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カテゴリ: 慶応大学対策

(追記:起きたらものすごい数の方にご覧いただいていて正直驚きました。ありがとうございます。一部、画像の使い方に問題があるのではないかとお𠮟りをいただき、私の方でもそのように感じましたので、削除・編集いたしました。[ⓒ石田スイ『東京喰種トーキョーグール』集英社、ⓒ『機動戦士ガンダム』、ⓒカルロ・ゼン『幼女戦記』、ご関係者の皆様にはご迷惑をおかけいたしました。])

ものすごく古い問題なのですが、慶應義塾大学経済学部で1994年に出題された設問が個人的に「イイ!すごくイイ!」とちょっと興奮するレベルなのでご紹介できればと思います。
さすがに30年も前の出題の1部なので、こちらについては引用したいと思います。(もっとも、こちらの問題は私も人づての紹介なので、原典を確認したわけではありません。)

 

問 次の文章[A]は、イギリス産業革命の社会的影響についての1つの見解であるが、使う資料によっては別の見解も成り立ちうる。[B]に示されたイギリスに関する4つの資料を使って別の見解を組み立てて書きなさい。(200250字以内)

  注意:解答は諸君自身が[A]に賛成かどうかを問うものではない。

 

[]

 産業革命によってしだいに経済力を強めた資本家階級は、第1次選挙法改正によって政治上の支配権を握り、さらに穀物法撤廃によって地主階級から経済上の実権を奪った。他方、大規模な機械制工場生産の確立にともなって創出された労働者の生活水準は低下し、貧困化が進んだ。

 

[]

表1 イギリス下院の構成比

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表2 国民所得の階級別分布(1867年)

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表3 国民所得の推移

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表4 賃金指数の推移

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いかがでしょう。たまらんですよ!たまりません!いやー、これは本当にイイものだ!(マ=クベ的に) 

以前にお話したことがありますが、歴史の醍醐味の一つに、ある事実を多角的に見ることによって全く別の姿が浮かび上がることがある、という点があります。本設問はまさにそうしたことを高校レベルの世界史知識と示された史資料によって体験させ得る設問で、かつ難しい問題ではあるのですが「激ムズ」とか、「悪問」の類ではない絶妙な難しさになっています。正直、このレベルの史料問題が作れたら「ああ!これは史料問題だ!」と胸を張って言えるレベルです。その辺に蔓延している(というか、私自身も楽なので安直によく作ってしまう)ただ単にグラフの年号を読み取らせて「この年には何が起こりましたか」レベルの設問を出して「これは史資料を使った問題です(ドヤ)」と言い張っている設問と比べると、その質は雲泥の差と言ってよいでしょう。はっきり言って、美しい問題です。初めてこの問題を見たときには、この設問を作った先生は歴史学とは何ぞやということを本当によくわかっていらっしゃるとうれしくなる始末でした。

 さて、散々ほめ倒した上で、どの辺がイイのかということを解説していきます。まず、文[]の内容を要約すると、「産業革命が起こって産業資本家が台頭したので、産業資本家たちは政治上の支配権を握った上、地主から経済上の実権も奪いましたよ。一方で労働者の生活水準は低下して貧困化しましたよ。」となります。設問はこの文[]の見解について「別の見解が成り立ちうることを、資料を用いて考えよ」というものでこの数十年長らく問題となってきている「生徒にアタマを使わせる」設問になっています。「解答は諸君自身が[]に賛成かどうかを問うものではない」っていう注意書きがまた、たまりません。「諸君」とか上から目線で言われても仕方ねぇかなって思えてきちゃいますね。

 []の見解は教科書等ではよく見られる説明で、実際にこのように解説され、理解している受験生も多いはずです。また、このような見方は歴史学的に見ても必ずしも間違っているものではありません。実際に、産業資本家たちは1832年の選挙法改正で選挙権を手にしますし、自由主義を掲げて貿易についての様々な既存の特権・障壁を撤廃し(東インド会社、穀物法、航海法など)、奴隷制を廃止します。また、産業革命の進展は労働問題、都市問題などを引き起こし、労働者の貧困や権利要求は19世紀を通して大きなテーマとなっていきます。

 にもかかわらず、本設問の資料の用い方、読み取り方次第ではまったく異なる見解を導きうるというところに、この問題の面白さがあります。また、さらに問題を解いた後で「どうして異なる見解が生じるのだろう」、「どちらの見解が正しいのだろう」と考えさせる余地があるところに本設問の本当の凄みがあります。歴史というのは知識を暗記する学問であり、「知る」学問だと勘違いしている人が多いのですが、実際には歴史学において「知る」というのはあくまで前提であり、知識を収集して「知り」、情報を集めて分析した上でそれらをもとに「考える、想像する」ところに歴史学の肝があります。本設問は、高校生にその入り口を垣間見させることができる貴重な設問だといえるでしょう。

 

では、どのように資料を読み取れば別の見解が成り立つのでしょうか。まず、表1を見てみましょう。こちらはイギリスの下院(庶民院)構成比を示しています。

表1 - コピー

[]の見解によれば、「産業資本家たちは政治上の支配権を握った」とされています。だとすれば、もっと多くの産業資本家(表中では「製造業者」などの層)が庶民院の議席を占めていなければなりません。にもかかわらず、産業資本家が議席を得た第一回選挙法改正(1832)の前後で、庶民院の構成比にはほとんど変化がありません。この表だけを見る限り、「産業資本家が政治的実権を握った」とはとても読み取れないように思えます。

 また、同じく[]の見解によれば、「(産業資本家たちは)穀物法撤廃により地主階級から経済上の実権を奪った。」ことになっていますが、これも表2を見ると否定されます。表2の注意書きでは*1の「上流階級」が主に貴族とジェントリから成り、*2の「中産階級(上層)」が製造業者、商人、銀行家(つまり、この階層が産業資本家層)から成るとされています。ところが、この表は1867年のものであるにもかかわらず、「上流階級」が所得のほとんどを占めていることが見て取れます。「上流階級」は家族数が全体の0.5%しかいないのに、国民所得の26.3%を占めています。「中産階級(上層)」が全体の1.5%の家族数で10.6%の所得ですので、仮に家族数を上流階層と同じ0.5%でそろえたと仮定した場合には10.6÷33.53の所得となり、家族一つあたりの経済規模は上流階層の7分の18分の1程度しかありません。ちなみに、同表をもとに家族1単位あたりの国民所得比をざっと算出すると以下のようになります。

国民所得比(再計算) - コピー

つまり、貴族やジェントリなどの地主階層(上流階層)は、産業資本家層の約78倍、それより下の一般市民に対しては50100倍以上の所得を得ていた計算になります。表21867年と示してあることから年間国民所得と思われます。現在の感覚に直すと、2022年現在の日本の平均所得がざっと400万程度とのことですから、少し低く見積もって中間階層(下層)の平均所得を仮に300万くらいだとすると、産業資本家層は20003000万、上流階層は15000万ほどが年収でしょうか。この状態で産業資本家が「経済上の実権を奪った。」というのは少し難しそうです。

 最後に、[]は「労働者の生活水準の低下」と「貧困化」を挙げています。たしかに、上の表を見る限り、労働者階級は上流階級や産業資本家層と比べると得ている所得は極めて低いです。また、表3を見ると一人あたりの国民所得は多少の増減はあるものの概ね20ポンド前半を行ったり来たりしていて大きな変化はありません。しかし、一方で物価指数は大きく下落しており、1800年の物価指数を100とした場合、1846年時点の物価指数は69しかなく、約50年の間に物価が半分近くに下がっていることが見て取れます。所得(給与)に変化がないのに物価が下がっているわけですから、1800年より1846年の方が暮らしやすくなっているはずです。

表3 - コピー

そのことを裏付けるように、表4では、名目賃金指数に変動はないものの、実質賃金指数は1800年から1850年にかけて、46.2から100へと倍増しています。つまり、所得額が一定のまま物価が半減したために、実質的に購買力が2倍になったことを示しているわけです。以上のデータから、労働者の生活水準の低下と貧困化を言うことは難しくなります。

 ですから、解答を組み立てるとすれば以下の内容をまとめることになります。

 

① 表1より、庶民院の議員構成比に、第1回選挙法改正の前後で変化がないため、資本家階級が政治上の実権を奪ったとはいえない。

② 表2より、国民所得の多くを少ない数の上流階級が得ており、かつ中産階級の1家族当たりの所得は上流階級のそれと比べてかなり少ないため、資本家階級が地主階級から経済上の利益を奪ったとはいえない。

③ 表3より、一人当たり国民所得に大きな増減はないが、物価の下落によって実質賃金指数は上昇しており、人々の購買力は徐々に上昇しているため、労働者の生活水準の低下と貧困化を表の中から読み取ることはできない。

→以上の分析から、[]の見解が正とは一概に言えない。

 

 とまぁ、こんな感じで史資料を読み解くことになるのではないかと思います。(もっとも、私が知っているのは問題だけで、模範解答は手元にないので合っているかどうかはわかりませんが。)

 ただ、この設問の良いところは、答えを出したところで終わらないところですね。これを材料にしてさらに新たな問いを設定することができるのです。つまり、「なぜ歴史の教科書で説明されているような[]の見解とは相反する内容が表1~表4には示されているのか。」です。見解[]が間違っているのでしょうか。それとも、表のデータが間違っているのでしょうか。いえ、おそらくはどちらも正しいのです。ここからは私個人が推測して読み取った内容で、別に文献や史料の裏付けがあってお話しているわけではないので、間違いがあるかもしれませんがそのつもりでお読みください。

 まず、表1のイギリス庶民院の構成比が変化していない件についてです。たとえばですが、議員の数に変化がないからと言って資本家階層の政治的影響力が増していないとは言い切れません。被選挙権を行使して立候補はしていなくても、投票行動によって政治的な圧力を加えていたかもしれません。また、研究によってこの時期のイギリスでは盛んに「ロビー活動」と呼ばれる議会への働きかけが非常に積極的になされていたことがわかっています。また、表中の「貴族」「ジェントリおよび貴族の縁故者」、「製造業者、商人、銀行家」の中身は、果たして1831年と1865年では同じなのでしょうか。あくまでもたとえばですが、非常に大きな経済力をつけた資本家階層が、(まぁ、そのクラスがいきなり大貴族と親戚関係になることはないでしょうが)逆に没落したジェントリおよび貴族の縁故者などに取り入って婿をもらう、嫁をもらうなどして社会的上昇を果たした場合、それは「ジェントリおよび貴族の縁故者」に分類されるのでしょうか、それとも「製造業者、商人、銀行家」として分類されるのでしょうか。また、産業革命後に到来したヴィクトリア朝期には、従来の価値観が変化し、それまでは必ずしも「立派な」職業とはみなされていなかった職業が「ジェントルマンらしい」職業として人々から受け取られるようになったことも知られています。(例えば軍人[将校]など) つまり、19世紀は変化の時代であって、それまでの時代よりも社会的流動性は高く、30年前に産業資本家として分類されていた人物が30年たった後もそのままの階層に分類されるかはわかりません。表1には、そのあたりの注意書き等はありませんので、一見すると変化がないように見えてもそれは数字上のことで、実態としてはかつての資本家階層が社会的上昇を遂げて政治的影響力を大きく増しているのかもしれません。つまり、本資料は読み取り方次第でどのようにも取れてしまう可能性があるのです。

 表2についても同じことが言えます。つまり、1867年時点での「産業資本家」と第1回選挙法改正前の「産業資本家」が同一の内容・実態を持った社会集団かどうかは分からないのです。また、仮にそれが同一のものであったとしても中産階級(上層)の家族数は上流階級(下層)のそれの3倍にのぼり、国民所得においても中産階級が上流階級の5分の2に及ぶものを得ているとなれば、その経済力は決して無視できるものではない、という見方もできるでしょう。こちらも、資料の読み取り方ひとつでガラッと社会の姿が変わることになります。また、表3や表4についても、たしかに物価は下がっていますがここで示されている国民所得は平均値です。もしかしたら労働者は平均値よりかなり離れた低い賃金で働いていたかもしれません(実際、表2の国民所得の階級別分布をみるとそのように見えます)。また、一人の稼ぐ賃金の額面に変化がなかったとしても、その稼ぎ手が多くの家族を養っていたとすればどうでしょう。19世紀のイギリスは人口増加の時代であり、かつその人口の大半が若年層であったことが知られています。一説によると、19世紀前半のイングランドでは4割から5割が15歳以下であったと言われています(Eric J. Evans, Britain Before the Reform Act: Politics and Society 1815-1832,Longman,1989)。だとすれば、特に労働者階層では多くの若年家族を抱えた労働者が増えない賃金のもとで生活をしていたとも読めるわけで、そうした場合、たとえ物価が下がっていたとしても住環境や食事などは劣悪な状態であったかもしれません。

 このように、慶應経済学部1994年の設問は、問題を解くだけでなく解いた後も、「一つの事実からこういう見方もできるんだ」とか「あるデータがあったとしてもその読み取りにはこういう読み方もできるんだ」ということを具体的に伝えることができる優秀な教材として活用することができるわけで、歴史学の入門としては非常に使い勝手の良いものとなっています。下手をすると院生ですら、史料の文言や得られたデータの表面にだけ拘泥してしまい、一方通行の見方しかできないこともある中で、こうした深みのある設問を作れるということからは、作問者の歴史学に対する深い理解をうかがい知ることができるように思います。慶應すげー。星三つですね。

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慶應大学の商学部では、本当に短い論述問題(15字~50字程度)がいくつか出題されます。慶應商学部の問題は昔から法学部や経済学部等と比べるとそれほど難しくないのですが、時折「え?それ聞くの?」という不思議なセンスの空所補充が出題されたりします。そういう、やや世界史から離れた分野からの出題は、普段から色々なことにアンテナをはっていないと、どんなに世界史の教科書を読んだところで解けないので深追いせず、過去問などを解いていて明らかに「世界史では出てきていないなー」という設問については、解ける人間は限られてくるので「うん、これは出題者のセンスがおかしいw」と責任転嫁して気にしないことにしましょうw そうした設問が説けなくても、他の基本的な設問を拾っていけば十分に合格点は取れます。

さて、そんなわけで、私の感覚としては、おそらく慶應商学部では「社会の基礎的な仕組みを理解したり、社会の動きを敏感に感じ取る素養を持っているか否かを問う問題も時々散らしたい」と考えているように感じます。そのせいか、論述の方でも世界史というよりはむしろ「政経」や「時事問題」に類する問題、一般教養や常識を問う問題などがたまーに出題されます。

以下は、2014年~2021年に慶應商学部で出題された論述問題のテーマ一覧です。以下の点に注意してご覧ください。

・対象は、いわゆる「論述問題(文章で答える問題)」が対象です。その他の記述問題や選択問題は考察の対象ではありません。
・人間なので、見逃し等があるかもしれません。多少雑な点があるかもしれませんが、大目に見てやってください。
・時代については、おおよその時代区分です。
・時代のまたがるものについては、またがる両方の時代について「1」としてカウントしています。
 (例:「16世紀~19世紀」→「16~17世紀」で1、「18世紀~19世紀」でも1)

2014-2021慶應商一覧 - コピー

また、以下は上記の一覧を時代別にグラフ化したものです。「その他」となっているのは一般教養や時事問題に属する設問です。
2014-2021慶應商論述円グラフ - コピー
こちらも、経済学部と同じく明らかに近現代史からの出題が多くなっています。

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こちらでは、慶応大学経済学部で出題されたテーマについて大まかな傾向を示したいと思います。一応、以下の点には注意してください。

・対象は、いわゆる「論述問題(文章で書かせる問題)」が対象です。その他の記述問題や選択問題は考察の対象ではありません。
・人間なので、見逃し等があるかもしれません。多少雑な点があるかもしれませんが、大目に見てやってください。
・字数は、慶応経済学部では厳密には「〇〇字」と指定されません。そのため、字数は例年公開される予備校の模範解答から、おおよその字数を出しています。
・時代については、おおよその時代区分です。
・時代のまたがるものについては、またがる両方の時代について「1」としてカウントしています。
 (例:「16世紀~20世紀」→「15~17世紀」で1、「18世紀~21世紀」でも1)

以下にお示しするのが慶応大学経済学部の論述問題テーマ、字数、ならびに出題テーマのおおよその時代区分を示したものです。


慶應経済論述一覧 - コピー

こちらをもとに、年度別にどの時代が出題されたかをまとめた表が次の表になります。こちらの表の「うち20世紀~21世紀」とあるのは、「18世紀~21世紀」のうち、特に20世紀以降の出題の数だけを算出したものです。おおよそ、「18世紀~21世紀」のうち半数、全出題の3分の1程度が20世紀以降の歴史から出題されていることが分かります。
2014-2021慶應経済論述表 - コピー

続いて、以下は上記の表のうち「うち20世紀~21世紀」の部分を除いて年度別にグラフ化したものです。やはり、黄色い部分(18世紀~21世紀)の割合が多いことが見て取れますが、注意しておきたいのは、ここ2年程(2020年・2021年)はグレーの部分(15世紀~17世紀の近世史)の割合が比較的大きくなっている点です。この傾向が今後も続くかは分かりませんが、従来の近現代史に加えて、近世史も少し厚めに勉強しておいた方が良いかもしれません。
2014-2021慶應経済論述棒グラフ - コピー

続いて、以下のグラフは2014年から2021年の全出題を「5世紀以前(古代)」、「5世紀~14世紀(中世」、「15世紀~17世紀(近世)」、「18世紀~21世紀(近代・現代)」の各時代別にまとめたものです。今後もこの出題傾向が続くかは保証の限りではありませんが、過去の出題については明らかに近世史・近代史・現代史、特に近現代史の出題が多いことが見て取れます。
2014-2021慶應経済論述早慶円グラフ - コピー


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慶応大学経済学部「世界史」2017年(解答とポイント)

 

 体調を崩してしまいまして更新が遅れてしまいましたが、慶応の経済学部の解答とポイントが用意できました。慶応経済は毎度のことながら解きごたえのある良い問題を作りますね…。ただ、今回はグラフや数表の読み取りよりも史料問題の方に秀逸な問題が多かったように思います。問題は各予備校からDLできると思いますので、そちらを参照して下さい。(慶応の問題概要を示すと、問題の比重が大きくなりすぎて、解き方や考え方を示すという趣旨から外れると判断しましたので割愛します。) 

 一度に表を載せると長くなりすぎますので、5題ずつ紹介します。(表の見方はこれまでと同じく、水色:基本問題、白:標準問題、ピンク:やや難、黄色:難しい、としていますが、これも完全に私の主観です)

 

(問1~問5)

 問1-5


・問2

 慶応の論述では与えられた解答欄に従って論述するというスタイルがとられています。ですから、問題を見ただけでは何字程度なのか判断ができませんが、予備校の解答を見る限りでは問2については100字程度かと思われます。

問2の論述は基本的なものでしたが、二つの点から注意が必要かと思います。

・通常、指定語一つにつき何か追加情報をつければそれは加点要素になることが多いのですが、この設問ではむしろ指定語同士が密接に関係しているので、単純に追加情報を足しただけでは加点されない可能性があります。(指定語は正統主義、1848革命、ナショナリズム、ナポレオン、ロシア)

・設問の設定がアバウトな上に、指定語だけ見ると1815年前後から1848年までがすっぽり抜けている印象がありますので、そこをどう処理するかが問題になると思います。

 

以上のことから私が最初にまとめるとすれば以下のような内容だと思います。

 

・ナポレオンによりヨーロッパ各地にフランス革命の自由・平等という理念が広まったこと

・ナポレオン支配の中で、各地にナショナリズムが高揚したこと

・ナポレオン没落後のウィーン体制では正統主義・勢力均衡といった原則が確認されたこと

・正統主義の内容=フランス革命以前の反動的な国際秩序に戻り、フランスではブルボン朝がルイ18世のもとで復活したこと。

・ウィーン体制成立後まもなく、各地でナショナリズム・自由主義に基づいた運動がたかまり、これを体制側が四国同盟を中心に抑圧したこと。

・上記の運動を積極的に弾圧したロシアがヨーロッパの憲兵と呼ばれたこと。

・一方で、イギリスの四国同盟からの離脱などにより、ウィーン体制にほころびが見られたこと。

・最終的には1848年革命によってフランスで共和政が成立し、オーストリアではメッテルニヒが亡命したことによってウィーン体制が崩壊したこと。

 

指定語を意識しながらさっとまとめた内容が以上のようになります。これらの内容を出してみた上で本設問を解くポイントだなと感じるのは以下の通りです。

①    基本は正統主義が覆されるまでの過程を描く。

:つまり、勢力均衡より、正統主義に焦点を当てた方がよさそうだということです。見方によっては勢力均衡が完全に崩れたクリミア戦争をもってウィーン体制の完全な終焉とする場合もあるにはあるのですが、指定後を見る限りではそうした視点は要求されていません。やはり、ウィーン体制で成立した反動的体制が自由主義・ナショナリズムの動きから覆ったという路線が本筋でしょう。ですから、1848年革命をウィーン体制の終焉とし、この扱いをナショナリズムと結びつけると字数的には処理がうまくいきます。

②    ロシアの使い方

:そうすると、ロシアの役割もウィーン体制の守り手としての役割がクローズアップされます。だとすれば、ロシアについては実質的な役割を果たさなかった神聖同盟について言及するよりも「ヨーロッパの憲兵」としてのロシアの方が重要度は上でしょう。

③    1820年代、1830年代をどう埋めるか

:ウィーン体制崩壊の「経緯」(設問通り)というわけですから、いきなり結果というよりも途中経過ある方が良いと思うのですが、結局このあたりはナショナリズム・自由主義の抑圧や、強国の出現防止などで埋めるしかないですね…。

 

解答例については、代ゼミのものしかまだ見ていませんがよくできていると思います。

 

(問6~問10) 


 問6-10


  

(問11~問15)


 問11-15


・問13

 この設問は難しいですね。カンボジアの歴史的展開をきちんと覚えている人は慶応経済の受験生でも少数派ではないでしょうか。しかも、その中でのシハヌークの立ち位置というのはかなり微妙(一時期ポル=ポトに担がれて実権のない国家元首にすえられたりしています)ですので、書くのはなかなか難しい。

 

ざっとあげるとすれば、

・米の支援を受けたロン=ノル政権によるシハヌーク追放

・赤色クメール(クメール=ルージュ)と結びついたシハヌークの反撃

・ロン=ノル政権の打倒と中国の支援を受けたポル=ポト政権の樹立、民主カンプチア建国

・ポル=ポトの極端な共産主義政策

・ベトナムの介入によるポル=ポト政権打倒とヘン=サムリン政権樹立

・中越戦争(1979

・反ベトナムでまとまった三派連合とヘン=サムリン政権との内戦(1980s

・パリ和平協定(1991

UNTACによる活動(1992

・カンボジア王国の成立とシハヌークの即位(1993

 

こうした流れでしょうか。この流れを150字でまとめるだけですから、作業としては問2よりも難しくないのですが、内容をひねり出すのが大変ですね。また、設問の「内戦の経緯」について書きなさいという指定も難しい。権力や新しく成立する国の変遷と、それらがどのような勢力と結びついていたかを示す必要があると思います。150字程度で書くにはなかなかハードルが高いですね。

 

(問16~問20)

問16-20

 

・問17(2)‐C

 この設問もエグイですね。天津条約中で開港されている10港すべてを覚えている人はそうはいないと思います。ただ、実は設問自体にかなりのヒントも含まれています。それは「(X)上流では」という史料中の言葉です。この言葉に従えば、(C)の港は川の上流ということになりますので、5678のほぼ4択ですw

 また、イギリスの勢力圏が長江流域であるということはそう難しい知識ではないと思いますので、これを合わせて長江上流の港ということになれば、58しかありません。ここまでくれば、天津条約で開港された港の中に「漢口」があったと思い出す人がそれなりの数はいるかもしれません。条約の内容を微に入り細を穿つように覚えているかどうかということではなく、視覚的な理解と、史料中から読み取れる情報を整理する総合力が要求される問題かと思います。

 

全体的には、テーマに多少偏りがあるものの、よく練られた良問だと思います。でも、相変わらず難しいですねw

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