思えば、一橋の問題について「あっ、これは今までと明らかに違う!」という印象をもったのはこの年からだったように思います。2014年といえば、大問2のエンゲルスの「歴史なき民」についての問題が有名で、試験直後にはコアなファンが出現するほどでしたw ただ、それを抜きにしても、それまでは「史料問題」と銘打ちながら史料自体にはそれほどの意味が付されていないことが多かった一橋の問題において、設問の本文や史資料の読解にはっきりと意味を持たせた出題に変化している、と感じました。それは、大問1のワット=タイラーの乱についての出題からもくみとることができます。ですから、この年の一橋の問題がある意味「伝説」になってしまったのは、そうした一橋大学の出題傾向の変化に対し、従来型の考えしかできなかった受験生が固まってしまった、というのが本当のところだと思います。これについてはすでに一橋大学「世界史」出題傾向2でも示してありますが、今後大きな変化がなければ、一橋大学の世界史の問題を解くにあたっては設問本文と史料の読解が重要なカギとなることは間違いないでしょう。

 

2014 

 問 題 概 要 

・まず、ワット=タイラーの乱について書かれた史料が歴史学研究会編『世界史史料 5』より引用されて紹介されています。内容を紹介すると以下の通り。

1、1381年の農民反乱は拡大し、国王に対していくつかの要求をつきつけた。

2、ワット・タイラーは国王に対し、以下の要求を行った。

-国王と法に対する反逆者を捕え、彼らを処刑する。

-民衆は農奴ではなく領主に対する臣従も奉仕の義務もない。

-地代は1エーカーにつき4ペンスとする。

-誰しも自らの意志と正規の契約の下でなければ働かなくてよい。

これに対し、国王は特許状を与えて認めた。

3、これを受けて、カンタベリー大司教シモン・サドベリ、財務府長官ロバート・ヘイルズ等、国王側近は民衆によってとらえられ、首をはねられた。

4、翌日、再びタイラーは国王に対して以下の要求を行った。

-ウィンチェスター法以外の法は存在しないこと。

-同法以外の法の執行過程での法外処置を禁止すること。

-民衆に対する領主権の廃止と国王を除く全国民の身分的差別を撤廃すること。

5、ところが、タイラーはその直後にロンドン市長によって刺殺された。

 ・この文章を受けて、ワット=タイラーの乱が起こった原因あるいは背景として考えられる14世紀半ば以降にイギリスが直面していた政治的事件と社会的事象を示し、それらの事象が史料中で問題とされている「国王側近」「民衆に対する領主権」とワット=タイラーの乱にいたるまでとどのように関連していたかを説明することを求めています。字数はいつも通り400字ですね。

 

 解 答 例 

政治的事件は百年戦争,社会的事象は封建制の動揺である。14世紀半ばに始まった百年戦争は,イギリスの優勢で展開したものの戦争は長期化したため,戦費確保のために「国王側近」が人頭税の導入を実施した。また,14世紀半ばのペストの流行により農村人口が激減し,領主は労働力の確保のために地代を軽減させ,農民の身分的束縛を緩和したため農民の待遇は改善された。特にイギリスでは,貨幣経済の普及に伴って特に地代の金納化が進んでいたこともあり, ヨーマンと呼ばれる独立自営農民が増加した。しかし,農奴解放が進んだことで経済的に困窮した領主は,賦役を復活させるなど「民衆に対する領主権」を強化した。こうした百年戦争に伴う課税の強化や封建反動の動きに対する農民の不満が高まり,さらにウィクリフの教会改革に影響を受けて身分制度を批判するジョン=ボールも合流し,ワット=タイラーは領主権の廃止や身分制の撤廃などを求めて蜂起した。(398字)

 

 採 点 基 準 

政治的事件(百年戦争)

  政治的事件=百年戦争であることを明示

 「国王側近」との関連

:百年戦争の戦費調達のために「国王側近」が課税強化(人頭税を導入)

社会的事象(封建制の動揺)

 社会的事象=封建制の動揺(ペストの流行でも許容)であることを明示

 農民の地位向上

  貨幣経済の普及貨幣地代の普及

  ペストの流行農村人口の激減

  領主が労働力確保のために農民の待遇を改善

  イギリスでは独立自営農民(ヨーマン)が増加

 封建反動

  「民衆に対する領主権」との関連:困窮した領主が「民衆に対する領主権」(賦役etcの農民への身分的束縛)を強化

ワット=タイラーの乱の勃発

 人頭税の導入・封建反動に対する農民の反発

 ジョン=ボールの合流

:ウィクリフの影響を受けて身分制を批判、ワット=タイラーの乱に合流

 

 解 法 

やはり、設問と史料をよく読むことが大切。もちろん、設問の「14世紀半ば以降にイギリスが直面していた政治的事件と社会的事象」という部分から考えるだけでもある程度は解くことができるが、この問題にさらに「上の資料で問題とされている「国王側近」「民衆に対する領主権」と、この乱にいたるまでどのように関連していたか論じなさい」という条件が付されていることを考えると、史料を読まないわけにはいかない。特に、下線を引いた「国王側近」の部分は教科書レベルの知識では到底思いつかない内容になるので注意が必要だ。

 

 そこで、史料を読んでいくと以下のようなポイントを示すことができる。

 

  ワット=タイラーの指導した反乱は国王の存在は否定していない

『国王と法に対する反逆者を捕え、彼らを処刑する。』

『翌日、再びタイラーは国王に対し、「(中略)民衆に対する領主権の廃止と国王を除く全国民の身分的差別を撤廃する等」を要求した。

 

これらの文章からは、国民を統治する国王の権威は否定されず、むしろ認められている。

 

  農民の待遇改善、特に領主権の廃止、農奴的な身分的束縛の制限、地代の軽減を要求

 『民衆は農奴ではなく領主に対する臣従も奉仕の義務もない、地代は1エーカーにつき4ペンスとする、誰しも自らの意志と正規の契約の下でなければ働かなくてよい』

 『民衆に対する領主権の廃止と国王を除く全国民の身分的差別を撤廃する等」を要求した』

 

こうした事柄は当時の農奴解放や封建反動などと結びつけて考えるのは当然だが、同時に農民を指導していたジョン=ボールがウィクリフの影響を受けた聖書主義、身分的平等を唱える人物だったことにも注意する必要がある。

 

  おそらく、重税、財政に関することがらが問題となっている

 『ワット・タイラーと民衆は、(中略)財務府長官ロバート・ヘイルズ等、国王側近を捕え、首をはねた。』

 

 で地代をめぐる争いがあることや、財務府の長官が目の敵にされていることなどから、税金をめぐり問題が起こっていることがわかる。

 

  以上のをふまえたうえで、百年戦争についてと中世末期の封建制の崩壊をワット=タイラーの乱と結びつけて論じれば、おそらく十分な内容と分量を確保することができるだろう。

 

 ワンポイント

 

    通常は、ワット=タイラーの乱との関連と「アダムが耕しイヴが紡いだとき、だれが領主(ジェントルマン)であったか」という言葉で有名なジョン=ボールだが、彼がウィクリフの流れをくむロラード派の僧侶だったことを知っている人はどれくらいいるだろうか。ローマ=カトリックを批判して聖書主義の先駆となったジョン=ウィクリフ(1320-1384)の教えは、その後のイングランドにおいてロラード派という人々に受け継がれ、ロラード派はローマ=カトリックの改革を要求した。ジョン=ボールはこのロラード派に属し、その影響から社会的不平等を告発したのだ。こうした背景を知っていると、ジョン=ボールに対する見方も単なる農民反乱に共感した聖職者、といったものにとどまらないものになるだろう。また、同じくウィクリフの影響を受けた人物として有名な人にベーメンのフスがいるが、このベーメンをめぐる宗教問題は一橋を受験する受験生にとってはおなじみのものだろう。そう考えると、ワット=タイラーの乱を扱ったこの年の問題は、イギリスに関する設問ではあったものの、ある意味で一橋らしい設問であったとも言えるのではないだろうか。

 

 分 析 

出題分野

・大問1では,神聖ローマ帝国に関わる分野が頻出であり、2014年のようにイギリス史単独のテーマが出題されるのは稀。(イギリス史が単独で出題されたのは,過去には「イギリス史におけるノルマン=コンクエストの意義:1999年」程度)

解答のポイント

 ・まず,解答の冒頭で,イギリスが直面していた政治的事件が「百年戦争」,社会的事象が「封建制の動揺」であることを明示することが重要。その上で,百年戦争と封建制の動揺のそれぞれに分けて関連を述べていけば解答はまとめやすい。

 ・百年戦争中の人頭税の導入は教科書レベルを超えた知識であり,述べることは難しい。(ただし,山川の「詳説世界史研究」には記述がある)

  ただ、上述のように、設問の読解をしっかりした上で類推すれば「人頭税」とは書けなくとも、百年戦争と重税の関係を指摘することは十分に可能なはずだ。

 ・封建制の動揺については,教科書レベルの知識で十分に対応できる。「ペストの流行で農民人口減少領主が農民の待遇を改善特に貨幣地代の発達していたイギリスでは独立自営農民が増大困窮した領主による封建反動」という流れはしっかり述べたい。

 ・百年戦争と封建制の動揺だけでは字数にだいぶ余りが出る。そこで,ジョン=ボールの活用の仕方が問題となる。問題の史料中の「『国王を除く全国民の身分的差別を撤廃する等』を要求した」という部分と,乱の指導者のジョン=ボールが身分制を批判したことを結びつけることができれば想起は可能であろう。一部の教科書にも,ジョン=ボールがウィクリフの教会改革に同調し,社会的平等を説いたということが説明されているものはある。論述を書くためには,図版の説明やコラムなども含めてしっかり読み込んでおくことが必要だ。

 

2014 

 問 題 概 要 

・まず、一橋大学で教鞭をとっていた良知力の「48年革命における歴史なき民によせて」『向う岸からの世界史』より引用されたやや長文の文章が紹介されます。この中で、良知は、エンゲルスの「悪名高き一文」を紹介します。

「ヘーゲルが言っているように、歴史の歩みによって情容赦なく踏み潰された民族のこれらの成れの果て、これらの民族の残り屑は、完全に根だやしされた民族ではなくなってしまうまで、いつまでも反革命の狂信的な担い手であろう。およそかれらの全存在が偉大な歴史的革命にたいする一つの異議なのだ」

良知がこの文章を紹介したのは、1848年のヨーロッパについて「歴史なき民」が「歴史のおもてに現われ」さらに「歴史に積極的にかかわるかもしれず」、この年に「歴史」または「歴史の価値が崩れる」という「選ばれた民」からすれば「歴史に対する冒涜と反動」であるとエンゲルスの歴史観、価値観を説明するためです。

さらに、良知は、エンゲルスの頭に「パン=スラヴ主義の担い手たち、すなわちポーランド人をのぞく西スラヴ人と南スラヴ人、それにヴァラキア人(ロマン人、すなわちルーマニア人)など」が思い浮かべられており、エンゲルスの視点からはこれらの諸民族に「未来もなければ、歴史もない。……これらの民族は、放置しておけばトルコ人に侵され、回教徒にされてしまうであろうから、そのくらいならドイツ人やマジャール人に吸収同化してもらえるだけありがたく思わねばならぬ」と述べていたことを紹介しています。

・これをうけて、設問は以下のことを要求しています。

1、文章を参考にして、エンゲルスが「歴史の歩み」と「歴史なき民」の関係をどのように理解しているかを説明せよ。

2、それを批判的に踏まえながら、ポーランド人を除く西スラヴ人の17世紀頃から21世紀までの 政治的立場を論ぜよ。

 

 解 答 例 

エンゲルスは唯物史観に基づき,階級闘争により資本主義から社会主義へと発展することを「歴史の歩み」と考え,異民族の支配を受ける「歴史なき民」が自民族の国家建設をめざす動きは,階級闘争による「歴史の歩み」を妨げると考えた。西スラヴのチェック人はハプスブルク家の支配に対し,17世紀には三十年戦争の契機となるベーメン反乱を起こした。反乱鎮圧後は同家の支配が強化され,1848年にはスラヴ民族会議を開いたが弾圧された。第一次世界大戦後は,マジャール人の支配を受けていた同じ西スラヴのスロヴァキア人とともにチェコスロヴァキアとして独立したが,ナチス=ドイツにより国家は解体された。第二次世界大戦後は社会主義国としてソ連に従属,「プラハの春」はソ連に抑圧されたが,1989年の東欧革命では社会主義体制を崩壊させ,冷戦終結後はチェコとスロヴァキアに分離,EUにも加盟するなど,独立した民族国家として重要な役割を果たしている。(398字)

 

 採 点 基 準 

「歴史の歩み」と「歴史なき民」の関係

  「歴史の歩み」

:(唯物史観に基づき、)階級闘争により資本主義から社会主義へ発展すること

  「歴史なき民」との関係

:「歴史なき民」(多民族みの支配を受け、自民族の国家を持たない民族)の民族主義(民族の独立をめざす動き)は階級闘争による歴史の発展(労働者による革命)の動きと反する

「ポーランド人をのぞく西スラヴ人」(チェック人・スロヴァキア人)の政治的地位

 スロヴァキア人:マジャール人の支配を受ける

 17世紀:ハプスブルク家の支配に対しベーメンで反乱三十年戦争の契機に

 ベーメン反乱鎮圧後はハプスブルク家の支配が強まる

 1848年:(パラツキーが)スラヴ民族会議を開催弾圧される

 第一次世界大戦後:チェック人とスロヴァキア人がチェコスロヴァキアとして独立

 ナチス=ドイツの侵攻チェコスロヴァキア解体

 第二次世界大戦後:社会主義国となりソ連に従属

 1968年:「プラハの春」(ドプチェクによる自由化)弾圧される

 1989年:東欧革命で社会主義体制崩壊

 1993年:チェコとスロヴァキアに分離

 2004年:チェコとスロヴァキアがEUに加盟

 

 解 法 

1、まずは設問の要求を確認する。かなり込み入った内容なので、設問の要求を正確に把握しないと答えがあらぬ方向へ飛んでいきかねない。設問の要求は以下の3つ。

 エンゲルスの、「歴史の歩み」と「歴史なき民」の関係に対する理解を示す

 ポーランド人をのぞく西スラヴ人(=チェック人とスロヴァキア人)の17世紀頃から21世紀までを視野に入れた政治的地位について論ずる

 その際、エンゲルスの理解を批判的に踏まえる(この場合の「批判的」とは必ずしも反対意見を示すことではなく、その可否に検討を加えて評価すること)

 

2、エンゲルスの歴史観と、彼のいう「歴史の歩み」と「歴史なき民」とは何かを確認する。

  まず、世界史的知識として、エンゲルスは共産主義を奉ずる人間なのであり、彼の歴史観は基本的には共産主義における「唯物史観」がそのベースにあることに注意する必要がある。

 

 ワンポイント

*唯物史観:生産力の発展に照応してその生産関係が移行していくとする発展論的な歴史観。生産力と生産関係の間に矛盾が生じた際にそれを解消すべく進歩が起こり、これがあらたな生産関係を導くとする。

   具体的には、

「原始共産制」(共同狩猟と食糧採集)

「古代奴隷制」(大地主と奴隷)

「中世封建制」(封建領主と農奴)

「ブルジョワ革命(中世封建社会の矛盾による階級闘争)」

「近代資本主義」(資本家と労働者、国民国家の形成と資本主義の発展、帝国主義)

「社会主義革命(資本主義社会の矛盾による階級闘争)」

「共産主義(国家という社会抑圧のための装置の消滅)」  となる 

 

こうした共産主義における発展段階説を知っていればより理解しやすいが、仮にこうした知識がなくとも、設問文からエンゲルスの考え方を読み取ることは可能だ。まず、エンゲルスが「歴史なき民」が「歴史のおもてに現れる」こと、つまり歴史に積極的にかかわることは、「選ばれた民」にとっては歴史の「冒涜」であると考えているということをしっかり読み取ろう。その上で、史料中の「歴史なき民」や「選ばれた民」に対応する語や表現としてどのようなものがあるかを示すと下のようになる。

 

 (歴史なき民)=歴史の歩みによって踏みつぶされた民族の成れの果て、残り屑

        =反革命の担い手であり、偉大な歴史的革命に対する一つの異議

=「パン=スラヴ主義の担い手たち」

=ポーランド人を除く西・南スラヴ人とルーマニア人

        =これら諸民族には未来もなければ歴史もない

        =ドイツやマジャール人に吸収同化される分だけありがたく思わねばならぬ             

(選ばれた民)=ドイツ人やマジャール人

 

つまり、エンゲルスの歴史観によれば、「チェック人やスロヴァキア人」が「歴史にかかわること」は社会主義革命という「偉大な革命」に反する「冒涜」であり「反動」なのである

 

3、では、なぜチェック人やスロヴァキア人に「歴史がない」と断じ、その活動を否定するのか

 ・共産主義の発展段階説的に考えれば、

 

「各地の封建領主」「民族ごとの小集団」「国民国家」「国家消滅」

 

となるはずであり、この段階にいたって抑圧は消滅し、社会的平等が達成されるはずである。だとすれば、「国民国家」の段階に至っている現在(1848年当時)からあえて「民族ごとの小集団」への回帰を求める人々の動きは「反革命」的であり、歴史の流れに逆行する「冒涜」である

 

・ゆえに、エンゲルスからすれば、チェック人やスロヴァキア人のように、ブルジョワジーの力が弱体で国民国家を独立して形成できなかった「歴史なき民」は強力で国民国家を独自に形成しえたドイツ人(ドイツ・オーストリア)やマジャール人(ハンガリー)のような人々に吸収同化されて「国民国家」の一部として消滅すべき民族である(そうであるがゆえにロシアの実質的支配下にあるとはいえ、ポーランド王国を形成しているポーランドは対象から除かれることになる)ということになる。

 

4、以上のエンゲルスの歴史観を、全てではないにせよある程度は踏まえた上で、チェック人とスロヴァキア人の歴史を確認し、エンゲルスの歴史観を批判的に考察すればよい。となれば、基本の路線は「エンゲルスはチェック人やスロヴァキア人が国民国家を建設することに批判的だが、実際には両地域の人々はその後彼ら自身の国家を建設するにいたった」という方向になるだろう。最後に、簡単にチェック人とスロヴァキア人の歴史(17世紀以降)を表にしたものを下に示しておく。

ベーメン史
 分 析 

出題分野

・今回のテーマは「17世紀から現在に至るチェコ人・スロヴァキア人の歴史」。一橋大ではドイツ史が頻出だが,ドイツと関わりの深いハンガリー・チェコ・ポーランドなど東欧の歴史が出題されることも多いので,これらの地域については,ドイツとの関係をふまえながらタテの流れを確認しておくことが不可欠である。

・過去にチェコやスロヴァキアが出題された例としては,「フス戦争とその歴史的意義」(2011年の),「近現代のポーランドとチェコスロヴァキア」(1992年の)などがある。

解答のポイント

 要求:エンゲルスが『歴史の歩み』と『歴史なき民』の関係をどのように理解しているか

  ・まず,エンゲルスにとっての「歴史の歩み」=唯物史観であり,唯物史観が「階級闘争による歴史の発展」であることを短い字数で述べる必要がある。

  ・「歴史なき民」が他民族の支配を受け,自民族の国を持たない民族であるということは,資料から分かるだろう。資料中の「およそかれらの全存在が偉大な歴史的革命にたいする一つの異議なのだ」という部分から,「歴史なき民」が自民族の国家を求める動きが,偉大な歴史的革命である階級闘争を妨げるものであるということを読み取ってほしい。国際的な労働者の連帯をめざす動き(インターナショナリズム)と国民主義・民族主義(ナショナリズム)が相容れないものであることについて,しっかり理解しておいてほしい。

 要求1721世紀のポーランドを除く西スラヴ人の政治的地位

  ・ポーランドを除く西スラヴ人がチェック人とスロヴァキア人であることが分かれば,17世紀のベーメン反乱,1848年のスラヴ民族会議,第一次世界大戦後のチェコスロヴァキアの独立,第二次世界大戦直前のナチス=ドイツによる国家解体,第二次世界大戦後は社会主義国となりソ連の影響下に入る,プラハの春,東欧革命時のビロード革命,チェコとスロヴァキアに分離,EUへの加盟など教科書レベルの知識で十分に述べることが可能である。

  ・エンゲルスの歴史観を批判的にふまえる必要があるので,エンゲルスの予測に反して,自民族の国家を持ちながら,歴史の中で一定の役割を果たしているという筋でまとめるようにすればよい。

 

2015 

 問 題 概 要 

久芳崇『東アジアの兵器革命』より引用された、16世紀から17世紀末にかけて変動した東アジア情勢の一端を伝える文章が紹介され、空欄A・Bが示されます。

(Aのヒント)

-万暦47年(1619)年、サルフ山の戦いでの大敗以降、明朝は徐光啓をはじめとする官僚の努力により、( A )のポルトガル人と深い関係を持つ人間を通して新式火器の導入が進められた。

-Aはポルトガルの拠点であった。

(Bのヒント)

 -北京や寧遠などといった軍事拠点と同じ重要な軍事拠点で、( A )から購入した火器が投入された。

・この文章を受けて、設問は以下の問1、問2を要求します。

1 ・空欄(A.   )(B.   )に当てはまる地名を答えよ。

・清朝から明朝への交替の経緯を様々な要因をしめして説明せよ。(240)

2 16世紀末から17世紀末にかけての朝鮮・明朝・女真・清朝との関係の変遷を説明せよ。(160) その際、[壬辰の倭乱 ホンタイジ 冊封]の三語を使用しなさい。

 

 解 答 例 

問1 Aマカオ,B山海関。明は北虜南倭への対応に苦しみ,朝鮮への援軍で財政が悪化,東林党と非東林党の党争で政治も混乱した。また国際商業の発展に伴う産業の発達や銀経済の浸透により貧富の差が拡大,重税も重なり民衆が困窮し,各地で反乱が起こった。中国東北部ではヌルハチが女真族を統合し,八旗を組織して支配体制を整えた。明が李自成の乱で滅びると,清は呉三桂の先導で李自成を倒して北京を占領した。その後,清は呉三桂らの三藩の乱を鎮圧し,台湾で清への抵抗を続ける鄭氏を降して中国支配を確立した。(238字)

問2 朝鮮は明から冊封を受けており,壬辰の倭乱の際は明の援軍を受けて豊臣秀吉の遠征軍を撃退した。女真が後金を建国し,国号を清と改めた後も,明との冊封関係から女真に従うことを拒否したが,ホンタイジの侵攻を受けて清に服属し,冊封国となった。しかし,明の滅亡後は,清を夷とみなし,朝鮮が中華文明の継承者とする小中華思想を強めた。(158字)

 

 採 点 基 準 

問1

空欄(A  )(B  )の語句

 Aマカオ・B山海関

明の衰退・滅亡

 北虜南倭への対応に苦慮

 (豊臣秀吉の侵攻を受けた)朝鮮への援軍財政難に

 政治の混乱:東林党と非東林党の党争

 社会経済の発展:国際商業の発展産業が発達、銀が大量に流入

 民衆の困窮:社会経済の発展に伴う貧富の差の拡大,財政難に伴う重税

清の台頭・中国支配

 清の台頭:ヌルハチが女真族を統一,八旗の整備で支配体制を確立

 中国支配の開始:明が李自成の乱で滅亡呉三桂の先導で北京入城李自成を倒す

 呉三桂らによる三藩の乱を鎮圧

 台湾の鄭氏を平定

 

問2

明との関係

 明から冊封を受ける

 壬辰の倭乱:豊臣秀吉が朝鮮に出兵明は宗主国として援軍を送る

女真・清朝との関係

 女真族が後金を建国国号を清に変更

 朝鮮は女真への臣従を拒否

 ホンタイジの侵攻清の冊封国に

 明の滅亡清を夷とみなし小中華意識を強める

 

 分 析 

出題分野

・問1のテーマは「明清交代の要因と経緯」。明清交代期の中国は頻出テーマであり,過去には「鄭氏の活動と17世紀のオランダのアジア交易」「三藩の乱とその歴史的意義」(いずれも2011年),「清朝の軍事・社会制度」「典礼問題」(いずれも2006年)が出題されている。さらに,1998年には「1644年以降の清朝の中国支配の確立」という今年と類似の問題が出題されている。大問3の出題傾向については一橋大学出題傾向1を参照。

・問2のテーマは「16世紀末~17世紀末の朝鮮と明・女真・清朝との関係」。朝鮮史も頻出テーマで,その中でも19世紀後半~日本の植民地時代がよく出題される。今年のような明清交代期の朝鮮の問題としては,過去には「1719世紀の朝鮮と日本・清との関係の変化」(1998年)がある。

解答のポイント

問1

・空欄補充は,Bの山海関を答えるのが難しい。

 ・要求は「清朝が明朝に替わって中国を支配するようになった経緯」。どこまで言及するのかについては,李自成の乱で明が滅亡して清が北京を占領した所まで,三藩の乱の鎮圧と鄭氏台湾を平定して中国全土の支配を確立した所まで,の2通りが考えられるが,240字という字数を考えるとのパターンで述べるべきだろう。

 ・明の弱体化,女真の台頭,清の中国支配,の3点についてまとめていけばよい。明の弱体化については,北虜南倭,朝鮮への援軍などによる財政難,東林派と非東林党の党争,などに言及する。女真の台頭については,ヌルハチが女真族を統一,八旗の整備,などに言及する。清の中国支配については,李自成の乱で明が滅亡したこと,呉三桂の先導で清が北京に入城したこと,三藩の乱を鎮圧,台湾の鄭氏を平定したことを時系列にまとめていけばよい。教科書レベルの知識のレベルで十分に対応できる問題である。

問2

・明と朝鮮の関係として,明から冊封を受けたこと,壬辰の倭乱の際に明が援軍を派遣したこと,女真との関係として,ホンタイジの侵攻で清の属国(冊封国)となったことは述べられるだろう。

 ・明の滅亡後,小中華意識を強めたことを想起できるかが差のつくポイントである。旧課程の教科書では記述はないが,新課程の教科書には「ついで清が成立すると,侵攻を受けて服属し,冊封・朝貢関係をもったが,清を「夷」とみて,朝鮮が正統な中華文明の継承者であるという意識をもった。」などと記述されているものもある。