【難関大】
 清とロシアの国境をめぐる事柄については、難関大では近年頻出の内容ですが、教科書や参考書ではそれぞれ違う部分で語られることが多いため、一連の流れとして把握するのが難しいです。また、関連する地域については世界史の他の箇所で出てくることもないため、地理的把握が十分でないことが多く、文章で示されても「それっていったいドコ?」と、どのように領土が変遷していくのか分からないケースも想定されます。そこで、この地域の様子を示す地図と、各条約の詳細や背景をまとめた表を作成してみました。

清露国境

濃青:アルグン川  緑:スタノヴォイ山脈

オレンジ:アムール川  水色:ウスリー川(ウスリー江)

このあたりの地理で一番わかりにくいところは、実はアルグン川もアムール川もウスリー川もそれぞれがつながっているということを知らないことが多く、どこからどこまでを指しているのか把握しづらいということです。上の図の通り、アルグン川はアムール川の上流部分(濃青)のことで、スタノヴォイ山脈(緑色)と結ぶと康煕帝とピョートル1世との間で結ばれたネルチンスク条約(1689)の国境線となります(黄色いライン)。また、ネルチンスク条約の締結された当時は外モンゴル方面の国境線が定まっておりませんでしたが、17世紀末に康煕帝が外モンゴルのハルハ部を支配下に置くと、同地とロシアの国境画定が問題となりました。その結果、雍正帝の頃に結ばれたのがキャフタ条約(1727)です(ピンクのライン)。

一方、19世紀に入ると欧州列強の清への進出が激しくなりました。こうした中、アイグン条約(1858)が結ばれます。この条約でロシア領とされた「アムール川以北」というのは、「ネルチンスク条約で国境とされたスタノヴォイ山脈よりも南、アムール川よりも北で囲まれた部分」のことを指します。アムール川とは上の地図のオレンジのラインで引かれた部分のことです。ものによっては「アムール川以北」のことを「アムール川左岸」と書いてあったりして分かりにくいんですよね。「左岸」というのは、川を上流から下流に向かってながめたときに左側のことを左岸と言いますが、特別な必要がない限り言葉はできるだけわかりやすく伝えた方がいいかと思いますので、「アムール川以北」の方が個人的には好きですね。

また、同じくアイグン条約では清とロシアの共同管理地、続く[露清]北京条約(1860)ではロシア領とされた沿海州は、水色で示されたウスリー川ならびにその下流のアムール川より東の土地のことを指します。これは「海沿いの州=沿海州」なので分かりやすいですね。

露清国境画定条約一覧 - コピー

上の表が清とロシアとの国境を画定させた主な条約の一覧です。イリ条約は一連の国境画定の流れの中で出てくることはまれなのですが、最近はロシアの南下政策と絡めてユーラシア全体を把握させようとする設問が見られる(例:東大2014など)ことから、念のため追加しました。

 これら諸条約で一番大切かつよく出題されるのはもちろん「どの条約がどのように国境を画定したのか」ということなのですが、意外に清とロシアの通商関係が問題になっていることに気付きます。こうした通商関係をめぐる設問も見られるようになってきていますし(例:東京外国語大学2016)、朝貢体制の外で展開された「互市」という関係を視野におさめた設問や参考書も増えてきました。(例:東大2020 / 『詳説世界史研究』、山川出版社、2017年版、p.236) 私が高校生くらいの頃はこれらの条約の内容を把握しておくだけでも「すごいな」とか「どんだけ世界史やっとんねん。」という感じだったのですが、今後は諸条約をまとめるだけではなく、通商や対外関係なども含めたより広い視点で把握する力が難関大では求められてくるかもしれません。