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カテゴリ: 一橋大学対策

すでに2017年一橋世界史解説において申し上げましたが、比較的安定していた一橋大学の出題傾向に最近変化が見られます。大きな変化を感じたのは2014年の問題でしたが、ただ歴史的事実を整理し、まとめさせるだけの問題から、与えられた史資料を活用して自分の頭で考えるスタイルの出題が増えてきているように思います。これに伴って、出題範囲にも徐々に変化が見られ、2017年の問題をもって、もはや従来型の一橋の出題傾向分析は役に立たない、と言っても過言ではなくなってきました。

 

 そこで、その変化が見られ始めた2014年問題以降の出題を中心に、近年の出題傾向を再度まとめ直してみたいと思います。細かい部分の解説などはすでに問題解説の方で行っておりますので、ここでは大きな傾向のみを把握するにとどめたいと思います。今回、分析の対象にしたのは2014年~2017年の4年間に出題された問題で、これらのうち「史資料読解の重要性が特に高い問題はどれか」、「出題で対象とされている時期はいつか」、「出題のテーマは何か」について調べてみました。以下がその表になります。

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この表から言えることは、

・史資料読解の重要度の高い設問が数多く出題されている。

・出題の対象となる時期には一定の法則性は見られない。

・設問の内容についても特に目を引く法則性は見当たらない。

ということです。つまり、これまでとは異なり、ひどく的を絞りにくい出題になっています。入試問題としてはこちらの方が本来のスタイルだとは思うのですが、受験生にとっては取り組みづらい要素が強くなってきているのは間違いありません。

 

 まず、史資料読解の重要度が高い設問が多いという点についてですが、一橋は従来から史資料を出題する傾向の強い大学でした。ですが、その史資料の多くは、論述の構成にまで影響を与えるようなものは少なく、せいぜい文章中にあけられた空欄補充のヒントとなる程度で、決定的な要素ではありませんでした。極論を言ってしまえば、史料やリード文がなくても設問さえあればある程度の答えを書くことが可能でした。

 ところが、近年の問題は、この史資料の読解から得た発想が論述の内容に大きな影響を与えるスタイルの問題が増えています。史料の性格を突き止め、出題者の意図をくんで解答することが求められているフシがあります。その変化を見るために、2014年までではなく、2000年の問題までさかのぼって史資料読解の重要度にのみ焦点をあてて分析しました。それが以下の表になります。

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これを見ると一目瞭然ですが、明らかに近年は史資料の重要性が増しています。また、このように表にしてみることではっきりしますが、従来は史料すら使われていなかった大問1、大問2において史資料が活用され、かつそれに重要な意味が込められている問題が増加しています。2014年問題のインパクトが強かったために目立ちませんでしたが、こうした変化は2014年よりも少し前、2011年頃から始まっているように見受けられます。大問3については、従来においても史料が示されることがほとんどでしたが、その内容には大きな変化が見受けられます。史資料の読解に重きをおく2003年から2006年ごろのスタイルへと回帰しているように思われます。もっとも、この「重要度」をはかっているのは私の主観ですから、必ずしも正確なものではありません。しかし、全体の傾向としては明らかではないかと思います。

 ためしに、無作為にかつての大問1を抽出してみましょう。以下は、上の表で史資料の重要度が「×」となっている時期のちょうど真ん中あたり、2004年の大問1です。

 

 宗教改革は、ルターにより神学上の議論として始められたが、その影響は広範囲に及び、近代ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした。ドイツとイギリスそれぞれにおける宗教改革の経緯を比較し、その政治的帰結について述べなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(400字以内)

 [指定語句:アウクスブルクの和議 首長法]

 

 この問題と、史資料重要度で「◎」となっている2014年の大問1や2016年の大問1と比較してみてください。(本ブログの解説に、史資料をどのように活用すべきかも含めて示してあります。) その差は歴然ではないでしょうか。つまり、ここ数年の一橋の出題傾向の変化に対する違和感の正体の半分は、この史資料の重要性の変化に帰すると言ってよいでしょう。

 しかも、出題の対象となる範囲も多岐にわたっています。これまではほとんど出題例のなかった古代史からの出題、大問3における明史以前(1113c)からの出題など、近年ますます幅が出てきました。強いて言えば、16世紀以降の近代史の出題頻度が多い(2014年以降では12問中8問が該当)ようですが、これもあてにはなりません。また、出題内容にもこれといった法則性はありません。同じくこちらもあえて言えば大問3については中国周辺の国際関係史が主であるように見受けられますが、ひっくり返すのは容易でしょう。これも同じくあてにはなりません。

 

 このような一橋の新しい出題傾向に対して、ある特定のテーマだけに絞ってヤマをはって学習するという手法は意味をなしません。無駄というものです。今後の一橋受験を考えるのであれば、東大向けの受験勉強を進めることが一番妥当であるように思います。私がもし通年で一橋向けの受験対策を行うのであれば、東大・京大の過去問10年~15年分に加えて一橋の過去問10年分ほどをベースに論述の地力をつけ、史資料読解問題練習として東京外語の史料問題に触れさせる(ただし、設問は史資料読解の重要性を増したものに改変)といった形の授業をどこかで組み込むと思います。もちろん、これらに限らず、良問に触れる数は多ければ多いほど良いです。芸がないように思われるかもしれませんが、今後の一橋受験を世界史で考えるのであれば、「世界史に対する理解と論述」の地力をつけることが一番の近道であるように思います。その分、私大対策を特別にする必要は逆に少なくなるかもしれません。(それだけの地力をつけられれば私大の設問は苦も無く解けます)別の意味で、闘い甲斐のある相手になりましたねぇ、一橋世界史は。

先日は2017年一橋の大問1向けに作成した予想問題のうちの一つをご紹介しましたが、続けてこちらも賞味期限切れではありますが、大問2(または3)向けに作成したもののうちの一つをご紹介したいと思います。先ごろ、東大向けに何か気になるテーマはありませんかというご質問にお答えした中でも言及したパン=イスラーム主義(パン=イスラム主義)に関する設問です。これに絡めて問題を作れないかなぁということで作ってみました。使用している史料の出典は同じく、岩波の『世界史史料』からのものです。(http://history-link-bottega.com/archives/11994047.html)

 

【問題】

以下の(A)、(B)の二つの史料を参考に、続く問いに答えなさい。

 

(A) アブデュル=ハミト2世『政治的回顧録』(執筆年代不詳)

 

 カリフ制とシーア派

 

 イスラーム主義の本質を考えるとき、われわれは結束を強化すべきである。中国、インド、アフリカの中央部をはじめ、全世界のムスリムたちはお互いに密接な関係になることに有効性がある。このような時に、イランとの相互理解がなされていない事態は残念なことである。それゆえ、ロシアおよび英国にもてあそばれないように、イランはわれわれに接近することが重要である。

わがユルドゥズ宮殿で知識ある人として高名なセイド=ジェマレッディンは「スンナ派とシーア派は、誠実さを示すことによって統一は可能である」と私に進言して希望を持たせてくれた。もしこの言葉が実現すればイスラーム主義にとって崇高な状態をもたらすだろう。

 

(B) ユスフ=アクチュラ『三つの政治路線』(1904年刊)

 

 オスマン帝国において、西洋に感化されつつ、強化と進歩への願望が自覚されて以来、主として三つの政治的路線が構想され追求されてきたと私は考える。その第一は、オスマン政府に属する多様な諸民族を同化し、統一して一つのオスマン国民(ミッレト)を創出すること。第二には、カリフ権がオスマン朝の君主にあることを利用して、すべてのイスラーム教徒を上述の政府の統治下で政治的に統一すること(西洋人が「パン=イスラミズム」と呼ぶところのもの)。第三に、人種に依拠したトルコ人の政治的ナショナリティを形成することである。(中略)

 すなわち、オスマン国民は、オスマン国家のすべての民族の意思に反して、外国の妨害にもかかわらず、オスマン政府の指導者の何人かが、いくつかのヨーロッパ諸国…を頼って創出しようとしたものなのだ!(中略)要するに、国土の内外でこの政策[オスマン国民の創出]に全く適合しない環境が生じた。それゆえ私の考えでは、もはや、オスマン国民の創出に努力するのは、無駄な骨折りなのである。(中略)

 トルコ人の統一という政策の利益についていえば、オスマン帝国のトルコ人は、宗教的かつ人種的な紐帯によってきわめて緊密に、単に宗教的である以上に緊密に統合されるだろう。(中略)しかし、本質的で大きな利益として、それは、言語、人種、慣習、さらには大多数の宗教でさえ一つであり、アジア大陸の大部分とヨーロッパの東部に広がるトルコ人の統一に…寄与するだろう。また、この大きな集合体においてオスマン国家は、トルコ人社会の中で最も進歩的で最も文明的であることから、最も重要な役割を演ずるだろう。

(中略)オスマン国民の創出は、オスマン国家にとって利益があるが、実行不可能である。ムスリムあるいはトルコ人の統一に向けた政策は、オスマン国家にとって、利益と不利益が同等と言えるほど含まれている。実行面については、容易さと困難さはやはり同程度と言える。

それでは、そのどちらの採用に努めるべきであろうか。

 

問い

 

 19世紀以降、西洋諸国の進出に対抗するためにオスマン帝国はタンジマートをはじめとする諸改革を実行したが、19世紀後半になると様々な政治的・対外的混乱に巻き込まれて西欧諸国の植民地主義に十分に対応することはできなかった。こうした中で、オスマン帝国では史料中にもみられるように、様々な形で帝国の統一と強化を進めることを模索した。史料中に見られるアブドュル=ハミト2世の治世以降、オスマン帝国ではどのような理念のもとに国家の再編をはかり、それはどのような政治的展開をもたらしたかを説明しなさい。また、この19世紀末の政治的展開に始まるその後の変化は、20世紀前半までに長く続いたオスマン帝国を消滅させるにいたるが、この過程において(B)の史料中の下線部に示された「オスマン国民(ミッレト)」、「すべてのイスラーム教徒を上述の政府の統治下で政治的に統一すること(西洋人が「パン=イスラミズム」と呼ぶところのもの)」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」がどのように関連を持つか、当時の思想的潮流と政治的展開に留意した上で論じなさい。

 

【解答】

 タンジマート以来の西洋化が進む一方で、諸民族の分裂が問題となったオスマン帝国では、統一を保つため「オスマン国民」意識の創出が試みられたが、多民族国家で、非イスラームにミッレトを通して一定の自治を認めていた帝国で共通の国民意識を創出することは困難だった。露土戦争を口実にミドハト憲法を停止したアブデュル=ハミト2世は皇帝専制を復活させ、パン=イスラーム主義を利用し帝国の再統一を図ったが、反動政治を嫌う人々はこれを保守的なものとして批判し、パン=トルコ主義を掲げて対抗した。青年トルコ革命でアブデュル=ハミト2世が退位するとこの傾向はさらに強まったが、これはバルカン半島などの非トルコ諸民族の反発をかった。第1次大戦後にスルタン制を廃止しトルコ共和国を成立させたムスタファ=ケマルは、民族主義と共に世俗主義を掲げてカリフ制を廃止し、イスラームの宗教的支配から政治・文化・教育を解放する西欧化を目指した。

400字)

 

【設問の要求とその前提】

 おそらく、お気づきになる方もいるのではないかと思いますが、この問題は問いとしては少々「くどい」ですw それというのも、これはそもそも「解かせる」ことを想定して作った問題、というよりはオスマン帝国末期の政治状況と当時の思潮を意識・整理させることを目的として作った問題だからです。

 オーストリアとカルロヴィッツ条約(1699)を締結してからのオスマン帝国の縮小・衰退の流れについては受験生にとっては必須の箇所ですから、いろいろとご存じの方も多いと思いますが、全体像や大きな流れとして語りましょう、といったときに流れるように話せる人はかなり少ないのではないでしょうか。どうしても、クリミア戦争や露土戦争などに目がいってしまい、オスマン帝国内部の変化からその衰退を語る視点というものはなかなか持てない受験生が多いように思います。

 そうした、オスマン衰退史について語ると本設問の論述ポイントから離れてしまいますので、それは別稿に譲ることにしますが、19世紀のオスマン帝国はその「分裂」に悩まされていました。宮廷とその周辺においては既存の保守勢力と西洋的な教育を受けた「新オスマン人」と呼ばれる人々の間の対立があり、一方で地方においてはイルティザーム制の導入以降力をつけたアーヤーンなどの地方勢力の自立化が見られました。

 こうした国内の混乱の中で、アブデュル=ハミト2世が即位します。そもそも、彼がスルタンに即位したのも、皇帝専制を目指すスルタン側と改革を目指す新オスマン人との間の軋轢の結果でした。アブデュル=ハミト2世の叔父にあたるアブデュル=アジーズは、オスマン帝国の西洋化・近代化を進める一方、断固として皇帝専制の維持を考えたために、これに不満を持った改革派であるミドハト=パシャをはじめとするグループによって退位に追い込まれます。このあたり、中国(清)の末期の「中体西用」とか「保皇派vs革命派」の雰囲気と似通ったところがありますね。アブデュル=アジーズを退位させたミドハト=パシャは、かねてから新オスマン人に理解を示してきたアブデュル=ハミト2世の兄であるムラト5世を即位させます。ところが、ムラト5世は即位後まもなく精神疾患によって退位を余儀なくされました。その結果、やむなくミドハト=パシャはムラト5世の弟であったアブデュル=ハミト2世に即位を要請します。

 このような事情があったことから、新しくスルタンになったアブデュル=ハミト2世と新オスマン人の間の関係はかなり微妙なものでした。アブデュル=ハミト2世にしてみれば、自分がスルタンになれたのはミドハト=パシャをはじめとする改革派のおかげですから、これを無視するわけにはいきません。一方で、改革派の側でも、紆余曲折を経てスルタンの位につけたアブデュル=ハミト2世ですから、この機嫌を損ねて再度政治的な危機を招くわけにもいきません。こうした中で制定されたミドハト憲法はある意味で両者の妥協の産物でした。アブデュル=ハミト2世は確かに改革派の言をいれた憲法の公布を認めましたが、その中で彼は「国益に反する人物を国外追放する権利」などの強力な君主権を残すことに成功します。その結果、アブデュル=ハミトはミドハト=パシャに反感を持つ保守派政治家と協力してミドハト=パシャを追放し、憲法を停止することに成功しました。その結果、アジアで初めて成立した立憲制はわずか1年ほどで終わり、アブデュル=ハミト2世による専制支配がはじまったのです。

 

 本設問に出てくる史料は、こうした前提のもとで読まなくてはなりません。その上で、本設問の要求を整理してみましょう。

 

    アブデュル=ハミト2世の治世以降、オスマン帝国ではどのような理念のもとに国家の再編をはかったか。

    ①の結果、どのような政治的展開をもたらしたか。

    アブデュル=ハミト2世の治世から20世紀前半にオスマン帝国が消滅するにいたるまでの間に、史料中に登場する「オスマン国民」、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」はどのような意義をもったか。

 

あまり詳しく書くと問いをただ繰り返すだけになってしまいますので、少し大胆に要約すれば、上の3つにまとめることができます。その上で、史料の読解を進めてみましょう。

 

【史料の読解】

1、アブデュル=ハミト2世の『政治的回顧録』から読めることは何か

・イスラームの連帯=パン=イスラーム主義

:史料中には「イスラーム主義の本質を考えるとき、われわれは結束を強化すべきである」、「全世界のムスリムたちはお互いに密接な関係になることに有効性がある」など、イスラームの連帯を説いていることが読み取れます。

 

 ・列強に対抗するための手段としてのパン=イスラーム主義

:さらに「ロシアおよび英国にもてあそばれないように」など、イスラームの連帯を通して列強の侵略に対抗する意図があることも読み取れます。

 

 ・宗派の壁を越えて、トルコと同様に英露の侵略をうけるイランへの呼びかけを図る

:「イランとの相互理解がなされていない事態は残念なことである」、「スンナ派とシーア派は、誠実さを示すことによって統一は可能である」など、イランとイスラームを紐帯とした協調関係を築こうとする意図が見えます。アブデュル=ハミト2世の統治していた頃、イランのカージャール朝は財政破綻から英露に王朝利権を切り売りせざるを得ない状況が続き、国民の不信をかっていました。こうした中で起きたタバコ=ボイコット運動がパン=イスラーム主義の影響を受けていたことはよく知られていますが、当時の時代状況と史料との関連を読み解くことが大切。

 

2、ユスフ=アクチュラの『三つの政治路線』から読めることは何か

 ・三つの政治路線とは「オスマン国民」の創出、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」の形成の三つ

 

 ・「オスマン国民」とは、オスマン政府の名のもとに多様な諸民族を同化すること

 :つまり、オスマンの分裂の原因であった多様な民族の混在の原因を、諸民族の同化によって根本から絶つことを意図しています。その際、同化の中心にあるのは「オスマン政府」であり、これはつまり「オスマン帝国に所属していること」を根拠としてそこに住まうものはみな同じく同化されるべきであるという発想です。ところが、これについてアクチュラは「実行不可能である」と言い切っています。これは、当時オスマン帝国内の諸民族がその文化、宗教などの違いから分裂傾向にあったことを考えれば、現実的ではないと考えるのは無理もないことです。アクチュラによれば、「オスマン国民」という概念は「オスマン国家のすべての民族の意思に反して、外国の妨害にもかかわらず、オスマン政府の指導者の何人かが、いくつかのヨーロッパ諸国…を頼って創出しようとしたものなのだ!」と述べており、オスマン帝国の分裂を避けたいオスマンの指導層による無理な創出物に過ぎないと指摘し、「オスマン国民」という単一の民族・国民の創出は現実的に不可能であることを主張しています。

 

 ・「パン=イスラミズム」は、全てのイスラームを政治的に統一するが、オスマン朝はこれを自身の権力の強化に利用しようとしていること

 :アクチュラは、パン=イスラミズムについて「カリフ権がオスマン朝の君主にあることを利用して」とオスマン朝のスルタンがスルタン=カリフ制を利用してイスラームの連帯を隠れ蓑に自身の専制政治の強化を図っていることをはっきりと認識しています。史料中にそれについての言及はほとんどありませんが、アブデュル=ハミト2世の『政治的回顧録』や彼の政策(ミドハト憲法の停止、アフガーニーの招聘、皇帝専制の強化など)、そしてその後の青年トルコ革命などを思い浮かべれば、アクチュラがパン=イスラミズムに対して期待を寄せていないであろうことは想像がつきます。

 

 ・トルコ人という「人種」に依拠した政治的ナショナリティの形成は、オスマン帝国の利益になる

 :まず、アクチュラはトルコ人という「人種」に依拠した政治的ナショナリティの形成に言及していますが、これは後に青年トルコなどが主張する「パン=トルコ主義」の主張と同じです。そして彼は、この「パン=トルコ主義」は「オスマン帝国内のトルコ人」を「宗教的かつ人種的な紐帯によってきわめて緊密に」統合するであろうと主張し、「言語、人種、慣習、さらには大多数の宗教でさえ一つであり、アジア大陸の大部分とヨーロッパの東部に広がるトルコ人」を含めた連帯を可能にするであろうと主張します。つまり、トルコ人の民族主義はオスマン帝国内の連携強化に資するだけではなく、より大きな政治的勢力を形成してヨーロッパに対抗しうるし力を持つという主張です。アクチュラが目指していたのがこの「パン=トルコ主義」の採用にあったことは史料から明らかであると言えるでしょう。

 

【採点基準】

以上の史料読解と設問の要求から、以下のような内容を盛り込むことが必要となります。

 

    オスマン帝国では、「オスマン国民」の創出や「パン=イスラーム主義」などを利用した国家の統一を、オスマン政府(またはスルタン)が中心となって展開してきたこと。

    しかし、こうした主張はオスマン帝国内の諸民族の自立という現状の下では無力であり、またアブデュル=ハミト2世の専制強化とパン=イスラーム主義の利用は、オスマン帝国内ではかえってパン=イスラーム主義に対する否定的な評価を生み出すもとになってしまったということ。

    史料の読解を通して、「オスマン国民」、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」の意味するところを正確に読み解き、これらを当時のオスマン帝国の政治状況と結びつけること。

    最終的には、「パン=トルコ主義(トルコ人の政治的ナショナリティ)」に傾倒する青年トルコによって立憲革命が達成されたこと。

    行き過ぎた「パン=トルコ主義」はオスマン帝国内のトルコ民族以外の諸民族の反発を買い、最終的にトルコ人はトルコ共和国を建国して諸改革を行ったこと。

 

正直なところ、⑤まで要求するのはどうかなとも思うのですが、設問の方に「20世紀前半までに長く続いたオスマン帝国を消滅させるにいたるが」とありますので、設問の射程が青年トルコ革命で終わりなのではないということは明らかかと思います。まぁ、あくまでも練習用に作成したものですので、これが本番の試験に出てどうこうということではないのですが、作成している側としては面白い設問でした。

 

史料読解演習1

2017年一橋「世界史」大問1を想定した問題1‐

(作成時期:20171月)

 

 さて、以前お話しした一橋の予想問題として作成した問題をご紹介します。これは2017年一橋「世界史」を想定して、史料を用いた問題を作れないかということで、受験の直前期に作成したものです。すでに実際の試験は終わってしまいましたし、先にも書いた通り一橋の出題傾向は大きく変わってしまったことから、もう予想問題としての価値は全くありません。まぁ、言ってみれば賞味期限切れのものです。ですから、当然今年の受験の傾向も加味した分析を再度行った上で、来年の2018年には全く違う問題をまた用意するつもりでいます。ですが、一般的に史資料を読解しながら論述を構成する必要がある学校の受験を考えている人にはちょっとした練習になるかなと思いましたので取り上げてみました。史料は、以前ご紹介した岩波の『世界史史料5』の276-277ページから持ってきています。

 

【問題】

I

 リヴォルノ憲章(1593610日)

 

 [3代トスカーナ大公]フェルディナンド・メディチ殿…は、貴方がた商人が次のどの民族や国民であれ、貴方がたすべてを歓迎する。すなわち、東方人、西方人、スペイン人、ポルトガル人、ギリシア人、ドイツ人、イタリア人、ユダヤ人、トルコ人、ムーア人、アルメニア人、ペルシア人、およびその他の人々。(中略)外国人が、貿易や商業をするために、ピサ市、…リヴォルノ市港に来て…滞在し、居住しようとすることを、公共の利益のために促進したい…。このことは、イタリア全体、そしてわれらの臣民、とりわけ貧民のためになるであろうと期待している。それゆえ…この特許状によって、貴方がたに下記の恩恵、特権、不可侵権、免除を与え、認めるものとする。…

 

 第5条 (ピサやリヴォルノに住む)貴方がたは…、(同職組合への)登録料、カタスト(資産)税、通行税、人頭税、賦課金、および類似の物的、人的賦課金については、すべてのものから自由である。…フィレンツェやシエーナに住むユダヤ人に課せられている納付金、服従義務、法令、規約は、上記のようにこれを課さない。

 第8条 貴方がたがリヴォルノ港、ピサ市、フィレンツェ市に輸入する商品にかかわる、用船料、陸上輸送量、為替、その他の諸経費に充てるための資金として、貴方がたのシナゴーグの管理人たちに10万スクードを貸与する。

 第20条 貴方がたは、ピサ市とリヴォルノ地域において、土地ごとに一つのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)を持つことができる。その内部では、ユダヤ教 の儀式、掟、規律をすべて実施することができる。

 第25条 貴方がたのシナゴーグのユダヤ人である管財人たちは、ユダヤ同士の間に生じるすべての不和について、貴方がたユダヤ人の慣例にしたがって適当と判断するように採決し、終わらせ、処罰する建言を持つ。

 第29条 貴方がたは、あらゆる種類の職業を営み、あらゆる種類の商品を取り扱うことにおいて、…すべての特権、権利、恩恵を与えられる。貴方がたあるいは貴方がたの家族の誰も、キリスト教徒から識別するための、いかなる標識も身につける必要はない。さらに、不動産を購入することができる。(後略)

問い

上記の史料は16世紀末に中部イタリアのトスカーナ大公がトスカーナ地方の都市リヴォルノに対して発したリヴォルノ憲章と呼ばれる特許状である。こうした特許状が発行された背景には、15世紀頃からの政治的・経済的・社会的変化が大きく影響していたが、この変化とはどのようなものであったか。トスカーナ大公と都市リヴォルノが上記の特許状を発した意図を示しながら、15世紀にはじまり、この特許状が発せられた16世紀末にいたる変化について400字以内で述べなさい。

 

【解答】

 15世紀末の新大陸発見とインド航路開拓などにより、ヨーロッパでは経済的な中心地が大西洋岸の諸都市へと移る商業革命が進展していた。同時期に、イタリアではシャルル8世の侵攻によりイタリア戦争が勃発し、フィレンツェでメディチ家が追放され、カール5世によるローマ略奪(サッコ=ディ=ローマ)が起こるなど都市が荒廃し、プレヴェザの海戦でスレイマン1世が指導するオスマン帝国が地中海への影響力を強めたことによって香辛料交易を中心とした東方貿易が衰退した。一方、イベリア半島ではレコンキスタが完了したことでユダヤ人、ムスリムなど異教徒の追放が進み、さらにドイツで宗教改革が起こると宗派対立が激化して異端に対する迫害が進んだ。こうした中でトスカーナ地方の都市リヴォルノは各地で迫害されていた異教徒に対する諸税を免除して資金融資を行い、さらにユダヤ人には居住の自由と一定の自治を与えることで商業の振興を図り、ユダヤ資金が流入することを期待した。(400字)

 

[論述のポイント]

 何度も言うように論述問題を解く基本は設問の要求に答えること、コミュニケーションです。設問が要求しているのは大きく以下の5つです。

 

① 15世紀からの政治的変化

② 15世紀からの経済的変化

③ 15世紀からの社会的変化

(①~③は、都市リヴォルノが「リヴォルノ憲章」を発する背景となるべきもの)

④ トスカーナ大公・または都市リヴォルノが特許状を発した意図

⑤ 時期としては16世紀末までを想定

 

以上の点について考察する必要があります。ただ、受験世界史の中に「リヴォルノ憲章」は出てきませんから、史料を読み解く中でどのようなことが言われているのかを読み解く必要があります。

 

【史料の読解】

 史料に書かれている内容を再度確認してみましょう。要約すると、

 

   おそらくはトスカーナ大公の管理下にあるリヴォルノ市が、商業奨励のために人種・民族・宗教にかかわらず承認を誘致していることがわかる。

   リヴォルノはやってくる商人に様々な免税特権を認めている。

   同じく、資金の貸与などの優遇措置を与えている。

   特に、ユダヤ人に対しては信仰の自由のほか、不動産購入なども認めている。

   優遇されている商人の中には、ペルシア人、ムーア人などのイスラム教徒も含まれている。

 

こうしたことがヒントとして読み取れます。これらをヒントとして、なぜリヴォルノ市がこうした措置をとったのかを、15世紀~16世紀末までのヨーロッパにおける変化を念頭において書け、というのが設問の要求です。

 やはり、注目したいのはユダヤ人についての記述が多いことです。また、ムーア人というのは北西アフリカに居住したイスラムで、ベルベル人と同一視される人々ですが、当然のことながらイベリア半島と深いかかわりを持ったイスラームです。こうした人々がイタリアにやってくる、またはイタリア側がこれらを呼び込む必要が生じるような変化として何があるのだろうか、と考えたときに「レコンキスタの終結」または「商業革命」の両方ではなくどちらかを思い浮かべるのは、そこまで無理難題ではないと思います。

 

[採点基準]

① 15世紀からの政治的変化として

  ・レコンキスタの終結(1492:ナスル朝グラナダ陥落)

・イタリア戦争

14941559:シャルル8世のイタリア侵入~カトー=カンブレジ条約)

  ・オスマン帝国の進出(1538:プレヴェザの海戦、スレイマン1世)

② 15世紀からの経済的変化として

・イタリア諸都市の荒廃

・東方貿易の衰退(オスマンの進出、商業革命)

③ 15世紀からの社会的変化として

  ・イベリア半島からのユダヤ人、ムスリムなど異教徒の追放

  ・宗教改革、対抗宗教改革の進展と宗教的不寛容

   (カルヴァンの神権政治と不寛容、各地の宗教戦争、トリエント公会議[1545-63]、異端審問)

④ トスカーナ大公と都市リヴォルノの意図

・他のイタリア諸都市で徴収されていた諸税を免除し、資金融資を行うことで、迫害されていたユダヤ人、ムスリムなどの異教徒を誘致して商業の振興を図る。

 ・特にユダヤ人に対しては一定の自治を認めることを通して、迫害されていたユダヤ人たちの資金を集める。

 

 史料を参考にこうした点を盛り込んで書いていけば、十分に解答を作成することは可能です。今気づいたのですが、今年の一橋予想「商業革命」をテーマに盛り込んでいたのですね…。実際には「価格革命」でしたから、ピッタリではなかったものの、スペインと大航海時代以降のヨーロッパ経済という点ではかなり近いところを挙げていたようです。ただ、ちょっと張り切って凝りすぎちゃいましたかね…。

 ちなみに、リヴォルノというのはトスカーナの都市で、メディチの傍系の家系であるトスカーナ大公フェルディナント1世=デ=メディチの時代にここに掲げたリヴォルノ憲章などの商人の誘致を行ったことから地中海の重要港として栄えることになった港です。史料中にも出てくるユダヤ人や、モリスコと呼ばれるスペインでカトリック改宗を強制されたイスラームなど様々な商人が訪れる国際商業都市でした。 

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 ようやく筆をとることができました。年度末は何やかやで忙しいですね。

 

 さて、今年度の受験も終わりましたが、ふたを開けてみると今年の国立「世界史」問題は東大・一橋ともに従来の常識が一部において覆された出題がなされた年でした。以前から一橋の出題傾向には2014年頃を境に変化が見られ、従来型の出題傾向が必ずしもあてにはならないということをお伝えしてきましたが、今年の受験でそのことがよりはっきりとしたと思います。http://history-link-bottega.com/archives/5936916.html

 2014年以降の一橋の出題傾向については後ほど分析してUPしていきたいと思います。

 

 一方で、この傾向が来年度以降も続くという保証は全くありません。突然、かつての神聖ローマ大好き傾向に戻らないという保証はないわけです。ただ、昨年までよりも一橋の設問作成者が特定の傾向に縛られずに自由に問題を作成する確率が高まっていることは間違いありません。そうした意味で、一橋受験を考えている受験生は新しい対策の仕方を打ち出していく必要があるでしょう。

 

 その新しい対策等については後にUPする予定の分析に譲るとして、今回は2017年一橋世界史のどこが従来と違ったのか、またどのような箇所が設問を解くポイントであったかを解説してみたいと思います。

 

[全体講評]

 さて、まずは全体としての印象ですが、正直今年度は「ん?」という印象でした。これは、出題範囲がこれまでと違うというようなことではありません。そうではなく、「こんなんでいいの?」という印象です。ここ数年の一橋は上手にひねってある設問か、そうでなければ「いや、これはさすがにキツイでしょう」というくらいにニッチな箇所をついてくる設問が多かったのですが、今回の設問にはそうしたところがありませんでした。むしろ、出題範囲が従来の一橋の型から外れていることを除けば、王道型の設問が出題されており、一橋の「ひねり」を期待する側としてはむしろ拍子抜けしてしまった部分があります。特に、東大向けの勉強をしていた人や、一橋だけでなく東大を中心とした各国公立の設問に普段から慣れ親しんでいた受験生にとってはむしろ書きやすかった問題ではないでしょうか。

 こうした判断は大手予備校の方でも同じだったようで、全体としては昨年並、設問ごとの評価も「標準」とされているところが多かったようです。個人的にはⅠ「やや易」、Ⅱ「標準」、Ⅲ「やや難」という評価です。

 

 もっとも、従来型の一橋対策に固執してしまった受験生にとっては「解きにくい」と感じる設問だったかもしれません。そういう意味で、今年の受験は「史料・データの読解力をつけ」、「できるだけ広範囲に目を配る」という新しい一橋の出題の型を印象付けるものであったと感じます。いつの時代にも過渡期というものはあるもので、それに巻き込まれてしまうのは運・不運に関わるものですから、受験生にはどうすることもできません。ただ、間違いなく言えるのはそれでも受験する人間にとっての試験会場における条件は同じなのですね。ですから、同条件下で自分がどれだけのパフォーマンスを見せることができるかに勝負がかかっているということには変わりがありません。その手の受験をめぐる「アヤ」を挙げていけばキリがないわけで、こだわっても仕方ありません。ただ、今後一橋を受験する受験生はこれまで以上に広い範囲に目を配る必要性が出てきたことには疑いがないかともいます。

 

 全体としては面白みに欠けた今年の一橋世界史の設問でしたが、唯一大問3についてはなかなか秀逸でした。これについては後ほど各設問の解説でお話しますが、「11世紀から13世紀」という時代設定がなかなか渋いですよね。この時代設定の中に北宋から南宋そして元へという変化が深くかかわってくることになるわけですが、この変化に注目しながら限られた時間内でどれだけ泉州(ザイトン)に引き付けて論述を展開できるかがポイントとなる良問だと思います。駿台の方では「標準」、河合の方では「難」という評価がされていたようですが、このように評価が分かれるのも、この設問が一橋で出題されたからだと思います。もし東大で同じ設問が出ていれば「標準」クラスの問題だと思います。これは「東大受験者の方がレベルが高いから」ということではなく、単に相性の問題です。モンゴル帝国やユーラシアの一体化などのテーマが頻繁に出題されている東大受験者にとって、この時期の中国沿岸部の通商・国際関係は必須事項でしょう。ですが、これまで大問3では16世紀以前の歴史がほとんど出題されず、出題範囲もかなり限定的であった一橋向けの学習をしてきた受験生にとってみれば今回の設問はかなり解きにくかったはずです。個人的には、先ほど申し上げた「時代設定の秀逸さ」が要求する北宋~元にかけての変化を記述する部分で多くの受験生が失敗すると思いますので、中間をとってというのではないですが「やや難」くらいが妥当なのではないかと思います。時代設定や地域を少し変えるだけで論述は全く異なる様相を見せることを示した良い問題でした。

 

2017年 Ⅰ

■問題概要

 今回も史料[マルティン=デ=アスピルクエタ『徴利明解論』(1556年)]を紹介した上での設問でしたが、史料の指し示す内容は(表面上は)簡単で、いわゆる価格革命について述べています。アスピルクエタはスペインのサラマンカ学派に属する神学者・法学者で、出題にも出てきた『徴利明解論』において貨幣数量説を唱えたことで著名な人物です。それまでの中世スコラ学が商業・金融による利益を不道徳なものとして否定していたのに対し、サラマンカ学派は商業・金融の発展とスコラ学の調和を図った点で資本主義の源流をなすものともみられています。こうした知識も、たとえば『チェーザレ』10巻中で描かれるジョヴァンニ=デ=メディチ(後のレオ10世)の学位認定試験において、チェーザレとジョヴァンニが展開する「金銭を扱うことは正しいと言えるか?」という問いと合わせて知っていたりするととても面白いです。 

 チェーザレ

©惣領冬美『チェーザレ』10巻、講談社)

 

神と金銭の問題はヴェーバーの言うようにプロテスタンティズムの中においてのみ問題とされたわけではなく、カトリックの内部においても常に問題とされていたわけで、これは何も金銭に限ったことではなく、スコラ学は時として神と現実の関係と向き合わなくてはならなかったのですね。

 

 脱線してしまいましたが、設問の概要は以下の通りです。

・文章中で述べられている現象(価格革命)が、スペインの盛衰、および1617世紀のヨーロッパ経済に与えた影響について論ぜよ。(400字以内)

 

・「文章中に述べられている現象」として以下の①~④が示されている。(問題文の原文ママ)

  あらゆる商品の価格は、その必要性が非常に高く、かつ提供される量が少ない時には上昇する。

  貨幣もまた、それ自体で売買され、かつあらゆる契約取引の対象となる以上は一つの商品であり、したがってその価格は貨幣の需要が大きく供給が少なければ上昇する。

  貨幣が不足している国では、貨幣が豊富にある国よりもあらゆる商品や労働が安価に提供される。

  スペインでも、貨幣の量が少なかった時代には、インド[新大陸のこと]の発見によって国中に金銀があふれた時代よりはるかに安い値段で商品や労働が提供されていた。

 

■解答例

 16世紀の世界周航と新大陸征服を機にスペインは海洋帝国を形成した。ポトシやサカテカス産の大量の銀流入は、セビリアなどの大西洋岸都市の繁栄と地中海商業の相対的地位低下を招き、銀価下落はフッガー家没落を促した。西欧での物価急騰と貨幣経済浸透は西欧では封建領主層の没落を加速させたが、エルベ川以東の東欧ではグーツヘルシャフトにおける農奴支配が強化されて西欧への穀物輸出を担い、国際分業体制が成立した。ポルトガル併合により植民地利権を拡大して繁栄したスペインであったが、植民地資源に依存し国内産業育成を怠り、利益の多くをフランスやオスマン帝国との戦費や宮廷の奢侈に費やしたため慢性的な財政難に陥った。オランダ独立に際してのアントウェルペン荒廃やカルヴァン派商工業者の亡命は産業衰退に拍車をかけ、アルマダ海戦敗北により制海権を失うと、17世紀には商業発展で台頭した英・蘭との海洋覇権競争に敗れて衰退を決定的にした。(400字)

 

■採点基準と分析

 設問に示されている要求は以下の2点。

① 文章中の現象(価格革命)がスペインの盛衰に与えた影響について述べよ。

② 文章中の現象(価格革命)が1617世紀のヨーロッパ経済に与えた影響について述べよ。

 

 よって、以上の2点に対する答えを明確に示すために必要事項を整理する必要がありますが、これらは教科書などにも示されている基本事項です。ですから、まずは「A、16世紀~17世紀のスペインの盛衰について」と「B、同時期における価格革命とヨーロッパ経済について」知っていることをメモ書き程度でいいので列挙し、それを設問の要求に沿って取捨選択して様々な事象の関係性や変化を明示すれば、十分な解答を書くことができます。まずは以下にAとBについて教科書的な流れを列挙してみましょう。

 

(A、16世紀~17世紀のスペインの盛衰)

盛:新大陸の征服と植民地化

盛:新航路の開拓(インド航路、マゼランの世界周航)

盛:新大陸からの銀の流入(ポトシ・サカテカス銀山の開発、水銀アマルガム法の採用)

盛:セビリアなどの港の繁栄

盛:フィリピン支配の強化(レガスピがマニラ市を建設)

盛:アカプルコ貿易

盛:ポルトガル併合によるブラジル経営・アジア交易利権獲得

 

衰:戦費の拡大(イタリア戦争、オスマン帝国との抗争、オランダ独立戦争、アルマダ海戦、三十年戦争など

衰:宮廷における奢侈と慢性的財政難(フェリペ2世の破産宣告など)

衰:植民地資源や商業への過度な依存と国内産業の衰退(メスタ[牧羊業者団体]と毛織物業という国内産業から新大陸銀に依存する経済へ[重金主義]

衰:各地における分離・独立運動(オランダ、カタルーニャ反乱、ポルトガル)

衰:戦争の敗北(オランダの独立、アルマダ海戦敗北による制海権の喪失)

衰:アントウェルペンの荒廃

衰:宗教的迫害でムスリム・ユダヤを追放したことによる手工業・商業衰退

衰:重商主義諸国(イギリス・オランダ)との競争に敗北

 

(B、価格革命とヨーロッパ経済)

・大量の銀流入による物価の急騰

・固定地代収入に依存する封建領主層の没落を加速、貨幣経済の浸透(封建社会の崩壊)

・大西洋沿岸地域における商業の活性化(セビリア・リスボン・アントウェルペン→ロンドン・アムステルダム・リヴァプールなど)

・経済中心の移行による地中海商業の相対的地位低下、銀流入に伴う銀価の急落によるフッガー家の没落

・西欧の人口増加に伴う穀物不足と穀物価格高騰、東欧におけるグーツヘルシャフトの発展(国際分業体制の成立)

 

  もっとも、近年こうした銀流入説にのみ重点をおいた価格革命像には疑問が呈されてきたことについては、すでに「金融史補足」の中で述べておきました。http://history-link-bottega.com/archives/cat_226879.html そういう意味でも、今回の出題には「ん?」というところがあり、実は隠された意図があるのではないかと依然として疑っているのだが、それについては後述します。

 

いずれにせよ、上に挙げた中から、設問の要求に沿い、400字という字数の中でまとめるにあたって記すに値するという部分をまとめていけばよいと思います。銀流入による価格革命の影響という流れの中で書くとすれば、候補としては赤字の部分が特に重要な部分となるでしょう。また、設問はあくまでも価格革命がスペインの盛衰に与えた影響を問うているので、通常スペイン衰退の原因としてあげられる「オランダ独立」や「アルマダ海戦敗北」以上に「新大陸産銀への依存と国内産業の衰退」が重要な要素として掲げられるべきだと思います。

 

■補足

 さて、今回の設問についてはこれまで教科書的な価格革命の流れの中で解説してきましたが、実はここまで書いても「本当にそれでいいのか?」という疑問がつきまとっていますw。どういうことかというと、設問が掲げている「文章中の現象」というのが必ずしも価格革命それ自体を説明するものではないんですね。価格革命をそのまま示しているのは④、または③の部分であって、①や②は「価格革命という現象」の説明ではなく、その原因となる原理または現象についての説明です。つまり、貨幣数量説またはその土台となる需要・供給の関係を示しています。また、本文中では当時のフランスではスペインと比して物価が低いことにも言及しています。

 何が言いたいかというと、もしかして、出題者は何人かいる受験生の中にこれらの現象について「自分の頭で考えて」当時のヨーロッパ経済への影響について言及する人間がいることをおぼろげにではあっても期待しているんじゃないだろうか、と勘繰ってしまっているんですねw 「スペインとフランスとの間の価格差は何を生み出したのか」とか「商品的価値を持つ貴金属の増減と流通のもたらした影響は何か」とか。もちろん、行き着く先は教科書的な理解でいいんですけれど、その教科書的な理解は必ずしも学説として十分なものではないというのはすでに書いた通りでして、個々の現象から全く別の像や、これまでとは異なる視点が提示されてもいいと思うんですよ。そういうのをもしかして期待しているのかな、と思ってしまいました。

 ちなみに、この「補足」は完全に私がモヤモヤして言いたかったことを垂れ流しているだけの蛇足であって、本番でいい点を取ることだけを目的にするのであれば、まっっったく気にする必要はありませんw

 ただ、やはり金融史というのが意識されているのだろうか、ということはあらためて感じました。正直、それが一橋で今回のような形で出されたというのは意外でしたが。まぁもとは商科大学ですし、かつての設問には地中海・バルト海交易に関する設問もありましたから、そう無茶な設問ではない気がします。

 

2017年 Ⅱ

■問題概要

 設問は全部で3問。記述問題が1題、100字論述が1題、275字論述が1題と少し珍しい構成になっています。

 

・記述問題はトルデシリャス条約を答えさせるもので、基本問題。

100字論述は、19世紀南北アメリカ大陸の他の諸国における奴隷解放と比べて、ハイチとアメリカ合衆国の両国における奴隷解放が有していた特異性について述べよというもの。

275字論述は1810~20年代に発生したラテンアメリカの独立運動に関して、以下の①~④について答えよというもの。

 

  独立運動が始まった契機は何か。

  独立運動の担い手はどのような人々か。

  独立後にはどのような経済政策がとられたか。

  ブラジルの独立にはどのような特徴があったか。

 

近年の一橋の設問の特徴通り、本設問でも史資料が示されていますが、本文・表ともにそれほど大きな意味は持っていません。近年の問題があげた史資料に重要な意味を持たせていたのと比べると、今回の設問においてはあまり高度な知識整理は要求されていません。

 

■解答例

問1 トルデシリャス条約

問2

:ハイチではトゥサン=ルヴェルチュールが率いる黒人奴隷反乱で黒人共和国として独立して奴隷制が廃止され、合衆国では南北戦争中にリンカンが出した奴隷解放宣言と戦後の合衆国憲法修正により奴隷解放が実現された。(100字)

問3

:アメリカ独立やフランス革命の影響で自由・平等の理念が流入し本国人支配に対する不満が高まっていたラテンアメリカ地域は、ナポレオンのイベリア半島支配による本国混乱を契機に独立運動を開始し、多くの地域で共和国が成立し、奴隷解放がなされた。独立を主導したクリオーリョは、独立後も地主による寡頭支配を続け、土地改革と自作農創設は進まず鉱物資源や商品作物に依存するモノカルチャー経済が進行し、イギリス資本に対して経済的に従属した。ブラジルではポルトガル皇太子ペドロを皇帝とする君主制国家を樹立したが、プランテーション経営の要としての黒人奴隷制度は長く維持された。

 

■採点基準と分析

問1 15世紀末、スペイン・ポルトガル両国間の支配領域分界線であるからトルデシリャス条約(1494)1択。(「教皇子午線」は教皇アレクサンデル6世によるものだし、「サラゴサ条約」は16世紀前半)

 

問2 「他のラテンアメリカ諸国」、「ハイチ」、「アメリカ合衆国」における奴隷解放を丁寧に整理してやればそれで終わります。

 12

 上の図にもあるように、他のラテンアメリカ諸国で奴隷解放がなされた背景は地域によって異なります。これは、例えばある地域におけるプランテーション・鉱山経営において労働力としての黒人奴隷にどの程度依存していたかとか、その土地を支配したクリオーリョが奴隷解放に対してどのようなスタンスをとっていたかなどについて、地域ごとに温度差があるんですね。奴隷解放が達成された年代をとってみても、チリ・アルゼンチン・コロンビア・ベネズエラ・パナマ・メキシコなどではおおむね1810年代から1820年代に奴隷解放がなされていますが、ペルーでは1851年に、ブラジルは本設問の資料中にもあるように1888年まで奴隷制は存続します。ブラジルで奴隷制が長く存続した背景には、ブラジルの砂糖生産がプランテーションにおける黒人奴隷の労働力に多くをよっていたためです。ですから、ラテンアメリカにおいて奴隷制が廃止された背景は様々なのであって、別にハイチと合衆国だけが特別っていうわけではないと思うんですよね…。少なくとも、本設問が前提としているように「他(のラテンアメリカ諸国)とは異なる」というように、他のラテンアメリカ諸国を同質のものとしてくくることはできないと思います。

 ですから、本来「比較」を行う場合にはハイチと合衆国だけではなくて「他のラテンアメリカ諸国」にも言及して「他のラテンアメリカ諸国が○○であったのに対してハイチは××、合衆国は△△であった」とするのが正しいと思うのですが、今回は「他のラテンアメリカ諸国の特徴を一言で表すことができないのでこのスタイルで回答することはできません。一番の解決策は、「他のラテンアメリカ諸国」には触れずに、駿台の解答がやっているように「ハイチは××、合衆国は△△であった」とすることだと思います。

 これに対して、代ゼミの解答は律儀にも「両者は戦争により解放が実現した。」とハイチ・合衆国の共通項を示そうとしましたが、これは逆に墓穴を掘ってしまっている感じがします。そもそも、先にあげたラテンアメリカ諸国における奴隷解放も、これら諸国の独立運動の中で実現されていくわけですが、この独立運動は言い換えれば本国に対する独立「戦争」です。ハイチの独立や合衆国の内戦を「戦争」と位置付けるのであれば、ラテンアメリカの独立運動も「戦争」と位置付けることは可能なのであって、「独立運動」や「奴隷解放運動」ととらえるか「戦争」ととらえるかというのは、はっきり言って主観の問題です。そもそも設問の前提に無理がありますので、無理に両者の共通項を探すよりは、駿台の解答がやったように単純にハイチと合衆国の状況を個別に説明してやる方がスマートではないかなと感じました。ただ、だから「代ゼミはいかん」とかそういうことを言うつもりはありません。大手予備校は私のように市井で半分趣味無責任に解答を作っている人間と違い、わずか1~2日程度で解答を作成・公開し、それについてそれなりの責任を負わなくてはならないわけで、それを考えたらこの程度のことは勇敢なチャレンジであると言っても良いと思います。ただまぁ、解答例の良し悪しはそういう事情とは別のところにありますので、個人的に見たときに「戦争により解放が実現した」という表現には「?」がついたというだけのことです。他の方が見たら他の評価もあるかもしれません。

 ちなみに、ラテンアメリカ奴隷制に関する論述問題は一橋においてはなじみのない設問ですが、実は近年奴隷制をテーマにした設問は増えており、つい最近の東京外語の問題でガッツリ出題されています。(これについては東京外国語大学過去問「世界史」2015年解説の方で紹介しておきました。http://history-link-bottega.com/archives/12221578.html) 個人的には、問題の質、史資料の扱い方ともに、こちらの設問の方がレベル高い感じがします。少なくとも、この問題に目を通しておけば、今回の問3において一つのポイントになっている「ブラジルが君主制国家として独立した」という部分や独立後のラテンアメリカ経済については十分な理解が得られていたのではないかなぁと思います。やはり、今後一橋受験を考えるのであれば、一橋の過去問だけではなく、広いテーマに視点を向けるために東大・京大、史資料読解に慣れるために外語など、あちこちの過去問演習に触れておく方が良い気がします。逆に、一橋の過去問については何十年前にもさかのぼるのではなく、時間がない場合には直近510年分程度に目を通しておくくらいでも良いのかもしれません。

 

問3 まずは、設問が要求する4つの要素について整理してみましょう。

 

  独立運動が始まった契機は何か。

:ラテンアメリカの独立に関して『詳説世界史研究』では「18世紀末のいわゆる大西洋革命によって、ラテンアメリカにも人間の自由と平等の観念が普及し、ナポレオンによるスペイン=ブルボン家の打倒を機会に自立化が促進され、そして本国の圧政に対する不満もあって1810年代から本格的に独立運動が展開された(2013年版、p.359)」とあります。ここにもあるように、独立運動の契機は以下の3点ほどにまとめてよいでしょう。

 

・アメリカ独立戦争やフランス革命によって自由・平等の理念が伝わったこと。

・ナポレオン支配により、本国スペインが混乱し、植民地の自立化が促進されたこと。

・本国人(ペニンスラール)支配に対するクリオーリョの不満

 

このうち、自由・平等の理念の拡大については、よりゆっくりとした変化ですから、ラテンアメリカ独立の直接的な「契機」としてはやはりナポレオンの大陸支配やスペイン混乱により表面化したクリオーリョの反抗について前面に押し出す方が良いかもしれません。

 

  独立運動の担い手はどのような人々か。

:ハイチについては先にも書いた通り黒人奴隷がその主体です(これはハイチ[フランス領サン=ドマング]の人口比において黒人奴隷がかなりの比率にのぼっていたことがその原因の一つです)が、181020年代にかけてのラテンアメリカ独立を担った主体は現地生まれの白人であるクリオーリョでした。この独立運動を指揮したのがシモン=ボリバルとサン=マルティンで、ボリバルはラテンアメリカの北部からベネズエラ・コロンビア・エクアドル・パナマ(1819年の段階ではこれらの地域は大コロンビアとして独立)・ボリビアなどを解放し、サン=マルティンはアルゼンチン・チリ・ペルーなどの諸地域を解放します。一方、メキシコについては神父イダルゴ(1811年処刑)やモレーロス(1815処刑)が主導した独立運動が実を結び、ブラジルについてはポルトガル皇太子ドン=ペドロを担いだクリオーリョたちによってブラジル帝国が成立しました。(ブラジル独立の詳細に関しては先に東京外語2015年解説[http://history-link-bottega.com/archives/cat_326509.html]の中で詳しく書いておきましたので、そちらをご参照ください)

 

  独立後にはどのような経済政策がとられたか。

:『詳説世界研究』には「独立戦争はクリオーリョ中心で遂行されたため、自作農創設のための土地革命は実施されず、地主による寡頭専制支配が続いた。経済的にはイギリス資本に従属し、資源や農産物に依存するモノカルチャー経済が進行したため、依然として不安定な状態が続いた。」(2013年版、pp.360-361)とあります。ほぼこのままで問題ないかと思いますが、ここから派生して中産階層の成長が見られなかったこと、工業化進展が遅れたこと、依存する製品の国際市場価格に経済が翻弄されるような経済構造の原型が作られたことなどに言及してもよいでしょう。いずれにしても、ラテンアメリカが構造的にウォーラーステイン的に言うところの「周辺」的な地位、経済的従属下におかれていたことは示しておきたいところです。

(世界システムについてはhttp://history-link-bottega.com/archives/6133897.htmlを参照)

 

  ブラジルの独立にはどのような特徴があったか。

何といっても君主制国家であるブラジル帝国が成立したというところは強調しておきたいところです。これについては何度かご紹介している先に書いたブラジル独立に関する詳細をご参照ください。また、ブラジルはラテンアメリカの中でも労働力としての黒人奴隷に対する依存度が高かった地域で、サトウキビプランテーションの労働力として黒人奴隷は欠くことのできない存在でした。そのため、ブラジルにおける奴隷制廃止は1888年と他のラテンアメリカ諸国と比較してもかなり遅くなっています。黒人奴隷労働に依拠したブラジルの砂糖は安価で、国際市場における強い競争力を有していました。すでに黒人奴隷制廃止を進めていたイギリスは、こうしたブラジルの奴隷制に対する干渉を試みたようで、このあたりのテーマが東京外語2015問題では史料を用いて出題されています。

 

 以上、4点まとめてみましたが、全て基本事項かなと思います。あえて言えばブラジルの独立についての知識が通常の受験生では持っていない部分なのかなと思いますが、少し広く詳しく勉強していた受験生であれば対応できないレベルではありません。いずれにしても、4つの要素のうちブラジルを除いた3つが書ければ及第点でしょう。逆に、3つの要素が書けなかった場合、それは「取りこぼし」になってしまうと思います。基本的事項は取りこぼしのないようにしっかりと整理しておく必要があるのは一橋に限らず受験における鉄則ですね。解答例では、設問全体の趣旨に照らして、ブラジルにおいて特に奴隷制が長く維持されたことを他のラテンアメリカ諸国と対比させるようなイメージで強調してみましたが、先にも書いた通り「他のラテンアメリカ」の状況も場所によってそれぞれですから、そこまで気にすることもないかもしれません。

 

2017年 Ⅲ

■問題概要

 史料(イブン=バトゥータ著、家島彦一訳注『大旅行記7』より引用、一部改変)を示した上で、以下の点について問うています。字数は例年通り400字です。

 

・ザイトンとも称されたザイトゥーンの都市名を漢字で答えよ。

・当該都市を取り巻く1113世紀の国際関係を論ぜよ。

 

(補足)

 ちなみに、史料自体はとくに大きなヒントになるようなものではありません。これについてもここ最近の一橋の設問と比べると工夫が不足している気がしますが、もしかすると、ここ数年出題された「史料を読解させる高度な設問」の要求に対して受験生が十分に対応できなかったことから「どうも厳しいらしいからレベルを落とそう」ということになったのかもしれません。ここ数年の史料読解問題は良問だと思うのですが、史料情報の整理と読み取り、類推は高度な総合力を必要としますので、いわゆる一問一答的な丸暗記では対応できません。ですから、あまりにも受験生が提出した解答の多くが出題者の要求を満たしておらず「あ、こりゃ無理だ」という判断から史料読解の要素を減らしたのだとすれば、本年の傾向は翌年以降も続く可能性があります。ですが、こればかりは翌年以降の設問をまた数年ばかり見てみないと判断ができません。大は小を兼ねると言いますし、レベルの高い解答を作る力をつけておいて損はないですから、史料読解の必要な設問にも対処できる練習を積んでおく方が無難だと思います。

 

■解答例

泉州。北宋期に北西部の西夏との対立でシルクロードによる内陸交易が困難になると、ムスリム商人やジャンク船を用いる中国商人が活躍する沿岸交易の重要性が増した。泉州には市舶司が置かれ、ムスリム居住区である蕃坊が設けられた。靖康の変で北宋が金に滅ぼされた後、高宗が江南に建てた南宋では、泉州は絹織物や景徳鎮を主要産地とする宋磁、銅銭などを輸出し、金銀、刀剣、高麗青磁や香辛料を輸入する南海貿易の拠点として都臨安と同様に繁栄した。この交易で高麗・日本・シュリーヴィジャヤ・李朝・チャンパーなど周辺諸国は中国を中心とする経済圏を形成した。金・南宋を滅ぼして南海諸国へも遠征したモンゴル帝国とそれに続く元の時代には、ジャムチの整備やフビライの大運河整備などにより、宋代には分断されていた陸路と海路が大都を中心に結合され、民間・朝貢双方の海上交易拠点となった泉州は世界規模の交通・商業ネットワークの中に組み込まれた。(400字)

 

■採点基準と分析

 中国を中心とした広域にわたる交通・商業ネットワークの形成や国際関係に関する出題は一般的には頻出の問題です。ただ、一橋ではこれまで明代以前について出題するものは極端に少なかったことから、一橋の過去問対策のみを進めていた受験生にとってはとっつきにくい内容だったと思います。(ちなみに明史以前の問題の出題は1516年ぶりのことです) ただ、テーマとしては頻出のもので、たとえば東大の2015年問題はモンゴル帝国や元を中心としたユーラシアの一体化をテーマとした出題がなされています。

http://history-link-bottega.com/archives/6653762.html

 

こうして見ると、「もしかして今年の一橋はここ数年の関東圏の国公立の出題を参考にして問題作ったんじゃあるまいな…」と思わせるくらいに、どこかで見たような出題がされている気がします。ですが、この大問3は設問のある部分によって萌え要素が強烈に高まっています。それは「11世紀~13世紀」という時代設定です。この時代設定によって、単なる一時代における国際関係ではなく、北宋以降、南宋、元にいたるまでの大きな変化を書く必要が生じるわけで、この一言が東大の2番煎じではない独特の有機的なダイナミズムを設問に与えています。この一点において、今年の大問3は大問1・2とはレベルが全く違います。こうした設問にきっちり答えを用意できるとすれば、それは「力のある」世界史解答者であるといってよいと思います。

 

 さて、それでは解答を作成するにあたってどのように進めれば良いかと言いますと、設問は①泉州を中心にまとめること(ザイトンは泉州のことです)②北宋~元(11世紀~13世紀)の変化を示すことを要求していると考えられますから、これらを意識することが最低限必要なことになります。ですが、「泉州の歴史」なんてものを理解している受験生は少ない(私だってそんなん知らんw)でしょうから、とっつきやすい北宋~元の国際関係とその変化をまとめるところから始めて、それらを整理した後に泉州と結びつけて論じていくという方法が一番現実的で効率が良いと思います。泉州という港がテーマになっていることから、「国際関係」の中に経済的要素が強く含まれていることは当然意識すべきだと思います。

 

(北宋)

・すでに唐代から進出していたムスリム商人(ダウ船使用)に加えて、中国商人(ジャンク船使用)が沿岸交易に乗り出す。

・泉州に市舶司が置かれ、ムスリム商人に対しては居住地として蕃坊が設けられた。

:宋代には、泉州の他にも、唐代に初めて市舶司が置かれた広州[714年、玄宗の時]をはじめとして臨安[杭州]、明州[明以降は寧波]、温州などにも市舶司が置かれた。市舶司の設置開始年は都市によって異なる。[例えば、明州についてはすでに唐代から設置されている] また、蕃坊についてもすでに唐代から存在し、市舶司の置かれた港などを中心に設置された。

・北方諸民族、特に西夏との対立から唐代には栄えていたシルクロードを経由した交易に支障が出始めたこと。

・宋磁(青磁・白磁)が景徳鎮(1004年以降)などを中心に生産され始めたこと。

 

(南宋)

・靖康の変による北宋の滅亡と金による華北支配。

・南宋の成立と都臨安をはじめとする港市の繁栄。

・上記2点を原因とする江南の発展と南海貿易の活発化。

:南海貿易では高麗・日本のほか、シュリーヴィジャヤ、チャンパー、李朝大越などの朝貢国と交易。ちなみに、後期チョーラ朝も数回宋に使節を送るなどの交流がある。

・華北を支配した金との和親策

・交易品として、絹織物・陶磁器・銅銭などの輸出、金・銀・刀剣・漆器、高麗青磁、象牙・香辛料などの輸入。文化的伝播としてイスラーム圏を介しての羅針盤の伝播。

 

(元)

・モンゴル帝国とそれに続く元により、金・南宋だけでなく周辺諸地域が滅ぼされたことでユーラシアの一体化が進んだこと。

・宋代までは分断されがちであった陸路と、南宋時代に発展してきた海上交易がモンゴルの支配とフビライの大運河により結合され、元の都大都を中心とした広域にわたる交通・商業ネットワークが形成されたこと。

・ムスリム商人の活躍により、インド洋・南シナ海の交易が発達し、杭州・明州・泉州・広州などの港市が繫栄したこと。

・マルコ=ポーロをはじめとしてヨーロッパ人との交流も見られるようになったこと。

:もっとも、ルブルックをはじめとしてヨーロッパ人の多くは陸路元へと向かい、マルコ=ポーロも陸路大都に着き、帰路は海路であったが泉州でなく杭州から出発しているので本設問で言及の必要はなし。

・イブン=バットゥータなどのムスリム旅行者の来訪

 

以上が北宋~元までのポイントになると思います。宋代の商工業繁栄については教科書的な流れからすれば穀倉地帯の成立や商業都市の形成が深くかかわってくるのですが、本設問が要求しているのは泉州を中心とした国際関係ですから省いて良いと思います。また、何といってもポイントなのは「宋代に発展した海上交易は北方異民族の存在によって内陸中央アジアとは十分に連結されていなかったのに対し、元代にはこれが一つとなって世界規模の広域交通・商業ネットワークとして発展した」という変化の部分を示せるかどうかでしょう。これまでにも「宋と北方異民族の関係」や「13世紀世界システム」などをテーマとして扱う論述はよく見かけましたが、11世紀~13世紀の変化を問うという設問はあまり目にしたことがありません。ちょっと時代設定や視点を変えるだけで現れる像が大きく変化するということを示した良問だと思います。また、要求される知識もそれほど難しいものは含まれていません。確かに、泉州を中心にということになると難しいと思いますが、多くの受験生は泉州に絡む知識を持ち合わせていません。ですから、重箱の隅をつついたように朝貢国は「北宋期は○○で、南宋期は××で…」といった区別をするとか、泉州で「いつ、何が起こった」というようなことを細々と書くのではなく、市舶司が置かれた交易港を代表する港、泉州が北宋~元代の国際関係の変化の中でどのような位置を占めたのかという大きな流れを示す方が良いと思います。「泉州」はあくまでも当時中国で市舶司が置かれた江南の港市を代表する存在としてとらえて論述を作成せよ、というのが出題者の意図ではないでしょうか。

 

一橋大学「世界史」について、「今年(2017年)の予想問題はないのですか」というご質問がありました。すでにご質問にはお答えしておりますが、そちらでお答えした通り、作ってあるには作ってあるのですが、大人の事情により公開を自粛中ですw そういうわけで残念ながら問題を公開することはできないのですが、代わりに今年の予想問題を作成するにあたり、私が気を配った点についてご紹介しておこうかと思います。ただ、予想はあくまでも予想でして、正直なところ一橋の先生方が気まぐれで「よし、今年は猿人・原人祭りだ!」とか言ってアウストラロったりピテクスってしまったりした場合にはまったく意味をなしませんw 当たらないことの方が多いかもしれませんが、そこは気休めぐらいのつもりでご参考になればと思います。「余計な先入観を持ちたくない!」という方はむしろお読みにならずに飛ばしてください。

 

まず、私が今年の予想問題を作るとすれば、基本的には「史料読解をベースにした、例年の一橋の出題とは少し外れたものを作る」と思います。理由はいくつかあります。第一に、一橋を受験される方であればすでに本ブログでも公開しております「一橋の伝統的な出題範囲」についてはすでにふまえていて、ある程度の知識は入っているだろうと思われることです。こうした「伝統的な出題範囲」に関しては各種参考書もそれなりに東大や一橋など難関校で出題された内容を意識して作ってあると思いますし、過去問もありますから、こうしたものを日々練習してきた受験生の方にあらためて同じようなものを示す必要はない、というよりは、こちらが示すとすればむしろ優先すべきものは別にあると考えるからです。

 

これと関連しますが、二つ目の理由として、「近年の一橋はその範囲とは少しずれた出題をすることがあるので、受験生に対してはむしろそちらの補強をしてあげた方がよい」ということがあげられます。従来は中世であれば「神聖ローマ帝国とその周辺史」、近世~近現代であれば「フランス史」、「アメリカ史」、大問3のアジア史であれば「清朝建国期、清朝交易史、清朝末期の諸改革と混乱」、または「李朝末期以降の朝鮮史」とある程度その出題範囲を読むことができました(http://history-link-bottega.com/archives/5935036.html)が、近年は必ずしもこうした出題範囲に限定されず、より広い範囲からの出題がされています。(http://history-link-bottega.com/archives/5936916.html)こうしたことを考えますと、伝統的な基本路線は外すことなく、それをやや拡大していくのが予想問題を作成する際の基本姿勢となります。その際、一橋の研究者の専門分野に気を配っていることは同じく過去の記事ですでに述べました。

 

三つ目の理由は文句なしに「近年の一橋では史料読解型の設問がかなり出題されている」ということです。最先端(とまでいかなくても、わりと進んだ)の歴史学における成果を、生の史料や二次文献などの史資料から読み取れるようにして、ヒントとして受験生に示した上で、その読解をもとに歴史的知識・理解を整理させるスタイルの設問が非常に多く見受けられます。こうした設問は従来の一橋の設問とは明らかに一線を画すものですし、東大型の設問とも少し異なります(東大の設問は基本的には高校で学習する内容を逸脱するものではないように思います。要求されるレベルは高いですが)。そうした意味で、こうした史料読解問題に慣れていないであろう一橋受験生のために、この手の史料読解問題を作っておいた方がいいだろう、と思って今年の予想問題は作成しました。

 

ちなみに、この手の予想問題を作成するには史料が必要になりますが、教科書や資料集レベルに記載されている史料では分量・内容ともに物足りないですし、探すのに骨が折れます。そこで今回私が使用したのは、たとえば一橋2015年大問1でも出題された『フランク年代記』も掲載されております『世界史史料』(歴史学研究会編、岩波書店)シリーズです。この本については本ブログで簡単に紹介しています。(http://history-link-bottega.com/archives/11994047.html少なくとも高校生が目を通して参考になるようなものではありません。ただ、数多くの基本史料が掲載されておりますので学校の先生がちょっと気の利いた史料を使いたいなと思って調べるにはそれなりに重宝します。もちろん、歴史の専門書とか、ダイレクトに1次文献をあたることもできなくはないのですが、専門の分野で12題を作成するならともかく、広い範囲から複数題作るとなると正直なところ手間がかかりすぎますので、私の場合はまずこちらから史料をあたりました。

 

 以上のことを考えて、今年の一橋受験を準備する上で役に立ちそうなことを述べるとすれば以下の3点です。

 

1、伝統的な出題範囲の理解はしっかりとしておくこと。

2、史料読解や2次文献の内容把握ができる読解力をつけておくこと。

3、下に示すような分野など、穴になっている部分の詳細をまとめておくこと。

 

 上の3で言う「下に示すような分野」とは、一例を挙げれば以下のようになります。

 

(大問1)

:中世ヨーロッパ史の中でも、一連の流れを持っているもの、政治・経済・社会・文化など複数の要素が絡んでくるものなど(例:ビザンツ史 / 教会と各国君主の中央集権[またはその地域差] / イタリア都市 / 議会制の発達 / 大空位時代と金印勅書 / 宗教政策、宗教改革と各地への影響 など)

 

某予備校のオープンで出たロシア史とかも悪くないと思いますよ。少し素直すぎるかなという気はしましたが、東欧史をついてくるというのは一橋の基本だと思います。

 

(大問2)

:基本的には啓蒙の周辺。フランス史、アメリカ史で思想的な内容の絡むものは特に注意が必要。また、アメリカ史については現代史も含めて注意。その際、防共圏の設定など国際的な枠組みが作られるような動きについては特に注意を向けておく。(例:科学革命と啓蒙 / ドナウ帝国 / アメリカ独立戦争と啓蒙 / 大西洋革命 / 19世紀ラテンアメリカとヨーロッパ / 1819世紀プロイセン / ウィーン体制下の民族運動 / アイルランド併合と英議会制度 / 19世紀後半の社会主義・労働運動 / 19世紀トルコとパン=イスラーム / フィリピンの独立 / アメリカのカリブ・太平洋進出 / 冷戦 / 戦後のラテンアメリカ / 中東戦争とアラブ など)

 

(大問3)

:明末以降の中国史や李朝末期以降の朝鮮史がベースであることには変化はないが、それをさらに時代的に広げておく。また、地域的にもインド・ヴェトナム・フィリピン・チベットあたりには目を向けておく。(例:辛亥革命以降の中国の動向 / 国民党と共産党 / 土地改革~文革 / 中ソ対立 / 改革・開放 / 朝鮮保護国化 / 19世紀後半から戦後までのインド民族運動 / インドシナ戦争~ヴェトナム戦争 / 東南アジアの民族運動 / 戦後インドネシア / 中印国境紛争 など)

 

何度も繰り返しになりますが、上に示した分野というのは、一橋の受験に「出る」というよりは、「万が一出た場合に一橋用の勉強をしてきている受験生には穴になりかねない」部分で比較的狙われそうな一連の流れ・テーマを持っているものをピックアップしたものです。一橋の設問は付け焼刃の知識やヤマ張りでどうにかなる、という類のものではないということは、過去問を解いたことのある方ならすでにご存じのことと思います。ですから、これらの分野を集中してやり直すというより、まずは基本となる勉強をしっかりとした上で、余裕があればこうした脇道の部分にも目を通しておく、というくらいがよいのかなとおもいます。「HANDのいうことはあてにならん」というくらいの捉え方の方が正しいと思いますし、こちらとしても気が楽ですw 頑張って分析したり作ったりはしますが、人間のすることですから。

 

微力ではありますが、みなさんが目標を達成できることを心からお祈りして、できる限り細々と更新していきたいと思います。

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