世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

中学受験、大学受験(国立・私大とも)など数多くの受験をこなし、脱サラ後に西洋史を専攻、学費捻出のため塾講師や中高で世界史を担当しつつ、イギリスの大学院で歴史学のMSc(修士号)を取得、大学でも西洋史の講義を担当するなど西洋史を教える仕事に長年従事してきた管理人HANDが、受験世界史でポイントとなる部分を徹底解説!各校の過去問対策、受験対策のほか、世界史を理解する上で役に立つ視点や勉強法についての情報を随時更新していきます。

以下のような方はとくにオススメ!

・東大、一橋などの国公立や早稲田、慶応の受験を世界史で考えている。
・論述対策を進めたい。
・教科書やプリントだと不足している情報が多すぎて、背景にあるつながりが見えない。
・『詳説世界史』などを読むだけでは気づけない、専門的な歴史的視点を養いたい。
・世界史を覚えるのが苦手で、どうやって勉強したらよいのかわからない。
・世界史の教員になりたてだが、西洋史が専門ではないので少し突っ込んだ知見を知りたい。

※ 目標に向けて頑張る受験生の皆さんの一助になればと思って頑張って更新し、情報もチェックしておりますが、人間ですのでミスなどが出ることもあります。当サイトの情報をご利用の際はあくまでも自己責任でお願いいたします。

※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw また、大手予備校のHPからも閲覧できるかと思います。正規の問題が手元にあった方がわかりやすいと思います。


 先日、Cannadine’Ornamentalism’についてのお話をしましたので、今回はいわゆる「想像の共同体(Imagined Community)」についてのお話をしたいと思います。歴史学の世界ではこれもずいぶん以前に提示されたものでありながら、依然としてその価値を失わず、様々な分野の研究にインスピレーションを与えている概念です。今では、大学生くらいなら普通にご存じなのでしょうが、高校生くらいだと「ほにゃ?」となる概念なのかなぁと思います。1983年にベネディクト・アンダーソンが出した『想像の共同体』がこれについて語る代表的な著作ですが、「国民」や「ナショナリズム」が人々の想像による産物であるという考え方自体は、これ以前にもアーネスト・ゲルナーなどによっても指摘されています。今回は、この「想像の共同体」がどういったもの(または概念)であるのかということと、それがどのようにネイションまたはナショナリズム等と関係しているのかということについてご紹介したいと思います。

 

1、「想像の共同体」とは何か

想像の共同体とは、アンダーソンがそれまでの研究では十分に検証されていないと感じていた「ナショナリズム」が成立した背景を考察するにあたり考え出した概念です。要は、ネイションとは人々が心の中で想像することによって初めて成立した政治的共同体である、とする考え方です。アンダーソン自身は、これをその著作の序文で「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体(Imagined Political Community)である」としています。(ベネディクト=アンダーソン著、白石隆・白石さや訳『定本 想像の共同体:ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山、2007年)

 

2、一定の規模を持った共同体の被想像性

 アンダーソンは、同じく同書序文の中で「原初的な村落より大きいすべての共同体は(そして本当はおそらく、そうした原初的村落ですら)想像されたものなのである。」と述べます。これは、アンダーソン自身が述べているように、本質的にはゲルナーが述べた「ナショナリズムは国民の自意識の覚醒ではない。ナショナリズムは、もともと存在していないところに国民を発明することだ」という論と同じものです。

 すこし分かりづらいかと思いますので説明しますと、ある町、ある地方、ある国といった「共同体」が存在するときに、そこに所属するある人物は、「同じ共同体」に所属する全ての人を見知っているわけではありません。また、彼らがどのような人物で、どのように物を考え、どのような社会背景を持っているかも知らない人々が大半のはずです。そもそも、「同じ」町、「同じ」地方、「同じ」国といった場合に、その境界や内容というものは多くの場合曖昧なことが多いです。にもかかわらず、人間は自分と同じ町、同じ地方、同じ国に住んでいる人々が「同じ共同体」に属していると「想像」し、場合によっては自分と類似した属性を持っていると「想像」します。このように、実際には実体として存在していないにも関わらず、人々が「想像」することによって「創られた」共同体をアンダーソンは「想像の共同体」と呼んでいるわけです。

ゲルナーは上述の通り「ナショナリズムは国民の自意識の覚醒ではない。」と述べたわけですが、仮に、ナショナリズムが「国民の自意識の覚醒」であったとした場合、そこには自意識を覚醒させる主体としての「国民」がすでに前提として存在していなければなりません。はじめから存在している「国民」が「あ、そうか、自分たちは○○人なんだ」と気付くのであればそれは「国民の自意識の覚醒」ということになります。ですが、そうではないのですね。そもそもそこにははじめから「国民」は存在していないのであって、存在していない主体が「覚醒」をすることはできません。ですから、ナショナリズムが生まれるときには、もともと存在していなかった「国民」を「発明」するところから始めなくてはいけません。こうした点において、アンダーソンの「想像の共同体」とゲルナーの意見は同一の内容を示していると言えるわけです。

 

3、「国民」が想像されるときの3つの特性

 アンダーソンは、以上の議論を展開した上で、人々によって想像された「国民」には以下の3つの特性があると主張します。

 

    国民は限られたものとして想像される。

:どれほど大きな共同体であっても、共同体である以上は必然的に「自己」と「他者」を区別する性質を持つ、ということです。「自分の町」と「別の町」、「自分の国」と「他の国」という形で。

 

    国民は主権的なものとして想像される。

:アンダーソンは、この理由を「国民」という意識が形成された時期が、「啓蒙主義と革命が神授のヒエラルキー的王朝秩序の正当性を破壊した時代」であったことに帰しています。「主権」とは「他国の意思に左右されず、自らの意思で国民および領土を統治する権利」のことです。つまり、「神」や「王権」という価値観が揺らぎ始めた時期に生じた「国民」はその性質として他者から自由であることを追求し、その結果「国民」はみずからのことをみずからで決定することを当然とする性質を有することになります。

 

    国民は一つの共同体として想像される。

:仮に、実体としての集団の内部に搾取や不平等などが存在していたとしても、同一の「国民」は「常に、水平的な深い同士愛」として想像される。

 

このような特性を考えれば、ナショナリズムが歴史の中で果たした役割やそれが持つ傾向をよりよく理解し、把握することが可能になります。ナショナリズムはなぜ、自分とは異なる「他者」と敵対する傾向を持ったのか。また、国民国家が形成された19世紀から20世紀にかけて、国家の中において「国民」と見なされなかったマイノリティがなぜ排斥されたのかといったことを、です。

 

さて、アンダーソンの『想像の共同体』では、彼のいう想像の共同体がどのようにして形成されたのかが、その起源について考察するところから始まり、事細かに描かれ、さらに「公定ナショナリズム」‐この著作では「国民と王朝帝国の意図的合同」と表現されていますが‐と帝国主義の関係など、様々な側面について考察が深められていきます。本当は、そうした部分をじっくり読み進めていくことが一番面白いのですが、ここでそれをやっているとキリがないですし、高校世界史で理解すべき内容よりはるか先までいってしまうので控えておきます。ただ、アンダーソンが提示するこの「公定ナショナリズム」、つまり領域の支配者によって意図的に誘導・形成されるナショナリズムという考え方は面白いですし、いろいろなことに応用がききますよね。彼は一つの例としてハプスブルク帝国を例にとっていますが(※彼はこの中で、ハプスブルク家をはじめとするヨーロッパの多くの君主の正統性が「国民的なること[ナショナルネス]」とは無縁のことであったことから、19世紀に国民主義[ナショナリズム]運動が高揚してその支配領域が分裂の危機に瀕したときに、権力を維持するため意図的に「普遍・帝国的な要素」と「特殊・国民的な要素」の統合を図ったとしています)、こうした要素はハプスブルク帝国と同じく複合民族国家であったオスマン帝国末期のアブデュル=ハミト2世が展開したパン=イスラーム主義にも共通の要素を見て取ることができます。続く文章は、岩波の『世界史史料』の中にある、アブデュル=ハミト2世が書いた『政治的回顧録』の中でスンナ派とシーア派について書かれているくだりです。

 

イスラーム主義の本質を考えるとき、われわれは結束を強化すべきである。中国、インド、アフリカの中央部をはじめ、全世界のムスリムたちはお互いに密接な関係になることに有効性がある。このような時に、イランとの相互理解がなされていない事態は残念なことである。それゆえ、ロシアおよび英国にもてあそばれないように、イランはわれわれに接近することが重要である。

わがユルドゥズ宮殿で知識ある人として高名なセイド=ジェマレッディンは「スンナ派とシーア派は、誠実さを示すことによって統一は可能である」と私に進言して希望を持たせてくれた。もしこの言葉が実現すればイスラーム主義にとって崇高な状態をもたらすだろう。

 

アブデュル=ハミト2世はミドハト憲法停止後、自身が専制政治を展開していく中で、その権力の維持と帝国の統一性を保つ拠り所としてパン=イスラーム主義を利用しようとするわけですね。彼がアフガーニーをイスタンブルへ招聘するのはこのような文脈の中で理解することができます。また、パン=イスラミズムが皇帝専制の道具として利用されていると喝破したからこそ、トルコの改革派はパン=イスラミズムに見切りをつけてむしろパン=トルコ主義などへと傾斜していくことになるわけです。このあたりのテーマは、トルコの政治的変遷と結びつけてもよし、イスラームの改革運動と結びつけてもよし、非常に奥深い部分ですよね。

 

 Sultan_Abdul_Hamid_II_of_the_Ottoman_Empire

“Le_Rire”,_Number_134,_May_29,_Paris,_1897
アブデュル=ハミト2世の写真と、『ル=リール』誌に描かれたアブデュル=ハミト2

Wikipedia

 

 いずれにしても、アンダーソンが提示した「想像の共同体」論のように、これまで実体があるかのように語られてきたものには、実は実体のない(かといって現実世界に影響を及ぼさないということではなく、むしろ大きな影響力を持ちうる)、創られた存在や概念というものがあるのではないか、という議論はここ数十年ほど歴史学会が関心を向けてきたテーマでもあります。同じような議論として、ホブズボームの『創られた伝統』などがありますし、以前ちらっとお話ししたキャナダインの『オーナメンタリズム』も「想像の共同体」論の延長線上にありますね。もちろん、これらの話は直接大学の世界史受験に出題されるような内容のものではありませんが、これらの著作で示されている歴史の見方や考え方を理解すると、東大をはじめとする難関校がなぜテーマの一つとしてナショナリズムや民族意識という側面を重視するのかということを知る一助になるかと思います。
 

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慶応大学経済学部「世界史」2017年(解答とポイント)

 

 体調を崩してしまいまして更新が遅れてしまいましたが、慶応の経済学部の解答とポイントが用意できました。慶応経済は毎度のことながら解きごたえのある良い問題を作りますね…。ただ、今回はグラフや数表の読み取りよりも史料問題の方に秀逸な問題が多かったように思います。問題は各予備校からDLできると思いますので、そちらを参照して下さい。(慶応の問題概要を示すと、問題の比重が大きくなりすぎて、解き方や考え方を示すという趣旨から外れると判断しましたので割愛します。) 

 一度に表を載せると長くなりすぎますので、5題ずつ紹介します。(表の見方はこれまでと同じく、水色:基本問題、白:標準問題、ピンク:やや難、黄色:難しい、としていますが、これも完全に私の主観です)

 

(問1~問5)


 解答のみ1-5


・問2

 慶応の論述では与えられた解答欄に従って論述するというスタイルがとられています。ですから、問題を見ただけでは何字程度なのか判断ができませんが、予備校の解答を見る限りでは問2については100字程度かと思われます。

問2の論述は基本的なものでしたが、二つの点から注意が必要かと思います。

・通常、指定語一つにつき何か追加情報をつければそれは加点要素になることが多いのですが、この設問ではむしろ指定語同士が密接に関係しているので、単純に追加情報を足しただけでは加点されない可能性があります。(指定語は正統主義、1848革命、ナショナリズム、ナポレオン、ロシア)

・設問の設定がアバウトな上に、指定語だけ見ると1815年前後から1848年までがすっぽり抜けている印象がありますので、そこをどう処理するかが問題になると思います。

 

以上のことから私が最初にまとめるとすれば以下のような内容だと思います。

 

・ナポレオンによりヨーロッパ各地にフランス革命の自由・平等という理念が広まったこと

・ナポレオン支配の中で、各地にナショナリズムが高揚したこと

・ナポレオン没落後のウィーン体制では正統主義・勢力均衡といった原則が確認されたこと

・正統主義の内容=フランス革命以前の反動的な国際秩序に戻り、フランスではブルボン朝がルイ18世のもとで復活したこと。

・ウィーン体制成立後まもなく、各地でナショナリズム・自由主義に基づいた運動がたかまり、これを体制側が四国同盟を中心に抑圧したこと。

・上記の運動を積極的に弾圧したロシアがヨーロッパの憲兵と呼ばれたこと。

・一方で、イギリスの四国同盟からの離脱などにより、ウィーン体制にほころびが見られたこと。

・最終的には1848年革命によってフランスで共和政が成立し、オーストリアではメッテルニヒが亡命したことによってウィーン体制が崩壊したこと。

 

指定語を意識しながらさっとまとめた内容が以上のようになります。これらの内容を出してみた上で本設問を解くポイントだなと感じるのは以下の通りです。

    基本は正統主義が覆されるまでの過程を描く。

:つまり、勢力均衡より、正統主義に焦点を当てた方がよさそうだということです。見方によっては勢力均衡が完全に崩れたクリミア戦争をもってウィーン体制の完全な終焉とする場合もあるにはあるのですが、指定後を見る限りではそうした視点は要求されていません。やはり、ウィーン体制で成立した反動的体制が自由主義・ナショナリズムの動きから覆ったという路線が本筋でしょう。ですから、1848年革命をウィーン体制の終焉とし、この扱いをナショナリズムと結びつけると字数的には処理がうまくいきます。

    ロシアの使い方

:そうすると、ロシアの役割もウィーン体制の守り手としての役割がクローズアップされます。だとすれば、ロシアについては実質的な役割を果たさなかった神聖同盟について言及するよりも「ヨーロッパの憲兵」としてのロシアの方が重要度は上でしょう。

    1820年代、1830年代をどう埋めるか

:ウィーン体制崩壊の「経緯」(設問通り)というわけですから、いきなり結果というよりも途中経過ある方が良いと思うのですが、結局このあたりはナショナリズム・自由主義の抑圧や、強国の出現防止などで埋めるしかないですね…。

 

解答例については、代ゼミのものしかまだ見ていませんがよくできていると思います。

 

(問6~問10) 


 解答のみ6-10


  

(問11~問15)


 解答のみ11-15


・問13

 この設問は難しいですね。カンボジアの歴史的展開をきちんと覚えている人は慶応経済の受験生でも少数派ではないでしょうか。しかも、その中でのシハヌークの立ち位置というのはかなり微妙(一時期ポル=ポトに担がれて実権のない国家元首にすえられたりしています)ですので、書くのはなかなか難しい。

 

ざっとあげるとすれば、

・米の支援を受けたロン=ノル政権によるシハヌーク追放

・赤色クメール(クメール=ルージュ)と結びついたシハヌークの反撃

・ロン=ノル政権の打倒と中国の支援を受けたポル=ポト政権の樹立、民主カンプチア建国

・ポル=ポトの極端な共産主義政策

・ベトナムの介入によるポル=ポト政権打倒とヘン=サムリン政権樹立

・中越戦争(1979

・反ベトナムでまとまった三派連合とヘン=サムリン政権との内戦(1980s

・パリ和平協定(1991

UNTACによる活動(1992

・カンボジア王国の成立とシハヌークの即位(1993

 

こうした流れでしょうか。この流れを150字でまとめるだけですから、作業としては問2よりも難しくないのですが、内容をひねり出すのが大変ですね。また、設問の「内戦の経緯」について書きなさいという指定も難しい。権力や新しく成立する国の変遷と、それらがどのような勢力と結びついていたかを示す必要があると思います。150字程度で書くにはなかなかハードルが高いですね。

 

(問16~問20)


解答のみ16-20
 

・問17(2)‐C

 この設問もエグイですね。天津条約中で開港されている10港すべてを覚えている人はそうはいないと思います。ただ、実は設問自体にかなりのヒントも含まれています。それは「(X)上流では」という史料中の言葉です。この言葉に従えば、(C)の港は川の上流ということになりますので、5678のほぼ4択ですw

 また、イギリスの勢力圏が長江流域であるということはそう難しい知識ではないと思いますので、これを合わせて長江上流の港ということになれば、58しかありません。ここまでくれば、天津条約で開港された港の中に「漢口」があったと思い出す人がそれなりの数はいるかもしれません。条約の内容を微に入り細を穿つように覚えているかどうかということではなく、視覚的な理解と、史料中から読み取れる情報を整理する総合力が要求される問題かと思います。

 

全体的には、テーマに多少偏りがあるものの、よく練られた良問だと思います。でも、相変わらず難しいですねw

 

早稲田大学文化構想学部「世界史」2017年:解答とポイント

 

 (記事に誤りがありましたので、訂正いたしました。[2017.2.16、訂正箇所:大問Ⅰ、設問1] ご指摘ありがとうございました!)

 次々に出てきましたので、とりあえず早稲田の文構について解いてみました。理屈は抜きにして大問ごとの表をお見せした上で、注意すべき点と萌えた点について述べていきたいと思います。色分けは同志社の時と同じく、水色:基本問題、白:標準問題、ピンク:やや難、黄色:難しい、としています。問題文自体は各予備校HPなどからDL可能ですので、そちらをご参照ください。(早稲田の問題については、問題概要を示すとその比重が大きくなりすぎ、「解き方」や「考え方」を示すという趣旨から外れると判断しましたので割愛します)

 

(大問Ⅰ・Ⅱ)

解答のみ1・2
 

 やっちゃいましたね。初っ端から飛ばしてしまいましたよ。いきなり第一問からミスってしまいました(汗) 最初この「ハンムラビ法典碑には( A )神を崇拝するハンムラビ王の姿」が描かれているとあるAには「太陽神シャマシュ」から「シャマシュ神」が入るものだと思って、ずいぶん難しい問題をだすものだなぁと思っていたのですが、お読みいただいている方からご指摘をいただいた通り、「インカ文明でも王は( A )の子と考えられていた」とありますので、( A )に入るのは「太陽」で良いのですね。すみません、昨日のうちにご覧いただいた方にはご迷惑をおかけしてしまいました。訂正いたします。(表の方も合わせて基本問題[水色]に訂正いたします)
 個人で急ぎで作っておりますので、他にももしかするとミス等あるかもしれませんが、ご容赦いただければと思います。基本「HANDは信用がならない。」とお考えいただいて、過度のご期待をされないくらいで丁度良いかと思いますw
 

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Wikipedia

 

ところで、問題に出てくるハンムラビ法典が上の写真です。この碑文が置かれていたのはバビロンのマルドゥク神殿(後に奪われるので発見地はスサです)なのですが、レリーフに描かれているのは正確には太陽神シャマシュです。授業では一応写真示しつつ名前も毎回伝えているのですが、さすがに覚えている人の方が少ないでしょうねぇ。

 

 大問1で難しいなと感じた問題は設問5の「天子」に関する問題ですね。引っかかって始皇帝選んでしまう人が続出しそうです。一応、用語集にはちゃんと出ています。周代の周公旦(武王の弟)あたりの思想から発展して使われるようになったようですが、当然そんなことを知っている人はいないでしょう。『詳説世界史研究』もどちらかというと話の流れを重視しますので、サッと見た限りでは触れていませんね。私は「ああ、西周かな」と何となく気づきましたが、それも勉強で気づいたというよりは最近読んでいる『達人伝』という戦国時代末期をテーマにしたマンガに周王朝の末裔が出てきて、それが「天子」呼ばわりされているから「ああ、そういえばw」みたいな形で気づきましたw
 

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©  欣太『達人伝』双葉社

 

ただ、難しいのはこの問だけで、あとの問題は早稲田としては基本問題でしょう。

 

(大問3・4)

解答のみ3・4
 

特に注意すべきものはありません。どちらかというと大問3のイスラーム史の方が難しかったかなという印象があります。誤文選択や正文選択は消去法で解こうとするとかえって難しいですね。むしろ、「あ、これだ!」といきなり確定させることができた方が簡単だと思います。ガザーリーがニザーミーヤ学院の教授職にあったというのなんかは有名な話ですし。ただ、カーディーは用語を書かせる問題としてはやや難しいでしょうか。
 

(大問5・6・7)

後半は手ごたえがありましたね。特に、大問の5はしっかりとした知識がないと正解にたどり着けない問題が多く、この設問でかなり差が付きそうです。正答を導くためのヒントは表の方に示しておきましたので参考にしてください。それに対して大問の6は地図を使っての出題の分、設問の内容自体は基礎的なものが多かったように感じました。

解答のみ5・6・7



 文化構想らしさが出たのは大問7ですね。

これは萌えますねw

 全然世界史の受験勉強とは関係のないところから問題を出してきましたw これは何ですか「受験勉強にばかり一生懸命で、他の世界に関心が向かない人間は文化構想では減点対象だー!」とでもいうつもりなんでしょうかw たしかにまぁ、西美(国立西洋美術館)は世界遺産登録されましたから、時事問題と言えば時事問題なんですけど、私みたいに世界遺産嫌い(全てというわけではなく、特に文化遺産については、何でもかんでも遺産だ保護だというのは嫌いですw 自然に時の中で朽ちていく美しさも含めて遺産だというのに)は一体どうしたらいいというのでしょうw

 ただ、それでも設問1~3については、少しでも美術に興味のある人にとってはある意味常識の範疇だと思います。文構目指そうという受験生であれば美術好きな人も多そうですし、案外解けるのではないでしょうか。難しいのは設問4ですね。これは知識では正直解けません。私も知りませんでした。でも、解けました。なぜか。

 実は、この設問文章の雰囲気と、提示された絵と、美術的な知識(ほんのちょっぴり)があればそれで判断できる設問になっているんですね。ある意味、国語的というか、美術的というか、総合的な問題です。

 

 まず、文章を見てみますと、マティスについては「絵画を現実世界の再現という伝統的役割から解放した」人物であり、「実際に見える色にとらわれない自由な色彩を用い」る作風であると書かれた上で、下の「赤の調和」という絵画が示されています。


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マティス「赤の調和」

 

こうした文章と絵を見た上で、選択肢を検討してみましょう。

 

ア:イスラーム美術の装飾性が認められる。

イ:フェルメールの細密な描写が指摘できる。

ウ:印象派風の室内風景

エ:ルネサンス絵画の遠近法

 

これらア~エから選ぶとすれば、私はやはりアを選びます。まず、イについて検討しますと、フェルメールの絵とは似ても似つきませんし、マティスの絵からは単純化された線の大胆さは感じますが「繊細さ」は感じません。フェルメールは以下の絵などです。


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フェルメール「真珠の耳飾りの少女」
 

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フェルメール「地理学者」

 
 また、ウについて考えますと、そもそもマティスは「絵画を現実世界の再現という伝統的役割から解放した」人物なのですから、「印象派風の室内風景」では何だか説明とあわない気がします。ついでに言えば印象派って光を大切にしますから戸外制作多いんですよね。下は印象派のひとりルノアールの「二人の姉妹」です。


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ルノアール「二人の姉妹」

 

 さらに、エについてですが、うーん、遠近法って感じではないですよねぇ。下はマサッチオの「貢の銭」ですが、初期のルネサンス遠近法を取り入れた代表作です。


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マサッチオ「貢の銭」

 

とまぁ、こんな感じで文章と絵画の雰囲気を検討していくんです。そうすると、「ああ、多分これは当てはまらないな」という形で消去できる選択肢が出てくる、という形でも解けます。知識がなくても正解にたどり着ける問題の好例ですね。

 同じように、図2のピカソの絵も検討してみましょう。下がピカソの「アビニヨンの娘たち」です。


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ピカソ「アビニヨンの娘たち」

選択肢は以下の通りです。

 

ア:アフリカ美術の影響が認められる。

イ:レンブラントの明暗法が指摘できる。

ウ:ギリシャ彫刻を思わせる人物像が見出せる。

エ:バロック美術の空間処理が見出せる。

 

…アやな。アやw まず、レンブラントは違う。レンブラントと言えば代表作は「夜警」ですが、下の絵です。全然似てませんw


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レンブラント「夜警」

 

次に、ウについてですが、ギリシャ彫刻のような均整の取れた人物像とはかけ離れた姿をしています。最後にエですが、バロック美術はルネサンスと比べて調和・均衡が破れたとはいえ、まだまだ構図はしっかりとしています。上に出てきたレンブラントもバロックの人ですよ。

 ということで、総合すればやはりアが答えになるということです。「知識がないからできない」ではなく設問のヒントをじっくりと検討すると解ける場合もあるということには注意しておいた方がイザというときに道を開いてくれたりします。あきらめないって大切です。

 

 それにしても、答え出す時間、代ゼミに負けちゃいましたね…。昨夜のうちには解いてあったのですが、ブログに載せる体裁を整えているとさすがに時間かかっちゃいますねw

 

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