慶応大学経済学部「世界史」2017年(解答とポイント)

 

 体調を崩してしまいまして更新が遅れてしまいましたが、慶応の経済学部の解答とポイントが用意できました。慶応経済は毎度のことながら解きごたえのある良い問題を作りますね…。ただ、今回はグラフや数表の読み取りよりも史料問題の方に秀逸な問題が多かったように思います。問題は各予備校からDLできると思いますので、そちらを参照して下さい。(慶応の問題概要を示すと、問題の比重が大きくなりすぎて、解き方や考え方を示すという趣旨から外れると判断しましたので割愛します。) 

 一度に表を載せると長くなりすぎますので、5題ずつ紹介します。(表の見方はこれまでと同じく、水色:基本問題、白:標準問題、ピンク:やや難、黄色:難しい、としていますが、これも完全に私の主観です)

 

(問1~問5)


 解答のみ1-5


・問2

 慶応の論述では与えられた解答欄に従って論述するというスタイルがとられています。ですから、問題を見ただけでは何字程度なのか判断ができませんが、予備校の解答を見る限りでは問2については100字程度かと思われます。

問2の論述は基本的なものでしたが、二つの点から注意が必要かと思います。

・通常、指定語一つにつき何か追加情報をつければそれは加点要素になることが多いのですが、この設問ではむしろ指定語同士が密接に関係しているので、単純に追加情報を足しただけでは加点されない可能性があります。(指定語は正統主義、1848革命、ナショナリズム、ナポレオン、ロシア)

・設問の設定がアバウトな上に、指定語だけ見ると1815年前後から1848年までがすっぽり抜けている印象がありますので、そこをどう処理するかが問題になると思います。

 

以上のことから私が最初にまとめるとすれば以下のような内容だと思います。

 

・ナポレオンによりヨーロッパ各地にフランス革命の自由・平等という理念が広まったこと

・ナポレオン支配の中で、各地にナショナリズムが高揚したこと

・ナポレオン没落後のウィーン体制では正統主義・勢力均衡といった原則が確認されたこと

・正統主義の内容=フランス革命以前の反動的な国際秩序に戻り、フランスではブルボン朝がルイ18世のもとで復活したこと。

・ウィーン体制成立後まもなく、各地でナショナリズム・自由主義に基づいた運動がたかまり、これを体制側が四国同盟を中心に抑圧したこと。

・上記の運動を積極的に弾圧したロシアがヨーロッパの憲兵と呼ばれたこと。

・一方で、イギリスの四国同盟からの離脱などにより、ウィーン体制にほころびが見られたこと。

・最終的には1848年革命によってフランスで共和政が成立し、オーストリアではメッテルニヒが亡命したことによってウィーン体制が崩壊したこと。

 

指定語を意識しながらさっとまとめた内容が以上のようになります。これらの内容を出してみた上で本設問を解くポイントだなと感じるのは以下の通りです。

    基本は正統主義が覆されるまでの過程を描く。

:つまり、勢力均衡より、正統主義に焦点を当てた方がよさそうだということです。見方によっては勢力均衡が完全に崩れたクリミア戦争をもってウィーン体制の完全な終焉とする場合もあるにはあるのですが、指定後を見る限りではそうした視点は要求されていません。やはり、ウィーン体制で成立した反動的体制が自由主義・ナショナリズムの動きから覆ったという路線が本筋でしょう。ですから、1848年革命をウィーン体制の終焉とし、この扱いをナショナリズムと結びつけると字数的には処理がうまくいきます。

    ロシアの使い方

:そうすると、ロシアの役割もウィーン体制の守り手としての役割がクローズアップされます。だとすれば、ロシアについては実質的な役割を果たさなかった神聖同盟について言及するよりも「ヨーロッパの憲兵」としてのロシアの方が重要度は上でしょう。

    1820年代、1830年代をどう埋めるか

:ウィーン体制崩壊の「経緯」(設問通り)というわけですから、いきなり結果というよりも途中経過ある方が良いと思うのですが、結局このあたりはナショナリズム・自由主義の抑圧や、強国の出現防止などで埋めるしかないですね…。

 

解答例については、代ゼミのものしかまだ見ていませんがよくできていると思います。

 

(問6~問10) 


 解答のみ6-10


  

(問11~問15)


 解答のみ11-15


・問13

 この設問は難しいですね。カンボジアの歴史的展開をきちんと覚えている人は慶応経済の受験生でも少数派ではないでしょうか。しかも、その中でのシハヌークの立ち位置というのはかなり微妙(一時期ポル=ポトに担がれて実権のない国家元首にすえられたりしています)ですので、書くのはなかなか難しい。

 

ざっとあげるとすれば、

・米の支援を受けたロン=ノル政権によるシハヌーク追放

・赤色クメール(クメール=ルージュ)と結びついたシハヌークの反撃

・ロン=ノル政権の打倒と中国の支援を受けたポル=ポト政権の樹立、民主カンプチア建国

・ポル=ポトの極端な共産主義政策

・ベトナムの介入によるポル=ポト政権打倒とヘン=サムリン政権樹立

・中越戦争(1979

・反ベトナムでまとまった三派連合とヘン=サムリン政権との内戦(1980s

・パリ和平協定(1991

UNTACによる活動(1992

・カンボジア王国の成立とシハヌークの即位(1993

 

こうした流れでしょうか。この流れを150字でまとめるだけですから、作業としては問2よりも難しくないのですが、内容をひねり出すのが大変ですね。また、設問の「内戦の経緯」について書きなさいという指定も難しい。権力や新しく成立する国の変遷と、それらがどのような勢力と結びついていたかを示す必要があると思います。150字程度で書くにはなかなかハードルが高いですね。

 

(問16~問20)


解答のみ16-20
 

・問17(2)‐C

 この設問もエグイですね。天津条約中で開港されている10港すべてを覚えている人はそうはいないと思います。ただ、実は設問自体にかなりのヒントも含まれています。それは「(X)上流では」という史料中の言葉です。この言葉に従えば、(C)の港は川の上流ということになりますので、5678のほぼ4択ですw

 また、イギリスの勢力圏が長江流域であるということはそう難しい知識ではないと思いますので、これを合わせて長江上流の港ということになれば、58しかありません。ここまでくれば、天津条約で開港された港の中に「漢口」があったと思い出す人がそれなりの数はいるかもしれません。条約の内容を微に入り細を穿つように覚えているかどうかということではなく、視覚的な理解と、史料中から読み取れる情報を整理する総合力が要求される問題かと思います。

 

全体的には、テーマに多少偏りがあるものの、よく練られた良問だと思います。でも、相変わらず難しいですねw