世界史リンク工房

大学受験向け世界史情報ブログ

2021年12月

2004年の東大大論述のテーマは、「銀を媒介とした世界の一体化」でした。2000年代の初めごろは、いまでは言葉としてはやや陳腐化した「グローバル化」という言葉がさかんに使われ始めた時期でもあります。1980年代ごろまでは、国際関係においてよく用いられたのは「インターナショナル」という言葉でしたが、冷戦の終わりとIT技術の進歩によって、一部の国だけではなく地球上のほぼすべての国々が何らかの形で互いにつながりを持つようになりました。こうしたグローバル化の流れの中で、かつて歴史の中で起こった地球の一体化への動き、過程を確認しようという意図が見え隠れします。また、当時の受験生にそうした問題意識を持ってほしいということもあったのでしょう。

 また、当時は歴史学会において、アンドレ=グンター=フランクの『リオリエント』(邦訳は2000年の出版)をはじめ、ウォーラーステインの近代システム論に対する修正的なものの見方がよく話題にのぼった時期でもありました。私自身は当時大学院生になりたてでしたが、原史料へのアプローチ不足は否めないものの、ヨーロッパ中心史観にかえて銀の流入・流出というデータから巨視的に15世紀~18世紀頃の経済の実体を読み解こうする内容と手法には引き込まれたのを覚えています。本設問は、こうした当時の歴史家たちの問題意識を反映したものでもあったのではないかと思います。『リオリエント』については以前に別記事の方でご紹介しておりますので、こちらをご参照ください。銀の流れをテーマとした設問としては、近年でも東京外国語大学2017年の大問1論述400字)などで出題されています。

 

【1、設問確認】

・時期:16世紀~18世紀

・銀を中心とする世界の一体化を概観せよ。

16行(480字以内)

 

:リード文は多分に示唆的ではありますが、本設問を解く直接のヒントになる部分はそれほどありません。(設問の要求が1618世紀までであるのに対して、リード文の多くが19世紀以降の話であるため。)ただ、東アジアでは19世紀になっても「依然として」銀貨が子国際交易の基軸通貨であったという部分から、東アジアにおいて銀本位的な経済が18世紀までに成立していたことは確認できます。

 

【2、指定語句の整理】

:今の受験生であれば、本設問のテーマはすでに授業や講習などで先生方が意識して語るテーマの一つになっておりますので、全体の流れを何となくはイメージできるという人もいるかもしれません。ですが、本設問が出題された当時は、銀による世界の一体化を一つのテーマとして語る教材等はまだそれほど多くはなく、当時の多くの受験生はおそらく手探りで本設問にあたることになったと思われます。いずれにしても、こうした世界各地を結び付ける動きを確認しようとする説問の場合、対象となる地域(設問によってはヒト・モノ・カネ・情報なども)はどのあたりなのかを指定語句からひとまず整理してやるべきだと思います。

 

① 汎用

= 綿織物、東インド会社

:この二つについては色々な地域について用いることができます。綿織物については東アジアでも生産されますが、本設問で使用するのであればインド産綿布のイギリス(またはヨーロッパ)への輸出という文脈で用いるのが妥当かと思います。東インド会社についても、その活動範囲は広いですし、設立されるのはヨーロッパですから、色々な地域について言及することが可能です。

 

② 東アジア・東南アジア

= 一条鞭法 / 日本銀

:一条鞭法はめちゃくちゃ出ます。頻出です。これは、明の時代が大交易時代と同時期で、アジアに従来では考えられなかった量の銀が流入してことにより、中国の経済が銀決済を中心とする経済に変化していく中で税制も変化していくという形で、「世界の一体化→地域社会の変化→制度の変容」といった関連性をはっきりと見出せるものであることから、好んで出題されるようになったものと思われます。また、清代にはさらに地丁銀へと変わっていきます。

:日本銀については、出会い貿易を介しての中国への流入などについて書いておくと良いでしょう。

 

(関連事項)

・一条鞭法の内容

=租税や雑徭が複雑なものになっていた両税法にかわり、税を地税と丁税(人頭税)の二つにまとめ、これらを銀で一括納入する制度。以前の『詳説世界史研究』等では以上のような説明ではっきり書いてあったのですが、最近の『詳説世界史研究』や山川の用語集では、地税と丁税というような言及はなく、「とりあえず全部銀でまとめて払った」的な説明が多いです。(帝国書院の教科書も似たような記述になっていました。) 多分、受験生がわかりやすくなるようにということなのだと思いますが、かえって清代の地丁銀との区別がつきにくいので、個人的には以前の記述の方が良かったなぁと思います。これについては、以前Q&Aの方に記事を書いておきました(→こちら)。

・張居正

:一条鞭法を導入した宰相

 

③ 西ヨーロッパ

= 価格革命 / アントウェルペン(アントワープ)

:価格革命は新大陸の銀が大量に流入したことによる銀価値の下落がヨーロッパにおける物価の高騰を招いたとされる事象です。また、これにより生じた西欧・東欧間の価格格差は、東欧から西欧への食糧輸出を促し、東欧でのグーツヘルシャフト発展へとつながっていきます。そういった意味では、新大陸や東欧の文脈でも利用できる用語でしょう。価格革命を扱った設問としては、近年では一橋大学2017年大問1400字論述)などがあります。また、価格革命が実は銀流入ではなく人口増加を背景としたものだったのではないかとする説が近年有力になってきていることについても以前書いた通貨・金融史の方で述べておきました。お時間あればご参照ください。

:アントウェルペンについては、商業革命によって商業の中心地が北イタリア諸都市から大西洋岸へと移っていく例として用いると良いと思います。商業革命によって発展した大西洋岸の都市としては、ほかにリスボンやロンドンなどがあります。また、本設問では18世紀までとなっておりますので、アントウェルペンが衰退した後のアムステルダムなどを示すことも可能でしょう。

 

④ 東ヨーロッパ

= グーツヘルシャフト(農場領主制)

:「グーツヘルシャフトとは何か」を説明させようとすると答えに窮する受験生が結構いるのですが、いまやグーツヘルシャフトは一問一答で答えるだけの用語ではなく、16世紀以降のヨーロッパ経済・社会と深く関連している用語ですから、いくらかは説明できるようにしておかないと活用の機会を逃してしまうかもしれません。グーツヘルシャフトを簡単に説明したいと思うのであれば、以下の3点を抑えておくと良いと思います。

 

Ⓐ 西欧への輸出用穀物生産が目的

Ⓑ 領主が農奴を支配して大農場を経営

Ⓒ エルベ川以東のドイツ諸地域で発展

 

単純に農奴から税を搾り取ることが目的なのではなく、西欧向け輸出作物を大量に生産して売り飛ばすことが目的なのだということは大事なポイントですので、確認しておきましょう。また、エルベ川以東とはどのあたりかということですが、エルベ川はユトランド半島の西の付け根から袈裟懸けにドイツを縦断する川ですので、おおむねプロイセン地域のあたりが中心だと思えばよいかともいます。

画像1

(エルベ川の位置)

⑤ 新大陸

= ポトシ

:ポトシは銀山があることで有名な現在のボリビアにある都市です。このポトシ銀山やメキシコのサカテカス銀山で採掘された銀は、ヨーロッパや、アジア方面に大量に運ばれることになります。ヨーロッパについてはスペインの重商主義(重金主義)、アジアについてはアカプルコ~マニラ間のアカプルコ貿易を思い浮かべればOKです。

 

【3、銀が流れる=取引が行われる】

:2の指定語句整理で、設問が意図している地域としては東アジア、東南アジア、東西ヨーロッパ、新大陸などがあることがわかります。できれば、これに加えて南アジアや中東地域(イスファハンなど)、奴隷貿易が行われる西アフリカといった中継地点を思い浮かべることできればなお良いです。中東は見落としがちですが、指定語句に綿織物がありますし、本設問を解いていくうちに大西洋三角貿易や奴隷貿易は当然思い浮かべることになると思いますので、南アジアや西アフリカについてはさほど苦にせず浮かんでくるのではないかと思います。

 さて、世界の銀の流れについてですが、冒頭でご紹介したアンドレ=グンター=フランクによれば、設問の対象となっている16世紀~18世紀にかけての世界の銀は、最終的には中国に流れ込んでいくとされています。以下はフランクが示した1400年~1800年にかけての環地球交易ルートです。「→」の最終的な先端が中国を向いていることが見て取れるかと思います。

画像2

(アンドレ=グンター=フランク、山下範久訳『リオリエント』藤原書店、2000p.147

 

このように銀が流れていく場合、一部の例外を除いて、当然のことながらこうした銀は何らかの支払いのために流れていくわけで、銀が流れていく反対方向に銀で購入されたモノが流れていくことになります。ですから、こうした銀の流れを意識しつつ、各地域でどのようなモノが取引の対象とされ、どこに流れていくかを確認することが大切です。ただし、新大陸からスペインへなど、重金主義政策や王家に対する納税など取引以外の要素で流れていく銀があることにも注意を払う必要があります。そこで、16世紀~18世紀に、本設問が意識している諸地域間でどのような交換が行われていたのかを、世界史の教科書レベルの知識でまとめてみました。

画像3



青の→:銀と引き換えにもたらされる主要な物産

緑の→:大西洋三角貿易(17世紀~18世紀ごろ)

黄の→:主な銀の流れ(メキシコ銀・日本銀)

ピンクの→:茶の輸入(大量に入ってくるのは18世紀頃から)

 

注意しておきたいことは、これらの物産の流れにも時代による違いがあるということです。たとえば、新大陸から西欧への物産に「砂糖、タバコ、綿花」などがありますが、このうち綿花については、やはり大量に西欧に流れ込んでくるのはイギリスで産業革命が本格化してからの時期(18世紀後半)をイメージするべきだと思います。それに対して、インドからの綿織物輸入については産業革命本格化以前の話なので、16世紀~17世紀が中心だとイメージするべきでしょう。また、アカプルコ貿易や日本銀の流れについても、17世紀半ば頃には東アジア・東南アジア海域でのいわゆる大交易時代は斜陽の時代を迎えます。これは、日本の「鎖国」、清の「海禁」(遷界令など)、スペインが新大陸で採掘する銀の産出量の減少と重金主義の終わり、胡椒をはじめとする香辛料価格の暴落など、複数の要因からなるものです。16世紀~18世紀にかけての世界交易では、スペイン・ポルトガルが活躍していた16世紀、オランダが覇権を握った17世紀前半、英仏が競い合う17世紀後半以降など、時期によって活躍する国も移り変わっていきますが、地域ごとに取引される物産も変化していくのだという点は意識しておきましょう。

 

【4、16世紀~18世紀にかけての主要な銀の流れと影響をまとめる】

:これまで整理してきた内容に注意して、16世紀~18世紀にかけての主要な銀の流れと影響を整理してみると、以下のようなものが挙げられるかと思います。このあたりのところはすでに教科書などでもおなじみの基礎的な内容かと思いますので、詳しい説明は割愛して、関連語句のみcf.)として示しておきたいと思います。

① 新大陸から西欧への銀の大量流入

 →商業革命、価格革命

 →国際分業体制(西欧:商工業、東欧:食糧供給地)

cf.) 大航海時代、ポトシ銀山、ガレオン船、アントウェルペン、リスボン、セビリャ、重金主義、グーツヘルシャフト、中継貿易など

 

② 新大陸からアジアへの銀の大量流入

 →中国を中心とした銀経済の成立

 →一条鞭法、地丁銀など、銀経済に対応した税制の成立

cf.) アカプルコ、ガレオン船、マニラなど

 

③ 日本銀の東南アジアを経由した中国への流入

 →②に同じ。

cf.) 石見銀山、出会い貿易、堺、博多、朱印船など

 

④ 新大陸から一度欧州に到達した銀が、アジアへ流入

 =香辛料、陶磁器、絹織物、綿製品などの代金として

 (経由地としての中東[イスファハン]などの繁栄)

 →生活革命などを促す

cf.) 東インド会社、生活革命、ゴア、モルッカ諸島、クローブ、ナツメグ、アンボイナ事件、台湾、マラッカ、アムステルダム(国際金融の中心[もっとも、ヨーロッパにおける]

 

⑤ 大西洋三角貿易

 =奴隷、新大陸物産(砂糖、タバコ、綿花など)、工業製品の交換

 →交易の主導権を握り、高付加価値商品を販売する西欧に資本が蓄積

 →産業革命の一因に、生活革命を促す(西欧)

 →プランテーション拡大、モノカルチャー化(新大陸)

 →労働可能人口の流出による人口構成の崩壊、低成長の遠因(西アフリカ)

cf.) リヴァプール、ボルドー、アシエント、黒人王国(ベニン・ダホメ・アシャンティ)、英領ジャマイカ、仏領サン=ドマング、スペイン領植民地(カリブ海ではキューバ)、ポルトガル領ブラジルなど

 

⑥ 茶の流入

 =ヨーロッパの宮廷から、後にオランダなどを経由してイギリスへ、民衆への広がり

 →砂糖や陶磁器需要の急増(生活革命)

 →アメリカ独立のきっかけに

cf.) 東インド会社、平戸(オランダ船の来航)、アンボイナ事件、ボストン茶会事件など

 

:ポイントは、個々の動きを断絶したものとしてしまうのではなく、他の事柄と連動していることをうまく示してやると良いかと思います。特に、後半(17世紀半ば以降)の話は、それ以前に銀を原動力として物産の流れや各地の社会状況が変化した結果として起こる新たな流れですから、やはり連続性ということに注意を払うべきかと思います。

 また、本設問の要求はあくまで「銀を中心とする世界経済の一体化の流れを概観せよ」です。銀の流出入は、様々な物産の移動や社会の変化を促しますけれども、そうした変化のうち本設問の解答として書くべきなのはあくまでも「世界経済の一体化の流れ」にかかわるものだけです。これまでの解説の中では、関連する事項として広く多くのことを示しておりますが、そうしたものの中でも「解答に盛り込むべきものは何か」ということについては精選した方が良いでしょう。

 

ex.)◎・〇は使ってOK、△あたりは微妙、×は書いても加点されないと思います。

・国際分業体制…◎

:東西ヨーロッパ経済の一体化を促すため

・一条鞭法…◎

:東アジア経済のさらなる銀経済化を促すため

・生活革命…◎

:関連する物産の輸入、ライフスタイルの変化が世界各地の経済的結びつきを深める

・産業革命…○

:時期的には本設問の終わりの方になるが、その後のイギリスの経済覇権の下での世界経済の一体化に重要な役割を果たすため

・プランテーション拡大、モノカルチャー化…〇

:プランテーションで生産される物産が交易(銀の移動)の原動力となるため

・アフリカの低成長…×

:当時の世界経済一体化の結果に過ぎない / 現代世界への影響はあるが、当時の世界経済一体化に影響を与えるものではない

・アメリカの独立…△

:当時の世界経済一体化の結果に過ぎない / ただし、世界経済の一体化が当時の新大陸にも深く及んでいたことを示す例として示すことは可能(時期が18世紀なので)

 

【解答例】

大航海時代が始まり、スペインがポトシ銀山などの銀を西欧に持ち込むと、商業の中心がアントウェルペンなどの大西洋岸に移る商業革命や、価格革命による物価高騰が起こった。東欧ではグーツヘルシャフトが発展して西欧への穀物供給地となり、国際分業体制が成立した。メキシコ銀はアカプルコからマニラへも向かい、絹や陶磁器を売る中国商人、日本銀を持つ堺・博多の商人を巻き込む出会い貿易で交換された。当初ポルトガルが独占した香辛料貿易はオランダ東インド会社に引き継がれ、アムステルダムが国際金融の中心となった。イギリスもインド産綿織物を輸入したため欧州からアジアへ銀が流出し、中継地イスファハンも繁栄した。銀経済化した中国では、明の一条鞭法や清の地丁銀など銀納の税制が導入された。生活革命により西欧で砂糖・タバコ・茶の需要が急増すると、カリブ海で西アフリカの黒人奴隷を使うプランテーションが発展し、西アフリカへ西欧が工業製品を売る大西洋三角貿易が成立した。資本を蓄積したイギリスで産業革命が本格化すると、インドへの綿織物輸出が増加し、茶の輸入や自由貿易をめぐり清との対立が激化した。(480字)

 

:こんな感じでしょうか。480字という制限があると、やはりどうしても教科書的な解答になってしまって、いまいち『リオリエント』的な銀の複雑な流れを示すことができません。でも、どうしても「欧州からアジアへという銀の流れ」には言及したかったので、それを示せただけよかったかなと思います。教科書的にはポルトガルやオランダによるアジア地域での中継貿易、オランダによるヨーロッパ方面での中継貿易なども書くべきなのかもしれませんが、世界全体での銀の流れということを意識するのであればヨーロッパ諸国が主体の中継貿易という用語にこだわる必要はなく、むしろアジアの商人を交えた出会い貿易の方が良いかなと思ったのでそちらを入れました。600字ならもう少し自由度が高く、色々な要素を入れることもできるかもしれません。

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先日、Slave Voyagesをご紹介したのですが、なかなか素人でも気軽に扱えるデータベースって見つからなくて、探していたんですね。日本のものもあるんですけど、どちらかというと研究者が使うことを想定したもので、中学、高校生が気軽に触れるにはちょっと敷居が高いものばかりで。Slave Voyagesもそういう意味では決して敷居は低くない(そもそも英語サイトだし)のですが、それでもちょっとした使い方さえ分かればそれなりに遊べはするんです。

で、何かないかなーと思っていた矢先、先日参加した西洋史の研究会で、アーカイブズを専門にされている大学院生が紹介してくれたのがこのEuropeanaです。

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https://www.europeana.eu/en)
といっても、私が「紹介して!」と出会い厨みたいに言ったわけではなくて、話の流れの中で自然に登場してきたものを確認してみたら…「…ん?‥むむむ?これ、使えるじゃん!」となったのですが、大陸系ヨーロッパw(すみません、私どうしてもイギリスが専門なので微妙に大陸と断絶しててw)の若手の研究者の方ではわりと知られているサイトらしく、3000を超す様々な研究機関が、文化遺産の保護と紹介のために協力してつくったEUのデジタルプラットフォームらしいです。British Libraryやルーブル美術館といった有名どころから、EU加盟国における地域の文書館や美術館・博物館までが含まれていて、これを使うと収録されているコレクションから、先史時代から現代まで、あらゆる時代の生の史資料を探索することができます。やべぇw

 試しに、自分の専門なのでイギリスの議会史や宗教史に関する何かを探してみようということで、スコットランドのプレスビテリアンを検索してみました。そしたらこんな感じで色々出てきます。

画像1

画面の左上には検索条件の絞り込みもあって、文書が欲しいとか、写真が欲しいとか、時代はいつ頃とか、いろいろな条件をつけて検索することも可能です。なんだ、これ。もっと早く用意しろよw 何といってもすごいのは、ビデオ映像や音までコレクションの中にあるってことですよね。たとえば、以下の動画は、Europeanaで、以前東大1993年世界史過去問解説の中でご紹介したヨーロッパ=ピクニックを検索して出てきたものです。

 

https://www.europeana.eu/en/item/2051943/data_euscreenXL_EUS_2D093A8538BB47CB8FFDD49954193B19

 

文字しか出てこないサイトと比べると、写真や図像史料がたくさんあるサイトなので、研究者以外の人がちょっとした興味に基づいて調べてみたいなぁと思った場合でもわりに使える気がします。個人的にはホガース(William Hogarth)の作品をじっくり眺めてみたいですね。わりと楽しめそう。

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Europeanaについてより専門的な内容をお知りになりたい場合には以下のサイトに詳しく書かれていました。(私も拝見いたしました。)

https://current.ndl.go.jp/ca1863

 

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一条鞭法と地丁銀は、それぞれ明代・清代に導入される税制で、どちらも銀によって税を納めるという点で共通しています。これらの税制が導入された背景には、明代の後半ごろから大交易時代(大航海時代)の影響を受けて、様々なルートから明に銀が流入し、銀によって取引の決済が行われる銀経済が成立したことがありました。

ところが、一条鞭法と地丁銀について、最近の特に山川系の用語集や参考書が一様に記述を改めておりまして、両者の違いが受験生には分かりにくくなっているのではないかと思われます。東京大学2004年世界史大論述の解説を作成しているときに気が付いたのですが、どうも最近は一条鞭法について「とりあえず、全部銀でおさめることになったよ」的な記述しかしていないようなんですね。以下にいくつか例示してみます。

 

「明代後期から実施された税法。銀経済の進展と不正の横行を受け、複雑化していた租税と徭役を銀に換算し、一本化して納入させた。16世紀中頃に地方から始まり、清の地丁銀制のさきがけとなった。」(全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集:改訂版』山川出版社、2018年版)

 

「もともと明代初期には、米などの現物で徴収される税や実際の労働による徭役が主流であったが、それらの税や徭役は15世紀以降次第に銀納化されていき、16世紀には一条鞭法の改革が進んで、各種の税や徭役を銀に一本化してまとめて納税する制度が普及した。」(木村靖二ほか編『改訂版:詳説世界史研究』山川出版社、2017年版)

 

ですが、実は旧版の教科書や参考書では、一条鞭法がまとめた税は地税と丁税(人頭税)であるとはっきり書かれているものが多いです。その上で、これらを銀で一括納入する制度であるというような記述の仕方がされています。

 

「唐の中期以降、宋元時代を通じておこなわれてきた基本税制である両税法では穀物や生糸・銅銭などで納税されたが、一条鞭法では土地税や人丁(成年男性)に課せられる徭役などのあらゆる税を一本化して銀納させるもので、徴収を簡素化・能率化させた画期的な税制である。」(木下康彦ほか編『改訂版:詳説世界史研究』山川出版社、2008年版)

 

「明代後半から清初に実施された税制。田賦(土地税)と丁税(人頭税)などを一括して銀で納めることとした新税法。16世紀後半、まず江南で施行され、同世紀末までに全国に波及した。銀の流通増大を反映したもの。」(全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集:改訂版』山川出版社、旧版)

 

最近のものでも、たとえば東京書籍の教科書は似たような記述をしています。

 

16世紀の江南では唐以来の両税法にかわり、田賦(土地税)、丁税(人頭税)、労役などの煩雑な諸税を一括して銀で納める一条鞭法がはじまり、16世紀末には全国に広まった。」(『世界史B[教科書]東京書籍、2016年検定版)

 

なぜ、最近の山川の用語集や参考書の記述が、これまでの「一条鞭法=地税・丁税の一括銀納」という記載から「一条鞭法=諸税を一括銀納」という表現に変わってきているのかについては、中国史の専門家ではないものでよくわかりません。高校生向けに分かりやすい記述をしようとした結果なのかもしれませんし、歴史学の分野で新たな学説や見方が定着した結果なのかもしれません。(実際、中国近世財政史には新たな展開が見られるようです。)

ただ、間違いなく言えるのは一条鞭法の説明を「諸税を一括銀納」と単純化してしまうと、清代の地丁銀についての説明である「丁税(人頭税)を廃止し、地税(土地税)に一本化した」という説明が、かえってわかりにくくなるということです。ですから、両者の違いを分かりやすく理解しやすいのであれば、旧版の記述にしたがって理解する方が良いような気がします。地丁銀の説明としてよく出てくる「丁税を地税に繰り込む」という表現は、以下のような内容のことを指しています。

①「丁税と地税を取ってたけど、人口増えて丁税チェックするのが手間」

②「だから、今の人口をもとに人口については固定化しちゃおう」

③「固定化した人口が土地に住んでいると仮定して、地税の中に丁税分を足しちゃおう」

たまに、「丁税が廃止されたので減税された」のような書き方をしているものに出くわしますが、丁税はあくまでも地税の中に「繰り込まれ」ただけで、税が消失したわけではありませんので、正確な表現ではないと思います。このような形で地丁銀を理解するとすれば、歴史学的に厳密に正しいかどうかは別として、やはり一条鞭法は「全部銀納」で理解するよりも「地税と丁税を一括銀納」と理解した方がわかりやすいと個人的には思います。

 

【両税法、一条鞭法、地丁銀の違い】

両税法(唐代~[780年、徳宗の時代の宰相楊炎による]

:諸税がごちゃごちゃ。原則銭納とされたが、貨幣経済が浸透しきっていないので実態としては絹布をはじめ物納も。

一条鞭法(明代~[万暦帝期の宰相張居正により普及]

:地税、丁税の二本立て。どちらも銀納。

地丁銀

:丁税を地税に繰り込む。一括銀納。

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【共通テスト~難関大】
なぜか最近出題頻度が高まってきているのが
「清明上河図」です。(実際にはもっと横に長いので、画面に表示されているのはその一部です。)

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(Wikipedia「清明上河図」より)
これは、北宋の都、開封の様子を描いたもので、開封の内外のにぎわう様子が事細かに描かれています。イメージがわきにくい場合には北宋版の洛中洛外図屏風みたいなものと考えるとすっきりします。(もっとも、洛中洛外図屛風の方が後ですが。)

 この絵が不思議と最近よく出ます。近年もセンター試験の方で出題された記憶がありますね。一つのポイントとして、北宋の都開封は運河の結節点に位置した商業都市であったという点を確認しておくと良いかと思います。国際的ではあったものの、多分に政治的な計画都市であった唐の長安とは違い、北宋の都開封は商業都市としての側面が色濃く出ていました。(たとえば、長安は市の場所も、営業時間も決められていて深夜営業などはできないのに対し、開封においてはかなり自由に商売が行えるようになっており、夜間の営業も可能でした。) 北宋時代は商業的な発展が見られた(もっとも、国内と江南の沿岸地域において)時代でもあり、草市や鎮といった地方都市の発展が見られたのもこの時期です。宋の時代に形成された中国国内の商業ネットワークは、元の時代に入って国際的な通商のネットワークと連結されていきます。

 さて、そんなわけで、「清明上河図」はよく出ます。関連する知識として、以下のことをおさえておくとよいでしょう。

 

(関連知識)

・「清明上河図」=北宋の開封の様子を描いた絵

・作者は張択端(ちょうたくたん)

・開封の繁栄を伝える作品としては、他に『東京夢華録』

:南宋の孟元老による、開封の繁栄を伝えた回顧録。

 

だいたい、大学受験の問題というのは使い古されてみんなが解けるようになってくると、少し変化球にして、その周辺の少し細かい知識の方を問うようになってくることが多いので、もしかするとそろそろ張択端だの、東京夢華録だのが中国史好きの難関大あたりでは出てきたりするかもしれませんね。

 

 

 

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