一橋の出題傾向分析では、大問3で中国史、なかでも明末から清にかけての3つのテーマが出題されやすい、という話をしましたので、せっかくですからこの3つのテーマを簡単におさらいしておきましょう。3つのテーマとはすなわち、

 

  清の建国期(ヌルハチ~遷界令解除まで)

  対外関係の変化(遷界令[海禁]~アヘン戦争まで)

  洋務運動から続く3つの改革運動と辛亥革命

 

この3つですね。そういう意味ではロシアとの国境紛争にプラスアルファ混ぜたりしてくる設問なんかもあるのかなとも思ったりします。イリ事件とか東大で出てるしね。それでは、以下これら3つについて簡単にまとめておきます。ご参考までに。

 

[①明末期から清建国期まで]

・明末の混乱[万暦帝の頃~]

 (混乱の原因)

1、政治混乱(東林派vs非東林派:魏忠賢の弾圧[1621-27]

  2、(伝統的に)北虜南倭

  3、壬辰・丁酉の倭乱で援軍

  4、女真の強大化(1619 サルフの戦い:遼東半島へ進出)

  これら1~4による財政難→重税→農民の窮乏化と反乱

 

・清の建国

 (経過)

1、満州で女真統一(ヌルハチ:後金国[1616]、満州八旗の組織)

  2、ホンタイジ(内モンゴル[チャハル部]進出1635、国号を清に1636

  3、李氏朝鮮を属国化1637

  この1~3の時期を通じて蒙古八旗、漢人八旗の組織化

  

4、李自成の乱による明滅亡(崇禎帝自害[1644]

  5、呉三桂による山海関開城

  6、順治帝の北京入城(清による華北統治の開始)

 

・朝鮮

 -明の冊封下→清による征服と新たな冊封→小中華思想

 

・三藩の乱(1673-81

  1、呉三桂(雲南)、尚可喜(広東)、耿継茂(福建)らが藩王に

    →江南において半独立化

  2、康熙帝の危機感と勢力削減策

  3、三藩が反乱開始、台湾の鄭氏が呼応

    →鎮圧(長江以南の完全支配、台湾滅亡と海禁の終了[中国支配完成]

 

[明・清の交易・対外関係の変遷]

(明)

<全体の流れ:初期の海禁~後期の海禁緩和>

・洪武帝の海禁(民間貿易の禁止)

-前期倭寇対策(南北朝騒乱・元末の混乱など)

-洪武帝の農本主義

   ・南海遠征(永楽帝期:鄭和)

     -朝貢貿易の促進

      -日本の冊封(勘合貿易:足利義満、堺・博多、硫黄・銅・刀剣・漆器[輸出]/銅銭・絹織物・生糸[輸入]

   ・銀の大量流入と後期倭寇の発生

Cf.)寧波の乱(1523):一時勘合貿易停止、日本人商人との私貿易活発化

   ・海禁緩和(1567

-ポルトガルのマカオ拠点化(1517来航、1557居住権)

→アユタヤ・マニラ・マラッカと結ぶ

     -中国人の移住(華人街の形成)

     -日本銀・メキシコ銀の流入(石見銀山[16世紀半ば~]

→一条鞭法(明)→地丁銀(清)

     -朱印船貿易(16世紀末~17世紀)

   ・オランダの進出

  バタヴィア(1619

  アンボイナ事件(1623

  台湾占領(ゼーランディア城:1624

  鎖国令(1639

(清)

  <初期の海禁>

・鄭氏台湾の成立(1661-1683

    →遷界令(1661

→鄭氏台湾の制圧(1683)と遷界令解除(1684

→海関の設置(1685:朝貢貿易の受け入れ港、広州・厦門・寧波・上海)

  <中期からの貿易制限>

 ・乾隆帝による貿易制限:広州(1757

   ・イギリスによる自由貿易要求

     -マカートニー、アマースト、ネイピア

     (一橋大学2015解説参照

   ・アヘン戦争(1840-1842)と南京条約、虎門追加条約(1843

     -5港開港、領事裁判権承認、関税自主権放棄

   ・アロー戦争と天津条約(1858)、北京条約(1860

     -総理各国事務衙門設置

 

[洋務運動・変法運動・光緒新政]

1、洋務運動

   ・1860s-1880s 同治帝時代 「同治の中興」

   ・「中体西用」(アロー戦争敗北による危機感)

    :中国の伝統的文化・国制を基礎に西洋技術を導入

   ・曽国藩・李鴻章・左宗棠・張之洞の主導

   ・表面的模倣と日清戦争敗北で限界露呈

 (洋務運動が挫折していく過程)

  ユエ条約(188384)によるヴェトナム保護国化と清仏戦争(1884-85)による敗北

    →ヴェトナムのフランスによる植民地化と天津条約(1885)による宗主権放棄

  1894-1895 日清戦争

 

2、変法運動

    ・日本の明治維新にならった抜本的改革(立憲君主制)の模索

    →1898 戊戌の変法(変法自強)

   ・康有為・梁啓超・譚嗣同らによる改革の進言を光緒帝が認める

・科挙改革・近代学校設立・官庁の統廃合準備

    →保守派(西太后)のクーデタ[戊戌の政変]、光緒帝は幽閉される

 

3、光緒新政

・義和団後、保守派が一度つぶした変法の線で改革を進める

(注意点)

  すでに改革派からは「保皇派」とみなされ、保守派扱いされる

  光緒帝は戊戌の変法の後に幽閉されているため、実際にこの政策を進めたのは    西太后を中心とする保守派

   

(光緒新政の内容) 

  科挙廃止(1905

  新軍準備

  憲法大綱の発布(1908)、国会開設公約(1908

  内閣大学士・軍機処の廃止→責任内閣制・総理大臣の設置

   

・同時期には革命運動が水面下で展開

  孫文による興中会(1894:ハワイ)、中国同盟会(1905:東京)の結成

  三民主義(民族独立・民権伸長・民生安定)

  四大綱領(駆除韃虜・創立民国・恢復中華・平均地権)

 

※ この時期に光緒新政を進める立憲派(保皇派)と、孫文率いる革命派の対立については一橋大学2013年度大問3のAでも出題されていますね。かなり細かい知識まで頻出事項だと思います。