世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

中学受験、大学受験(国立・私大とも)など数多くの受験をこなし、脱サラ後に西洋史を専攻、学費捻出のため塾講師や中高で世界史を担当しつつ、イギリスの大学院で歴史学のMSc(修士号)を取得、大学でも西洋史の講義を担当するなど西洋史を教える仕事に長年従事してきた管理人HANDが、受験世界史でポイントとなる部分を徹底解説!各校の過去問対策、受験対策のほか、世界史を理解する上で役に立つ視点や勉強法についての情報を随時更新していきます。

以下のような方はとくにオススメ!

・東大、一橋などの国公立や早稲田、慶応の受験を世界史で考えている。
・論述対策を進めたい。
・教科書やプリントだと不足している情報が多すぎて、背景にあるつながりが見えない。
・『詳説世界史』などを読むだけでは気づけない、専門的な歴史的視点を養いたい。
・世界史を覚えるのが苦手で、どうやって勉強したらよいのかわからない。
・世界史の教員になりたてだが、西洋史が専門ではないので少し突っ込んだ知見を知りたい。

※ 目標に向けて頑張る受験生の皆さんの一助になればと思って頑張って更新し、情報もチェックしておりますが、人間ですのでミスなどが出ることもあります。当サイトの情報をご利用の際はあくまでも自己責任でお願いいたします。

※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw また、大手予備校のHPからも閲覧できるかと思います。正規の問題が手元にあった方がわかりやすいと思います。


『世界史史料』1-12

歴史学研究会編 岩波書店


 5

 

 昨日、一橋の予想問題作成に利用したものがこちらです。歴史学研究会による編集で岩波書店から出されている『世界史史料』シリーズ。全部で12巻出ています。まだ全巻出ていないかと思ってamazon見てみたら全部出ているんですね。いつの間に…。12巻分の史料というと長大ですが、私はしょっちゅう必要になるもの(よく使うのは458-11でしょうか)だけ自分で買って手元に置いて、あとは必要な時だけ職員図書室に探しに行く、みたいな使い方をしています。いや、確かに図書室行けば置いてあるんですけどね。自室にもないと仕事にならんのですよ、実際w 

 

各巻のタイトルは以下の通りです。

1 古代オリエントと地中海世界

2 南アジア・イスラーム世界・アフリカ

3 東アジア・内陸アジア・東南アジアⅡ‐10世紀まで

4 東アジア・内陸アジア・東南アジアⅡ‐10-18世紀

5 ヨーロッパ世界の成立と膨張‐17世紀まで

6 ヨーロッパ近代社会の形成から帝国主義へ‐1819世紀

7 南北アメリカ‐先住民の世界から19世紀まで

8 帝国主義と各地の抵抗 Ⅰ

9 帝国主義と各地の抵抗 Ⅱ

  東アジア・内陸アジア・東南アジア・オセアニア

10 20世紀の世界Ⅰ‐二つの世界大戦

11 20世紀の世界Ⅱ‐第2次世界大戦後 冷戦と開発

12 21世紀の世界へ‐日本と世界 16世紀以後

 

こうした各巻のテーマに沿って、原史料や史料集から精選された史料が解説付きで載せられています。重箱の隅をつついたような史料ではなく、いわゆる「世界史」の流れに沿った史料が選ばれていますので史料問題作成の際にはそれなりに使えます。原史料となると、英語以外さっぱりな私にはラテン語とかアラビア語とか正直お手上げですが、この史料集はがっつり日本語訳ですので、そのあたりもとても助かりますw 歴史勉強してて心底欲しいと思ったアイテムはどこでもドアとほんやくこんにゃくです。また、本書は歴史好きな人には「こんな史料があるんだ」と眺めるだけでもそれなりに楽しめるものになっています。興味ない人には拷問かもしれませんが。

 

中身は、長くてもせいぜい2ページ分程度の基本史料の一部抜粋が掲載された上で、用語などについての注釈と、その史料の性格が解説されていますので、専門外であっても基本的な歴史的知識さえあれば何が書かれているかはすぐにわかります。ただ、内容的には高校生にはやはりすこし厳しいですね。少なくとも、受験勉強用の「世界史」を勉強したい人には向かないです。また、高校の学習内容をこえた余計な知識が入り込んでしまってかえって混乱してしまう可能性もあります。「アウクスブルクにおける不正経理の告発(同シリーズ5、pp.178-179)」に関する史料なんか高校生が見せられても多分困るだけですしw 

 

私どものように世界史を教えるなど、特殊な職業についている以外の人が持つとすれば、これは世界史を「勉強」するためではなくて世界史を「愛する」ために持つ本の類ですねw 上述の史料についての解説には「本史料は新大陸の[発見]や新しい商業航路の確立により、16世紀の国際商業が大規模に激変した時代をたくましく生き抜いた南ドイツの商人ルーカス・レームの手による日記の抜粋である。ここでは、そのルーカスが勤めていたヴェルザー商会の不正経理に嫌気がさし、退職を決めた経緯が書かれている」とありますが、こういうの読むだけで萌えちゃう💛みたいな人じゃないと買った後で後悔しますw でも、一つ一つの史料に目を通していくと、それまで無味乾燥としていて無機質だった分野の歴史が息づいてくるというか、細部に彩りが出てくるので私はこういうの好きですねぇ。

 


一橋大学「世界史」について、「今年(2017年)の予想問題はないのですか」というご質問がありました。すでにご質問にはお答えしておりますが、そちらでお答えした通り、作ってあるには作ってあるのですが、大人の事情により公開を自粛中ですw そういうわけで残念ながら問題を公開することはできないのですが、代わりに今年の予想問題を作成するにあたり、私が気を配った点についてご紹介しておこうかと思います。ただ、予想はあくまでも予想でして、正直なところ一橋の先生方が気まぐれで「よし、今年は猿人・原人祭りだ!」とか言ってアウストラロったりピテクスってしまったりした場合にはまったく意味をなしませんw 当たらないことの方が多いかもしれませんが、そこは気休めぐらいのつもりでご参考になればと思います。「余計な先入観を持ちたくない!」という方はむしろお読みにならずに飛ばしてください。

 

まず、私が今年の予想問題を作るとすれば、基本的には「史料読解をベースにした、例年の一橋の出題とは少し外れたものを作る」と思います。理由はいくつかあります。第一に、一橋を受験される方であればすでに本ブログでも公開しております「一橋の伝統的な出題範囲」についてはすでにふまえていて、ある程度の知識は入っているだろうと思われることです。こうした「伝統的な出題範囲」に関しては各種参考書もそれなりに東大や一橋など難関校で出題された内容を意識して作ってあると思いますし、過去問もありますから、こうしたものを日々練習してきた受験生の方にあらためて同じようなものを示す必要はない、というよりは、こちらが示すとすればむしろ優先すべきものは別にあると考えるからです。

 

これと関連しますが、二つ目の理由として、「近年の一橋はその範囲とは少しずれた出題をすることがあるので、受験生に対してはむしろそちらの補強をしてあげた方がよい」ということがあげられます。従来は中世であれば「神聖ローマ帝国とその周辺史」、近世~近現代であれば「フランス史」、「アメリカ史」、大問3のアジア史であれば「清朝建国期、清朝交易史、清朝末期の諸改革と混乱」、または「李朝末期以降の朝鮮史」とある程度その出題範囲を読むことができました(http://history-link-bottega.com/archives/5935036.html)が、近年は必ずしもこうした出題範囲に限定されず、より広い範囲からの出題がされています。(http://history-link-bottega.com/archives/5936916.html)こうしたことを考えますと、伝統的な基本路線は外すことなく、それをやや拡大していくのが予想問題を作成する際の基本姿勢となります。その際、一橋の研究者の専門分野に気を配っていることは同じく過去の記事ですでに述べました。

 

三つ目の理由は文句なしに「近年の一橋では史料読解型の設問がかなり出題されている」ということです。最先端(とまでいかなくても、わりと進んだ)の歴史学における成果を、生の史料や二次文献などの史資料から読み取れるようにして、ヒントとして受験生に示した上で、その読解をもとに歴史的知識・理解を整理させるスタイルの設問が非常に多く見受けられます。こうした設問は従来の一橋の設問とは明らかに一線を画すものですし、東大型の設問とも少し異なります(東大の設問は基本的には高校で学習する内容を逸脱するものではないように思います。要求されるレベルは高いですが)。そうした意味で、こうした史料読解問題に慣れていないであろう一橋受験生のために、この手の史料読解問題を作っておいた方がいいだろう、と思って今年の予想問題は作成しました。

 

ちなみに、この手の予想問題を作成するには史料が必要になりますが、教科書や資料集レベルに記載されている史料では分量・内容ともに物足りないですし、探すのに骨が折れます。そこで今回私が使用したのは、たとえば一橋2015年大問1でも出題された『フランク年代記』も掲載されております『世界史史料』(歴史学研究会編、岩波書店)シリーズです。この本については本ブログで簡単に紹介しています。(http://history-link-bottega.com/archives/11994047.html少なくとも高校生が目を通して参考になるようなものではありません。ただ、数多くの基本史料が掲載されておりますので学校の先生がちょっと気の利いた史料を使いたいなと思って調べるにはそれなりに重宝します。もちろん、歴史の専門書とか、ダイレクトに1次文献をあたることもできなくはないのですが、専門の分野で12題を作成するならともかく、広い範囲から複数題作るとなると正直なところ手間がかかりすぎますので、私の場合はまずこちらから史料をあたりました。

 

 以上のことを考えて、今年の一橋受験を準備する上で役に立ちそうなことを述べるとすれば以下の3点です。

 

1、伝統的な出題範囲の理解はしっかりとしておくこと。

2、史料読解や2次文献の内容把握ができる読解力をつけておくこと。

3、下に示すような分野など、穴になっている部分の詳細をまとめておくこと。

 

 上の3で言う「下に示すような分野」とは、一例を挙げれば以下のようになります。

 

(大問1)

:中世ヨーロッパ史の中でも、一連の流れを持っているもの、政治・経済・社会・文化など複数の要素が絡んでくるものなど(例:ビザンツ史 / 教会と各国君主の中央集権[またはその地域差] / イタリア都市 / 議会制の発達 / 大空位時代と金印勅書 / 宗教政策、宗教改革と各地への影響 など)

 

某予備校のオープンで出たロシア史とかも悪くないと思いますよ。少し素直すぎるかなという気はしましたが、東欧史をついてくるというのは一橋の基本だと思います。

 

(大問2)

:基本的には啓蒙の周辺。フランス史、アメリカ史で思想的な内容の絡むものは特に注意が必要。また、アメリカ史については現代史も含めて注意。その際、防共圏の設定など国際的な枠組みが作られるような動きについては特に注意を向けておく。(例:科学革命と啓蒙 / ドナウ帝国 / アメリカ独立戦争と啓蒙 / 大西洋革命 / 19世紀ラテンアメリカとヨーロッパ / 1819世紀プロイセン / ウィーン体制下の民族運動 / アイルランド併合と英議会制度 / 19世紀後半の社会主義・労働運動 / 19世紀トルコとパン=イスラーム / フィリピンの独立 / アメリカのカリブ・太平洋進出 / 冷戦 / 戦後のラテンアメリカ / 中東戦争とアラブ など)

 

(大問3)

:明末以降の中国史や李朝末期以降の朝鮮史がベースであることには変化はないが、それをさらに時代的に広げておく。また、地域的にもインド・ヴェトナム・フィリピン・チベットあたりには目を向けておく。(例:辛亥革命以降の中国の動向 / 国民党と共産党 / 土地改革~文革 / 中ソ対立 / 改革・開放 / 朝鮮保護国化 / 19世紀後半から戦後までのインド民族運動 / インドシナ戦争~ヴェトナム戦争 / 東南アジアの民族運動 / 戦後インドネシア / 中印国境紛争 など)

 

何度も繰り返しになりますが、上に示した分野というのは、一橋の受験に「出る」というよりは、「万が一出た場合に一橋用の勉強をしてきている受験生には穴になりかねない」部分で比較的狙われそうな一連の流れ・テーマを持っているものをピックアップしたものです。一橋の設問は付け焼刃の知識やヤマ張りでどうにかなる、という類のものではないということは、過去問を解いたことのある方ならすでにご存じのことと思います。ですから、これらの分野を集中してやり直すというより、まずは基本となる勉強をしっかりとした上で、余裕があればこうした脇道の部分にも目を通しておく、というくらいがよいのかなとおもいます。「HANDのいうことはあてにならん」というくらいの捉え方の方が正しいと思いますし、こちらとしても気が楽ですw 頑張って分析したり作ったりはしますが、人間のすることですから。

 

微力ではありますが、みなさんが目標を達成できることを心からお祈りして、できる限り細々と更新していきたいと思います。

今回は東京外国語大学の2016年「世界史」過去問解説を行いたいと思います。本当は

東京外語は先に問題傾向の分析から掲載したかったのですが、なにぶん、データの整理というのは時間と手間がとてもかかるのですよ(汗) 現在は私も受験直前の講習だわ、自分の学校の入試だわで正直データ整理を行っている暇がありません。

 

 それでも、なぜあえて東京外語の設問を取り上げようということになったかといいますと、外語の世界史解説は需要のわりにあまり正面からされていないということがひとつ。正直、外語は世界史よりも英語(外国語)ができるかどうかの勝負というところがありますのでね。そのせいか、あまり取り上げられることがないようです。でも、受験生にとっては、やはり不安の種。それまでに世界史に力を入れていないならなおさらです。そうした人の声に毎年応えたいと思いながらも、なかなか整理する時間が取れませんでしたのでこの機会に数年分くらいは整理しておきたいと思いました。

 

 二つ目の理由としては、外語の論述問題は近年しっかりと史料を読ませ、その情報分析を行わせた上で歴史的知識を整理させる良問が多いように感じていることです。外語の問題は個々の設問も理屈くさくて長い私の文章のようですが、それ以上に史料が長い!ざっと見た印象ですが、大問1の史料だけで50006000字くらいはあるのではないでしょうか。そういう点では毛並みは違うのですが、「史資料の情報を活用して解く」という点では、近年の一橋の設問と相通ずるところがあると思いますので、史料読解練習として使うのはアリかなと思います。(ただし、あくまでも「史料読解」の練習が目的です。外語は基本的に近現代史からの出題になりますし、一橋とは扱われるテーマの傾向もかなり違います。)

 

2016年 東京外国語大学「世界史」解説

■全体

・外語大の過去問は大学HPからたどりつける下記のページで紹介されています。

http://www.cybercollege.jp/tufs/index.php

 

ただし、表示するには同ページに表示されているパスワードが必要となりますので注意してください。(2017128日現在)

 

・構成としては、大問が二つあり、大問1に小問が89問、大問2に小問が7問というのが普通です。各大問には一つずつ論述問題があり、大問1の論述が400字、大問2の論述が100字というのが最近の傾向です。配点は2016年を例にとると以下のようになっています。

 

 大問160点)‐内訳:記述問題(5点×8+400字論述(20点)

 大問240点)‐内訳:記述問題(5点×6+100字論述(10点)

 

・外語の設問は上にも書きましたが、長いです。ただ、聞かれていることは単純で基本的な設問が多いと思います。具体的に示すと、以下のようになります。

 

(例:2016年大問1、問1

 下線部①に関連して[下線部①は「マラッカ市はアチェンから約150リュー(1リュー=約4km)離れています」]、この国際的な交易都市は、中国や琉球王国の貿易商人や西方からのムスリム商人が集散する海上貿易の拠点であり、文化発信の拠点でもあった。ポルトガル占領後にはフランシスコ・シャヴィエル[フランシスコ・ザビエル]がこの地を拠点にして布教活動をおこなっている。このマラッカが大きく発展した理由は、ポルトガルによる占領以前に明の保護下にはいり、北方で勢力を広げていた商業国家アユタヤと対抗できるようになったからである。マラッカを明の保護下に置くことで、永楽帝が企図したインド洋からアフリカに至る遠征を成功させた人物の名を答えなさい。5点)

 

とまぁ、このように長いです。ですが、結局この設問が聞いているのは波線を引いた部分で、「永楽帝の時にマラッカを保護下においてインド洋からアフリカに至った人物は誰ですか」という設問で、答えは「鄭和」ということになるのですが、正直なところ基本問題ですね。外語の小問はこの手の基本問題がほとんどです。ただ、外語の設問は史料とともに他の問題を解くヒントを隠していることもありますので、安易に読み飛ばさないようには注意してください。効率よく問題の要求を把握しつつ、必要な情報はしっかり拾って時間短縮につなげてください。

 

外語を受験する受験生の多くが外国語に力を入れ、歴史にはそこまで力を入れていないと考えると、論述でそこまでの差がつくかは疑問です。ですから、外語の世界史は論述よりもいかにこれらの基本的な記述問題を落とさないかが勝負の分かれ目になります。記述問題に限って言えば、少し気の利いた世界史解答者なら全問正解することも難しくはありません。仮に、記述問題を全て拾ったとすればそれだけで70点、論述が半分弱しか書けなかったとしても優に80点を超えてきます。一方、記述問題で3問(15点)取りこぼしたとすると、論述でよほど質の高い解答を用意できなければ80点を取ることは難しいでしょう。ですから、外語の世界史で高得点を狙うならば、まず基本の記述問題をしっかりとって、論述で並程度の無難な解答を仕上げることです。もちろん、論述も質が高ければいうことはありません。ただ、60分という試験時間と、設問の文章量を考えるとあまり論述の質にこだわりすぎるのも危険かもしれません。記述問題に無駄な時間をかける余裕は全くありませんね。時間配分には十分に気を付けて。

 

■記述問題概要

・次に、2016年の各記述問題を簡略化したものと、その解答を表にしたものを下に示しておきます。

 

 2016東京外語小問一覧

 

難しいのは大問2の問3でしょうか。アヘン戦争の講和条約(1842、南京条約)で開港されるのは広州・福州・厦門・寧波・上海の5港であり、香港はイギリスに割譲された土地です。一応、設問中には「彼(マンソン)が中国生活の最後の7年間を過ごしたある植民地都市で」と、この年がイギリスの植民地であることは示してあるのですが、さりげなさ過ぎてヒントとしてはパンチが弱いですし、マンソンのことを知っている受験生は皆無に近いでしょうから、この問題はほとんど解けなかったのではないでしょうか。また、同じく問5の野口英世はある意味では常識なのですが、いわゆる「受験勉強」の中ではあまり注目することのない人物かもしれません。でも「黄熱病で死んだ」ってありますので、何となくわかりそうではあります。外語の設問は決して難しくはないのですが、ちょっとしたさりげないヒントが問題を解くカギになることがありますので注意が必要ですね。

 

■論述問題解説

1 問8

(設問概要)

・史料A~C(『イエズス会士中国書簡集15』矢沢利彦編訳、平凡社、19701974年、一部改変)を示す。

・宣教師たちが清朝の皇帝や官僚から一定の信頼を得ていたこと、特に史料Cにおいて17世紀の終わりごろにある国と清朝との間でおこなわれた条約交渉に宣教師が清朝側の通訳として関与したことが語られていることを指摘する。

・以上を踏まえて、「この条約」が結ばれた背景とその内容について400字で説明せよ。

・その際、当時の両国(清と「ある国」)がおかれていた情勢、また史料中に登場する「モスコー人たちのツァー」、「皇帝」、「イエズス会士」のそれぞれの立場や意図をふまえよ。

・「モスコー人たちのツァー」の名、「皇帝」の名、この時締結された条約名を必ず使用せよ。

・「鄭成功」、「毛皮」の語を必ず使用し、これらの語を使用した箇所全てに下線を引け。

 

(史料)

・本設問で質の高い論述解答を用意するには、ある程度は史料読解を行うことが不可欠です。史料の全文は上に示した大学関連HPまたは赤本などでご覧いただくことにして、こちらでは説明の都合上、特に注意すべき部分のみを抜粋したいと思います。

 

[史料A:イエズス会の宣教師ド・プレマール師が国王の聴罪司祭である同会のド・ラ・シェーズ師にあてた書簡(1699217日)]

 

……北京朝廷のニュースについては( a )[答:ブーヴェ]師が広東に到着した後に受け取った書簡によって、皇帝はこれまでになかったほどご機嫌麗しくあらせられること、これまでになかったほど赫々たる栄誉に輝いておられること、これまでになかったほど臣下からたたえられていることを知りました。皇帝は大部隊を親率されて西韃靼にお出かけになり、500リュー四方に恐怖の念をお広げになり、彼の二つの国家[満蒙と中国本部]の中に残っていた唯一の敵手を打破されました。…(中略)…しかし、われわれに一層大きな喜びを与えておりますのは、この君主がこれまで以上にキリスト教に好意を示しておられることです。……

 

[史料C:イエズス会の宣教師ド・フォンタネー師が国王の聴罪司祭である同会のド・ラ・シェーズ師にあてた書簡(1703215日、浙江省舟山にて)]

 

(前段の内容:「モスコー人」が東進し、セランガ河を経て黒竜江にまで到ったのち、これらの河を確保するためにニプシュ、ヤクサなどの要塞を築いた)

 万里の長城と黒竜江との間にあるこの広大な地域全体を占している東韃靼人である皇帝の臣民たちは、自分たちが主人であることを主張していた土地にモスコー人が黒貂の猟を争いにやってきて、そこを占領するために築城したのを見て驚きました。…(中略)…双方から両国の境界を調整しようという提議がなされました。モスコー人たちのツァーは彼らの全権大使をニプシュに遣わしました。皇帝も大使とともに、通訳の役を勤めることになっているポルトガル人トメ・ペレイラ師とヂェルビヨン師を派遣されました。そして皇帝がこの両師に対して抱いている敬意をしめすために、両人に御自身の衣服のうちから二揃いを御下賜になり、二人が第二品の高官たちとともに坐することを望まれました。(中略)

 …モスコー人たちは横柄で、尊大な口をききました。中国人の方はまた自分たちが有力な軍隊を伴ってきており、黒竜江を遡航してやってくる東韃靼からの別軍の到来を待っていましたので、自分たちの方が強力であると信じていました。しかしながら彼らの意図は決して戦争することにあったのではありません。なぜならば彼らは西韃靼人がモスコー人と結びつきはしないか、それとも西韃靼人が中国に対してなんらかの陰謀をたくらんだ場合にモスコー人が彼らを助けはしないかと恐れていたからです。…(中略)…中国側全権たちは彼(ヂェルビヨン師)の言葉を聞いて喜び、モスコー人の陣営に赴いて、今司祭が言ったことと同じことを提議してくれと請いました。そして神は彼の企図を祝福なさったのでした。なぜならばモスコー人たちは司祭が彼らにはっきりと示したように、北京に毎年商売をしに来る自由は自分たちの期待できる最大の利益であるということを諒解しましたので、ヤクサを捨て、皇帝が提起した境界線を吞んだのでした。…(中略)…全権たちは二日後には署名し、両方の軍隊の先頭に立ち、天と地の真の主であるキリスト教徒たちの神を証人にして、この条約を守ることを誓いました。

 この和平は両宣教師に多大の名誉を与えました。…(中略)…しかし宣教師たちに一番の愛情を示した人は使節団の長である索額図(ソンゴト)公でありました。彼は自分を大変な窮地から脱却させてくれたことについて何度も礼を言い、とくに、もしあなたがたを喜ばす機会にぶつかったら、その時は自分をあてにしていいと述べたのでした。…彼は数年後、皇帝にキリスト教の自由を公然と請わなければならないと思われたときに、大変立派にこの約束を守ってくれたのでした。

 

(採点基準と解説)

・本設問で要求されていることを整理します。本設問で要求されていることは①史料中の条約が結ばれた背景を説明せよ。②史料中の条約の内容を説明せよ。③その際、当時の「両国(清と相手方の国)」が置かれていた情勢をふまえよ。④同じく、史料中に登場する「モスコー人たちのツァー」、「皇帝」、「イエズス会士」それぞれの立場をふまえよ。⑤「モスコー人たちのツァー」、「皇帝」の名と条約名を示せ。⑥「鄭成功」、「毛皮」の語を使用して下線を付せ、です。

 

・とっかかりになる部分は色々ありますが、最初に注目すべきは以下の点でしょう。

    史料Aの書簡が書かれた時期が1699年であり、当時の清朝の「皇帝」はイエズス会士に対して好意的にふるまっていたということ。

    史料Cの書簡が書かれた時期が1703年であり、当時の清朝は「モスコー人」との間に境界線を確定する条約を締結したということ。

    使用を指定されている語句に「鄭成功」があること。

以上の点から見て、清朝の「皇帝」は康熙帝、史料中の「条約」は「ネルチンスク条約」であることは明らかです。となれば、史料を読むだけではなかなかピンと来ない相手方の「モスコー人たちのツァー」はモスクワ人(ロシア人)たちのツァーリであるピョートル1世であることも読み取れると思います。

 

・ここまで読み取れればあとはもうネルチンスク条約の内容と条約締結の背景を書けばよいだけですね。ただ、注意すべき点としては、その際にピョートル1世・康熙帝・イエズス会士が当時どのような立場を有していたかをふまえなくてはいけない、というところです。まず、ネルチンスク条約の内容ですがこれは教科書通り「両国国境を外興安嶺(そとこうあんれい=スタノヴォイ山脈)とアルグン川の線にそって画定した、清にとって初めての外国との対等条約」であることを示せばよいでしょう。これにより、清は満州全域を確保し、ロシアの南下を阻止することになりました。また、ネルチンスクにおける通商貿易を行うことも決められましたが、このことは史料中からも読み取ることができます。

 

・ネルチンスク条約が締結された背景には以下のようなものがありました。

    康熙帝が三藩の乱や鄭氏台湾の抵抗を鎮圧することに注力した結果、北方の防備がおろそかになっていたこと。

    ピョートル1世の時代にはシベリア探検が進み、その結果アムール川(=黒竜江)周辺においてロシア側の商人が毛皮や金を奪うなどの活動を見せたことが清朝を刺激したこと。

ちなみに、女真が強大化した背景には貂の毛皮や朝鮮人参などの交易を握っていたことがあげられます。確認したわけではありませんが、明が北虜南倭に苦しむ中、北辺防備のために流れ込んだ銀による中国東北部の経済規模拡大なども有利に働いたのかもしれませんね。さらに蛇足ですが(でも私、交易品を理解するにはその「品」を理解してイメージするのが最重要だと思うんですよ)、貂ってこんな感じです。

800px-Martes_melampus-1
 Wikipedia


…可愛い。基本的には黒貂が最高級品とされたそうで、ロシアはこれを積極的に確保しに行きます。そのため、貂の毛皮はヨーロッパにも輸出されて王侯貴族のガウンなどにも使われていきます。

t02200421_0731140013358510098
 

ヘンリ8世のガウンの白い部分に使われているのがおそらくアーミン(=オコジョ・または白貂)だと思われます。本当は実物見せたかったのですが、現在の画像は商品だったりしますので使うのがはばかられるということと、過去の毛皮は…。ちょっと、ね。実はこの毛皮のアーミン文様のポツポツとある黒い部分は貂のシッポの部分でして。つまり、過去に作成された毛皮の中には本当に貂を丸ごとそのまま使っているのもあってちょっと可哀想な部分もありますので、控えました。もっとも、狩られてしまった時点でどんな使われ方をしようと可哀想なことには変わりないわけですが。昨日も貂ではないですがお肉食べましたし。あー、罪深い罪深い私。

 

・それでは、次に両国がおかれていた情勢についてですが、これはネルチンスク条約についての説明でほとんど終わっています。ただ、史料中からは教科書で通常学習する流れとは異なるもう一つの要素も見えてきます。史料Cの中には「しかしながら彼らの意図は決して戦争することにあったのではありません。なぜならば彼らは西韃靼人がモスコー人と結びつきはしないか、それとも西韃靼人が中国に対してなんらかの陰謀をたくらんだ場合にモスコー人が彼らを助けはしないかと恐れていたからです。」という部分が出てきます。つまり、当時の清朝はロシア人が「西韃靼人」と結びついて行動することを警戒していたわけです。そこで、この「西韃靼人」とは何かということが問題となります。史料と設問7にある記述(清朝は、漢人から見れば異民族[本文にある「東韃靼人」]の王朝であるという記述)から「東韃靼」は満州を指していることがわかります。ですから、「西韃靼人」も同じく中国北方の民族であることがわかりますので、当時の清朝周辺の状況と、ロシアと結びつくかもしれないという記述を考えれば、「西韃靼人」はジュンガル部のことであることが読み取れるはずです。実際、ジュンガルというのは明の時代に活躍したオイラート部族の末裔に当たる部族です。ちなみに、この「ジュンガル」は大問1の問4の答えにもなっています。このように、外語の設問では史料のみならず設問自体がヒントになっていることもありますので、もしわからないと感じることが出た場合には設問の方に読み落としがないかどうかを確認する必要があるでしょう。17世紀後半のジュンガルにはガルダン=ハンが現れてモンゴル高原のハルハ部に侵入し、康熙帝との間に争いを繰り広げることになります。

 

 ジュンガル帝国(ガルダン・ハーン)
(Wikipedia)

 

・最後に、ピョートル1世、康熙帝、イエズス会士の立場をそれぞれまとめておきましょう。

ピョートル1世(位:1682-1725

:ロシアの西欧化と近代化の必要性。領土拡大とシベリア進出。黒貂の毛皮を獲得することによる交易上の利益。

康熙帝(位1661-1722

:南方における三藩の乱[1673-81]と鄭氏台湾(1661-1683:鄭成功など)の鎮圧による北辺防備の再開と強化、北西部ジュンガルとの抗争とこれに対する警戒、イエズス会士の活用

イエズス会士

:中国における布教拡大のための皇帝や中国高官への接近

 

■解答

弱小国ロシアを強大化させるために西欧化と近代化を図る「モスコー人のツァー」、ピョートル1世は、黒貂の毛皮などの交易で得られる利益を確保するためシベリア進出を積極的に行い、アムール川周辺に出没してたびたび清朝と衝突した。三藩の乱と鄭成功をはじめとする台湾勢力の鎮圧により中国全土の統一を完成した清朝の「皇帝」康熙帝は、北辺防備を強化してロシア人と衝突したが、同時に当時抗争中のジュンガル部がロシア人と結びつくことを警戒した。康熙帝はイエズス会士を内政・技術両面で活用し、イエズス会士も中国における布教拡大のために皇帝や中国高官の厚意にすがる必要があった。康熙帝は、ロシアとジュンガルが協力することを防ぐためイエズス会士ペレイラ等を通訳として派遣し、ロシアとの間に清朝初の対等条約であるネルチンスク条約を締結して、両国国境をスタノヴォイ山脈とアルグン川を境として画定する代わりに、ロシアとの交易を認めた。(400字)

 

(おまけ)

 本設問で要求されている内容ではありませんが、設問中の史料からは典礼問題へとつながる様々な情報が読み取れます。史料中に見られる「索額図公(ソンゴト公)」はソンゴトゥ公のことで、清朝初期の重臣で幼少の康熙帝を補佐したソニンの子です。康熙帝の初期治世を支えて出世し、1689年には史料にもあるようにネルチンスク条約を締結しますが、後に康熙帝の後継問題でその意に背いたことが原因で失脚します。本史料中にはこのソンゴトゥが通訳の大役を果たしたペレイラ、ヂェルビヨン両イエズス会士に対して大変感謝をして支えになることを約束し、「数年後、皇帝にキリスト教の自由を公然と請わなければならないと思われたときに、大変立派にこの約束を守ってくれたのでした。」とあります。これはおそらく康熙帝の治世においてイエズス会士が布教を認めたことに口添えしたことを示しています。康熙帝の治世においては後に典礼問題が生じてキリスト教布教は禁止されます(1704)が、イエズス会士のみは布教を許されました。ただ、この際にはすでにソンゴトゥは大きな役割を果たしていないようです。彼が失脚するのは1701年のことであり、1703年には獄死しています。ですから、史料中にイエズス会・キリスト教のことが書いてあるからと言って、典礼問題には触れない方がよいでしょう。設問も論述ではこの点について特に要求していません。

 典礼問題について書きましたのでついでに述べておきますと、雍正帝の時にはイエズス会も含めたカトリック布教が禁止されます(1724)。この背景には雍正帝の対立候補をイエズス会が支持したという後継問題が絡んでいたという話がありますが、出典がどこか忘れてしまいました(汗)。何で読んだんだっけ。ことの真偽はともかくとして、エピソードとしてでも入れておくと、なぜ突然雍正帝の時代にイエズス会が禁止されるのかとか、イエズス会が当時の清朝の内政にまで深くかかわっていた様子などがイメージしやすくなって便利ではあります。また、キリスト教全てが清朝において禁止されたわけではないことには注意が必要です。カトリック禁令も布教の禁止であって日本におけるほど厳しい禁令ではありませんし、中国には古来から伝わってきたヨーロッパにおける異端のキリスト教も伝わっています。また、1727年のキャフタ条約では、「北京における会同館を専用のオロス館(ロシア館)とし、正教会の設置と、聖職者および語学研究の留学生滞在を認める」とする条項が定められています。

 

2 問62

(設問概要)

・東南アジアにおいては、ヨーロッパの利潤追求の在り方に大航海時代と19世紀ごろとで変化がみられるが、その変化の経緯を100字以内で説明しなさい。

・指定語句として「東インド会社」、「香辛料」、「ゴム」、「スズ」を使用して、用いた箇所すべてに下線を付せ。

 

(解説)

・ここで要求されているのは結局以下の差異について述べろ、ということです。

 

大航海時代=香辛料貿易を主とする通商による利潤追求

19世紀以降=植民地経営による利潤追求

 

指定語句として東インド会社なども見られますので、ここでは大航海時代においては東インド会社を設立した英や蘭が当初香辛料交易を中心とする通商利潤を追い求めていたのに対し、19世紀には胡椒価格の暴落などの要因から旨味をうしなった香辛料交易ではなく、むしろ「ゴム」や「コーヒー」、「サトウキビ」、「藍」などのプランテーション経営や「スズ」などの鉱山開発を進める植民地経営による利潤追求に姿勢を変化させたことを示せばよいでしょう。ちなみに、「コーヒー」、「サトウキビ」、「藍」はオランダによるジャワ島をはじめとする後のオランダ領東インド経営でよく言及される作物であり、「ゴム」と「スズ」はイギリスのマレー半島の領域支配下(海峡植民地からマレー連合州成立の過程)で言及されることが多いものです。

最近、外語に限らず他の大学でも、こうしたアジアやアメリカなどの諸地域との関わり合いについて、地域だけではなく時代による変化や違いに注目させる設問が増えています。難関国公立・私立を目指すのであれば、単純にアメリカと言えば鉱山開発、のような発想ではなく、いつ・どこで・どこが、「金・銀」、「砂糖」、「綿花」、「コーヒー」などを利益追求の手段として追求し、その背景には何があるのか、などをつかむ意識を早くから持っておくと良いのではないかと思います。

↑このページのトップヘ