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大学受験向け世界史情報ブログ

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※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw 問題全てが手元にあった方がわかりやすいと思います。

ヘッダーイラスト:かるぱっちょ様

世界史を学習する上で意外と盲点なのが、世界史にはおろそかにするとその後の理解や学習効率が著しく落ちる基礎技能が存在するということです。「世界史なんて、どうせ読めばわかる」と思われていますし、「日本語で書いてあるし、ただのお話だから、暗記すればいいだけ」と思われています。実際、その通りでもあるのですが、ところがいざ実際に学習してみると思いのほか頭の中に入ってこず、勉強にかかる時間も積みあがっていきます。「おかしいな、こんなに勉強しているのに全然進まない…」と思っているうちに、だんだん嫌になってきて「もう、いいや」となってしまう…世界史を教える側としては本当に悲しいことです。本来、世界史とは謎アリ、戦いアリ、エロアリ、どろどろの人間関係ありの人間ドラマの集合体であって、最強の大河ドラマです。深く学べば学ぶほど味が出る、やりこみ要素アリの本当に面白いものなのですが、意外にも入り口で躓いてしまう人が結構な数います。

実は、「英語で単語や文法を知らないと話が(本当の意味では)分からない」、「数学で公式を覚えたり、計算力を身につけないと高度な問題が解けない」のと同じように、学校における一つの教科として世界史をとらえた場合、身につけないと理解が進みにくい技能が二つあります。

一つ目は、「〇〇年=〇〇世紀」の変換を瞬時にできるようにする能力です。「何だ、そんなことか」と思われるかもしれませんが、これを「頭で考えることなしに」できる人は意外に少ないのです。「頭で考えない」というのは、脊髄反射的に「パッ」とわかる、ということです。青い色を見たときに「青」と言ったり、「900円買って1000円払ったからお釣りは100円」ということを計算することなしに理解するのと同様に、「1689年」と言われたら「ああ、17世紀後半か…」と即座に理解できるようにしておかないと、どうしてもテスト向けの世界史の学習は効率的に進みません。「ルターの宗教改革は1517年の九十五か条の論題から始まったわけですが…、当時は16世紀前半なわけですけれども…」という説明を学校の先生がしたり、教科書やら参考書に書いてあるときに、「パッ」と分かる人は特に抵抗なく言っていることが頭の中にスッと入ってきます。一方、この変換がすぐにできない人は「ん?1517年だから…151足すので…ああ、16世紀…で、いいんだよ、な…?」となってしまい、どうしてもワンクッションというか、「ツマリ」のようなものが生じてしまうのですね。たとえて言えば、英語の長文を読むときに分からない単語をいちいち辞書で引かないと先に進めないときのようなもので、これが思いのほか学習効率を落としてしまいます。

二つ目は、出てくる地名がどこなのか、初出の段階で地図上に思い浮かぶように確認しておくということです。世界史では当然のことながら、世界各地の地名や国名が出てきます。これを重要語句や人名とは直接関係ないからとうろ覚えにしてしまうと、「〇〇年=〇〇世紀」の場合と同じように「ツマリ」を生じてしまってまともな勉強になりません。ためしに、世界史を勉強すると出会うことになる地名について、いくつか列挙してみましょう。

 

・イラク、イラン、インド、パキスタン、アフガニスタンを東から順に並べられますか?

・「アナトリア」ってどの辺ですか?

・「トルキスタン」ってどのあたりですか?

・インダス川とガンジス川、どちらがインドの東側を流れる川ですか?

・フランス、オーストリア、ドイツ、ポーランドの位置関係がわかりますか?

 

…いかがでしょう。案外、難しいものですよね。ですが、世界史ではこれらの知識は「前提」であって、しかめ面をして学ぶものではありません。日本史で言ったら、「大阪、名古屋、東京を西から順に並べよ」と言っているようなものですからね。

ですから、先生は当たり前のように「ドイツのヒトラーは、オーストリアを併合すると東方へとドイツの生存圏を拡大するためにポーランドへと侵攻し、これが第二次世界大戦の始まりとなったわけですがァー…」と授業を進めます。地図が頭に入っていなかったらイメージのしようがありません。そこで生徒はおっさんのがなり声を子守歌代わりに聞きながら「がァー、じゃねぇよ。くた〇れ」と悪態をついて机の中に沈んでいきます…。 

ですから、多少の苦労をともなったとしても、その地名がどこかというのは最初に目にした時に把握しておくべきなのです。幸いなことに、今は昔と違っていちいち地図帳を調べる必要がありません。ちょっとGoogleやらYahooで地名を入力すれば、すぐWikipediaのページが出てきて、それを開けば地図は載っています。いちいち地図帳の索引から調べなければならなかった我々の高校生時代とは大違いです(マジでうらやましい)。

 

 本稿では、地理の問題はとりあえず置いておいて、「世紀」の変換について簡単に解説してみたいと思います。これは、ほんのちょっとの練習でできるようになりますから、最初に身に着けておきましょう。

 

① 紀元(後)の場合

 紀元とは、本来は「ある出来事がおこった年を始点として時間を測定する際の、始点となる年」のことです。ですから、世界にはいろいろな「紀元」があります。たとえば、イスラーム暦の場合には、預言者ムハンマドがメッカからメディナへと遷った「ヒジュラ」のあった年を紀元とします。

 現在使われている西暦は、イエス=キリストことナザレのイエスが生まれた年を紀元として数える年代測定法です。

プレゼンテーション1
 
 もっとも、研究では実際にイエスが生まれたのは紀元前4年頃らしいと言われていますので、西暦の紀元とはズレるわけですけれども、事実が判明するたびに紀元を動かしていたら「あ、今年2021年だと思ってたら今度から2025年になるらしいわ」みたいなことになって厄介ですので、昔から紀元とされる年がそのまま使われています。

 イエスの生まれた年=「紀元元年(1年)」として、そこから2、3、4…と数えていきます。つまり、西暦2021年というのは、イエスが生まれた年を1とした時に、2021番目にあたる年なわけです。「世紀」というのは、これを100年ごとにまとめたもので、紀元から数え始めて100年までが1世紀となります。つまり、「紀元元年~紀元100年」までが1世紀、「紀元101年~200年」までが2世紀となります。

 理屈ではそうなるのですが、すぐにパッと思い浮かべるのはちょっとした練習が必要です。1の位が「0」以外の年は、年数の100の位に1を足した数が「世紀」の数になります。たとえば、

 

・64年→1世紀(百の位は0なので)

・375年→4世紀

・726年→8世紀

・1492年→15世紀

・1871年→19世紀

・2021年→21世紀

 

となります。ただし、1の位が「0」の時だけはちょうど100年目になりますので、百の位の数字がそのまま「世紀」を表す数となります。たとえば、

 

・300年→3世紀

・1600年→16世紀

 

となるわけです。301年は4世紀、1601年は17世紀ですね。

これは慣れるとほんとに簡単です。簡単な練習用の動画を気分で作ってみましたので、利用してみてくださいw

https://youtu.be/cGbctvfQE7s

 

② 紀元前の場合

 紀元前の場合も基本的には紀元後の数え方と一緒です。「紀元元年の前の年」が「紀元前1年」となり、そこから100年間が「紀元前1世紀」となります。つまり、

 

紀元前1年~紀元前100年=紀元前1世紀

紀元前101年~紀元前200年=紀元前2世紀

紀元前201年~紀元前300年=紀元前3世紀

 

となるので、紀元前285年は「紀元前3世紀」となり、紀元後の数え方と特に変わりはありません。ただ、注意しておきたいのは、紀元後と紀元前では数字の増える方向が逆になりますので、世紀の前半と後半が逆転します。つまり、数字の多い方が世紀の前半、少ない方が後半となります。これは、感覚的につかんだ方が理屈で考えるよりも早いと思うので、図示してみましょう。

紀元法2
上の図を見ると分かる通り、たとえば紀元前1世紀は紀元前100年から始まり、紀元前1年で終わることになります。ということは、紀元前96年は「紀元前1世紀の前半」ということになる一方、紀元前15年は「紀元前1世紀の後半」となるわけです。この紀元前の世紀の前半と後半を認識することは少し難しいのですが、ここまで身につけてしまえばまず怖いものはありません。この技能は地味ではありますが、世界史を学習する上では大切な技能になるので、早いうちに身につけておくとよいと思います。
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以前から奴隷制をめぐる出題は多かったのですが、近年はその度合いが増してきています。今までの政治史中心の歴史から、社会史のような人に焦点をあてた歴史、または経済・社会・文化といった人の動きや考えを取り入れた歴史が重視されてきているせいかもしれません。

 ところで、奴隷制をめぐる問題で最も出題頻度が高いのはやはりアメリカの南北戦争と奴隷制廃止をめぐる動きかと思います、一番有名なのはやはり1863年の奴隷解放宣言ですが、奴隷制をめぐる動きは実はそれより前から存在します。中でも、受験生にはいまいち理解しにくいのが「カンザス=ネブラスカ法」です。カンザス=ネブラスカ法制定はアメリカの二大政党の一つである共和党結成に深くかかわっています。前のトランプさんの側の政党が共和党ですね。

 ですが、このあたりの事情が多少込み入っているために、一問一答式や穴埋め重視の授業・学習スタイルで覚えている人には、カンザス=ネブラスカ法と共和党結成の関連性がとらえにくい(あるいは、見逃してしまう)のです。

 では、カンザス=ネブラスカ法の何が問題だったのでしょうか。

 アメリカでは、19世紀(1800年代)の前半から、奴隷制を認めない自由州と奴隷制を認める奴隷州の対立が深まり始めていました。そうした中で、ミズーリが奴隷州として新たな州としての加盟を申請すると、この申請を認めるか否かで大きな議論となりました。当時、各州からは2名の議員が選出されることになっていたため、新たに昇格する州が自由州であるか奴隷州であるかは、奴隷制度の問題だけでなく議会内のパワーバランスにもかかわる問題でした。

 この問題に一定の妥協点を見出すために結ばれたのが1820年のミズーリ協定です。ミズーリ協定は、ミズーリ州を奴隷州として認めるかわりに、今後新しく誕生する州については北緯3630分以北に誕生する州を自由州、以南に誕生する州を奴隷州とするという内容でした。その後誕生したアーカンソー州やミシガン州などは、この協定にしたがってそれぞれ奴隷州、自由州となっていきます。

 ミズーリ協定 - コピー
 1849年ごろのアメリカ合衆国と北緯36度30分線
青は自由州赤は奴隷州(灰色部分は州に昇格していない地域)
Wikipedia「北緯3630分」より、一部改変)


 ところが、1854年に制定されたカンザス=ネブラスカ法はこの妥協を破壊する内容でした。つまり、「新たに創設されるカンザス準州(州に準ずる自治権をもつ地域)ならびにネブラスカ準州においては、これらの地域に住む人々の住民投票によって奴隷制を認めるかどうかを決めること」とされました。下は、カンザス、ネブラスカ両州の位置です。(ただし、地図は現在のもの)

54-2南北戦争【移民史追加後】 - コピー

Wikipedia「カンザス州」[]と「ネブラスカ州」[]より引用、作成)

 
 ご覧いただくと分かるのですが、実はこの二つの準州はミズーリ協定で定められた北緯3630分線よりも北にある土地でした。つまり、カンザス=ネブラスカ法はミズーリ協定に従えば本来は自動的に自由州になるはずの土地において、奴隷制を認めるか否かを住民に選ばせる(奴隷州になる可能性がある)ことを認める法律に他なりませんでした。これに怒った北部自由州を中心とする奴隷制反対派によって、1854年に共和党が結成されました。その後、南部を中心とする民主党と、北部を中心とする共和党のあいだでは奴隷制をめぐる問題を中心に対立が続き、1860年の大統領選挙で共和党のリンカンが当選したことをきっかけに南北戦争(18611865)へと突入していくことになります。

 南北戦争を理解する上で、共和党は重要な要素であるために必ず教えられるのですが、「なぜ共和党が結成されたのか」については「カンザス=ネブラスカ法をきっかけに奴隷制をめぐる対立が高まったから」と通り一遍のことしか教えてくれない場合があります。ですがやはり、「そこにはどういう意味があるのか」を掘り下げて理解しておいた方が、ストーリーがはっきりしてより良く理解できるのではないかと思います。 

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【難関大】
・「ミズーリ協定(1820)」で、ミズーリは奴隷州

:アメリカ合衆国における、奴隷制をめぐる南北の対立の中で、1820年には「ミズーリ協定」が成立します。このミズーリ協定自体はある基準(北緯3630分)よりも北に新設される州を自由州、南に新設される州を奴隷州とするという内容です。これ自体はすっきりと分かりやすいものです。

 ところが、肝心のミズーリ州だけは、北緯3630分以北にあるにもかかわらず奴隷州とされました。このあたりのところが気づきにくいところなのですが、私大の正誤問題などでは時々出てくることがありますので注意が必要です。(ちなみに、ミズーリ州よりも東の地域で、北緯36度30分以北に奴隷州が存在するのは、これらが「ミズーリ協定」以前に存在した奴隷州だからです。)

 ミズーリ協定 - コピー

1849年ごろのアメリカ合衆国と北緯36度30分線
青は自由州赤は奴隷州(灰色部分は州に昇格していない地域)
Wikipedia「北緯3630分」より、一部改変)

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