世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

カテゴリ: 東京大学対策

やっと復活できました。いえ、実際にはまだ本調子とは程遠いですね。ゲホゴホ咳ばっかり出ますが、どうにか体力的に余裕が出てきました。もう行事やら試験づくりやらで、本業が忙しくて。「一週間で戻ってくるぜ!」みたいに戦隊モノみたいな捨て台詞を残していたのに本当にすみません。これからまたちょくちょく更新していくつもりですので、なにとぞお見捨てなく。

 

さて、今回は予告しておりました通り、東大2014年の第1問、大論述ですね。個人的な感想ですが「やや難」です。ちなみに、当時の河合も「やや難」ですね、手元の資料見ると。正直、ロシアの拡大政策だけを書くなら東大クラスの受験生なら普通に書けます。多分。数学とか英語が得意で世界史は捨てた、とかではない限り。受験生が出しにくい部分は指定語句がちゃんと示してくれていますし、連想すればアイグン条約も北京条約も三国干渉も出てきますしね。ですから、「事項をただ並べるだけ」ならそれほど苦にはならないんです。

やはり、難しいのは「とりあえず並べてみた事項」を「当時の国際情勢の変化」と結びつけて述べる、というこの部分をどう処理するかにつきます。東大の好きそうなフレームワークの設定ですね。しかも、地味に難しいのは、この「変化」の中に、19世紀前半から後半へという時間的な「タテの変化」(具体的には露墺関係の変化)と、ロシアの進出先の転換という地理的な「ヨコの変化」(クリミア戦争後の中央アジア、極東地域への進出)、ある地域における国際情勢に変化をもたらす「局地的な変化」(極東地域におけるロシアのプレゼンス上昇と極東情勢の変化、日ロ対立の発生、日英の接近など)という複数の変化が混在しているところです。これを600字の中にどう入れるかということが問題になるのですが、やはり字数の関係上、うまく言葉を入れていかないと十分にこれらの変化を示せずに、結局露墺関係の変化と英露対立示して終わり、ってことになりかねないですね。 

 

2014 第1

 問 題 概 要 

(設問の要求)

・ロシアの対外政策がユーラシア各地の国際情勢にもたらした変化について論ぜよ。

・時期はウィーン会議から19世紀末までの間である。

 

(本文から読み取れる条件と留意点)

・西欧列強の対応に注意を払いなさい。

・隣接するさまざまな地域への拡大をロシアの対外政策の基本として示すべきである。

・ロシアの「動向」がカギとなって変化した国際情勢に注目すべきである。

・特にイギリスとの摩擦には注目する。(ただし、他の列強についても注意が必要)

 

(指定語句)

 アフガニスタン / イリ地方 / 沿海州

 クリミア戦争 / トルコマンチャーイ条約

 ベルリン会議(1878年) / ポーランド / 旅順  (順番通り)

 

 解 法 の 手 順 と 分 析、 採 点 基 準

(解法の手順)

1、指定語句の整理またはロシアの対外進出地域の整理

:指定語句の整理から行うこともできますが、19世紀ロシアの対外拡大政策を地域ごとに把握できている人は、まず大まかなユーラシア周辺の地図を頭に思い描くことから始めても良いと思います。というより、その方が時間的に早いかもしれません。この時期のロシアの対外拡大が進められている地域を大まかに分ければ、以下の地域をあげることが可能だと思います。

 

 ・ヨーロッパ(東欧、北欧)

 ・バルカン半島

 ・中央アジア(カフカス地方[コーカサス地方]、トルキスタン)

 ・イランおよびアフガニスタン

 ・極東地域

 

  一方、仮に指定語句を中心にロシアの進出地域をまとめたとしても、以下のように、ほぼ同じような構成になると思います。ちょっと中央アジアの分けがアバウトになる感じですね。こういう時、地理的にカフカス地方、西トルキスタン、東トルキスタンをしっかり把握できている人は中央アジアに対する理解が強いですね。カスピ海とパミール高原を基準にイメージすると割と簡単に把握できるのでそれも別稿で示しますね。

 

 ・ポーランド東欧

 ・クリミア戦争、ベルリン会議バルカン半島

 ・アフガニスタン、イリ地方、トルコマンチャーイ条約中央アジア

 ・沿海州、旅順極東

 

2、設問の要求を精査し、それに沿った形で書くべきテーマを見出す。

 :設問の要求から、書くべき主要な内容がロシアの南下政策とイギリスとの対立(広い意味でのグレート=ゲーム)にあることは容易に想像がつきます。ただ、いくつか条件が付されていることから、それ以外の点にも注意を払う必要が出てくるでしょう。

 

 A、国際情勢の「変化」の「変化」という語

   「変化」というからには、Aという状態や関係性がずっと続くのではなく、BまたはCという別の状態と関係性へと移り変わらなくてはなりません。つまり、関係性の移り変わりを示さずにただ歴史的事項を書き並べただけでは駄目だということ。そのようなものがあるか考えると、とりあえず以下の例を挙げることができるでしょう。

 

   -ウィーン体制における露墺の協調から世紀後半の対立への変化

   -英の独自外交とロシアの南下政策の対立(南下政策の進展と挫折)

   -北東欧地域へのロシア支配の進行とそれに対する民族的反発

   -中央アジアからイラン、アフガニスタン地域における英露の均衡状態の創出

   -極東地域におけるロシアのプレゼンス拡大

 

 B、西欧列強の対応に注意

   「対応」に注意を払えというのですから、対外政策を行うロシアに対して欧米列強が示した反応を中心にまとめればよいでしょう。わかりやすい例としてはエジプト=トルコ戦争後のロンドン会議と五国海峡協定、クリミア戦争とパリ条約、露土戦争とサンステファノ条約に対するベルリン会議(ベルリン条約)などですが、何もこれに限ったことではないと思います。

  

 C、ロシアの「動向」がカギとなる事柄に注目すべき

   これも設問からの理解ですが、基本の構図は「ロシアが動く西欧列強が反応する」というものであることを理解すると話が作りやすいです。

 

 D、イギリスとの摩擦を中心の軸として想定する、べきか?

   これは難しいところですね。設問に示されている部分を読めば、「こうした動きは、イギリスなど他の列強との間に摩擦を引き起こすこともあった」とあるので、英露対立を中心に書けばよいような気になってきます。具体的にはパーマストン外交の勝利、クリミア戦争、ベルリン会議、イラン・アフガニスタンをめぐる抗争とアフガニスタンの緩衝地帯化(グレートゲーム)、極東地域への進出と間接的干渉(アヘン戦争、アロー戦争、日英同盟)などです。

   ですが、設問の設定がウィーン会議を起点としていること、国際情勢の「変化」に注目することを要求している点などを鑑みれば、やはりここはオーストリアとの関係と、19世紀後半の普墺露間の外交関係(ビスマルク外交)を外すわけにはいかないでしょう。イメージで言えば、英4、墺、3、普1、極東1、その他(仏など)1くらいのつもりで書きたいものですが、さて、そううまくいきますかねぇ。

 

3、2から大きな流れを設定する

  :2で考察した内容を踏まえて、大きな流れを設定すると19世紀前半については以下の2点を示すことができます。

 

  A、ウィーン体制(露墺が主導したため、協調関係をとる)

露の南下政策の進展とウィーン体制崩壊によりバルカンをめぐる露墺対立へ

  B、ウィーン体制を主導する露と独自路線を打ち出す英

   露の南下政策をイギリスが阻止(cf. 3C政策)

 

   一方、19世紀後半については、以下のようにこうした流れに一定の変化が起こることについても注意しておくべきでしょう。

  

  C、クリミア戦争後のロシアは、確かにパリ条約の妥協的な内容によってバルカン方面における南下政策の一時的な中断を余儀なくされたが、一方で極東方面や中央アジア方面への進出は成功させた。(cf. アイグン条約、北京条約、ウズベク三ハン国併合、イリ事件etc.) ただし、露土戦争後の展開によってロシアのバルカン方面への南下は完全に頓挫した。

  D、ウィーン体制後のヨーロッパにおける国際関係の変化

    (cf.三帝同盟とその解消、ビスマルク外交、ベルリン会議、露仏同盟など)

 

 どうも、高校の世界史教科書では、やたらと「ロシアの南下政策を阻止した」という流れにしたいらしく、Cの前半部分を強調するのですが、実際にはロシアは中央アジアをガッツリ南下してイラン、アフガニスタンに迫りますし、極東でもしっかり南下を成功させているのですよね。だからこそ、イギリスはアフガニスタンを緩衝地帯化する必要に迫られるわけですし、極東でも次第にロシアの影響力があらわになってきて、最終的には三国干渉、日英同盟、日露戦争のあのおなじみの流れにつながっていくわけです。こうしたロシアをdisってイギリスを持ち上げる歴史の書かれ方はもしかするとヨーロッパ中心史観ならぬ西側中心史観の名残なのかもなぁと思ったりもします。

 冒頭でも書いたように、本設問の「変化」には時間的な「タテの変化」と地理的な「ヨコの変化」と「局地的な情勢変化」などさまざまな変化が混在しています。これをどうまとめるかが腕の見せ所なわけですが、それでもやはり、大きい軸を2本用意しろと言われたら英露関係と露墺関係でしょう。ですから、この部分だけは取りこぼしのないようにしっかりと幹を作って、その上でその他の細かな変化を肉付けしていく方が、間違いが少なくて良いのではないでしょうか。

 

4、1でまとめた地域ごとに関連事項を整理し、3で設定した流れやテーマに沿ってまとめる。

  :基本的には指定語句にプラスアルファしていく形でいいかなと思います。地域ごとの詳細をまた例によって表にしてみましたので参考にしてください。(間違いがあったので一部修正しました。[2016.10.19] ギリシア独立戦争が何故かエジプト独立戦争とかになってました[汗])
 

東大2014

(クリックして拡大) 

 

 解 答 例

 ウィーン議定書でフィンランドとポーランドの君主となりバルト海支配を強化した露は、支配地の民族運動を抑えるため墺と協調した。南下を進める露はトルコマンチャーイ条約でカージャール朝からアルメニアなどを奪い、オスマン支配下のギリシアやエジプトの混乱に乗じ地中海進出を図った。英印の連絡を重視するパーマストンはロンドン会議でウンキャル=スケレッシ条約破棄に成功し、露を妨害した。東方問題が深刻化する中で、クリミア戦争でも地中海進出を阻まれたことで露墺の協調関係が崩れ、独伊の統一やビスマルクによる新たな国際関係構築につながった。矛先を極東へ転じた露は、アイグン条約と北京条約で沿海州に進出、ウラジヴォストークを建設し不凍港を獲得した。また、中央アジアではウズベク3ハン国を併合し、イリ地方をめぐる争いで清との通商を拡大した。3C政策や中国進出を進める英は警戒し、イランへの進出を強め、アフガニスタンを緩衝地帯化して露との均衡状態を作った。汎スラヴ主義高揚で再度バルカン進出を図る露は露土戦争後のサン=ステファノ条約でブルガリアを影響下に置き、地中海への出口を確保したが、スエズ運河を持つ英と汎ゲルマン主義を掲げる墺の反発によるベルリン会議で南下を阻止され、三帝同盟は崩壊した。露は再度極東に進出、三国干渉後に清から旅順、大連の租借権を獲得し朝鮮へも影響力を拡大したことから英は光栄ある孤立を撤回し日に接近した。(600字、2016.10.19UP)
 

 とりあえずで作ってみました。解答としての出来は正直いまいちかなぁと感じてしまうのは、やはり我々世代のアタマだと英露対立をもっと総合的に見たい(だから、アヘン戦争やアロー戦争なんかももっと前面に出したいし、黒海周辺のせめぎあいも示したい)し、墺露(19世紀後半では普墺露)間の関係の変遷ももう少し詳しく示したいし、フランスの立ち位置も示したいのですね。大国主義~w

 ただ、それらを削って本設問に対する解答としての質が多少落ちたとしても、今回解答の中で示してみたいな~と思ったことを盛り込んでみました。それは「ロシアにとって、ヨーロッパって何だ?」っていうこと、そして「中央アジアとひとくくりにしてしまいがちだけど、その中身は地域によってだいぶ違うんだぜ」ということなどに触れておきたかったということです。
 まず、受験生の皆さんには周知のことですがロシアは北方戦争を機にスウェーデンにかわってバルト海に進出します。ピョートルの時ですね。その後もロシアは各方面への拡大を続けますが、特にエカチェリーナ2世期の拡大は目覚ましく、クリミア半島、ポーランドなどへと領土を拡大します。バルト海、ポーランド、黒海北岸…まさに19世紀のロシアの南下政策の前哨戦のようなことを18世紀を通じてやっているわけで、これらは連続しているのですね。そういう意味で、どうしてもウィーン体制というとポーランド立憲王国がクローズアップされがちなんですが、ここではフィンランドにもそれなりの意味を持たせたかった。それまでスウェーデンの支配下にあったフィンランドは1809年にロシアに割譲され、フィンランド大公国としてこの国の大公をロシア皇帝アレクサンドル1世が兼任し(フィンランド大公としてはアレクサンテリ1世)、それがウィーン会議で国際的に承認されます。ですから、まさにポーランドと同じような流れで実質的にロシアの支配下に入りますし、民族運動が強まることもポーランドと類似しています。何より、フィンランドとポーランドを支配下においたロシアはバルト海東岸地域の完全な支配者で、それまでとはヨーロッパに対して示す存在感が圧倒的に異なります。これをお見せしたかったんですね。下は、19世紀のロシアとその影響下にある地域の地図です。


map-russia-19c
(http://www.globalsecurity.org/military/world/russia/maps-history.htm)

 また、中央アジアについてですが、当時ロシアが進出していたのは同じ中央アジアでも「カフカス地方」、「西トルキスタン」、「東トルキスタン」と複数あり、それぞれの地域で敵対する相手も、その地域の持つ意味合いもかなり異なります。まず、地理的な把握をしておきましょう。「カフカス地方」は別名を「コーカサス地方」ともいう、黒海とカスピ海に挟まれた地域になります(上の地図を参照)。ここには現在のグルジアやアゼルバイジャン、アルメニアなどがあり(下の図を参照)、豊富な天然資源(アゼルバイジャンのバクー油田などは有名です)もあり、民族構成も複雑で、現在でもチェチェンやナゴルノ=カラバフ、グルジア(ジョージア)などで紛争が起きました。当時ここをロシアと接していたのはカージャール朝イランで、建国したばかりのイランは南下するロシアとの戦いに巻き込まれていきます。トルコマンチャーイ条約が締結されるのはこの時です。

 Caucasus
(Wikipediaより引用)

 一方で、ウズベク人の3ハン国(ボハラ[ブハラ]、ヒヴァ、コーカンド)があるのは西トルキスタンで、これはカスピ海とアラル海をまたいだ地域になります。サマルカンドなんかはこの西トルキスタンの中心都市(現ウズベキスタン)になるわけです。

 torukistan

 こちらもイランと接していますが、この地域にある3ハン国を領有したこと、その後最後まで抵抗するトルクメンをギョクデぺの戦いで制したことは、より直接的にインドを植民地として持ち、イランへの進出を進めて3C政策を展開するイギリスにとっての脅威となりました。これは上の地図を見ればおわかりになるかと思います。そこでイギリスはアフガニスタンを緩衝地帯として保護国化、と言えば聞こえはいいですが、最後の最後でアフガニスタン人の抵抗にこっぴどくやられた結果完全支配することができず、外交面での帳尻合わせをしたに過ぎないかったわけですが、とにかくもロシアとの「住み分け」をする材料を手に入れます。この地域ではその後もしばらく緊張が続きますが、日露戦争でロシアが敗れたこととロシア第一革命(1905)を機に英露協商で同地域(イラン、アフガニスタン、チベット)の勢力圏が設定されることになります。

 また、東トルキスタンは現在の新疆ウイグル自治区です。よくシルクロードの地図ということで、タクラマカン砂漠を中心に天山北路、南路、西域南道などが出てくる地域ですね。実は、イリというのは現在の新疆ウイグル自治区で、まさにこの地域です。

20160106_1892059
1944年の東トルキスタン
(http://blog.silkroad-j.lomo.jp/?day=20160106)

 この地域で起こったイスラームの反乱の混乱に乗じて、コーカンド=ハン国の軍人であるヤクブ=ベクが同地域を制圧します。実はヤクブ=ベクはその後イギリスから武器などを援助してもらっています。ヤクブ=ベクによって同地に駐留していた清軍は追い払われてしまったわけですが、この地域にロシア軍が進駐します(1871)。清は左宗棠を派遣してヤクブ=ベクの反乱を鎮圧するのですが、ロシアが占領していたイリ地方をめぐってその帰属が問題となり、最終的にはイリ地方は東部を清が、西部をロシアが領有し、同地におけるロシアの通商権を認めるというかなりロシア寄りの内容のイリ条約(1881)によって決着がつきます。こうした意味で、イリ事件は西トルキスタンをめぐる英露の対立構図も絡んできて、その性格が強い一方、ロシアの清への進出政策の一環としてもとらえうる事件となっています。こうしてみると、中央アジア、とひとくくりに語るのはかなり乱暴だということがお分かりになるのではないかなと思います。
 
 前に書いておいたサン=ステファノ条約とベルリン条約の関係については、別稿を設けてお話しすることにしたいと思います。ではでは。
 

 2015年東大世界史第1問はモンゴル帝国の成立によるユーラシアを中心とした「広域にわたる交通・商業ネットワークの形成」と「人・モノ・カネ・情報が行きかうことになった」ことを重視する視点、すなわち1314世紀を「モンゴル時代」ととらえる見方を示した上で、モンゴル帝国よりもやや広い範囲、すなわち日本列島からヨーロッパにいたる範囲において見られた交流の諸相について問う問題です。モンゴルを扱う問題は東大ではたびたび出題されていますが、この設問は先に紹介した「13世紀世界システム」またはそれに類似した見方を意識していることには疑いがないと思います。それは、この設問が政治ではなく、経済・文化(宗教を含む)に焦点をあてて解答せよと言っていることからも伝わってきますね。

 

正直、2016年の問題と比較するとだいぶ取り組みやすいです。問題となるのは、どこまで広い視点を示すことができるか、また、どれだけ多くの事柄を結びつけて各地域や、交換される「人・モノ・カネ・情報」の関係性を示すことができるかということでしょう。つまり、この設問の肝は「何か一本筋の通ったテーマにそってユーラシアを描く」ことではありません。むしろ「広い地域における様々な事柄とそれらの関係性を示すことで、ユーラシアとその周辺地域(またはモンゴル帝国とその周辺地域)において形成されたネットワークを示すこと」にあるといえるでしょう。となれば、同地域の経済・文化・宗教について指定語句を参照にしながら描いたマインドマップをそのまま洗練していけばある程度の形にはなる、取りこぼしの少ないタイプの設問だと言えるでしょう。問題は「他の受験生の一歩先を行くために何が書けるか」ということでしょうね。平均点は取れる。そこからどれだけ先へ行けるか、これが問題です。モンゴル周辺の事柄は多いようでそれほど情報量が多いわけでもなく、関連する事柄というと内容もほぼ決まってきます。そういった意味では、知識量と知識の正確性の差が得点にかなり影響してくる設問だったのではないでしょうか。うろ覚えでは得点に結びつけるのは厳しいですね。

 

2016 第1

■ 問 題 概 要 

(設問の要求)

13世紀から14世紀における、東(日本列島)から西(ヨーロッパ)にいたる広域において見られた交流の諸相について論ぜよ(600字)

 

(本文から読み取れる条件と留意点)

・経済的、文化的(宗教を含む)側面に焦点をあてよ。

・「大航海時代」に先立つ「モンゴル時代」があるとする見方を参考にせよ。

・ユーラシア大陸の大半とその周辺地域における交通・商業ネットワークが本設問の軸にある。

・周辺地域には南シナ海、インド洋、地中海方面、西アジア、北アフリカ、ヨーロッパを含む。(モンゴル帝国という枠を超えている)

・人、モノ、カネ、情報の往来を注視せよ。

 

(指定語句):用いた語句には下線を付すこと

 ジャムチ / 授時暦 / 染付(染付磁器) / ダウ船 / 東方貿易 / 博多 

ペスト(黒死病) / モンテ=コルヴィノ

 

■ 解 法 の 手 順 と 分 析、 採 点 基 準

(解法の手順)

1、まずは順当に指定語句の整理を行います。ただ、本設問は上記の通り、モンゴル帝国という枠を超えた広範な地域同士の交流の諸相を描くものですから、地理的な理解と互いの相関関係の把握が必須です。そういう意味では、大まかな位置関係をとらえながら簡単にマインドマップを作成するようなイメージでメモを書いてみるといいでしょう。試しに、HANDの方でも本設問を解くとすればどんな感じで作業に入るのか実際にやってみました。

 

 2015東大ブレスト1

 

…きったねぇw

 

いや、しかし概ねこの程度で十分なのです(自己弁護)。地味に上の図がそのまま地理的な位置関係を抑えてあることに注意してほしいですね。例えば、「モンテ=コルヴィノ」、「ペスト」、「東方貿易」などヨーロッパ的要素が強いものをとりあえずヨーロッパ側に持ってきてあったり、ジャムチはユーラシア全体をカバーするようなイメージだったり。そして、指定語句を整理する中ですぐに頭に思い浮かぶような連想、書くのにもさほど時間のかからないものはさっくり横に書いておきました。たとえば、「カーリミー(商人)」であるとか、授時暦と関係する明の大統暦、日本の貞享暦などですね。カーリミーが左に傾いて斜めに「カーリミー」となっているあたりは明らかに紅海ルートが意識されていて我ながら心憎いw 


カーリミー
 

 

ちなみに、カーリミーの下から左右に伸びている⇔は、右がアラビアからインド、南シナ海へと抜けるルートを、左が東アフリカ沿岸地域へ延びるルートを想定しています。上で示したメモを書くのに要する時間がのんびりやってざっと1分強でした。同じものを受験生に試験会場で「1分以内で作りなさい」と言うと辛いかもしれませんが、現実問題として不完全なものでも1分半、長くても2分がかけられる時間としては限界でしょう。

 

簡単な見取り図ができたら、これをもとに関連する事項を書き加えていきます。その際、以下の点には十分に注意を払うべきでしょう。

 

    設問より、話の中心は経済・文化(宗教)が中心で、政治的な動きや戦争などは(直接的には)問題ではない。

    指定語句と関連付けできる事柄を最低でも一つは用意すべきである。(指定語句はすでに示されているわけだから、指定語句を書くだけでは得点にならない。指定語句は「正しく活用[関連事項と結びつけて述べる]」することによってはじめて得点になる。

    「大航海時代」に先立ってこの「モンゴル時代」において成立しているネットワークとは何かに注意を向けるべきである。

    周辺地域として示されている各地域を意識せよ。

    要素として、「人、モノ、カネ、情報」が入っているか注意すべし。

    交通ネットワークを示す際には、それが主としてどことどこを結んでいるか意識的に示そう。

 

まぁ、とりあえずこんなところでしょうか。ほとんどは設問の条件などから導き出される注意点ですが、特に注意が必要なのが①です。これを間違えてしまうと論述が180度違う、あらぬ方向へと飛んで行ってしまいます。にもかかわらず、意外に見落としがちなのがこれですね。どうもモンゴルの話と言うと、モンゴル帝国の領域拡大の話を書きたくなってしまうものらしいです。「バトゥがヨーロッパでワールシュタットは死体の山」であるとか、「モンゴルが南下してきたせいでタイ人は雲南から脱出でスコータイですタイ」であるとか、「フラグはどこにイル=ハン国」とか、この手のことは、はっきり言って本設問では意味がないのであります。もう何というか、これを書き始めた段階でその解答は完全にアウトです。これは例えて言えば、彼女に「私のこと好き?」と聞かれた時に「おれスキヤキが食いたい!」というようなものであり、先生に「HAND君、次の文章を訳してくれたまえ」と言われた時に「先生の髪型って味わいがありますよね」と受け答えるようなものです。

 

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 (『ドラえもん』©藤子・F・不二雄)

 

何度も言いますが、論述はコミュニケーションなのであります。相手が求めたものをどれだけ用意できるか、それによって相手から与えられる愛(点数)が変わるわけですね。

まぁ、くだくだと述べましたが、何となく①~⑥の注意点を意識しながらHANDが書き上げたメモが以下のものです。

 
2015東大ブレスト2
 

 

 ホントに適当だなw

 まぁ、できるだけ臨場感を出そうとあまり意識せずにシャシャシャッと書いたものなのでご勘弁願いたいと思います。ちなみに、これを書くのに多分最初から数えて4分程度でしょうか。最初のものと比べるとだいぶ具体的に、かつ動きが出てき始めているのがわかります。変化している部分としては以下のような部分があります。

 

(新しく出てきた用語)

 イブン=バットゥータ、マジャパヒト、渋川春海、運河、郭守敬、杭州・広州・泉州・明州、東南アジア、海の道、パイザ(牌符)、交鈔(中統鈔、至元鈔)、銀、インフレ、ミニアチュール、イル=ハン国、パクス=タタリカ、ニコラウス4世(教皇)

 

(保留している部分)

 ・ペストの使い方:メモを書いている時点では、東西の人の流れ、特に東からの人の流れがペストの伝播経路となったことを指摘して「人の流れ=伝染病の伝播」という形でヨーロッパの社会制度自体を変化させる一因を作ったことを指摘すべきだろうか、と考えています。ただ、他に何かペストがからむ要素がないかどうか見極めなくてはならないと考えて「?」を付しています。

 ・銀の流れの方向:この時点では、斡脱(あつだつ、またはあっだつ:ムスリム商人・高利貸)について書くべきかどうか迷っています。一般に、この時期銀はイスラーム世界東部へと流出したと考えられています。(『詳説世界史』には「当時イスラーム世界の東部では銀が不足しており、中国から銀をもち出せば交換レートの差により大きな利益が得られた。そこで斡脱と呼ばれたムスリム商人は、中国の銀を集めるため、科差のひとつである包銀の施行を元朝に提案し…銀を搾りとってイスラーム世界に流出させた」とあります[2013年版、p.150])ただ、問題なのはこの銀の流出の規模と時期がどの程度のものなのかをどう判断すべきか迷っているのですね。交易が盛んなわけですから当然元に入ってくる銀もあるわけで、そのあたりのところに注意しないとこの銀をめぐる記述はかなり怪しいことになってしまうため、注意を払おうとしています。

 ・インフレ   :これは単純に設問が「交流の諸相」を求めているために、書くべきかどうか迷っています。交鈔による社会的な変化として重要な事柄なので一応示してはみたものの…、「どうしようかな」というところですね。

 ・博多     :これも、使うとすればどのように使おうかと迷っています。元寇を書いてしまえば簡単なのですが、元寇は侵略戦争であって「文化的、経済的な交流」のうちには(厳密には)入りません。(もっとも、元寇を通して両国間に経済的、文化的に意義のある交換が行われたとしたら別です。しかし、元寇を通して日本または元に伝わったものでその後の両国の主要な文化として取り入れられたと言えるものはあまり見当たらない気がします。)ただ、単純に交易の窓口としただけではいかにも面白くない(もしそういう使い方をさせるつもりなら指定語句としては示さないでほしいw)ので使いようを探っているところです。

 ・染付(景徳鎮) :とりあえず陶磁器の伝播経路としての海の道、ムスリム商人とダウ船などを想定していますが、もっと面白い使い方はないものかと考えています。ついでに、海の道が出てくるのだから、メモに書いてはいませんが「シルクロード」やモンゴル時代の交易拠点なども使えるなと考えています。イラン方面と結んでいるあたりでコバルトも意識していますね。

 ・宗教      :とりあえずカトリック伝播とイル=ハン国のイスラーム化、北インドのイスラーム化なんかもあるけど、他にないかなーと漠然と思っています。

 ・インド、東アフリカなど:この辺の地域をどう使おうかなーとも漠然と考えています。

 

 とまぁ、大体以上のようなことを考えながら上の図を書いているわけです。もっとも、これらを全部メモとして書いていたらそれだけで終わってしまうので、書くのは「特にこの辺が重要かな」とか、「この辺を書いておくと後でパッと他のことが思い出せそうだな」といったことを書いておきます。こうした作業に慣れるためには、やはり「普段から過去問を解いておかなくてはならない」でしょう。最悪の場合、文章としてまとめる時間がなかったとしてもこのマインドマップ作成練習をやっておくだけで多少の役にはたってくるものです(気休め的なところはありますが)。

 

 大論述を解く際に、どのような思考手順で解いているかということが実感していただけたでしょうか。おそらく、似たような手順で解いている受験生も大勢いることと思います。注意しておいてほしいのは、常に今回のような手順を経るわけではないということです。地理的・経済的・文化的交流を描く場合と政治的、思想的な比較などを行う場合にはまた微妙に違った手順を踏むこともあります。型にはまらずに、まずは「連想ゲーム」の一種だと思って様々なことを思い浮かべ、結びつけるという作業に慣れておくと、思わぬ出題に出会ったときにも焦らずに解答を組み立てることができるでしょう。

 

それでは、以上のことを注意した上で地域ごとに「人・モノ・カネ・情報」についてまとめてみましょう。以下がその表です。もちろん、内容によっては複数の地域にまたがる事柄も出てきますが、それらについては表の中で示していることもあれば、面倒なので省いてしまっている部分もあります。(たとえば、イブン=バットゥータなどはモロッコ出身でアフリカ、西アジア、中央アジア、南アジア、東南アジア、東アジアと諸方を旅しているが、これをいちいち示すようなことはしていません。)ただ、「ここは示しておかないとわからないだろうな」というところについてはきちんと示したつもりですので、不足している部分はみなさんで補って考えてください。


2015東大チャート
(解答に書き入れたいと意識しているものは赤で示しました) 



 さて、解答の作り方ですが、最も避けたいのは極端に「地域ごと」でまとめようとすることです。先の表からもわかるように、ある事柄について「この地域」というようには限定できないことが多いですし、縦割りにしてしまうとせっかく各地域の交流を描くことで生まれる「動き」や「ダイナミズム」が失われてしまう気がします。地域ごとの縦割りに分類したい気持ちをここはぐっとこらえて、あえて境界をこえるような描写を行うことに専念してみたいところです。こうした「分類への欲求を断つこと」や「境界をこえること」は近年の歴史学が様々なジレンマを抱えながらも追及している方向性の一つでもあります。なんだかご立派なことを言っていますが、正直言っている時点で「いやー、無理だろ、コレ。」と思ってたりしますw 600字ですからねぇ…。無茶言わないで欲しいというところですが、仕方ありませんw

 今回、解答例作成については特に以下の点に注意してみました。

 

  交易拠点、地域、海域を示すことで交流のネットワークを示す

 :ある国や地域名を出してしまうと、話がそこに限定されてしまい、広域ネットワークの様子を示すことができません。もちろん、「Aからは○○が、Bからは△△が」というように示せば互いの交流は示せるのですが、書くべき範囲が広いのでこれをやっていると字数が消費されて仕方がない気がします。それよりも、各地の交易拠点を示してそれを陸路、海路で結んでみせるという方が、ルート全体の把握につながりますし、あるルートに接している地域であればどの地域に言及しても良いことになりますから、こちらで書くことを心がけました。

 

  交易の担い手、取引品目、交通の手段については特に注意して数多く示す。

 :本設問では特に経済に偏って示せと言っているわけではないのですが、交易の様子を描くときに特別な指示がない限りは、その担い手と取引品目を示すのは必須です。そういう意味では一橋の2008年の大問1で出題された「ハンザ同盟の活動とレヴァント貿易の対比」なんて参考になりますね。時間ができたらそちらも解説あげていきます。交通手段については今回はダウ船が指定語句ですので、最低もう一つくらいは示したいですね。

 

  カネと文化については、まとめ方を考える必要がある。

 :多分、今回一番苦労したのがここです。どれも関連がないわけではないのですが、全てを一直線に述べられるほどの関連性はないんですね。たとえば、イブン=バットゥータと授時暦とミニアチュールを述べようとすると、多分それだけで結構な字数をくっちゃうんですよ。例えば、「イブン=バットゥータのような旅人が大都に来訪したようにイスラームの文化や人が元に流入した結果、その影響を受けた郭守敬が授時暦を作成した。また、中国の文化もイスラーム圏に伝わり、中国絵画からミニアチュールが発展した。」なんて書くとこれだけで107字ですからね(´・ω・`)

 

■ 解 答 例 

 モンゴル帝国によるパクス=タタリカの下、駅伝制度ジャムチと大運河で陸海交通路の結節点となった大都には、フビライに仕えたマルコ=ポーロや、旅人イブン=バットゥータなどが来訪した。ムスリム商人は陸路サマルカンドを中継しラクダによる隊商交易を行い、海路では泉州などが海の道と結ばれ、ダウ船を操るムスリム商人とジャンク船を操る中国商人によりイラン産コバルトを原料とする景徳鎮の染付や東南アジアの香辛料が南シナ海やインド洋で取引された。明州は博多と結ばれ銅銭が輸出、刀剣や扇が輸入され、高麗青磁なども取引された。西方ではカイロやアデンを拠点に地中海、紅海、アラビア海を結びつけるカーリミーが東方貿易で香辛料や絹織物をイタリア商人へ中継し、エジプトの砂糖などを各地に運び、ヨーロッパからは金銀やワインを仕入れ、東アフリカ沿岸では黒人奴隷取引の中でスワヒリ語が発展した。各地で銀の流通が盛んになると交鈔や手形などの決済手段が発達した。交通の発達は情報交換を促進し、スーフィズムの影響によるアジア各地のイスラーム化、モンテ=コルヴィノのカトリック布教などの宗教の伝播や、元の郭守敬による授時暦、インド最古のモスクにあるクトゥブ=ミナール、中国絵画の影響を受けたミニアチュールなどの文化的発展につながった。ヨーロッパにも火薬や羅針盤、印刷術が伝わったが、交流拡大はペストの流行を招き、人口が激減して封建社会が動揺した。

600字)

 

(解説)

 …言うほどダイナミズムが前面に出ていませんねw 600字の壁は厚いw

 

・まず、交通路として元の都大都の重要性を示しました。その上で、マルコ=ポーロやイブン=バットゥータといった異邦人やムスリム商人がこの大都に集まってくる様子を示してあります。色目人も示したかったのですが、字数の関係で断念しました。そのかわり、マルコ=ポーロがフビライに仕えた事実を示して、これが元のことであること、異邦人がその官僚として仕えることもあったことを示しています。事実、マルコ=ポーロなどのヨーロッパ人は当時「フランキ」と呼ばれた色目人でした。

 

・事前の注意通り、交易の拠点と海域を示すこと、さらに担い手と交通路をそこに示すことで、モノ・カネ・情報がどういうルートで動いたのかを示しました。実際にこの解答に示された地名、地域や海域などを図にするとこんな感じになると思います。

 

東大2015地域相関図


 

頑張って作ったんですが、見づらいですかね。クリックしてから出てきたものをさらにクリックすると拡大できると思います。意外にちゃんと書いてあるでしょ?交通路は基本的に拠点と海域で示して、地域の名称は取引された品目の産地や文化財の中で示すようにしてあります。(イラン産のコバルトとか、インドのクトゥブ=ミナールとか、東南アジアの香辛料とか。)こうしておけば、「アジア各地のイスラーム化」という文言が生きて来るかなと。「イル=ハン国」とか「デリー=スルタン朝」とか特定の地域や王朝名を出しちゃうと字数の関係でそれだけしか書けないんですよね。

 

・今回は宗教についてはモンテ=コルヴィノ以外、基本的にイスラームに頼ることにしました。その方が上記の通り、ムスリム商人の活動とのリンクもしやすいですし、正直チベット仏教はこの時期陳朝あたりに伝わるくらいで目立った拡大はしていません。ヒンドゥーも、出すとしたらマジャパヒトですが苦しいですね。東南アジアのヒンドゥー圏が本格的にイスラーム化されるのはもう少し後、マラッカ王国以降のことですし、現実問題として当時の東南アジアでは仏教も優勢でしたから、全てを書くこと自体困難です。モンテ=コルヴィノに加えてスーフィズムとアジア諸地域へのイスラームの浸透、クトゥブ=ミナール(アイバクがつくったインド最古のモスクにあるミナレットです)、このあたりがあればとりあえずは及第点ではないでしょうか。

 

・文化については交通の発達と情報伝達の促進と結びつける形でいれていますね。最初にマルコ=ポーロとイブン=バットゥータは示してありますし、上記の宗教に加えて授時暦、ミニアチュール、スワヒリ語、さらにヨーロッパへの火薬、羅針盤、印刷術という定番を入れて…要素としては十分ではないでしょうか。本当は文字を入れたいところなのですが、うーん。パスパ文字やチュノムって今回微妙じゃないですか?本設問が要求する広域の交流の諸相って言うほど広域に伝播して影響与えたものっていうイメージがわかないというか…。パスパ文字は多分に政治的なもので、元が滅亡したら公用語としては使われなくなりますし、漢字の影響受けてチュノムって別にこの時代、この交通の発展の中じゃなくてもいい気がします。

 

・もちろん、上の解答は練って書いたものですから、みなさんが受験会場で同じものを書く必要は全くありません。ただ、私が試しに最初書いてみた解答は、大筋は上の解答と変わりません。ただ、入っている要素が少ないだけです。例えば「刀剣や扇」のところが刀剣だけだったりとか、「地中海、紅海、アラビア海」が地中海と紅海だけだったりとか、マルコ=ポーロがフビライに仕えた情報が入っていないとかですね。字数の関係で、短時間でコンパクトにまとめようとすると、書ききれないものも出てきます。ただ、満点解答を作る必要はないわけですから、各部分の情報量が多少減ったとしても大筋で問題はないでしょう。最初の解答でも絶対に削らないようにしたのは、広域のネットワークが形成されていたことを示す交易拠点と海域、地域、交通などに関する情報です。これが今回の問題の肝だと思うんですよね。少しでもご参考になれば幸いです。
 

 2016年東大世界史第1問の大論述は珍しく戦後史、それも冷戦をテーマとしたもので、まずそこに東大の意図を感じた。つまり、冷戦終結後の世界が混迷を深めていく中で、あらためて冷戦とは何だったのか、そしてそれは現代とどのように関わっているのかを再度考察してみようという意図である。そうした意図がなければ東大がここで冷戦を出す意図がわからない。何しろ、冷戦のみでの出題は1993年以来、ヴェトナムとドイツという冷戦によって生み出された二つの分裂国家の形成から統合を問う設問が最後である。過去問をよく解き進めていた受験生は普段の出題との違和感を感じた人もいたのではないだろうか。

 

ただ、問題はここからだ。正直、私には今回の設問について、普段の東大であればスッと見えるはずの一本芯が通ったテーマを見出すことができなかった。もちろん、これまで歴史の「分岐点」とされてきたものが、見方を変えることによって異なる歴史像を示すことになる、という部分はわかる。だが、言い方は悪いがそんなものが、そんな当たり前すぎるほど当たり前なテーマが今回の出題のこの「違和感」を説明するものだとは到底思えないのだ。30年前にそれを言われたら「さすが東大」とうなりたくなるようなことでも、今それを披露されたとしたら「今更何を…」と言いたくなることは往々にして、ある。そこで、「そんなはずはない。東大なら、何かもっとシンプルで美しい構図、テーマが見出せるはずだ」と思って神の数式を探す数学者の真似をして頭を絞ってみているのだが、「これだ!」と言えるものが依然見出せないでいる。

 

まぁ、それはそれでいいかなと思っている。この手の「違和感」に対してこだわることもなく、既存の考え方に基づいてわかったような気になってしまったとしたら、それはもう歴史家としては終わってしまっている気がするので、とりあえず自分はまだこの違和感に拘泥するあまり、ハゲてしまいそうな程度には頭を悩ませる汁気が残っているということに納得して、もう少しこだわってみることにしようと思う。「違和感」については後述することにして、まずは本設問の解説に移ろう。ちなみに、各予備校(駿台・河合など)では軒並み今回の設問を「例年並み」と評価していたが、以上の理由から私個人の見解としては「やや難」である。設問それ自体のレベルとしては「難」としても良いところだが、おそらくほとんどの受験生の間で差がつかない(戦後史に注力していた人間でないと一歩抜け出せない)ことから、「やや難」くらいの評価が妥当なように思われる。

 

2016 第1

■ 問 題 概 要 

(設問の要求)

1970年代後半から1980年代にかけての東アジア、中東、中米・南米の政治状況の変化について論ぜよ。

 

(本文から読み取れる条件と留意点)

・冷戦の終結した1989年が現代史の分岐点とされることが少なくないが、米ソ・欧州以外の地域に注目すると、それが世界史全体の転換点ではないことがわかる。

・米ソ「新冷戦」と呼ばれた時代が、1990年代以降につながる変化の源となっている。

 

■ 解 法 の 手 順 と 分 析、 採 点 基 準

(解法の手順)

1、まずは順当に指定語句の整理を行おう。すると、以下のように分類される。

 

 [東アジア] アジアニーズ・光州事件・鄧小平

  :これらの用語から、議論の中心は韓国と中国になる。アジアニーズの捉え方次第だが、台湾に言及する可能性は十分にある。蒋介石時代からの開発独裁に対して1970年代から民主化運動が進み、1980年代末の李登輝の総統就任、民主化と1990年代の対中「現実外交」と台湾の主権を主張する「二国論」を考えれば、韓国の歴史と並行して描くことは可能ですし、中国との関係を考えても十分に1990年代以降につながる「変化」を有する地域として考えることができる。

   また、アジアニーズという「用語」が出現したのは1988年だが、実際にはOECDによってNICSとして1979年の段階で韓国や台湾をはじめとするアジアニーズは急速な工業化と貿易の自由化を達成した地域として認識されていたから、経済成長ということを重視するのであればアジアニーズの使用に1988年という時代的限定は必ずしも必要ではない。ニーズという言葉は、NICSNewly Industrials[z]ing Countries)という言葉に含まれる「国(Countries)」という表現を嫌った中国が、1988年のトロント・サミットで不適切であると主張したことから用いられるようになった言葉で、極めて政治的な用語であり、経済の実態的な変化によるものではない。この設問自体が「歴史用語や歴史的事象の持つ意味は見方によって変わる」ということを一つのテーマにしているので、何もニーズという言葉が1988年に登場したことをもって1988年以降にしか使えないと考える必要はあるまい。

 

[中東] イラン=イスラーム共和国・サダム=フセイン・シナイ半島

  :用語から、イラン・イラク・パレスチナ地域(イスラエル)・エジプトなどが議論の中心であることがわかる。個人的には冷戦時代アメリカの中東戦略を語る際にサウジアラビアの安定化こそが肝なのではないかと思うのだが、大きな動乱が起きていない地域の重要性を高校世界史で語るのも難しいし、そもそも日本の歴史学では石油史とかエネルギー戦略史が全くと言っていいほど顧みられていない有様なので仕方ないかなとは思う。

 

[中米・南米] フォークランド紛争・グレナダ

 :正直なところ、上述の2地域と比較すると用語から国の限定を行うこと自体にあまり意味はない。南米を語るにあたりアルゼンチンだけを説明してもあまり意味はないので。ゆえに、南米全体を貫くテーマは何か、中米全体を貫くテーマは何かということを探る必要がある。だとすれば、南米については民政への移管、中米については左翼系の政権や民主化運動が「新冷戦」の中で強硬姿勢をとるアメリカの干渉を受けて内戦化したことを示せばよい。グレナダは知らなくても、用語の配分からおそらく中米だろうなぁということは察知できると思うが、推測で書くのも危険なのでわからない場合は他の中米諸国でお茶を濁すか、「中南米」というくくりでまとめてしまうというのも一つの手になる。

  

2、地域ごとを貫くテーマを見出す

 

 1で分類した地域ごとに、「新冷戦」の期間の「変化」が1990年代以降につながるような何らかのテーマがないかを考えてみよう。すると、以下のようなことが見えてくる。(ちなみに、1990年代以降の話は本設問では解答の後に続くべき展望として入ってきているのであり、本設問の要求はあくまでも1980年代までの政治状況の変化を書くことであるから解答に1990年代以降の話を書く必要はない。表現の仕方や事実の配置の仕方などで「におわせる」程度で十分)

 

 (東アジア)

[韓国] (日)米の援助による開発独裁以降の民主化運動と弾圧

    最終的な民主化の達成と経済的発展

[中国] 文革の終結以降の改革開放路線(外資導入による経済発展)と民主化運動の高揚

    民主化運動の弾圧と共産党一党独裁の維持

 

:基本的に東アジアはこの両国の対比で良いと思うが、上述したように韓国と並行させる形で台湾を挿入する、もしくは北朝鮮、中国、韓国をその民主化の程度に応じて並べてみるということもありうる。

  [例1] 台湾を用いる場合

   ・韓国では当初は開発独裁→民主化運動→光州事件による弾圧→最終的な民主化

   ・台湾でも同様に開発独裁からの民主化、韓国・台湾の経済成長(アジアニーズ)

  [例2] 北朝鮮を用いる場合

   ・韓国では開発独裁の後に民主化を達成

   ・中国でも改革開放路線の下での経済発展の中で民主化が進むが、最終的に弾圧

   ・北朝鮮では主体思想による独自路線を打ち出し、独裁体制を強化する一方、共産圏からの援助が減少したことで経済危機に

 

 (中東)

  [イラン・イラク] 1970年代のイスラーム原理主義の高揚

イランの反米化(反ソ化も)とイラクの親米化、米ソの干渉

           軍事衝突の発生と軍事的強大化にともなう諸問題の発生

           (1990年代以降の湾岸戦争、核開発問題、スンナ派とシーア派の対立激化とそれにともなうイスラーム諸集団の活動激化[アルカイダ・ISIL(ISIS)]など)

  [エジプト] サダト政権下での左派勢力の排除と対米接近、外資導入と経済自由化

        対米接近と並行してイスラエルとの関係改善

        1980年代にはムバラク政権のもと、親米を維持しつつ対アラブ関係の修復

        国内的には開発独裁路線と貧富差の拡大固定化

        →1990年代から民衆の不満・イスラーム原理主義の台頭(2011年のエジプト革命へ)

 

  :中東地域については、単に米ソ両陣営との関係変化に注目するだけではなく、イスラーム原理主義の台頭という要素を忘れてはならないだろう。一般的に、親米化や経済の自由化が進んだ国や地域においては貧富差の拡大と固定化が進み、イスラーム原理主義などの反体制勢力の弾圧が行われることが多い。このことを1990年以降の中東地域の諸問題(湾岸戦争、パレスチナ問題、イラク戦争、エジプト革命、ISILの登場など)につながるものとして示しておきたいところだ。

 

 (中・南米)

  [中米] 左派政権の成立や左派の民主化運動に対するアメリカの干渉・軍事介入

      (冷戦崩壊後の自由主義的市場経済の発展、親米政権の増加、キューバとの関係の変化などを展望として見る)

  [南米] 1970年代における各地の軍事政権の成立と外国からの借款による工業化

      1980年代からの対外累積債務の増加と経済恐慌、インフレ

      →民衆の不満と民主化要求による民政への移管

      1990年代以降は経済的な自立を目指して自由化を進める反面、対米経済従属を嫌う立場などから反グローバリズムの姿勢を打ち出す。また、1999年以降に生じた通貨危機とIMFの緊縮財政要求に不満の諸国では反米左派政権が樹立された。

  

3、2で整理したテーマにそって、各地域の動向を政治状況の変化を中心にまとめる

 
 東大2016大論述チャート
(クリックで拡大)

 

■ 解 答 例 


 朴正煕は米の援助で開発独裁を展開したが、民主化要求が高揚した。全斗煥ら軍部は光州事件で弾圧したが、アジアニーズに入る程急速な経済成長を達成した韓国では民主化運動が収まらず、民主化宣言した盧泰愚が大統領に選出された。中国では文革終結後、鄧小平が実権を握り四つの現代化と改革開放を進めた。資本主義諸国との関係改善で外資を導入、香港返還の道筋もつけたが、改革の矛盾に民主化運動が高揚、共産党は天安門事件で弾圧し独裁を維持した。米中接近で孤立した北朝鮮は主体思想による独裁路線を打ち出すが経済的に困窮した。中東安定化を図る米はエジプトのサダトに接近、シナイ半島返還を約してエジプト・イスラエル平和条約を締結させたが、白色革命への不満からイスラーム原理主義が高揚したイランでは革命が発生。パフレヴィー政権は崩壊し、ホメイニ率いるシーア派・反米のイラン・イスラーム共和国が成立した。革命波及を恐れたソ連のアフガニスタン侵攻でイランは反ソ化、米はシーア派を脅威とするサダム=フセインを支援したがイラクの強大化を招き宗派対立を残した。左派政権の成立した中米ではレーガン政権が反政府組織を支援、グレナダでは親米政権樹立に成功したがニカラグアのFSLNとの内戦などで中米紛争は激化した。軍政の続いた南米ではフォークランド紛争に敗れたアルゼンチン軍政が倒れ、累積債務問題の深刻化に悩むブラジルなどで軍政から民政への移管が進んだ。

 

 一応、無理矢理にでも解答例として示しますが、「正直、なんか違う。」

 これでも十分に及第点というか、ちゃんと点数は取れると思うんですが、やっぱり上にも書いた一本筋の通ったテーマが見えてこないんですよ。解答に「スッキリ」感がないというか。あまりのスッキリ感のなさにデスマス調にもどっちゃいましたよw ここ最近一橋ばっかり解いていたせいですかねぇw 「韓国では何がありましたー、中国ではこうでしたー」と多少の変化を織り交ぜながら書いたところで「冷戦はまだ終わってないんだぜ、げへへ。」みたいな展望が見えてこないでしょ?本当はもっとドラスティックに書き直したいところなんですが、歴史的な事象を緻密に入れていくと、字数の関係上どうしてもこういう「教科書通りの」スタイルになっちゃう。試験会場では時間もないので正直この解答のスタイルでいいと思います。今回のように言及しなくてはならない対象がたくさんある設問(昔あった「旧来の帝国の解体」みたいな)では、むしろ「大テーマ」にこだわりすぎて無為に時間をつぶしてしまう方が怖い。

でも、時間をかけて人様に見せる解答例を書く方の立場としては、時間のある時にちょっと冒険した解答例を「解答例2」として書いてみたいですね。基本の路線としては、「米資本の導入により経済発展を遂げた開発独裁を進める国々では民主化要求が多様な形で顕在化した」とか言いながらまとめてみるとか。やはり、設問の言う政治状況の変化といった場合、中心にくるのは「開発独裁的な近代化を進める軍政・軍事独裁→貧富差拡大をはじめとする矛盾の顕在化→民主化」という流れと、「アメリカとの外交的距離の変化(特に、反米的要素の残存)」の二つだと思います。ただ、個々の地域の状況が多様なのですっきりまとめきれないんですよね…。なんか、個別の事象が多様すぎてマクロな歴史が描き切れない近年の歴史学会のジレンマを高校教育の現場で体感している気分ですね…。まぁあまり悩み過ぎないほうがいいのかもしれません。もしかしたら出題者の側ではもう少しアバウトな流れを想定していたのかもしれませんし。現代史の流れを、ストーリーつけて概観するという頭の体操のためにはとてもためになる設問でした。


 東大世界史大論述出題傾向データ分析に続いて、東大の大論述の設問内容を中心に検討してみよう。前回の分析では紹介しなかった採点・配点、解答作成上の注意点などについても少し話していきたい。まず、下の表が過去27年分の東大第1問(大論述)の設問内容である。
 

 東大設問内容(2016-1990)

 (クリックで拡大)

 

これらをふまえた上で、東大世界史大問1(大論述)で頻出の大テーマは何か、またどのような視点をもって出題がされているのかを解説していくことにしたい。

 

[大論述の頻出テーマ]

(政治史)

 ・帝国 ①帝国主義

     ②「帝国」の興亡、構造

 

   東大世界史の政治史で頻出のテーマであるのがこの「帝国」に関する設問だ。これは、従来の一国史的な歴史の見方からの脱却を目指した歴史家の一部がそのヒントを「帝国」という複数のより小さな国々や地域を含めた広大な領域を統治する政治的主体に求め、「帝国史」が大きな注目を集めたことを背景としている。ここでいう帝国は単に「皇帝が統治する国」を指すのではなく、上述のように内部に多くの政治的主体を抱えた広域を統治する国もしくはそのための機構を指す。そのため、単純に「帝国」といったとしてもその内容は様々で、オスマン帝国やロシア帝国のような字義通りの帝国もあれば、いわゆる大英帝国のような植民地帝国もあり、さらにはアメリカの覇権主義やその影響力を指して「帝国」とすることもある。

   それでは、東大の設問において帝国がどのような視点から出題されるかと言えば、大きく分けて二つである。一つは、1920世紀の欧米列強の帝国主義に関係する設問で、民族運動や独立運動などとも深くかかわる問題である。例えば、2008年東大世界史大問1の「パクス=ブリタニカに関わる設問」はその典型であるし、2012年東大世界史大問1「植民地独立の過程」なども、帝国主義諸国が衰退する時期の一側面を示すものである。もう一つは、広範囲を統治する「帝国」という統治機構がどのように形成され、機能し、最終的に消滅するかを概観するという設問である。これには1997年東大世界史大問1のロシア帝国・オスマン帝国・清帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・ドイツ帝国という「旧来の帝国」解体の経過などを書かせた設問が当てはまるだろう。いずれにせよ「帝国」というのは東大の世界史を解くにあたり一つのキーワードになるので、単に「帝国」という言葉がつく国々だけではなく、広域にわたって統治力を行使する政治的主体や、その影響には普段から注意を払っておくべきだろう。

 

 ・国際関係や地域統治の原則と、これらの変化

 

   東大世界史では近現代史が中心であることはすでに東大出題傾向分析のデータ編で述べた。そのため、東大ではこうした国際関係や国家間に成立するある種の原則、体制が出題されることが多い。これは、同じく近年の歴史家たちの関心が近代以降世界を形作ってきた「主権国家」や「国民国家」とは何かという問題と、「国家」という枠組みをこえた存在にはどのようなものがありうるかといったことに向けられていたからである。これは、冷戦の終結とその後のグローバリゼーションの進行という現代の状況とも密接に関連している。「国民国家」を超克した超国家的な組織や、国境にこだわらない経済的、文化的な広がりを目の当たりにして、歴史家たちは新たな時代の在り方を模索すると同時に、これまでの世界を規定してきた「国家」を単位とする支配体制、国際関係とはどのようなものであったかについて考察するようになったのである。たとえば、どのようなものがこうした問題関心に当てはまるかと言えば、「主権国家体制」、「国民国家」、「ナショナリズム」、「時代ごとの国際関係における原則(ウィーン体制、ヴェルサイユ体制etc.)」などがあげられる。もっとも、近年の東大では主権国家や国民国家、またこうした「国家」間の関係について出題する際にも、その周辺の広範な世界に与えた影響を考えさせる設問を出題しており、単なる一国史的な、または二国間関係のみに限定されるような、出題はしていないことに注意が必要だろう。

 

 ・政治権力と宗教、思想との関係

   

政治史、といっても東大の場合、単に政治的な問題として終わらせることはしない。ある政治体制や政治状況が生起する際に、宗教や思想がどのように関連していたのかを問うてくることも多い。2009年の西欧・東西アジアにおける宗教との関わり合いを問う設問はこれに当てはまるし、民族意識などをめぐる問題もこれに含まれるであろう。2003年東大世界史大問1の運輸・通信手段の発達と植民地化の促進、民族意識の高揚をテーマとした設問はこうした問題関心に照らして意欲的な問題であったと言えるだろう。

 

(経済史)

 ・広域な経済システム、諸地域の経済的交流

  (近代世界システム、13世紀世界システム、銀の大循環etc.

   

政治史ともつながる内容ではあるが、東大は明らかにある特定の国、特定の地域という枠をこえた広範な領域内に存在する複数の主体がどのようにかかわり、相互に影響していたのかということに重大な関心を払っている、というより、そうした関心に基づいた「新たな歴史」を描こうと意識している。近代世界システムをはじめとする諸テーマについてはすでに別稿で述べたが、こうしたものにとどまらず、様々な問題について広域における経済的な交流とダイナミズムが問われることになるのは間違いないだろう。

 

 ・経済を形作る基本的な要素の仕組みと変遷

 

   東大の経済史の特徴としていえることは、単なる個別の経済的事象の詳細説明で終わらせるのではなく、ある経済的な事象がどのような背景のもとに生起し、形成され、変化し、各方面に影響を与えていくのかということを問うということである。こうした「経済の基本要素」としてはたとえば「農業」、「商工業」、「土地制度」、「税制」、「人口」、「労働(力)」、「交通・通信」、「流通」などがあげられ、これらのうちいくつかは大問1のみならず大問2以降の小論述や小問などでも頻出のものである。

   

こうした分野の問題として個人的に気になっていることとしては「金融」があげられる。「アベノミクス」という言葉がメディア上を闊歩するようになって久しいが、2013年に日銀の黒田東彦総裁が行った異次元緩和以降、金融を巡る問題は日本経済において大きな課題として取り上げられている。もっとも、金融を巡る問題が世界経済に大きな影響を与え始めたのは何も最近のことではない。日本においてはバブル経済の崩壊などでクローズアップされたし、アメリカでも最近であればリーマン・ショック、昔であれば世界恐慌など、枚挙にいとまがない。ただ、近年は金融の世界でもグローバル化が進み、一国の金融・通貨・債務をめぐる問題が世界全体の問題として拡大しやすくなっている現状がある。また、個人のレベルでも年金をめぐる問題などが顕在化する中で、自分の財産管理と人生設計をどのように行うかなど、金融リテラシーがこれまで以上に身近なもの、必要なものとなってきている。

こうした中で、歴史学においてもたとえば『金融の世界史』(国際銀行史研究会編、悠書館、2012年)なる本が出版されるなど、金融をテーマとした歴史研究がますます進んできている。金融をめぐる問題ではすでに2004年東大世界史大問1で「銀の大循環」が出題されているが、それ以外にもたとえば「紙幣の発明」、「イングランド銀行」、「財政軍事国家(これについては別稿をたてて解説する予定)」、「チューリップ恐慌」、「南海泡沫事件(サウスシーバブル)」、「世界恐慌」、「金融覇権の変遷」、「ブレトンウッズ体制」、「プラザ合意」、「アジア通貨危機」など、テーマとしてたてた時に面白そうなトピックはたくさんある。それでもこうした問題(金融史)の専門家がいなければあまり出題されることはないのだろうが、つい最近東大には金融史の専門家(南海泡沫事件などは彼の十八番だ)である山本浩司氏が経済学部(大学院経済研究科)に着任した。そんなこともあり、昨年から夏の講習では「通貨・金融史」を開講したのだが、受験本番よりもむしろ模試の方で役に立ったようだ。やはり、大学としては高校生の金融リテラシーを考えた時にこうした設問を出題することにはまだ二の足を踏むのだろうか(個人的な感触ではあるが、高校生は金融・保険といったものに対する実感が乏しい人が多く、意外に経済史は苦手という人が多いように思う。実際にお金を扱うことが少ないので無理もないことなのだが、日本の教育は経済学の上っ面だけを教えるのではなく、もっとこうした金融に対する理解を深めさせた方がよいと思う)。

 

 ・移民

   

同じく、歴史学の分野でも関心の高いものに移民史がある。これもつい最近、シリアからの難民のヨーロッパ地域への流入といった問題があり、クローズアップされやすいテーマではある。移民・ディアスポラといった問題は高校世界史上でオーソドックスな移民史でなくとも、出題可能なものは数多く存在する。また、単なる移民という現象そのものではなく、移民がもたらした周辺地域への影響といったことも含めればその内容はかなり広いものになるだろう。奴隷なども、大量の人口の移動という観点からみればこうした移民史の中に含むことも可能だ。東大世界史では、2013年大問1の「17-19世紀末までの開発、人の移動とこれらにともなう軋轢」などが代表的なものだろう。

 

(その他)

 ・宗教、民族意識、政治経済思想

 

   すでに上述した政治史や経済史の中に含まれることではあるが、民族問題や政治・経済思想など、現実の運動の背景にある人々の考え方や精神のありようが前面に押し出されることもある。たとえば、2000年に出題された啓蒙思想家たちの中国観などはその一例であろう。また、ある世界において宗教が果たした役割(または逆にある世界における宗教の扱い)などは頻出事項だ。これについても近年、深沢克己(東京大学名誉教授)や高山博(東京大学教授)らのグループが「宗教的な寛容と不寛容の生成・展開に関する比較史研究」を進めている。(深沢克己、高山博編『信仰と他者:寛容と不寛容のヨーロッパ宗教社会史』東京大学出版会、1993年など)このグループの中には、先年東京大学を退官した近代イギリス史の泰斗、近藤和彦の後任として着任した勝田俊介(専門はアイルランド史)や、プロテスタント・ネットワーク論を専門とする西川杉子などもおり、同時多発テロ以降、宗教的な原理主義がテロリズムと結びついた国際政治の混乱がメディアを賑わせている昨今の状況(フランスの風刺雑誌シャルリ・エブドなどは記憶に新しい)を鑑みれば、ある一定の地域内における宗教的な共存と対立、寛容と不寛容とその影響が今後も一つのテーマとして浮上することは十分にありうる。これまでにも、2009年東大世界史大問1の「西欧・東西アジアにおける政治権力と宗教」などで出題されており、単に宗教という枠組みのとどまらず、これが政治、経済、文化の変容や国際関係と結びついた形で出題される可能性は小さくない。

 

 ・特定地域の通史 / 異文化交流史

 

   時折出題されるのがこの特定地域の通史だ。2001年東大世界史大問1「エジプト5000年の歴史的展開」や1999年東大世界史大問1「紀元前3世紀~紀元15世紀にいたるイベリア半島史」、2010年東大世界史大問1「中世末から現代にいたるまでのオランダ史」などがそれだが、こうした設問が単なる特定地域に限定された通史として描かれているのではなく、周辺諸地域との相互交流や世界史の中における歴史的意義を問うような形で出題されていることには十分注意を払うべきだ。そうした意味で、これらの通史は、同じく東大で頻出の異文化交流史を、視点をかえた形で出題しているものととらえることもできる。つまり、ヨコの広がりを強く意識した異文化交流史に対して、タテのつながりを強く意識した視点で世界史をとらえようというものだ。異文化交流史については、2015年東大世界史大問113-14世紀ユーラシアとその周辺地域における交流の諸相」、1995年東大世界史大問1「地中海とその周辺地域に生じた文明とそれらの交流と対立」など、これも例を挙げればきりがない。要は、東大の問題関心はおおむね一定で、ある歴史的事象は世界史の中でどのような意義をもち、それはその(時代的、地理的な)周辺にどのような影響を与えているのかというダイナミズムを問うことにある、ということだ。

 

[東大大論述の<大テーマ>]

 

 これまでは大論述の頻出テーマについて紹介してきた。それでは、これらのテーマの根底にある「大テーマ」、すなわち東大世界史の問題関心はいったいどのようなことにあるのかということについて解説し、解答作成の上でどのような点に注意すべきかを紹介していきたい。まず、東大世界史の大テーマとして意識されていることは次の3点ほどにまとめることができる。

 

1、        脱国境

 

 すでに上記の頻出テーマの部分でも繰り返してきたが、東大は一国史視点からはとうに脱却し、国境を排したより広域の歴史を描こうとしている。注意しておきたいのは、国境を超えたからといってそれが無条件に「世界全体」のように無意味に拡大はしていかないということだ。あるテーマ、たとえば交易とか、文化的交流とか、新たな政治権力の勃興とかを描こうとした場合、問題とすべき地域はその時代や状況によって異なる。オランダについて語る場合であれば、ある場合には北海・バルト海沿岸を想定しなくてはならないかもしれないし、別の時にはアジア圏を想定しなければならないかもしれない。また、場合によってはハプスブルク領という範囲を想定しなくてはならないかもしれない。つまり、分析すべき歴史的対象が何かによって、想定すべき地理的範囲は変化する。このあたりの歴史像については羽田正東京大学副学長をはじめとする諸教員がすでに出版している著作の中で言及しているので、おいおい紹介するが、東大の世界史は一国史的視点にたっていてはこうした歴史分析が十分にできないということを熟知しているから脱国境の歴史を描こうとしているのであり、それは世界史を無闇にグローバルな単位に変換することとは根本的に異なるのだということには注意しておきたい。

 

2、「世界史の中」における意義

 

 東大世界史ではつねにこのフレーズがついてまわる。つまり、ある特定の事象を周辺の時代や地域と関連付けて世界史という大きな枠組みの中での意義を明らかにしなさいということだ。だとすれば、ある歴史的事象についての単なる経過説明や特徴の説明は求められていない。問題とされているのは、ある歴史が展開していくことでどのような意味を生じたか、あるものの特徴があるときにそうした特徴が生じた背景とその影響は何かなど、常に時間軸・空間軸双方における「つながり」が意識されているということである。

 

3、        ダイナミズム

 

意外に触れられないのがこのダイナミズムである。つまり、静的な歴史でなく、動的な歴史像が東大では意識されている。ある文明同士の交流といった場合にも、単純な二文化間交流ではなく、その他の他者は存在しないのか。時代によって交流の主体は変化しないのか。ある文明の内部は一枚岩ではなくて実は内部に複層構造を持っていないのか。そうした構造は交流中の異文化との間でどのような関係を持ち、変化を引き起こすのか、などでなど。つまり、東大はある時代で止まっている、またはある地域で固まっている、いわゆる「死んだ」歴史像を構築しようとは思っていない。時代ごと、地域ごとの関係の中で常に変化し、他者に影響を及ぼす「生きた」歴史像を構築しようとしているのだ。

 

[東大大論述解答作成の際の注意点]

 以上のことを踏まえると、東大で解答を作成する際にどのような点に注意しなくてはならないのかが見えてくる。以下の点については常に意識しておこう。

 

1、設問の要求、条件、注意点をよく読もう!

 

本HPのあちこちで繰り返し言ってきているが、論述とは出題者とのコミュニケーションである。だとすれば、出題者が何を意図しているかをあらかじめ感得しているのと、全く察知していないのとではこの差は大きい。設問にとりかかる前に、その設問が「どの時期を想定しているのか」、「どの地域を想定しているのか」、「何を問題としているのか」、「何を要求しているのか」、「何を条件としているのか」などには特に注意を払おう。単なる経過説明と、「変化」の説明では説明の仕方がそもそも異なる。また、意外に注意が払われていない箇所でもあるが「説明せよ」と「論ぜよ」では要求されているものが全く異なる(と、筆者は考える)。「説明せよ」というのであればある程度まで事項説明を行えば要求を満たすことになる(もちろん、他の条件次第では単に羅列型の解答を作ったところで意味はない)が、「論ぜよ」と言われれば、出題者の意図・大テーマを把握した上で、回答者の側がどのように考えるかが伝わるように論を配置せよ、と言われているのだ。これは何も「私は~と考える」といったような意見表明をしろと言っているのではない。そうではなくて、歴史的事象の説明の配置の仕方、それぞれの結び付け方などを通して、自分なりに設問で出題された歴史的事象に対しどのような歴史観(大テーマ)を持っているのかが伝わるようにしろ、と要求しているのだ。これは非常に高度な要求なのだが、東大の設問は一般に近年採点がやや甘くなっているようなので、さすがに高校生が出題者の意図を完璧にくんでそれをこなすことを期待はしていないだろうし、仮にできなかったとしても他の受験生と比べて大きく出遅れるということもないだろう。だが、レベルの高い解答作成を目指すのであれば、こうした点についても考えておいたほうがいいだろう。

 

2、「大テーマ」を常に意識しよう!

 

 東大の過去問を解くときに限らず、歴史の勉強をする際にはそれぞれの事柄同士のつながりや、ダイナミズムといったものを常に意識し、アンテナを張っておこう。そうすることで、教科書や参考書、模試の解答解説を読んでもこれまでは気づかなかった視点などに気付けるはずだ。

 

3、「時系列」や「因果関係」などを疎かにしない

 

 東大は解答にこれまで紹介したようなつながり、関連性を求めている。だとすれば、そのつながりや関係がはっきりわかるようにしなくてはならないため、特に「因果関係」などを示す必要があるときには、はっきりと示すようにするべきだ。原因→展開(経過)→結果(影響)ということが常に示せるようにある事柄を新しく勉強した時には、その前後の関係をできる限り確認しよう。たとえば、「ユグノー」という言葉を一つ取ったとしても、「なぜユグノーはフランスに現われたのか」、「ユグノーをめぐる歴史はどのように進むのか」、「ユグノーはどうなったのか」という一連のことが言えてはじめて、最低限のユグノーを語ることができる。ただ、ここで時系列はどの程度必要かという問題は残る。比較的長期の歴史であれば大きな前後関係や因果関係がくみとれればよいし、変化が「いつ」起こったということがはっきりしないことも多いので多少の時系列のずれはおそらく許容されるだろう。しかし、2016年の問題のように比較的短いスパンを問題とする設問の場合には、時系列のずれがそのまま因果関係のずれにつながりかねないため、十分に注意が必要となる。もし、個々の事象の時系列が不確かなときには(2016年問題で言えば「グレナダ」など)、できる限り本論の因果関係やつながりと切り離した形でぼかしておくか、書かないくらいの方が無難だ。

 

4、単純な箇条書き、出来事の羅列だけは避けるべし

 

歴史的知識をただひたすらに書き連ねる箇条書き、羅列式の解答だけは避けるべきだ。はっきり言って、この手の解答は評価されないどころかむしろ嫌われかねない。なぜなら、向こうは歴史の「プロ」である。高校の受験生がどんなに「ほら、こんなにたくさん知っている」と歴史的知識を披露したところで所詮受験生レベルにしか過ぎないのだ。連中は英語のみならずフランス語やスペイン語下手をするとアラビア語や中国語を流暢に操り、世界各地の文書館をめぐり、活字ではなく手書きの、それも殴り書きになっているめちゃくちゃ汚い日記や手紙をコツコツコツコツ読み解いて一から歴史像を作り出す、ある意味「ピー」だ。ジェームズ2世どころか、ジェームズ2世に仕えていたハミルトン公という貴族の下で働いていた文筆家のさらに知り合いの「聖職者のジェームズ」の日々の出費まで知っているかもしれないというのが彼らである。彼らにしてみれば、自分たちが知っている歴史的知識がひたすら書き連ねられただけの答案を何百、何千と読まされるというのは、はっきり言って拷問に近い。歴史的知識を問うのであれば、何も論述にはしない、小問にして語句のみを問えばよいのだ。だから、どんな場合でも設問の要求をよく読み取って自分なりのつながり、視点、テーマを盛り込んだ解答を用意するという努力を忘れないでいて欲しい。

 

5、        満点解答は必要なし!合格解答を目指せ!

 

 ここまで読んでくると「こんなに高度なことを要求されているなんてもうダメだ…」と思うかもしれないが、そんなことは絶対にない!試験とは相対的なもので、要は周りの受験生よりも一歩先へ行けばよいのだ。東大という最難関の試験であれば、当然そのために取らなくてはいけない点数もそう多くはない。多くの受験生は同じような得点で固まっている。具体的な数字を言えば、他の科目によっては半分でもどうにか通過はできるし、6割ならまずまず、3分の2が確保できればまず安全圏だろう。実際、世界史で半分を割っても合格できた人はかなりの数いるし、3分の2が確保できた人の多くは合格できている。だとすれば、受験生が意識すべきはまず基本的な歴史事項をしっかりとおさえて他の受験生と同じレベルである半分の得点を確保すること。そしてそこから出題者の要求を満たすべく大テーマやつながりを盛り込んで他の受験生と明確な差をつけることである。これがきちんと守れれば東大の世界史といえども高得点をマークすることはそう難しくない。

 

6、第2問、第3問は「最低8割」を目指そう!

 

東大の配点については予備校や参考書によってまちまちなので何とも言えないが、個人的には論述の配点は他の問題と比べてやや高めに設定されていると考えている(おそらく第1問が30点ではないだろうか)ので、第1問で3分の220点)が取れれば、他の小論述や小問で落とさなければ十分に点数は取れるはずだ。そのためにも、2問の小論述がきちんととれるだけの基礎力は身につけておいてほしい。大論述の対策ばかりうって、こちらで落としてしまっては何にもならない。過去問をしっかかり解いて、第2問、第3問で「できれば満点(30点と想定)」、「最低でも24点」を取る力を身につけておくことが大切だ。考えてみて欲しい。小論述や小問で8割がキープできないのに、どうして大論述を含めた全体で65分を取ることができるだろうか。第2問と第3問で25点前後がキープできるのであれば、たとえ大論述で半分(15点)しか取れなかったとしても全体では40 / 60点が取れる。しかし、第2問と第3問でもし15点しか取れなかったとしたら、大論述でかなり良い点だったとしても40 / 60点をキープするのは難しくなる。これは、東京外語大や早稲田大など小問が多くを占める国公立や私大でも同じなのだが、小問が多く出題される大学でこうした問題の取りこぼしは致命傷になりかねない。「東大は論述だから私大向けの勉強はしなくてもいいや」などとは考えずに、最低限マーチクラスの大学の問題であれば8割~9割は取れる程度の基礎勉強は怠らないようにしてほしい。

 

 

以上で東大の設問内容と解答作成上の注意については終わりです。これだけの文章を書くには勢いが必要なので、敬語が使われていないとかそういうのは勘弁してやってくださいw また、ところどころに多少厳しい表現が使われていますが、それも全て言葉を飾らずに現実をお知らせすることで受験生の皆さんの「実用に耐える」判断材料になればという思いからで、決して上から目線で書いているとかいうことではありません。このページの長い文章を読んでくださった皆さんの助けに少しでもなればいい、そして今後の皆さんの学習が大きな実りにつながることを祈っています。頑張ってください!

 今回は、東京大学「世界史」の大問1(大論述)について、その出題傾向を分析してみようと思う。とはいっても、実は東大の出題傾向を分析することについては、正直なところ、一橋などの問題分析と比べて必要性をあまり感じていない。なぜならば、東大の問題はある意味とてもオーソドックスでかつ非常に良く練られており、時代・領域ともに広域にわたり、(後述するが)問題全体を貫く何かしらのテーマが設定されていることが多い。まったくもって、「正当派」というにふさわしい問題であるにもかかわらず、比較的新しい歴史学上のテーマや現代に対する問題関心もうかがえる、いくばくかの冒険心を感じさせる設問である。ゆえに、私は東大の世界史論述を高く評価している。私なんぞが高く評価したところでさしたる意味がないことはわかっているが、個人的にはよくできていると思う。正直、早稲田の論述問題とは練度が違う。しかし、「正当派」であるということは「ヤマをはる」タイプの対策がたてづらいことを意味している。つまり、東大の問題はどうしようもないくらい正攻法で攻めることが一番の対策なのだ。

 

東大の問題は、まんべんなく世界史の知識に精通し、その内容をきちんと理解している受験生には正直それほど苦になる問題ではない。必要な知識を、そのテーマにそって整理し、設問の要求に答える。こうした作業を丁寧に行うことができるのであれば、彼らにとって満点答案は作れないにしても、周囲と比較したときに十分に合格答案を作成することは可能である。おそらく、設問の難度としては時として一橋の方が上回ることがあるかもしれない。しかし、それは一橋がある種の時代やテーマに特化した出題をして、通常の受験生ではあまり深く掘り下げていないような知識・内容を聞いてくるからであって、そうした「一橋の独自性」をきちんと把握した受験生にとっては「全く太刀打ちできない」という類のものではない(もちろん、例外はある。特に2003年。あれはひどかったw 何を考えて出題したのかわからないw 機会があれば紹介します)。であるから、一橋の出題傾向には分析の価値がある。なぜなら、分析することによって打てる対策が明確になるとともに、その効果も十分に期待できるからだ。ところが、東大はそうした類の問題とはタイプが異なる。これが、私が東大の問題分析に対して過大な期待を寄せたくない理由である。

 

しかし、だからと言って東大の問題分析に全く意味がないかと言うと、そういうわけではない。たとえば、先ほども述べたように東大の世界史論述にはその設問全体を貫く大テーマ、一本の芯になるものがあることが多い。こうしたテーマにどのようなものがあるかをあらかじめ知ることで、実際の受験の際には何を出題者が意図しているかを探ることが可能になる。別稿でも述べたが、論述はコミュニケーションである。出題者の意図をくみとり、その要求に答えることは、高得点を狙うための絶対条件なのだ。その意味でも、東大の問題分析を行うことはおそらく必要なことであるし、有意義なことでもある。しかしそれは、これまで述べてきたような意味で有意義なのであって、「東大には○○は出るけど××は出ないから××はやらなくていい」とか、「5年前にも3年前にも△△が出ているからここを重点的にやっておこう」などというような短絡的で場当たり的な対策をうつための材料としては、期待ほどの効果を発揮しないだろう。たとえば、東大ではたびたびモンゴルについての出題も出ているし、イスラームについての出題もされている。しかし、それでは全く同じような内容を解答として書いて、同じように点数が取れるかといえば、そんなことはない。要求されている視点が違えば、当然答えるべき解答の内容も変わってくるのであり、そのためには関連する事項を様々な事象と関連づけて再整理するという作業が必ず必要になる。東大の問題分析は、そうした解答作成の方向性を見出だすための、ある種の心構えをしておくためのものだと考えておく方が、おそらく本番ではよい得点につながるのではないだろうか。

 

 前置きが長くなったが、それではとりあえず過去30年において東大で出題された大論述の時代設定についてグラフ化したものを下に示しておこう。ただし、この手のデータは絶対的なものでないことには注意してほしい。データ信奉者が陥りがちなのだが、正直データというものはそれをまとめる際にもバイアスがかかるものであるし(たとえば、「中世末」といった時にそれを13世紀末ととるか14世紀半ばととるか、15世紀初頭と取るかは、その「中世末」という言葉がどのような文脈の中で用いられ、それを読み取る人間がどのように考えるかで変化するのは当然のことである。問題なのは、その読み取りに根拠があり、その根拠に説得力があるかどうかだ)、出されたデータがどんな意味を持つかは解釈によって変わる。データを扱う際に最も大切なことは、最終的にそのデータから、何を根拠としてどのような解釈を引き出すかということが大切なのであって、データそれ自体が重要なのではないことには注意しておいてほしい。

 

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 少し小さくて見づらいかもしれないが、何しろ30年分なので勘弁してほしい。1989年の部分が2色になっているのは、(A)(B)という形で2題にわたっているためである。これを見ると、やはり1621世紀の近世・近代・現代史に出題が集中していることが見て取れる。目立つのはやはり2001年だが、これは例の「エジプト5千年の歴史」であるw

 
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  個人的にはこういうはっちゃけた設問は嫌いではないのだが、やはりやや評判が悪かったのだろうか、その後は同様の長期間にわたる歴史はあまり出題されていない。やや時期設定が長い設問ということになると、東大2007年大問1「11世紀から19世紀までに生じた農業生産の変化とその意義」、東大2010年大問1「オランダおよびオランダ系の人々の世界史における役割(中世から現代まで)」、東大2011年大問1「アラブ・イスラーム圏をめぐり生じた異なる文化との接触と、それにより生起した文化・生活様式の多様化や変化、他地域に与えた影響」などである。

 グラフを見て目を引くのは、現代史(20世紀史)の出題回数が群を抜いていることである。20世紀のみの設問だけでも6問だが、20世紀に時期がまたがる設問ということになると30カ年中14問と実に半数を数える。19世紀が関わる設問を数えれば、21問と、ほとんどの設問において1920世紀史から出題されていることがわかるだろう。そう考えれば、東大の世界史における19世紀史、20世紀史の重要性は言うまでもないことではあるが、だからといって近現代史のみをやっておけばいいというわけではないことも明らかである。いくつかの問題は近現代とは全く無関係の古代・中世からの出題になっているし、19世紀・20世紀をその内容に含む問題であっても、中世・近世・近代初期など、他の時代にまたがってその比較や関連性を問う問題も10題前後あることを考えると、「近現代史をやっておけば何とかなる」という考えは捨てたほうがいいだろう。こうした留保はつくものの、とりあえずはグラフから読み取れることを下に箇条書きにしてみよう。
 

 19世紀史、20世紀史からの出題頻度が高い。

 

・過去20年と比較すると、近年は比較的短い期間(1世期未満~3世紀程度)を設定とする出題が多く、中でも16世紀から21世紀に出題が集中している。

 

・時折、数世紀にわたる歴史を問う設問もある。

 

 続いて、出題内容について表に示してみよう。下の表は、各年の大問1の大論述の内容を考慮して、「広域(時代・領域)」、「政治」、「経済」、「文化」、「宗教」、「戦争」、「外交」、「交易」、「民族」など、キーになるテーマごとにどの程度その要素が含まれているかを分析したものである。すでに上述したように、これにも私個人のバイアスが反映されているし、「経済」と「交易」や「文化」と「宗教」など、本来は不可分の要素などもある。そうしたことは承知の上で、特にその設問を解く上で重要と思われる事柄を重要度順に「◎→〇→△→無印」で分け、◎はピンク、○は黄色によって色分けしてある。「広域(時代)」は時代的に長期間のスパンにわたっているもの(2001年問題など)、「広域(領域)」は地理的に広範囲を考慮する必要があるものである。その他の注意としては以下のことに気をつけてほしい。

 

 (注意)

・同じように地理的に広範囲にわたる設問であっても、単純な二地域間・三地域間の比較など、各地域を相対的に独立して考えて解答を整理できるものには△を、それとは異なり、複数の領域の関連性やダイナミズムを考慮する必要のある設問には〇をつけてある。

 ・「比較」の中で「★」は、はっきりとした比較を求められているものである。ただし、設問上では「比較して」と書いてあったとしても、その他の要素、テーマが色濃く入り込んで単純な二者間の対比によっては良質な解答を作ることが難しいと考えるものには星をつけていない。

 ・字数は大論述のみの字数であって、東大「世界史」全体の総字数ではない。

 

 東大1987-2016(テーマ別)

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この表から見て取れることは以下のことである。

 

 ・時代的に長期にわたる設問よりは、地理的範囲として広域にわたる設問の方がはるかに多い。というより、ほとんどの設問が広域における各地域の関連性、交流を問う設問になっている。

 

・政治、経済史が圧倒的に多い。

 

・文化史や宗教は近年出題頻度が減少しているのに対し、戦争や外交、交易は依然として要素として入り込むことが多い。

 

・民族をテーマとする出題は減少傾向にある。

 

・かつてのような単純な比較史は出題されない。

 (例)東大1987年「世界史」 大問1

   「朝鮮戦争とヴェトナム戦争の原因・国際的影響・結果について両者を比較しながら18行以内で記述せよ」

 (例2)東大2016年「世界史」 大問1 

   「(米ソ、欧州以外の地域において「新冷戦」の時代に1990年代につながる変化が生じており、冷戦の終結が必ずしも世界史全体の転換点ではなかったことを踏まえつつ)1970年代後半から1980年代にかけての東アジア、中東、中南米の政治状況の変化について論ぜよ」

  →例1が比較的単純な二者比較によってもある程度解答が整理できるのに対して、例2では「1990年代につながる変化とは何か」など、一定のテーマ設定をした上で各地域で生じた歴史的事象の意義を考察し、位置づけることが求められる。

 

・かつてはかなり広範な話題が入り込む余地のある設問が多かった(色のついている部分が多い)のに対し、近年はある特定の要素に重点を置いた設問が増えている(色のついている部分が比較的少ない)。

  →これは、かつての設問がややアバウトな設問、何となく他者との関連性を考えた設問(単純な比較史など)を出せばいいだろうという設問であったのに対し、近年の設問が各設問の大テーマを意識し、そのテーマにそった設問を作ろうとしていることによると思われる。(たとえば、東大2015年世界史大問1と「モンゴル時代」または「13世紀世界システム」。「13世紀世界システム」については「東大への世界史①」を参照。)

 

・字数は一時期減少傾向にあったが、近年は増加傾向にある。

  (ちなみに、問題全体の総字数も概ね同様の傾向にあり、1990年代後半~2000年代初頭にかけては650-700字程度が多いが、ここ5年ほどは840字~960字程度である。もっとも、東大を受験する受験生にとっては小論述や小問などで多少の字数変更があった程度で動揺しているようでは困るので、本表は大問1の字数のみに絞って計算した。450字論述であるか600論述であるか、というのは練習を積むにしても本番で解答を組み立てるにしても心構えが大きく違ってくる。)

 

 以上が、過去30年の東大入試におけるデータ分析である。この分析から何を読み取るか、というのは人それぞれだと思うが、私の方からこうした点に注意したほうがいい、ということをあげるのであれば、以下の点になるだろう。

 

1、16世紀以降の近現代史はもれのないように学習しておくべきだ。

(「古代中世が必要ない」ということではなく、近現代を重点的にということ)

 

2、政治・経済史に対する深い理解が東大世界史攻略の基本だ。

 

3、どんなテーマでも、2~3世紀程度のスパンでの「タテの流れ」は把握しておこう。

(背景・展開・影響などを中心に、短期の事柄に対する理解で満足せずに大きな流れをつかむことを常に心がけよう。教科書や参考書などの各章の冒頭などは全体の流れを把握するには役立つかもしれない。また、テーマごとに自分なりのまとめをする作業をしてみよう。自分でするのが手間であれば、本HPでもテーマ史、地域史などをまとめていく予定でいるので参考にして欲しい。)

 

4、同時代の各地域の交流、関連を常に意識するようにしよう。

 

5、歴史を貫くテーマに敏感になろう。

(これは、東大の設問が用意する大テーマを感じ取るために必要となる意識だと思います。教科書や参考書を精読したり、各コラムなどに目を通していくと、何となくではあっても各時代において問題となるテーマなどが見えてきます。そのうち、そうしたテーマをつかむのに適した参考書、書籍などについても紹介していくつもりです。)

 

6、過去問を解こう!

※ただし、これは「猿マネ」をしろということではないことに注意してください。まず、「解答例」というものは基本的にあてになりません。平均的な高校生よりはある程度かけている解答例が多いとは思いますが、満点にはほど遠いです。もちろん、それはおそらく私が作る解答例も例外ではありません。ですから、なぜ自分がそういう解答例を作ったのかということを根拠として示すようにはしてありますが、我々は出題者ではないわけですから、そもそも「完全な解答」なるものを標榜すること自体が怪しい気がします。ただ、解答の精度を上げていくことはできますので、解答を参照する際は付属している解説部分を読みながら、自分でもその妥当性を常に検証してみましょう。また、同じような話題の設問でも、視点やテーマの設定の仕方次第で全く別物の問題になることはすでに何度も申しあげたとおりです。ですから、かつて似たような問題が出たからと言って、赤本を丸暗記したような内容を書いてもおそらくロクな点数はとれません。曲がりなりにも日本の最高峰である大学が、過去に出題した問題の丸暗記で済むような設問を作るはずがないということは肝に銘じておきましょう。また、それだからこそ合格する価値があるのだと思います。

※東大に限らず、様々な大学の過去問を解くことで、いろいろな視点に触れることができる、つまり東大の「大テーマ」が何かを解読する力をつけることができます。妙な効率主義はやめて、できるだけ多くの問題に触れましょう。解く時間がなければ解説部分を読むだけでもそれなりに意味はあると思います。

 

今回はデータ分析が主体で、「それでは東大ではどのような大テーマが出ている(もしくは出る可能性がある)のだろうか?」といったことについて触れることができなかった。これについては東京大学「世界史」大論述出題傾向②を参照してほしい。

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