今回は、中国儒学史について簡単にまとめてみようかと思う。一見するとさして重要ではないように思えるテーマだが、アジア思想史については東大ではたびたび出題されている。たとえば、東京大学1987年第2問のA「宋学(朱子学)が正統学派としてその後の中国の諸王朝や近隣諸国で受容された理由」や2010年第2問、問(1)-(a)「前漢半ばに儒学が他の思想から抜きんでた存在となった理由」などである(2003年の第2問にも朱熹を答えさせてその後の宋学の影響を答えさせる問題がある)。文化史の一部として出てくることが多く、東大でもその出題は宋学に集中していることからあまり儒学について古代から通してまとめようとする人はいないように思うので、ごく簡単にまとめておきたい。

 

[儒学史]

 

(春秋・戦国)

・孔子による儒学創始

:周代の政治の理想化、道徳(孝・悌)、礼、仁の重視

・孟子(性善説)、荀子(性悪説)による発展

 

(秦)

・始皇帝による焚書・坑儒[BC213212]

→儒教を伝える者や文書が一部離散

 

(漢)

[前漢] 武帝期

・董仲舒の献策で儒学官学化、統治理念として採用

・五経(詩経・書経・易経・礼記・春秋)と五経博士の設置

 

[後漢] 光武帝による保護・奨励

・国教化にともなう教義の固定化

・春秋左氏伝の発見と訓詁学の発展

:それまでの口伝である春秋公羊伝に対して秦以前の古代文字で書かれた左氏伝が発見され、以降古典の字句解釈を行う訓詁学が発展(訓詁学は後漢の馬融、鄭玄が大成)

 

(魏晋南北朝)

・漢の崩壊で儒学の権威失墜

→かわりに老荘思想が流行(清談・竹林の七賢)

 

(隋)

・九品中正を廃して科挙が整備される

 

(唐)

・太宗の指示で訓詁学の整理

孔穎達『五経正義』:解釈の統一

 -顔師古:五経の定本作成

  →儒学思想の固定化と思想的停滞

 

(唐代中期以降)

・古文復興運動[韓愈・柳宗元]

:門閥貴族に対抗する新興の科挙官僚が主導

・一方で、仏教や老荘思想を導入した古典の再解釈

→宋学の始まり

 

(宋代)

[北宋]

周敦頤『大極図説』

:宇宙の生成~士大夫の道徳までの論理体系

程顥・程頤

 

[南宋

異民族の圧迫(金・元)

→朱熹による朱子学の大成

「理気二元論」、「性即理」、『四書』の重視

(四書:論語・孟子・大学・中庸)

君臣の別・長幼の序・華夷の別・男尊女卑・大義名分論

 

(元)  

・科挙の廃止(1313 復活)

:モンゴル人第一主義・色目人の重用

 

(明)

・朱子学の官学化

→永楽帝の『四書大全』・『五経大全』編纂(解釈の固定化)

・陽明学の成立

:王陽明(王守仁)がはじめる

「致良知」(良心を磨く)

「知行合一(行いを一致させる)

「心即理」

・明末における宋学の観念論化と陽明学の行動主義

 →一時衰退

・考証学(古典の実証研究)の発展 「経世致用の学」

:黄宗羲・顧炎武など(明末)

 

(清)

・満漢偶数官制、科挙実施

・『古今図書集成』(康熙帝)、『四庫全書』(乾隆帝)編纂

・一方で文字の獄(思想・出版統制)

 →考証学が古典の字句解釈に没頭、経世致用の精神を喪失

・清末に公羊学派が孔子を社会改革者として再評価

 →清末の改革運動に影響(魏源・康有為など)

 

(アジア)

[朝鮮王朝(李朝)]

小中華思想・朱子学官学化・科挙導入・両班

[黎朝(ヴェトナム)]

科挙導入

[日本]

尊王論、『神皇正統記』北畠親房

明清交代期に明の学者が亡命

→江戸幕府へ

-湯島昌平坂学問所

-寛永異学の禁(松平定信)…官学化


(ヨーロッパ)
・ヴォルテール、ライプニッツなど 

 
 本当は理気二元論をはじめ、ポイントとなる思想について焦点をあてて詳述して世界史というよりはむしろ倫理にしたかったのですが、新学期が始まったこともあってめちゃくちゃ忙しいことと、東大と東京外語の過去問分析をまとめている最中で正直時間がありませんw リクエストなどあればそのうち加筆していきたいと思いますが、とりあえず今日は簡潔に箇条書きしたものでとどめておきます。