世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

2018年01月

ご無沙汰いたしておりました。2018年センター試験「世界史B」の解答と解説をまとめましたので、ご紹介いたします。分析については各予備校の方から細かい分析が出ておりますので、こちらでは昨年と同様、各設問ごとの解説に加えて少し詳しい関連知識を掲載していきます。もっとも、センターの問題は消去法などを駆使することによって、ここでご紹介している知識などがなくても十分に解ける仕様になっております。ただ、これから私大・国立の2次などにのぞむ際には、大学によっては役立つ知識もあろうかと思い、ご紹介してあります。過去問については各予備校のHPや新聞社などで紹介されておりますのでそちらをご参照ください。急いで作成してチェックなどはあまり入れておりませんので、間違いなどがある可能性もございます。その場合、責任は負いかねますのでご注意くださいw 

一通り解いてみた感想ですが、例年と比べてやや易しいのかな、と感じましたが、個人差もあるので例年並みかな、という印象でした。念のため各校の分析を見てみましたが軒並み「標準」、「例年並み」となっておりますので、いつもと比べて特別難しいか、簡単であるということはなかったようです。ひっかけ的な設問もほとんどなく、素直な問題構成でした。センター当日もとても寒かったですが、受験本番、体調に気を付けて残りの試験をぜひ頑張ってください!

問1 
 

:猛安・謀克は金の部族制度で、「1謀克=300戸」、「1猛安=10謀克」とする行政・軍事制度

【解説】

  領邦教会制は宗教改革、アウクスブルクの宗教和議後のドイツ地域で成立

  マンサブダール制はインドのムガル帝国で導入された官僚制度。位階ごとにマンサブ(禄)を決定し、これに応じて給与などが決定された。

  骨品制は新羅の身分制。王族を聖骨・真骨とし、出身氏族によって五階級に分けた。

 

問2  

【解説】

 :『ローマ法大全』の編纂は、ビザンツ帝国のユスティニアヌスの時代(6C)に、法学者のトリボニアヌスによるもので、「ローマの平和(パクス=ロマーナ:AD12C)」とは時期が異なる。

 

問3  

【解説】

 フィレンツェで栄えたのは毛織物工業と金融業。

  アドリアノープルはバルカン半島にある都市で、五賢帝のひとりハドリアヌスが建設したことからハドリアノポリスと呼ばれたのが起源。1362年にオスマン帝国のムラト1世がこの街を征服し、1366年以降はそれまでのブルサに代わって都となった。(オスマンの都はブルサアドリアノープルイスタンブルとなる。下図参照。)

   一方、ガズナ朝は10C、アフガニスタンに建国されたトルコ系イスラーム王朝であり、領域内にアドリアノープルを含むことはない。(ガズナ朝の領域は下図参照。)

  第4回十字軍で占領されるのはコンスタンティノープル。ヴェネツィアを中心とする第4回十字軍はコンスタンティノープル陥落後にラテン帝国を建国した。イェルサレムには、第1回十字軍の際にキリスト教徒側がイェルサレム王国を建国したが、第3回十字軍の時にイスラーム(アイユーブ朝)のサラディンによって奪回されている。


1

 


2

Wikipediaより「ガズナ朝(1040年)」)

 

問4  

【解説】

  『ラーマーヤナ』は『マハーバーラタ』とならぶインドの2大叙事詩。

  『イーリアス』はギリシアのホメロスの作によると伝えられる。

  『ギルガメシュ叙事詩』は古代シュメールで成立した。『旧約聖書』のノアと大洪水の逸話の原型が見られることでも有名。

 

問5  

【解説】

  アングロ=サクソン七王国(ヘプターキー)の統一はウェセックス王エグバート。

  マグナ=カルタはジョン王の時(1215)。

  シモン=ド=モンフォールの反乱はヘンリ3世の時。

(反乱は1258年から。議会は1265年に開催)

 

問6  

【解説】

  緑営は漢人が中心の、平時には主として治安維持にあたった軍事組織。

  タンジマートのきっかけとなるギュルハネ勅令(1839年)を出したのはアブデュル=メジト1世。アブデュル=ハミト2世は露土戦争(1877年~1878年)に際してミドハト憲法を停止し、スルタン専制を敷いた人物。

  十月宣言(勅書)は1905年の第1次ロシア革命の際にニコライ2世が発したもので、ロシアの立憲化を進める第1歩となったもの。アレクサンドル1世は19世紀はじめのロシア皇帝で、ウィーン会議で神聖同盟の提唱などを行った人物。

 

問7  

【解説】

  大月氏は、通常BC2CAD1Cにかけてソグディアナからバクトリアにかけて存在した国。対して、ホスロー1世はササン朝ペルシアの君主で、ビザンツ帝国のユスティニアヌスと抗争を繰り広げたことで有名な6Cの人物。

   中国では、インドのクシャーナ朝のことを指して大月氏と呼ぶこともあるが、クシャーナ朝のことだとしても、その衰退は3Cのことであり、ホスロー1世とは時代が合わない。

  冒頓単于は匈奴の君主。前漢の高祖劉邦との白登山の戦い(BC200年)で有名。

  ヴァルダナ朝は南インドを領域内におさめていない。(下図参照)

3

Wikipedia「ヴァルダナ朝」より)

問8  

【解説】

  澶淵の盟は北宋と遼の間で結ばれたもの。(1004年)

  土地を支給された成人から税を取るのは均田制に基づくもの。

  「湖広」は長江中流域のこと。長江下流域は「蘇湖(江浙)」で、ここが穀物地帯であったのは宋代のこと。

 

問9  

【解説】

  『漢書』は紀伝体による記述。

 

10  

【解説】

  シヴァを主神とするのはヒンドゥー教。

  ヒジュラはイスラーム

  景教はネストリウス派

 

11  

【解説】

 :下図参照。また、ハラッパーはインダス文明の遺跡。

4

 

12  

【解説】

  イッソスの戦いはマケドニアのアレクサンドロスとアケメネス朝ペルシアのダレイオス1世が激突した戦い。(BC333年)

  司馬炎は西晋の建国者。蜀の建国者は劉備。

  劉永福が組織したのは黒旗軍。

 

13  

【解説】

  バルフォア宣言(1917年)はユダヤ人の「国家(言語はnational home)」建設を認めたもの。

  モーセは、十戒で有名な人物なので、「戒律主義を批判した」はおかしい。

  アフラ=マズダはゾロアスター教の神。ユダヤ教徒の神はヤハウェ。

 

 

14  

【解説】

  乾隆帝が対外交易港として指定したのは広州。

 

15  (もっとも、ステュアート朝はもともとスコットランド王家なので、正確には「イングランドでステュアート朝が成立した」が正しい。)

【解説】

  ラダイト運動が起こるのは19世紀はじめ。

  ウォルポールが下院を掌握したのは1721-42にかけて。

  グラッドストンがアイルランド自治法案を提出するのは19世紀後半。(1886年と1893年) また第3回自治法案を提出するのはアスキス内閣(1912年)。第3回自治法案も貴族院(上院)で否決されたが、1911年に制定された議会法により庶民院(下院)の優越が定められていたため、その規定に従って1914年に成立する見通しとなったが、第1次世界大戦の勃発により延期された。

 

 

16  

【解説】

 ・ワッハーブ派はアラビア半島で起こった復古主義的なイスラーム改革運動。当時(18世紀半ば以降)のイスラーム世界は神秘主義など、本来のムハンマドの教えから遠ざかっているとワッハーブ派の創始者イブン=アブドゥル=ワッハーブは考え、ムハンマドの本来の教えに立ち返るために『クルアーン(コーラン)』の教えに忠実であるべきと考える、復古主義・原理主義的な教えを唱えた。乱暴な解釈ではあるが、キリスト教世界におけるルターの主教改革運動のイスラーム版ととらえると理解しやすい。

  (復古主義、とは古いもの、昔に立ち返るということ。原理主義、とは宗教上では経典や教義に忠実に従うことを言う。)

 ・このワッハーブ派を支援したのがアラビア半島東部の豪族サウード家で、サウード家はワッハーブ王国や現在のサウジアラビアを建国することとなった。

 

17  

【解説】

 ① ウィクリフが異端とされたのは神聖ローマ皇帝ジギスムントによって開かれたコンスタンツ公会議(1414-1418)。この時、ベーメンのフスも異端とされ火刑に処せられたため、ベーメンのフス派がまもなくフス戦争(1419-36)を起こした。

   一方、エフェソス公会議は431年に開かれてネストリウス派を異端とした公会議である。

 ② サレカット=イスラームはインドネシアで1911年に結成されたジャワ島の商人同盟で、元々は華人商人に対抗するために生まれたものであったが次第に民族的・政治的な運動を行うようになった。

 ③ 白蓮教は南宋~清の頃に流行した民間信仰。世界史上、白蓮教徒の乱と呼ばれるものはいくつかあるが、世界史上で有名なのは元末に起こった紅巾の乱の別名、または清朝支配下の1796-1804年に起こった白蓮教徒の乱。

   

18  

【解説】

 ・アメリカが占領したのは南半分。北半分はソ連の占領地域。

 

19  (慶州は別名を金城ともいう)

【解説】

 ② ポタラ宮殿はチベットのラサにある宮殿。

 ③ クトゥブ=ミナールはデリー=スルタン朝の最初の王朝である奴隷王朝の建国者、クトゥブッディーン=アイバクによって建てられた、世界で最も高いミナレット。

 ④ パスカルはフランスの数学者、哲学者。落体の法則に関するエピソードで有名なのはガリレオ=ガリレイ。

 

20  

【解説】

 ドイツ植民が行われたのはエルベ川以東で、ここには後のプロイセンのもととなるドイツ騎士団領やブランデンブルク辺境伯領が建設された。

 

21  (スペイン王カルロス1世は神聖ローマ皇帝カール5世と同一人物)

【解説】

 ① カペー朝の創始者はパリ伯ユーグ=カペー。(987年~)

 ② 審査法が制定されるのは1673年、チャールズ2世の治世。

 ③ クローヴィスはフランク族の王で、アタナシウス派キリスト教に改宗した人物。

 

22  (デンマークがシュレスヴィヒ・ホルシュタインをプロイセンに奪われるのは、1864年のデンマーク戦争の時)

【解説】

 ① ハンガリーの主体となっているのはマジャール人。

 ② カルマル同盟を結ぶのはデンマーク・スウェーデン・ノルウェー。

 ③ ポーランドで選挙王政が導入されるのはヤゲウォ朝の断絶後。

 

23  

【解説】

 ① クテシフォンはパルティアやササン朝の都。アケメネス朝はもともとはスサに都をおいたが、ダレイオス1世の時に新都ペルセポリスを建設した。

② サーマーン朝は中央アジアのイラン系イスラーム王朝。都はブハラ。

   一方、コルドバはイベリア半島の都市で、後ウマイヤ朝の都。

 ④ アッシリアの都はニネヴェ。(古都はアッシュール)

 

24  

【解説】

 ① ヴィシー政権の首班はペタン。ブルムはフランス人民戦線内閣の首相。

 ③ スターリングラードの戦いはドイツが敗走し始める契機となった戦い。(1942-43

 ④ バドリオはスペインではなく、イタリアのムッソリーニ退陣後の首相。

 

25  

【解説】

 リューベックはハンザ同盟の盟主。

 ロンバルディア同盟は北イタリアの都市同盟で、盟主はミラノ。

 

26  

【解説】

 ① 新法を推進したのは王安石。司馬光はこれを批判した旧法党の指導者で、『資治通鑑』の著者としても有名。

 ③ 新法が導入された北宋期に北方を悩ました異民族としては、遼、西夏がある。後に遼にかわって金が勃興した際、滅亡した遼の王族が西のトルキスタンに逃亡して建国するのが西遼(1132-1218)で、建国時にはすでに北宋は滅亡していた。

 ④ 東林派と非東林派の争いは明代末期。

 

27  

【解説】

 まず、第1次世界大戦は1914-18年。五・四運動が発生したのは1919年。義和団事件の勃発は1900年。
5

 上の図にあるように、第1次世界大戦は赤の線の間で起こっているが、この間にアメリカとイギリスの逆転が起こっているので、aの文章は正。

 また、義和団事件が起こった時の日本との貿易額は50,000弱だが、五・四運動当時の貿易額は約450,0009倍近くにのぼるため、bの文章は誤り。

 

28  

【解説】

 問題の通り、どちらも正文。

 

29  

【解説】

 ② 陳勝・呉広の乱は秦末の農民反乱。

 ③ ジャックリーの乱はフランスの農民反乱(1358

   同時期にイギリスで発生したのはワット=タイラーの乱(1381)。

 ④ ハイドゥの乱は元のフビライに反抗して起こったモンゴル帝国内の反乱。

 

30  

【解説】

 ① リシュリューはフランスのルイ13世の宰相。

 ② 十四か条の平和原則を提唱したのはアメリカ大統領ウィルソン。

 ④ インド皇帝に即位したのはイギリスのヴィクトリア女王。

 

31  

【解説】

 ルワンダ内戦は1990-1993と比較的新しい。

 

32  

【解説】

 ① ブレジネフは第2次世界大戦後のソヴィエト連邦の指導者で、フルシチョフの次。

   時期としては1964-82

 ② フェビアン協会は第1次世界大戦よりも前。(1884)早くからウェッブ夫妻やバーナード=ショーが参加した漸進的改革を目指すイギリスの社会主義運動。

 ④ 極東軍事裁判所は第2次世界大戦後に開廷された。

 

33  

【解説】

 ① イベリア半島に存在したのは西ゴート王国。東ゴート王国の支配地はイタリア半島。

 ③ ユトレヒト条約では「イギリスが」スペインからジブラルタルとミノルカを獲得したのであって、スペインが獲得したのではない。

 ④ スペインでは、アサーニャ率いる人民戦線内閣がフランコ率いるファシズム勢力に敗北した。

 

34  

【解説】

 ① ダライ=ラマ14世の亡命先はインド。中印国境紛争のきっかけとなった。

 ② ジェームズ2世亡命の原因は名誉革命(1688-89)。

   ばら戦争は百年戦争後まもなくイギリスで発生した内乱(1455-85)で、テューダー朝成立のきっかけとなった。

 ④ 衛満は衛氏朝鮮の建国者で、BC2Cごろの人物。

 

35  

【解説】

 ② 浙江財閥は蔣介石と結んで共産党を弾圧。

 ③ 1911年、清朝の発した鉄道国有令に激しく反発して暴動を起こしたのは、四川保路同志会などを通して利権回収運動を進めていた四川省成都。この暴動鎮圧のために清朝の軍隊が出動した隙をついて発生したのが19111010日の武昌蜂起。(辛亥革命の開始)

 ④ 中華民国の建国宣言がなされたのは南京において(1912年、孫文による)。当時、北京には袁世凱が実権を握る清朝政府(皇帝:宣統帝[溥儀])が依然として存在していた。

 

36  ANZUSの参加国はA=オーストラリア(Australia)NZ=ニュージーランド、US=アメリカ合衆国(United States)

【解説】

 ① ドプチェクはチェコスロヴァキアで発生した「プラハの春(1968)」の指導者。

 ② アデナウアーは西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の首相。

 ③ バグダード条約機構はイギリスが中心となってできた反共同盟。

長らくご無沙汰いたしておりました。本業が忙しく、日々帰宅するたびに眠ることしかできませんでしたのでしばらく放置しておりましたが、センター試験も解き終わりましたので2018年世界史Bの分析ができたら近くUPするつもりでいます。一橋の問題分析もあらためてしたので、「この辺きになるなぁ」みたいなお話もできればしたいとは思っています。

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