2020年一橋の第2問についてですが、シンプルな設問でした。覇権(ヘゲモニー)の変遷については近年高校世界史でもよく言及されるものになってきましたので、受験生にとっても目新しいものではなかったと思います。一橋の第2問ではたびたびアメリカを中心とした国際関係が出題されますので、そのあたりでも当日の受験生が「?」となってしまう設問ではなかったと思います。ただし、設問の文章がシンプルで指定語などもない分、設問の意図や言葉の意味を取り違えてしまうと解答があらぬ方向へ行ってしまう危険性がありますので、その点については注意を要する問題であったかと思います。また、平均的な一橋の受験生であれば「ある程度は書ける」と思わせる設問ですので、その中で一つ抜きんでる解答を書くためには、言及すべき内容を丁寧に追っていく必要があったかと思います。あまり面白味のある問題ではありませんが、近現代の国際関係史を復習するには良い設問だと思います。

 

【1、設問確認】

・時期:19世紀後半~20世紀中葉

・資本主義世界の覇権がイギリスからアメリカ合衆国に移行した過程を論ぜよ

・第二次世界大戦、冷戦、脱植民地化との関係に言及せよ。

 

【2、覇権国家】

:実は、「覇権」や「覇権国家」について共通する明確な定義があるわけではありません。研究分野や研究者によってややアバウトにとらえられている語だと考えてよいでしょう。本設問のテーマにそって「覇権(覇権国家)」をとらえるとすれば、概ね以下のような内容になるかと思います。

① 他を圧倒する経済力、政治力を有する

② 強大な軍事力を有し、自国の安全を安定的に確保することができる

③ 文化力、技術力について他をリードする分野を持つ

④ 他国に対してリーダーシップを発揮し、国際システムに安定性をもたらす

 

【3、パクス=ブリタニカ】

:資本主義世界の覇権が英から米に「移行した」とありますので、まずはイギリスが有していた覇権とはどのようなものであったかを把握する必要があります。設問の時期が19世紀半ばごろからとなっていることからも、これについては「パクス=ブリタニカ」を思い浮かべるのが良いでしょう。これについては東大などでも頻出のテーマで、たとえば1996年の東大大論述で出題された「19世紀中ごろから20世紀中ごろまでの<パクス=ブリタニカ>の展開と衰退」や、2008年に出題された「1850年頃から1870年代までのパクス=ブリタニカと世界諸地域の関係」などが参考になるのではないかと思います。パクス=ブリタニカの時期にイギリスが優位に立ち、覇権を握ることになった要素をまとめると以下の4つになるかと思います。

 

① 「世界の工場」→「世界の銀行」へ

 :いち早く産業革命を達成したイギリスは、19世紀半ばには「世界の工場」としての地位を築きます。かつては、この「世界の工場」としての役割を終えて米・独にその座を明け渡す19世紀後半ごろからイギリスの優位が脅かされるような論も見られましたが、近年では米・独などの新興工業国が台頭してきた19世紀後半に、イギリスは「世界の銀行」として世界の金融を握って非常に大きな経済的影響力を行使していたことが明らかになっています。例えば、すでに1850年代後半にはイギリスはアメリカ合衆国の鉄道債権をかなりの額、有していたことが明らかになっていますし、その後もインドをはじめとする各植民地に莫大な額の資本投下を行ってその利権を得ていました。こうした金融世界の支配力を背景に19世紀末には19世紀初めに自国で成立した金本位制を国際的な基準として拡大することに成功し、国際金本位制(ポンド体制)が成立しますが、このこともイギリスのシティが世界金融の中心であったことを示しています。

 

② 海軍の圧倒的優位

  :イギリス海軍は19世紀後半において二国標準主義(two power standard)をとりました。二国標準主義とは、イギリスの海軍力を世界第二位の国と第三位の国の海軍力合計を上回る状態にする国防方針のことです。そしてこの方針は1889年の海軍防衛法(Naval Defence Act)によって立法化され、イギリスは同法に基づいて海軍の強化を行います(1889年当時の世界第二位と三位はフランスとロシア)。

 

③ 海路の支配(要所に海軍・通商の拠点)

  :イギリス海軍の行動は、イギリスがおさえていた海上拠点によっても支えられていました。イギリスは、1713年のユトレヒト条約によってジブラルタルとミノルカ島を獲得しましたが、このことはイギリスが地中海への入り口を確保したことを示していました。18世紀後半には北米植民地を失ったものの、カリブ海のジャマイカをはじめとしてアメリカ方面にも拠点を構えていました。さらにイギリスはウィーン会議で地中海中部のマルタ島領有を確定し、1878年のベルリン会議では東地中海に浮かぶキプロス島を領有して、地中海全域に海上拠点を設けました。また、アフリカの南端にはケープ植民地、インド全域とセイロン、マレー半島にはマラッカやシンガポールを領有してアジア方面への海路を確保しただけでなく、1875年にはスエズ運河株を買収したことにより、長大なアジアルートを地中海と結ぶことに成功します。これらの海上拠点は他国を圧倒する海軍力の支えになっただけでなく、通商や植民地支配の支えとしても機能し、大英帝国の繁栄を支えることとなります。

 

④  広大な植民地(アジア、アフリカ)

  :アジア、アフリカに存在したイギリスの広大な植民地、中でもインドはイギリスの原料供給地、市場、投資の場として機能し、ヨーロッパ市場においてはやや行き詰った感のあったイギリス経済の持続的な成長の原動力となりました。

画像1
(イギリス帝国の版図[1921]Wikipedia「イギリス帝国」より)

 

【4、イギリスの相対的優位の崩壊】

:イギリスの覇権は19世紀後半から徐々に揺らいでいきますが、はっきりとその動揺が見られたのは第一次世界大戦の後です。第一次世界大戦で莫大な戦費を費やし、債務国へと転落したことや、ワシントン体制の成立により太平洋地域の主導権をアメリカに奪われたことなどがそのあらわれとして示せるのではないかともいます。いずれにしても、イギリスからアメリカへという覇権の移行はある時点において急に起こったのではなく、時間をかけて徐々に進行したものでした。イギリスの相対的優位の崩壊について、ポイントを示すとすれば以下の通りになります。

 

 ① 後発国の台頭(工業生産について米、独の追随)

 ② ドイツの挑戦(建艦競争をきっかけに海軍優位が次第に消滅)

 ③ 第一次世界大戦によるアメリカの台頭

 ④ 第一次世界大戦をきっかけとする債務国への転落(金融上の優位の消失)

 ⑤ 民族運動の激化(植民地の安定支配が困難に)

 ⑥ 植民地政策の転換(自治領の誕生、イギリス連邦の成立)

 

【5、アメリカの台頭と覇権】

:一方のアメリカは、南北戦争終結により南北の経済圏を統一したことや、1869年の大陸横断鉄道開通、西部開拓の急速な進展などにより第二次産業革命を達成し工業生産額を急速に拡大します。イギリスとは違い広大な植民地こそなかったものの、それを補って余りある広大な国土はアメリカに豊富な資源を提供しました。また、両岸を太平洋と大西洋に挟まれたことや、建国以来の外交的孤立主義はヨーロッパ列強間との争いから距離を置かせることを可能にし、国防上で有利な条件を備えていました。こうした中、ヨーロッパ列強が第一次世界大戦で疲弊するのを尻目に、アメリカは世界最大の工業国にして債権国としての地位を築き上げ、金融の中心地はイギリスのシティ(ロンバード街)からアメリカのウォール街へと移っていきます。ただし、この段階では依然としてヨーロッパやアフリカ・中東地域の主導権はイギリスが握っており、イギリスの覇権が完全にアメリカに移ったわけではありませんでした。しかし、第二次世界大戦後には、国際連合の設立やブレトンウッズ体制の構築などでアメリカは指導的立場を演じ、さらに冷戦がはじまる頃には資本主義世界の盟主としての地位を確固たるものとしていきます。イギリスが放棄したギリシア、トルコの共産化阻止をアメリカが買って出たこと(トルーマン=ドクトリン)や、マーシャル=プランを西欧各国が受け入れたことなどがこれを示しています。アメリカの台頭と、イギリスからの覇権の移行についてのポイントを示すと以下のようになります。

 

 ① 世界一の工業生産国に(1880年代~)

 ② 国土の拡大(フロンティアの消滅)

 ③ ラテンアメリカへの影響力拡大(パン=アメリカ会議、カリブ海政策)

 ④ 第一次世界大戦後に債権国へ

 ⑤ 太平洋秩序の再構築(ワシントン体制[九か国条約、四か国条約、海軍軍縮など)

 ⑥ 1920年代の国際秩序構築を主導(ケロッグ=ブリアン条約、ドイツ賠償問題など)

 ⑦ 大量生産、大量消費、大衆文化の拡大

 ⑧ 第二次世界大戦と戦後国際秩序

   (国際連合、ブレトン=ウッズ体制、自由貿易体制[GATT]など)

 ⑨ 冷戦における資本主義陣営の盟主

(マーシャル=プラン、NATO、防共圏の構築など)

 

【6、第二次世界大戦、冷戦、脱植民地化との関係】

:以上の要素を踏まえて、設問は「第二次世界大戦」、「冷戦」、「脱植民地化」との関係に必ず言及せよ、と言っています。ただ単に20世紀史の部分をあつく書くというのではなく、それぞれの要素が覇権の移行とどのように関わっているのかを丁寧に考えていく必要があるでしょう。受験生にとって難しいのは「脱植民地化」という言葉をどう理解し、扱うかでしょう。脱植民地化というのは、言葉だけでいえば植民地が宗主国の支配から抜け出して独立を獲得していくことですが、時代や文脈によって脱植民地化をどのような視点から見るかということが変わってきます。その意味で、短い問題文の中で「脱植民地化」という言葉をポンと投げかける本設問の問い方はやや不親切というか、アバウトな印象を受けます。脱植民地化が大きく問題になるのは広大な植民地を有していたイギリスの方でしょう。イギリスは第二次世界大戦後にインド帝国の分離独立を許し、中東地域についても支配権を失っていきます。例えば、先に述べた1996年の東大大論述の解答としてはエジプトのナセルとの間で起きたスエズ戦争(第二次中東戦争)によるスエズ運河利権の喪失あたりまでが解答として要求されていました(指定語に「スエズ運河国有化」があった)。ただ、本設問ではアメリカが「資本主義世界の覇権」を握るまでが要求されていますし、時期も「20世紀中葉」とだけありますので、スエズ戦争まで書く必要はないと思います。イギリスが植民地帝国を喪失したことを、具体例をいくつか挙げて示すだけで十分でしょう。むしろ重要なのはアメリカとの対比ではないでしょうか。民族自決の風潮が高まる中、各地で民族運動が巻き起こりイギリスは多くの植民地を手放すことになったわけですが、一方のアメリカは植民地依存型の国家運営ではなかったことや、広大な国土と資源を有していたことなどから脱植民地化の影響は軽微ですみました。たとえば、アジアではアメリカからフィリピンが独立していきますが、これも1934年に制定されたタイディングス=マクダフィー法で決まっていた既定路線で、当時のアメリカ議会が決めたことでしたし、独立後もフィリピンは防共圏の一部として機能することになります(1951、米比相互防衛条約)。

 

(第二次世界大戦)

  ・イギリスを始めとする列強の荒廃とアメリカの圧倒的経済力・工業力

  ・戦後国際秩序のアメリカ主導による再構築

 

 (冷戦)

  ・米ソの二極構造の形成(パクス=ルッソ=アメリカーナ)

  ・アメリカによる資本主義陣営の指導的立場

 

 (脱植民地化)

  ・イギリス植民地帝国の崩壊(民族自決、民族運動の展開)

   cf.) インド、パキスタン、中東、スエズ戦争etc.

  ・対して、アメリカは広大な植民地を元来持たず、脱植民地化の影響が軽微

   (自国内に広大な領土、原材料、市場が存在)

【解答例】
 19世紀半ばに世界の工場となった英は、第二次産業革命を達成した米・独に工業生産で抜かれながらも、金本位制のもとで圧倒的な金融資本を持つ世界の銀行として世界経済をリードした。しかし、建艦競争で次第に海軍の優位を失い、第一次世界大戦後には債務国へ転落、民族運動の高揚で植民地経営も困難さを増し、欧州での指導的地位は維持したものの、新たに金融の中心となった米に太平洋地域などの指導的地位を明け渡した。第二次世界大戦後には圧倒的な経済・軍事力を持つ米が、国際連合やブレトン=ウッズ体制などの新秩序建設をリードした。冷戦構造が顕在化すると、米はマーシャル=プランによる西欧経済再建やNATOANZUS、アジア諸国との同盟による防共圏構築で西側諸国の指導者となった。脱植民地化の中で英がインドなど広大な植民地を喪失したのに対し、広大な国土、資源、市場を有して影響が軽微であった米が資本主義世界の覇権国家としての地位を確立した。(400字)