ここ十数年ほどの間に、それまでは日本の歴史学者の間(あるいは、それに遅れて政治・経済学者の間)でもてはやされていたウォーラーステインの「世界システム論」が、次第に受験生のレベルにまで知識として降りてきています。これはやはり、東大の研究者がこうした世界システム論を消化した上で、大学受験の設問の中に一国史のレベルをこえて、複数の地域や政治的・経済的、文化的集団の関わり合いを見ることで生まれる、より広い歴史観を盛り込もうとしてきたことによるものでしょう。東大入試の世界史に、いわゆる「海から見た歴史」であるとか、ユーラシア全体としての諸集団の交流などが出題されるようになったことには、まさにこうした問題意識が反映されています。

 ところが、いざ教科書や参考書のレベルになると、その肝心の世界システム論とは何か、ということが意外に見えてきません。何というか、説明が中途半端でよくわからないんですね。これは、この世界システム論が大阪大学のイギリス(経済)史家である川北稔によって紹介されて歴史家の間に広まり始めたのが1980年代と、比較的新しい理論であることから十分な知識が高校教科書のレベルにまで還元されていなかったことによります。まぁ、何より原書が難解なので教科書の隅のコラム程度の分量で説明すること自体が難しいことにもよるのでしょう。ですが、ここ十年ほどは受験生のあいだでも「近代世界システム」という言葉は特に東大を目指すトップクラスの受験生にとってはある意味常識のようなものになってきています。中身は理解していなくても「あー、世界システム論ね、ハイハイ。」みたいな若いころにはありがちなリアクションは少なくとも示してくれますw(これは実はとても大事なことです。巷にはいわゆる「知ったか」[知ったかぶり]を軽蔑する風潮がありますが、「知ったか」をして背伸びをして、そこからその「知ったか」を本当にするために努力し、真の理解に近づけるならば「知ったか」は知への入り口となります。大切なのは「知ったか」をした後だと思います。孔子様には怒られそうですが。)ただ、それでは「近代世界システムとは何か、説明せよ」と言われると戸惑う人が多いのではないでしょうか。 

 そこで、今回はこの近代世界システムについて簡単に概観するとともに、その世界システムに対する批判、検証などの中から新たに生まれてきた近年の(といっても、やはり登場から十数年ほどは経ているのだが)歴史理論についても簡単に触れてみたいとおもいます。

 

[世界システム論]

 世界システム論とは、イマニュエル=ウォーラーステインによって提唱された、一つの国や地域をこえた広大な領域の中に存在する複数の文化体によって構築された分業体制です。そして、この分業体制は原則として、中心(となる文化体)にその周辺の経済的余剰を移送するはたらき(システム)を有しています。ところが、このシステムは複数の文化体によって構成され、統一的に全体を統括する政治機構を有していないため、中心と周辺の間に存在する不均衡を是正するような働きが生じることがあまりありません。そのため、このシステムは基本的に経済的不均衡を是正するよりはむしろ拡大する方向にはたらき、このシステムの中心に位置した文化体は「覇権(ヘゲモニー)」と称される他を圧倒する力(生産力・流通力・金融力)を有することになります。つまり、図示するとこのようなイメージです。

近代世界システム図
 小難しく説明しましたが、この世界システムはまとめると以下のような特徴を持っています。

 

中央、半周辺、周辺の3要素が存在し、これらが分業を行っている。

・この近代世界システムは16世紀に成立し、その後も原則としては継続している。

・中央は、周辺の経済的余剰を「不等価に」集中する(搾取する)

・ただし、周辺は必ずしも衰退せず、周辺も中央とともに発展するが、周辺の発展は中央のそれと比して「不均等」なもの(中央の方が大きく発展)であるため、このシステム中に存在する格差はむしろ拡大する。

・「覇権(ヘゲモニー)国家」となったのは歴史上、オランダイギリスアメリカである。

・ヘゲモニーにおける優位は、生産、流通、金融の順に発展し、衰退する。

 

近代世界システムの具体的な例としては、18世紀末から産業革命によって他を圧する生産力を持ったイギリスが、19世紀には世界金融の中心となり、その後一次大戦の負債によってその地位をアメリカのウォール街に譲ったこと(または、さらにその後の二次大戦における武器のリースによって莫大な対英債権を獲得したアメリカが、それまでのポンドを基軸とする世界経済を、ブレトン=ウッズ体制と呼ばれるドル中心の経済へと変化させたこと)や、発展段階論的にいけばいつかは先進国との経済的格差が縮まるはずの発展途上国が依然として低開発地域としてとどめ置かれていることなどがあげられます。

ところが、こうしたウォーラーステインの世界システム論は、様々な面からその問題点が指摘されてもいます。特に、ウォーラーステインの世界システム論が16世紀以降のヨーロッパに焦点をあてすぎているというその西洋中心主義に対する批判は根強くあります。こうした中で、ウォーラーステインの世界システム論、すなわち一国を超えたより広い枠組みでの複数地域の連関という基本のフレームは前提としながらも、それを異なる視点から見直そうという動きが近年の歴史学の中で生まれました。代表的なものにジャネット=アブー=ルゴドの「13世紀世界システム」と、アンドレ=グンター=フランクの『リオリエント』の中で明らかにされた世界の銀循環をもとにしたアジア中心論があります。

 

[13世紀世界システム]

ウォーラーステインが、16世紀にはじまる近代世界システム以前の各地のシステムが政治的統合をともなう「世界帝国」と政治的統合を伴わない「世界経済」のいずれか2種に大別され最終的には消滅したと考えたのに対し、ルゴドは13世紀の時点ですでに世界の各地に「世界システム」が複数存在したと主張します。また、ルゴドは西洋の勃興は、西洋の内的な力によってなされたものではなく、むしろそれ以前に存在していた世界システムの崩壊に伴って初めて生じえたと論じました。下が、ルゴドの唱える13世紀世界システムの概念図です。(当然、このシステムにはモンゴルによるユーラシアの一体化が強く意識されています。) 

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 (Wikipedia「ジャネット・アブー=ルゴド」より引用)

 

【『リオリエント』】

一方、アンドレ=グンター=フランクはウォーラーステインの西洋中心史観に真っ向から対抗し、西洋が世界の中心たりえたのは最近のほんの数百年のことに過ぎず、それまでの世界はむしろアジア、特に中国が圧倒的な力を有していたことを、様々な交易データをもとにして論証しようとしました。フランクは『リオリエント』日本語版の序文において明確にこう述べています。

 

  「本書が、その新しい知見として示そうとしているのは、世界経済におけるアジア、特に中国の優位性が、少なくとも1800年までは継続していたということである」

(アンドレ=グンター=フランク著『リオリエント』山下範久訳、藤原書店、2000年、p.4.

 

A・G・フランクの議論の中でも、世界の銀が最終的に中国へと集中していくことを述べた第2章のくだりは非常に印象的です。以下は同書147ページに所収の地図「14001800年の主要な環地球交易ルート」ですが、これを見ると銀の流れる方向の向かう最終地が中国であることが見て取れます。 


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もちろん、フランクの議論をそのまま鵜呑みにすることはできませんし、細かな批判は数多く挙げられています。フランク自身がもともとは従属理論を研究していた経済学者でしたし、彼の理論の前提とされている多くのデータは原典に拠った実証的な研究に基づいたものではなく、他者が行った諸研究に基づいた巨視的なものであるため、細かな反証をあげようと思えば数限りなくあげることができるからです。書評の中にはこうしたフランクの理論の細かい穴をあげつらって彼の理論全体を批判した気になっているものもあるようですが、しかしそれでは彼が提唱している議論の本質、すなわち、ウォーラーステインの西洋中心史観の転換という点を見すごしてしまうことになるでしょう。

 

[東大過去問との関連]

ところで、東大の過去問を解き進めている受験生であれば、ウォーラーステインの世界システム論、ルゴドの13世紀世界システム、A・G・フランクの『リオリエント』などが、近年の東大の設問と非常高い親和性を有していることに気付くはずです。たとえば、オランダやイギリスのヘゲモニーをテーマとした出題は東大では頻出の問題です。さすがにあまりに使い古された感があるので近年はすこし違う角度からの出題が多いものの、2008年東大の「1850年から70年代までに世界の諸地域がパクス=ブリタニカにどのように組み込まれたか」を問う設問や、2010年に出題された「オランダおよびオランダ系の人々の世界史的役割」を問う問題などはその典型といえます。また、ここ数年はユーラシアをテーマとした設問が続いています(東大2014年「19世紀ロシアの対外政策とユーラシア各地の国際情勢」や同じく2015年「13世紀から14世紀の日本からヨーロッパにいたる広域[ユーラシア]において見られた交流の諸相」)が、こうした出題からは明らかにルゴド的な広大な領域内における複数の政治体・経済体・文化体間の交流という視座を読み取ることができます。また、『リオリエント』日本版が刊行されて間もない2004年に東大で出題された「16世紀から18世紀における銀を中心とした世界経済の一体化の流れの概観」などは、かなりヨーロッパ的な要素を含んではいるものの、東アジアを中心とした銀経済圏を十分に意識した設問であったといえるでしょう。すでに一橋の出題傾向でも紹介していることではありますが、近年の歴史研究のトレンドや出題する研究者の専門などは、その大学の出題内容と無関係ではありません。特に東大の場合、明らかに「世界史」の中で個別の事象がどのような意義を有したかという視点が常に問われています。今後も、高校生にとっては聞きなれない歴史理論であっても、その出題に影響を与えるようなものは出てくるでしょう。(個人的には大陸も続いたし、羽田先生のお弟子さん筋がどうも東アフリカを中心とした港市国家間の交流みたいなことをやっていた気がするから、だんだん東アフリカからアラビアとかが出ても面白いかな~という気はしています。スワヒリ語とか、ザンジュとか、カーリミーとか、マリンディとか。まだ高校教育の現場で浸透してないからあまりにも時期尚早なので出ない気もしますが。)単なる用語の暗記に留まらず、各種教科書、参考書、問題集、図説などの「コラム」のような場所にも目を通しておくとよいでしょう。ああ、もちろん、当ブログ「世界史リンク工房」に隅から隅まで目を通すこともオススメですw