2015年東大世界史第1問はモンゴル帝国の成立によるユーラシアを中心とした「広域にわたる交通・商業ネットワークの形成」と「人・モノ・カネ・情報が行きかうことになった」ことを重視する視点、すなわち1314世紀を「モンゴル時代」ととらえる見方を示した上で、モンゴル帝国よりもやや広い範囲、すなわち日本列島からヨーロッパにいたる範囲において見られた交流の諸相について問う問題です。モンゴルを扱う問題は東大ではたびたび出題されていますが、この設問は先に紹介した「13世紀世界システム」またはそれに類似した見方を意識していることには疑いがないと思います。それは、この設問が政治ではなく、経済・文化(宗教を含む)に焦点をあてて解答せよと言っていることからも伝わってきますね。
 問題となるのは、どこまで広い視点を示すことができるか、また、どれだけ多くの事柄を結びつけて各地域や、交換される「人・モノ・カネ・情報」の関係性を示すことができるかということでしょう。つまり、この設問の肝は「何か一本筋の通ったテーマにそってユーラシアを描く」ことではありません。むしろ「広い地域における様々な事柄とそれらの関係性を示すことで、ユーラシアとその周辺地域(またはモンゴル帝国とその周辺地域)において形成されたネットワークを示すこと」にあるといえるでしょう。となれば、同地域の経済・文化・宗教について指定語句を参照にしながら描いたマインドマップをそのまま洗練していけばある程度の形にはなる、取りこぼしの少ないタイプの設問だと言えるでしょう。問題は「他の受験生の一歩先を行くために何が書けるか」ということでしょうね。平均点は取れる。そこからどれだけ先へ行けるか、これが問題です。モンゴル周辺の事柄は多いようでそれほど情報量が多いわけでもなく、関連する事柄というと内容もほぼ決まってきます。そういった意味では、知識量と知識の正確性の差が得点にかなり影響してくる設問だったのではないでしょうか。うろ覚えでは得点に結びつけるのは厳しいですね。

 

2015 第1

■ 問 題 概 要 

(設問の要求)

13世紀から14世紀における、東(日本列島)から西(ヨーロッパ)にいたる広域において見られた交流の諸相について論ぜよ(600字)

 

(本文から読み取れる条件と留意点)

・経済的、文化的(宗教を含む)側面に焦点をあてよ。

・「大航海時代」に先立つ「モンゴル時代」があるとする見方を参考にせよ。

・ユーラシア大陸の大半とその周辺地域における交通・商業ネットワークが本設問の軸にある。

・周辺地域には南シナ海、インド洋、地中海方面、西アジア、北アフリカ、ヨーロッパを含む。(モンゴル帝国という枠を超えている)

・人、モノ、カネ、情報の往来を注視せよ。

 

(指定語句):用いた語句には下線を付すこと

 ジャムチ / 授時暦 / 染付(染付磁器) / ダウ船 / 東方貿易 / 博多 

ペスト(黒死病) / モンテ=コルヴィノ

 

■ 解 法 の 手 順 と 分 析、 採 点 基 準

(解法の手順)

1、まずは順当に指定語句の整理を行います。ただ、本設問は上記の通り、モンゴル帝国という枠を超えた広範な地域同士の交流の諸相を描くものですから、地理的な理解と互いの相関関係の把握が必須です。そういう意味では、大まかな位置関係をとらえながら簡単にマインドマップを作成するようなイメージでメモを書いてみるといいでしょう。試しに、HANDの方でも本設問を解くとすればどんな感じで作業に入るのか実際にやってみました。

 

 2015東大ブレスト1

 

…きったねぇw

 

いや、しかし概ねこの程度で十分なのです(自己弁護)。地味に上の図がそのまま地理的な位置関係を抑えてあることに注意してほしいですね。例えば、「モンテ=コルヴィノ」、「ペスト」、「東方貿易」などヨーロッパ的要素が強いものをとりあえずヨーロッパ側に持ってきてあったり、ジャムチはユーラシア全体をカバーするようなイメージだったり。そして、指定語句を整理する中ですぐに頭に思い浮かぶような連想、書くのにもさほど時間のかからないものはさっくり横に書いておきました。たとえば、「カーリミー(商人)」であるとか、授時暦と関係する明の大統暦、日本の貞享暦などですね。カーリミーが左に傾いて斜めに「カーリミー」となっているあたりは明らかに紅海ルートが意識されていて我ながら心憎いw 


カーリミー
 

 

ちなみに、カーリミーの下から左右に伸びている⇔は、右がアラビアからインド、南シナ海へと抜けるルートを、左が東アフリカ沿岸地域へ延びるルートを想定しています。上で示したメモを書くのに要する時間がのんびりやってざっと1分強でした。同じものを受験生に試験会場で「1分以内で作りなさい」と言うと辛いかもしれませんが、現実問題として不完全なものでも1分半、長くても2分がかけられる時間としては限界でしょう。

 

簡単な見取り図ができたら、これをもとに関連する事項を書き加えていきます。その際、以下の点には十分に注意を払うべきでしょう。

 

    設問より、話の中心は経済・文化(宗教)が中心で、政治的な動きや戦争などは(直接的には)問題ではない。

    指定語句と関連付けできる事柄を最低でも一つは用意すべきである。(指定語句はすでに示されているわけだから、指定語句を書くだけでは得点にならない。指定語句は「正しく活用[関連事項と結びつけて述べる]」することによってはじめて得点になる。

    「大航海時代」に先立ってこの「モンゴル時代」において成立しているネットワークとは何かに注意を向けるべきである。

    周辺地域として示されている各地域を意識せよ。

    要素として、「人、モノ、カネ、情報」が入っているか注意すべし。

    交通ネットワークを示す際には、それが主としてどことどこを結んでいるか意識的に示そう。

 

まぁ、とりあえずこんなところでしょうか。ほとんどは設問の条件などから導き出される注意点ですが、特に注意が必要なのが①です。これを間違えてしまうと論述が180度違う、あらぬ方向へと飛んで行ってしまいます。にもかかわらず、意外に見落としがちなのがこれですね。どうもモンゴルの話と言うと、モンゴル帝国の領域拡大の話を書きたくなってしまうものらしいです。「バトゥがヨーロッパでワールシュタットは死体の山」であるとか、「モンゴルが南下してきたせいでタイ人は雲南から脱出でスコータイですタイ」であるとか、「フラグはどこにイル=ハン国」とか、この手のことは、はっきり言って本設問では意味がないのであります。もう何というか、これを書き始めた段階でその解答は完全にアウトです。これは例えて言えば、彼女に「私のこと好き?」と聞かれた時に「おれスキヤキが食いたい!」というようなものであり、先生に「HAND君、次の文章を訳してくれたまえ」と言われた時に「先生の髪型って味わいがありますよね」と受け答えるようなものです。 

何度も言いますが、論述はコミュニケーションなのであります。相手が求めたものをどれだけ用意できるか、それによって相手から与えられる愛(点数)が変わるわけですね。

まぁ、くだくだと述べましたが、何となく①~⑥の注意点を意識しながらHANDが書き上げたメモが以下のものです。

 
2015東大ブレスト2
 

 

 ホントに適当だなw

 まぁ、できるだけ臨場感を出そうとあまり意識せずにシャシャシャッと書いたものなのでご勘弁願いたいと思います。ちなみに、これを書くのに多分最初から数えて4分程度でしょうか。最初のものと比べるとだいぶ具体的に、かつ動きが出てき始めているのがわかります。変化している部分としては以下のような部分があります。

 

(新しく出てきた用語)

 イブン=バットゥータ、マジャパヒト、渋川春海、運河、郭守敬、杭州・広州・泉州・明州、東南アジア、海の道、パイザ(牌符)、交鈔(中統鈔、至元鈔)、銀、インフレ、ミニアチュール、イル=ハン国、パクス=タタリカ、ニコラウス4世(教皇)

 

(保留している部分)

 ・ペストの使い方:メモを書いている時点では、東西の人の流れ、特に東からの人の流れがペストの伝播経路となったことを指摘して「人の流れ=伝染病の伝播」という形でヨーロッパの社会制度自体を変化させる一因を作ったことを指摘すべきだろうか、と考えています。ただ、他に何かペストがからむ要素がないかどうか見極めなくてはならないと考えて「?」を付しています。

 ・銀の流れの方向:この時点では、斡脱(あつだつ、またはあっだつ:ムスリム商人・高利貸)について書くべきかどうか迷っています。一般に、この時期銀はイスラーム世界東部へと流出したと考えられています。(『詳説世界史』には「当時イスラーム世界の東部では銀が不足しており、中国から銀をもち出せば交換レートの差により大きな利益が得られた。そこで斡脱と呼ばれたムスリム商人は、中国の銀を集めるため、科差のひとつである包銀の施行を元朝に提案し…銀を搾りとってイスラーム世界に流出させた」とあります[2013年版、p.150])ただ、問題なのはこの銀の流出の規模と時期がどの程度のものなのかをどう判断すべきか迷っているのですね。交易が盛んなわけですから当然元に入ってくる銀もあるわけで、そのあたりのところに注意しないとこの銀をめぐる記述はかなり怪しいことになってしまうため、注意を払おうとしています。

 ・インフレ   :これは単純に設問が「交流の諸相」を求めているために、書くべきかどうか迷っています。交鈔による社会的な変化として重要な事柄なので一応示してはみたものの…、「どうしようかな」というところですね。

 ・博多     :これも、使うとすればどのように使おうかと迷っています。元寇を書いてしまえば簡単なのですが、元寇は侵略戦争であって「文化的、経済的な交流」のうちには(厳密には)入りません。(もっとも、元寇を通して両国間に経済的、文化的に意義のある交換が行われたとしたら別です。しかし、元寇を通して日本または元に伝わったものでその後の両国の主要な文化として取り入れられたと言えるものはあまり見当たらない気がします。)ただ、単純に交易の窓口としただけではいかにも面白くない(もしそういう使い方をさせるつもりなら指定語句としては示さないでほしいw)ので使いようを探っているところです。

 ・染付(景徳鎮) :とりあえず陶磁器の伝播経路としての海の道、ムスリム商人とダウ船などを想定していますが、もっと面白い使い方はないものかと考えています。ついでに、海の道が出てくるのだから、メモに書いてはいませんが「シルクロード」やモンゴル時代の交易拠点なども使えるなと考えています。イラン方面と結んでいるあたりでコバルトも意識していますね。

 ・宗教      :とりあえずカトリック伝播とイル=ハン国のイスラーム化、北インドのイスラーム化なんかもあるけど、他にないかなーと漠然と思っています。

 ・インド、東アフリカなど:この辺の地域をどう使おうかなーとも漠然と考えています。

 

 とまぁ、大体以上のようなことを考えながら上の図を書いているわけです。もっとも、これらを全部メモとして書いていたらそれだけで終わってしまうので、書くのは「特にこの辺が重要かな」とか、「この辺を書いておくと後でパッと他のことが思い出せそうだな」といったことを書いておきます。こうした作業に慣れるためには、やはり「普段から過去問を解いておかなくてはならない」でしょう。最悪の場合、文章としてまとめる時間がなかったとしてもこのマインドマップ作成練習をやっておくだけで多少の役にはたってくるものです(気休め的なところはありますが)。

 

 大論述を解く際に、どのような思考手順で解いているかということが実感していただけたでしょうか。おそらく、似たような手順で解いている受験生も大勢いることと思います。注意しておいてほしいのは、常に今回のような手順を経るわけではないということです。地理的・経済的・文化的交流を描く場合と政治的、思想的な比較などを行う場合にはまた微妙に違った手順を踏むこともあります。型にはまらずに、まずは「連想ゲーム」の一種だと思って様々なことを思い浮かべ、結びつけるという作業に慣れておくと、思わぬ出題に出会ったときにも焦らずに解答を組み立てることができるでしょう。

 

それでは、以上のことを注意した上で地域ごとに「人・モノ・カネ・情報」についてまとめてみましょう。以下がその表です。もちろん、内容によっては複数の地域にまたがる事柄も出てきますが、それらについては表の中で示していることもあれば、面倒なので省いてしまっている部分もあります。(たとえば、イブン=バットゥータなどはモロッコ出身でアフリカ、西アジア、中央アジア、南アジア、東南アジア、東アジアと諸方を旅しているが、これをいちいち示すようなことはしていません。)ただ、「ここは示しておかないとわからないだろうな」というところについてはきちんと示したつもりですので、不足している部分はみなさんで補って考えてください。

東大2015訂正版

(解答に書き入れたいと意識しているものは赤で示しました) 



 さて、解答の作り方ですが、最も避けたいのは極端に「地域ごと」でまとめようとすることです。先の表からもわかるように、ある事柄について「この地域」というようには限定できないことが多いですし、縦割りにしてしまうとせっかく各地域の交流を描くことで生まれる「動き」や「ダイナミズム」が失われてしまう気がします。地域ごとの縦割りに分類したい気持ちをここはぐっとこらえて、あえて境界をこえるような描写を行うことに専念してみたいところです。こうした「分類への欲求を断つこと」や「境界をこえること」は近年の歴史学が様々なジレンマを抱えながらも追及している方向性の一つでもあります。なんだかご立派なことを言っていますが、正直言っている時点で「いやー、無理だろ、コレ。」と思ってたりしますw 600字ですからねぇ…。無茶言わないで欲しいというところですが、仕方ありませんw

 今回、解答例作成については特に以下の点に注意してみました。

 

  交易拠点、地域、海域を示すことで交流のネットワークを示す

 :ある国や地域名を出してしまうと、話がそこに限定されてしまい、広域ネットワークの様子を示すことができません。もちろん、「Aからは○○が、Bからは△△が」というように示せば互いの交流は示せるのですが、書くべき範囲が広いのでこれをやっていると字数が消費されて仕方がない気がします。それよりも、各地の交易拠点を示してそれを陸路、海路で結んでみせるという方が、ルート全体の把握につながりますし、あるルートに接している地域であればどの地域に言及しても良いことになりますから、こちらで書くことを心がけました。

 

  交易の担い手、取引品目、交通の手段については特に注意して数多く示す。

 :本設問では特に経済に偏って示せと言っているわけではないのですが、交易の様子を描くときに特別な指示がない限りは、その担い手と取引品目を示すのは必須です。そういう意味では一橋の2008年の大問1で出題された「ハンザ同盟の活動とレヴァント貿易の対比」なんて参考になりますね。時間ができたらそちらも解説あげていきます。交通手段については今回はダウ船が指定語句ですので、最低もう一つくらいは示したいですね。

 

  カネと文化については、まとめ方を考える必要がある。

 :多分、今回一番苦労したのがここです。どれも関連がないわけではないのですが、全てを一直線に述べられるほどの関連性はないんですね。たとえば、イブン=バットゥータと授時暦とミニアチュールを述べようとすると、多分それだけで結構な字数をくっちゃうんですよ。例えば、「イブン=バットゥータのような旅人が大都に来訪したようにイスラームの文化や人が元に流入した結果、その影響を受けた郭守敬が授時暦を作成した。また、中国の文化もイスラーム圏に伝わり、中国絵画からミニアチュールが発展した。」なんて書くとこれだけで107字ですからね(´・ω・`)

 

■ 解 答 例 

 モンゴル帝国によるパクス=タタリカの下、駅伝制度ジャムチと大運河で陸海交通路の結節点となった大都には、フビライに仕えたマルコ=ポーロや、旅人イブン=バットゥータなどが来訪した。ムスリム商人は陸路サマルカンドを中継しラクダによる隊商交易を行い、海路では泉州などが海の道と結ばれ、ダウ船を操るムスリム商人とジャンク船を操る中国商人によりイラン産コバルトを原料とする景徳鎮の染付や東南アジアの香辛料が南シナ海やインド洋で取引された。明州は博多と結ばれ銅銭が輸出、刀剣や扇が輸入され、高麗青磁なども取引された。西方ではカイロやアデンを拠点に地中海、紅海、アラビア海を結びつけるカーリミーが東方貿易で香辛料や絹織物をイタリア商人へ中継し、エジプトの砂糖などを各地に運び、ヨーロッパからは金銀やワインを仕入れ、東アフリカ沿岸では黒人奴隷取引の中でスワヒリ語が発展した。各地で銀の流通が盛んになると交鈔や手形などの決済手段が発達した。交通の発達は情報交換を促進し、スーフィズムの影響によるアジア各地のイスラーム化、モンテ=コルヴィノのカトリック布教などの宗教の伝播や、元の郭守敬による授時暦、インド最古のモスクにあるクトゥブ=ミナール、中国絵画の影響を受けたミニアチュールなどの文化的発展につながった。ヨーロッパにも火薬や羅針盤、印刷術が伝わったが、交流拡大はペストの流行を招き、人口が激減して封建社会が動揺した。

600字)

 

(解説)

 …言うほどダイナミズムが前面に出ていませんねw 600字の壁は厚いw

 

・まず、交通路として元の都大都の重要性を示しました。その上で、マルコ=ポーロやイブン=バットゥータといった異邦人やムスリム商人がこの大都に集まってくる様子を示してあります。色目人も示したかったのですが、字数の関係で断念しました。そのかわり、マルコ=ポーロがフビライに仕えた事実を示して、これが元のことであること、異邦人がその官僚として仕えることもあったことを示しています。事実、マルコ=ポーロなどのヨーロッパ人は当時「フランキ」と呼ばれた色目人でした。

 

・事前の注意通り、交易の拠点と海域を示すこと、さらに担い手と交通路をそこに示すことで、モノ・カネ・情報がどういうルートで動いたのかを示しました。実際にこの解答に示された地名、地域や海域などを図にするとこんな感じになると思います。

 

東大2015地域相関図


 

頑張って作ったんですが、見づらいですかね。クリックしてから出てきたものをさらにクリックすると拡大できると思います。意外にちゃんと書いてあるでしょ?交通路は基本的に拠点と海域で示して、地域の名称は取引された品目の産地や文化財の中で示すようにしてあります。(イラン産のコバルトとか、インドのクトゥブ=ミナールとか、東南アジアの香辛料とか。)こうしておけば、「アジア各地のイスラーム化」という文言が生きて来るかなと。「イル=ハン国」とか「デリー=スルタン朝」とか特定の地域や王朝名を出しちゃうと字数の関係でそれだけしか書けないんですよね。

 

・今回は宗教についてはモンテ=コルヴィノ以外、基本的にイスラームに頼ることにしました。その方が上記の通り、ムスリム商人の活動とのリンクもしやすいですし、正直チベット仏教はこの時期陳朝あたりに伝わるくらいで目立った拡大はしていません。ヒンドゥーも、出すとしたらマジャパヒトですが苦しいですね。東南アジアのヒンドゥー圏が本格的にイスラーム化されるのはもう少し後、マラッカ王国以降のことですし、現実問題として当時の東南アジアでは仏教も優勢でしたから、全てを書くこと自体困難です。モンテ=コルヴィノに加えてスーフィズムとアジア諸地域へのイスラームの浸透、クトゥブ=ミナール(アイバクがつくったインド最古のモスクにあるミナレットです)、このあたりがあればとりあえずは及第点ではないでしょうか。

 

・文化については交通の発達と情報伝達の促進と結びつける形でいれていますね。最初にマルコ=ポーロとイブン=バットゥータは示してありますし、上記の宗教に加えて授時暦、ミニアチュール、スワヒリ語、さらにヨーロッパへの火薬、羅針盤、印刷術という定番を入れて…要素としては十分ではないでしょうか。本当は文字を入れたいところなのですが、うーん。パスパ文字やチュノムって今回微妙じゃないですか?本設問が要求する広域の交流の諸相って言うほど広域に伝播して影響与えたものっていうイメージがわかないというか…。パスパ文字は多分に政治的なもので、元が滅亡したら公用語としては使われなくなりますし、漢字の影響受けてチュノムって別にこの時代、この交通の発展の中じゃなくてもいい気がします。

 

・もちろん、上の解答は練って書いたものですから、みなさんが受験会場で同じものを書く必要は全くありません。ただ、私が試しに最初書いてみた解答は、大筋は上の解答と変わりません。ただ、入っている要素が少ないだけです。例えば「刀剣や扇」のところが刀剣だけだったりとか、「地中海、紅海、アラビア海」が地中海と紅海だけだったりとか、マルコ=ポーロがフビライに仕えた情報が入っていないとかですね。字数の関係で、短時間でコンパクトにまとめようとすると、書ききれないものも出てきます。ただ、満点解答を作る必要はないわけですから、各部分の情報量が多少減ったとしても大筋で問題はないでしょう。最初の解答でも絶対に削らないようにしたのは、広域のネットワークが形成されていたことを示す交易拠点と海域、地域、交通などに関する情報です。これが今回の問題の肝だと思うんですよね。少しでもご参考になれば幸いです。