2007年の東大大論述は、農業生産の変化が各地の社会にどのような変化をもたらしたのか、でした。東大では、小論述ではわりにこうした農業史についての出題があるのですが、大論述でここまで農業が社会に及ぼした変化をガッツリ書かせようという問題は比較的珍しいように思います。経済史・社会史というくくりにしてしまえば大論述でも良く出題されますが、その場合は交易や移民といった要素が前面に押し出された設問で、この年のように「農業!」という設問は新鮮にうつりました。その昔、農業型サイボーグ「サイボーグじいちゃんG」が異彩を放ったのと同様かと思います。ちなみに、大好きでした。コミックスばっちり買いましたw 

さて、東大の大論述としては比較的珍しい設問ではあったものの、実は内容的には世界史の王道を行く内容です。特に、「農業技術の進歩」が「農業生産の向上」につながり、それが「人口増加」や「商工業の発展」を促して最終的に社会を大きく変化させていく、という構図は世界史を勉強していると「またか!お前~」と思いたくなるほどたくさん出てきますので、きちんと世界史を勉強している人であれば「ああ、あれね」と思えるテーマであるかと思います。今回の設問とは時期が違いますが、たとえば古代中国における「牛耕と鉄製農具の導入」が「農業生産の向上」につながり、それが「家族単位の農業経営を可能にした」ことが、それまで人々が生きていくにあたって依存せざるを得なかった「氏族共同体の解体や価値観の変化」につながるという社会変化をもたらす、あるいは、「余剰生産物の発生」が「商工業の発展」につながり、「青銅貨幣の流通や都市の成長」につながる、などというのは、11世紀ヨーロッパの農業技術の進展から商業ルネサンスへの流れとそっくりです。非常にわかりやすい構図で汎用もきくので、世界史を勉強している受験生は意識しておくと話が分かりやすくなるかと思います。

ただ、まぁ、わかりやすいんですけどね…、下部構造(生産様式)に上部構造(社会制度、組織、イデオロギー)が影響されるという過度にモデル化された図式にはマルキシズムの残滓を感じますねぇ~w ま、分かりやすいからいいんですけど、いつも上に書いたような流れを説明しながら「まぁ、本当にそうかどうかは眉唾だけどね…」と思っていますw 教科書に書いてあることが常に歴史的に正確であるとか、実態を表しているとは限りません。(もっとも、史資料に基づいた研究の蓄積ですから、根拠のない荒唐無稽な話ではないですが。)

少し脱線します。小学校、中学校、高校で使ういわゆる「歴史の教科書」は基本的には「歴史学に厳密に照らして、正確であるか」よりも、「その教科書を使う人にとって、分かりやすいか」を基準に書かれています。そのよい例が日清戦争の講和条約(下関条約)です。中学受験する小学生は、日清戦争を学ぶときには決まって「賠償金2(テール)(日本円で3億円)をもらってその金で八幡製鉄所ダー」と覚えさせられるのですが、高校世界史ではなぜかそれは鳴りを潜めて、むしろ「朝鮮の独立を認める」といった内容がむしろ強調されます。これは、朝鮮への進出を考える日本が朝鮮の宗主国であった清にその宗主権を放棄させるという意味で非常に重要な内容なのですが、中学受験向けの教科書では書いていないか、あまり強調されません。それは、「清の宗主権を放棄させて…」と小学生に言ったところでわからんのに対し、「戦争で勝ったから賠償金ゲットだぜ!製鉄所もたてちゃうぜ!フー!」の方が分かりやすいからです。このように、文章を書くという行為は(誰かに読まれることを前提としている限りは)双方向のコミュニケーションですから、書き手は常にだれに向けてのものなのかを考えて書く必要がありますし、読み手はその文章が何を目的に書かれたのかを意識する必要があります。そうでないと、その文章の持つ奥底の深い部分、行間からにじみ出る雰囲気や感性を感じることはできないからです。

また脱線してしまいましたが、この年の設問は、多少時間や地域の設定の仕方に無理はあるものの、その難易度といい、農業という基本的な生産手段がいかに広い範囲に影響を与えるかというテーマを受験生に考えさせる点といい、良問かと思います。

 

【解答手順1:設問内容確認】

・時期は11世紀から19世紀

・指定語句から、少なくとも中国とヨーロッパについては時期を明確にしておくとよい

 中国:宋代~清代(1000年代~1800年代)

 欧州:中世中期~近代

・農業生産の変化について述べよ。

・農業生産が変化したことの意義について述べよ。

 

ヒント1:農業生産の変動は人口の激減と密接に連動した。

ヒント2:耕地の拡大

ヒント3:農地の改良

ヒント4:新作物の伝播

→これらは「人口増加」、「商品作物栽培」、「工業化」、「分業発展と経済成長」につながった

 

:上のヒントについて言うなら「ヒント1~4」が「農業生産の変化」であり、→以降の内容がその意義ということになりますね。また、

ヒント5:凶作による飢饉が世界各地にたびたび危機をもたらした

と、凶作・飢饉についても言及するように述べられています。

 

【解答手順2:指定語句と設問から関連地域を予測】

(中国) 湖広熟すれば天下足る / 占城稲

(ヨーロッパ) アイルランド / 農業革命 / 三圃制 / 穀物法廃止

(新大陸) アンデス / トウモロコシ

 

【解答手順3:各地域について考察】

:設問自体は「世界各地」とか「農業」といったアバウトな設定しかしていないのですが、指定語句を分析すると、基本的には「中国」、「ヨーロッパ」、「新大陸」に絞ってよいことが分かります。そこで、ここでは「中国」、「ヨーロッパ」、「新大陸」のそれぞれについて、世界史で学習する農業関連の重要事項を簡単にまとめてみたいと思います。

 

(中国)

宋代

・蘇湖熟すれば天下足る(長江下流域の穀倉地帯化)

・背景として、占城稲などの新品種の導入、竜骨車などの新技術

・干拓による囲田・圩田・湖田などの開発

→重税、副業としての手工業発達、商品作物の栽培(綿花・桑など)、都市化と人口増加

明代

・湖広熟すれば天下足る(長江下流域の都市化にともない、長江中流域が新穀倉地帯に)

・沿岸地域の商工業発展と海外貿易の増加による銀の流入

→中国における銀経済の発達

 

清代

・新作物の導入(トウモロコシ:山地で栽培、他にサツマイモ・ジャガイモなど)

  →人口増加、東南アジア地域への流出(華僑)

 

(ヨーロッパ)

11世紀頃

・三圃制、重量有輪犂の導入

→人口増加→西欧の膨張(大開墾時代、十字軍、東方植民、レコンキスタ)

 

16世紀頃

・「商業革命」と「価格革命」

→国際分業体制の成立(グーツヘルシャフト)

・アジア・新大陸産物の流入による「生活革命」

→コーヒー・茶・砂糖・綿織物などの需要急増

→世界各地での栽培開始(プランテーション、モノカルチャー化)

 

18世紀後半以降~

・農業革命(ノーフォーク農法、第2次囲い込みなど)

  →人口増加、農村労働者の増加と資本主義的農業経営の拡大

  →ナポレオン戦争中の穀物価格急騰と地主による利益追求

  →小麦輸出とアイルランドのジャガイモ飢饉、アイルランド人移民

  →一方で、さらなる人口増加と、産業革命時の労働力供給

  →台頭する産業資本家と地主層の対立

  →自由主義の高揚とコブデン・ブライトの反穀物法同盟結成、穀物法廃止(1846

  →航海法廃止(1849)による英の自由貿易体制確立

 

(新大陸)

・大航海時代→アンデス原産の作物が各地へ伝播(清・日本:青木昆陽『蕃諸考1735』)

・商品作物のプランテーション栽培(サトウキビ・タバコ・綿花・コーヒー)

 

おおよそ、上記の内容を丁寧に配置すれば解答は書けるかと思います。

 

【解答例】

 中国では、宋代の占城稲や竜骨車の導入、干拓による耕地拡大から、長江下流域が穀倉地帯化し「蘇湖熟すれば天下足る」と言われ、重税に対処するための副業から綿花・桑などの商品作物栽培や手工業も発達した。明代には、都市化した長江下流域から中流域に穀倉地帯が移り、「湖広熟すれば天下足る」と言われた。西欧でも、11世紀頃から三圃制や重量有輪犂導入で農業生産が向上して人口が増加し、十字軍や東方貿易などの西欧の膨張につながった。大航海時代到来は、商業革命と価格革命による東西ヨーロッパの価格格差をもたらし、東欧のグーツヘルシャフト発展を促して国際分業体制を成立させた。生活革命とコーヒー・茶・砂糖・綿織物などの需要急増は、アジアや新大陸における商品作物栽培とモノカルチャー化を促した。トウモロコシやジャガイモなどのアンデス産作物の伝播は、清の人口増加や華僑流出、アイルランドの飢饉と合衆国への移住など、各地の人口動態に影響を与えた。18世紀の英に始まるノーフォーク農法や第二次囲い込みによる農業革命は、資本主義的農業経営の拡大をもたらし、地主の利益追求型の経営は台頭する産業資本家の反発を買い、穀物法廃止や英の自由貿易体制確立に影響した。

510字)

 

正確には、トウモロコシはアンデス原産ではなくもともとはメキシコなどで育てられていたものがアンデス地方の重要な作物になっていくものですが、目をつぶりました。(そもそも、アメリカ大陸「原産」であることはわかりますが、実際のところは判然としません。栽培自体はメキシコの方がアンデスよりもかなり早かったようですが、後にアンデスでも重要な作物になっていきます。解答では「原産」の語を使わずに「アンデス産」としてごまかしましたw)

解答の作り方は、もちろん「中国では~」と中国について宋代から清代までを書き、「ヨーロッパでは~」とヨーロッパ中世から近代までを書く、といった書き方もできるのですが、ここで注意したいのは大航海時代の影響です。大航海時代の引き起こす商業革命・価格革命は、ヨーロッパの国際分業体制を成立させるきっかけとなりますし、生活革命は需要の急増した砂糖などをカリブ海プランテーションで栽培させるなど、世界各地の耕作の状況や産業構造を大きく変えるきっかけになります。また、新大陸からアジアへもたらされた文物は、各地に大きな影響を与えます。たとえば、産地でも栽培可能なトウモロコシの栽培は「清の人口増加と、土地不足に起因する中国人の海外流出(華僑の増加)」をもたらしますし、ジャガイモの栽培はこれを主食としていたアイルランドで大飢饉を引き起こし、合衆国へのアイルランド系移民の増加を招きます。ケネディやレーガン、クリントンはアイルランド系ですね。『グレート=ギャツビー』の作者として知られるF=スコット=フィッツジェラルドもアイルランド系です。

何がいいたいかと言いますと、大航海時代をきっかけに世界の農業のあり方が大きく変化するんですね。ですから、「中国は~」、「ヨーロッパは~」とぶった切って書いてしまうと、そのあたりのダイナミズムがいまいち表現できない、ただの情報の羅列になってしまう可能性があります。解答例はその辺のところに注意してみたとお考え下さい。あとは、指定語句と相談してどのあたりまで書けばよいか、情報を取捨選択することになります。