今年度の早稲田の法学部論述も300字(250字以上)となりました。2016年の入試以降、3年連続で300字論述が出題されたことになりますので、この形式はほぼ定着したと言っても良いかと思います。

 また、今回の論述もかなり「東大くさい」出題となりました。いわゆるロシアの「南下政策」については、東大ではたびたび出題される頻出問題です。つい最近でも、2014年の「ロシアの対外政策とユーラシアの国際情勢」が記憶に新しいところかと思います。以前、早稲田の法学部の出題傾向でもお話ししましたが、東大の問題をマイナーチェンジしたような出題がされることが多いので、東大の過去問(特に大論述)に目を通しておくことはわりと役に立つ気がします。また、2017年の問題解説で「今回はイギリスを中心に複数の要素を抱えるテーマについて説明するという形のものでしたが、場合によってはむしろ地理的に広い範囲のもの同士の関係を問う(いわゆるグローバルな展開の)設問が出題される可能性もあると思います」とお話ししていましたが、今回の設問はまさにその通りの形になりました。同じ「南下政策」でもバルカン方面に視点を集中させるのではなく、東アジア方面に目を向けろ、と言うことですね。ただ、それ以外の部分では特に大きな注意点はないかと思います。ロシアの南下政策の基本をおさえた上で、東アジア方面でのポイントを示せれば良いわけですね。「東アジア」ですので、字数的にも2014年の東大で要求されていた「中央アジア」の部分については(原則)示す必要がありません。ロシアの「南下政策」のような言葉は使われる文脈によって何を意味するかが変わってくるので、注意が必要です。

難度で言えば昨年の問題の方が難しかったかと思います。

 

 ちなみに、「東アジア」というのはユーラシア大陸の東部にあたるモンゴル高原、中国大陸、朝鮮半島、台湾などの「極東」と呼ばれる地域とほぼ同義です。私が世界史で説明するときにはおおまかに「東アジア=日中韓」で説明します。地理的には以下の地域です。


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Wikipedia「東アジア」より)

 

 もっとも、地理的な概念も同じく幅や揺れのあるものですから、使われる文脈によっては変化します。例えば、外務省のHPでは東アジアとして以下の地図が示されていたりします。これはつまり、日中韓を含む極東地域を「北東アジア」、その南にあるインドシナ半島やマレー半島、フィリピン、スマトラ、ジャワなどを含む地域を「東南アジア」として全体を「東アジア」としてとらえているということです。

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(外務省HPより)

 

 もっとも、世界史で東アジアをこうした形で認識することはまれですので、みなさんは「東アジア≒日中韓(+台湾・モンゴル)」で理解してもらってそれほど差し支えありません。いずれにしても、論述を解く際には「設問の要求にこたえる」ことが最優先になりますので、個々の言葉・用語がどういう意味をもっているかをとらえるということはとても重要です。時代だけでなく、「東アジア」、「中央アジア」、「南アジア」などの地理概念が世界史ではどのような意味で使われているかということには普段から注意を向けておく必要があると思います。

 

早稲田大学法学部世界史2018年論述問題

(問題概要・解説とポイント)

 

【問題概要】

・時期は18世紀から19世紀末(17011900

・同時期のロシアの「南下政策」の経緯を示せ

・同じく、ロシアの「東アジア進出」について示せ

・指定語句を全て用いよ(クリミア戦争/サン=ステファノ条約/ベルリン条約/北京条約)

・指定字数は250字から300

・指定語句には下線を付せ。句読点、数字は1字に数える。

 

問題の全文は早稲田大学の入学センターのHPにもありますし、各予備校が公開していますので、そちらも参照してください。

 

【解答手順1:設問内容の確認】

 設問の要求

:設問の要求は明快です。ただし、時期には注意した方が良いでしょう。問題文を正確におこすと、<18世紀から19世紀末までの時期におけるロシアの「南下政策」の経緯と「東アジア進出」について>説明せよとなっています。ですので、よく出てくる19世紀のロシアの「東方問題」だけではなく、18世紀の進出についても言及しなくてはならない点はきちんとおさえておきましょう。

 

【解答手順2:南下政策の経緯をまとめる】

 ロシアの南下政策については、大枠をしっかりとらえておくことが良いかと思います。18世紀以降ということになると、その大枠は以下の通りです。

 

① 18世紀

 エカチェリーナ2世のときにクリミア半島に進出(キュチュク=カイナルジャ条約)

② 19世紀

  不凍港と地中海への出口を求めて、

  A:ウンキャル=スケレッシ条約でボスフォラス海峡・ダーダネルス海峡の独占通行権を得た、かと思いきや

  B:その後のロンドン会議、クリミア戦争後のパリ条約で挫折し、

  C:露土戦争後のベルリン会議で再度挫折した

 

ものすごく単純化すると以上のようになります。ロシアの南下政策と東方問題の詳細については「2014年東大の問題解説」と、「あると便利なテーマ史⑦(東方問題とロシアの南下政策)」に述べてありますので、こちらをご参照ください。

 

ちなみに、地理的な情報としてクリミア半島を示しておきます。


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  赤い丸で囲まれた部分がクリミア半島です。青い丸で囲まれている部分は問題の中で言及されていたアゾフ海になります。また、オレンジ色で囲んだ部分にあるのがボスフォラス海峡、緑色で囲んだ部分がダーダネルス海峡になります。ギリシア独立戦争でロシア・トルコが締結したアドリアノープル条約や、同じくロシア・トルコが締結した相互援助条約であるウンキャル=スケレッシ条約などで通行に関する諸権利を得た部分です。見ての通り、黒海からエーゲ海(地中海方面)に抜けるための超重要な海峡です。

 

【解答手順3:ロシアの東アジア進出についてまとめる】

続いて、ロシアの「東アジア進出」についてまとめます。厳密にいえば、ロシアの東方への進出はすでに17世紀のピョートル1世の頃(ネルチンスク条約)から始まっています。18世紀には、1727年のキャフタ条約やベーリングのカムチャッカ・オホーツク探検などもありますが、字数や設問の意図を考えても、本設問では省いてしまって良いと思います。

「東アジア進出」の中心になるのは指示語にも見られる「北京条約」と「旅順」でしょう。ここでいう北京条約は1860年にロシアがアロー戦争の仲介を行ったことで清との間に締結した露清間での北京条約のことです。また、「旅順」については日清戦争後の三国干渉と、その後のロシアによる租借を思い浮かべればよいかと思います。ですから、この設問での「東アジア進出」は、教科書や参考書でよく出てくる(露清)北京条約締結にいたるまでのロシアの動きと、日清戦争後のロシアの南下についてまとめれば十分、ということになります。

 

<露清北京条約締結までの流れ>

1847 ムラヴィヨフの東シベリア総督就任

1858 アイグン条約:アロー戦争(1856-1860)に乗じて結ぶ

 ‐アムール川(黒竜江)以北をロシア領に

 ‐沿海州が清とロシアの共同管理に

1860 (露清)北京条約:アロー戦争の講和を調停した見返り

 ‐沿海州がロシア領に→ウラジヴォストークの建設開始

 

<三国干渉とロシアの南下>

 1895 三国干渉:ロシア・フランス・ドイツの圧力により日本が遼東半島を清に返還

    乙未事変:ロシアを背景に権力奪回を図ろうとした閔妃を日本が暗殺

 1896 東清鉄道の敷設権獲得→露仏同盟以降建設が進められていたシベリア鉄道と連結

 1898 遼東半島の旅順・大連を租借

 

 それぞれ、地理情報を掲載しておきます。まず、したの赤丸で囲まれた部分が沿海州です。現在はロシア領となっています。「海沿いの州」なので、ある意味わかりやすいネーミングです。ちなみに、この沿海州の西の境にはウスリー川(ウスリー江)が流れていて、現在の中国とロシアの国境となっています。1969年に発生した中ソ国境紛争の舞台となったダマンスキー島(珍宝島)はこのウスリー江の中州です。

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(沿海州)

 また、下の地図はロシアが敷設権を獲得した東清鉄道の本線と支線を簡略化した図です。青い色の支線のうち、長春‐旅順間は日露戦争後のポーツマス条約で日本へと譲渡され、これが南満州鉄道(満鉄)になります。

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(東清鉄道)

 
ロシアは17世紀末から日本にも進出しています。日本も「東アジア」ですから、もし字数に余裕があったり、上記の内容が思い出せないようでしたら、以下のことに言及するのも手ではあります。ただ、指示語からうかがえる設問の意図は明らかに上に書いた「北京条約」や「三国干渉」だと思われますので、下に挙げたものは何も書けないときの緊急避難的なものだと思ってください。

 

<日本周辺へのロシアの進出>

1792 ラクスマンの根室来航と大黒屋光太夫の帰国

1804 レザノフの長崎来航

1855 日露和親条約

1875 樺太千島交換条約  など

 

【解答例】

 18世紀にトルコに勝利したエカチェリーナ2世は、キュチュク=カイナルジャ条約でクリミア半島を奪った。19世紀には、ギリシア独立戦争やエジプト・トルコ戦争に介入し、ボスフォラス・ダーダネルス海峡を通る地中海への出口を確保したが、ロンドン会議やクリミア戦争の敗北で妨げられた。その後、露土戦争に勝利しサン=ステファノ条約で再度南下を図ったが、列強とのベルリン条約で挫折した。東アジアでは、アロー戦争に乗じた北京条約で沿海州を獲得し、ウラジヴォストーク建設に着手した。日本の開国後、樺太にも進出し、三国干渉の見返りとして旅順・大連を租借し、東清鉄道の敷設権を得て、露仏同盟後に建設したシベリア鉄道と連結させた。(300字)