「リンク工房的独断と偏見で選ぶ歴史マンガ」始めますw

 

 過去問解説にも少々疲れましたし、受験もひと段落着きましたので、当ブログのコネタにたびたび登場する歴史マンガの紹介コーナーでも作ろうかと思いますw

あ、過去問紹介やテーマ史、問題集紹介もこれまでと同じくやっていきますw

 半分は個人的な楽しみのためですが、半分は真面目です。声を大にして言いたいのですが「マンガは歴史を勉強する上で馬鹿にしたもんじゃありません。」歴史を単に人から聞いた知識のままでとどめるのではなく、その血肉にするために必要なものは、何と言っても「ある時代、ある世界をどこまでイメージできるか」です。世界観を構築できないものに歴史観などというものが備わるはずがありません。優れた歴史家は、厳密な史料検証を行う前提があることはもちろんなのですけれども、史料の行間、空白、何気ない遺物の中からそれが書かれた、遺された時代に生きていた人々の感覚、思考、息吹に思いを馳せ、そこに近づこうとするものです。史料に書かれた字面だけを見て無機質な事柄しか抜き出せないのであればそんな作業はAIにでも任せておけばよろしい。

難しいですかね。具体的な例を挙げるとしましょう。これは私が世界史の授業を始めるときに必ず導入で行う話なのですが、みなさんには下の円は何色に見えますか?

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ほとんどの人は「緑」と答えると思います。ところが、下のようにするとそれまで迷いなく「緑」と答えていた人の何人かに迷いが生じます。

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こうなると、先ほどと全く同じ色であるにも関わらず、「青」と答える人が急増します。最初から2枚目の画像を見せた場合にはなおさらです。つまり、そこにある「事実(緑色の円がある)」自体は全く変化していないにも関わらず、それを受け止める人の文化的背景やある事実がどのようなシチュエーション、コンテクストのもとで存在するかによって、その事実の持つ「意味」は「緑」にも「青」にも変わるのです。

 同じように、史料に書かれた言葉、遺された遺物を、現代的な我々の感覚によってのみとらえても、それは決して本当の意味を伝えてくれませんし、どのような人が、いつ、どのようなシチュエーションで書いたのか、言ったのか、伝え聞いたのかを検証し、そこにこもる意味を類推し、とらえる必要があるのです。ですから、ものすごく単純な意味で「史料を読めば歴史がわかる」ともし考えている人がいるとすれば、それは入り口から出直すべきです。

 このことは、別に歴史的な事柄に限ったことではありません。例えば、あなたの机に「大っ嫌い」という走り書きが残されていたとしましょう。さて、この走り書きを残したのは誰か、どのような状況下で残されたのかによって色々と意味が変わってきます。

 

・あなたがいじめられていて、学校の下駄箱に無造作につっこまれていたとすれば

 →字面以上に悪意が込められているかもしれません。

 (ちなみにHANDは下駄箱に画鋲とか日常茶飯事だったのでグーしたくなります)

・あなたがお母さんで、残したのがさっきキツク𠮟った息子だとすれば

 →怒り、または後悔などがあるでしょうが、心の底から嫌いでしょうか?

・あなたがしばらく外国に行くことを聞いた仲の良い恋人だとすれば

 →愛情の裏返しかもしれません。

 

まぁ、全てこの通りだとは言いませんが、全てが同じ感情であるとはだれもおもわないでしょう。「大っ嫌い」と書いてあるからと言って、それが字面通りのことをしめすとは限らないのです。また、言葉それ自体が非常に曖昧なものだということもあります。ある人にとっての「高い」は他の人にとっての「低い」かもしれませんし、「赤」といっても「朱」もあれば「真紅」も「蘇芳」も「躑躅」も「梅重」もあるわけですよ。

 同じ時代ですらこれなのですから、何十年、何百年も時を隔てた歴史上の史料を読むにあたり、300年前のスコットランドのジャーナリストが「マジ、イングランドの連中むかつくよね」と書いていたからと言って、「あ、300年も前から今と同じようにスコットランド人はイングランドのこと嫌いなんだ、へー」と現代的な尺度でしか史料を読めないのであれば、少なくとも学問としての「歴史学」は向きません。

 もちろん、そんなことばかり言っていては、書いてあることをどこまで信じればいいのか、どのように読めばよいのか途方に暮れてしまいます。それを解決するために「実証・検証」という作業があるわけです。誰が書いたのか。いつ書いたのか。どのくらいの文書のどのくらいの部分か。前後の文脈は。当時の政治・経済・社会・文化的背景は。誰と仲が良く、誰と仲が悪いか。宗教的な信条は。他にも書いた手紙や著作はあるか。そこではどのようなことを書いているか。果ては、インクで書かれたか血で書かれたかまで、様々な要素を勘案していけば、最終的には類推に頼らざるを得ないわけですけれども、それでも何も知らないよりもはるかに確度の高い類推を行うことができるはずです。ですから、これは私の個人的な見解ですけれども「絶対に正しい歴史」というものはないと思います。歴史というのはその時代を生きた人、それを見出した人、それを読み解いた人の立場・文化的背景によって多かれ少なかれ変化するもので、絶対的な真理などとは対極にあるものだと思います。(もっとも、長い歴史の中で生起する数多くの事象の中からある種の普遍性や法則性を見出す可能性がない、とまでは言いません。)

 あ、いけませんね。だいぶ脱線してしまいました。


 話を元に戻しますが、歴史を本当の意味で自分のものとするにはイマジネーションが非常に重要なのです。ある事柄に対する本当の意味での理解へと近づくためには、ただ単語として、言葉として知っているだけでは不十分なのであって、地理的背景、文化的背景、政治・経済的背景…様々なものを「感覚」として理解していることが非常に重要になってきます。こうした理解を深めるうえで、マンガや小説、映画などは非常に有益だと思います。

もちろん、これらはフィクションであって、かならずしも正確なものではありません。知識をマンガや映画からだけ吸収しようと考えるとすれば、それは手ひどいしっぺ返しを食らうことになるでしょう。ですが、最近のマンガには地図などの情報も豊富に出てきますし、ものによっては歴史学者の監修が入っていたりもして、なかなか面白いものにしあがっているものも少なくありません。また、通常の歴史の勉強ではなかなか出会えない衣・食・住などのイメージも映像からですと素直に受け取れます。何といっても、こうした媒体を通して歴史を好きになる、興味がわく、このことが歴史学へと足を踏み入れるはじめの一歩となるのです。多くの歴史学者が、最初から歴史学という学問に興味を持って始めるわけではないと思います。彼らは、子どもの頃に伝え聞いた英雄の話、偉人の話、伝記、小説、物語、マンガ、映画、ドラマ…時代は違えどそういったものに大きな興味と関心、何と言っても好奇心、これらを刺激されて史料をチマチマ読むなどという地味な作業に没頭して、妄想しては一人ほくそ笑む根暗な人間になってしまったのですw 私が最初に手に取ったのはたしか小学校の頃で伊達政宗の伝記でした。当時大河ドラマで独眼竜政宗が放送されていたこともあって、すぐに歴史物の虜になりましたね。小説からマンガまで食い散らかしましたが、本格的に没頭したのは吉川英治の『太閤記』ですね。竹中半兵衛重治が稲葉山城をかっさらうところなんかはもう、(*´Д`)ハァハァ …なんで英語嫌いだったのに西洋史なんぞやってるんだろうw 

 

まぁ、くどくどとお話ししてまいりましたが、歴史マンガとか、ドラマとか、映画とかで気になったものを紹介するっていうことにも、まったく意味がないというわけではないのですよと。暇つぶし程度のお話をあげられたらなぁと思っています。何でこれやろうと思ったかというと、本が入りきらないからと新しく買った本棚があっという間に歴史系マンガによって浸食されてしまいましてw マンガの紹介だけじゃなくてそれについて軽く調べてみたことなんかも合わせてお話しできたらと思います。では。

【追記】
 探したら中古品だけどあったw 7円w 懐カシスw

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