2019年センター「世界史B」 解答・解説



今年もセンター試験を解きました。余裕があれば後ほど色々加えるとして、今日は取り急ぎとりあえず各設問ごとのポイントになる事項を書いておきました。急いで作って確認もとれておりませんので、誤字やミスなどがある可能性がありますので、その旨ご承知おきの上でご覧ください。

 

問1 ③ 

:アンコール=ワットはカンボジア、クメール人のアンコール朝、スールヤヴァルマン2世が建てたヒンドゥー教寺院。ジャヤヴァルマン7世の時代に仏教寺院となった。

【解説】

①ヴェルサイユ宮殿はルイ14世時代に建てられたバロック建築

②スレイマン=モスクはスレイマン1世の命でミマール=スィナンがイスタンブルに建てたオスマン帝国のモスク

④アルハンブラ宮殿はナスル朝グラナダの宮殿

 

問2  

:黄巾の乱は後漢末期の184年、太平道の張角によって起こされた農民反乱。その後の群雄割拠を経て、中国は魏・蜀・呉の三国時代を迎える。

【解説】

①トゥサン=ルヴェルチュールはハイチの黒人指導者。

②ステンカ=ラージンの乱は1670年、ロマノフ朝ロシアのアレクセイ統治下で起こったコサックの反乱

③マルヌの戦いはシュリーフェン=プランに基づき、ベルギーを侵犯してパリに迫ったドイツ軍がパリ近郊マルヌでその進撃を阻止された戦い。

 

問3 ② 

:チャールズ1世はピューリタン革命により、1649年に処刑された。

【解説】

①エドワード1世の時期の模範議会は1295年で13世紀。

③ハーグリーブズの発明したジェニー紡績機は産業革命期で18世紀。

④労働組合法が定められたのは1871年、グラッドストン自由党内閣。

 

問4 ① 

【解説】

②高麗の建国者は王建。大祚栄は渤海の建国者。

③朝鮮の開国は1875年江華島事件の翌年の1876年日朝修好条規で、当時の政権は閔氏政権。また、大院君の基本的な政治方針は鎖国政策だった。

④日韓基本条約は1965年、朴正煕政権の時。

 

問5 ⑥ 

【解説】

a チェルノブイリ原発事故はゴルバチョフ統治下の1986

b 日中平和友好条約は1978年、福田赳夫首相。

c キューバ危機は1962年、ケネディとフルシチョフの時。

 

問6 ③ 

【解説】

スペインはアルタミラ、フランスがラスコー

 

問7 ④ 

1956年、フルシチョフによるスターリン批判をきっかけとして、ポーランドのポズナニ、ハンガリーのブダペストで暴動が発生した。ポーランドではゴムウカが事態を収拾し、ハンガリーでは自由化を進めたナジ=イムレ首相がソ連に捕らえられ処刑され、かわってカーダール共産党政権が成立した。

【解説】

①コペルニクスはポーランド人だが、唱えたのは地動説。

②コシューシコは第2回ポーランド分割(1793)に抵抗した人物だが、普仏戦争の際のパリ=コミューンに参加した事実はない。コシューシコはむしろアメリカ独立戦争でワシントンとともに戦ったことが有名。

③ピウスツキは第一次世界大戦後にポーランドの独裁権を握る人物。第二次世界大戦後のポーランドは共産化されている。

 

問8 ② 

 

問9 ② 

:一国社会主義論を唱えたのはスターリン。レーニンやトロツキーは世界革命を目指した。そのための組織としてコミンテルンがある。

 

問10 ② 

①クヌートはデーン人。

③グスタフ=アドルフは三十年戦争(1618-1648)中のリュッツェンの戦い(1632)で戦死する人物。対して、ファルツ継承戦争はルイ14世の時代、1688-1697に発生した戦争

④航海法を制定したのはクロムウェル(1651)。

 

問11 ② 

:ドイツはカメルーンをはじめとして、トーゴ、タンガニーカ(ドイツ領東アフリカ)、ナミビア(ドイツ領南西アフリカ)などを領有した。

【解説】

①フォークランド紛争(戦争)はアルゼンチンとイギリス。

③ホルムズを占領するのはポルトガル。16世紀末にイスファハンを建設したサファヴィー朝のアッバース1世に奪回された。

④ニューファンドランドを領有していたのはフランス。1713年のユトレヒト条約で、アカディアやハドソン湾地方とともにイギリスに割譲された。

 

問12 ③ 

:バイユーのタペストリーには1066年のノルマンコンクエストの様子が描かれているので、ノルマン人が正しい。マジャール人はハンガリーの主要民族。

 

問13 ③ 

:金は女真族の国で、建国者は完顔部の阿骨打(完顔阿骨打)。耶律大石は西遼を建国した人物で、契丹人。

 

問14 ① 

【解説】

②ワールシュタットの戦い(1241)はチンギス=ハンの長子ジュチの子であるバトゥの率いたモンゴル軍とポーランド・ドイツ連合軍の戦い。ワールシュタットはドイツ語で「死体の山」の意。戦いのあった場所からリーグニッツの戦いとも言う。

③大都は元の都で、遷都はフビライの時。

④チャハル部を制圧したのは清のホンタイジの時。

 

問15 ③ 

:アンカラの戦いは1402年、ティムールがオスマン帝国のバヤジット1世を捕虜にした戦い。アンカラの場所が問題だが、トルコ共和国を建国したムスタファ=ケマルが基盤としたのがアンカラ政府(大国民議会)であったことを覚えていると、アナトリア半島であるということを類推することは可能。

 

問16 ③ 

:イギリス東インド会社の拠点は、ボンベイ・マドラス・カルカッタ。

【解説】 

①ムガル帝国の最大領域はアウラングゼーブの時。

②チョーラ朝は前期がBC3CAD3C、後期が9世紀~13世紀で、ヨーロッパの進出する前。

④従来、象を主戦力としていたインドであったが、ヴィジャヤナガル王国は騎兵への切り替えを進めて馬を輸入した。

 

問17 ① 

:ヘロドトスの『歴史』はペルシア戦争を描いたものだが、この時のペルシアはアケメネス朝。トゥキディデスの『歴史』がペロポネソス戦争を描いていることと区別すること。

 

問18 ① 

【解説】

②古代ローマの貴族はパトリキ。平民がプレブス。新貴族はノビレス。騎士はエクイテス。

③門閥貴族が力を持っていた唐代と違い、宋代には新興地主層である形勢戸が科挙を通じて官戸となり、教養を備えた地主貴族層である士大夫階級を形成した。その背景に、趙匡胤による文治主義と科挙改革(殿試の導入など)があったことに注意。

④貴族は第二身分。第一身分は聖職者。

 

問19 ③ 

:フランクリン=ローズヴェルトのニューディール政策では、生産過剰と価格下落に対処するためのAAA(農業調整法)とNIRA(全国産業復興法)とともに、TVA(テネシー―川流域開発公社)による雇用拡大が図られた。

①アメリカは第一次大戦で債権国となった。金融の中心はロンドンのシティ(ロンバード街)からニューヨークのウォール街へうつった。

②アメリカでは南北戦争後の南北経済圏統一による工業化の進展の中で、1880年代ごろから独占資本が形成され始めるが、革新主義は独占資本の肥大化と政治腐敗を制限しようとするもので、セオドア=ローズヴェルトにより打ち出された。これを引き継いで「新しい事由」を打ち出したウィルソン政権のもとでクレイトン反トラスト法(1914)が成立する。

④米英戦争は別名を第二次独立戦争ともいい、アメリカ北部のイギリスからの経済的自立を促した。

 

問20 ③ 

:ベトナムは一時明の永楽帝の支配下にあったが、黎朝の時に独立を回復した。

①モザンビークはポルトガル領。本国で起こった革命(カーネーション革命1974)の影響で独立。

②ギリシアは1821-29のギリシア独立戦争を経て、オスマン帝国から独立した。

④シンガポールはマレーシアから分離独立した。(1965

 

問21 ① 

:スターリング=ブロックというイギリスの経済ブロックを形成したのはオタワ会議(1932)。これにより、イギリスは自治領ならびに植民地と特恵関税などによるブロック経済のもとで貿易を進めることになるので、カナダとの貿易額は拡大されることが予想されるので、折れ線はaが正しい。

 

問22 ② 

:テキサスはメキシコからテキサス共和国として独立した後、合衆国に併合された(1845)。これに反発したメキシコとの間に米墨(アメリカ=メキシコ)戦争(1846-48)が発生し、負けたメキシコはアメリカにカリフォルニアとニューメキシコを割譲した。

【解説】

①イングランドとスコットランドの合同はアン女王統治下の1707年。

③トリエステ・南チロルなどの未回収のイタリアをめぐり争ったのはイタリアとオーストリア。

EFTAECへの参加を拒否されたイギリスが形成した自由貿易連合で、ECSCとは関係がない。

 

問23 ①  

aの地図はカルロス1世(カール5世)の頃のハプスブルク家で、スペイン、ネーデルラント、ミラノ、ナポリなどを領有している。Bはマリア=テレジアの頃のハプスブルク領で、オーストリア、ベーメン、ハンガリー、南ネーデルラントを領有している。

 

問24 ④ 

:バルカン戦争などを通してセルビアやロシアと対立したオスマン帝国は第一次世界大戦では同盟国側についた。

1699年のカルロヴィッツ条約でオスマン帝国が失うのはオスマン帝国領ハンガリーなど。エジプトは少なくともムハンマド=アリーが19世紀に事実上の独立を果たすまではオスマン帝国領。

②カピチュレーションはオスマン帝国がフランスなどの外国商人に与えた通商特権。

③テマ制はビザンツ帝国の制度。

 

問25 ② 

【解説】

①サンチャゴ=デ=コンポステラへの巡礼熱が高まるのは9世紀ごろから。

③ピルグリム=ファ-ザーズはイギリスの国教会支配を嫌ったピューリタンの集団。

④マンサ=ムーサはマリ王国の王。

 

問26 ① 

1260年、マムルーク朝はバイバルスなどの活躍でイル=ハン国の軍をアイン=ジャールートの戦いで撃破した。

【解説】

②イェルサレムはアイユーブ朝のサラディンが奪回して以来、一貫してイスラーム勢力の支配下にある。(ただし、フリードリヒ2世が一時的に交渉により期限付きで回復している時期がある)

③・④マムルーク朝の支配領域を考えた場合、あり得ない。

 

問27 ④ 

:アッバース朝カリフの権威が弱まると、すでにアッバース朝カリフの権威を否定してイベリア半島に成立していた後ウマイヤとともに、エジプトを中心とする北アフリカを支配するファーティマ朝もカリフを名乗って、三カリフ鼎立の時代となった。

【解説】

①ピラミッド建設は古王国時代。

325年のニケ―ア公会議はアタナシウス派を正統、アリウス派を異端とした公会議。

③むしろ法家思想。

 

問28 ① 

【解説】

②カイロネイアの戦いではマケドニアのフィリッポス2世がアテネ・テーベの連合軍を打ち破った。

③テミストクレスはサラミスの海戦で活躍した人物。アクティウムの海戦はオクタウィアヌスがアントニウスを打ち破り、プトレマイオス朝滅亡へとつながった戦い。

④デロス同盟の盟主はアテネ。

 

問29 ③ 

:ピピンの寄進は756年。判断の仕方としては、ピピンの父であるカール=マルテルの時代のトゥール=ポワティエの戦いは西ゴートを滅ぼしたイスラーム勢力(ウマイヤ朝)との戦いなので、ピピンの寄進は西ゴート滅亡よりも後。また、ピピンの子のカール大帝の戴冠が800年、またアルクィンはカール大帝の進めたカロリング=ルネサンスにおける文化人なので、ピピンの寄進はアルクィンの没よりは前。

 

問30 ③ 

【解説】

①『愚神礼賛』はエラスムス。ラブレーは『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』の作者。

②全権委任法はドイツのヒトラーが1933年に成立させた法律。

④ヘシオドスは神々の系譜を整理した『神統記(テオゴニア)』や労働の尊さを示す『労働と日々』の作者。喜劇による政治風刺で有名なギリシアの文化人はアリストファネスで『女の平和』や『女の議会』が有名。

 

問31 ① 

:呉楚七国の乱は、前漢の景帝の時代に進められた中央集権化に反発した諸王の反乱。この反乱を鎮圧したことにより郡国制から実質的な郡県制へと移行し、中央集権化が進んだ。こうしたなかで前漢の最盛期を迎えるのが武帝の時代。

【解説】

②三省・六部は唐の律令国家体制におけるもの。

③土木の変は明代、オイラートのエセン=ハンに明の正統帝が捕虜とされた事件。1449年。

④八王の乱は西晋の時代の内乱。

 

問32 ④ 

:朱子学では、従来の儒教が重視した五経に代わって、『大学』・『論語』・『孟子』・『中庸』の四書が重視された。

【解説】

①顧炎武は考証学の学者。陽明学は南宋の陸九淵の思想を王陽明が引き継いで成立した学問。

②韓愈や柳宗元といった唐代の文人は、魏晋南北朝期の貴族文化や四六駢儷体ではなく、それ以前の力強い文体である古文の復興を唱えた。

③『四庫全書』は清の乾隆帝の命によるもの。

 

問33 ③ 

726年にビザンツ皇帝レオン3世が出した聖像禁止令は東西教会の対立を激化させた。

【解説】

①平城郊外の雲崗にあるのは仏教遺跡。

②ミトラ教は古代ローマで流行した宗教。

④イル=ハン国のガザン=ハンの時にイスラームに改宗した。

 

問34 ③ 

:ラーはエジプト。インカはペルーに成立した古代文明。

 

問35 ② 

①ピサロが滅ぼしたのはインカ。アステカはコルテスによる。

③ポトシは銀山。

④トルデシリャス条約(1494)はスペインとポルトガル間の条約。

 

問36 ③ 

:ゲルニカの爆撃はスペイン内戦中。