百科全書派と教会との対立や、オーストリアのヨーゼフ2世による宗教寛容令の失敗などを想起すれば、啓蒙と宗教的寛容の関係について思い出すことができるでしょう。啓蒙については2015年の冬期講習で予想問題として作ったものをあげておきましたのでご参照ください。 

 

2016年 Ⅲ

■ 問 題 概 要 

・1945年以降の朝鮮半島の情勢を説明せよ。
・また、朝鮮戦争が中国および台湾の政治に与えた影響を論ぜよ。(以上、2点について400字)
・これに関して、1950年8月の周恩来による対朝鮮戦争戦略が紹介されている。
(中共中央文献研究室編『周恩来年譜1949-1976』より引用。但し、一部改変)
 その内容を要約すると、
 1、米帝は朝鮮半島を世界大戦の前線基地にしようとしている。
 2、朝鮮は世界、中でも東アジアにおける闘争の焦点となっている(下線部)
 3、朝鮮問題は単に隣接する地域との利害関係を超えた国際問題である。
 4、朝鮮支援のためには台湾解放を先送りにしてでもその防衛のための軍隊を組織すべきである。

 

■ 解 答 

日本の降伏により朝鮮では朝鮮人民共和国が建国を宣言したが、間もなく北緯38度線を境界とする米ソの軍政下におかれた。一時は大国による信託統治も検討されたが、これに反対する朝鮮の世論は左右に分極化し、米ソの対立も深刻化する中で朝鮮は南北に分裂し、金日成を主席とする朝鮮民主主義人民共和国と李承晩率いる大韓民国が成立した。冷戦の拡大にともない南北の対立も深まり、1950年に朝鮮戦争が勃発し、北の侵攻に対して米は国連軍を派遣したが、中国が人民義勇軍を組織して対抗したため戦線が膠着し、1953年に板門店で休戦協定が結ばれた。この戦争の結果、毛沢東率いる中国共産党は指導力を強め、土地改革や第一次五か年計画などの社会主義化を進めるとともに本格的な核開発に着手した。一方、台湾は米の支援を受けて蒋介石率いる国民党の独裁が確立し開発独裁が展開されるとともに米華相互防衛条約を締結して米の反共軍事包囲網の一角に組み込まれた。(398字)

 

■ 採 点 基 準 

設問で要求されているのは次の2点。

 

① 1945年以降の朝鮮半島の情勢についての説明

② 朝鮮戦争が中国および台湾の政治に与えた影響

 

以上について論じる素直な設問であり、提示されている史料についても特に深い読みは必要としません。(文章中からは人民義勇軍の組織・冷戦などが示唆されるが、これらは特に意識しなくても思いつくことができます。ただし、「台湾の解放を先送りにし」、朝鮮戦争への介入を周恩来が主張しているこの史料からは朝鮮戦争が中国共産党による台湾への圧力を弱めることになったことが読み取れるのでこの点については注意が必要。)

 

【A.1945年以降の朝鮮半島の情勢】

① 朝鮮人民共和国の成立(朝鮮の人々が主体となった臨時政府の樹立)

② 北緯38度線を境界とした分割占領(北:ソ連、南:アメリカの軍政下)

③ 信託統治をめぐる朝鮮世論の左右分極化 

④ 冷戦の拡大 

⑤ 朝鮮民主主義人民共和国(金日成)と大韓民国(李承晩)の独立宣言と南北分裂 

⑥ 朝鮮戦争(1950-53)の勃発とその進展 

⑦ アメリカによる国連軍の派遣と、中国人民義勇軍の参戦 

⑧ 板門店での休戦協定締結 

 

【B.朝鮮戦争が中国及び台湾の政治に与えた影響】

⑨ 中華人民共和国における毛沢東率いる中国共産党の指導体制の確立 

⑩ 中国における土地改革の実施・第一次五か年計画の推進による社会主義国化の進展 

⑪ 中国における核開発の本格化 

⑫ 太平洋地域におけるアメリカの反共軍事包囲網の構築

⑬ 米華相互防衛条約(1954)の締結 

⑭ 中国の台湾侵攻の先送り 

⑮ 台湾における蒋介石率いる中国国民党の指導体制の確立 

⑯ 蒋介石指導下における開発独裁の展開 

 

【C.補足事項】

⑰ 中国における国共内戦と中華人民共和国の建国(蒋介石の台湾への逃亡)

 

 以上をバランスよく配分することが必要となります。朝鮮戦争中の経過を詳述してもあまり意味はなく、戦争に至るまでの経過と、戦争後の中台への影響をどれだけ丁寧に盛り込めるかが高得点を狙うカギとなるでしょう。

 

●解答のポイント

(1)1945年以降の朝鮮半島情勢について説明する

  戦後の朝鮮半島情勢というとすぐに朝鮮戦争につなげがちですが、戦争に至るまでの状況についても留意しましょう。北緯38度線における南北分割占領、大韓民国ならびに朝鮮民主主義人民共和国の成立、冷戦の影響などの基本事項については必ず抑えておくべきですが、それほど難しい内容ではなく、むしろ得点源になったのではないでしょうか。

 

(2)朝鮮戦争が中国および台湾の政治に与えた影響について論ずる

  本設問においてもっとも得点に差がつく部分であり、ここをきちんと書けたかどうかが勝負の分かれ目となります。朝鮮戦争に中国が参戦することはよく知られた事実ですが、ここで注意しなくてはいけないことは人民義勇軍が朝鮮戦争に参戦したことは正確に言えば「中国が」・「朝鮮に」与えた影響であって、「朝鮮戦争が」・「中国に」与えた影響ではないということです。設問の要求に従えば、朝鮮戦争によってその後の中国・台湾がどのように変化したのかについて説明する必要があるでしょう。

 [中国への影響]

① 米軍を中心とする国連軍と痛み分けに持ち込んだことで、成立直後の中国共産党指導部の国内における権威が高まり、これを背景に毛沢東は本格的な社会主義化に着手し、土地改革や第一次五か年計画を進めることになった。

 ② 戦争後、中国は本格的な核開発に着手した。

 [台湾への影響]

  アメリカが構築する反共包囲網の中に組み込まれ、1954年に米華相互防衛条約を締結するとともに、アメリカの支援を得た蒋介石率いる国民党の独裁が確立した。



【論述問題についての一般的な知識と注意】

 

 最も重要なことは、その設問が「求めているものは何か」ということと、「設問の意図」をくみ取ることです。また、設問が付している条件や注意に十分留意する必要があります。設問の要求や条件を満たしていない場合、どんなに歴史的な知識や用語を盛り込んだとしても、点数は大きく下がるものと思っていいでしょう。

例えて言えば、母親から「ちょっとー、今日夕飯食べるの~?」と聞かれたのに対して「8時~」と答えるようなものです。母ちゃんは夕メシを食うか、食わないかを聞いているのであり、時間を聞いているのではありません。「8時って言ってるんだからその時間にメシを食うって意味だって分かれよ」というのは傲慢というものです。そんなことができるのは斉木楠雄だけです。

 
saiki
 

 

論述とは、出題者の意図した質問に対して、正確かつ明確にこたえることが要求されるものです。つまり、論述では出題者とのコミュニケーション能力を問われています。「論述対策とは何ですか?」と問われた場合、「それはコミュニケーション能力を養うことです」と私は答えたい。普段から単語だけで済ませるような会話で人に接するのではなく、主語と述語の関係を明確に示したり、時系列や因果関係をはっきりと示して物事を説明するコミュニケーションをとっていれば、それが自ずと論述力を高めることにつながると考えてよいでしょう。

 もっとも、世界史の論述対策として示すにあたって、「国語力を鍛えろ」というだけではいかにも無責任ですので(真実ではあるのですが…)、世界史の論述を組み立てるにあたり、知っておくと良いと思われるいくつかの知識と注意点は示しておきたいと思います。

 

1、種類

 A 事項説明型

 B 展開・経過説明

 C 変化説明

 D 比較・相違説明

 E 特徴説明

 F 意義説明

 G 背景・理由説明

 H 結果・影響説明

 

 これだけではありませんが、基本的な枠組みを知っておくほうが論述を進める際には便利です。

 

2、字数

 30字から600字程度の論述まで多岐にわたりますが、基本的な基準としては60字論述に3つから4つほどの採点基準が入ってくると考えていいでしょう。60字論述であればこの中に通常は一つから三つの短文が入り、対比・経過・特徴などの説明がされることになります。

 

ex.1)「設問:上座部仏教と大乗仏教の教えの違いを60字以内で示しなさい」

 

(A)上座部仏教では出家者が自己の解脱を目指して修行を行うことを重視したが(B)大乗仏教では菩薩信仰を中心に万人の救済を目指した。 (60字)

 

  この例ではAとBの対比と、上座部仏教・大乗仏教の内容説明になります。

 

ex.2)「設問:クシャーナ朝が栄えた理由を、交易という観点から60字以内で説明しなさい」

 

(A)クシャーナ朝は(A)西北インドから中央アジアを支配し(B)中国とローマを結ぶ交通の要衝をおさえ(C)東西交易によって経済的に栄えた  60字)

 この例ではAで地理的な支配地域を示し、Bで交易が盛んになる前提や対象を示し、Cでどのような種類の交易を行っているかを示しています。

 

  例題もZ段階式世界史論述トレーニング改定版)引用

 

【論述を書く際にありがちな誤りと注意】

 

1、文章にねじれがある(主語が判然としない、述語が正確に使われていないなど)

:長い文章を書いているうちに文全体の主語とその後の述語にねじれが生じてしまうということはよくあることです。こうした誤りは物事の関係性が正確に読み取れない原因を作ることになるため、採点のしようがなく、減点対象となってしまいます。

 

(例)「設問:秦が郡県制を採用したのはなぜか」

 

「不十分な解答例:反乱がおさえられ、皇帝に権力を集中するため」

  →この場合、設問が要求している通り主語が「秦」であるとすれば「反乱」は「秦」が「おさえる」ものです。「おさえられ」では主語が「反乱」になってしまいます。よって、以下のようにするのが正しいです。

 

「良い解答例:(秦が)反乱をおさえ、皇帝に権力を集中するため」

 

2、助詞などを正確に使えていない

 

(例)「郡県制は中央集権的である各地に中央から役人を派遣したのに対し、郡国制は都の周辺は役人を派遣したのを、地方は土地を与えて王として封じた。」

    →このように不正確な助詞を用いると、文章の意味自体が変わってしまったり、文意が取れなくなってしまいます。(たとえば、「中央集権的である各地」としてしまうと「中央集権的であること」は「各地」の形容詞になってしまいます。「中央集権的であり、各地に中央から役人を派遣した」が正しい。)

 

このように、文章自体がしっかりしたものでないと、歴史的な用語や必要な要素に誤りがなかったとしても正解にはしてもらえなくなるので注意が必要です。

 

  上記のような文法上の誤りを避けるためには、以下の2点に注意すると良いでしょう。

  ① 「主語は何であるか」に注意を払うこと

  ② 長い文章としてつなげる前に、まず短い文章を複数作ること。

   (たとえば、「ローマ教会は東ローマ帝国と対立していた」という文と「ローマ教会は政治的な後ろ盾を欲していた」という文を頭の中でつくり、最終的に「ローマ教会は東ローマ帝国と対立していたため、政治的な後ろ盾を欲していたから」という文章としてまとめ、関係にねじれがないかを確認する)

 

他にも多くの注意点はありますが、それについては各校の論述対策や別の記事の中で示していくことにしたいとおもいます。

 

(この記事は執筆当時のもので、現在は古くなっている情報を含んでいます。最新の記事であるhttp://history-link-bottega.com/archives/14929526.htmlを合わせてお読みください)

すでに一橋「世界史」出題傾向1(1995年~2016年)で述べましたが、ここ数年、一橋大学では出題傾向に大きな変化が見られます。これまでの一橋は、深い歴史的知識の整理が要求される設問が多い反面、出題範囲に大きな特徴があったことから、神聖ローマ帝国周辺史や中国近現代史を集中的に勉強する、いわゆる「ヤマをはる」勉強を行えば、ある程度は対応できた部分もありました。しかし、最近の傾向変化によってこうした従来型の出題傾向把握では対処できない部分が増ええきたように思われます。そこで、今回は出題傾向に変化が見られ始めるここ56年ほど(2011年ごろ~2016年)の傾向に特に注目して、その変化の内容と注意点を示してみたいと思います。

 

[ここ数年における出題傾向の変化とその原因]

 

この数年の出題傾向に大きな変化が見られることは特筆に値します。この出題傾向の変化には、かつて一橋で力を持っていたドイツ関連の研究者たちが定年を迎えて入れ替わる反面、新しい分野の研究者たちが一橋の西洋史・東洋史の指導者として招かれはじめているところが大きいのではないでしょうか。

「研究者の専門分野なんかに意味はない」と思うかもしれませんが、さにあらず。特に一橋においては以下に示すように各教員の専門分野と出題の関連性は極めて高かったです。また、近年東大をはじめとして「世界システム論」や「イスラーム世界」といったテーマが取り上げられている背景には、もちろん近年のグローバル化やイスラーム原理主義の台頭といった問題関心が強まっていることもありますが、こうした分野を専門にしている研究者が多いことも背景にあると思われます(東大の副学長である羽田正がイスラーム史の専門家であることは有名です)。

一橋大学の研究者に関する詳細なデータは一橋大学HPトップページ右上検索から「史学 教授」と検索すれば教員紹介ページが出てきます(http://www.soc.hit-u.ac.jp/teaching_staff/)ので、本学を第一志望に考えている人はぜひ一度は目を通して参考にして欲しいと思います。受験問題に対応するという意味だけでなく、これから自分が通おうとする大学の教授陣がどのような問題関心を持っているのかを知ることは、意味のあることだと思いますので。「歴史社会研究分野」となっている部分が主な該当部分だと思われます。

 

それでは、具体的な例を挙げましょう。現在は「留学生・グローバル化関連担当」教授である中野聡教授の専門は環太平洋国際史・米比関係史などですが、これは一橋大学2015年度大問2の「ECASEANの共通点と相違点」、2012年度大問2の「国際連盟と国際連合の設立とその問題点」や2008年度大問2の「米西戦争」をテーマとした設問などと親和性が高いです。また、現在は総合社会科学専攻に籍を置いている糟谷啓介教授は、歴史社会研究分野に籍を置いている頃は閔妃政権や李朝末期の権力構造をテーマとしていました(ちなみに現在は加藤圭木専任講師がいますが、加藤講師の専門テーマは「日露戦争と朝鮮」、「植民地支配と公害」、「慰安婦問題」などです)が、こうしたテーマも同校の大問3に影響しているようだ。こうした研究テーマが設問に影響している以外にも、以下の2点は近年の設問の変化として強調しておくべき点であると思われる。

 

     出題範囲が従来よりも広い

:これは特に大問12で顕著で、ここ十数年で言えば頻度の低かったイギリス史(2014年度大問1:ワット=タイラーの乱)や、神聖ローマ帝国とは関連の薄い中世史もしくは宗教史(2016年度大問1:聖トマスとアリストテレスの都市国家論の相違[ギリシアポリスと中世都市の比較])などが2010年度以降たびたび出題されるようになってきています。これまではすでに述べてきた出題傾向を念頭にある一定の分野だけを学習してもいくらかの得点を得ることが期待できていたのに対し、近年はいわゆる「ヤマをはった」学習の仕方では総崩れになる恐れが出てきていると言えるでしょう。

 

      史料や設問文からその意味や出題者の意図を読む、より深い読み取りが要求されている

:これまでの史料問題では、史料そのものには深い意味はなく、史料と設問は独立していることが多かったように思います。しかし、近年は史料や設問の本文自体にかなり重要な意味が持たせられており、これを読み解くことで論述の大きな枠組みが初めて得られるという設問が増えてきています。一方、ここで必要とされているのはむしろ国語的な読解力であり、必ずしも深い歴史的知識は必要としません。時間の制約はあるものの、すぐに論述の方向性が見いだせない時には史料や設問本文をじっくり読むという作業が必要になる可能性もあるということは頭に入れておくべきでしょう。

 

(例)2016年大問1 「聖トマスとアリストテレスの都市国家論」

 

I 聖トマス(トマス=アクィナス)に関する次の文章を読んで、問いに答えなさい。

 

 聖トマスは都市の完全性を二因に帰する。すなわち第一に、そこに経済上の自給自足があり、第二には精神生活の充足、すなわちよき生活、がある。しかして、およそ物の完全性は自足性に存するのであって、他力の補助を要する程度、においてその物は不完全とされるのである。さて、霊物両生活の充足はいずれも都市完全性の本質的要件であるが、なかんずく第一の経済的自足性は聖トマスにおいて殊更重要視される。「生活資料のすべてについての生活自足は完全社会たる都市において得られる」と説かるるのみならず、都市はすべての人間社会中最後にしてもっとも完全なるものと称せられる。けだし、都市には各種の階級や組合など存し、人間生活の自給自足にあてられるをもってである。このように都市の経済性を高調することは明らかに中世ヨーロッパ社会の実情にそくするものであって、アリストテレース(アリストテレス)と行論の類似にもかかわらず、実質的には著しき差異を示す点である。聖トマスにおいてcivitasは「都市国家」ではあるが、「都市」という地理的・経済的方面に要点が存するに反し、アリストテレースは「都市国家」を主として政治組織として考察し、経済生活の問題はこれを第二次的にしか取り扱っていない

(上田辰之助『トマス・アクィナス研究』より引用。但し、一部改変)

 

 *civitas:市民権、国家、共同体、都市等の意味を含むラテン語。

 

問い 文章中の下線部における聖トマスとアリストテレスの「都市国家」論の相違がなぜ生じたのか、両者が念頭においていたと思われる都市社会の歴史的実態を対比させつつ考察しなさい。

 

上の問題を一読すると「そんなことは習っていない」と投げてしまいそうになる設問ですが、本文(もしくは下線部)をよく読むと、聖トマスが生きた「都市国家(=中世都市)」が地理的・経済的要素にその特質の多くがあるのに対して、アリストテレスの生きた「都市国家」は政治的組織としての要素が色濃いと言っているに過ぎません。これが分かれば、ここでいう両者の都市国家論の対比というのは「中世都市とポリスの対比」をせよということに気付くことは難しくありません。また、中世都市とポリスの性質などは一橋を受験する受験生には基礎レベルの知識と言えます。

 つまり、一橋大学では必ずしも重箱のすみをつついたような歴史用語や事実についての知識を要求しているわけではありません。むしろ、近年は史資料の読解能力、大きな枠組みにある一定の歴史的事象を位置づけて解釈する能力、そしてそれらを支えるための最低限の現代文読解能力が要求されています。一言でいえば、大学に入学後は様々な書籍を読み、議論したり、レポートを書くことになるわけで、そうした大学生になってから必要となる最低限のスキルを身につけているかどうかが問われていると考えるべきでしょう。一部の塾や過去問解説では、一橋があまりにも専門的な事柄や歴史学的な理解を設問に盛り込むことについて疑問を呈する向きもあるようですが、私は必ずしもそうは思いません。一橋は何もないところからそういう専門的な知識を問うているのではないからです。そうではなく、まず史資料を用いて専門的な歴史的理解を「紹介」した上で、受験生に彼らがもっている知識や理解をもとに「紹介」された専門的な事柄を整理しろと求めているに過ぎません。むしろ、史資料を読めば答えの一部はそこに書いてあるのであって、これまでの問題よりも一部の受験生にとっては易化している面もあるのではないかと思っています。いずれにしても、「本当の意味での歴史的理解とは何か」ということを、これから大学に入ろうとする受験生に歴史学を「体験」させるという意味ではよく考えられた良問であると言えるでしょう。(もっとも、そうした要素を加味しても「これは…(汗)」と思う悪(難?)問もたまーに含まれています。そういう時は、周りと比べて見劣りしない程度の解答に仕上げることに専念すべきでしょう。)

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