ようやく筆をとることができました。年度末は何やかやで忙しいですね。

 

 さて、今年度の受験も終わりましたが、ふたを開けてみると今年の国立「世界史」問題は東大・一橋ともに従来の常識が一部において覆された出題がなされた年でした。以前から一橋の出題傾向には2014年頃を境に変化が見られ、従来型の出題傾向が必ずしもあてにはならないということをお伝えしてきましたが、今年の受験でそのことがよりはっきりとしたと思います。http://history-link-bottega.com/archives/5936916.html

 2014年以降の一橋の出題傾向については後ほど分析してUPしていきたいと思います。

 

 一方で、この傾向が来年度以降も続くという保証は全くありません。突然、かつての神聖ローマ大好き傾向に戻らないという保証はないわけです。ただ、昨年までよりも一橋の設問作成者が特定の傾向に縛られずに自由に問題を作成する確率が高まっていることは間違いありません。そうした意味で、一橋受験を考えている受験生は新しい対策の仕方を打ち出していく必要があるでしょう。

 

 その新しい対策等については後にUPする予定の分析に譲るとして、今回は2017年一橋世界史のどこが従来と違ったのか、またどのような箇所が設問を解くポイントであったかを解説してみたいと思います。

 

[全体講評]

 さて、まずは全体としての印象ですが、正直今年度は「ん?」という印象でした。これは、出題範囲がこれまでと違うというようなことではありません。そうではなく、「こんなんでいいの?」という印象です。ここ数年の一橋は上手にひねってある設問か、そうでなければ「いや、これはさすがにキツイでしょう」というくらいにニッチな箇所をついてくる設問が多かったのですが、今回の設問にはそうしたところがありませんでした。むしろ、出題範囲が従来の一橋の型から外れていることを除けば、王道型の設問が出題されており、一橋の「ひねり」を期待する側としてはむしろ拍子抜けしてしまった部分があります。特に、東大向けの勉強をしていた人や、一橋だけでなく東大を中心とした各国公立の設問に普段から慣れ親しんでいた受験生にとってはむしろ書きやすかった問題ではないでしょうか。

 こうした判断は大手予備校の方でも同じだったようで、全体としては昨年並、設問ごとの評価も「標準」とされているところが多かったようです。個人的にはⅠ「やや易」、Ⅱ「標準」、Ⅲ「やや難」という評価です。

 

 もっとも、従来型の一橋対策に固執してしまった受験生にとっては「解きにくい」と感じる設問だったかもしれません。そういう意味で、今年の受験は「史料・データの読解力をつけ」、「できるだけ広範囲に目を配る」という新しい一橋の出題の型を印象付けるものであったと感じます。いつの時代にも過渡期というものはあるもので、それに巻き込まれてしまうのは運・不運に関わるものですから、受験生にはどうすることもできません。ただ、間違いなく言えるのはそれでも受験する人間にとっての試験会場における条件は同じなのですね。ですから、同条件下で自分がどれだけのパフォーマンスを見せることができるかに勝負がかかっているということには変わりがありません。その手の受験をめぐる「アヤ」を挙げていけばキリがないわけで、こだわっても仕方ありません。ただ、今後一橋を受験する受験生はこれまで以上に広い範囲に目を配る必要性が出てきたことには疑いがないかともいます。

 

 全体としては面白みに欠けた今年の一橋世界史の設問でしたが、唯一大問3についてはなかなか秀逸でした。これについては後ほど各設問の解説でお話しますが、「11世紀から13世紀」という時代設定がなかなか渋いですよね。この時代設定の中に北宋から南宋そして元へという変化が深くかかわってくることになるわけですが、この変化に注目しながら限られた時間内でどれだけ泉州(ザイトン)に引き付けて論述を展開できるかがポイントとなる良問だと思います。駿台の方では「標準」、河合の方では「難」という評価がされていたようですが、このように評価が分かれるのも、この設問が一橋で出題されたからだと思います。もし東大で同じ設問が出ていれば「標準」クラスの問題だと思います。これは「東大受験者の方がレベルが高いから」ということではなく、単に相性の問題です。モンゴル帝国やユーラシアの一体化などのテーマが頻繁に出題されている東大受験者にとって、この時期の中国沿岸部の通商・国際関係は必須事項でしょう。ですが、これまで大問3では16世紀以前の歴史がほとんど出題されず、出題範囲もかなり限定的であった一橋向けの学習をしてきた受験生にとってみれば今回の設問はかなり解きにくかったはずです。個人的には、先ほど申し上げた「時代設定の秀逸さ」が要求する北宋~元にかけての変化を記述する部分で多くの受験生が失敗すると思いますので、中間をとってというのではないですが「やや難」くらいが妥当なのではないかと思います。時代設定や地域を少し変えるだけで論述は全く異なる様相を見せることを示した良い問題でした。

 

2017年 Ⅰ

■問題概要

 今回も史料[マルティン=デ=アスピルクエタ『徴利明解論』(1556年)]を紹介した上での設問でしたが、史料の指し示す内容は(表面上は)簡単で、いわゆる価格革命について述べています。アスピルクエタはスペインのサラマンカ学派に属する神学者・法学者で、出題にも出てきた『徴利明解論』において貨幣数量説を唱えたことで著名な人物です。それまでの中世スコラ学が商業・金融による利益を不道徳なものとして否定していたのに対し、サラマンカ学派は商業・金融の発展とスコラ学の調和を図った点で資本主義の源流をなすものともみられています。こうした知識も、たとえば『チェーザレ』10巻中で描かれるジョヴァンニ=デ=メディチ(後のレオ10世)の学位認定試験において、チェーザレとジョヴァンニが展開する「金銭を扱うことは正しいと言えるか?」という問いと合わせて知っていたりするととても面白いです。  

神と金銭の問題はヴェーバーの言うようにプロテスタンティズムの中においてのみ問題とされたわけではなく、カトリックの内部においても常に問題とされていたわけで、これは何も金銭に限ったことではなく、スコラ学は時として神と現実の関係と向き合わなくてはならなかったのですね。

 

 脱線してしまいましたが、設問の概要は以下の通りです。

・文章中で述べられている現象(価格革命)が、スペインの盛衰、および1617世紀のヨーロッパ経済に与えた影響について論ぜよ。(400字以内)

 

・「文章中に述べられている現象」として以下の①~④が示されている。(問題文の原文ママ)

  あらゆる商品の価格は、その必要性が非常に高く、かつ提供される量が少ない時には上昇する。

  貨幣もまた、それ自体で売買され、かつあらゆる契約取引の対象となる以上は一つの商品であり、したがってその価格は貨幣の需要が大きく供給が少なければ上昇する。

  貨幣が不足している国では、貨幣が豊富にある国よりもあらゆる商品や労働が安価に提供される。

  スペインでも、貨幣の量が少なかった時代には、インド[新大陸のこと]の発見によって国中に金銀があふれた時代よりはるかに安い値段で商品や労働が提供されていた。

 

■解答例

 16世紀の世界周航と新大陸征服を機にスペインは海洋帝国を形成した。ポトシやサカテカス産の大量の銀流入は、セビリアなどの大西洋岸都市の繁栄と地中海商業の相対的地位低下を招き、銀価下落はフッガー家没落を促した。西欧での物価急騰と貨幣経済浸透は西欧では封建領主層の没落を加速させたが、エルベ川以東の東欧ではグーツヘルシャフトにおける農奴支配が強化されて西欧への穀物輸出を担い、国際分業体制が成立した。ポルトガル併合により植民地利権を拡大して繁栄したスペインであったが、植民地資源に依存し国内産業育成を怠り、利益の多くをフランスやオスマン帝国との戦費や宮廷の奢侈に費やしたため慢性的な財政難に陥った。オランダ独立に際してのアントウェルペン荒廃やカルヴァン派商工業者の亡命は産業衰退に拍車をかけ、アルマダ海戦敗北により制海権を失うと、17世紀には商業発展で台頭した英・蘭との海洋覇権競争に敗れて衰退を決定的にした。(400字)

 

■採点基準と分析

 設問に示されている要求は以下の2点。

① 文章中の現象(価格革命)がスペインの盛衰に与えた影響について述べよ。

② 文章中の現象(価格革命)が1617世紀のヨーロッパ経済に与えた影響について述べよ。

 

 よって、以上の2点に対する答えを明確に示すために必要事項を整理する必要がありますが、これらは教科書などにも示されている基本事項です。ですから、まずは「A、16世紀~17世紀のスペインの盛衰について」と「B、同時期における価格革命とヨーロッパ経済について」知っていることをメモ書き程度でいいので列挙し、それを設問の要求に沿って取捨選択して様々な事象の関係性や変化を明示すれば、十分な解答を書くことができます。まずは以下にAとBについて教科書的な流れを列挙してみましょう。

 

(A、16世紀~17世紀のスペインの盛衰)

盛:新大陸の征服と植民地化

盛:新航路の開拓(インド航路、マゼランの世界周航)

盛:新大陸からの銀の流入(ポトシ・サカテカス銀山の開発、水銀アマルガム法の採用)

盛:セビリアなどの港の繁栄

盛:フィリピン支配の強化(レガスピがマニラ市を建設)

盛:アカプルコ貿易

盛:ポルトガル併合によるブラジル経営・アジア交易利権獲得

 

衰:戦費の拡大(イタリア戦争、オスマン帝国との抗争、オランダ独立戦争、アルマダ海戦、三十年戦争など

衰:宮廷における奢侈と慢性的財政難(フェリペ2世の破産宣告など)

衰:植民地資源や商業への過度な依存と国内産業の衰退(メスタ[牧羊業者団体]と毛織物業という国内産業から新大陸銀に依存する経済へ[重金主義]

衰:各地における分離・独立運動(オランダ、カタルーニャ反乱、ポルトガル)

衰:戦争の敗北(オランダの独立、アルマダ海戦敗北による制海権の喪失)

衰:アントウェルペンの荒廃

衰:宗教的迫害でムスリム・ユダヤを追放したことによる手工業・商業衰退

衰:重商主義諸国(イギリス・オランダ)との競争に敗北

 

(B、価格革命とヨーロッパ経済)

・大量の銀流入による物価の急騰

・固定地代収入に依存する封建領主層の没落を加速、貨幣経済の浸透(封建社会の崩壊)

・大西洋沿岸地域における商業の活性化(セビリア・リスボン・アントウェルペン→ロンドン・アムステルダム・リヴァプールなど)

・経済中心の移行による地中海商業の相対的地位低下、銀流入に伴う銀価の急落によるフッガー家の没落

・西欧の人口増加に伴う穀物不足と穀物価格高騰、東欧におけるグーツヘルシャフトの発展(国際分業体制の成立)

 

  もっとも、近年こうした銀流入説にのみ重点をおいた価格革命像には疑問が呈されてきたことについては、すでに「金融史補足」の中で述べておきました。http://history-link-bottega.com/archives/cat_226879.html そういう意味でも、今回の出題には「ん?」というところがあり、実は隠された意図があるのではないかと依然として疑っているのだが、それについては後述します。

 

いずれにせよ、上に挙げた中から、設問の要求に沿い、400字という字数の中でまとめるにあたって記すに値するという部分をまとめていけばよいと思います。銀流入による価格革命の影響という流れの中で書くとすれば、候補としては赤字の部分が特に重要な部分となるでしょう。また、設問はあくまでも価格革命がスペインの盛衰に与えた影響を問うているので、通常スペイン衰退の原因としてあげられる「オランダ独立」や「アルマダ海戦敗北」以上に「新大陸産銀への依存と国内産業の衰退」が重要な要素として掲げられるべきだと思います。

 

■補足

 さて、今回の設問についてはこれまで教科書的な価格革命の流れの中で解説してきましたが、実はここまで書いても「本当にそれでいいのか?」という疑問がつきまとっていますw。どういうことかというと、設問が掲げている「文章中の現象」というのが必ずしも価格革命それ自体を説明するものではないんですね。価格革命をそのまま示しているのは④、または③の部分であって、①や②は「価格革命という現象」の説明ではなく、その原因となる原理または現象についての説明です。つまり、貨幣数量説またはその土台となる需要・供給の関係を示しています。また、本文中では当時のフランスではスペインと比して物価が低いことにも言及しています。

 何が言いたいかというと、もしかして、出題者は何人かいる受験生の中にこれらの現象について「自分の頭で考えて」当時のヨーロッパ経済への影響について言及する人間がいることをおぼろげにではあっても期待しているんじゃないだろうか、と勘繰ってしまっているんですねw 「スペインとフランスとの間の価格差は何を生み出したのか」とか「商品的価値を持つ貴金属の増減と流通のもたらした影響は何か」とか。もちろん、行き着く先は教科書的な理解でいいんですけれど、その教科書的な理解は必ずしも学説として十分なものではないというのはすでに書いた通りでして、個々の現象から全く別の像や、これまでとは異なる視点が提示されてもいいと思うんですよ。そういうのをもしかして期待しているのかな、と思ってしまいました。

 ちなみに、この「補足」は完全に私がモヤモヤして言いたかったことを垂れ流しているだけの蛇足であって、本番でいい点を取ることだけを目的にするのであれば、まっっったく気にする必要はありませんw

 ただ、やはり金融史というのが意識されているのだろうか、ということはあらためて感じました。正直、それが一橋で今回のような形で出されたというのは意外でしたが。まぁもとは商科大学ですし、かつての設問には地中海・バルト海交易に関する設問もありましたから、そう無茶な設問ではない気がします。

 

2017年 Ⅱ

■問題概要

 設問は全部で3問。記述問題が1題、100字論述が1題、275字論述が1題と少し珍しい構成になっています。

 

・記述問題はトルデシリャス条約を答えさせるもので、基本問題。

100字論述は、19世紀南北アメリカ大陸の他の諸国における奴隷解放と比べて、ハイチとアメリカ合衆国の両国における奴隷解放が有していた特異性について述べよというもの。

275字論述は1810~20年代に発生したラテンアメリカの独立運動に関して、以下の①~④について答えよというもの。

 

  独立運動が始まった契機は何か。

  独立運動の担い手はどのような人々か。

  独立後にはどのような経済政策がとられたか。

  ブラジルの独立にはどのような特徴があったか。

 

近年の一橋の設問の特徴通り、本設問でも史資料が示されていますが、本文・表ともにそれほど大きな意味は持っていません。近年の問題があげた史資料に重要な意味を持たせていたのと比べると、今回の設問においてはあまり高度な知識整理は要求されていません。

 

■解答例

問1 トルデシリャス条約

問2

:ハイチではトゥサン=ルヴェルチュールが率いる黒人奴隷反乱で黒人共和国として独立して奴隷制が廃止され、合衆国では南北戦争中にリンカンが出した奴隷解放宣言と戦後の合衆国憲法修正により奴隷解放が実現された。(100字)

問3

:アメリカ独立やフランス革命の影響で自由・平等の理念が流入し本国人支配に対する不満が高まっていたラテンアメリカ地域は、ナポレオンのイベリア半島支配による本国混乱を契機に独立運動を開始し、多くの地域で共和国が成立し、奴隷解放がなされた。独立を主導したクリオーリョは、独立後も地主による寡頭支配を続け、土地改革と自作農創設は進まず鉱物資源や商品作物に依存するモノカルチャー経済が進行し、イギリス資本に対して経済的に従属した。ブラジルではポルトガル皇太子ペドロを皇帝とする君主制国家を樹立したが、プランテーション経営の要としての黒人奴隷制度は長く維持された。

 

■採点基準と分析

問1 15世紀末、スペイン・ポルトガル両国間の支配領域分界線であるからトルデシリャス条約(1494)1択。(「教皇子午線」は教皇アレクサンデル6世によるものだし、「サラゴサ条約」は16世紀前半)

 

問2 「他のラテンアメリカ諸国」、「ハイチ」、「アメリカ合衆国」における奴隷解放を丁寧に整理してやればそれで終わります。

一橋2017

 上の図にもあるように、他のラテンアメリカ諸国で奴隷解放がなされた背景は地域によって異なります。これは、例えばある地域におけるプランテーション・鉱山経営において労働力としての黒人奴隷にどの程度依存していたかとか、その土地を支配したクリオーリョが奴隷解放に対してどのようなスタンスをとっていたかなどについて、地域ごとに温度差があるんですね。奴隷解放が達成された年代をとってみても、チリ・アルゼンチン・コロンビア・ベネズエラ・パナマ・メキシコなどではおおむね1810年代から1820年代に奴隷解放がなされていますが、ペルーでは1851年に、ブラジルは本設問の資料中にもあるように1888年まで奴隷制は存続します。ブラジルで奴隷制が長く存続した背景には、ブラジルの砂糖生産がプランテーションにおける黒人奴隷の労働力に多くをよっていたためです。ですから、ラテンアメリカにおいて奴隷制が廃止された背景は様々なのであって、別にハイチと合衆国だけが特別っていうわけではないと思うんですよね…。少なくとも、本設問が前提としているように「他(のラテンアメリカ諸国)とは異なる」というように、他のラテンアメリカ諸国を同質のものとしてくくることはできないと思います。


 ですから、本来「比較」を行う場合にはハイチと合衆国だけではなくて「他のラテンアメリカ諸国」にも言及して「他のラテンアメリカ諸国が○○であったのに対してハイチは××、合衆国は△△であった」とするのが正しいと思うのですが、今回は「他のラテンアメリカ諸国の特徴を一言で表すことができないのでこのスタイルで回答することはできません。一番の解決策は、「他のラテンアメリカ諸国」には触れずに、駿台の解答がやっているように「ハイチは××、合衆国は△△であった」とすることだと思います。

 これに対して、代ゼミの解答は律儀にも「両者は戦争により解放が実現した。」とハイチ・合衆国の共通項を示そうとしましたが、これは逆に墓穴を掘ってしまっている感じがします。そもそも、先にあげたラテンアメリカ諸国における奴隷解放も、これら諸国の独立運動の中で実現されていくわけですが、この独立運動は言い換えれば本国に対する独立「戦争」です。ハイチの独立や合衆国の内戦を「戦争」と位置付けるのであれば、ラテンアメリカの独立運動も「戦争」と位置付けることは可能なのであって、「独立運動」や「奴隷解放運動」ととらえるか「戦争」ととらえるかというのは、はっきり言って主観の問題です。そもそも設問の前提に無理がありますので、無理に両者の共通項を探すよりは、駿台の解答がやったように単純にハイチと合衆国の状況を個別に説明してやる方がスマートではないかなと感じました。ただ、だから「代ゼミはいかん」とかそういうことを言うつもりはありません。大手予備校は私のように市井で半分趣味無責任に解答を作っている人間と違い、わずか1~2日程度で解答を作成・公開し、それについてそれなりの責任を負わなくてはならないわけで、それを考えたらこの程度のことは勇敢なチャレンジであると言っても良いと思います。ただまぁ、解答例の良し悪しはそういう事情とは別のところにありますので、個人的に見たときに「戦争により解放が実現した」という表現には「?」がついたというだけのことです。他の方が見たら他の評価もあるかもしれません。

 ちなみに、ラテンアメリカ奴隷制に関する論述問題は一橋においてはなじみのない設問ですが、実は近年奴隷制をテーマにした設問は増えており、つい最近の東京外語の問題でガッツリ出題されています。(これについては東京外国語大学過去問「世界史」2015年解説の方で紹介しておきました。http://history-link-bottega.com/archives/12221578.html) 個人的には、問題の質、史資料の扱い方ともに、こちらの設問の方がレベル高い感じがします。少なくとも、この問題に目を通しておけば、今回の問3において一つのポイントになっている「ブラジルが君主制国家として独立した」という部分や独立後のラテンアメリカ経済については十分な理解が得られていたのではないかなぁと思います。やはり、今後一橋受験を考えるのであれば、一橋の過去問だけではなく、広いテーマに視点を向けるために東大・京大、史資料読解に慣れるために外語など、あちこちの過去問演習に触れておく方が良い気がします。逆に、一橋の過去問については何十年前にもさかのぼるのではなく、時間がない場合には直近510年分程度に目を通しておくくらいでも良いのかもしれません。

 

問3 まずは、設問が要求する4つの要素について整理してみましょう。

 

  独立運動が始まった契機は何か。

:ラテンアメリカの独立に関して『詳説世界史研究』では「18世紀末のいわゆる大西洋革命によって、ラテンアメリカにも人間の自由と平等の観念が普及し、ナポレオンによるスペイン=ブルボン家の打倒を機会に自立化が促進され、そして本国の圧政に対する不満もあって1810年代から本格的に独立運動が展開された(2013年版、p.359)」とあります。ここにもあるように、独立運動の契機は以下の3点ほどにまとめてよいでしょう。

 

・アメリカ独立戦争やフランス革命によって自由・平等の理念が伝わったこと。

・ナポレオン支配により、本国スペインが混乱し、植民地の自立化が促進されたこと。

・本国人(ペニンスラール)支配に対するクリオーリョの不満

 

このうち、自由・平等の理念の拡大については、よりゆっくりとした変化ですから、ラテンアメリカ独立の直接的な「契機」としてはやはりナポレオンの大陸支配やスペイン混乱により表面化したクリオーリョの反抗について前面に押し出す方が良いかもしれません。

 

  独立運動の担い手はどのような人々か。

:ハイチについては先にも書いた通り黒人奴隷がその主体です(これはハイチ[フランス領サン=ドマング]の人口比において黒人奴隷がかなりの比率にのぼっていたことがその原因の一つです)が、181020年代にかけてのラテンアメリカ独立を担った主体は現地生まれの白人であるクリオーリョでした。この独立運動を指揮したのがシモン=ボリバルとサン=マルティンで、ボリバルはラテンアメリカの北部からベネズエラ・コロンビア・エクアドル・パナマ(1819年の段階ではこれらの地域は大コロンビアとして独立)・ボリビアなどを解放し、サン=マルティンはアルゼンチン・チリ・ペルーなどの諸地域を解放します。一方、メキシコについては神父イダルゴ(1811年処刑)やモレーロス(1815処刑)が主導した独立運動が実を結び、ブラジルについてはポルトガル皇太子ドン=ペドロを担いだクリオーリョたちによってブラジル帝国が成立しました。(ブラジル独立の詳細に関しては先に東京外語2015年解説[http://history-link-bottega.com/archives/cat_326509.html]の中で詳しく書いておきましたので、そちらをご参照ください)

 

  独立後にはどのような経済政策がとられたか。

:『詳説世界研究』には「独立戦争はクリオーリョ中心で遂行されたため、自作農創設のための土地革命は実施されず、地主による寡頭専制支配が続いた。経済的にはイギリス資本に従属し、資源や農産物に依存するモノカルチャー経済が進行したため、依然として不安定な状態が続いた。」(2013年版、pp.360-361)とあります。ほぼこのままで問題ないかと思いますが、ここから派生して中産階層の成長が見られなかったこと、工業化進展が遅れたこと、依存する製品の国際市場価格に経済が翻弄されるような経済構造の原型が作られたことなどに言及してもよいでしょう。いずれにしても、ラテンアメリカが構造的にウォーラーステイン的に言うところの「周辺」的な地位、経済的従属下におかれていたことは示しておきたいところです。

(世界システムについてはhttp://history-link-bottega.com/archives/6133897.htmlを参照)

 

  ブラジルの独立にはどのような特徴があったか。

何といっても君主制国家であるブラジル帝国が成立したというところは強調しておきたいところです。これについては何度かご紹介している先に書いたブラジル独立に関する詳細をご参照ください。また、ブラジルはラテンアメリカの中でも労働力としての黒人奴隷に対する依存度が高かった地域で、サトウキビプランテーションの労働力として黒人奴隷は欠くことのできない存在でした。そのため、ブラジルにおける奴隷制廃止は1888年と他のラテンアメリカ諸国と比較してもかなり遅くなっています。黒人奴隷労働に依拠したブラジルの砂糖は安価で、国際市場における強い競争力を有していました。すでに黒人奴隷制廃止を進めていたイギリスは、こうしたブラジルの奴隷制に対する干渉を試みたようで、このあたりのテーマが東京外語2015問題では史料を用いて出題されています。

 

 以上、4点まとめてみましたが、全て基本事項かなと思います。あえて言えばブラジルの独立についての知識が通常の受験生では持っていない部分なのかなと思いますが、少し広く詳しく勉強していた受験生であれば対応できないレベルではありません。いずれにしても、4つの要素のうちブラジルを除いた3つが書ければ及第点でしょう。逆に、3つの要素が書けなかった場合、それは「取りこぼし」になってしまうと思います。基本的事項は取りこぼしのないようにしっかりと整理しておく必要があるのは一橋に限らず受験における鉄則ですね。解答例では、設問全体の趣旨に照らして、ブラジルにおいて特に奴隷制が長く維持されたことを他のラテンアメリカ諸国と対比させるようなイメージで強調してみましたが、先にも書いた通り「他のラテンアメリカ」の状況も場所によってそれぞれですから、そこまで気にすることもないかもしれません。

 

2017年 Ⅲ

■問題概要

 史料(イブン=バトゥータ著、家島彦一訳注『大旅行記7』より引用、一部改変)を示した上で、以下の点について問うています。字数は例年通り400字です。

 

・ザイトンとも称されたザイトゥーンの都市名を漢字で答えよ。

・当該都市を取り巻く1113世紀の国際関係を論ぜよ。

 

(補足)

 ちなみに、史料自体はとくに大きなヒントになるようなものではありません。これについてもここ最近の一橋の設問と比べると工夫が不足している気がしますが、もしかすると、ここ数年出題された「史料を読解させる高度な設問」の要求に対して受験生が十分に対応できなかったことから「どうも厳しいらしいからレベルを落とそう」ということになったのかもしれません。ここ数年の史料読解問題は良問だと思うのですが、史料情報の整理と読み取り、類推は高度な総合力を必要としますので、いわゆる一問一答的な丸暗記では対応できません。ですから、あまりにも受験生が提出した解答の多くが出題者の要求を満たしておらず「あ、こりゃ無理だ」という判断から史料読解の要素を減らしたのだとすれば、本年の傾向は翌年以降も続く可能性があります。ですが、こればかりは翌年以降の設問をまた数年ばかり見てみないと判断ができません。大は小を兼ねると言いますし、レベルの高い解答を作る力をつけておいて損はないですから、史料読解の必要な設問にも対処できる練習を積んでおく方が無難だと思います。

 

■解答例

泉州。北宋期に北西部の西夏との対立でシルクロードによる内陸交易が困難になると、ムスリム商人やジャンク船を用いる中国商人が活躍する沿岸交易の重要性が増した。泉州には市舶司が置かれ、ムスリム居住区である蕃坊が設けられた。靖康の変で北宋が金に滅ぼされた後、高宗が江南に建てた南宋では、泉州は絹織物や景徳鎮を主要産地とする宋磁、銅銭などを輸出し、金銀、刀剣、高麗青磁や香辛料を輸入する南海貿易の拠点として都臨安と同様に繁栄した。この交易で高麗・日本・シュリーヴィジャヤ・李朝・チャンパーなど周辺諸国は中国を中心とする経済圏を形成した。金・南宋を滅ぼして南海諸国へも遠征したモンゴル帝国とそれに続く元の時代には、ジャムチの整備やフビライの大運河整備などにより、宋代には分断されていた陸路と海路が大都を中心に結合され、民間・朝貢双方の海上交易拠点となった泉州は世界規模の交通・商業ネットワークの中に組み込まれた。(400字)

 

■採点基準と分析

 中国を中心とした広域にわたる交通・商業ネットワークの形成や国際関係に関する出題は一般的には頻出の問題です。ただ、一橋ではこれまで明代以前について出題するものは極端に少なかったことから、一橋の過去問対策のみを進めていた受験生にとってはとっつきにくい内容だったと思います。(ちなみに明史以前の問題の出題は1516年ぶりのことです) ただ、テーマとしては頻出のもので、たとえば東大の2015年問題はモンゴル帝国や元を中心としたユーラシアの一体化をテーマとした出題がなされています。

http://history-link-bottega.com/archives/6653762.html

 

こうして見ると、「もしかして今年の一橋はここ数年の関東圏の国公立の出題を参考にして問題作ったんじゃあるまいな…」と思わせるくらいに、どこかで見たような出題がされている気がします。ですが、この大問3は設問のある部分によって萌え要素が強烈に高まっています。それは「11世紀~13世紀」という時代設定です。この時代設定によって、単なる一時代における国際関係ではなく、北宋以降、南宋、元にいたるまでの大きな変化を書く必要が生じるわけで、この一言が東大の2番煎じではない独特の有機的なダイナミズムを設問に与えています。この一点において、今年の大問3は大問1・2とはレベルが全く違います。こうした設問にきっちり答えを用意できるとすれば、それは「力のある」世界史解答者であるといってよいと思います。

 

 さて、それでは解答を作成するにあたってどのように進めれば良いかと言いますと、設問は①泉州を中心にまとめること(ザイトンは泉州のことです)②北宋~元(11世紀~13世紀)の変化を示すことを要求していると考えられますから、これらを意識することが最低限必要なことになります。ですが、「泉州の歴史」なんてものを理解している受験生は少ない(私だってそんなん知らんw)でしょうから、とっつきやすい北宋~元の国際関係とその変化をまとめるところから始めて、それらを整理した後に泉州と結びつけて論じていくという方法が一番現実的で効率が良いと思います。泉州という港がテーマになっていることから、「国際関係」の中に経済的要素が強く含まれていることは当然意識すべきだと思います。

 

(北宋)

・すでに唐代から進出していたムスリム商人(ダウ船使用)に加えて、中国商人(ジャンク船使用)が沿岸交易に乗り出す。

・泉州に市舶司が置かれ、ムスリム商人に対しては居住地として蕃坊が設けられた。

:宋代には、泉州の他にも、唐代に初めて市舶司が置かれた広州[714年、玄宗の時]をはじめとして臨安[杭州]、明州[明以降は寧波]、温州などにも市舶司が置かれた。市舶司の設置開始年は都市によって異なる。[例えば、明州についてはすでに唐代から設置されている] また、蕃坊についてもすでに唐代から存在し、市舶司の置かれた港などを中心に設置された。

・北方諸民族、特に西夏との対立から唐代には栄えていたシルクロードを経由した交易に支障が出始めたこと。

・宋磁(青磁・白磁)が景徳鎮(1004年以降)などを中心に生産され始めたこと。

 

(南宋)

・靖康の変による北宋の滅亡と金による華北支配。

・南宋の成立と都臨安をはじめとする港市の繁栄。

・上記2点を原因とする江南の発展と南海貿易の活発化。

:南海貿易では高麗・日本のほか、シュリーヴィジャヤ、チャンパー、李朝大越などの朝貢国と交易。ちなみに、後期チョーラ朝も数回宋に使節を送るなどの交流がある。

・華北を支配した金との和親策

・交易品として、絹織物・陶磁器・銅銭などの輸出、金・銀・刀剣・漆器、高麗青磁、象牙・香辛料などの輸入。文化的伝播としてイスラーム圏を介しての羅針盤の伝播。

 

(元)

・モンゴル帝国とそれに続く元により、金・南宋だけでなく周辺諸地域が滅ぼされたことでユーラシアの一体化が進んだこと。

・宋代までは分断されがちであった陸路と、南宋時代に発展してきた海上交易がモンゴルの支配とフビライの大運河により結合され、元の都大都を中心とした広域にわたる交通・商業ネットワークが形成されたこと。

・ムスリム商人の活躍により、インド洋・南シナ海の交易が発達し、杭州・明州・泉州・広州などの港市が繫栄したこと。

・マルコ=ポーロをはじめとしてヨーロッパ人との交流も見られるようになったこと。

:もっとも、ルブルックをはじめとしてヨーロッパ人の多くは陸路元へと向かい、マルコ=ポーロも陸路大都に着き、帰路は海路であったが泉州でなく杭州から出発しているので本設問で言及の必要はなし。

・イブン=バットゥータなどのムスリム旅行者の来訪

 

以上が北宋~元までのポイントになると思います。宋代の商工業繁栄については教科書的な流れからすれば穀倉地帯の成立や商業都市の形成が深くかかわってくるのですが、本設問が要求しているのは泉州を中心とした国際関係ですから省いて良いと思います。また、何といってもポイントなのは「宋代に発展した海上交易は北方異民族の存在によって内陸中央アジアとは十分に連結されていなかったのに対し、元代にはこれが一つとなって世界規模の広域交通・商業ネットワークとして発展した」という変化の部分を示せるかどうかでしょう。これまでにも「宋と北方異民族の関係」や「13世紀世界システム」などをテーマとして扱う論述はよく見かけましたが、11世紀~13世紀の変化を問うという設問はあまり目にしたことがありません。ちょっと時代設定や視点を変えるだけで現れる像が大きく変化するということを示した良問だと思います。また、要求される知識もそれほど難しいものは含まれていません。確かに、泉州を中心にということになると難しいと思いますが、多くの受験生は泉州に絡む知識を持ち合わせていません。ですから、重箱の隅をつついたように朝貢国は「北宋期は○○で、南宋期は××で…」といった区別をするとか、泉州で「いつ、何が起こった」というようなことを細々と書くのではなく、市舶司が置かれた交易港を代表する港、泉州が北宋~元代の国際関係の変化の中でどのような位置を占めたのかという大きな流れを示す方が良いと思います。「泉州」はあくまでも当時中国で市舶司が置かれた江南の港市を代表する存在としてとらえて論述を作成せよ、というのが出題者の意図ではないでしょうか。