世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

カテゴリ: 東大への世界史

 今日は朝「高校生新聞online」の方で面白い記事があったので。

 

 http://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/57

 

 かねてから東大、または大学が受験に何を求めているのかということを推し量るということをしてきましたが、こちらの記事は大学からのダイレクトなメッセージなので、とても興味深いものです。(もっとも、メディア向けに味付けされている部分もあるのでしょうが)

 こちらの記事は本来、東大が導入している推薦入試についてのものですが、読んでいくと一般入試に対する東大の意図がどのあたりにあるのかが見えてきます。こちらの記事にある一般入試について気になるところを挙げていくと以下の通りです。

 

① 記述中心型の一般入試には今後も変更がない。高校の各教科で習う内容を本当に深く理解すれば解ける問題を出題する。

② 機械的な暗記による知識ではなく、「高く深い」レベルの知識を問う。東大のアドミッションポリシーとして「知識を詰め込むことよりも、持っている知識を関連付けて解を導く能力の高さを重視」するとある。

③ 「記述試験は受験生との対話」である。

④ 採点の過程も対話であり、元からある採点基準も採点を通じて基準が洗練されていく。

⑤ センター試験があるから安心して深い記述問題が出題できる。

 

 ①については、おそらくそうだろうとかなり前から思っていたことですが、やはりそうなのですね。東大の問題は採点にものすごく手間がかかるであろうことを除けば、試験としての完成度は高いものです。⑤にもありますが、センター試験と併用することで基本的な知識を確認した上で、本人が内容をきちんと把握しているかを問う内容になっています。完成度が高く、蓄積のあるものをわざわざ変えることで何かメリットが生まれるのだろうかとかねてから疑問に思っていました。出題傾向は多少変わるかもしれませんが、大きく変化することはやはりなさそうです。これまでの東大過去問分析の価値が損なわれるものではないのでこちらとしても一安心ですw 無駄な手間が省けます。

 

 ②についても、おそらく多くの人がそのように感じていたであろうことをはっきりと確認できたということです。つまり、「きちんと理解する」のであれば、世界史については、いわゆる一問一答を全て丸暗記するよりも教科書ベースで内容把握する方が東大では点数が取れるということです。時折「一問一答やった方がいいですか?」という質問を受けますが「ケースバイケース」と答えることにしています。一問一答形式のテキストは「自分が覚えているかどうかを確認するため、または自分はこれだけ覚えているんだということを確認して安心感を得るためのツール」としては優れていると思いますが、初めて覚える、身に着けるためのテキストとして特に優れているとは思いません。(ただし、受験まで時間が限られていて緊急避難的にとりあえず知識を入れておきたい、ということであれば便利なツールだと思います。また、東大を受験する人でも早慶といった私大を併願していることがほとんどだと思います。こうした大学の受験をメインで考えている場合、それなりに役に立つ部分があることは否定しません。)

なぜかと言えば、どうしても付随する情報量が不足してしまうんですよね。テキスト、プリント、資料集、授業などでは、時間的なつながり、地域的な広がり、映像、関連する事項などが総合的に、自然に目と耳から入ってきます。一問一答ではそれがないので、一問一答「だけ」で覚えると、どうしても薄っぺらい知識で止まってしまいがちです。こうした知識は問題の形式が少し変わると対応できず、応用力を身につけることができません。何より致命的なこととして「ある情報について人に広く、深く伝えること」ができません。たとえば、友達から「○○って何?」と聞かれたときに、その一問一答に書かれた質問文以上の説明をすることができないことになります。そうすると「フランス革命って何だっけ?」に対して「1789年~1799年に展開された、フランス社会を根底から変革することとなった動き、だよ。」という答えが期待できる最大値で、それ以上が出てこないわけです。エルゴ=プラクシーで言うところのアントラージュっぽい答えになってしまいます。あ、古いしマイナーですね。はい。

 

きちんと勉強している人であれば、一見拙くは見えてもその答えにはいろいろな情報が含まれています。「えっとー、1789年にバスティーユが襲われてー、そんで第三身分の人たちがー、議会をつくってー、人権宣言で―…」のように、各事象や時系列が曖昧さや誤りがあることもあるにせよ見えてきます。しっかりと内容を把握して、かつ質問の意図を的確にとらえる人であれば、その説明はさらに洗練をされてよりはっきりとした像を結ぶことになります。「フランス革命って言ってもさw フランス革命の何が聞きたいのw?…あー、全体的な流れかぁ。私もあんまり覚えてないんだけど、まずは貴族への課税について三部会が開かれたけどモメて、第三身分が国民議会をつくって。そのあと立法議会、国民公会って形でかわっていくけど、それにつれて革命が急進化していく感じ。あれ?バスティーユ襲撃っていつ頃だっけ?」…まぁ、こんな答え方する高校生は一般的ではないでしょうがw

ですが、東大が言う②というのは、結局のところそうした能力です。不十分ではあっても「人に伝え、自分で考えを深められる」レベルで知識を体得している受験生が欲しいのでしょう。よく「知識はなくても考える力があればそれでいい」という人がいますが、これは半分正解ですが半分は誤っています。知識はなくても思考することはできますが、その思考を深め、発展させていくためにはさらに深い知識が必要になります。つまり、多くの知識を身につけていることは、それがない人間よりもより深い思考・思索を可能にする土台を身につけているということだからです。単純に考えて「知識がなく、思考力もない<知識はないが思考力はある<知識があり思考力もある」なのは自明です。(王欣太の『蒼天航路』であまりの書籍の数に驚嘆する劉備が「これ全部頭に入っているの?」と聞くのに対して曹操が「覚えていなくていなくてすごい奴もいるが、最後は覚えている奴が勝つ」という趣旨のことを言うシーンがありますが、まさにその通りだと思います。)

つまり、東大がお求めなのは、この「知識があり思考力もある」というおよそ「一般的ではない」高校生ですw ですがまぁ、しょうがないですよね、東大自体がおよそ一般的な大学ではないので。大学で、つまり高等教育機関で研究を進めるにあたり、「自分が知識を把握し、それを他者に伝え、他者に伝える中で新たな疑問や問題点を発見し、その解決のために新たな知識を求める」というプロセスは必須能力です。そうでなければ研究とは呼べませんし、それにあたって仕入れる知識の量は専門書の1冊や2冊程度では到底すみません。歴史の論文や専門書を読んでみればわかりますが、1200字程度の文章を書く間に注として用いる書籍の数が10冊なんていうのはザラでしょう。そうした環境に身を置くのだから、高校の教科書一冊分の情報量を入れる力は欲しいし、それはまったく詰め込みと言えるほどの量ではない、というのが東大ほか難関大の教員のスタンスだと思います。もっとも、高校生の立場になっていってみれば、確かに1教科で見れば教科書1冊分+α程度の知識かもしれないけれども、それを全教科にわたって要求されるわけですから、決して容易な量ではないことは疑いがありません。大変です。でも、しょうがないですよ、東大だもん。

 

 ③については、各大学の論述解説に際して繰り返しお伝えしてきた「論述はコミュニケーション」だという表現と全く同じ内容です。東大の先生方も同じスタンスなのだと確認出来てほっとしました。ですから、その辺の細かいニュアンスについては各校の論述対策をご覧いただければと思います。今回興味深かったのは、採点にまで踏み込んで説明して下さっているところですね。採点についても対話であって、「もとから採点基準はある」が、それを受験生の解答によっては変更していくこともあるということを示してくださっています。この点については、「多分見てくれてるとは思うよ、天下の東大だもん。」といいつつ、「でもなぁ、何千人もいるからなぁ、そこまで見てくれてるかなぁ。」という一抹の不安を抱いていましたが、副学長がおっしゃるのですから多分大丈夫でしょう。ですから、教科書をはみ出した知識であったり、理解であっても、設問の意図に照らして焦点が合った解答であり、かつ歴史的事実に基づいているのであれば、正解としてくれていると思います。また、東大側が本気で採点をしてくれている限り、多少マニアックな知識であってもちゃんと拾ってくれているはずです。それくらい東大をはじめとする難関大の教員や研究者のレベルはすんげぇのです。

 

 とりあえず、これまでの東大入試に関する認識に大きな誤りはなさそうですし、国からの妙な圧力がない限りは今後も東大世界史の問題について大きな変更はなさそうです。今年はどんな問題が出るんでしょうかねぇ。楽しみでもあります。

 

 先日、Cannadine’Ornamentalism’についてのお話をしましたので、今回はいわゆる「想像の共同体(Imagined Community)」についてのお話をしたいと思います。歴史学の世界ではこれもずいぶん以前に提示されたものでありながら、依然としてその価値を失わず、様々な分野の研究にインスピレーションを与えている概念です。今では、大学生くらいなら普通にご存じなのでしょうが、高校生くらいだと「ほにゃ?」となる概念なのかなぁと思います。1983年にベネディクト・アンダーソンが出した『想像の共同体』がこれについて語る代表的な著作ですが、「国民」や「ナショナリズム」が人々の想像による産物であるという考え方自体は、これ以前にもアーネスト・ゲルナーなどによっても指摘されています。今回は、この「想像の共同体」がどういったもの(または概念)であるのかということと、それがどのようにネイションまたはナショナリズム等と関係しているのかということについてご紹介したいと思います。

 

1、「想像の共同体」とは何か

想像の共同体とは、アンダーソンがそれまでの研究では十分に検証されていないと感じていた「ナショナリズム」が成立した背景を考察するにあたり考え出した概念です。要は、ネイションとは人々が心の中で想像することによって初めて成立した政治的共同体である、とする考え方です。アンダーソン自身は、これをその著作の序文で「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体(Imagined Political Community)である」としています。(ベネディクト=アンダーソン著、白石隆・白石さや訳『定本 想像の共同体:ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山、2007年)

 

2、一定の規模を持った共同体の被想像性

 アンダーソンは、同じく同書序文の中で「原初的な村落より大きいすべての共同体は(そして本当はおそらく、そうした原初的村落ですら)想像されたものなのである。」と述べます。これは、アンダーソン自身が述べているように、本質的にはゲルナーが述べた「ナショナリズムは国民の自意識の覚醒ではない。ナショナリズムは、もともと存在していないところに国民を発明することだ」という論と同じものです。

 すこし分かりづらいかと思いますので説明しますと、ある町、ある地方、ある国といった「共同体」が存在するときに、そこに所属するある人物は、「同じ共同体」に所属する全ての人を見知っているわけではありません。また、彼らがどのような人物で、どのように物を考え、どのような社会背景を持っているかも知らない人々が大半のはずです。そもそも、「同じ」町、「同じ」地方、「同じ」国といった場合に、その境界や内容というものは多くの場合曖昧なことが多いです。にもかかわらず、人間は自分と同じ町、同じ地方、同じ国に住んでいる人々が「同じ共同体」に属していると「想像」し、場合によっては自分と類似した属性を持っていると「想像」します。このように、実際には実体として存在していないにも関わらず、人々が「想像」することによって「創られた」共同体をアンダーソンは「想像の共同体」と呼んでいるわけです。

ゲルナーは上述の通り「ナショナリズムは国民の自意識の覚醒ではない。」と述べたわけですが、仮に、ナショナリズムが「国民の自意識の覚醒」であったとした場合、そこには自意識を覚醒させる主体としての「国民」がすでに前提として存在していなければなりません。はじめから存在している「国民」が「あ、そうか、自分たちは○○人なんだ」と気付くのであればそれは「国民の自意識の覚醒」ということになります。ですが、そうではないのですね。そもそもそこにははじめから「国民」は存在していないのであって、存在していない主体が「覚醒」をすることはできません。ですから、ナショナリズムが生まれるときには、もともと存在していなかった「国民」を「発明」するところから始めなくてはいけません。こうした点において、アンダーソンの「想像の共同体」とゲルナーの意見は同一の内容を示していると言えるわけです。

 

3、「国民」が想像されるときの3つの特性

 アンダーソンは、以上の議論を展開した上で、人々によって想像された「国民」には以下の3つの特性があると主張します。

 

    国民は限られたものとして想像される。

:どれほど大きな共同体であっても、共同体である以上は必然的に「自己」と「他者」を区別する性質を持つ、ということです。「自分の町」と「別の町」、「自分の国」と「他の国」という形で。

 

    国民は主権的なものとして想像される。

:アンダーソンは、この理由を「国民」という意識が形成された時期が、「啓蒙主義と革命が神授のヒエラルキー的王朝秩序の正当性を破壊した時代」であったことに帰しています。「主権」とは「他国の意思に左右されず、自らの意思で国民および領土を統治する権利」のことです。つまり、「神」や「王権」という価値観が揺らぎ始めた時期に生じた「国民」はその性質として他者から自由であることを追求し、その結果「国民」はみずからのことをみずからで決定することを当然とする性質を有することになります。

 

    国民は一つの共同体として想像される。

:仮に、実体としての集団の内部に搾取や不平等などが存在していたとしても、同一の「国民」は「常に、水平的な深い同士愛」として想像される。

 

このような特性を考えれば、ナショナリズムが歴史の中で果たした役割やそれが持つ傾向をよりよく理解し、把握することが可能になります。ナショナリズムはなぜ、自分とは異なる「他者」と敵対する傾向を持ったのか。また、国民国家が形成された19世紀から20世紀にかけて、国家の中において「国民」と見なされなかったマイノリティがなぜ排斥されたのかといったことを、です。

 

さて、アンダーソンの『想像の共同体』では、彼のいう想像の共同体がどのようにして形成されたのかが、その起源について考察するところから始まり、事細かに描かれ、さらに「公定ナショナリズム」‐この著作では「国民と王朝帝国の意図的合同」と表現されていますが‐と帝国主義の関係など、様々な側面について考察が深められていきます。本当は、そうした部分をじっくり読み進めていくことが一番面白いのですが、ここでそれをやっているとキリがないですし、高校世界史で理解すべき内容よりはるか先までいってしまうので控えておきます。ただ、アンダーソンが提示するこの「公定ナショナリズム」、つまり領域の支配者によって意図的に誘導・形成されるナショナリズムという考え方は面白いですし、いろいろなことに応用がききますよね。彼は一つの例としてハプスブルク帝国を例にとっていますが(※彼はこの中で、ハプスブルク家をはじめとするヨーロッパの多くの君主の正統性が「国民的なること[ナショナルネス]」とは無縁のことであったことから、19世紀に国民主義[ナショナリズム]運動が高揚してその支配領域が分裂の危機に瀕したときに、権力を維持するため意図的に「普遍・帝国的な要素」と「特殊・国民的な要素」の統合を図ったとしています)、こうした要素はハプスブルク帝国と同じく複合民族国家であったオスマン帝国末期のアブデュル=ハミト2世が展開したパン=イスラーム主義にも共通の要素を見て取ることができます。続く文章は、岩波の『世界史史料』の中にある、アブデュル=ハミト2世が書いた『政治的回顧録』の中でスンナ派とシーア派について書かれているくだりです。

 

イスラーム主義の本質を考えるとき、われわれは結束を強化すべきである。中国、インド、アフリカの中央部をはじめ、全世界のムスリムたちはお互いに密接な関係になることに有効性がある。このような時に、イランとの相互理解がなされていない事態は残念なことである。それゆえ、ロシアおよび英国にもてあそばれないように、イランはわれわれに接近することが重要である。

わがユルドゥズ宮殿で知識ある人として高名なセイド=ジェマレッディンは「スンナ派とシーア派は、誠実さを示すことによって統一は可能である」と私に進言して希望を持たせてくれた。もしこの言葉が実現すればイスラーム主義にとって崇高な状態をもたらすだろう。

 

アブデュル=ハミト2世はミドハト憲法停止後、自身が専制政治を展開していく中で、その権力の維持と帝国の統一性を保つ拠り所としてパン=イスラーム主義を利用しようとするわけですね。彼がアフガーニーをイスタンブルへ招聘するのはこのような文脈の中で理解することができます。また、パン=イスラミズムが皇帝専制の道具として利用されていると喝破したからこそ、トルコの改革派はパン=イスラミズムに見切りをつけてむしろパン=トルコ主義などへと傾斜していくことになるわけです。このあたりのテーマは、トルコの政治的変遷と結びつけてもよし、イスラームの改革運動と結びつけてもよし、非常に奥深い部分ですよね。

 

 Sultan_Abdul_Hamid_II_of_the_Ottoman_Empire

“Le_Rire”,_Number_134,_May_29,_Paris,_1897
アブデュル=ハミト2世の写真と、『ル=リール』誌に描かれたアブデュル=ハミト2

Wikipedia

 

 いずれにしても、アンダーソンが提示した「想像の共同体」論のように、これまで実体があるかのように語られてきたものには、実は実体のない(かといって現実世界に影響を及ぼさないということではなく、むしろ大きな影響力を持ちうる)、創られた存在や概念というものがあるのではないか、という議論はここ数十年ほど歴史学会が関心を向けてきたテーマでもあります。同じような議論として、ホブズボームの『創られた伝統』などがありますし、以前ちらっとお話ししたキャナダインの『オーナメンタリズム』も「想像の共同体」論の延長線上にありますね。もちろん、これらの話は直接大学の世界史受験に出題されるような内容のものではありませんが、これらの著作で示されている歴史の見方や考え方を理解すると、東大をはじめとする難関校がなぜテーマの一つとしてナショナリズムや民族意識という側面を重視するのかということを知る一助になるかと思います。
 

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 HANDはたびたび「東大の世界史では」とか、「東大が受験生に求めているのは」と口にするのだが、これは何も東大の過去問だけから当てずっぽうに推測で述べているのではない。歴史学の近年の動向ももちろんだが、特に東大の教員が行っている諸研究や執筆した書物などから読み取れることを口にしているに過ぎない。ちなみに、歴史学の近年の動向を一般の方が簡単につかみたいと思うなら、財団法人史学会(ちなみに本部は東京大学文学部内)が発行している『史学雑誌』から毎年出される第5号がその前年の歴史学会の「回顧と展望」の号となっているので、これが参考になるだろう。ただし、書かれている内容は極めて専門的な内容(少なくとも、大学の史学部学生がある程度勉強してから理解できる内容)になるので、高校生がちょっと見ただけで全貌をつかむのは難しいかもしれない。もし大学生になって史学系の学問を志す気になった場合は、おそらく最初に触れる学術雑誌になると思うので心にとめておいて欲しい。

 

 ところで、HANDが注目している東大の教員の中でも特に重要なのがたびたび言及している東大副学長(かつての国際本部長)である羽田正教授だ。氏はかねてから大学で行われている歴史学と高校教育における世界史の現状があまりにもかけ離れていること、さらに一般の人に歴史学の成果が十分に伝わっていないことを憂慮しており、いかにすれば歴史学をさらに有意義な学問として発展させていけるか、またどうすれば歴史学と一般の人々との間にある乖離をなくしていくことができるかを考えていた。そうした氏の考えは、たとえば氏の代表的著作である『イスラーム世界の創造』(東京大学出版会、2005年)にも示されている。じつはこの本は当時大学院生として氏のゼミに参加していた私が課題図書の一つとして与えられて討論を重ねたものでもある。要は、氏が当時どのような考えをお持ちだったかを直にお話としてうかがっているわけだ。この『イスラーム世界』の創造は著作自体が「アジア・太平洋特別賞」や「ファラービー国際賞」などの賞を受賞し、「イスラーム世界」という概念の曖昧さを指摘した当時としては画期的な書であったわけだが、この著作には氏の「イスラーム世界」に対する考え方や「世界史」に対する危機感が随所に示されている。本書の内容の紹介はまた別稿で改めてする予定でいるが、氏が本書の中で示している要点を示せば以下のようになる。

 

・「イスラーム世界」というのは一種の「イデオロギー」であって、ある地域の歴史の実態をとらえるための枠組みとしては極めて曖昧なものであるから、こうした枠組みはすでに不要のものである。

・「イスラーム世界」という概念が特にヨーロッパの知識人たちを中心に想像されてきた概念だとすれば、そこには「ヨーロッパ」という対概念が存在し、これもきわめてイデオロギー的かつ曖昧な枠組みであるから再考を要する。

 

つまり、氏は「イスラーム世界」という概念は実際に存在する地理的要素、気候、風土、政治体制、民族、経済的なつながり、文化などの諸要素とその相違を全く考慮することなく、「宗教的にイスラームが主要に信じられている地域であるから」とか「イスラーム法が通用する世界であるから」などといった乱暴なくくりで一つの世界としてまとめてしまう概念であり、こうした曖昧な概念では各地域の歴史的実態を真に把握することはできない、ということを主張している。さらに、こうした「イスラーム世界」という概念が近代歴史学の基礎を作り出した19世紀ヨーロッパ知識人による「ヨーロッパに対するイスラーム」という視点、イデオロギーによるものであることを問題視するのである。わかりづらいかもしれないが、極端な例をあげれば、仏教が信じられる地域を全て「仏教世界」として規定し、かつそこに存在する都市を「仏教都市」として類型化することは果たして可能かどうかを考えればその問題点は明らかになるはずだ。また、タイが仏教国だからといって、タイが文化的にインドやイランよりも日本と類似性が強い、という議論が成り立たないことも明白だろう。にもかかわらず、現在の歴史はこれと同じことを「イスラーム世界」においてしてしまっている。「イスラーム世界」であるからカラ=ハン朝とムワッヒド朝は「同じようなイスラーム王朝」と言えるのだろうか。「イスラーム世界」に存在する都市は全て「イスラーム都市」としての性質を有しているといえるのだろうか。氏はこれを明確に否定している。

 

 「イスラーム世界」には独特の形態と生活様式を持った「イスラーム都市」が存在するという命題が破綻していることを、私はこの本の出版以前にすでに仲間とともに指摘していた。(同書P.289

 

こうした考え方に基づくと、最近の世界史の記述の中に、または東大の設問中に「アラブ=イスラーム文化圏(2011年東大第1問)」であるとか、「トルコ=イスラーム」といった用語が用いられるようになってきている理由が良くわかる。氏は、イスラームという要素のみならず、その時代、各地域における特徴を踏まえた上でその歴史的実態をとらえようとしており、少なくとも現在の歴史学界の潮流としてそうした考え方は一定の支持を得ているのだ。また、氏は世界史の記述に関してこのようにも述べている。

 

 私は別稿で、国や民族などある一つのまとまりを設定し、そのまとまりの内の出来事を時系列に沿って整理し、解釈しようとする現在の歴史研究の限界を指摘し、「不連続の歴史」という考え方と現代の地域研究から示唆を得た「歴史的地域」という概念を提唱した。未だ萌芽的な研究ではあるが、これは、過去のある時代に一つの地域を設定し、その全体像を地域研究的手法によって明らかにしたうえで、現代世界をそのような歴史的地域がいくつも積み重なったうえに成立したものとして理解しようとするものである。

また、歴史的地域を考える際には、環境や生態が十分に考慮されるべきだということも強調した。…(中略)…必要とされる世界史とは人間と環境や生態の関わり方の歴史を説明するものでなければならない。(同書P.298

 

 こうした世界史像からは、氏が詳細かつ緻密な地域史研究に基づいたある時代、ある地域の歴史的実態をもとに、それらが複層的に折り重なって形成される世界史像を求めていることがわかる。東大の出題ではで各地域同士の関連が重視されるとは繰り返し指摘していることではあるが、これは単なる過去問分析からだけではなく、こうした東大教員の歴史観、歴史学会の流れなどをふまえた上で指摘していることである。

 

 もっとも、羽田氏が現在でも同じような歴史観を抱いているかは当然わからない。しかし、つい最近、羽田氏をはじめとする歴史学者たちが興味深い書物を出版した。それが『世界史の世界史』という著作である。内容については『イスラーム世界の創造』と同様、高度に専門的な内容がほとんどであるので高校生には難しすぎるため、また別稿を設けて紹介するが、この著作のタイトルからも見てわかる通り現在の「世界史」をいかにすべきか、という視点が多分に盛り込まれていて、羽田氏をはじめとする歴史学者が現在の世界史をどのような目で見ているのかということをうかがい知ることができる。

 同書の終章にあたる「総論」は「われわれが目指す世界史」というタイトルになっていて、この本の編集委員会を構成する秋田茂、永原陽子、羽田正、南塚信吾、三宅明正、桃木至朗らによる議論の中でまとめられた、彼らが目指すこれからの世界史像の概要を知ることができる。ここには編集委員会のうち桃木至朗・秋田茂・市大樹らが大阪大学で担当する授業のために作成した「現代歴史学を理解するキーワード一覧」が示されている。この中には受験生にはやや難解な用語も含まれるが、高校教員や大学で史学を志す学部生などにとってはある意味ではなじみのある、またある意味では再度歴史学の問題関心を見直す上で非常に便利な表であると思われるので、下に引用する。

 

 世界史の世界史

(同書P.400より引用)

 

さらに、この総論ではこの編集委員会の目指す方向性とその可能性や問題点についての検討がなされている。各節の見出しを見るだけでも、その目指す方向の大枠はつかめるので、同じく下に示す。

 

・国民国家を超える / 疑う

・欧米中心主義と闘う

・「反近代」、「超近代」、「ポスト近代」

・脱中心化

・人間中心主義から離れる

・「世界史の見取り図」の必要性

・「全体像」と「個別研究」の関係

・人文学の限界を方法、組織面で突破する世界史

 

編集委員会はこれらの方向性について、その意義を強調すると同時にどのような問題点があるかを詳細に検討している。たとえば、「国民国家を超える」ことは必ずしも万能ではなく、『「多様性のなかの統一」「多元一体」などをうたう柔らかいタイプ』のナショナリズムへつながる可能性などを指摘するなど、ナショナル・ヒストリーの超克とグローバル・ヒストリーの叙述が常に喜ばしい、望ましい方向へ向かうわけではないことなどを指摘している。いずれにせよ、この「総論」で挙げられている問題関心を見る限り、先に紹介した『イスラーム世界の創造』が執筆された時期(2005年当時)と比較しても、現在(同書は20169月の発行である)の問題関心とその方向性や軸が大きくずれているようには感じられない。こうした歴史観を羽田とその周辺の歴史家たちが共有しているのだということを知ったうえで、東大をはじめとするいわゆる難関校と呼ばれる大学の、ここ数年、あるいは今後数年の出題傾向を見ていくと、なかなか面白いものが見えてくるのではないだろうか。

 

 ここ十数年ほどの間に、それまでは日本の歴史学者の間(あるいは、それに遅れて政治・経済学者の間)でもてはやされていたウォーラーステインの「世界システム論」が、次第に受験生のレベルにまで知識として降りてきている。これはやはり、東大の研究者がこうした世界システム論を消化した上で、大学受験の設問の中に一国史のレベルをこえて、複数の地域や政治的・経済的、文化的集団の関わり合いを見ることで生まれる、より広い歴史観を盛り込もうとしてきたことによる。東大入試の世界史に、いわゆる「海から見た歴史」であるとか、ユーラシア全体としての諸集団の交流などが出題されるようになったことは、まさにこうした問題意識からである。

 ところが、いざ教科書や参考書のレベルになると、その肝心の世界システム論とは何か、ということが意外に見えてこない。これは、この世界システム論が大阪大学のイギリス(経済)史家、川北稔によって紹介され、歴史家の間に広まり始めたのが1980年代と、比較的新しい理論であることから、十分な知識が高校教科書のレベルにまで還元されていなかったことによる。しかし、ここ十年ほどは受験生のあいだでも「近代世界システム」という言葉は特に東大を目指すトップクラスの受験生にとってはある意味常識のようなものになってきている。しかし、それでは「近代世界システムとは何か、説明せよ」と言われると、戸惑う向きも多いのではないだろうか。

 

 そこで、今回はこの近代世界システムについて簡単に概観するとともに、その世界システムに対する批判、検証などの中から新たに生まれてきた近年の(といっても、やはり登場から十数年ほどは経ているのだが)歴史理論についても簡単に触れておきたい。

 

[世界システム論]

 世界システム論とは、イマニュエル=ウォーラーステインによって提唱された、一つの国や地域をこえた広大な領域の中に存在する複数の文化体によって構築された分業体制である。そして、この分業体制はその基本的な原則として、中心(となる文化体)にその周辺の経済的余剰を移送するはたらき(システム)を有している。ところが、このシステムは複数の文化体によって構成され、統一的に全体を統括する政治機構を有していないため、中心と周辺の間に存在する不均衡を是正するような働きが生じることは少ない。そのため、このシステムは基本的に経済的不均衡を是正するよりはむしろ拡大する方向にはたらき、このシステムの中心に位置した文化体は「覇権(ヘゲモニー)」と称される他を圧倒する力(生産力・流通力・金融力)を有することになる。つまり、図示するとこのようなイメージである。 

近代世界システム図

 
 小難しく説明したが、この世界システムはまとめると以下のような特徴を持っている。

 

・中央、半周辺、周辺の3要素が存在し、これらが分業を行っている。

・この近代世界システムは16世紀に成立し、その後も原則としては継続している。

・中央は、周辺の経済的余剰を「不等価に」集中する(搾取する)

・ただし、周辺は必ずしも衰退せず、周辺も中央とともに発展するが、周辺の発展は中央のそれと比して「不均等」なもの(中央の方が大きく発展)であるため、このシステム中に存在する格差はむしろ拡大する。

・「覇権(ヘゲモニー)国家」となったのは歴史上、オランダ→イギリス→アメリカである。

・ヘゲモニーにおける優位は、生産、流通、金融の順に発展し、衰退する。

 

  近代世界システムの具体的な例としては、18世紀末から産業革命によって他を圧する生産力を持ったイギリスが、19世紀には世界金融の中心となり、その後一次大戦の負債によってその地位をアメリカウォール街に譲ったこと(または、さらにその後の二次大戦における武器のリースによって莫大な対英債権を獲得したアメリカが、それまでのポンドを基軸とする世界経済を、ブレトン=ウッズ体制と呼ばれるドル中心の経済へと変化させたこと)や、発展段階論的にいけばいつかは先進国との経済的格差が縮まるはずの発展途上国が依然として低開発地域としてとどめ置かれていることなどがあげられる。

 

  ところが、こうしたウォーラーステインの世界システム論は、様々な面からその問題点が指摘されてもいる。特に、ウォーラーステインの世界システム論が16世紀以降のヨーロッパに焦点をあてすぎているというその西洋中心主義に対する批判は根強い。こうした中で、ウォーラーステインの世界システム論、すなわち一国を超えたより広い枠組みでの複数地域の連関という基本のフレームは前提としながらも、それを異なる視点から見直そうという動きが近年の歴史学の中でうまれた。代表的なものにジャネット=アブー=ルゴドの「13世紀世界システム」と、アンドレ=グンター=フランクの『リオリエント』の中で明らかにされた世界の銀循環をもとにしたアジア中心論がある。

 

[13世紀世界システム]

 ウォーラーステインが、16世紀にはじまる近代世界システム以前の各地のシステムが、政治的統合をともなう「世界帝国」か政治的統合を伴わない「世界経済」のいずれか2種に大別され、最終的には消滅したと考えたのに対し、ルゴドは13世紀の時点ですでに世界の各地に「世界システム」は複数存在したと主張する。また、ルゴドは西洋の勃興は、西洋の内的な力によってなされたものではなく、むしろそれ以前に存在していた世界システムの崩壊に伴って初めて生じえたと論じた。下が、ルゴドの唱える13世紀世界システムの概念図である。(当然、このシステムにはモンゴルによるユーラシアの一体化が強く意識されている。)
 

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 (Wikipedia「ジャネット・アブー=ルゴド」より引用)

 

『リオリエント』

 

  一方、アンドレ=グンター=フランクはウォーラーステインの西洋中心史観に真っ向から対抗し、西洋が世界の中心たりえたのは最近のほんの数百年のことに過ぎず、それまでの世界はむしろアジア、特に中国が圧倒的な力を有していたことを、様々な交易データをもとにして論証しようとした。フランクは『リオリエント』日本語版の序文において明確にこう述べている。

 

  「本書が、その新しい知見として示そうとしているのは、世界経済におけるアジア、特に中国の優位性が、少なくとも1800年までは継続していたということである」(アンドレ=グンター=フランク著『リオリエント』山下範久訳、藤原書店、2000年、p.4.

 

A・G・フランクの議論の中でも、世界の銀が最終的に中国へと集中していくことを述べた第2章のくだりは非常に印象的である。以下は同書147ページに所収の地図「14001800年の主要な環地球交易ルート」であるが、これを見ると銀の流れる方向の向かう最終地が中国であることが見て取れる。

 

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もちろん、フランクの議論をそのまま鵜呑みにすることはできないし、細かな批判は数多く挙げられている。フランク自身がもともとは従属理論を研究していた経済学者であったし、かれの理論の前提とされている多くのデータは原典に拠った実証的な研究に基づいたものではなく、他者が行った諸研究に基づいた巨視的なものであるため、細かな反証をあげようと思えば数限りなくあげることができるからだ。書評の中にはこうしたフランクの理論の細かい穴をあげつらって彼の理論全体を批判した気になっているものもあるようだが、しかしそれでは彼が提唱している議論の本質、すなわち、ウォーラーステインの西洋中心史観の転換という点を見すごしてしまうことになるだろう。

 

[東大過去問との関連]

  ところで、東大の過去問を解き進めている受験生であれば、ウォーラーステインの世界システム論、ルゴドの13世紀世界システム、A・G・フランクの『リオリエント』などが、近年の東大の設問と非常高い親和性を有していることに気付くだろう。たとえば、オランダやイギリスのヘゲモニーをテーマとした出題は東大では頻出の問題だ。さすがにあまりに使い古された感があるので近年はすこし違う角度からの出題が多いものの、2008年東大の「1850年から70年代までに世界の諸地域がパクス=ブリタニカにどのように組み込まれたか」を問う設問や、2010年に出題された「オランダおよびオランダ系の人々の世界史的役割」を問う問題などはその典型といえる。また、ここ数年はユーラシアをテーマとした設問が続いている(東大2014年「19世紀ロシアの対外政策とユーラシア各地の国際情勢」や同じく2015年「13世紀から14世紀の日本からヨーロッパにいたる広域[ユーラシア]において見られた交流の諸相」)が、こうした出題からは明らかにルゴド的な広大な領域内における複数の政治体・経済体・文化体間の交流という視座を読み解くことができる。また、『リオリエント』日本版が刊行されて間もない2004年に東大で出題された「16世紀から18世紀における銀を中心とした世界経済の一体化の流れの概観」などは、かなりヨーロッパ的な要素を含んではいるものの、東アジアを中心とした銀経済圏を十分に意識した設問であったといえる。すでに一橋出題傾向紹介ていことではあるが、近年の歴史研究のトレンドや出題する研究者の専門などは、その大学の出題内容と無関係ではない。特に東大の場合、明らかに「世界史」の中で個別の事象がどのような意義を有したかという視点が常に問われている。今後も、高校生にとっては聞きなれない歴史理論であっても、その出題に影響を与えるようなものは出てくるだろう。(個人的には大陸も続いたし、羽田さんのお弟子さん筋がどうも東アフリカを中心とした港市国家間の交流みたいなことをやっていた気がするから、だんだん東アフリカからアラビアとかが出ても面白いかな~という気はしている。スワヒリ語とか、ザンジュとか、カーリミーとか、マリンディとか…。まだ高校教育の現場で浸透してないからあまりにも時期尚早なので出ない気もするが…。)単なる用語の暗記に留まらず、各種教科書、参考書、問題集、図説などの「コラム」のような場所にも目を通しておくとよいだろう。ああ、もちろん、当HP「世界史リンク工房」に隅から隅まで目を通すこともオススメしておくw

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