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カテゴリ: センター試験

ご無沙汰いたしておりました。2018年センター試験「世界史B」の解答と解説をまとめましたので、ご紹介いたします。分析については各予備校の方から細かい分析が出ておりますので、こちらでは昨年と同様、各設問ごとの解説に加えて少し詳しい関連知識を掲載していきます。もっとも、センターの問題は消去法などを駆使することによって、ここでご紹介している知識などがなくても十分に解ける仕様になっております。ただ、これから私大・国立の2次などにのぞむ際には、大学によっては役立つ知識もあろうかと思い、ご紹介してあります。過去問については各予備校のHPや新聞社などで紹介されておりますのでそちらをご参照ください。急いで作成してチェックなどはあまり入れておりませんので、間違いなどがある可能性もございます。その場合、責任は負いかねますのでご注意くださいw 

一通り解いてみた感想ですが、例年と比べてやや易しいのかな、と感じましたが、個人差もあるので例年並みかな、という印象でした。念のため各校の分析を見てみましたが軒並み「標準」、「例年並み」となっておりますので、いつもと比べて特別難しいか、簡単であるということはなかったようです。ひっかけ的な設問もほとんどなく、素直な問題構成でした。センター当日もとても寒かったですが、受験本番、体調に気を付けて残りの試験をぜひ頑張ってください!

問1 
 

:猛安・謀克は金の部族制度で、「1謀克=300戸」、「1猛安=10謀克」とする行政・軍事制度

【解説】

  領邦教会制は宗教改革、アウクスブルクの宗教和議後のドイツ地域で成立

  マンサブダール制はインドのムガル帝国で導入された官僚制度。位階ごとにマンサブ(禄)を決定し、これに応じて給与などが決定された。

  骨品制は新羅の身分制。王族を聖骨・真骨とし、出身氏族によって五階級に分けた。

 

問2  

【解説】

 :『ローマ法大全』の編纂は、ビザンツ帝国のユスティニアヌスの時代(6C)に、法学者のトリボニアヌスによるもので、「ローマの平和(パクス=ロマーナ:AD12C)」とは時期が異なる。

 

問3  

【解説】

 フィレンツェで栄えたのは毛織物工業と金融業。

  アドリアノープルはバルカン半島にある都市で、五賢帝のひとりハドリアヌスが建設したことからハドリアノポリスと呼ばれたのが起源。1362年にオスマン帝国のムラト1世がこの街を征服し、1366年以降はそれまでのブルサに代わって都となった。(オスマンの都はブルサアドリアノープルイスタンブルとなる。下図参照。)

   一方、ガズナ朝は10C、アフガニスタンに建国されたトルコ系イスラーム王朝であり、領域内にアドリアノープルを含むことはない。(ガズナ朝の領域は下図参照。)

  第4回十字軍で占領されるのはコンスタンティノープル。ヴェネツィアを中心とする第4回十字軍はコンスタンティノープル陥落後にラテン帝国を建国した。イェルサレムには、第1回十字軍の際にキリスト教徒側がイェルサレム王国を建国したが、第3回十字軍の時にイスラーム(アイユーブ朝)のサラディンによって奪回されている。


1

 


2

Wikipediaより「ガズナ朝(1040年)」)

 

問4  

【解説】

  『ラーマーヤナ』は『マハーバーラタ』とならぶインドの2大叙事詩。

  『イーリアス』はギリシアのホメロスの作によると伝えられる。

  『ギルガメシュ叙事詩』は古代シュメールで成立した。『旧約聖書』のノアと大洪水の逸話の原型が見られることでも有名。

 

問5  

【解説】

  アングロ=サクソン七王国(ヘプターキー)の統一はウェセックス王エグバート。

  マグナ=カルタはジョン王の時(1215)。

  シモン=ド=モンフォールの反乱はヘンリ3世の時。

(反乱は1258年から。議会は1265年に開催)

 

問6  

【解説】

  緑営は漢人が中心の、平時には主として治安維持にあたった軍事組織。

  タンジマートのきっかけとなるギュルハネ勅令(1839年)を出したのはアブデュル=メジト1世。アブデュル=ハミト2世は露土戦争(1877年~1878年)に際してミドハト憲法を停止し、スルタン専制を敷いた人物。

  十月宣言(勅書)は1905年の第1次ロシア革命の際にニコライ2世が発したもので、ロシアの立憲化を進める第1歩となったもの。アレクサンドル1世は19世紀はじめのロシア皇帝で、ウィーン会議で神聖同盟の提唱などを行った人物。

 

問7  

【解説】

  大月氏は、通常BC2CAD1Cにかけてソグディアナからバクトリアにかけて存在した国。対して、ホスロー1世はササン朝ペルシアの君主で、ビザンツ帝国のユスティニアヌスと抗争を繰り広げたことで有名な6Cの人物。

   中国では、インドのクシャーナ朝のことを指して大月氏と呼ぶこともあるが、クシャーナ朝のことだとしても、その衰退は3Cのことであり、ホスロー1世とは時代が合わない。

  冒頓単于は匈奴の君主。前漢の高祖劉邦との白登山の戦い(BC200年)で有名。

  ヴァルダナ朝は南インドを領域内におさめていない。(下図参照)

3

Wikipedia「ヴァルダナ朝」より)

問8  

【解説】

  澶淵の盟は北宋と遼の間で結ばれたもの。(1004年)

  土地を支給された成人から税を取るのは均田制に基づくもの。

  「湖広」は長江中流域のこと。長江下流域は「蘇湖(江浙)」で、ここが穀物地帯であったのは宋代のこと。

 

問9  

【解説】

  『漢書』は紀伝体による記述。

 

10  

【解説】

  シヴァを主神とするのはヒンドゥー教。

  ヒジュラはイスラーム

  景教はネストリウス派

 

11  

【解説】

 :下図参照。また、ハラッパーはインダス文明の遺跡。

4

 

12  

【解説】

  イッソスの戦いはマケドニアのアレクサンドロスとアケメネス朝ペルシアのダレイオス1世が激突した戦い。(BC333年)

  司馬炎は西晋の建国者。蜀の建国者は劉備。

  劉永福が組織したのは黒旗軍。

 

13  

【解説】

  バルフォア宣言(1917年)はユダヤ人の「国家(言語はnational home)」建設を認めたもの。

  モーセは、十戒で有名な人物なので、「戒律主義を批判した」はおかしい。

  アフラ=マズダはゾロアスター教の神。ユダヤ教徒の神はヤハウェ。

 

 

14  

【解説】

  乾隆帝が対外交易港として指定したのは広州。

 

15  (もっとも、ステュアート朝はもともとスコットランド王家なので、正確には「イングランドでステュアート朝が成立した」が正しい。)

【解説】

  ラダイト運動が起こるのは19世紀はじめ。

  ウォルポールが下院を掌握したのは1721-42にかけて。

  グラッドストンがアイルランド自治法案を提出するのは19世紀後半。(1886年と1893年) また第3回自治法案を提出するのはアスキス内閣(1912年)。第3回自治法案も貴族院(上院)で否決されたが、1911年に制定された議会法により庶民院(下院)の優越が定められていたため、その規定に従って1914年に成立する見通しとなったが、第1次世界大戦の勃発により延期された。

 

 

16  

【解説】

 ・ワッハーブ派はアラビア半島で起こった復古主義的なイスラーム改革運動。当時(18世紀半ば以降)のイスラーム世界は神秘主義など、本来のムハンマドの教えから遠ざかっているとワッハーブ派の創始者イブン=アブドゥル=ワッハーブは考え、ムハンマドの本来の教えに立ち返るために『クルアーン(コーラン)』の教えに忠実であるべきと考える、復古主義・原理主義的な教えを唱えた。乱暴な解釈ではあるが、キリスト教世界におけるルターの主教改革運動のイスラーム版ととらえると理解しやすい。

  (復古主義、とは古いもの、昔に立ち返るということ。原理主義、とは宗教上では経典や教義に忠実に従うことを言う。)

 ・このワッハーブ派を支援したのがアラビア半島東部の豪族サウード家で、サウード家はワッハーブ王国や現在のサウジアラビアを建国することとなった。

 

17  

【解説】

 ① ウィクリフが異端とされたのは神聖ローマ皇帝ジギスムントによって開かれたコンスタンツ公会議(1414-1418)。この時、ベーメンのフスも異端とされ火刑に処せられたため、ベーメンのフス派がまもなくフス戦争(1419-36)を起こした。

   一方、エフェソス公会議は431年に開かれてネストリウス派を異端とした公会議である。

 ② サレカット=イスラームはインドネシアで1911年に結成されたジャワ島の商人同盟で、元々は華人商人に対抗するために生まれたものであったが次第に民族的・政治的な運動を行うようになった。

 ③ 白蓮教は南宋~清の頃に流行した民間信仰。世界史上、白蓮教徒の乱と呼ばれるものはいくつかあるが、世界史上で有名なのは元末に起こった紅巾の乱の別名、または清朝支配下の1796-1804年に起こった白蓮教徒の乱。

   

18  

【解説】

 ・アメリカが占領したのは南半分。北半分はソ連の占領地域。

 

19  (慶州は別名を金城ともいう)

【解説】

 ② ポタラ宮殿はチベットのラサにある宮殿。

 ③ クトゥブ=ミナールはデリー=スルタン朝の最初の王朝である奴隷王朝の建国者、クトゥブッディーン=アイバクによって建てられた、世界で最も高いミナレット。

 ④ パスカルはフランスの数学者、哲学者。落体の法則に関するエピソードで有名なのはガリレオ=ガリレイ。

 

20  

【解説】

 ドイツ植民が行われたのはエルベ川以東で、ここには後のプロイセンのもととなるドイツ騎士団領やブランデンブルク辺境伯領が建設された。

 

21  (スペイン王カルロス1世は神聖ローマ皇帝カール5世と同一人物)

【解説】

 ① カペー朝の創始者はパリ伯ユーグ=カペー。(987年~)

 ② 審査法が制定されるのは1673年、チャールズ2世の治世。

 ③ クローヴィスはフランク族の王で、アタナシウス派キリスト教に改宗した人物。

 

22  (デンマークがシュレスヴィヒ・ホルシュタインをプロイセンに奪われるのは、1864年のデンマーク戦争の時)

【解説】

 ① ハンガリーの主体となっているのはマジャール人。

 ② カルマル同盟を結ぶのはデンマーク・スウェーデン・ノルウェー。

 ③ ポーランドで選挙王政が導入されるのはヤゲウォ朝の断絶後。

 

23  

【解説】

 ① クテシフォンはパルティアやササン朝の都。アケメネス朝はもともとはスサに都をおいたが、ダレイオス1世の時に新都ペルセポリスを建設した。

② サーマーン朝は中央アジアのイラン系イスラーム王朝。都はブハラ。

   一方、コルドバはイベリア半島の都市で、後ウマイヤ朝の都。

 ④ アッシリアの都はニネヴェ。(古都はアッシュール)

 

24  

【解説】

 ① ヴィシー政権の首班はペタン。ブルムはフランス人民戦線内閣の首相。

 ③ スターリングラードの戦いはドイツが敗走し始める契機となった戦い。(1942-43

 ④ バドリオはスペインではなく、イタリアのムッソリーニ退陣後の首相。

 

25  

【解説】

 リューベックはハンザ同盟の盟主。

 ロンバルディア同盟は北イタリアの都市同盟で、盟主はミラノ。

 

26  

【解説】

 ① 新法を推進したのは王安石。司馬光はこれを批判した旧法党の指導者で、『資治通鑑』の著者としても有名。

 ③ 新法が導入された北宋期に北方を悩ました異民族としては、遼、西夏がある。後に遼にかわって金が勃興した際、滅亡した遼の王族が西のトルキスタンに逃亡して建国するのが西遼(1132-1218)で、建国時にはすでに北宋は滅亡していた。

 ④ 東林派と非東林派の争いは明代末期。

 

27  

【解説】

 まず、第1次世界大戦は1914-18年。五・四運動が発生したのは1919年。義和団事件の勃発は1900年。
5

 上の図にあるように、第1次世界大戦は赤の線の間で起こっているが、この間にアメリカとイギリスの逆転が起こっているので、aの文章は正。

 また、義和団事件が起こった時の日本との貿易額は50,000弱だが、五・四運動当時の貿易額は約450,0009倍近くにのぼるため、bの文章は誤り。

 

28  

【解説】

 問題の通り、どちらも正文。

 

29  

【解説】

 ② 陳勝・呉広の乱は秦末の農民反乱。

 ③ ジャックリーの乱はフランスの農民反乱(1358

   同時期にイギリスで発生したのはワット=タイラーの乱(1381)。

 ④ ハイドゥの乱は元のフビライに反抗して起こったモンゴル帝国内の反乱。

 

30  

【解説】

 ① リシュリューはフランスのルイ13世の宰相。

 ② 十四か条の平和原則を提唱したのはアメリカ大統領ウィルソン。

 ④ インド皇帝に即位したのはイギリスのヴィクトリア女王。

 

31  

【解説】

 ルワンダ内戦は1990-1993と比較的新しい。

 

32  

【解説】

 ① ブレジネフは第2次世界大戦後のソヴィエト連邦の指導者で、フルシチョフの次。

   時期としては1964-82

 ② フェビアン協会は第1次世界大戦よりも前。(1884)早くからウェッブ夫妻やバーナード=ショーが参加した漸進的改革を目指すイギリスの社会主義運動。

 ④ 極東軍事裁判所は第2次世界大戦後に開廷された。

 

33  

【解説】

 ① イベリア半島に存在したのは西ゴート王国。東ゴート王国の支配地はイタリア半島。

 ③ ユトレヒト条約では「イギリスが」スペインからジブラルタルとミノルカを獲得したのであって、スペインが獲得したのではない。

 ④ スペインでは、アサーニャ率いる人民戦線内閣がフランコ率いるファシズム勢力に敗北した。

 

34  

【解説】

 ① ダライ=ラマ14世の亡命先はインド。中印国境紛争のきっかけとなった。

 ② ジェームズ2世亡命の原因は名誉革命(1688-89)。

   ばら戦争は百年戦争後まもなくイギリスで発生した内乱(1455-85)で、テューダー朝成立のきっかけとなった。

 ④ 衛満は衛氏朝鮮の建国者で、BC2Cごろの人物。

 

35  

【解説】

 ② 浙江財閥は蔣介石と結んで共産党を弾圧。

 ③ 1911年、清朝の発した鉄道国有令に激しく反発して暴動を起こしたのは、四川保路同志会などを通して利権回収運動を進めていた四川省成都。この暴動鎮圧のために清朝の軍隊が出動した隙をついて発生したのが19111010日の武昌蜂起。(辛亥革命の開始)

 ④ 中華民国の建国宣言がなされたのは南京において(1912年、孫文による)。当時、北京には袁世凱が実権を握る清朝政府(皇帝:宣統帝[溥儀])が依然として存在していた。

 

36  ANZUSの参加国はA=オーストラリア(Australia)NZ=ニュージーランド、US=アメリカ合衆国(United States)

【解説】

 ① ドプチェクはチェコスロヴァキアで発生した「プラハの春(1968)」の指導者。

 ② アデナウアーは西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の首相。

 ③ バグダード条約機構はイギリスが中心となってできた反共同盟。

しばらく更新しておりませんでした。受験前はもう、戦争ですね。銃弾飛び交っている中でブログの更新とかしたら頭スカーンと撃ち抜かれて逝ってしまいますのでしばらく放置してました(汗)

 

ただ、センター試験が終わりましたので、受験生向けに問題解説を作成しました。元々がブログ用に書いたものではないので、地図など不十分な部分も多いと思いますが、後から追加、修正していきます。急いで作成したので多分ミスなどあるだろうなと思っていたら、案の定一部変なことになっていたので修正しました(2017.1.16)。また、最近モバイルからご覧になっている方が多くなってきているようですので、そちらからでも読みやすいように修正しました(2017.1.17

 

分析等は大手予備校の方で出していますので、私の方では問題解説のみにしました。解いた感想としては、例年と比べて特に大きく難しい・簡単と感じるものではなかったと思います。全体としては例年並みなのではないでしょうか。ただ、現役生にはとっつきにくい部分からの出題が多かったかもしれません。問題はネット上で公開されています。(http://www.nikkei.co.jp/nyushi/2017/

 

2017 センター「世界史B」 解答・解説

 

問1 

【解説】

:ネストリウス派が中国に伝わるのは唐代。また、ネストリウス派が異端とされたエフェソス公会議は431年であり、漢代には伝わりようがない。 

:トリエント公会議(1545-1563)は対抗宗教改革の原動力となった。フスが異端とされたのはコンスタンツ公会議(1414-1418)。

  :三位一体説はアタナシウス派。

 

問2 

【解説】

:ニジェール川(下図)は北アフリカ西部を流れる川で、ガーナ王国・マリ王国・ソンガイ王国などが栄えた地域。対して、モノモタパ王国は西南アフリカに存在した王国で、現在のジンバブエ周辺(ザンベジ川流域)。


Niger_river_map
 

Wikipediaより引用)


:アマルナ美術が栄えたのはテル=エル=アマルナに遷都し、アトン神信仰を強制し  

たアメンホテプ4世(イクナートン)の時。フスが異端とされたのはコンスタンツ公会議(1414-1418)。

:マダガスカルはフランスの植民地。 

アフリカ
 



Wikipediaより引用、一部改変)

 

問3 

【解説】

:カスティーリャとアラゴンの合同でできるのはスペイン王国。 

  :ラテン帝国が成立するのはヴェネツィアが主導した第4回十字軍の時。

:(両)シチリア王国の建国者はノルマン人(ノルマン系貴族)。アヴァール人はカール大帝の頃に撃退されたモンゴル系騎馬民族。

 

問4 

【解説】

:全インド=ムスリム連盟結成は1906年。1905年のベンガル分割令(別名カーゾン法。ベンガル地方をムスリムに有利になるような行政区に分割した)に不満を持ったティラクの指導する国民会議派(主にヒンドゥー教徒)がカルカッタ大会で4綱領(スワラージ[自治]・スワデーシ[国産品愛用]・ボイコット[英貨排斥]・民族教育)を採択するなど、反英的な姿勢を強めたことに対して、イスラームの立場を強化したいムスリムがインド総督ミントーに協力を申し出て結成した親英団体。

 

問5 

【解説】

:アイバクは奴隷王朝(デリー=スルタン朝の最初)の建国者。イランのカージャール朝はアーガー=モハンマドが建国。

:ムワッヒド朝(12世紀~13世紀)はモロッコからイベリア半島に進出したイスラーム王朝で、アナトリア(小アジア)には進出したことがない。

:アチェ王国(15世紀末~20世紀初)はスマトラ島北部のイスラーム王国。

 

問6 

【解説】

a:正。チョーラ朝はインド南部、東岸地域にあった国。紀元前3世紀~紀元3世紀ごろの前期チョーラ朝はインド洋交易圏の中、海上交易で栄えた。

b:誤。ゴアをアジア交易の拠点としたのはポルトガル。ちなみに、イギリスがインドに進出した後の拠点はカルカッタ・マドラス・ボンベイ。(現在のコルカタ・チェンナイ・ムンバイ) 

インド


http://www.sekaichizu.jp/の地図を加工して作成)

 

問7 

【解説】

:アイグン条約は1858年、清朝とロシアの条約。アムール川北岸(左岸)地域の割譲と沿海州の共同統治が決められた。 

ネルチンスク条約


(コトバンク「ネルチンスク条約」より引用)

:ロシアはアラスカをアメリカ合衆国に売却(1867年)。「スワードの冷蔵庫」と批判の対象になった。

  :アフガニスタンからの撤兵はゴルバチョフの時(1988-89)。

 

 問8 

【解説】

a:誤。第1次世界大戦は1914-1918。グラフを見ればドイツの銑鉄生産量がイギリスを上回るのは大戦開始よりも前であることがわかる。

b:正。第2次五か年計画は1933-37年。

 

問9 

【解説】

:チェチェン紛争の勃発は冷戦の終結後。1994-961999-2009

 

10 

【解説】

:ミドハト憲法はトルコで制定された憲法。1839年に始まるタンジマートの流れを受けて、1876年、アブデュル=ハミト2世の時に宰相ミドハト=パシャが起草したが、露土戦争勃発を理由に停止され、近代的な立憲制ではなくアブデュル=ハミト2世の専制政治に逆戻りした。これに不満を感じた人々がミドハト憲法の復活を要求して起こす立憲革命が1908年の青年トルコ革命である。

 

11 

【解説】

:メッテルニヒ失脚(亡命)はウィーン3月革命(1848)によるもの。 

:模範議会はイギリス(1295年、エドワード1世の時)。

:ドゥーマはロシアの議会。1905年のロシア第1革命で開設が約束された。

 

12 

【解説】

a:正。ルイ=フィリップは1830年の7月革命で王となり、1848年の2月革命で亡命。

b:正。リベリアはアメリカ合衆国の解放奴隷が建国して以降独立を維持した。 

アフリカ


Wikipediaより引用、一部改変)

 

13 

【解説】

  :共和政期であっても、貴族(パトリキ)や富裕な平民層から形成された新貴族(ノビレス)が要職を占めた。また、紀元前367年のリキニウス=セクスティウス法制定以降、コンスルは貴族・平民から各1名とされた。

  :帝政開始はオクタウィアヌスから。

:ローマ帝国の東西分裂はテオドシウス帝の死後、アルカディウスとホノリウスが東西に分割統治したことから。

 

14 

【解説】

:ヴェネツィアはイタリア半島の東側の付け根。ちなみに、西側の付け根はジェノヴァ。 

 イタリア

http://www.sekaichizu.jp/より引用)

 

 

15 

【解説】

:キール軍港の反乱(1918)はドイツ革命のきっかけとなる事件。設問が要求しているのはロシア。

 

16 

【解説】

:メキシコ革命は1910年に始まる。革命以降の流れは以下の通り。

 

・ディアスの独裁政権を自由主義者マデロが打倒。ディアスは亡命。

・マデロの政策に不満を感じた農民出身のサパタ・ビリャが離脱。

・マデロ、ウェルタ将軍のクーデタで死亡。

・独裁を図るウェルタ将軍を、カランサなどの立憲派が打倒。

・カランサらが1917年憲法を発布。

・憲法の実施に消極的なカランサに対し、自由主義的地主層出身のオブレゴンが反発。サパタ・ビリャをも含めて闘争が開始される。

・オブレゴンが大統領となり、カウディーリョ(軍事ボス)支配が続く。

1934年に大統領となったカルデナスはカウディーリョを一層。石油をはじめとする産業の国有化などの左派的諸政策を展開する。

 

17 

【解説】

  :カイロ会談は米・英・中(フランクリン=ローズヴェルト、チャーチル、蒋介石)。 

  :中華ソヴィエト共和国臨時政府は江西省瑞金で成立。

:八・一宣言は中国共産党による国民党への呼びかけ(1935)。これを受けて張学良が1936年に西安事件を起こした。

 

18 

【解説】

:チャウシェスクはルーマニアの独裁者。ポーランドではワレサ率いる「連帯」が民主化を要求。

:朴正煕は開発独裁を進めた。

:九・三〇事件はインドネシアのスカルノからスハルトへと権力がうつるきっかけとなった事件。

 

19 

【解説】

  :コロナートゥスが本格的に拡大するのは帝政期。共和政期はラティフンディア(奴隷を使用した大農場経営)が主体。最大領域を達成したトラヤヌス帝以降は戦争捕虜と属州が減少したことから、奴隷を使うラティフンディアから小作人を用いるコロナートゥスへと移行する。

  :均田制は北魏の孝文帝の時代から。その知識がなくても、唐の時代には間違いなくあるので、元では遅すぎることに気づきたいところ。

:ティマール制はオスマン帝国。セルジューク朝では、ブワイフ朝期に導入されたイクター制が整備。

 

20 

【解説】

:朱全忠は後梁の建国者。五代十国の開始期。

  :焚書・坑儒は秦の始皇帝。

  :カトリック教徒解放法は1829年、アイルランドのカトリック教徒解放のためにイギリス議会で定められたもの。また、スペインはむしろ伝統的にカトリック国なので、カトリックに対する差別があるとすれば不自然。

 

21 

【解説】

ア:スタンリーのアフリカ探検がベルギー領コンゴ建設のきっかけとなった。タスマンは17世紀にオーストラリアの周辺を探検した人物。

イ:アムンゼンはイギリスのスコットと南極点到達を競った人物。

 

22 

【解説】

:隋で建設が進められた運河は下図。

隋
 

 http://www.geocities.jp/enjoy_a_china/yangzhou98.htmより引用)


23 

【解説】

:燕雲十六州は後晋の石敬瑭が援助の見返りに契丹に割譲した土地なので、秦では時代が合わない。

  :ネーデルラント北部(オランダ)が独立するのはスペインから。

  :エフタルは4世紀から6世紀なので、ムガル帝国(1619世紀)とは時代が合わない。エフタルの圧迫で衰退するのはグプタ朝。

 

24 

【解説】

:五胡十六国時代は魏晋南北朝期なので、唐代ではない。

:康熙帝は清の時代の皇帝。

:ロシアが沿海州を獲得するのは1860年の北京条約。(清の時代)

 

25 

【解説】

:五銖銭は前漢の武帝。

  :交鈔は金・元の時代。

:レンテンマルクの発行はドイツのシュトレーゼマン。ストルイピンはロシア第1革命後の首相。

 

26 

【解説】

:マラトンの戦いの主力はミルティアデスが率いるアテネ軍。(第2次ペルシア戦争)

:オドアケルが滅ぼすのは西ローマ帝国(476)。

:ヴァレンシュタインは神聖ローマ帝国側の傭兵隊長。

 

27 

【解説】

a:誤。プロノイア制はビザンツ帝国の土地制度。11世紀ごろからセルジューク朝に圧迫されたビザンツ帝国はそれまでのテマ(軍管区)制・屯田兵制にかえて、軍事奉仕と引き換えに土地の管理権を与えるプロノイア制へと移行、封建的土地所有関係へとつながった。

b:正。周の封建制、秦の郡県制に対し、漢の高祖劉邦は郡国制(中央は郡県制、地方は封建制)を採用した。

 

28 

【解説】

:インカはペルーを中心に栄えた国で、ピサロが滅ぼした。(最後の皇帝はアタワルパ) 対して、アステカはメキシコを中心に栄えた国で、コルテスが滅ぼした。(最後の国王はモンテスマ)彼らのようなスペイン人の征服者をコンキスタドール(複数形でコンキスタドーレス)と呼ぶ。

 

29 

【解説】

:ボリビアのポトシ銀山でとれた銀は、メキシコのアカプルコなどを経由してガレオン船などでフィリピンのマニラへと至った。(アカプルコ貿易)

 

30 

:プレヴェザの海戦(1538年)とレパントの海戦(1571年)を区別する。ちなみに、プレヴェザの海戦の時の君主はカルロス1世(カール5世)とスレイマン1世。 

 

【解説】

:アクティウムの海戦(BC31年)で、プトレマイオス朝エジプトのクレオパトラと結んだアントニウスは、オクタウィアヌスに敗れた。

:トラファルガー海戦(1805年)でフランス海軍をネルソン率いるイギリス海軍が破った。

  :ミッドウェー海戦(1942年)で日本軍はアメリカ海軍に敗北し、これが太平洋戦争で日本が劣勢となる転換点となった。

 

31   

【解説】

a:正。

b:誤。『本草綱目』は明の時代の李自珍による薬物書の総合書。宋応星(明末~清初)は『天工開物』という産業技術書を著した人物。 

 
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『天工開物』に見られる製紙工程

Wikipediaより引用)

 

32   

【解説】

:マタラムはマジャパヒト王国滅亡後のジャワ島で成立するイスラーム王国(16世紀~)。また、チャンパーはヴェトナム南部。

 

33   

【解説】

:無制限潜水艦作戦は第一次世界大戦時のドイツが用いた作戦。

   ハーグリーブズはジェニー紡績機。蒸気船はフルトン。

 亀甲船は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の李舜臣が、豊臣秀吉の朝鮮出兵時の日本軍を苦しめた船。

 

34   

【解説】

a1869年、フランス人レセップスによる。英のディズレーリ内閣の時にスエズ運河会社株を買収するのが1875年。

bTVAは世界恐慌(1929)後のニューディール政策(1933)で設立された。

c:ナセルがアスワン=ハイダムを建設しようとしてスエズ運河の国有化宣言を出したことが第2次中東戦争(スエズ戦争、1956)につながった。     

 

35   

【解説】

  :鉄器の最初はヒッタイトとされる。

  :フィレンツェはイタリアの都市で、主な産品も木材ではなく毛織物業と金融業で栄えた都市である。

:ジョン=ケイは飛び杼。コークス製鉄法はダービー父子。

 

36   

【解説】

ア:リンネはスウェーデンの博物・植物学者で分類学の創始者。メンデルはオーストリアの植物学者。

イ:ゲーテはドイツにおける疾風怒濤(シュトルムウントドランク)の時代の先駆けとなった文豪。作品に『若きウェルテルの悩み』、『ファウスト』。シラーはゲーテとともにドイツ古典主義を完成させたとされる文豪で、代表作は『群盗』など。 

 

  長らくご無沙汰をしております、HANDです。

 前回の記事をあげてからもう半月もたっていますね…、申し訳ないです。本業の方がもう無茶苦茶忙しかったもので。そのくせ、「どうせ書くならちょっとは手間暇かけたものを…」とか考えていたものですから、遅くなってしまいました。見捨てずにご覧くださり、ありがとうございます。

 

 さて、もう11月も半ばになり、センター試験が近づいてまいりました。この時期になると、毎年のことですが、高3だけでなく高2あたりからも「センターの勉強の仕方ってどうしたらいいですか?」とか「頑張って勉強しているのですが、半分くらいしか取れなくて、どうしたらいいかわからないんです…」などの質問や相談が増えてきます。

 ところが、センターの勉強って、実際のところどこまでやったらいいのか判断がつかないことが多いんですよね。『詳説世界史研究』では詳しすぎると思うし、かといって学校で使うような教科書だけでは不安だし…。文系の受験生であれば二次試験を見越して思い切り深く勉強するというのもありかと思いますが、「理系でセンターだけ社会が必要で…」といった受験生の場合はなおのことどこまでやればどれだけ点数がとれるのか判断がつきません。学校や塾の先生は経験上から「まぁ、教科書をやって、過去問を解いていればそれなりにとれますよ、大丈夫!」というけれども、数値として実際に分析した人はそう多くないと思います。(もっとも、センターに限って言えば、それが基本の学習法になるわけですが)

 

 そこで、今回はテーマを絞ってセンターの過去問を分析してみることにしました。そのテーマとは、「ぶっちゃけ、『世界史B(東京書籍)』の教科書の太字部分だけを覚えたとしたら何点くらいセンター世界史でとることが可能なのか?」ですw 何というか、ものすごくしょーもないというか、省エネな発想のテーマだなぁと思うのですが、実際にデータ化してみないと自信をもって勉強できないと思うんですよ。2次試験であれば「詳説世界史研究をがっつりやりこめばまず大丈夫」という確信が持てるわけですが、センターを勉強するときの「世界史B(各社)」にはそうした確信めいたものが欠けている気がします。自信をもって勉強できる、自分の目標に確信が持てる、というのはモチベーションをキープする上でとても大切なことだと思いますので、あえて調べてみることにしました。これで「教科書だけやっておけば間違いなくセンター試験は大丈夫!」なんていう結果が出ちゃうとそれ以上勉強しようとしないめんどくさがりな部分を助長しちゃいそうな気もするのですが、まぁそこは自己責任でいいかなとw

 

 今回の分析手順ですが、以下の作業を行いました。

    センター過去問3年分(本試験のみ)を分析し、「どの知識があればその問題を解くことができるか」に絞って検討した。その際、「この知識があれば問答無用でその設問は解ける」という知識を「確定条件」とした。また複数の知識が必要な設問については「これらの知識がそろえばその設問が解ける」という知識を抽出し、これらを「複数条件」として表を作成した。

    作成した表を見ながら、その知識が「世界史B(東京書籍)」に太字で示されているかどうかを一つ一つチェックした。

    太字で示されている知識のみでほぼ説くことができる問題に〇をつけ、その合計点を出した。

    ①~③の手順で作った表を単元別、テーマ別で整理し、どの単元、どのテーマからの出題が多いかを別の表にまとめた。

 

以上になります。やってみて本当に、心から思ったことは「過去問10年分とかにしないでよかった…orzということです。本当に、心折れるかと思いました。腰が痛いです。

 ただ、注意していただきたいのは、手間暇かけている割にこのデータは必ずしも信用のおけるものではありません。特に、以下の点には注意をしていただきたいと思います。

 

    「太字で出ている部分だけ」を「丸暗記」すれば解ける、というものではない。

:これはどういうことかと言いますと、たとえば、2016年の設問1の分析では、「大陸封鎖令を出したのはナポレオン1世(3世ではない)」、「社会主義者鎮圧法の時はヴィルヘルム1世(2世でない)」、「則天武后が変更してつけた国号は周(新ではない)」という三つの知識が示してあり、これらには太字で載っていたことを示すピンク色が私の作成した表(後ほど示します)には示してあります。これは、実際に教科書を見たところ、「大陸封鎖令」、「社会主義者鎮圧法」、「則天武后」、「周」などが太字で示してあったからですので、間違いではないのですが、かといってこれらの用語を「丸暗記」すれば解けるということではありません。教科書には「社会主義者鎮圧法が出された時の皇帝はヴィルヘルム1世である」と太字で書かれているわけではありませんので、こうした太字の知識の周辺にある「内容、意味、意義、関係性、時代、時系列」などは自分で把握する必要がある、ということです。もっとも、これらの多くは太字の知識の周辺にしっかり書かれていますので、そこまで心配する必要もありません。要は「用語の丸暗記ではなくて、内容もしっかり理解しないと解けないよ」ということです。

 

    出題頻度を単元別、テーマ別に示したものはものすごくテキトーな数え方

:これは仕方のないところでもあります。例えば、同じく2016年の設問2は「漢の武帝の時代に砂糖の専売は行われていない(行われたのは塩・鉄・酒)」、「十分の一税は(聖職者に対してではなく)農民に課せられたものである」という二つの知識があれば解ける設問ですが、この二つの知識は何に分類すべきでしょうか。武帝の政策ですから政治と言えば政治ですが、専売制ということは経済的な要素も入ってきます。また、十分の一税は税金ですから社会・経済に含むべきものかと思いますが、一方で宗教的な要素も濃いです。こうしたものを分類するにあたって、基本的にその分類は私の主観と気分で決めていますので、かなりアバウトな基準で分類されています。(ちなみに、それぞれ「政治」と「社会経済」に分類しました。)

 また、たとえば「義浄」の「南海寄帰内法伝」などにいたっては、そもそもこれを宗教に分類するのか文化に分類するのかだけではなく、中国文明の方に分類するのかインド文明の方に分類するのかでも問題となります。「両方数えればいいじゃない」とおっしゃるかもしれませんが、そんなめんどくさ…いえ、そうしますと設問によって多くの要素を含むものと、一つの要素しか含まないものがあり、総計するとかえって全体の傾向を把握しづらいものにしてしまう可能性があります( -`д-´)キリッ

 以上の理由から、かなり強引に分類しましたので、数字はかなりアバウトなもので、あくまでも大まかな傾向を示すにすぎないのだ、ということには注意をしてご覧いただければと思います。

 

[2014年~2016年世界史本試験:各設問を解くのに必要な知識一覧]

2016
センター2016
 

2015
センター2015

2014
センター2014
 

 

 以上のように、「世界史B(東京書籍)」の太字の知識で手に入る知識をピンク色で示した上で、ほぼそれだけで解ける問題をチェックしたところ、2016年は77点、2015年は65点、2014年は72点取れることがわかりました。案外少ないと感じるかも知れませんが、この計算は「確実にその知識だけで解ける」設問に絞っており、「太字の知識だけで2択までは絞れる問題」などは計算に入れておりません。当然、2択まで絞れる問題の中にはいくつか実際に得点できる問題もあることから、実際に太字の知識のみでとれる点数はもう少し多くなるはずです。また、教科書で太字の部分を覚える際には当然周辺の知識も入ってくることから、おそらく「世界史B」の教科書だけでもしっかり勉強すれば8割以上とれる、というのは間違いではないと思います。「確実に95点以上を狙いたい」という人はともかく、「とりあえず急ぎで何とか8割以上をキープしたい」という人には「教科書+過去問(またはさらに+実戦問題集)」といった勉強法はアリなのではないでしょうか。

 

 さて、それでは直近3年のセンター試験はどういった単元と内容から出題されているのでしょう。それを示してみたのが下の表です。

 

 センター出題傾向(2014-2016)

 

 こちらは、私が感じていた以上に近現代史が厚くなっているということが見て取れました。その他は、伝統的な古代世界と、中世・近代ヨーロッパあたりが多いですね。もっとも、これは設問の数ではなく、「設問を解くのに必要となった知識」がどこの分野に属するものかを分類したものになりますから、この割合がそのまま点数の割合になるわけではありません。ただ、全体的にテーマとしては政治・制度史が中心で、各国の成り立ちや、君主、行政制度、拡大発展と衰退といったメインパートから出題されることが多いようです。

 

 以上の分析から結論を導きますと、「世界史B(東京書籍)」の太字の知識だけでもセンターで7~8割はとれるだけの要素はあるらしい、ということが言えると思います。あとは、自分がどの程度の点数を欲しているのか、文系なのか理系なのか、急いでいるのか余裕があるのかなどによって勉強方法を変えていくとよいのではないでしょうか。より高得点を狙いたいというのであれば、2次試験も見越してはじめから『詳説世界史』をみっちり(もっとも、今から開始して来年の春、というのでは分量的に厳しいです。すでにこのスタイルで勉強してきている人向けですね。)とか、または「世界史B」教科書ベースでセンター過去問だけでなく早慶クラスの過去問や問題集を合わせて進めるとか、いろいろやり方はあると思います。自分自身にとって一番素敵だと思える勉強スタイルで頑張ってください!

 


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