世界史リンク工房

大学受験向け世界史情報ブログ

2016年09月

ブラマンテ、ブラマンテ、ブラマンテ。

いきなり何だ、と思われるかもしれませんが、まずは唱えてみてください。

ブラマンテ、ブラマンテ、ブラマンテ。

はい、皆さんご一緒に。

ブラマンテ、ブラマンテ、ブラマンテ。

 

 実は、これは私がはじめて世界史の授業を習った際に、当時世界史の先生であったO氏になんの前触れもなくふられたことと同じものです。当時、我々生徒(たしか高1だったと思う)の側はO氏とまったく面識がなく、入ってくるなリブラマンテを連呼する天パーのおっさんにたじろぎながらも最終的には唱えさせられたことを覚えています。

ブラマンテ、ブラマンテ、ブラマンテ。

「パルプンテみたいだ」と思っていた我々が3回唱えたのを見たO氏はその後しれっとのたまったものでした。

「はい、みなさんはこれで一生ブラマンテから逃れられません。ブラマンテはサン=ピエトロ大聖堂を設計した人です。」

そして、実際に私はブラマンテを一生忘れることができませんでした。ちなみに、O氏は現在某大学において人文学部長を務めておられる、ドイツ・スイス史の専門家です。西洋史学会でばったり出くわした時には「ちっ、してやられたぜ。」と思ったものです。

 

つまるところ、「暗記の極意とは?」と言われればこれにつきます。イメージ付けです。イメージ付けさえできれば「イクスペクトパトローナム」であろうが「モンキー=D=ルフィ」であろうが覚えることができます。私に言わせればワンピースの登場キャラが全部覚えられる人間がルイ14世を覚えることができないというのはそもそも原理的に不可能だと思います。よく「情報量が多くて…」という話を聞きますが、冷静に考えてみたときに『詳説世界史研究』一冊の情報量と、「ワンピース全巻+テニプリ全巻+暗殺教室全巻+…」と本棚に並んだマンガ本の情報量を比較すれば、いかに自分が的外れなことを言っているかに気が付くのではないでしょうか。

 

これはつまり、才能の問題ではありません。どれだけ「覚える対象のもの」と印象深い出会いをするか、ということなのです。ただ、世界史の場合にはそれがうまくいかないことが多いです。そもそも、印象付けがうまくいかないことが多いですし、何度も出会いたいと思う魅力も感じないかもしれません。実は、世界史は日本史と比べると個別の事柄の情報量が少ないです。ある人物が出てきたときに、その人物をイメージさせるエピソードなどが意外に示されていないのですね。様々な理由によって世界史を覚えること、暗記することを断念してしまうということもあるかもしれません。

 

そこで、この「世界史暗記法」では、どのようにすれば世界史の暗記を進めることができるのか、また覚えたものを混乱せずにしっかり定着させるにはどうすればよいのか、などについて思いついたことを書いていきたいと思います。正直、「何だ、そんなことか」と思うような内容もあるかもしれませんが、いくつかのことは実際に世界史の暗記に悩む生徒たちと向き合う中でマンツーマンで行ったところ、それなりの効果を得ているものです。うまくすれば、これまで1枚あたり1時間・2時間かけてもできなかった世界史プリントの暗記が2030分もあればできるようになってしまうかもしれません。何回かに分けて書いていくつもりなので、もし一つでも「あー、これは使えるかも」と思ったら試してみて下さい。

 

ところで、最初に私個人の見解として以下のことはお伝えておきたいと思います。

① マンガや小説、ドラマなどによるイメージ付けはそれなりに有効である。

② 語呂合わせは正直なところあまり有用性を見いだせない。

③ 効果的なのは「短期集中の反復」を「中長期マイルドな反復」で根付かせることである。

 

 まず、①についてですが、これはやはり「好きこそものの上手なれ」という部分が大きいです。ワンピースと同じ理屈ですが、好きなものは「ロロノア=ゾロ」だろうが「バーソロミュー=くま」だろうが覚えるものです。そもそも、「バーソロミュー=くま」を覚えている人間が「バーソロミュー=ディアス(バルトロメウ=ディアス)」を覚えられないというのはどんな現象でしょうか。好きなものは覚えるし、さらにそれが視覚効果として入ってくるものであればなおさらでしょう。

 

 ②については、たしかに私もこれにお世話になったことはありますし、役にも立ちました。ですが、やはりあらゆる年号を全て語呂合わせで覚えようというのには無理があると思います。個人的には「無理矢理くっつけた感」のある語呂合わせは気持ち悪くてかえって覚えにくかったものです。また、最近の出題の主流は、年号をダイレクトに聞くよりも出来事の生起した順に並べ替えるというもので、こちらのパターンの設問の方が多いです。こうしたことからも、語呂合わせはあまり過信せずに、必要最低限のものだけ知っていればいいのではないでしょうか。794うぐいす平安京とか、1492燃えるコロンブスとか。もちろん、好きで覚えられる人はどんどん使っていただいて構わないと思いますが。

 

 ③については別稿を設けて説明するつもりですが、暗記において効果的なのは「たくさんの情報量をたくさんの時間をかけて入れること」ではなく、「少しの情報を超短期で集中してインプットする作業を繰り返すこと」です。そして一度頭の中に入った知識(一夜漬けの知識)を中・長期にわたってマイルドに反復することによって、できるだけ入れた知識を「逃がさないように」してやると定着していきます。

 

 さて、なかなか本題に入れませんでしたが、ようやく本題です。今回ご紹介するのは「パターン化による印象付け」です。これは特に、複数のものを一度に覚えなくてはならないときや、複数の類似するものが混じってしまって混乱するときに効果を発揮する覚え方ですが、やり方は簡単で、要は以下の2点を意識することです。

 

  覚える順を常に一定にしておく

  特徴のある部分を自分で決めて、おさえる

 

これだけです。よくわからないとおもうので、具体的な例を紹介します。

(例1)戦国の七雄

これは以前に「あると便利なテーマ史⑤」でも紹介したものですが、戦国の七雄を覚える際には常に「斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙」の順で覚える、というものです。また、これらを斉(山東半島)から初めて東→南→西→北とぐるっとまわってから中央部を下から上に貫く、という意識で覚えておくと忘れないと思います。

戦国の七雄 - コピー


(例2)南朝4王朝(宋・斉・梁・陳)

これも全く同じで、ひたすら「そうせいりょうちん」と唱えることです。決して、「そう・せい・りょう・ちん」と区切ってはいけません。「そうせいりょうちん」と一つの塊にすることで自然にその順が出てくるようになります。ちなみに私は友達の「亮くん」を思い出しながら「そーせい、亮ちん」で覚えていました。

 

  (例3)五代十国の「五代(後梁・後唐・後晋・後漢・後周)」

      これも原理は同じなのですが、さすがにやりにくいので私ははじめから「後」をとってしまっていました。つまり「りょうとうしんかんしゅう(梁唐晋漢周)」と覚えておいて後から「後」をくっつけるという作業ですね。「りょうとうしんかんしゅう」というと、何となく勅撰和歌集的な語呂の良さも出てくるし、何より順番を間違えることはないので、この方がはるかに楽でした。こうした「一部分だけを取り出して並べる」という作業は他のところでも効果的なことがあるので思いついたら試してみてください。

 

(例4)ジェームズとチャールズが覚えられません…(泣)

応用編です。よくある受験生の悩みに「日本史は名前が違うから覚えられるのですが、世界史は1世とか2世とかなので意味が分かりません…」というものがあります。正直、私にとっては義義義義言っている日本史の方がよほど煩わしい。おまえはムツゴロウさんかとつっこみたくなります。ただ、イギリス、ステュアート朝の君主は確かに迷いやすいところではありますね。これも2点の特徴を抑えれば一発で解決です。

 

1、ジェームズ1世、2世と、チャールズ1世、2世がいる。

2、ジェームズにチャールズがはさまれている

 

以上です。これでもし順番を間違えるようならそれは世界史を覚える前にまず論理学を勉強するべきだと思いますw 1と2の約束を守れば

 

ジェームズ1

チャールズ1

チャールズ2

ジェームズ2

 

の順になるのは明白ですから、順番に迷うことはありません。ついでに、それぞれの国王について1点、2点でも特徴のある事柄を結びつけて覚えると良いでしょう。こんな風に。

 

ジェームズ1世(ステュアート朝の開祖)

チャールズ1世(権利の請願、ピューリタン革命)

[クロムウェルの独裁]

チャールズ2世(王政復古、審査法、人身保護法)

ジェームズ2世(名誉革命)

 

こうして、国王をベースに骨組みをつくってやれば、あとは少しの肉付けをしてやるだけで17世紀イギリス史をまとめていくことも可能になります。

 

(例5)ルイルイルイルイ…ムキー!(フランスの君主)

おそらく世界史の嫌いな受験生がもっともイラつくパートがこのルイルイパートです。たしかに、最終的に18世まで出てくるのでイラつく気持ちもわかりますが、世界史で登場する主要なルイルイはなんと5人しかいません。であれば、はじめからルイルイを抜き出して特徴をおさえておけばよいだけのことです。

      

      ルイ9世(聖王、第6回・第7回十字軍、アルビジョワ十字軍)

      ルイ13世(宰相リシュリュー、三部会停止)

      ルイ14世(宰相マザラン、財務総監コルベール、絶対王政全盛期)

      ルイ16世(フランス革命で首チョンパ)

      ルイ18世(ウィーン体制、正統主義)

 

      ちなみに、難関私大クラスになるとルイ1世(ルートヴィヒ1世)がカール大帝の息子でヴェルダン条約の原因を作った人物(ロタール、ルートヴィヒ[ルイ2]、シャルルの父)であることや、ルイ12世がイタリア戦争を起こしたシャルル8世の後継者であることなどが必要になることもありますが、これらは「必要になってきたな」と感じたら意識すればよいだけのことです。暗記では「優先順位をつける」ことも大切な要素ですね。

 

 以上、思いつくままに具体例を挙げてみましたが、肝心なのは「自分流のルールに従って覚え、それを定型化すること」です。ちょっとした工夫で覚えるのが楽になることもたくさんあるので、普段から意識しておくとよいでしょう。別稿では、「授業で使うプリントの覚え方」や「年号の把握の仕方」、「ヨコのつながりの抑え方」など、色々なことについてちょっとした工夫を示していきたいと思います。

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今回紹介するのはZ会出版の『段階式論述のトレーニング』です。(ちなみに、記事の参考にしたのは2012年度版のものになります。)

 この参考書のウリは各章ごとに字数の異なる論述問題が複数掲載されていて、第1章の50字~90字の論述に始まり、最終的には300字以上の本格的な論述に挑戦できるという段階式の論述トレーニングがこなせるという点です。私自身も時々論述対策授業を行う際にいくつかピックアップして練習用に使うなどしていますが、評価を一言でいうのであれば、「平均的。わりと使い勝手は良い」というものですね。先にことわっておきますと、「平均的」というのは悪い評価ではありません。むしろほめ言葉ですね。内容ガタガタな参考書や問題集が巷に出回りまくっている中で、受験用に使えるだけの平均的な内容を持っているというだけでも十分使える問題集であると思います。当たり前のことですが、参考書や問題集というものは、その使用する目的によって必要な内容、情報量が異なります。どんなによくできた内容でも、東大や一橋受験者用の参考書を中学生に用いさせるということになればそれは「向かない」し、マーチクラスの受験には最適な参考書であったとしても、早慶を絶対条件としている受験者には「向かない」こともあるでしょう

ですから、ある一面をもって「悪書である」と決めつけるよりも、どういう人にとってどのように適していて、また逆に適していないかを評価したほうが有意義です。結局、問題となるのは「使用者にとって合っているかどうか」です。ちなみに、本書の全体の構成は以下のようになっています。(本書目次より)

 

 第1章:入門編(50字~90字の論述)、全15

 第2章:実力養成編(100字~150字の論述)、全25

 第3章:実戦演習編200字前後の論述)、全20

 第4章:実戦演習編300字以上の論述)、全15

 

収録されている問題は各大学の過去問から集められたものですが、その元ネタになっている大学を挙げると、東大、名大、大阪大、一橋大、京都大、筑波大、千葉大、埼玉大、北大、新潟大、東京学芸大、東京都立大(首都大学東京)、京都府立大、岡山大、早稲田大、慶応大、明治大、成城大、津田塾大…etc.ということで、実にバラエティーに富んでいます。逆に言えば、個々の大学の問題数はそれほど多くないです。また、多くの問題において改変が加えられています。これは「問題だけを抜粋したため本文がない」、「そのままの形では難しすぎる」など様々な理由から改変されているものでしょうが、かなり大幅に改変された問題もあるので、本書を繰り返し解いただけでそれがそのまま志望校の2次対策になる、などとは考えないほうがいいと思います。ただ、ややもすると取っつきにくい論述問題が比較的ソフトに配置されており、解説などもデザイン的に見やすく、論述を全然したことがないけど練習したいという論述入門用のテキストとしては割によくできた良書であると思います。

 

[長所]

・字数ごとに分けられているので、目的にあった問題を選ぶことができる。

・比較的解説が詳しい。

:問題冊子がP.2-P.2830ページ弱であるのに対し、解説部分がP.20-P.283までの約260ページに及ぶ。また、解説の内容も時折教科書レベル以上の内容が入ってきます。バルト帝国のくだりでクリスティーナとオクセンシェルナを出してくるあたりなかなかいいじゃないですか。クリスティーナについてはしっかりデカルトやグロティウスとの交流についても言及されていたりしますので、「解説読んだけど新しい知識が全然出てこないなぁ」ということも少ないかなと思います。

・問題部分と解説部分が分けられている(別の冊子になっている)ので使いやすい。

:これ結構大事。特に、問題解こうとしているときに問題集が分厚すぎて開いたのに「パサッ」っていういわゆる赤本状態にならないのはとても助かります。ユーザー視点を大事にしているのは好評価。

・とにかく見やすい。

:論述の問題集は字がびっしりでそれ自体が読み物になってしまっているややお堅いイメージのする問題集が多いのですが、本書はその内容に比してポップな感じがして読んでいて楽w

・図表なども適度に簡素化されているので簡単な整理をするのには向いている。

・とりあえず、いろいろな大学の論述問題に触れることができる。

・「これが書けたら何点、合計何点」という採点基準が示してあるので、何となく点数をつけた気にはなれる。

・コンパクトなので、「やりきれる」!

:これは結構重要です。よく、問題集を買ったはいいけど、結局最初の何ページか手をつけただけで断念しちゃった、ということがあるものですが、本書はその見やすさ、コンパクトさ、使い勝手のよさで「とりあえず、1日1題くらいはやろうかな」という気にさせるので、普段は三日坊主で終わっちゃうという人でも何とか最後までやりきろうという気になるのではないでしょうか。何でもそうですが、「とりあえずきちんと1冊仕上げる」というのは案外しっかりとした力になります。価格(1200円)を考えても目的次第で元は十分に取れる気がします。

 

[短所]

・実は、字数ごとに分けられていること自体にあまり意味を感じませんw 解説部分を見てもそのあたりの意識は薄いらしいです。せっかく字数ごとに分けるのであれば「60字論述はこう攻める!」とか「300字以上の論述を攻略!」など、字数に特化した論述の組み立て方などにもっとこだわって欲しかった。

・字数にこだわっているためにテーマや問題の選択の仕方がちょっとぬるい。また、問題の並べ方も「この並べ方でいいのか?」と思わせるところが多々あります。第1章の問題を試しにあげると、「ユダヤ教上座部仏教と大乗仏教クシャーナ朝封建制と郡県制仏図澄と鳩摩羅什冊封体制アクバルとアウラングゼーブ価格革命イタリア戦争の誘因」となりますが、正直、「オイッ(笑)」って感じですw まぁ、「あー、比較やらせたいんだろうなー」という意図は感じるのですが、60字論述の比較やってもねぇ。「Aはこうでした、それに対してBはこうでした。」で終わりですからねw 超基礎じゃんw「中学受験の国語かよ!」って突っ込みたくなります。問題の並びも「冊封体制」から「ムガル帝国」にとんで「価格革命」ですからね。カオスっぷりは筋肉少女帯も真っ青ですw「何となく役に立ちそうな問題をピックアップしてみました」という感じで、どの部分のどの力を強化したいのかというテーマ性が見えません。そうした意味で、東大の大論述対策などを本格的に志向している受験生には本書は向きませんね。せいぜい小論述対策や、様々なテーマのざっとした復習向きです。 

・問題も正直ぬるい。解いていて「ぬぅ、これは手ごわい敵だぜハァハァ」みたいなことになることはまず、ありません。たしかに、東大や一橋の問題も出ていますが、比較的マイルドな設問が出ている気がします。(一橋とかモノによっては凶悪ですからね。)これはおそらく各地域の広域見取り図を描かせたいんだろうなぁという気がするので(第4章の部分ではインドのイスラーム化とか、東南アジアとか、ドナウ帝国とか、中国、中東など、それなりに地域や時代をばらして一般の大学入試で「好まれそう」なところが散らしてある印象)、必ずしも悪いわけではないのですが、正直普段から東大や一橋、京大の過去問にガッツガツで取り組んでますよ、という人には物足りない感はあると思います。同じ理由で、いわゆる難関校の直前対策にも向かないですね。

・問題数が少ない。これは長所との裏返しですが「小論述中心の構成で全部で7080問しかない」というのは少ないですね。東大の赤本5年分も解いたら小論述だけで結構な数になるし、一橋の過去問5年分解いたら400字論述が3×5年分で15問でしょ?やはり、難関大の論述を本格的にやろう、という人には「おなかいっぱい」にはならない問題集ではないでしょうか。 

・採点基準は必ずしもあてになりません。全然ダメダメとは言いませんが「何でこれが3点あるんだろう」とか「おいおい、これ書かないでいいのか」とか言う部分は多々あります。おそらく、無理に「〇〇点、合計で〇点」と基準付けしてしまったせいで、本来加点要素として示すべき部分が要素として抜け落ちてしまっていたりしていますね。他にも高得点を取れるような書き方はあるはずなのにそうした可能性をつぶしてしまうスタイルの採点基準になってしまっています(ちなみに、赤本などもそうした部分はあります。そもそもあの情報量では圧倒的に足りない)。ですから、もし本書を使う場合には「なるほど、こういう風に仕上げることもできるのね」とか「とりあえずこういう採点基準が想定できるのね」くらいの理解でとどめておいて、他の構築の仕方、視点、採点基準の可能性を排除しないほうがいいでしょう。この問題集を「崇拝」してしまうと手痛いしっぺ返しをくらうと思います。むしろ、この参考書を土台として「より洗練するなら自分ではどうするかな」というように吟味したほうがいいでしょう。何度も言いますが、モノは使いようです。「んだよ、こんなことも書いてねーのか、使えねーな。これに気付くオレ、スゲー()」という姿勢では使いようによっては使えるものの可能性を潰してしまいかねません。新人潰しをする上司とか、成績は振るわないけどやる気のある生徒を潰す先生みたいな真似は避けたいですw

・解説も本当はもう少し掘り下げたい。特に、背景にある歴史観であるとか、東大が求めるような大テーマといった視点に乏しい気がします。「比較問題をとりあえず並べてみました」、「地域ごとにとりあえずあげてみました」という感じで、個々の設問を配置している意図もあまり感じられない。多分、編集した側は「こういう風に問題置いてあるんだから、当然こういう視点を持って解けよな」という漠然とした意識は持っているのでしょうが、それを読者に伝えなくては伝わりませんね。ある意味、「論述はコミュニケーション」という基礎を踏み外してしまっている部分もありますが、個々の問題についてはできるだけ見やすく、わかりやすく説明しようという意思は感じられるので、まぁドンマイかなとw

・東京外大がない!

:これが私が最もムキーになるところです。正直、複数の大学のっけるんだったら外大置いておいてくれw

 

 以上、長所と短所をあげてみました。「平均的すぎることが長所にもなり、短所にもなっているという問題集」と言ってしまうとその特徴がよく表せるのではないかなと思います。ただ、繰り返しになりますが入門書としては悪くない。HANDが本書を薦めるとすれば「高2の半ばから終わりかけで、世界史通史を半分以上進めている生徒が初めて論述問題に挑戦!」という人や「高3の夏休みに入るんだけど、センター試験用に何となく主要なトピックの流れをお話としてつかんでおきたいなー」という人、「とりあえず、論述問題って解いたことないから練習したいな」という人などでしょうか。

 

[オススメの人]

・高2でとりあえず世界史をある程度(近世・近代あたりまで。ウェストファリア条約あたり~フランス革命あたりまでやってあればとりあえずはok)学習したので、主要なトピックをザッと見てみたい

・論述問題に取り組んだことがない、苦手なので、練習したい。(論述入門者)

・センターレベルの知識を一問一答ではなくてお話の流れとしてさらっと確認したい

・自分が持っている堅い知識(覚えたての知識、用語だけを知っているような知識)をもう少しソフトにしたい(簡単なストーリー仕立てにしたい)

・東大論述ばっかりやってたから古代史とか中世史がだいぶ抜けちゃってるので、息抜きがてらサラッと復習しておきたい。

・マーチあたりが志望なんだけど、単なる一問一答形式の問題集じゃなくて、話の流れをおさえてみたいな。(解説部分が多いくらいなので、一種の「読み物」として使うこともできます。)

 

[オススメしない人]

・ガッツリ難関国公立対策です!の人(東大、一橋、京大etc.

・ガッツリ難関私大対策です!の人(早稲田、慶応。あ、でも慶応は使いようによってはアリかも。論述自体が短いので。ただ、経済史の数はそこまで多くない)

・ガッツリ東京外大志望です!(赤本買いましょうw でも5年分しかないんだよね

・上にあげた難関大の2次試験まで1~2か月前の直前対策です!(正直、その段階でこの問題集やってたんじゃとてもじゃないけど間に合いません)


 

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 2015年東大世界史第1問はモンゴル帝国の成立によるユーラシアを中心とした「広域にわたる交通・商業ネットワークの形成」と「人・モノ・カネ・情報が行きかうことになった」ことを重視する視点、すなわち1314世紀を「モンゴル時代」ととらえる見方を示した上で、モンゴル帝国よりもやや広い範囲、すなわち日本列島からヨーロッパにいたる範囲において見られた交流の諸相について問う問題です。モンゴルを扱う問題は東大ではたびたび出題されていますが、この設問は先に紹介した「13世紀世界システム」またはそれに類似した見方を意識していることには疑いがないと思います。それは、この設問が政治ではなく、経済・文化(宗教を含む)に焦点をあてて解答せよと言っていることからも伝わってきますね。
 問題となるのは、どこまで広い視点を示すことができるか、また、どれだけ多くの事柄を結びつけて各地域や、交換される「人・モノ・カネ・情報」の関係性を示すことができるかということでしょう。つまり、この設問の肝は「何か一本筋の通ったテーマにそってユーラシアを描く」ことではありません。むしろ「広い地域における様々な事柄とそれらの関係性を示すことで、ユーラシアとその周辺地域(またはモンゴル帝国とその周辺地域)において形成されたネットワークを示すこと」にあるといえるでしょう。となれば、同地域の経済・文化・宗教について指定語句を参照にしながら描いたマインドマップをそのまま洗練していけばある程度の形にはなる、取りこぼしの少ないタイプの設問だと言えるでしょう。問題は「他の受験生の一歩先を行くために何が書けるか」ということでしょうね。平均点は取れる。そこからどれだけ先へ行けるか、これが問題です。モンゴル周辺の事柄は多いようでそれほど情報量が多いわけでもなく、関連する事柄というと内容もほぼ決まってきます。そういった意味では、知識量と知識の正確性の差が得点にかなり影響してくる設問だったのではないでしょうか。うろ覚えでは得点に結びつけるのは厳しいですね。

 

2015 第1

■ 問 題 概 要 

(設問の要求)

13世紀から14世紀における、東(日本列島)から西(ヨーロッパ)にいたる広域において見られた交流の諸相について論ぜよ(600字)

 

(本文から読み取れる条件と留意点)

・経済的、文化的(宗教を含む)側面に焦点をあてよ。

・「大航海時代」に先立つ「モンゴル時代」があるとする見方を参考にせよ。

・ユーラシア大陸の大半とその周辺地域における交通・商業ネットワークが本設問の軸にある。

・周辺地域には南シナ海、インド洋、地中海方面、西アジア、北アフリカ、ヨーロッパを含む。(モンゴル帝国という枠を超えている)

・人、モノ、カネ、情報の往来を注視せよ。

 

(指定語句):用いた語句には下線を付すこと

 ジャムチ / 授時暦 / 染付(染付磁器) / ダウ船 / 東方貿易 / 博多 

ペスト(黒死病) / モンテ=コルヴィノ

 

■ 解 法 の 手 順 と 分 析、 採 点 基 準

(解法の手順)

1、まずは順当に指定語句の整理を行います。ただ、本設問は上記の通り、モンゴル帝国という枠を超えた広範な地域同士の交流の諸相を描くものですから、地理的な理解と互いの相関関係の把握が必須です。そういう意味では、大まかな位置関係をとらえながら簡単にマインドマップを作成するようなイメージでメモを書いてみるといいでしょう。試しに、HANDの方でも本設問を解くとすればどんな感じで作業に入るのか実際にやってみました。

 

 2015東大ブレスト1

 

…きったねぇw

 

いや、しかし概ねこの程度で十分なのです(自己弁護)。地味に上の図がそのまま地理的な位置関係を抑えてあることに注意してほしいですね。例えば、「モンテ=コルヴィノ」、「ペスト」、「東方貿易」などヨーロッパ的要素が強いものをとりあえずヨーロッパ側に持ってきてあったり、ジャムチはユーラシア全体をカバーするようなイメージだったり。そして、指定語句を整理する中ですぐに頭に思い浮かぶような連想、書くのにもさほど時間のかからないものはさっくり横に書いておきました。たとえば、「カーリミー(商人)」であるとか、授時暦と関係する明の大統暦、日本の貞享暦などですね。カーリミーが左に傾いて斜めに「カーリミー」となっているあたりは明らかに紅海ルートが意識されていて我ながら心憎いw 


カーリミー
 

 

ちなみに、カーリミーの下から左右に伸びている⇔は、右がアラビアからインド、南シナ海へと抜けるルートを、左が東アフリカ沿岸地域へ延びるルートを想定しています。上で示したメモを書くのに要する時間がのんびりやってざっと1分強でした。同じものを受験生に試験会場で「1分以内で作りなさい」と言うと辛いかもしれませんが、現実問題として不完全なものでも1分半、長くても2分がかけられる時間としては限界でしょう。

 

簡単な見取り図ができたら、これをもとに関連する事項を書き加えていきます。その際、以下の点には十分に注意を払うべきでしょう。

 

    設問より、話の中心は経済・文化(宗教)が中心で、政治的な動きや戦争などは(直接的には)問題ではない。

    指定語句と関連付けできる事柄を最低でも一つは用意すべきである。(指定語句はすでに示されているわけだから、指定語句を書くだけでは得点にならない。指定語句は「正しく活用[関連事項と結びつけて述べる]」することによってはじめて得点になる。

    「大航海時代」に先立ってこの「モンゴル時代」において成立しているネットワークとは何かに注意を向けるべきである。

    周辺地域として示されている各地域を意識せよ。

    要素として、「人、モノ、カネ、情報」が入っているか注意すべし。

    交通ネットワークを示す際には、それが主としてどことどこを結んでいるか意識的に示そう。

 

まぁ、とりあえずこんなところでしょうか。ほとんどは設問の条件などから導き出される注意点ですが、特に注意が必要なのが①です。これを間違えてしまうと論述が180度違う、あらぬ方向へと飛んで行ってしまいます。にもかかわらず、意外に見落としがちなのがこれですね。どうもモンゴルの話と言うと、モンゴル帝国の領域拡大の話を書きたくなってしまうものらしいです。「バトゥがヨーロッパでワールシュタットは死体の山」であるとか、「モンゴルが南下してきたせいでタイ人は雲南から脱出でスコータイですタイ」であるとか、「フラグはどこにイル=ハン国」とか、この手のことは、はっきり言って本設問では意味がないのであります。もう何というか、これを書き始めた段階でその解答は完全にアウトです。これは例えて言えば、彼女に「私のこと好き?」と聞かれた時に「おれスキヤキが食いたい!」というようなものであり、先生に「HAND君、次の文章を訳してくれたまえ」と言われた時に「先生の髪型って味わいがありますよね」と受け答えるようなものです。 

何度も言いますが、論述はコミュニケーションなのであります。相手が求めたものをどれだけ用意できるか、それによって相手から与えられる愛(点数)が変わるわけですね。

まぁ、くだくだと述べましたが、何となく①~⑥の注意点を意識しながらHANDが書き上げたメモが以下のものです。

 
2015東大ブレスト2
 

 

 ホントに適当だなw

 まぁ、できるだけ臨場感を出そうとあまり意識せずにシャシャシャッと書いたものなのでご勘弁願いたいと思います。ちなみに、これを書くのに多分最初から数えて4分程度でしょうか。最初のものと比べるとだいぶ具体的に、かつ動きが出てき始めているのがわかります。変化している部分としては以下のような部分があります。

 

(新しく出てきた用語)

 イブン=バットゥータ、マジャパヒト、渋川春海、運河、郭守敬、杭州・広州・泉州・明州、東南アジア、海の道、パイザ(牌符)、交鈔(中統鈔、至元鈔)、銀、インフレ、ミニアチュール、イル=ハン国、パクス=タタリカ、ニコラウス4世(教皇)

 

(保留している部分)

 ・ペストの使い方:メモを書いている時点では、東西の人の流れ、特に東からの人の流れがペストの伝播経路となったことを指摘して「人の流れ=伝染病の伝播」という形でヨーロッパの社会制度自体を変化させる一因を作ったことを指摘すべきだろうか、と考えています。ただ、他に何かペストがからむ要素がないかどうか見極めなくてはならないと考えて「?」を付しています。

 ・銀の流れの方向:この時点では、斡脱(あつだつ、またはあっだつ:ムスリム商人・高利貸)について書くべきかどうか迷っています。一般に、この時期銀はイスラーム世界東部へと流出したと考えられています。(『詳説世界史』には「当時イスラーム世界の東部では銀が不足しており、中国から銀をもち出せば交換レートの差により大きな利益が得られた。そこで斡脱と呼ばれたムスリム商人は、中国の銀を集めるため、科差のひとつである包銀の施行を元朝に提案し…銀を搾りとってイスラーム世界に流出させた」とあります[2013年版、p.150])ただ、問題なのはこの銀の流出の規模と時期がどの程度のものなのかをどう判断すべきか迷っているのですね。交易が盛んなわけですから当然元に入ってくる銀もあるわけで、そのあたりのところに注意しないとこの銀をめぐる記述はかなり怪しいことになってしまうため、注意を払おうとしています。

 ・インフレ   :これは単純に設問が「交流の諸相」を求めているために、書くべきかどうか迷っています。交鈔による社会的な変化として重要な事柄なので一応示してはみたものの…、「どうしようかな」というところですね。

 ・博多     :これも、使うとすればどのように使おうかと迷っています。元寇を書いてしまえば簡単なのですが、元寇は侵略戦争であって「文化的、経済的な交流」のうちには(厳密には)入りません。(もっとも、元寇を通して両国間に経済的、文化的に意義のある交換が行われたとしたら別です。しかし、元寇を通して日本または元に伝わったものでその後の両国の主要な文化として取り入れられたと言えるものはあまり見当たらない気がします。)ただ、単純に交易の窓口としただけではいかにも面白くない(もしそういう使い方をさせるつもりなら指定語句としては示さないでほしいw)ので使いようを探っているところです。

 ・染付(景徳鎮) :とりあえず陶磁器の伝播経路としての海の道、ムスリム商人とダウ船などを想定していますが、もっと面白い使い方はないものかと考えています。ついでに、海の道が出てくるのだから、メモに書いてはいませんが「シルクロード」やモンゴル時代の交易拠点なども使えるなと考えています。イラン方面と結んでいるあたりでコバルトも意識していますね。

 ・宗教      :とりあえずカトリック伝播とイル=ハン国のイスラーム化、北インドのイスラーム化なんかもあるけど、他にないかなーと漠然と思っています。

 ・インド、東アフリカなど:この辺の地域をどう使おうかなーとも漠然と考えています。

 

 とまぁ、大体以上のようなことを考えながら上の図を書いているわけです。もっとも、これらを全部メモとして書いていたらそれだけで終わってしまうので、書くのは「特にこの辺が重要かな」とか、「この辺を書いておくと後でパッと他のことが思い出せそうだな」といったことを書いておきます。こうした作業に慣れるためには、やはり「普段から過去問を解いておかなくてはならない」でしょう。最悪の場合、文章としてまとめる時間がなかったとしてもこのマインドマップ作成練習をやっておくだけで多少の役にはたってくるものです(気休め的なところはありますが)。

 

 大論述を解く際に、どのような思考手順で解いているかということが実感していただけたでしょうか。おそらく、似たような手順で解いている受験生も大勢いることと思います。注意しておいてほしいのは、常に今回のような手順を経るわけではないということです。地理的・経済的・文化的交流を描く場合と政治的、思想的な比較などを行う場合にはまた微妙に違った手順を踏むこともあります。型にはまらずに、まずは「連想ゲーム」の一種だと思って様々なことを思い浮かべ、結びつけるという作業に慣れておくと、思わぬ出題に出会ったときにも焦らずに解答を組み立てることができるでしょう。

 

それでは、以上のことを注意した上で地域ごとに「人・モノ・カネ・情報」についてまとめてみましょう。以下がその表です。もちろん、内容によっては複数の地域にまたがる事柄も出てきますが、それらについては表の中で示していることもあれば、面倒なので省いてしまっている部分もあります。(たとえば、イブン=バットゥータなどはモロッコ出身でアフリカ、西アジア、中央アジア、南アジア、東南アジア、東アジアと諸方を旅しているが、これをいちいち示すようなことはしていません。)ただ、「ここは示しておかないとわからないだろうな」というところについてはきちんと示したつもりですので、不足している部分はみなさんで補って考えてください。

東大2015訂正版

(解答に書き入れたいと意識しているものは赤で示しました) 



 さて、解答の作り方ですが、最も避けたいのは極端に「地域ごと」でまとめようとすることです。先の表からもわかるように、ある事柄について「この地域」というようには限定できないことが多いですし、縦割りにしてしまうとせっかく各地域の交流を描くことで生まれる「動き」や「ダイナミズム」が失われてしまう気がします。地域ごとの縦割りに分類したい気持ちをここはぐっとこらえて、あえて境界をこえるような描写を行うことに専念してみたいところです。こうした「分類への欲求を断つこと」や「境界をこえること」は近年の歴史学が様々なジレンマを抱えながらも追及している方向性の一つでもあります。なんだかご立派なことを言っていますが、正直言っている時点で「いやー、無理だろ、コレ。」と思ってたりしますw 600字ですからねぇ…。無茶言わないで欲しいというところですが、仕方ありませんw

 今回、解答例作成については特に以下の点に注意してみました。

 

  交易拠点、地域、海域を示すことで交流のネットワークを示す

 :ある国や地域名を出してしまうと、話がそこに限定されてしまい、広域ネットワークの様子を示すことができません。もちろん、「Aからは○○が、Bからは△△が」というように示せば互いの交流は示せるのですが、書くべき範囲が広いのでこれをやっていると字数が消費されて仕方がない気がします。それよりも、各地の交易拠点を示してそれを陸路、海路で結んでみせるという方が、ルート全体の把握につながりますし、あるルートに接している地域であればどの地域に言及しても良いことになりますから、こちらで書くことを心がけました。

 

  交易の担い手、取引品目、交通の手段については特に注意して数多く示す。

 :本設問では特に経済に偏って示せと言っているわけではないのですが、交易の様子を描くときに特別な指示がない限りは、その担い手と取引品目を示すのは必須です。そういう意味では一橋の2008年の大問1で出題された「ハンザ同盟の活動とレヴァント貿易の対比」なんて参考になりますね。時間ができたらそちらも解説あげていきます。交通手段については今回はダウ船が指定語句ですので、最低もう一つくらいは示したいですね。

 

  カネと文化については、まとめ方を考える必要がある。

 :多分、今回一番苦労したのがここです。どれも関連がないわけではないのですが、全てを一直線に述べられるほどの関連性はないんですね。たとえば、イブン=バットゥータと授時暦とミニアチュールを述べようとすると、多分それだけで結構な字数をくっちゃうんですよ。例えば、「イブン=バットゥータのような旅人が大都に来訪したようにイスラームの文化や人が元に流入した結果、その影響を受けた郭守敬が授時暦を作成した。また、中国の文化もイスラーム圏に伝わり、中国絵画からミニアチュールが発展した。」なんて書くとこれだけで107字ですからね(´・ω・`)

 

■ 解 答 例 

 モンゴル帝国によるパクス=タタリカの下、駅伝制度ジャムチと大運河で陸海交通路の結節点となった大都には、フビライに仕えたマルコ=ポーロや、旅人イブン=バットゥータなどが来訪した。ムスリム商人は陸路サマルカンドを中継しラクダによる隊商交易を行い、海路では泉州などが海の道と結ばれ、ダウ船を操るムスリム商人とジャンク船を操る中国商人によりイラン産コバルトを原料とする景徳鎮の染付や東南アジアの香辛料が南シナ海やインド洋で取引された。明州は博多と結ばれ銅銭が輸出、刀剣や扇が輸入され、高麗青磁なども取引された。西方ではカイロやアデンを拠点に地中海、紅海、アラビア海を結びつけるカーリミーが東方貿易で香辛料や絹織物をイタリア商人へ中継し、エジプトの砂糖などを各地に運び、ヨーロッパからは金銀やワインを仕入れ、東アフリカ沿岸では黒人奴隷取引の中でスワヒリ語が発展した。各地で銀の流通が盛んになると交鈔や手形などの決済手段が発達した。交通の発達は情報交換を促進し、スーフィズムの影響によるアジア各地のイスラーム化、モンテ=コルヴィノのカトリック布教などの宗教の伝播や、元の郭守敬による授時暦、インド最古のモスクにあるクトゥブ=ミナール、中国絵画の影響を受けたミニアチュールなどの文化的発展につながった。ヨーロッパにも火薬や羅針盤、印刷術が伝わったが、交流拡大はペストの流行を招き、人口が激減して封建社会が動揺した。

600字)

 

(解説)

 …言うほどダイナミズムが前面に出ていませんねw 600字の壁は厚いw

 

・まず、交通路として元の都大都の重要性を示しました。その上で、マルコ=ポーロやイブン=バットゥータといった異邦人やムスリム商人がこの大都に集まってくる様子を示してあります。色目人も示したかったのですが、字数の関係で断念しました。そのかわり、マルコ=ポーロがフビライに仕えた事実を示して、これが元のことであること、異邦人がその官僚として仕えることもあったことを示しています。事実、マルコ=ポーロなどのヨーロッパ人は当時「フランキ」と呼ばれた色目人でした。

 

・事前の注意通り、交易の拠点と海域を示すこと、さらに担い手と交通路をそこに示すことで、モノ・カネ・情報がどういうルートで動いたのかを示しました。実際にこの解答に示された地名、地域や海域などを図にするとこんな感じになると思います。

 

東大2015地域相関図


 

頑張って作ったんですが、見づらいですかね。クリックしてから出てきたものをさらにクリックすると拡大できると思います。意外にちゃんと書いてあるでしょ?交通路は基本的に拠点と海域で示して、地域の名称は取引された品目の産地や文化財の中で示すようにしてあります。(イラン産のコバルトとか、インドのクトゥブ=ミナールとか、東南アジアの香辛料とか。)こうしておけば、「アジア各地のイスラーム化」という文言が生きて来るかなと。「イル=ハン国」とか「デリー=スルタン朝」とか特定の地域や王朝名を出しちゃうと字数の関係でそれだけしか書けないんですよね。

 

・今回は宗教についてはモンテ=コルヴィノ以外、基本的にイスラームに頼ることにしました。その方が上記の通り、ムスリム商人の活動とのリンクもしやすいですし、正直チベット仏教はこの時期陳朝あたりに伝わるくらいで目立った拡大はしていません。ヒンドゥーも、出すとしたらマジャパヒトですが苦しいですね。東南アジアのヒンドゥー圏が本格的にイスラーム化されるのはもう少し後、マラッカ王国以降のことですし、現実問題として当時の東南アジアでは仏教も優勢でしたから、全てを書くこと自体困難です。モンテ=コルヴィノに加えてスーフィズムとアジア諸地域へのイスラームの浸透、クトゥブ=ミナール(アイバクがつくったインド最古のモスクにあるミナレットです)、このあたりがあればとりあえずは及第点ではないでしょうか。

 

・文化については交通の発達と情報伝達の促進と結びつける形でいれていますね。最初にマルコ=ポーロとイブン=バットゥータは示してありますし、上記の宗教に加えて授時暦、ミニアチュール、スワヒリ語、さらにヨーロッパへの火薬、羅針盤、印刷術という定番を入れて…要素としては十分ではないでしょうか。本当は文字を入れたいところなのですが、うーん。パスパ文字やチュノムって今回微妙じゃないですか?本設問が要求する広域の交流の諸相って言うほど広域に伝播して影響与えたものっていうイメージがわかないというか…。パスパ文字は多分に政治的なもので、元が滅亡したら公用語としては使われなくなりますし、漢字の影響受けてチュノムって別にこの時代、この交通の発展の中じゃなくてもいい気がします。

 

・もちろん、上の解答は練って書いたものですから、みなさんが受験会場で同じものを書く必要は全くありません。ただ、私が試しに最初書いてみた解答は、大筋は上の解答と変わりません。ただ、入っている要素が少ないだけです。例えば「刀剣や扇」のところが刀剣だけだったりとか、「地中海、紅海、アラビア海」が地中海と紅海だけだったりとか、マルコ=ポーロがフビライに仕えた情報が入っていないとかですね。字数の関係で、短時間でコンパクトにまとめようとすると、書ききれないものも出てきます。ただ、満点解答を作る必要はないわけですから、各部分の情報量が多少減ったとしても大筋で問題はないでしょう。最初の解答でも絶対に削らないようにしたのは、広域のネットワークが形成されていたことを示す交易拠点と海域、地域、交通などに関する情報です。これが今回の問題の肝だと思うんですよね。少しでもご参考になれば幸いです。
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 東アジアの通貨・産業・金融史に続いて、ヨーロッパ通貨・産業史と近現代の金融史についていくつか補足しておきたいと思います。

 

【ポイント①:リディアと古代ギリシアの商工業】
:取引手段としての金銀は古代においては「鋳造」されて用いられるのではなく、塊で取引され、その重さが交換の基準となりました。世界で最古の鋳造貨幣と言われるのは、リディアにおいて鋳造されたエレクトロン貨です。ここで注目してほしいのはリディアと古代ギリシアの位置関係です。世界史の教科書ではこの両地域の歴史は別々に出てくることが多いので受験生はあまり意識することがないのですが、実はリディアが勢力圏としたアナトリアと古代ギリシアは目と鼻の先にあります。

リディアメディア新バビロニア_国名入

そして、リディアが栄えたのは紀元前7世紀~紀元前6世紀です。さらに、『詳説世界史』の記述を見ると「ポリスの発展」という節に「前7世紀、小アジアのリディアで始められた鋳造貨幣をイオニアのポリスも取り入れて」とあります。このように、注意深く見ていくと一見別々の世界のように感じられるメソポタミア地域の歴史と古代地中海世界の歴史は、アケメネス朝の登場を待たなくてもリンクしてきます。

 各地に植民市を建設し、鋳造貨幣を取り入れた古代ギリシアはその商業活動を活発化させていきます。こうした中で、アテネで鋳造されるのがテトラドラクマ銀貨です。これは、ペイシストラトスが開発を奨励したラウレイオン銀山の銀をもとに鋳造されたものです。

 
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 Wikipedia「テトラドラクマ」より引用)


【ポイント
:「価格革命」の虚実】

:世界史の教科書や参考書には「価格革命」について以下のように書いてあります。

 

アメリカ大陸から大量の銀が流入して、価格革命とよばれる物価騰貴がおこった。これは、停滞していた経済活動に活気を与え、「繁栄の16世紀」をもたらした。農村にまで貨幣経済が浸透すると、農民の一部は経済力をつけて領主から自立するようになった。すでに固定額の貨幣地代が普及していた西ヨーロッパでは、貨幣価値の下落は領主層に大きな打撃を与え、封建社会の崩壊を促進した。」(東京書籍『世界史B』、平成27年度版、p.220.

 

しかし、実は『詳説世界史』にはこれに加えて目立ちませんが重要な記述があります。

 

 「その結果、銀の流通量が急速に増加したことが一因となって、ヨーロッパで激しいインフレーション(いわゆる「価格革命」)がおこった。16世紀を通じて、物価を数倍に引き上げることになったこのインフレには、ヨーロッパ全域における人口の激しい増加という原因もあったがいずれにせよ、この物価騰貴によって額面の固定した地代に依存する伝統的な封建貴族は苦境にたち、資本家的な活動をする新たなタイプの地主や農業経営者は、大きな利潤を獲得するようになった。」(『改訂版 詳説世界史研究』、山川出版社、2016年版)

 

実は、この赤い部分で示したところがカギなのです。近年、価格革命が銀の大量流入にのみによって引き起こされたという説は否定されつつあります。たとえば、例の世界システム論を日本に紹介したことで知られる川北稔は銀流入説を否定し、人口増加説をとっています。(村岡健次・川北稔編著『イギリス近代史宗教改革から現代まで』ミネルヴァ書房、1986年) 下の二つの図を見てください。これは、16世紀から17世紀にかけてスペインに流入した銀の5年ごとの流入平均量(最初の図)と累積流入量(2番目の図)、そして価格指数を比較したものです。(平山健二郎「16世紀『価格革命』論の検証」経済学研究58(3)2004年、207-225より。これは関西学院大学リポジトリより全文を参照することができます。)

 
スペインへの金銀流入量と価格

スペインへの金銀流入累積と価格
 
まず、図1を見ると、たしかに1500年代の後半に銀の流入量が増えるにつれて価格も上昇していることが見てとれます。また、図2を見ても銀の累積流入量が増えるにつれ、価格指数も上昇しています。かつての研究者たちはこれを根拠として銀流入による物価騰貴、すなわち「価格革命」論を展開しましたが、これには問題となる点がいくつかあります。

 

 流入量と価格指数に相関関係があるとすれば、1600年ごろから銀の流入量は減少傾向にあるのに価格が高止まりしている理由に説明がつかない。(図1)

 同じく、累積量が価格指数に影響を与えるとすれば、増加するほど価格が上がるはずであるが、1600年以降、累積流入量は増え続けているのに価格は頭打ちになり、むしろ下落傾向を示していることが説明できない。(図2

 

とくにこの2点が問題点として目立ちます。その他にも、金銀の流入比と各地域の価格上昇に一致が見られないこと(金銀が大量に流れ込んでいる地域も、逆にむしろ流出していく地域も同じように価格が上昇しているなど)や、金銀が大量流入する以前からすでに価格上昇が見られることなどから、少なくとも銀流通量の増加のみを根拠とした価格革命説は否定されつつあります。

 

 スペインへの金銀輸入量

ストックホルム地域の価格
(表12ともに前出、平山[2004]より引用)

 

かわって、登場してきているのが「人口増加説」です。以下は中世ヨーロッパにおける人口増加のグラフです。

  9010

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9010.htmlより引用)


1300
年代の人口急減の原因は当然のことながらペストですが、その後のヨーロッパの人口は安定して回復傾向にあります。1500年代に5600万人ほどであった人口は1650年ごろには一億に達します。要は、新しい説では急激な人口増加に食糧生産とその分配が追いついていないことが価格上昇の原因であるとするわけです。

 「そんなことになっているなら、どっちを覚えたらいいの?」ということに受験生ならなると思います。もちろん、教科書や参考書には銀流入説が主体で書いてあるわけですから、まずはこちらを把握してかまわないと思います。ただ、裏にこうした説があることを理解しておいて損はないでしょう。たとえば、慶応大学の経済学部の世界史ではたびたびこうしたグラフや表を示しながら歴史的事象を解説させる問題が出題されますが、こうした出題の仕方で「近年、価格革命論のこれまでの説明の仕方には批判が高まっているが、それはなぜか。示した図表を参考にして説明しなさい」などのスタイルの出題がされないとは限らないからです。歴史とは常に一方向からだけ見たものが正しいとは限らないということを意識して学習することが必要となるでしょう。

 

【ポイント ブレトン=ウッズ体制の本質を考える】
:最近になってようやく戦後史の中でブレトン=ウッズ体制をはじめとする国際通貨体制について語られるようになってきました。私が大学を受験する頃は、ブレトン=ウッズ体制はあまり注目されず、むしろGATTなどが強調されていたように思いますが、これはおそらく1980年代に日米が貿易摩擦の真っ只中にあったことや、様々な分野で輸入自由化などが論議されていたことと無関係ではないのでしょう。いつの時代でも、望むと望まざるとにかかわらず、その時代の問題関心の影響を少なからず受けるものです。その意味で、純粋にバイアスのかからない物の見方、歴史像というものもないと思います。

だとすれば、1990年代末のアジア通貨危機や2008年のリーマンショック、近年のアベノミクスや米国のQE(量的緩和)をはじめとする世界中の中央銀行の非伝統的な金融緩和策など、金融の国際化とそれに伴う諸問題が様々な場面で俎上に載せられる中で、戦後の金融政策が歴史学において注目され始めることは、なんら不思議なことではありません。しかし、それでは教科書や参考書はこうした戦後の国際金融体制について満足のいく説明をしているのでしょうか。無理もないことではありますが、教科書や参考書に最新の知見が登場するまでにはある一定のタイムラグというものが存在します。なぜなら、新説に対する評価がある程度定まり、通説として教科書なりに載せるに足ると判断されるまでには多くの人々の検証を経る必要があり、それにはそれなりの時間がかかるからです。学校の教員なり、塾の講師なりに教科書や参考書以上の価値があるとすれば、その一つはこうした新しい知見に対する巷の評価を吟味、検証して紹介する点にあるのではないでしょうか。(もちろん、それは押しつけであってはならないし、それだけが価値なのではないと思いますが。)

 

 さて、まずブレトン=ウッズ体制についてですが、さすがに『詳説世界史研究』にはある程度の記載が見られます。これについては私の方でも基本的な流れは「通貨・産業・交易史」の方で示しておきました。しかし、この体制がある意味で西側諸国におけるアメリカの「金融面での覇権」を確立した、という視点を提示しているものは皆無に等しいのではないでしょうか。世界システム論的に言えば、覇権国家は生産・流通・金融の順にその覇権を確立していくとされますが、この金融覇権をアメリカが握ったのがまさにこのブレトンウッズ体制の成立によってでした。それまでは英連邦内諸国との経済的つながりのなかでかろうじて基軸通貨としての面目を保っていたイギリスでしたが、このブレトンウッズ体制がいわゆる「金=ドル本位制」によって各国の通貨がドル・ペッグ制(自国の貨幣相場をドルと連動させること)をとったことにより、この体制成立以降は名実ともにドルが世界の基軸通貨となります。

実は、イギリスのスターリング=ポンドの地位下落は1944年に突然もたらされたものではありません。すでに第一次世界大戦が終了した段階で、イギリスの金保有量はアメリカのそれを下回っていました。「黄金の20年代(または狂騒の20年代)」を経て、対外貿易輸出額でイギリスを凌いで世界トップに躍り出たアメリカは、たしかに世界恐慌による痛手をうけたものの、当時最先端であったケインズ経済学(修正資本主義)を採用したニューディール政策をはじめとする諸政策によって30年代の後半には恐慌前の状態に近いところまで回復します。一方、イギリスはこの世界恐慌をポンド=ブロックの形成によって乗り切ろうとしたものの、ヒトラーとの未曽有の大戦に巻き込まれた結果、その経済に完全にとどめを刺されてしまいました。一方のアメリカは1941年のレンド=リース法(Lend Lease Acts)によってイギリスをはじめとする各国へ軍事物資を供与し始めます。その結果、イギリスは総額314億ドル(現在価値でざっと45兆程度)もの軍需物資を実物で貸与されることとなりましたが、これによりイギリスはアメリカに対して膨大な「債務」を負うことになってしまいました。さらに、戦争が終わりに近づいた時点でアメリカは世界全体の金保有量の7割以上を有していました。

こうした中で戦後の国際経済体制についての話し合いである「ブレトン=ウッズ会議」が開かれたわけですが、戦後経済の主導権をアメリカが欲したのは当然の成り行きでした。しかし、イギリスはどうにかその経済的覇権と面目を保とうと英国の誇る経済学者であるケインズを会議に派遣します。ケインズはドイツ経済学者シューマッハーとともに超国家通貨(というか、決済手段)「バンコール」の創設を提唱することによってポンドの相対的な地位低下を隠そうとしました。これに対しアメリカの財務次官補ハリー=ホワイトが対抗案を示し、ケインズの案と競った結果、IMFの創設やドルを基軸とする国際通貨体制など、ホワイト案にそった解決がなされてアメリカは金融における「覇権(ヘゲモニー)」を確立するに至ります。(ちなみに、バンコールは近年、国際的な金融危機が頻発することを受けて再度注目を集めました。)

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ケインズとホワイト

Wikipedia「ハリー=ホワイト」より引用)

 

 確かに、その後のECの台頭や金の欧州への流出、ドル=ショックとその後の変動相場制への移行など、アメリカの相対的地位低下を示す事例が続くことになりますが、それでもドルは依然として国際経済における基軸通貨ですし、プラザ合意やルーブル合意などを見るまでもなく、アメリカの金融政策や経済政策が各国に与える影響は依然として大きなものがあります。一方、当初はブレトン=ウッズ体制の維持という役割を与えられたIMFも、変動相場制への移行以後は各国通貨の安定と経常収支が悪化した国への融資など、その役割を変えつつありますが、1994年のメキシコ通貨危機、1997年のアジア通貨危機などではその役割に限界も感じさせるようになってきています。[これについてはポール=ブルースタインが書いたノンフィクション『IMF』の日本語版(東方雅美訳、楽工社、2013年)が3年ほど前に出版されましたが、これは実に面白いです。基本的な経済の仕組みさえわかっていれば、高校生でもその面白さを感じるには十分ですし、何より世界経済の最前線の裏側を覗き見るかのような興奮があります。] 20世紀半ばにアメリカが築いた金融の「覇権」の行方がどのようになるのか、21世紀はそれが問われる時代なのかもしれませんね。

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1 古代・中世通貨史(ヨーロッパ・西アジアほか)

【古代世界】

①古代メソポタミア・エジプト
:価値の尺度としての金銀の使用 
(ただし、定量・同形状の「貨幣」としてではない。)
 ex. ハンムラビ法典中の財産関係の記述に出現

②紀元前
7世紀
リディアで世界初の鋳造貨幣が作成(エレクトロン貨)
 →隣接するイオニア地方に伝播
 (ギリシアにおける商工業の発展と平民の台頭→民主政の進展)

③紀元前
4世紀ごろまで
:交易の拡大による鋳造貨幣の普及
 →古代ギリシア・マケドニア・アケメネス朝などで使用される
  cf. ダレイオス1世による貨幣の統一

 

【ローマ帝国・中世地中海世界】
:金貨・銀貨・銅貨を鋳造し、貨幣経済が発達

①1世紀~2世紀
:「パクス=ロマーナ」(オクタウィアヌス~五賢帝の時期)
・地中海沿岸地域を中心に貨幣経済が発展、各地に地方都市成立
 (ウィンドボナ、ロンディニウム、ルテティア)
・インド・東南アジアと季節風貿易
 (『エリュトゥラー海案内記』に記述)
 ex.1 扶南(カンボジア)の港オケオからローマ金貨が出土

 ex.2 南インドのサータヴァーハナ朝や前期チョーラ朝にはローマ金貨が流入1世紀頃から)
 ex.3 南インドのパーンディヤ朝からローマのアウグストゥスに使者?AD22年、ストラボンによる記述)

②4世紀
:コンスタンティヌス帝によるソリドゥス金貨鋳造(東ローマではノミスマ
:「3世紀の危機」後の経済混乱を収拾して国際交易の安定化を図る 

 →ローマ帝国・東ローマで流通(11世紀まで高純度を保った「中世のドル」)

 ソリドゥス金貨

Wikipedia「ソリドゥス金貨」より)

③7世紀
:ウマイヤ朝がディナール金貨・ディルハム銀貨を鋳造
 (5代カリフ、アブドゥル=マリク[アブド=アル=マリク]の時代)

  アフリカのガーナ王国(サハラ交易[金-岩塩])、ヌビア(現スーダン)などから金供給
  ディナール金貨はノミスマ(ソリドゥス金貨)の流通していた旧東ローマ帝国で、ディルハム銀貨は旧ササン朝領で流通したが、アッバース朝下の9世紀には金銀二本位制に移行した

ディナール・ディルハム
Wikipediaより 

サハラ交易
 
 Wikipedia「ガーナ王国」の地図より作成)
④13世紀
:フィレンツェがフローリン金貨を発行(~16世紀)
:メディチ家の支店がヨーロッパ中に存在し、金融ネットワークを作っていた
 →取引において優位に

 →ヨーロッパ全土で金貨の流通(ただし、希少なので主に銀貨・銅貨が併用される[実質的な銀本位制] 

フローリン金貨
 

 Wikipediaより引用

2 大航海時代とアメリカ銀の流入

【ヨーロッパ】
:1492 コロンブス(ジェノヴァ人、スペインの援助を受ける)によるアメリカ大陸の「発見」
 →スペインによって大量のアメリカ銀がヨーロッパに流入


(影響)
① 価格革命
:新大陸からの大量の銀の流入によって貨幣価値が下落・物価高騰
 →西欧地域で商工業が活発化
 →定額の貨幣地代にたよる封建領主に打撃
 →封建制崩壊を促進
② 商業革命
:貿易の中心が地中海岸から大西洋岸に移動

 →大西洋岸の都市(リスボン・アントワープなどが発展)

 →17世紀に入るとアムステルダムが国際金融の中心都市に 

価格革命
 Wikipediaより[一部改変]

 

【アジア】


1521
マゼランの世界周航

1545 ポトシ銀山発見
1565 フィリピン領有
1571 マニラ建設
   →アカプルコ貿易の展開(メキシコ銀と中国の絹織物・陶磁器を交易)

 

3 金融の世界史(16世紀以降~第二次世界大戦)

【銀行制度の誕生と金融市場の形成と拡大】

① 中世
:秤量貨幣の信用性と品質の不均衡
:各地の権力者が私的に鋳造
 →品位と重量がバラバラなため、取引や計測の煩雑さ

 

② 近世
:グレシャムの通貨改革 [イギリス、エリザベス1]
:イギリスの貨幣が他国の貨幣に比べて通用価値が低く、取引に支障をきたしたために、トマス=グレシャムが通貨改革を行い、通貨価値を高める

  「グレシャムの法則」(悪貨は良貨を駆逐する)
=貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合に実質価値の高い方の通貨が流通過程から駆逐され、より実質価値が低い通貨が流通するという法則(現在の紙幣の場合、実質価値[紙の価値]が額面価値よりもはるかに低いため、この法則は当てはまらない)


③ 近代
<17世紀>
・初の株式会社・株式取引所の設置[オランダ・東インド会社(1602)]
 (英の東インド会社[ジョイント・ストック・カンパニー]は無限責任)
<1637>
・チューリップ=バブル崩壊[オランダ]
 →その後のオランダ経済に影響なし
  (先物取引で債権者=債務者が多い。一部がババ引いただけ)
 →オスマン帝国産のチューリップの球根価格の暴騰と暴落、世界初のバブル崩壊 

<17世紀末>
国債の発明[オランダ・イギリスなど]
:従来の君主発行型の公債は様々な理由でたびたびデフォルト(債務不履行)をひき起こした。イギリスで議会が国家の歳入(徴税)・歳出を安定的に管理し、君主の私的財産が国庫と明確に区別されると国債の発行時に返済の裏付けとなる恒久的な税などが設定された。こうした安定した徴税を信用として18世紀以降のイギリスは国民所得の数倍に及ぶ国債を発行することができ、この財源をもとに18世紀を通じた対外戦争を勝ち抜くことが可能となった(財政軍事国家)

※「財政軍事国家」とは
:歴史家ジョン=ブリュアによって提唱された、名誉革命以降におけるイギリスの巨大な陸海軍、勤勉な行政官(整備された官僚制度)が、消費税をはじめとする重税と徴税システムによって担保される莫大な国債をはじめとする債務によって支えられたとする考え方、またはこうした当時のイギリスの国家システムを指す。イギリスがこの莫大な債務により戦費を維持できたことが、
18世紀イギリスが大国フランスとの戦争に勝利した一つの原因だとする。これについては折を見て「東大への世界史」の方で詳述する。(ジョン=ブリュア『財政=軍事国家の衝撃:戦争・カネ・イギリス国家 1688-1783』大久保桂子訳、名古屋大学出版会、2003年)

<1694>
イングランド銀行設立
 →ファルツ戦争・ウィリアム王戦争などの対仏戦争の戦費捻出(財政革命)
 →金融におけるイギリスの信用能力を高め、イギリス資本主義の発展に寄与
 →第一次世界大戦が始まるまでの金融界を支配


<1720>
・南海泡沫事件(サウスシー=バブル)[イギリス]
:当時の財政危機解決のために国債を引き受ける目的で設立された南海会社が引き起こしたバブル崩壊事件。数か月の間に10倍強にもなった株価が元値以下になるまで暴落した。この事件の事後処理を担当した財政の専門家であるロバート=ウォルポールは後にイングランドの初代首相となった。


図1
 Wikipediaより
<1871>
ソブリン金貨の発行(初の金本位制の確立)[イギリス]
:イギリスの貨幣法により、発行されたソブリン金貨の自由鋳造・自由融解を認めることで本位貨幣(通貨の実質価値と額面価値が一致した貨幣)とした。世界金融の中心がロンドンのロンバード街(シティ)に(「世界の銀行」)
 →20世紀初頭までに世界各国で金本位制が確立=「国際金本位制=ポンド体制」の成立 

ソブリン
Wikipediaより 
 ロンバード街
(Wikipediaより[一部改変])
<1914-1918>
・第一次世界大戦によるイギリスの相対的地位の低下と世界金融の不安定化
 →アメリカの台頭(黄金の20年代を経てウォール街が世界金融の中心に)
1923>
・ドイツでハイパーインフレ(ルール占領がきっかけ)

 →シュトレーゼマン内閣によるレンテンマルク発行で沈静化

 →ドイツの経済・政治危機をアメリカが支援

(対ドイツのアメリカによる支援策)
A、ドーズ案
(1924)
:アメリカ資本の対ドイツ貸与、賠償金支払い方法と期限の緩和(減額はなし)
B、ヤング案(1929)
:賠償総額の減額と期限の緩和[ローザンヌ会議(1932)でさらに減額→ヒトラーによる一方的破棄(1933)]


<1929>
世界恐慌による経済の動揺
A、金本位制の動揺と停止
‐イギリス(1931:マクドナルド挙国一致内閣)
‐日本(1930 金解禁→1931 犬養毅内閣による金輸出再禁止
‐アメリカ(1933:フランクリン=ローズヴェルト大統領)
‐フランス・ベルギー・オランダによるフラン=ブロック(金本位維持)
 →フランスの金本位制停止(1937)による管理通貨制度への移行
B、ブロック経済の形成
 ex.スターリングブロック(英、1932:オタワ連邦会議)

 

4 現代の通貨・金融体制(第二次世界大戦以降)

【ブレトン=ウッズ体制】
:第二次世界大戦終了時に圧倒的な経済力を有していたアメリカによる国際為替の安定と自由貿易体制の確立


ブレトン=ウッズ会議(1944)
:ブレトン=ウッズ協定に基づくアメリカ主導の国際通貨・経済体制の成立

・世界恐慌前の「国際金本位制=ポンド体制」崩壊にかわる新通貨秩序の成立

・米ドルと各国通貨の交換比率を固定した固定相場制の成立
 (1ドル=360円、金1オンス(28g=35USドル)
・二つの国際機関設立の決定
 (1945IMF[国際通貨基金]IBRD[国際復興開発銀行、後の世界銀行]の設立)
IMF:固定相場制(金=ドル本位制)の採用
・IBRD:長期資金の融資による戦後復興や発展途上国への資金援助を行う
 (1960年に国際開発協会と合わさり現在の世界銀行[WB]に)

GATT(関税と貿易に関する一般協定)成立(1947)
:関税障壁撤廃による自由貿易体制確立を目指す

 →1995年にWTO(世界貿易機関)に発展

 

【ブレトン=ウッズ体制崩壊】
:世界貿易・財政の拡大に金=ドル本位制が対応できず
(金産出・保有量と経済規模の乖離が拡大)

ドル=ショック(ニクソン=ショック、1971)
:アメリカ大統領ニクソンが金とドルの兌換を停止

(背景)
・ベトナム戦争(1960 / 19651973 / 1975)による米軍事費の増大
・日本・ECの台頭と国際競争力向上により貿易赤字に

変動相場制へ移行(1973、ブレトン=ウッズ体制の完全な崩壊)

 円2

 Wikipediaより

【経済規模の拡大と国際化に伴う経済危機の発生】
<1970s>
・オイル=ショック(1973、1979)

<1980s>
対外累積債務問題の深刻化
:中所得国(ラテンアメリカ[メキシコ・ブラジルなど]やフィリピンなど)で対外累積債務問題が深刻化

(対外累積債務深刻化の背景)
1970s3つの動き
①一次産品価格が高騰したことによる途上国の交易条件の改善
②過剰な産油国資金の流入(オイルショックによる原油価格の高騰)
③金融自由化により先進国政府ならびに民間機関や国際機関による貸付が容易に
 →発展途上国が大規模な借入により工業化を進める(高成長の時期)
1980sに入り一次産品価格の下落や米国金利の急騰
 →途上国の資金繰りが困難に(70年代債務の返済の見通しが難しくなった) 


プラザ合意(1985)
:G5(先進五か国[米・英・西独・仏・日]蔵相会議)で為替レート安定化に関する合意

(背景)
 :双子の赤字(貿易赤字&財政赤字)拡大によるアメリカの債務国への転落
(内容)
 :アメリカの貿易赤字解消のためにドル安政策を進める
  →日銀による独自の金融政策によって当初の目標をはるかに上回る円高・ドル安が進行

ルーブル合意(1987)
:行き過ぎたドル安の防止のためのG7(G5 + 伊・加)での合意
 →失敗
円
 Wikipediaより
バブル経済(平成バブル)崩壊[日本、1989~1993頃]
:プラザ合意直後の日銀の短期金利引き締め策(高目放置)と、その後の政府の意を受けた金融緩和策(公定歩合の引き下げ)が人々に極端な金融緩和策が行われているという錯覚(貨幣錯覚)を生じさせて、過剰な投資へと結びつく。
→下落し始めていた不動産価格に財務省・日銀の金融引き締め策(総量規制・公定歩合の引き上げ)がトドメをさして株価暴落
バブル2
Wikipediaより
【経済のグローバル化と金融危機】
<1980s末~1990初>
:超国家的な経済協力体制・共同体の形成

APEC(アジア太平洋経済協力会議、1989年)
 →日・韓・
ANZUSASEANなど
EU(ヨーロッパ共同体)
 →1991年の会議で合意、1992年に採択されマーストリヒト条約をもとに発足(1993)
 →域内共通通貨ユーロの導入によって米ドルの国際支配に対抗

<1990年代以降>
:経済のグローバル化にともなう金融危機の連鎖と規模の拡大

ex.1) 
メキシコ経済危機(1994)

ex.2) 
アジア通貨危機(1997)
:タイを皮切りに韓国・インドネシアなどアジア各国で発生した通貨価値の急激な下落ドルと連動していたアジア通貨がドル高に伴い上昇し、実体経済と乖離した頃にヘッジファンドの空売りを浴びた
 →アジア各国が変動相場制へ

ex.3) 
リーマン=ショック(2008)
:リーマン=ブラザーズが負債総額64兆円を抱えて倒産
 →連鎖的な世界規模の金融危機
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