2018年の東京外語の問題は、とても斬新で新しい問題でした。形式的には、従来400字論述と100字論述を各大問に一問ずつ配置していた形式を改め、大胆にも東大の大論述と同じ600字論述として課してきました。下の表は過去の東京外国語大学の論述問題の字数の変遷です。

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ただ、この年の外語の問題の新しさは形式だけの問題ではありません。この問題が本格的な史料の読解と「分析」を要求する設問になっているという点です。東大の大論述がかなりの世界史知識を短時間の間に「整理」しなくてはならないのに対して、外語の問題は短時間で必要な情報を拾い上げて分析する力を問われています。極論を言ってしまえば、東大の問題は原則として「知識がないと解けない」問題であるのに対し、外大の問題は「知識がなくても読めば(ある程度は)解ける」設問になっているところが大きな違いだと思います。もっとも、レベルの高い解答に仕上げるためにはある程度の世界史知識がなければならないのは言うまでもありません。(ただの読解であれば国語にしてしまえばよいので。) 60分という時間を考えれば、かなり高いレベルの総合力を問われる良問だと言えると思います。

 

 さて、それに加えてこの年の小問は例年と比べるとかなり難度が上がっています。普段であれば東京外語の小問は「易」~「標準」レベル、おおよそセンターレベルの一問一答問題がほとんどなのですが、2018年の小問は「易」に分類される問題が少なく、一部に難問もあるなど、全体的なレベルがかなり高くなりました。この年のレベルであれば、小問のうち何問かは落とす覚悟をしておかなくてはならないでしょう。小問を取りこぼしてしまった人は、その分論述にかかるウェートが重くなることを覚悟しなくてはなりません。例年と比して、論述の出来が合否を左右する面が大きかったのではないかと思います。

 

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【小問解説】

(大問1-1) ケネディ家

:この設問は意外に解けないと思います。ケネディがアイルランド系であることは知っている人は知っていますので、ちょっと気の利いた先生であれば授業の中で軽く触れることはあるでしょうが、いわゆる穴埋め式の知識重視型で、あまり関連した事柄を紹介したり横道にそれたりすることがない先生だと、授業で扱わない人もいるでしょう。また、とりあえず今手元にある教材にさっと目を通しましたが、ケネディがアイルランド系であることに触れた教材はありませんでした。(東京書籍『世界史B』、『詳説世界研究』最新版、山川『世界史Ⓑ用語集』(2012版) ただ、用語集が「カトリック初の」という説明だけは載せていました。(「アメリカ最初のカトリック教徒の大統領で、最年少で大統領に当選した。」)

 設問の方を見ても、ケネディを導けるヒントは「アイルランド系カトリック初のアメリカ大統領」以外には見当たりませんから、受験生には少し難しい問題だと思います。また、設問は「家門の名」を答えなさいとあるので、正確には「ケネディ家」となります。

 

(大問2-2) 茶

:ヒントが「19世紀にオーストラリアに輸出されていた中国の商品作物」ということしかありませんので、すぐにピンとくる人には簡単ですが、ドツボにはまってしまうとなかなか出てこないかもしれません。ただ、設問の中にオーストラリアとアメリカ合衆国の関係について答えさせる問題がありますし、オーストラリアがイギリスの自治領であることを考えれば、答えを導くことは十分可能です。

 

(大問2-5)メルヴィル 『白鯨』

:この設問は出題の意図がいまいち読めません。世界史的な知識としてはメルヴィルと『白鯨』は全くというほど出てこないものだと思います。比較的本を読む人やアメリカ文学が好きな人であれば知っているかもしれませんし、サブカルにどっぷりつかった人ならモビー・ディックについてのオマージュでエイハブ船長とかは何となく知っているという人もいるかもしれません。落として当然の問題で、この手の問題にこだわっても意味はありません。飛ばしましょう。多分、出題した側が後で内部の会議で反省するないしは叩かれる系の問題ですw

 

(大問2-4:30字論述)

アメリカ合衆国の独立で、新たな流刑植民地が必要になったから。(30字)

:オーストラリアが流刑植民地となった背景を問う問題です。知っている人はすぐに解けますし、設問から時期を確認すればアメリカ独立直後の話だと分かりますので、知らない人でも勘の良い人であれば解けると思います。

 

【大問1論述】

(設問概要)

・(飢餓を経験した人々と社会の対応ならびに核エネルギーの軍事利用が起こしうる、破滅的な災害への対応という)歴史的事例にふれながら、災害に対する社会の対応がどのようなものであったか史料[A][C]の順に分析し、論ぜよ。

・史料だけでなく、各史料の解説文、出題者による注記、設問の文章および解答を考慮せよ

・指示語:移住 / 人道支援 / 政府 / 国際社会

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(解答手順1:災害に対する社会の対応を史料ごとに読み取る[史料A]

①史料A(アイルランドのジャガイモ飢饉、1840年代)の読み取り

 史料として使われているIllustrated London Newsは、19世紀イギリスの社会を知る上での基本史料の一つです。ちょっとした規模の大学であれば図書館においてあるところもあるかと思います。こちらの史料や注意書きから読み取れることは以下のような内容です。

 

・アイルランドでジャガイモの凶作が起こり、貧農層が被害を受けた

100万人が死亡、150万人が移民によってアイルランドを離れた

・宗教団体(フレンド会[クウェーカー教徒])が炊き出し所の設置など慈善事業を展開

・慈善事業の資金は施してとなる人々から集められている(寄付)

・炊き出しに効果があったことから国費により炊き出し所が設置、運営された

・肉、米、エンドウ豆、野菜などで作ったスープとパンの提供

・提供の際には清潔さが求められる

・調理に際して蒸気機関が活用されている

・アイルランド内外で多くの募金組織が設立された

・義援金はヨーロッパ諸地域、オスマン帝国、インドなどからも寄せられた

 

 また、史料Aに関連した設問から読み取れることは以下の通りです。

・コーク=アイルランドから多くの移民が旅立った港町

・凶作と飢饉により生活が困難になった人々→海外へ移住

・移民の一部は移住先でコミュニティ形成→社会的、政治的影響力拡大(ex.合衆国)

・新しい科学技術の活用により、大規模な食糧供給が可能に

・国費による炊き出し所の運営に先立ち、アメリカからトウモロコシを緊急輸入

 →アイルランドに供給するも、無償提供が自由貿易原則に反するという批判

 →最初は原価で、のちに市場価格で提供

・自由貿易原則に則り、穀物法を撤廃

 →アイルランドからの穀物輸出を助長し、かえって食糧不足を悪化させた

 

②史料Aの分析

:こうした多くの情報から、特に設問の要求に応えるにあたって重要な部分を拾い上げていきます。設問が要求しているのは「災害に対する社会の対応」です。このあたりに注目して情報をまとめると以下のようになります。

・飢饉に対する対応

 [個人、被災者]―移民による新天地開拓で対応

 [慈善団体など]-炊き出し、寄付を募る、募金組織の設立

 []     -トウモロコシの緊急輸入(米から)

         国費による炊き出し

 [世界]    -各地から義援金(オスマン帝国やインドからも)

 

:また、この史料からは他にも重要な情報を読み取ることが可能です。それは、慈善のような活動でも、その根底には当時力をつけてきていた産業資本家層の価値観や倫理観が色濃く反映されているということです。たとえば、こうした慈善事業に蒸気機関のような最新の技術が取り入れられていることからは、この慈善事業に産業資本家層が関係していることをにおわせています。また、慈善事業をはじめに展開したのがフレンド会だということもそのことを示唆しています。フレンド会、またはクウェーカーは17世紀半ばごろから活動を開始したプロテスタント宗派ですが、神秘的側面を持つことから国教会からは異端視され、時に迫害されました。1689年の寛容法で国教会以外のプロテスタント諸派も信仰を認められたことからクウェーカーも信仰の自由を得ましたが、公職につけなかった彼らは実業界で活躍したり、社会的な改革運動に従事する人が多くいたと言われています。

 また、産業資本家層の価値観は慈善だけでなく、むしろ災害を拡大する方向にも働いていたことには注意が必要でしょう。たとえば、「自由貿易」というのは当時の産業資本家層が追求した価値観の一つですが、この価値観が人々を基金から救う方向とは逆の方向の力として働いたことが史料や設問からは読み取れます。特に、問3の問題は以下のように書かれています。

 

 下線部③に関連して、イギリス政府は、国費による炊き出し所の運営に先立ち、アメリカからトウモロコシを緊急輸入してアイルランドに供給した。しかし、無償提供は自由貿易の原則に反するとして、トウモロコシの供給は原価で、のちに市場価格で行われた。同様に、この自由貿易の原則に則り、イギリス政府は1846年に穀物法を撤廃したため、アイルランドからの穀物輸出を助長し、かえって食糧不足を悪化させたと非難された。この自由貿易主義の理論的支柱を形成した経済学者で、『経済及び課税の原理』(1819年)の著作で知られる人物の名を答えなさい。

 

 この設問からは、「自由貿易の原則」という理念に沿って

・トウモロコシの無償提供は行われず、最終的には市場価格で供給されたこと

・穀物法の撤廃がかえって食糧不足を悪化させたこと

などが読み取れ、産業資本家層の一部は確かに積極的に飢餓に瀕した人々の救済に関わったけれども、一方でむしろ飢餓を拡大させる要因も作ってしまっていることをうかがい知ることができます。

 最後に、この史料がIllustrated London Newsであることを考えると、こうした飢饉などの災害において、報道と情報の伝達、世論の形成などが重要な役割を果たしている点を付け加えても良いかもしれません。

 

(解答手順2:災害に対する社会の対応を史料ごとに読み取る[史料B]

①史料B(中国華北の飢饉、1919年以降)の読み取り

 この史料は、中国占領地の社会調査に関する史料で、日本人が上海に創設した東亜同文書院の研究部が行った『北支那飢饉救済の調査』がもとになっていることは説明文からわかります。こちらの史料や注意書きから読み取れることは以下の通りです。

 

・中国華北の広大な地域で大飢饉が発生した。(1919年~1920年またはそれ以降)

・飢饉の被災者は2000万人、犠牲者は50万人にのぼった。

・民衆は居住地を捨てて移住するなど、独自に救済を模索した。

・平糶(へいちょう:設問中に注意書き有「政府や地方行政機関などの備蓄米穀を市場価格より安く販売し、飢饉で混乱した米穀価格を調整すること」)が飢饉救済のために行われ、効果を発揮した。(と、東亜同文書院研究部は考えていた。)

・日本領事館が救済に当たった。この際、流民は6万余で、うち4万は帰郷、1万は移民、1万は施療所の世話になった。

・馬のえさの不足により車馬の運賃が高騰した。

・土匪が出没した。

・米国が特に目覚ましい救済活動を行った。

・中国政府及び貴紳は外国救済団に刺激を受けて漸く救済に取り掛かった。

・中国側の救済で顕著なものは賑務処(災害救援局)が行った急募借款である。

・一部有識者階級である学生新聞の記者は、中央政府、地方官、各地富豪の冷淡を攻撃し、被災者の苦境を天下に訴えた。

・中国政府の動きが当初鈍かった背景には、元来中国の下級農民が天災を運命とあきらめて役人に期待せず自衛により対処する傾向があったことによる。

・日英米仏の公使は共同で国際統一救済会の運営にあたり、国際的義援金を募集した。

・この義援金の中では、アメリカおよび米国赤十字社が募集した義援金が最も多かった。

 

②史料Bの分析

 ①の内容を分析すると、以下のことが読み取れます。

 

[民衆]-自衛の手段として移住を選択

    元々、役人に期待せず自衛手段を講じる傾向

    一部は土匪となって暴徒化した

[日本領事館]-救済に当たる

[中国政府など]-当初は無関心→後に活動(賑務処による急募借款など)

[諸外国]-早くから活動

米国や国際統一救済会、アメリカ赤十字などによる国際義援金

[一部の有識者]-学生新聞が政府や地方官などの無関心を糾弾

[その他]-平糶による価格調整が救済に役立つ

     車馬の価格上昇などの社会的影響が見られた

 

 こうした内容からは、史料Aとの相違点がいくつか見えてきます。たとえば、民衆が自衛のための手段として移住を決断するところはアイルランドのケースと類似しています、ただ、その移住先は外国よりは隣接する中国内の省であることも多かったようです。さらに、一部は土匪となって襲撃を行うなど、治安の悪化につながったこともわかります。

また、救済のための慈善活動は、当初米国を中心とする外国または外国の団体によって担われていました。その活動にはやはり国際義援金の募集があったようです。ただ、この段階ではすでにアメリカ赤十字や国際統一救済会などの諸団体が形成されており、アイルランドの時のように一部の宗教団体の活動や自然発生的な義援金に依拠するだけではなかったことがわかり、こうした救済活動が20世紀初頭の段階では組織化されてきていることが分かります。

 一方、外国が主体となった救済活動は中国ではあまり一般的ではなかったようで、政府、地方官、各地の有力者は当初救済に無関心でした。ですが、諸外国の活動や、中国内の学生新聞など、一部有識者からの糾弾もあって、賑務処と呼ばれる災害救援局が急募借款を行うなどして救済活動を行うようになります。また、救済活動においては平糶とよばれる備蓄米穀の安値放出による価格調整が効果を発揮したことが分かります。さらに、飢饉が車馬価格の上昇を引き起こすなど社会的影響も見られました。

 

 また、設問からは以下のことが読み取れます。

・他省への大量の移民が受け入れ先の地域社会に深刻な影響を及ぼした。

(例:北方のモンゴル人居住区に南方からの農民が流入した結果、遊牧民地域に定住農耕が拡大するという事態を引き起こした)

 

(解答手順3:災害に対する社会の対応を史料ごとに読み取る[史料C]

①史料C(ラッセル=アインシュタイン宣言)の読み取り 

 ラッセル=アインシュタイン宣言は核兵器と戦争の廃絶を訴えた科学者や哲学者の連名による宣言です。物理学者のアインシュタインや哲学者バートランド=ラッセル、日本の物理学者湯川秀樹などが参加しています。本史料から読み取れることは以下の通りです。

 

・科学者たちが核戦争の危機を回避するために国際社会の連携を呼びかける声明を発表

・ビキニ環礁での核実験を契機とした水爆使用への危機感を表明

・核兵器の放棄を目的とする協定は東西冷戦の緊張緩和や奇襲攻撃への懸念の緩和に資するとの声明を出す

・各国政府に対し、戦争によらない平和的手段による紛争解決の模索を勧奨

・赤十字国際委員会の派遣したスイス人医師ジュノーが原爆投下後の広島で医療支援活動を展開

 

②史料Cの分析

 正直、ここで災害と合わせて核戦争の被害を並置することは、まとまりに欠けるというか、やや唐突な感があります。ただ、設問の方でパグウォッシュ会議やPTBT(部分的核実験禁止条約:Partial Test Ban Treaty)やNPT(核拡散防止条約)についての記述があるので、災害防止のための有識者の呼びかけが国際的な対応を促した点などに中国の飢饉における学生新聞の糾弾を受けた中国政府の対応などとの共通点を見出しても良いのかもしれません。

 

・有識者の声明がパグウォッシュ会議の開催とその後の議論など、核兵器廃絶を目指す運動の呼び水となった。

1960年代には部分的核実験金条約や核拡散防止条約など、核兵器の国際管理に向けた動きが始まった。

 

(解答手順4:総合)

 以上の内容を総合し、まとめていきます。設問の方には「史料[A][C]の順に分析し」という指示があるので、基本的には「アイルランドの事例→中国の事例→核」の順に書き進めて言って良いと思います。余裕があれば、その相違点などについての分析を入れても良いかと思いますが、必須ではありません。

 

(解答例)

 飢饉に際し、民衆は移住で対処した。アイルランドのジャガイモ飢饉で米に移住した人々はコミュニティを形成し、大統領を輩出するなど少なからぬ影響力を保持した。また、中国では他省に移住した人々の影響で遊牧地帯に定住農耕が拡大するなどの社会的影響を及ぼした。民衆の自助に限界がある時には慈善活動や政府の支援、各地からの募金が行われた。アイルランド飢饉では、フレンド会による炊き出しや募金、これに刺激を受けた国費による穀物の緊急輸入や炊き出しが行われたが、これらを指導する産業資本家層の価値観が反映されて有償供給に変更されるなど、救済とは逆行する面も見られた。中国の事例では、従来から政府による救済を期待しない民衆の自助努力に加え、アメリカなど国際社会による人道支援が展開された。有識者たちは学生新聞の記事で政府を糾弾したため、中国政府も平糶による対応を行い一定の成果を挙げたが、一部民衆は土匪となって周辺を襲撃するなど暴徒化した。災害救済組織の国際化も進み、国際義援金は国際統一救済会、赤十字などの活躍で届けられ、赤十字は原爆投下後の広島でも医療支援を行うなど活動の幅を広げた。ビキニ環礁における水爆実験は核戦争に対する危機意識を高め、科学者たちが発したラッセル=アインシュタイン宣言は核廃絶への世論を喚起してパグウォッシュ会議開催へとつながり、核の平和利用意識の高揚や、PTBTNPTなど米ソ主導型の核管理が進んだ。(600字)

 

 素直な読み取りの羅列でも良いとは思いますが、ここでは極力特に飢饉という共通のつながりをもつABとの関係(地域や時代による対応の差として史料から読み取れること)を中心にまとめてみました。ですが、最後まで「核」をどう使いたいのかという出題者の意図はくみ取れませんでした。おそらく、大問の最初に示されているリード文で「人類はこれまでにじつに多くの災害を経験してきた。そのなかには、人智の及ばない原因による自然災害もあれば、人為的な原因による災害もあった。…(中略)…そのような努力はしばしば被災した地域だけでなく、周辺社会にまで変化をもたらし、ときには広く国際社会にまで影響を及ぼして、世界史上の画期となることもあった。」という文章があることと、史料[C]の紹介文の中で「核エネルギーの実用化は、広島、長崎への原爆投下が示すとおり軍事面で先行した。その非人道性への反省から推進されだした平和利用も、チェルノブイリ原発が冷笑したように事故の危険性から無縁ではない。その用途が何であれ核の超絶的破壊力と放射能は人類の存続を脅かしかねず、核実験、核戦争、または原発事故の惹起しうる大災害が現実の脅威となったことで、20世紀は災害史の新時代を画したと言える。…」とあります。(下線部は私の方で付しました。)ですから、おそらく核の出現が災害史という歴史にとって画期になったという視点を受験生に示したかった&解答に盛り込んで欲しいということは分かるのですが…。何と言うか、違和感を感じるんですよね。

 核を災害史の一部として考察してみようという視点は歴史学の中では比較的新しい視点です。(そりゃそうだ、最も長かったとしても原爆使用後からですからせいぜい70年程度ですし。)ですから、そうした新しい視点を、次代を担う受験生たちに紹介したいというのは意欲的ですし、理解もできます。違和感の原因はそこではなくて、設問の構成や史料の質なんですよね。まず、[A][B]の史料が災害(というかどちらも飢饉です)に対する人々や社会の対応として、移住、義援金など全体的な共通項が多いのに対して、[C]はそうした共通項はあまりありません。せいぜいが世論形成と国際組織の形成程度が共通項として見えるくらいで、[A][B]が互いに強い親和性を有している一方で、[C]だけが極端に浮き上がって見えてしまっています。また、逆に対比や差異を見出せるような史料の内容ではありません。何より史料の選定の仕方に違和感を覚えます。[A][B]が災害に対する人々や社会の具体的行動やその実態が比較的見える史料であるのに対して、[C]だけはラッセル・アインシュタイン宣言という極めて理念的な史料であって、災害に際しての人々や社会の実態が見えるものではなく、史料の質が大きく異なります。前者が実態を精査するための史料であるのに対して、後者はどちらかというと言説研究に属するもので、双方から読み取れる情報の質が違うんですね。ですから、解答を作ってみると、前半部分が人々や社会の動きなど、ミクロな部分が見える生々しい記述になるのに対し、後者の方は何だかマクロな話になってしまってものすごくバランスが悪く、「出題者が何を受験生に求めて何をさせたいのかわからない」設問になっている気がします。まぁ、「チェルノブイリや福島では、多くの人々が移住を余儀なくされ、被災者には多くの義援金などが寄せられた」とかすれば共通項は見出せるわけですが、[C]の史料からチェルノブイリや福島まで言及するのは字数的にも無理がありますし、いくら何でも飛躍しすぎでしょうw

 そんなわけで、解答を作りながらも「なんかモヤモヤする」という気分を払拭できない設問でした。会話のかみ合わない人とのコミュニケーションではよくこういう感情を抱くことがありますw 私が受験生だったら、できる・できないはともかく、この年の論述はあんまり解きたくないなぁと思いながら解いていました。600字論述になったことは意欲的な実験ですが、やはり600字論述と300字論述というのは作る側にとっても解く側にとっても別物なのだなぁと実感させられました。