世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

中学受験、大学受験(国立・私大とも)など数多くの受験をこなし、脱サラ後に西洋史を専攻、学費捻出のため塾講師や中高で世界史を担当しつつ、イギリスの大学院で歴史学のMSc(修士号)を取得、大学でも西洋史の講義を担当するなど西洋史を教える仕事に長年従事してきた管理人HANDが、受験世界史でポイントとなる部分を徹底解説!各校の過去問対策、受験対策のほか、世界史を理解する上で役に立つ視点や勉強法についての情報を随時更新していきます。

以下のような方はとくにオススメ!

・東大、一橋などの国公立や早稲田、慶応の受験を世界史で考えている。
・論述対策を進めたい。
・教科書やプリントだと不足している情報が多すぎて、背景にあるつながりが見えない。
・『詳説世界史』などを読むだけでは気づけない、専門的な歴史的視点を養いたい。
・世界史を覚えるのが苦手で、どうやって勉強したらよいのかわからない。
・世界史の教員になりたてだが、西洋史が専門ではないので少し突っ込んだ知見を知りたい。

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 ようやく筆をとることができました。年度末は何やかやで忙しいですね。

 

 さて、今年度の受験も終わりましたが、ふたを開けてみると今年の国立「世界史」問題は東大・一橋ともに従来の常識が一部において覆された出題がなされた年でした。以前から一橋の出題傾向には2014年頃を境に変化が見られ、従来型の出題傾向が必ずしもあてにはならないということをお伝えしてきましたが、今年の受験でそのことがよりはっきりとしたと思います。http://history-link-bottega.com/archives/5936916.html

 2014年以降の一橋の出題傾向については後ほど分析してUPしていきたいと思います。

 

 一方で、この傾向が来年度以降も続くという保証は全くありません。突然、かつての神聖ローマ大好き傾向に戻らないという保証はないわけです。ただ、昨年までよりも一橋の設問作成者が特定の傾向に縛られずに自由に問題を作成する確率が高まっていることは間違いありません。そうした意味で、一橋受験を考えている受験生は新しい対策の仕方を打ち出していく必要があるでしょう。

 

 その新しい対策等については後にUPする予定の分析に譲るとして、今回は2017年一橋世界史のどこが従来と違ったのか、またどのような箇所が設問を解くポイントであったかを解説してみたいと思います。

 

[全体講評]

 さて、まずは全体としての印象ですが、正直今年度は「ん?」という印象でした。これは、出題範囲がこれまでと違うというようなことではありません。そうではなく、「こんなんでいいの?」という印象です。ここ数年の一橋は上手にひねってある設問か、そうでなければ「いや、これはさすがにキツイでしょう」というくらいにニッチな箇所をついてくる設問が多かったのですが、今回の設問にはそうしたところがありませんでした。むしろ、出題範囲が従来の一橋の型から外れていることを除けば、王道型の設問が出題されており、一橋の「ひねり」を期待する側としてはむしろ拍子抜けしてしまった部分があります。特に、東大向けの勉強をしていた人や、一橋だけでなく東大を中心とした各国公立の設問に普段から慣れ親しんでいた受験生にとってはむしろ書きやすかった問題ではないでしょうか。

 こうした判断は大手予備校の方でも同じだったようで、全体としては昨年並、設問ごとの評価も「標準」とされているところが多かったようです。個人的にはⅠ「やや易」、Ⅱ「標準」、Ⅲ「やや難」という評価です。

 

 もっとも、従来型の一橋対策に固執してしまった受験生にとっては「解きにくい」と感じる設問だったかもしれません。そういう意味で、今年の受験は「史料・データの読解力をつけ」、「できるだけ広範囲に目を配る」という新しい一橋の出題の型を印象付けるものであったと感じます。いつの時代にも過渡期というものはあるもので、それに巻き込まれてしまうのは運・不運に関わるものですから、受験生にはどうすることもできません。ただ、間違いなく言えるのはそれでも受験する人間にとっての試験会場における条件は同じなのですね。ですから、同条件下で自分がどれだけのパフォーマンスを見せることができるかに勝負がかかっているということには変わりがありません。その手の受験をめぐる「アヤ」を挙げていけばキリがないわけで、こだわっても仕方ありません。ただ、今後一橋を受験する受験生はこれまで以上に広い範囲に目を配る必要性が出てきたことには疑いがないかともいます。

 

 全体としては面白みに欠けた今年の一橋世界史の設問でしたが、唯一大問3についてはなかなか秀逸でした。これについては後ほど各設問の解説でお話しますが、「11世紀から13世紀」という時代設定がなかなか渋いですよね。この時代設定の中に北宋から南宋そして元へという変化が深くかかわってくることになるわけですが、この変化に注目しながら限られた時間内でどれだけ泉州(ザイトン)に引き付けて論述を展開できるかがポイントとなる良問だと思います。駿台の方では「標準」、河合の方では「難」という評価がされていたようですが、このように評価が分かれるのも、この設問が一橋で出題されたからだと思います。もし東大で同じ設問が出ていれば「標準」クラスの問題だと思います。これは「東大受験者の方がレベルが高いから」ということではなく、単に相性の問題です。モンゴル帝国やユーラシアの一体化などのテーマが頻繁に出題されている東大受験者にとって、この時期の中国沿岸部の通商・国際関係は必須事項でしょう。ですが、これまで大問3では16世紀以前の歴史がほとんど出題されず、出題範囲もかなり限定的であった一橋向けの学習をしてきた受験生にとってみれば今回の設問はかなり解きにくかったはずです。個人的には、先ほど申し上げた「時代設定の秀逸さ」が要求する北宋~元にかけての変化を記述する部分で多くの受験生が失敗すると思いますので、中間をとってというのではないですが「やや難」くらいが妥当なのではないかと思います。時代設定や地域を少し変えるだけで論述は全く異なる様相を見せることを示した良い問題でした。

 

2017年 Ⅰ

■問題概要

 今回も史料[マルティン=デ=アスピルクエタ『徴利明解論』(1556年)]を紹介した上での設問でしたが、史料の指し示す内容は(表面上は)簡単で、いわゆる価格革命について述べています。アスピルクエタはスペインのサラマンカ学派に属する神学者・法学者で、出題にも出てきた『徴利明解論』において貨幣数量説を唱えたことで著名な人物です。それまでの中世スコラ学が商業・金融による利益を不道徳なものとして否定していたのに対し、サラマンカ学派は商業・金融の発展とスコラ学の調和を図った点で資本主義の源流をなすものともみられています。こうした知識も、たとえば『チェーザレ』10巻中で描かれるジョヴァンニ=デ=メディチ(後のレオ10世)の学位認定試験において、チェーザレとジョヴァンニが展開する「金銭を扱うことは正しいと言えるか?」という問いと合わせて知っていたりするととても面白いです。 

 チェーザレ

©惣領冬美『チェーザレ』10巻、講談社)

 

神と金銭の問題はヴェーバーの言うようにプロテスタンティズムの中においてのみ問題とされたわけではなく、カトリックの内部においても常に問題とされていたわけで、これは何も金銭に限ったことではなく、スコラ学は時として神と現実の関係と向き合わなくてはならなかったのですね。

 

 脱線してしまいましたが、設問の概要は以下の通りです。

・文章中で述べられている現象(価格革命)が、スペインの盛衰、および1617世紀のヨーロッパ経済に与えた影響について論ぜよ。(400字以内)

 

・「文章中に述べられている現象」として以下の①~④が示されている。(問題文の原文ママ)

  あらゆる商品の価格は、その必要性が非常に高く、かつ提供される量が少ない時には上昇する。

  貨幣もまた、それ自体で売買され、かつあらゆる契約取引の対象となる以上は一つの商品であり、したがってその価格は貨幣の需要が大きく供給が少なければ上昇する。

  貨幣が不足している国では、貨幣が豊富にある国よりもあらゆる商品や労働が安価に提供される。

  スペインでも、貨幣の量が少なかった時代には、インド[新大陸のこと]の発見によって国中に金銀があふれた時代よりはるかに安い値段で商品や労働が提供されていた。

 

■解答例

 16世紀の世界周航と新大陸征服を機にスペインは海洋帝国を形成した。ポトシやサカテカス産の大量の銀流入は、セビリアなどの大西洋岸都市の繁栄と地中海商業の相対的地位低下を招き、銀価下落はフッガー家没落を促した。西欧での物価急騰と貨幣経済浸透は西欧では封建領主層の没落を加速させたが、エルベ川以東の東欧ではグーツヘルシャフトにおける農奴支配が強化されて西欧への穀物輸出を担い、国際分業体制が成立した。ポルトガル併合により植民地利権を拡大して繁栄したスペインであったが、植民地資源に依存し国内産業育成を怠り、利益の多くをフランスやオスマン帝国との戦費や宮廷の奢侈に費やしたため慢性的な財政難に陥った。オランダ独立に際してのアントウェルペン荒廃やカルヴァン派商工業者の亡命は産業衰退に拍車をかけ、アルマダ海戦敗北により制海権を失うと、17世紀には商業発展で台頭した英・蘭との海洋覇権競争に敗れて衰退を決定的にした。(400字)

 

■採点基準と分析

 設問に示されている要求は以下の2点。

① 文章中の現象(価格革命)がスペインの盛衰に与えた影響について述べよ。

② 文章中の現象(価格革命)が1617世紀のヨーロッパ経済に与えた影響について述べよ。

 

 よって、以上の2点に対する答えを明確に示すために必要事項を整理する必要がありますが、これらは教科書などにも示されている基本事項です。ですから、まずは「A、16世紀~17世紀のスペインの盛衰について」と「B、同時期における価格革命とヨーロッパ経済について」知っていることをメモ書き程度でいいので列挙し、それを設問の要求に沿って取捨選択して様々な事象の関係性や変化を明示すれば、十分な解答を書くことができます。まずは以下にAとBについて教科書的な流れを列挙してみましょう。

 

(A、16世紀~17世紀のスペインの盛衰)

盛:新大陸の征服と植民地化

盛:新航路の開拓(インド航路、マゼランの世界周航)

盛:新大陸からの銀の流入(ポトシ・サカテカス銀山の開発、水銀アマルガム法の採用)

盛:セビリアなどの港の繁栄

盛:フィリピン支配の強化(レガスピがマニラ市を建設)

盛:アカプルコ貿易

盛:ポルトガル併合によるブラジル経営・アジア交易利権獲得

 

衰:戦費の拡大(イタリア戦争、オスマン帝国との抗争、オランダ独立戦争、アルマダ海戦、三十年戦争など

衰:宮廷における奢侈と慢性的財政難(フェリペ2世の破産宣告など)

衰:植民地資源や商業への過度な依存と国内産業の衰退(メスタ[牧羊業者団体]と毛織物業という国内産業から新大陸銀に依存する経済へ[重金主義]

衰:各地における分離・独立運動(オランダ、カタルーニャ反乱、ポルトガル)

衰:戦争の敗北(オランダの独立、アルマダ海戦敗北による制海権の喪失)

衰:アントウェルペンの荒廃

衰:宗教的迫害でムスリム・ユダヤを追放したことによる手工業・商業衰退

衰:重商主義諸国(イギリス・オランダ)との競争に敗北

 

(B、価格革命とヨーロッパ経済)

・大量の銀流入による物価の急騰

・固定地代収入に依存する封建領主層の没落を加速、貨幣経済の浸透(封建社会の崩壊)

・大西洋沿岸地域における商業の活性化(セビリア・リスボン・アントウェルペン→ロンドン・アムステルダム・リヴァプールなど)

・経済中心の移行による地中海商業の相対的地位低下、銀流入に伴う銀価の急落によるフッガー家の没落

・西欧の人口増加に伴う穀物不足と穀物価格高騰、東欧におけるグーツヘルシャフトの発展(国際分業体制の成立)

 

  もっとも、近年こうした銀流入説にのみ重点をおいた価格革命像には疑問が呈されてきたことについては、すでに「金融史補足」の中で述べておきました。http://history-link-bottega.com/archives/cat_226879.html そういう意味でも、今回の出題には「ん?」というところがあり、実は隠された意図があるのではないかと依然として疑っているのだが、それについては後述します。

 

いずれにせよ、上に挙げた中から、設問の要求に沿い、400字という字数の中でまとめるにあたって記すに値するという部分をまとめていけばよいと思います。銀流入による価格革命の影響という流れの中で書くとすれば、候補としては赤字の部分が特に重要な部分となるでしょう。また、設問はあくまでも価格革命がスペインの盛衰に与えた影響を問うているので、通常スペイン衰退の原因としてあげられる「オランダ独立」や「アルマダ海戦敗北」以上に「新大陸産銀への依存と国内産業の衰退」が重要な要素として掲げられるべきだと思います。

 

■補足

 さて、今回の設問についてはこれまで教科書的な価格革命の流れの中で解説してきましたが、実はここまで書いても「本当にそれでいいのか?」という疑問がつきまとっていますw。どういうことかというと、設問が掲げている「文章中の現象」というのが必ずしも価格革命それ自体を説明するものではないんですね。価格革命をそのまま示しているのは④、または③の部分であって、①や②は「価格革命という現象」の説明ではなく、その原因となる原理または現象についての説明です。つまり、貨幣数量説またはその土台となる需要・供給の関係を示しています。また、本文中では当時のフランスではスペインと比して物価が低いことにも言及しています。

 何が言いたいかというと、もしかして、出題者は何人かいる受験生の中にこれらの現象について「自分の頭で考えて」当時のヨーロッパ経済への影響について言及する人間がいることをおぼろげにではあっても期待しているんじゃないだろうか、と勘繰ってしまっているんですねw 「スペインとフランスとの間の価格差は何を生み出したのか」とか「商品的価値を持つ貴金属の増減と流通のもたらした影響は何か」とか。もちろん、行き着く先は教科書的な理解でいいんですけれど、その教科書的な理解は必ずしも学説として十分なものではないというのはすでに書いた通りでして、個々の現象から全く別の像や、これまでとは異なる視点が提示されてもいいと思うんですよ。そういうのをもしかして期待しているのかな、と思ってしまいました。

 ちなみに、この「補足」は完全に私がモヤモヤして言いたかったことを垂れ流しているだけの蛇足であって、本番でいい点を取ることだけを目的にするのであれば、まっっったく気にする必要はありませんw

 ただ、やはり金融史というのが意識されているのだろうか、ということはあらためて感じました。正直、それが一橋で今回のような形で出されたというのは意外でしたが。まぁもとは商科大学ですし、かつての設問には地中海・バルト海交易に関する設問もありましたから、そう無茶な設問ではない気がします。

 

2017年 Ⅱ

■問題概要

 設問は全部で3問。記述問題が1題、100字論述が1題、275字論述が1題と少し珍しい構成になっています。

 

・記述問題はトルデシリャス条約を答えさせるもので、基本問題。

100字論述は、19世紀南北アメリカ大陸の他の諸国における奴隷解放と比べて、ハイチとアメリカ合衆国の両国における奴隷解放が有していた特異性について述べよというもの。

275字論述は1810~20年代に発生したラテンアメリカの独立運動に関して、以下の①~④について答えよというもの。

 

  独立運動が始まった契機は何か。

  独立運動の担い手はどのような人々か。

  独立後にはどのような経済政策がとられたか。

  ブラジルの独立にはどのような特徴があったか。

 

近年の一橋の設問の特徴通り、本設問でも史資料が示されていますが、本文・表ともにそれほど大きな意味は持っていません。近年の問題があげた史資料に重要な意味を持たせていたのと比べると、今回の設問においてはあまり高度な知識整理は要求されていません。

 

■解答例

問1 トルデシリャス条約

問2

:ハイチではトゥサン=ルヴェルチュールが率いる黒人奴隷反乱で黒人共和国として独立して奴隷制が廃止され、合衆国では南北戦争中にリンカンが出した奴隷解放宣言と戦後の合衆国憲法修正により奴隷解放が実現された。(100字)

問3

:アメリカ独立やフランス革命の影響で自由・平等の理念が流入し本国人支配に対する不満が高まっていたラテンアメリカ地域は、ナポレオンのイベリア半島支配による本国混乱を契機に独立運動を開始し、多くの地域で共和国が成立し、奴隷解放がなされた。独立を主導したクリオーリョは、独立後も地主による寡頭支配を続け、土地改革と自作農創設は進まず鉱物資源や商品作物に依存するモノカルチャー経済が進行し、イギリス資本に対して経済的に従属した。ブラジルではポルトガル皇太子ペドロを皇帝とする君主制国家を樹立したが、プランテーション経営の要としての黒人奴隷制度は長く維持された。

 

■採点基準と分析

問1 15世紀末、スペイン・ポルトガル両国間の支配領域分界線であるからトルデシリャス条約(1494)1択。(「教皇子午線」は教皇アレクサンデル6世によるものだし、「サラゴサ条約」は16世紀前半)

 

問2 「他のラテンアメリカ諸国」、「ハイチ」、「アメリカ合衆国」における奴隷解放を丁寧に整理してやればそれで終わります。

 12

 上の図にもあるように、他のラテンアメリカ諸国で奴隷解放がなされた背景は地域によって異なります。これは、例えばある地域におけるプランテーション・鉱山経営において労働力としての黒人奴隷にどの程度依存していたかとか、その土地を支配したクリオーリョが奴隷解放に対してどのようなスタンスをとっていたかなどについて、地域ごとに温度差があるんですね。奴隷解放が達成された年代をとってみても、チリ・アルゼンチン・コロンビア・ベネズエラ・パナマ・メキシコなどではおおむね1810年代から1820年代に奴隷解放がなされていますが、ペルーでは1851年に、ブラジルは本設問の資料中にもあるように1888年まで奴隷制は存続します。ブラジルで奴隷制が長く存続した背景には、ブラジルの砂糖生産がプランテーションにおける黒人奴隷の労働力に多くをよっていたためです。ですから、ラテンアメリカにおいて奴隷制が廃止された背景は様々なのであって、別にハイチと合衆国だけが特別っていうわけではないと思うんですよね…。少なくとも、本設問が前提としているように「他(のラテンアメリカ諸国)とは異なる」というように、他のラテンアメリカ諸国を同質のものとしてくくることはできないと思います。

 ですから、本来「比較」を行う場合にはハイチと合衆国だけではなくて「他のラテンアメリカ諸国」にも言及して「他のラテンアメリカ諸国が○○であったのに対してハイチは××、合衆国は△△であった」とするのが正しいと思うのですが、今回は「他のラテンアメリカ諸国の特徴を一言で表すことができないのでこのスタイルで回答することはできません。一番の解決策は、「他のラテンアメリカ諸国」には触れずに、駿台の解答がやっているように「ハイチは××、合衆国は△△であった」とすることだと思います。

 これに対して、代ゼミの解答は律儀にも「両者は戦争により解放が実現した。」とハイチ・合衆国の共通項を示そうとしましたが、これは逆に墓穴を掘ってしまっている感じがします。そもそも、先にあげたラテンアメリカ諸国における奴隷解放も、これら諸国の独立運動の中で実現されていくわけですが、この独立運動は言い換えれば本国に対する独立「戦争」です。ハイチの独立や合衆国の内戦を「戦争」と位置付けるのであれば、ラテンアメリカの独立運動も「戦争」と位置付けることは可能なのであって、「独立運動」や「奴隷解放運動」ととらえるか「戦争」ととらえるかというのは、はっきり言って主観の問題です。そもそも設問の前提に無理がありますので、無理に両者の共通項を探すよりは、駿台の解答がやったように単純にハイチと合衆国の状況を個別に説明してやる方がスマートではないかなと感じました。ただ、だから「代ゼミはいかん」とかそういうことを言うつもりはありません。大手予備校は私のように市井で半分趣味無責任に解答を作っている人間と違い、わずか1~2日程度で解答を作成・公開し、それについてそれなりの責任を負わなくてはならないわけで、それを考えたらこの程度のことは勇敢なチャレンジであると言っても良いと思います。ただまぁ、解答例の良し悪しはそういう事情とは別のところにありますので、個人的に見たときに「戦争により解放が実現した」という表現には「?」がついたというだけのことです。他の方が見たら他の評価もあるかもしれません。

 ちなみに、ラテンアメリカ奴隷制に関する論述問題は一橋においてはなじみのない設問ですが、実は近年奴隷制をテーマにした設問は増えており、つい最近の東京外語の問題でガッツリ出題されています。(これについては東京外国語大学過去問「世界史」2015年解説の方で紹介しておきました。http://history-link-bottega.com/archives/12221578.html) 個人的には、問題の質、史資料の扱い方ともに、こちらの設問の方がレベル高い感じがします。少なくとも、この問題に目を通しておけば、今回の問3において一つのポイントになっている「ブラジルが君主制国家として独立した」という部分や独立後のラテンアメリカ経済については十分な理解が得られていたのではないかなぁと思います。やはり、今後一橋受験を考えるのであれば、一橋の過去問だけではなく、広いテーマに視点を向けるために東大・京大、史資料読解に慣れるために外語など、あちこちの過去問演習に触れておく方が良い気がします。逆に、一橋の過去問については何十年前にもさかのぼるのではなく、時間がない場合には直近510年分程度に目を通しておくくらいでも良いのかもしれません。

 

問3 まずは、設問が要求する4つの要素について整理してみましょう。

 

  独立運動が始まった契機は何か。

:ラテンアメリカの独立に関して『詳説世界史研究』では「18世紀末のいわゆる大西洋革命によって、ラテンアメリカにも人間の自由と平等の観念が普及し、ナポレオンによるスペイン=ブルボン家の打倒を機会に自立化が促進され、そして本国の圧政に対する不満もあって1810年代から本格的に独立運動が展開された(2013年版、p.359)」とあります。ここにもあるように、独立運動の契機は以下の3点ほどにまとめてよいでしょう。

 

・アメリカ独立戦争やフランス革命によって自由・平等の理念が伝わったこと。

・ナポレオン支配により、本国スペインが混乱し、植民地の自立化が促進されたこと。

・本国人(ペニンスラール)支配に対するクリオーリョの不満

 

このうち、自由・平等の理念の拡大については、よりゆっくりとした変化ですから、ラテンアメリカ独立の直接的な「契機」としてはやはりナポレオンの大陸支配やスペイン混乱により表面化したクリオーリョの反抗について前面に押し出す方が良いかもしれません。

 

  独立運動の担い手はどのような人々か。

:ハイチについては先にも書いた通り黒人奴隷がその主体です(これはハイチ[フランス領サン=ドマング]の人口比において黒人奴隷がかなりの比率にのぼっていたことがその原因の一つです)が、181020年代にかけてのラテンアメリカ独立を担った主体は現地生まれの白人であるクリオーリョでした。この独立運動を指揮したのがシモン=ボリバルとサン=マルティンで、ボリバルはラテンアメリカの北部からベネズエラ・コロンビア・エクアドル・パナマ(1819年の段階ではこれらの地域は大コロンビアとして独立)・ボリビアなどを解放し、サン=マルティンはアルゼンチン・チリ・ペルーなどの諸地域を解放します。一方、メキシコについては神父イダルゴ(1811年処刑)やモレーロス(1815処刑)が主導した独立運動が実を結び、ブラジルについてはポルトガル皇太子ドン=ペドロを担いだクリオーリョたちによってブラジル帝国が成立しました。(ブラジル独立の詳細に関しては先に東京外語2015年解説[http://history-link-bottega.com/archives/cat_326509.html]の中で詳しく書いておきましたので、そちらをご参照ください)

 

  独立後にはどのような経済政策がとられたか。

:『詳説世界研究』には「独立戦争はクリオーリョ中心で遂行されたため、自作農創設のための土地革命は実施されず、地主による寡頭専制支配が続いた。経済的にはイギリス資本に従属し、資源や農産物に依存するモノカルチャー経済が進行したため、依然として不安定な状態が続いた。」(2013年版、pp.360-361)とあります。ほぼこのままで問題ないかと思いますが、ここから派生して中産階層の成長が見られなかったこと、工業化進展が遅れたこと、依存する製品の国際市場価格に経済が翻弄されるような経済構造の原型が作られたことなどに言及してもよいでしょう。いずれにしても、ラテンアメリカが構造的にウォーラーステイン的に言うところの「周辺」的な地位、経済的従属下におかれていたことは示しておきたいところです。

(世界システムについてはhttp://history-link-bottega.com/archives/6133897.htmlを参照)

 

  ブラジルの独立にはどのような特徴があったか。

何といっても君主制国家であるブラジル帝国が成立したというところは強調しておきたいところです。これについては何度かご紹介している先に書いたブラジル独立に関する詳細をご参照ください。また、ブラジルはラテンアメリカの中でも労働力としての黒人奴隷に対する依存度が高かった地域で、サトウキビプランテーションの労働力として黒人奴隷は欠くことのできない存在でした。そのため、ブラジルにおける奴隷制廃止は1888年と他のラテンアメリカ諸国と比較してもかなり遅くなっています。黒人奴隷労働に依拠したブラジルの砂糖は安価で、国際市場における強い競争力を有していました。すでに黒人奴隷制廃止を進めていたイギリスは、こうしたブラジルの奴隷制に対する干渉を試みたようで、このあたりのテーマが東京外語2015問題では史料を用いて出題されています。

 

 以上、4点まとめてみましたが、全て基本事項かなと思います。あえて言えばブラジルの独立についての知識が通常の受験生では持っていない部分なのかなと思いますが、少し広く詳しく勉強していた受験生であれば対応できないレベルではありません。いずれにしても、4つの要素のうちブラジルを除いた3つが書ければ及第点でしょう。逆に、3つの要素が書けなかった場合、それは「取りこぼし」になってしまうと思います。基本的事項は取りこぼしのないようにしっかりと整理しておく必要があるのは一橋に限らず受験における鉄則ですね。解答例では、設問全体の趣旨に照らして、ブラジルにおいて特に奴隷制が長く維持されたことを他のラテンアメリカ諸国と対比させるようなイメージで強調してみましたが、先にも書いた通り「他のラテンアメリカ」の状況も場所によってそれぞれですから、そこまで気にすることもないかもしれません。

 

2017年 Ⅲ

■問題概要

 史料(イブン=バトゥータ著、家島彦一訳注『大旅行記7』より引用、一部改変)を示した上で、以下の点について問うています。字数は例年通り400字です。

 

・ザイトンとも称されたザイトゥーンの都市名を漢字で答えよ。

・当該都市を取り巻く1113世紀の国際関係を論ぜよ。

 

(補足)

 ちなみに、史料自体はとくに大きなヒントになるようなものではありません。これについてもここ最近の一橋の設問と比べると工夫が不足している気がしますが、もしかすると、ここ数年出題された「史料を読解させる高度な設問」の要求に対して受験生が十分に対応できなかったことから「どうも厳しいらしいからレベルを落とそう」ということになったのかもしれません。ここ数年の史料読解問題は良問だと思うのですが、史料情報の整理と読み取り、類推は高度な総合力を必要としますので、いわゆる一問一答的な丸暗記では対応できません。ですから、あまりにも受験生が提出した解答の多くが出題者の要求を満たしておらず「あ、こりゃ無理だ」という判断から史料読解の要素を減らしたのだとすれば、本年の傾向は翌年以降も続く可能性があります。ですが、こればかりは翌年以降の設問をまた数年ばかり見てみないと判断ができません。大は小を兼ねると言いますし、レベルの高い解答を作る力をつけておいて損はないですから、史料読解の必要な設問にも対処できる練習を積んでおく方が無難だと思います。

 

■解答例

泉州。北宋期に北西部の西夏との対立でシルクロードによる内陸交易が困難になると、ムスリム商人やジャンク船を用いる中国商人が活躍する沿岸交易の重要性が増した。泉州には市舶司が置かれ、ムスリム居住区である蕃坊が設けられた。靖康の変で北宋が金に滅ぼされた後、高宗が江南に建てた南宋では、泉州は絹織物や景徳鎮を主要産地とする宋磁、銅銭などを輸出し、金銀、刀剣、高麗青磁や香辛料を輸入する南海貿易の拠点として都臨安と同様に繁栄した。この交易で高麗・日本・シュリーヴィジャヤ・李朝・チャンパーなど周辺諸国は中国を中心とする経済圏を形成した。金・南宋を滅ぼして南海諸国へも遠征したモンゴル帝国とそれに続く元の時代には、ジャムチの整備やフビライの大運河整備などにより、宋代には分断されていた陸路と海路が大都を中心に結合され、民間・朝貢双方の海上交易拠点となった泉州は世界規模の交通・商業ネットワークの中に組み込まれた。(400字)

 

■採点基準と分析

 中国を中心とした広域にわたる交通・商業ネットワークの形成や国際関係に関する出題は一般的には頻出の問題です。ただ、一橋ではこれまで明代以前について出題するものは極端に少なかったことから、一橋の過去問対策のみを進めていた受験生にとってはとっつきにくい内容だったと思います。(ちなみに明史以前の問題の出題は1516年ぶりのことです) ただ、テーマとしては頻出のもので、たとえば東大の2015年問題はモンゴル帝国や元を中心としたユーラシアの一体化をテーマとした出題がなされています。

http://history-link-bottega.com/archives/6653762.html

 

こうして見ると、「もしかして今年の一橋はここ数年の関東圏の国公立の出題を参考にして問題作ったんじゃあるまいな…」と思わせるくらいに、どこかで見たような出題がされている気がします。ですが、この大問3は設問のある部分によって萌え要素が強烈に高まっています。それは「11世紀~13世紀」という時代設定です。この時代設定によって、単なる一時代における国際関係ではなく、北宋以降、南宋、元にいたるまでの大きな変化を書く必要が生じるわけで、この一言が東大の2番煎じではない独特の有機的なダイナミズムを設問に与えています。この一点において、今年の大問3は大問1・2とはレベルが全く違います。こうした設問にきっちり答えを用意できるとすれば、それは「力のある」世界史解答者であるといってよいと思います。

 

 さて、それでは解答を作成するにあたってどのように進めれば良いかと言いますと、設問は①泉州を中心にまとめること(ザイトンは泉州のことです)②北宋~元(11世紀~13世紀)の変化を示すことを要求していると考えられますから、これらを意識することが最低限必要なことになります。ですが、「泉州の歴史」なんてものを理解している受験生は少ない(私だってそんなん知らんw)でしょうから、とっつきやすい北宋~元の国際関係とその変化をまとめるところから始めて、それらを整理した後に泉州と結びつけて論じていくという方法が一番現実的で効率が良いと思います。泉州という港がテーマになっていることから、「国際関係」の中に経済的要素が強く含まれていることは当然意識すべきだと思います。

 

(北宋)

・すでに唐代から進出していたムスリム商人(ダウ船使用)に加えて、中国商人(ジャンク船使用)が沿岸交易に乗り出す。

・泉州に市舶司が置かれ、ムスリム商人に対しては居住地として蕃坊が設けられた。

:宋代には、泉州の他にも、唐代に初めて市舶司が置かれた広州[714年、玄宗の時]をはじめとして臨安[杭州]、明州[明以降は寧波]、温州などにも市舶司が置かれた。市舶司の設置開始年は都市によって異なる。[例えば、明州についてはすでに唐代から設置されている] また、蕃坊についてもすでに唐代から存在し、市舶司の置かれた港などを中心に設置された。

・北方諸民族、特に西夏との対立から唐代には栄えていたシルクロードを経由した交易に支障が出始めたこと。

・宋磁(青磁・白磁)が景徳鎮(1004年以降)などを中心に生産され始めたこと。

 

(南宋)

・靖康の変による北宋の滅亡と金による華北支配。

・南宋の成立と都臨安をはじめとする港市の繁栄。

・上記2点を原因とする江南の発展と南海貿易の活発化。

:南海貿易では高麗・日本のほか、シュリーヴィジャヤ、チャンパー、李朝大越などの朝貢国と交易。ちなみに、後期チョーラ朝も数回宋に使節を送るなどの交流がある。

・華北を支配した金との和親策

・交易品として、絹織物・陶磁器・銅銭などの輸出、金・銀・刀剣・漆器、高麗青磁、象牙・香辛料などの輸入。文化的伝播としてイスラーム圏を介しての羅針盤の伝播。

 

(元)

・モンゴル帝国とそれに続く元により、金・南宋だけでなく周辺諸地域が滅ぼされたことでユーラシアの一体化が進んだこと。

・宋代までは分断されがちであった陸路と、南宋時代に発展してきた海上交易がモンゴルの支配とフビライの大運河により結合され、元の都大都を中心とした広域にわたる交通・商業ネットワークが形成されたこと。

・ムスリム商人の活躍により、インド洋・南シナ海の交易が発達し、杭州・明州・泉州・広州などの港市が繫栄したこと。

・マルコ=ポーロをはじめとしてヨーロッパ人との交流も見られるようになったこと。

:もっとも、ルブルックをはじめとしてヨーロッパ人の多くは陸路元へと向かい、マルコ=ポーロも陸路大都に着き、帰路は海路であったが泉州でなく杭州から出発しているので本設問で言及の必要はなし。

・イブン=バットゥータなどのムスリム旅行者の来訪

 

以上が北宋~元までのポイントになると思います。宋代の商工業繁栄については教科書的な流れからすれば穀倉地帯の成立や商業都市の形成が深くかかわってくるのですが、本設問が要求しているのは泉州を中心とした国際関係ですから省いて良いと思います。また、何といってもポイントなのは「宋代に発展した海上交易は北方異民族の存在によって内陸中央アジアとは十分に連結されていなかったのに対し、元代にはこれが一つとなって世界規模の広域交通・商業ネットワークとして発展した」という変化の部分を示せるかどうかでしょう。これまでにも「宋と北方異民族の関係」や「13世紀世界システム」などをテーマとして扱う論述はよく見かけましたが、11世紀~13世紀の変化を問うという設問はあまり目にしたことがありません。ちょっと時代設定や視点を変えるだけで現れる像が大きく変化するということを示した良問だと思います。また、要求される知識もそれほど難しいものは含まれていません。確かに、泉州を中心にということになると難しいと思いますが、多くの受験生は泉州に絡む知識を持ち合わせていません。ですから、重箱の隅をつついたように朝貢国は「北宋期は○○で、南宋期は××で…」といった区別をするとか、泉州で「いつ、何が起こった」というようなことを細々と書くのではなく、市舶司が置かれた交易港を代表する港、泉州が北宋~元代の国際関係の変化の中でどのような位置を占めたのかという大きな流れを示す方が良いと思います。「泉州」はあくまでも当時中国で市舶司が置かれた江南の港市を代表する存在としてとらえて論述を作成せよ、というのが出題者の意図ではないでしょうか。

 

 さて、本日はこれまでも当ブログで解説してまいりました早稲田大学法学部の2017年「世界史」のうち、大問5の論述問題について焦点を当てたいと思います。問題はすでに各予備校HPで公開されていますので、そちらをご覧ください。

 今回の問題を見た第一印象ですが、「お、ワセ法もちょっと洗練されてきたぞ」というのが私の印象です。私の早稲田法学部論述に対するこれまでの印象は一言で言うと「無骨」です。「直球どストレート工夫なし!」という雰囲気であったわけで、イメージ的にはモブ化した後のタイガーショットであり、鳳翼天翔です。

 

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参考資料:タイガーショットで吹っ飛ばされる森崎
 

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©車田正美『聖闘士星矢』(集英社)

 

今回の問題ではその雰囲気が少し変わりました。たしかに、航海法は「ベタ」な設問で頻出の箇所です。これまでの設問では、この航海法は主に17世紀イギリスの重商主義政策の典型、または英蘭戦争の原因という流れの中で出題されることが多かったものです。ところが、今回の設問では、まずイギリスの国内事情への視点が追加されました。つまり、重商主義政策から自由貿易主義への転換という視点です。(これが近年一橋などでは頻出のテーマであることはすでにご紹介しました) さらに、ここでは19世紀前半の反穀物運動や選挙法改正という別視点も加わってきます。また、制定された17世紀の状況から19世紀半ばまでという時期的な長さも確保されています。つまり、これは航海法をテーマとした設問というよりは、イギリスの通商政策の変化とその背景として存在した工業化の進展と産業資本家の台頭という社会構成の変化を説明せよ、という設問なわけで非常に複合的な設問です。

もっとも、ワセ法がこうした変化をする兆しを見せているということはすでに出題傾向の中でも指摘していました。(http://history-link-bottega.com/archives/cat_231096.html)それまでの単線的な出題が、次第に多面的、多角的な設問になってきているという点には注意が必要だと述べたかと思いますが、今回の設問でこの傾向が今後も続いていく可能性がさらに高まったと思います。今回はイギリスを中心に複数の要素を抱えるテーマについて説明するという形のものでしたが、場合によってはむしろ地理的に広い範囲のもの同士の関係を問う(いわゆるグローバルな展開の)設問が出題される可能性もあると思います。いずれにしても、一つの物事を一つの側面からのみ理解するような勉強の仕方では今後のワセ法の論述を解くことは難しくなってきそうですね。レベル的には東大の方が高いと思いますが、東大の過去問演習などは役に立つかなぁと思います。

 また、形式的な点としては、昨年に続いて上限は300字となりました。どうやらこちらもこの変化で固定されるようです。

 

早稲田大学法学部「世界史」2017年論述問題(問題概要・解説とポイント)

 

【問題概要】

17世紀半ばに制定されたイギリスの航海法が制定された理由を答えよ。

19世紀半ばに航海法が廃止された理由を答えよ。

・当時の政治と経済の情勢に関連付けよ。

・指定語句を全て用いよ。(選挙法改正/重商主義/自由貿易/中継貿易)

・指定字数は250字から300字。

・指定語句には下線を付せ。句読点、数字は1字として数える。

 

【解答手順1:設問内容の確認】

 設問の要求

:イギリスの航海法が制定・廃止された理由を当時の政治・経済と関連付けて説明せよという、きわめて明快な問題設定です。実は、類似の設問はすでに2012年早稲田大学法学部の論述問題で出題されています。(17世紀における英蘭両国の友好関係と敵対関係) ですから、過去問をしっかりやってから臨んだ受験生であれば、今回の設問の「制定の理由」を答えることはそう難しくなく、こちらの部分で差がつくことはなかったと思います。

 

【解答手順2、設問の二つの要素ごとに事実関係を整理】

:今回の設問のテーマは、問題設定自体も明確ですし、頻出の箇所ですから、大きなフレームワークを描くことはさほど困難ではありません。まずは、指定語句に頼ることなく、素直に設問の要求している「制定の理由」と「廃止の理由」、そして関連事項の整理をしてしまうのが解答作成への近道だと思います。

 

 もっとも、今回の要求のうち「廃止の理由」については漠然としか理解していなかった受験生も多いのではないでしょうか。「何となく穀物法廃止の3年後くらいに航海法が廃止されたことは覚えているけど…何でだ?」と固まってしまった受験生と、「よっしゃ、来た!自由貿易の流れね!」とすぐに判断のついた受験生で差がついたものと思われます。固まってしまった場合でも、半分は書けるわけですから、ここは焦らず半分+αを狙いましょう。どんなに頑張っても、人間の記憶には限界というものがあります。たまたま、自分の記憶からすっぽり抜け落ちてしまっている、というところから出題される可能性は常にゼロではありません。そうした時に大切なのは、周囲との差を最小限にすること。まずは不時着解答を作成するためにも、できる整理、「制定の理由」を整理することからしておくべきです。

 

1、制定の理由

 オランダの中継貿易を妨害するため。

(関連事項)

  航海法の内容:イギリスへの輸入をイギリスの船か原産国の船に限定すること。(正確には、アジア・アフリカ・アメリカからの輸入についてはイギリス船のみ、ヨーロッパからの輸入についてはイギリス船または生産国か最初の積載を行った国の船に限定する)

  制定の時期:クロムウェル統治下の1651年。議会に影響力を及ぼした貿易商の要望によるもの。

  政治的関連:クロムウェル、議会、重商主義、英蘭戦争

  経済的関連:貿易商、重商主義、中継貿易、海洋覇権

 

 制定の理由については上に書かれたようなことが盛り込まれていれば十分でしょう。注意しておきたいのは、航海法はたしかにクロムウェルの政権下で成立しましたが、クロムウェル自身は航海法制定に対しては否定的であった点です。クロムウェルは、同じプロテスタント国家であるオランダと積極的に敵対する政策には内心反対でした。貿易商の働きかけを受けた議会の要請で仕方なく、というのが本当のところであるようです。ですから、ここをはき違えてクロムウェルが積極的に航海法制定を行った、という風に書いてしまうと実態とのずれが生じてしまいます。

「そんな細かいこと知らないってw」と思うなかれ。実は、このクロムウェルの態度は17世紀イギリス史を研究している人間が読む基本の概説書にはきちんと載っています。ですから、おそらくこの設問を作成した先生はすぐにこうした点に違和感を持つと思います。

脱線ついでに書いておくと、独裁者のイメージが強いクロムウェルですが、この独裁自体もクロムウェルが望んだ形ではなかったようです。国王を殺害してしまった議会派でしたが、慣れない「共和政」なる政体に完全に戸惑ってしまい、意見がまとまりません。かれらは、自ら政策を立案決定などしたことがなかったので、それを任された時に途方に暮れてしまいます。何だかこのあたり、突然政権を担当することになった万年野党のようですね。そこで議会は強力なリーダーシップを持つ指導者を待望するようになります。そして議会は、あろうことかクロムウェルに「どうか僕たちの国王陛下になってください!」とお願いをします。せっかく苦労して王政を打倒したにもかかわらず、です。

これには、クロムウェルの方が面食らってしまいます。厳格なピューリタンで清貧と節制を良しとしたクロムウェルは、この要請を断ります。当然ですねw 自分で国王を殺しておいて自分が国王になってしまったら全く自己を正当化することができません。完全な簒奪者、弑逆者になってしまいます。まるでシェイクスピアのリチャード3世みたいな立ち位置になることはクロムウェルの本意ではありません。ところが、あきらめきれない議会は「それなら、国王陛下ではなくて、国を守るために僕らを導くリーダーになってください!」と要請します。これはさすがにクロムウェルも断るわけにはいかず、承諾します。これが「護国卿(Lord Protector)」というあの地位です。

ですから、クロムウェルの独裁というのは、絶対王政における国王による統治とは異なりますし、ヒトラー的な強権による独裁とも全く異なります。たしかに、クロムウェルは軍を握り強力なカリスマを持ってはいましたが、その権力は議会からの委任とその後の調停役としての力量によるものであって、彼自身が何でも自由にすることができた、というのとは根本的に違うのです。ですから、彼自身が望まなかった航海法が制定されたというのも、そうしたコンテクストの中で考える必要があります。このあたりのやや突っ込んだイギリス史の概説が読みたいという時には、色々な本がありますが、私のお勧めは17世紀についてはBarry Coward, The Stuart Age: England 1603-1714 (London: Longman, 2003)17世紀末から19世紀初頭についてはFrank O’Gorman, The Long Eighteenth Century: British Political & Social History 1688-1832 (London, Hodder Arnold, 1997)18世紀史を中心としてはH.T. Dickinson(ed.), A Companion to Eighteenth-Century Britain (Oxford, Blackwell, 2002)あたりがしっかりしていて面白いと思います。

 

だいぶ話がそれましたw 問題なのは廃止の理由ですね。これについては、かねてからお話ししていた19世紀初頭のイギリスの自由貿易体制、自由主義外交の動きをしっかり頭に入れてあるかがカギになります。すでに、当ブログの「あると便利なテーマ史③:近現代経済学の変遷」の「ここがポイント」のところで詳しく説明してありますし、一橋の問題解説の方でも似たようなことをお話しした記憶があります。

http://history-link-bottega.com/archives/cat_216372.html

 イギリスでは産業革命の進展に伴い、産業資本家が台頭してきます。その中で、既存の特権を持った集団との軋轢が生まれてくるわけです。

 
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 ですが、産業資本家は選挙法改正前には選挙権は持っていません。(昔、この時期について指摘して「19世紀の議会においては貴族などの旧来の支配階層による寡頭制は崩された」とする説を、図表などを駆使して批判せよ、という設問が慶応で出ましたねぇ。記憶曖昧ですが、たしか1994年でしたか。「ジェントルマン資本主義」論が流行ってたからですかね。)ですが、彼らは「圧力団体(Pressure Group)」として議会に対して効果的なロビー活動を行うことは可能でした。こうした中で、産業資本家が要求する自由貿易主義論が高まっていきますし、選挙法改正も達成されるわけです。産業資本家に選挙権がないからと言って議会に対して無力であったなら、いつまでたっても選挙法が改正されるわけがありませんからねw ですから、航海法廃止の理由も、基本の路線は「産業革命→産業資本家の台頭→自由貿易要求の高まり」で良いと思います。この動きに当時の穀物法廃止運動をからめて、選挙法改正による産業資本家の選挙権獲得がこうした自由貿易への動きを加速したとしておけばまずまずの解答が仕上がるでしょう。まとめると、以下のようになります。

 

2、廃止の理由

 産業資本家の台頭と自由貿易要求の高まり

(関連事項)

  産業資本家台頭の背景:産業革命

  自由貿易要求の背景:長年の保護貿易による物価高騰に対する労働者、産業資本家の反感

  廃止の時期:1849年、ラッセル内閣(ホイッグ党)の時

  政治的関連:19世紀初頭ヨーロッパの自由主義の波、第1回選挙法改正(1832

  経済的関連:反穀物法同盟(1838結成)、コブデン・ブライト、穀物法廃止

 

【解答例】

 オランダと海上交易の覇権を争っていた貿易商の要請を受け、クロムウェル統治下の議会はイギリスへの輸入をイギリス船または原産国の船に限定する航海法を制定し、オランダの中継貿易を妨害する重商主義政策を展開した。その後の英蘭戦争に勝利し海洋覇権を握ったイギリスであったが、産業革命による工業化が進み産業資本家が台頭すると、長年の保護貿易による物価高騰に対する不満から自由貿易要求が高まった。第1回選挙法改正により産業資本家にまで選挙権が拡大されると運動は勢いを増し、コブデンやブライトが攻撃した穀物法とともに航海法も自由貿易の障害と批判され、1849年に航海法が廃止されたことでイギリスでは自由貿易体制が確立した。(300字)

 先日、Cannadine’Ornamentalism’についてのお話をしましたので、今回はいわゆる「想像の共同体(Imagined Community)」についてのお話をしたいと思います。歴史学の世界ではこれもずいぶん以前に提示されたものでありながら、依然としてその価値を失わず、様々な分野の研究にインスピレーションを与えている概念です。今では、大学生くらいなら普通にご存じなのでしょうが、高校生くらいだと「ほにゃ?」となる概念なのかなぁと思います。1983年にベネディクト・アンダーソンが出した『想像の共同体』がこれについて語る代表的な著作ですが、「国民」や「ナショナリズム」が人々の想像による産物であるという考え方自体は、これ以前にもアーネスト・ゲルナーなどによっても指摘されています。今回は、この「想像の共同体」がどういったもの(または概念)であるのかということと、それがどのようにネイションまたはナショナリズム等と関係しているのかということについてご紹介したいと思います。

 

1、「想像の共同体」とは何か

想像の共同体とは、アンダーソンがそれまでの研究では十分に検証されていないと感じていた「ナショナリズム」が成立した背景を考察するにあたり考え出した概念です。要は、ネイションとは人々が心の中で想像することによって初めて成立した政治的共同体である、とする考え方です。アンダーソン自身は、これをその著作の序文で「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体(Imagined Political Community)である」としています。(ベネディクト=アンダーソン著、白石隆・白石さや訳『定本 想像の共同体:ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山、2007年)

 

2、一定の規模を持った共同体の被想像性

 アンダーソンは、同じく同書序文の中で「原初的な村落より大きいすべての共同体は(そして本当はおそらく、そうした原初的村落ですら)想像されたものなのである。」と述べます。これは、アンダーソン自身が述べているように、本質的にはゲルナーが述べた「ナショナリズムは国民の自意識の覚醒ではない。ナショナリズムは、もともと存在していないところに国民を発明することだ」という論と同じものです。

 すこし分かりづらいかと思いますので説明しますと、ある町、ある地方、ある国といった「共同体」が存在するときに、そこに所属するある人物は、「同じ共同体」に所属する全ての人を見知っているわけではありません。また、彼らがどのような人物で、どのように物を考え、どのような社会背景を持っているかも知らない人々が大半のはずです。そもそも、「同じ」町、「同じ」地方、「同じ」国といった場合に、その境界や内容というものは多くの場合曖昧なことが多いです。にもかかわらず、人間は自分と同じ町、同じ地方、同じ国に住んでいる人々が「同じ共同体」に属していると「想像」し、場合によっては自分と類似した属性を持っていると「想像」します。このように、実際には実体として存在していないにも関わらず、人々が「想像」することによって「創られた」共同体をアンダーソンは「想像の共同体」と呼んでいるわけです。

ゲルナーは上述の通り「ナショナリズムは国民の自意識の覚醒ではない。」と述べたわけですが、仮に、ナショナリズムが「国民の自意識の覚醒」であったとした場合、そこには自意識を覚醒させる主体としての「国民」がすでに前提として存在していなければなりません。はじめから存在している「国民」が「あ、そうか、自分たちは○○人なんだ」と気付くのであればそれは「国民の自意識の覚醒」ということになります。ですが、そうではないのですね。そもそもそこにははじめから「国民」は存在していないのであって、存在していない主体が「覚醒」をすることはできません。ですから、ナショナリズムが生まれるときには、もともと存在していなかった「国民」を「発明」するところから始めなくてはいけません。こうした点において、アンダーソンの「想像の共同体」とゲルナーの意見は同一の内容を示していると言えるわけです。

 

3、「国民」が想像されるときの3つの特性

 アンダーソンは、以上の議論を展開した上で、人々によって想像された「国民」には以下の3つの特性があると主張します。

 

    国民は限られたものとして想像される。

:どれほど大きな共同体であっても、共同体である以上は必然的に「自己」と「他者」を区別する性質を持つ、ということです。「自分の町」と「別の町」、「自分の国」と「他の国」という形で。

 

    国民は主権的なものとして想像される。

:アンダーソンは、この理由を「国民」という意識が形成された時期が、「啓蒙主義と革命が神授のヒエラルキー的王朝秩序の正当性を破壊した時代」であったことに帰しています。「主権」とは「他国の意思に左右されず、自らの意思で国民および領土を統治する権利」のことです。つまり、「神」や「王権」という価値観が揺らぎ始めた時期に生じた「国民」はその性質として他者から自由であることを追求し、その結果「国民」はみずからのことをみずからで決定することを当然とする性質を有することになります。

 

    国民は一つの共同体として想像される。

:仮に、実体としての集団の内部に搾取や不平等などが存在していたとしても、同一の「国民」は「常に、水平的な深い同士愛」として想像される。

 

このような特性を考えれば、ナショナリズムが歴史の中で果たした役割やそれが持つ傾向をよりよく理解し、把握することが可能になります。ナショナリズムはなぜ、自分とは異なる「他者」と敵対する傾向を持ったのか。また、国民国家が形成された19世紀から20世紀にかけて、国家の中において「国民」と見なされなかったマイノリティがなぜ排斥されたのかといったことを、です。

 

さて、アンダーソンの『想像の共同体』では、彼のいう想像の共同体がどのようにして形成されたのかが、その起源について考察するところから始まり、事細かに描かれ、さらに「公定ナショナリズム」‐この著作では「国民と王朝帝国の意図的合同」と表現されていますが‐と帝国主義の関係など、様々な側面について考察が深められていきます。本当は、そうした部分をじっくり読み進めていくことが一番面白いのですが、ここでそれをやっているとキリがないですし、高校世界史で理解すべき内容よりはるか先までいってしまうので控えておきます。ただ、アンダーソンが提示するこの「公定ナショナリズム」、つまり領域の支配者によって意図的に誘導・形成されるナショナリズムという考え方は面白いですし、いろいろなことに応用がききますよね。彼は一つの例としてハプスブルク帝国を例にとっていますが(※彼はこの中で、ハプスブルク家をはじめとするヨーロッパの多くの君主の正統性が「国民的なること[ナショナルネス]」とは無縁のことであったことから、19世紀に国民主義[ナショナリズム]運動が高揚してその支配領域が分裂の危機に瀕したときに、権力を維持するため意図的に「普遍・帝国的な要素」と「特殊・国民的な要素」の統合を図ったとしています)、こうした要素はハプスブルク帝国と同じく複合民族国家であったオスマン帝国末期のアブデュル=ハミト2世が展開したパン=イスラーム主義にも共通の要素を見て取ることができます。続く文章は、岩波の『世界史史料』の中にある、アブデュル=ハミト2世が書いた『政治的回顧録』の中でスンナ派とシーア派について書かれているくだりです。

 

イスラーム主義の本質を考えるとき、われわれは結束を強化すべきである。中国、インド、アフリカの中央部をはじめ、全世界のムスリムたちはお互いに密接な関係になることに有効性がある。このような時に、イランとの相互理解がなされていない事態は残念なことである。それゆえ、ロシアおよび英国にもてあそばれないように、イランはわれわれに接近することが重要である。

わがユルドゥズ宮殿で知識ある人として高名なセイド=ジェマレッディンは「スンナ派とシーア派は、誠実さを示すことによって統一は可能である」と私に進言して希望を持たせてくれた。もしこの言葉が実現すればイスラーム主義にとって崇高な状態をもたらすだろう。

 

アブデュル=ハミト2世はミドハト憲法停止後、自身が専制政治を展開していく中で、その権力の維持と帝国の統一性を保つ拠り所としてパン=イスラーム主義を利用しようとするわけですね。彼がアフガーニーをイスタンブルへ招聘するのはこのような文脈の中で理解することができます。また、パン=イスラミズムが皇帝専制の道具として利用されていると喝破したからこそ、トルコの改革派はパン=イスラミズムに見切りをつけてむしろパン=トルコ主義などへと傾斜していくことになるわけです。このあたりのテーマは、トルコの政治的変遷と結びつけてもよし、イスラームの改革運動と結びつけてもよし、非常に奥深い部分ですよね。

 

 Sultan_Abdul_Hamid_II_of_the_Ottoman_Empire

“Le_Rire”,_Number_134,_May_29,_Paris,_1897
アブデュル=ハミト2世の写真と、『ル=リール』誌に描かれたアブデュル=ハミト2

Wikipedia

 

 いずれにしても、アンダーソンが提示した「想像の共同体」論のように、これまで実体があるかのように語られてきたものには、実は実体のない(かといって現実世界に影響を及ぼさないということではなく、むしろ大きな影響力を持ちうる)、創られた存在や概念というものがあるのではないか、という議論はここ数十年ほど歴史学会が関心を向けてきたテーマでもあります。同じような議論として、ホブズボームの『創られた伝統』などがありますし、以前ちらっとお話ししたキャナダインの『オーナメンタリズム』も「想像の共同体」論の延長線上にありますね。もちろん、これらの話は直接大学の世界史受験に出題されるような内容のものではありませんが、これらの著作で示されている歴史の見方や考え方を理解すると、東大をはじめとする難関校がなぜテーマの一つとしてナショナリズムや民族意識という側面を重視するのかということを知る一助になるかと思います。
 

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