世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

中学受験、大学受験(国立・私大とも)など数多くの受験をこなし、脱サラ後に西洋史を専攻、学費捻出のため塾講師や中高で世界史を担当しつつ、イギリスの大学院で歴史学のMSc(修士号)を取得、大学でも西洋史の講義を担当するなど西洋史を教える仕事に長年従事してきた管理人HANDが、受験世界史でポイントとなる部分を徹底解説!各校の過去問対策、受験対策のほか、世界史を理解する上で役に立つ視点や勉強法についての情報を随時更新していきます。

以下のような方はとくにオススメ!

・東大、一橋などの国公立や早稲田、慶応の受験を世界史で考えている。
・論述対策を進めたい。
・教科書やプリントだと不足している情報が多すぎて、背景にあるつながりが見えない。
・『詳説世界史』などを読むだけでは気づけない、専門的な歴史的視点を養いたい。
・世界史を覚えるのが苦手で、どうやって勉強したらよいのかわからない。
・世界史の教員になりたてだが、西洋史が専門ではないので少し突っ込んだ知見を知りたい。

※ 目標に向けて頑張る受験生の皆さんの一助になればと思って頑張って更新し、情報もチェックしておりますが、人間ですのでミスなどが出ることもあります。当サイトの情報をご利用の際はあくまでも自己責任でお願いいたします。

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先日は2017年一橋の大問1向けに作成した予想問題のうちの一つをご紹介しましたが、続けてこちらも賞味期限切れではありますが、大問2(または3)向けに作成したもののうちの一つをご紹介したいと思います。先ごろ、東大向けに何か気になるテーマはありませんかというご質問にお答えした中でも言及したパン=イスラーム主義(パン=イスラム主義)に関する設問です。これに絡めて問題を作れないかなぁということで作ってみました。使用している史料の出典は同じく、岩波の『世界史史料』からのものです。(http://history-link-bottega.com/archives/11994047.html)

 

【問題】

以下の(A)、(B)の二つの史料を参考に、続く問いに答えなさい。

 

(A) アブデュル=ハミト2世『政治的回顧録』(執筆年代不詳)

 

 カリフ制とシーア派

 

 イスラーム主義の本質を考えるとき、われわれは結束を強化すべきである。中国、インド、アフリカの中央部をはじめ、全世界のムスリムたちはお互いに密接な関係になることに有効性がある。このような時に、イランとの相互理解がなされていない事態は残念なことである。それゆえ、ロシアおよび英国にもてあそばれないように、イランはわれわれに接近することが重要である。

わがユルドゥズ宮殿で知識ある人として高名なセイド=ジェマレッディンは「スンナ派とシーア派は、誠実さを示すことによって統一は可能である」と私に進言して希望を持たせてくれた。もしこの言葉が実現すればイスラーム主義にとって崇高な状態をもたらすだろう。

 

(B) ユスフ=アクチュラ『三つの政治路線』(1904年刊)

 

 オスマン帝国において、西洋に感化されつつ、強化と進歩への願望が自覚されて以来、主として三つの政治的路線が構想され追求されてきたと私は考える。その第一は、オスマン政府に属する多様な諸民族を同化し、統一して一つのオスマン国民(ミッレト)を創出すること。第二には、カリフ権がオスマン朝の君主にあることを利用して、すべてのイスラーム教徒を上述の政府の統治下で政治的に統一すること(西洋人が「パン=イスラミズム」と呼ぶところのもの)。第三に、人種に依拠したトルコ人の政治的ナショナリティを形成することである。(中略)

 すなわち、オスマン国民は、オスマン国家のすべての民族の意思に反して、外国の妨害にもかかわらず、オスマン政府の指導者の何人かが、いくつかのヨーロッパ諸国…を頼って創出しようとしたものなのだ!(中略)要するに、国土の内外でこの政策[オスマン国民の創出]に全く適合しない環境が生じた。それゆえ私の考えでは、もはや、オスマン国民の創出に努力するのは、無駄な骨折りなのである。(中略)

 トルコ人の統一という政策の利益についていえば、オスマン帝国のトルコ人は、宗教的かつ人種的な紐帯によってきわめて緊密に、単に宗教的である以上に緊密に統合されるだろう。(中略)しかし、本質的で大きな利益として、それは、言語、人種、慣習、さらには大多数の宗教でさえ一つであり、アジア大陸の大部分とヨーロッパの東部に広がるトルコ人の統一に…寄与するだろう。また、この大きな集合体においてオスマン国家は、トルコ人社会の中で最も進歩的で最も文明的であることから、最も重要な役割を演ずるだろう。

(中略)オスマン国民の創出は、オスマン国家にとって利益があるが、実行不可能である。ムスリムあるいはトルコ人の統一に向けた政策は、オスマン国家にとって、利益と不利益が同等と言えるほど含まれている。実行面については、容易さと困難さはやはり同程度と言える。

それでは、そのどちらの採用に努めるべきであろうか。

 

問い

 

 19世紀以降、西洋諸国の進出に対抗するためにオスマン帝国はタンジマートをはじめとする諸改革を実行したが、19世紀後半になると様々な政治的・対外的混乱に巻き込まれて西欧諸国の植民地主義に十分に対応することはできなかった。こうした中で、オスマン帝国では史料中にもみられるように、様々な形で帝国の統一と強化を進めることを模索した。史料中に見られるアブドュル=ハミト2世の治世以降、オスマン帝国ではどのような理念のもとに国家の再編をはかり、それはどのような政治的展開をもたらしたかを説明しなさい。また、この19世紀末の政治的展開に始まるその後の変化は、20世紀前半までに長く続いたオスマン帝国を消滅させるにいたるが、この過程において(B)の史料中の下線部に示された「オスマン国民(ミッレト)」、「すべてのイスラーム教徒を上述の政府の統治下で政治的に統一すること(西洋人が「パン=イスラミズム」と呼ぶところのもの)」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」がどのように関連を持つか、当時の思想的潮流と政治的展開に留意した上で論じなさい。

 

【解答】

 タンジマート以来の西洋化が進む一方で、諸民族の分裂が問題となったオスマン帝国では、統一を保つため「オスマン国民」意識の創出が試みられたが、多民族国家で、非イスラームにミッレトを通して一定の自治を認めていた帝国で共通の国民意識を創出することは困難だった。露土戦争を口実にミドハト憲法を停止したアブデュル=ハミト2世は皇帝専制を復活させ、パン=イスラーム主義を利用し帝国の再統一を図ったが、反動政治を嫌う人々はこれを保守的なものとして批判し、パン=トルコ主義を掲げて対抗した。青年トルコ革命でアブデュル=ハミト2世が退位するとこの傾向はさらに強まったが、これはバルカン半島などの非トルコ諸民族の反発をかった。第1次大戦後にスルタン制を廃止しトルコ共和国を成立させたムスタファ=ケマルは、民族主義と共に世俗主義を掲げてカリフ制を廃止し、イスラームの宗教的支配から政治・文化・教育を解放する西欧化を目指した。

400字)

 

【設問の要求とその前提】

 おそらく、お気づきになる方もいるのではないかと思いますが、この問題は問いとしては少々「くどい」ですw それというのも、これはそもそも「解かせる」ことを想定して作った問題、というよりはオスマン帝国末期の政治状況と当時の思潮を意識・整理させることを目的として作った問題だからです。

 オーストリアとカルロヴィッツ条約(1699)を締結してからのオスマン帝国の縮小・衰退の流れについては受験生にとっては必須の箇所ですから、いろいろとご存じの方も多いと思いますが、全体像や大きな流れとして語りましょう、といったときに流れるように話せる人はかなり少ないのではないでしょうか。どうしても、クリミア戦争や露土戦争などに目がいってしまい、オスマン帝国内部の変化からその衰退を語る視点というものはなかなか持てない受験生が多いように思います。

 そうした、オスマン衰退史について語ると本設問の論述ポイントから離れてしまいますので、それは別稿に譲ることにしますが、19世紀のオスマン帝国はその「分裂」に悩まされていました。宮廷とその周辺においては既存の保守勢力と西洋的な教育を受けた「新オスマン人」と呼ばれる人々の間の対立があり、一方で地方においてはイルティザーム制の導入以降力をつけたアーヤーンなどの地方勢力の自立化が見られました。

 こうした国内の混乱の中で、アブデュル=ハミト2世が即位します。そもそも、彼がスルタンに即位したのも、皇帝専制を目指すスルタン側と改革を目指す新オスマン人との間の軋轢の結果でした。アブデュル=ハミト2世の叔父にあたるアブデュル=アジーズは、オスマン帝国の西洋化・近代化を進める一方、断固として皇帝専制の維持を考えたために、これに不満を持った改革派であるミドハト=パシャをはじめとするグループによって退位に追い込まれます。このあたり、中国(清)の末期の「中体西用」とか「保皇派vs革命派」の雰囲気と似通ったところがありますね。アブデュル=アジーズを退位させたミドハト=パシャは、かねてから新オスマン人に理解を示してきたアブデュル=ハミト2世の兄であるムラト5世を即位させます。ところが、ムラト5世は即位後まもなく精神疾患によって退位を余儀なくされました。その結果、やむなくミドハト=パシャはムラト5世の弟であったアブデュル=ハミト2世に即位を要請します。

 このような事情があったことから、新しくスルタンになったアブデュル=ハミト2世と新オスマン人の間の関係はかなり微妙なものでした。アブデュル=ハミト2世にしてみれば、自分がスルタンになれたのはミドハト=パシャをはじめとする改革派のおかげですから、これを無視するわけにはいきません。一方で、改革派の側でも、紆余曲折を経てスルタンの位につけたアブデュル=ハミト2世ですから、この機嫌を損ねて再度政治的な危機を招くわけにもいきません。こうした中で制定されたミドハト憲法はある意味で両者の妥協の産物でした。アブデュル=ハミト2世は確かに改革派の言をいれた憲法の公布を認めましたが、その中で彼は「国益に反する人物を国外追放する権利」などの強力な君主権を残すことに成功します。その結果、アブデュル=ハミトはミドハト=パシャに反感を持つ保守派政治家と協力してミドハト=パシャを追放し、憲法を停止することに成功しました。その結果、アジアで初めて成立した立憲制はわずか1年ほどで終わり、アブデュル=ハミト2世による専制支配がはじまったのです。

 

 本設問に出てくる史料は、こうした前提のもとで読まなくてはなりません。その上で、本設問の要求を整理してみましょう。

 

    アブデュル=ハミト2世の治世以降、オスマン帝国ではどのような理念のもとに国家の再編をはかったか。

    ①の結果、どのような政治的展開をもたらしたか。

    アブデュル=ハミト2世の治世から20世紀前半にオスマン帝国が消滅するにいたるまでの間に、史料中に登場する「オスマン国民」、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」はどのような意義をもったか。

 

あまり詳しく書くと問いをただ繰り返すだけになってしまいますので、少し大胆に要約すれば、上の3つにまとめることができます。その上で、史料の読解を進めてみましょう。

 

【史料の読解】

1、アブデュル=ハミト2世の『政治的回顧録』から読めることは何か

・イスラームの連帯=パン=イスラーム主義

:史料中には「イスラーム主義の本質を考えるとき、われわれは結束を強化すべきである」、「全世界のムスリムたちはお互いに密接な関係になることに有効性がある」など、イスラームの連帯を説いていることが読み取れます。

 

 ・列強に対抗するための手段としてのパン=イスラーム主義

:さらに「ロシアおよび英国にもてあそばれないように」など、イスラームの連帯を通して列強の侵略に対抗する意図があることも読み取れます。

 

 ・宗派の壁を越えて、トルコと同様に英露の侵略をうけるイランへの呼びかけを図る

:「イランとの相互理解がなされていない事態は残念なことである」、「スンナ派とシーア派は、誠実さを示すことによって統一は可能である」など、イランとイスラームを紐帯とした協調関係を築こうとする意図が見えます。アブデュル=ハミト2世の統治していた頃、イランのカージャール朝は財政破綻から英露に王朝利権を切り売りせざるを得ない状況が続き、国民の不信をかっていました。こうした中で起きたタバコ=ボイコット運動がパン=イスラーム主義の影響を受けていたことはよく知られていますが、当時の時代状況と史料との関連を読み解くことが大切。

 

2、ユスフ=アクチュラの『三つの政治路線』から読めることは何か

 ・三つの政治路線とは「オスマン国民」の創出、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」の形成の三つ

 

 ・「オスマン国民」とは、オスマン政府の名のもとに多様な諸民族を同化すること

 :つまり、オスマンの分裂の原因であった多様な民族の混在の原因を、諸民族の同化によって根本から絶つことを意図しています。その際、同化の中心にあるのは「オスマン政府」であり、これはつまり「オスマン帝国に所属していること」を根拠としてそこに住まうものはみな同じく同化されるべきであるという発想です。ところが、これについてアクチュラは「実行不可能である」と言い切っています。これは、当時オスマン帝国内の諸民族がその文化、宗教などの違いから分裂傾向にあったことを考えれば、現実的ではないと考えるのは無理もないことです。アクチュラによれば、「オスマン国民」という概念は「オスマン国家のすべての民族の意思に反して、外国の妨害にもかかわらず、オスマン政府の指導者の何人かが、いくつかのヨーロッパ諸国…を頼って創出しようとしたものなのだ!」と述べており、オスマン帝国の分裂を避けたいオスマンの指導層による無理な創出物に過ぎないと指摘し、「オスマン国民」という単一の民族・国民の創出は現実的に不可能であることを主張しています。

 

 ・「パン=イスラミズム」は、全てのイスラームを政治的に統一するが、オスマン朝はこれを自身の権力の強化に利用しようとしていること

 :アクチュラは、パン=イスラミズムについて「カリフ権がオスマン朝の君主にあることを利用して」とオスマン朝のスルタンがスルタン=カリフ制を利用してイスラームの連帯を隠れ蓑に自身の専制政治の強化を図っていることをはっきりと認識しています。史料中にそれについての言及はほとんどありませんが、アブデュル=ハミト2世の『政治的回顧録』や彼の政策(ミドハト憲法の停止、アフガーニーの招聘、皇帝専制の強化など)、そしてその後の青年トルコ革命などを思い浮かべれば、アクチュラがパン=イスラミズムに対して期待を寄せていないであろうことは想像がつきます。

 

 ・トルコ人という「人種」に依拠した政治的ナショナリティの形成は、オスマン帝国の利益になる

 :まず、アクチュラはトルコ人という「人種」に依拠した政治的ナショナリティの形成に言及していますが、これは後に青年トルコなどが主張する「パン=トルコ主義」の主張と同じです。そして彼は、この「パン=トルコ主義」は「オスマン帝国内のトルコ人」を「宗教的かつ人種的な紐帯によってきわめて緊密に」統合するであろうと主張し、「言語、人種、慣習、さらには大多数の宗教でさえ一つであり、アジア大陸の大部分とヨーロッパの東部に広がるトルコ人」を含めた連帯を可能にするであろうと主張します。つまり、トルコ人の民族主義はオスマン帝国内の連携強化に資するだけではなく、より大きな政治的勢力を形成してヨーロッパに対抗しうるし力を持つという主張です。アクチュラが目指していたのがこの「パン=トルコ主義」の採用にあったことは史料から明らかであると言えるでしょう。

 

【採点基準】

以上の史料読解と設問の要求から、以下のような内容を盛り込むことが必要となります。

 

    オスマン帝国では、「オスマン国民」の創出や「パン=イスラーム主義」などを利用した国家の統一を、オスマン政府(またはスルタン)が中心となって展開してきたこと。

    しかし、こうした主張はオスマン帝国内の諸民族の自立という現状の下では無力であり、またアブデュル=ハミト2世の専制強化とパン=イスラーム主義の利用は、オスマン帝国内ではかえってパン=イスラーム主義に対する否定的な評価を生み出すもとになってしまったということ。

    史料の読解を通して、「オスマン国民」、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」の意味するところを正確に読み解き、これらを当時のオスマン帝国の政治状況と結びつけること。

    最終的には、「パン=トルコ主義(トルコ人の政治的ナショナリティ)」に傾倒する青年トルコによって立憲革命が達成されたこと。

    行き過ぎた「パン=トルコ主義」はオスマン帝国内のトルコ民族以外の諸民族の反発を買い、最終的にトルコ人はトルコ共和国を建国して諸改革を行ったこと。

 

正直なところ、⑤まで要求するのはどうかなとも思うのですが、設問の方に「20世紀前半までに長く続いたオスマン帝国を消滅させるにいたるが」とありますので、設問の射程が青年トルコ革命で終わりなのではないということは明らかかと思います。まぁ、あくまでも練習用に作成したものですので、これが本番の試験に出てどうこうということではないのですが、作成している側としては面白い設問でした。

 

史料読解演習1

2017年一橋「世界史」大問1を想定した問題1‐

(作成時期:20171月)

 

 さて、以前お話しした一橋の予想問題として作成した問題をご紹介します。これは2017年一橋「世界史」を想定して、史料を用いた問題を作れないかということで、受験の直前期に作成したものです。すでに実際の試験は終わってしまいましたし、先にも書いた通り一橋の出題傾向は大きく変わってしまったことから、もう予想問題としての価値は全くありません。まぁ、言ってみれば賞味期限切れのものです。ですから、当然今年の受験の傾向も加味した分析を再度行った上で、来年の2018年には全く違う問題をまた用意するつもりでいます。ですが、一般的に史資料を読解しながら論述を構成する必要がある学校の受験を考えている人にはちょっとした練習になるかなと思いましたので取り上げてみました。史料は、以前ご紹介した岩波の『世界史史料5』の276-277ページから持ってきています。

 

【問題】

I

 リヴォルノ憲章(1593610日)

 

 [3代トスカーナ大公]フェルディナンド・メディチ殿…は、貴方がた商人が次のどの民族や国民であれ、貴方がたすべてを歓迎する。すなわち、東方人、西方人、スペイン人、ポルトガル人、ギリシア人、ドイツ人、イタリア人、ユダヤ人、トルコ人、ムーア人、アルメニア人、ペルシア人、およびその他の人々。(中略)外国人が、貿易や商業をするために、ピサ市、…リヴォルノ市港に来て…滞在し、居住しようとすることを、公共の利益のために促進したい…。このことは、イタリア全体、そしてわれらの臣民、とりわけ貧民のためになるであろうと期待している。それゆえ…この特許状によって、貴方がたに下記の恩恵、特権、不可侵権、免除を与え、認めるものとする。…

 

 第5条 (ピサやリヴォルノに住む)貴方がたは…、(同職組合への)登録料、カタスト(資産)税、通行税、人頭税、賦課金、および類似の物的、人的賦課金については、すべてのものから自由である。…フィレンツェやシエーナに住むユダヤ人に課せられている納付金、服従義務、法令、規約は、上記のようにこれを課さない。

 第8条 貴方がたがリヴォルノ港、ピサ市、フィレンツェ市に輸入する商品にかかわる、用船料、陸上輸送量、為替、その他の諸経費に充てるための資金として、貴方がたのシナゴーグの管理人たちに10万スクードを貸与する。

 第20条 貴方がたは、ピサ市とリヴォルノ地域において、土地ごとに一つのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)を持つことができる。その内部では、ユダヤ教 の儀式、掟、規律をすべて実施することができる。

 第25条 貴方がたのシナゴーグのユダヤ人である管財人たちは、ユダヤ同士の間に生じるすべての不和について、貴方がたユダヤ人の慣例にしたがって適当と判断するように採決し、終わらせ、処罰する建言を持つ。

 第29条 貴方がたは、あらゆる種類の職業を営み、あらゆる種類の商品を取り扱うことにおいて、…すべての特権、権利、恩恵を与えられる。貴方がたあるいは貴方がたの家族の誰も、キリスト教徒から識別するための、いかなる標識も身につける必要はない。さらに、不動産を購入することができる。(後略)

問い

上記の史料は16世紀末に中部イタリアのトスカーナ大公がトスカーナ地方の都市リヴォルノに対して発したリヴォルノ憲章と呼ばれる特許状である。こうした特許状が発行された背景には、15世紀頃からの政治的・経済的・社会的変化が大きく影響していたが、この変化とはどのようなものであったか。トスカーナ大公と都市リヴォルノが上記の特許状を発した意図を示しながら、15世紀にはじまり、この特許状が発せられた16世紀末にいたる変化について400字以内で述べなさい。

 

【解答】

 15世紀末の新大陸発見とインド航路開拓などにより、ヨーロッパでは経済的な中心地が大西洋岸の諸都市へと移る商業革命が進展していた。同時期に、イタリアではシャルル8世の侵攻によりイタリア戦争が勃発し、フィレンツェでメディチ家が追放され、カール5世によるローマ略奪(サッコ=ディ=ローマ)が起こるなど都市が荒廃し、プレヴェザの海戦でスレイマン1世が指導するオスマン帝国が地中海への影響力を強めたことによって香辛料交易を中心とした東方貿易が衰退した。一方、イベリア半島ではレコンキスタが完了したことでユダヤ人、ムスリムなど異教徒の追放が進み、さらにドイツで宗教改革が起こると宗派対立が激化して異端に対する迫害が進んだ。こうした中でトスカーナ地方の都市リヴォルノは各地で迫害されていた異教徒に対する諸税を免除して資金融資を行い、さらにユダヤ人には居住の自由と一定の自治を与えることで商業の振興を図り、ユダヤ資金が流入することを期待した。(400字)

 

[論述のポイント]

 何度も言うように論述問題を解く基本は設問の要求に答えること、コミュニケーションです。設問が要求しているのは大きく以下の5つです。

 

① 15世紀からの政治的変化

② 15世紀からの経済的変化

③ 15世紀からの社会的変化

(①~③は、都市リヴォルノが「リヴォルノ憲章」を発する背景となるべきもの)

④ トスカーナ大公・または都市リヴォルノが特許状を発した意図

⑤ 時期としては16世紀末までを想定

 

以上の点について考察する必要があります。ただ、受験世界史の中に「リヴォルノ憲章」は出てきませんから、史料を読み解く中でどのようなことが言われているのかを読み解く必要があります。

 

【史料の読解】

 史料に書かれている内容を再度確認してみましょう。要約すると、

 

   おそらくはトスカーナ大公の管理下にあるリヴォルノ市が、商業奨励のために人種・民族・宗教にかかわらず承認を誘致していることがわかる。

   リヴォルノはやってくる商人に様々な免税特権を認めている。

   同じく、資金の貸与などの優遇措置を与えている。

   特に、ユダヤ人に対しては信仰の自由のほか、不動産購入なども認めている。

   優遇されている商人の中には、ペルシア人、ムーア人などのイスラム教徒も含まれている。

 

こうしたことがヒントとして読み取れます。これらをヒントとして、なぜリヴォルノ市がこうした措置をとったのかを、15世紀~16世紀末までのヨーロッパにおける変化を念頭において書け、というのが設問の要求です。

 やはり、注目したいのはユダヤ人についての記述が多いことです。また、ムーア人というのは北西アフリカに居住したイスラムで、ベルベル人と同一視される人々ですが、当然のことながらイベリア半島と深いかかわりを持ったイスラームです。こうした人々がイタリアにやってくる、またはイタリア側がこれらを呼び込む必要が生じるような変化として何があるのだろうか、と考えたときに「レコンキスタの終結」または「商業革命」の両方ではなくどちらかを思い浮かべるのは、そこまで無理難題ではないと思います。

 

[採点基準]

① 15世紀からの政治的変化として

  ・レコンキスタの終結(1492:ナスル朝グラナダ陥落)

・イタリア戦争

14941559:シャルル8世のイタリア侵入~カトー=カンブレジ条約)

  ・オスマン帝国の進出(1538:プレヴェザの海戦、スレイマン1世)

② 15世紀からの経済的変化として

・イタリア諸都市の荒廃

・東方貿易の衰退(オスマンの進出、商業革命)

③ 15世紀からの社会的変化として

  ・イベリア半島からのユダヤ人、ムスリムなど異教徒の追放

  ・宗教改革、対抗宗教改革の進展と宗教的不寛容

   (カルヴァンの神権政治と不寛容、各地の宗教戦争、トリエント公会議[1545-63]、異端審問)

④ トスカーナ大公と都市リヴォルノの意図

・他のイタリア諸都市で徴収されていた諸税を免除し、資金融資を行うことで、迫害されていたユダヤ人、ムスリムなどの異教徒を誘致して商業の振興を図る。

 ・特にユダヤ人に対しては一定の自治を認めることを通して、迫害されていたユダヤ人たちの資金を集める。

 

 史料を参考にこうした点を盛り込んで書いていけば、十分に解答を作成することは可能です。今気づいたのですが、今年の一橋予想「商業革命」をテーマに盛り込んでいたのですね…。実際には「価格革命」でしたから、ピッタリではなかったものの、スペインと大航海時代以降のヨーロッパ経済という点ではかなり近いところを挙げていたようです。ただ、ちょっと張り切って凝りすぎちゃいましたかね…。

 ちなみに、リヴォルノというのはトスカーナの都市で、メディチの傍系の家系であるトスカーナ大公フェルディナント1世=デ=メディチの時代にここに掲げたリヴォルノ憲章などの商人の誘致を行ったことから地中海の重要港として栄えることになった港です。史料中にも出てくるユダヤ人や、モリスコと呼ばれるスペインでカトリック改宗を強制されたイスラームなど様々な商人が訪れる国際商業都市でした。 

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リンク工房的独断と偏見で選ぶ歴史マンガ1

横山光輝『史記』(小学館)

  さて、さっそく第1弾ですが、ここはやはり歴史マンガの王道、横山大先生を抜くわけにはまいりません。本当は『チェーザレ』あたりからはいろうかと思ったのですが、いや、やっぱり横山光輝です。

 横山光輝と言えば、最近日経電子版の広告なんかでも三国志が使われてますよねw

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 あれもシュールで好きですが、今回は三国志ではなくあえて『史記』を選びました。それはなぜかと言えば、三国志って面白いのですけど、世界史とか古典ではそれほど出てきませんし、受験に直結する知識とか、あとで役に立つエピソードって案外少ないんですよねw すごく有名なシーンを除けば、あとは三国志好きな人同士でしか通じない話だったりするものが多かったりします。(それでもまぁ、「桃園の誓い」とか、「三顧の礼」とか「泣いて馬謖を斬る」とか「出師の表」とか常識の範囲内のもの挙げるだけで案外キリがありませんがw)

 一方で、『史記』の方は春秋・戦国~前漢期までのいろいろなエピソードが出てくるわけですけれども、故事成語の由来などの古典知識から豆知識まで、とにかく出てくるものが幅広い。大人になって「読んでてよかった…」とそれこそ日経電子の版のキャッチコピーになってしまうような感想を持ってしまうと思います。たとえば、HANDの手元にはやっすいコンビニで売っていたワイド版の史記が数冊あるわけですが、そのうちの1冊をパラパラとめくっただけでも以下のような歴史的事実がずらりと並び、それをイメージづけることができます。

 

・『史記』の作者司馬遷が『史記』を完成させるまで

(宮刑になったりとかね…。子どもの頃ホンマに怖かったわ、宮刑。価値観変わったw)

・封禅の儀式とは何か

・前漢初期の匈奴対策と武帝期の遠征

・管仲と鮑叔(管鮑の交わり)

・春秋五覇(斉の桓公、晋の文公[重耳]など)

・屍に鞭打つ(伍子胥と平王)

・日暮れて道遠し

・倒行逆施

・臥薪嘗胆(呉王夫差と越王句践)

 

まぁ、ざっとこんな感じです。結局、古典とか漢文を「勉強してもなかなか話の内容がわからない」という人と「勉強しなくても何となく話の内容はわかる」という人の差というのは、もちろん才能云々もあるのかもしれませんが、結局は小さいころからこの手の話にマンガでも小説でも映画やドラマでも、または小さいころに買い与えられた「ことわざ辞典」的なものでも、触れているかどうかというのが大きい気がします。勉強って、真面目に座学したり演習するだけが勉強ではなくて生活すべてで学ぶものである気がしますねぇ。はじめから話の内容知っていれば解けるのは当たり前ですもんねw

 

 私もどちらかと言えば古典や漢文は勉強した記憶がありませんが、話の内容はなぜかスムーズにわかりました。逆に、「勉強」が必要な単語だけを抜き出して意味を聞くとか、文法の内容を答えるとかは真面目に勉強しだすまではめちゃくちゃ苦手でした。でも、文章の大意はとれる。そうすると、そちらの方が配点が高いから、そこそこ点数になったりするんですよねw すごく得した気分でした。でも、じゃあこの手のマンガとかを読めば点数になるんですか、と言えばそれは正直わかりません。だって、はじめからテストの点数が目的で読んでいるんじゃなくて、「面白い」から読んでたんですもの。たくさんのことが書いてありますが、その全てがテスト向けの知識じゃなくて、それこそくだらない豆知識みたいなものもたくさんありますから。知識や教養を身につけるって、きっとそういうたくさんの無駄の集積の上にあるもので、狩りをするように効率を追い求める先にあるものじゃない気がします。もっとも、マンガだけ読んでたわけでもありませんがw

 

 いずれにしても、史記はおすすめです。学校の図書館に『ブッダ』を置くのであれば(『ブッダ』も名作ですがw)、むしろ『史記』を置くべきだと思いますw それだけで平均点は3点から5点伸びる!(かもしれないw)

 難点をあげるのであれば、現代のきらびやかな絵のマンガに慣れ切った子どもたちにとって、横山光輝の絵柄は「なめてんのか」って気分になる可能性があるところですかねw それでも、たくさんの「ムムム」に免じて「それも味だよね」と思えば新たな世界が広がるかもしれませんw 少なくとも「バガボンド」(好きだけど)読むよりははるかに役に立つはずw

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