世界史リンク工房:コーヒーを飲みながら歴史を語れ

大学受験向け世界史情報ブログ。 受験のティータイム・コーヒーブレイクに目を通して、一味違う歴史的視点を我が物に!

カテゴリ: 上智大学TEAP対策

(本記事は最初の記事を急ぎで作りましたので、2019.10.17に加筆修正しました。)
 
 2019年のテーマは、第一次世界大戦後のヨーロッパの覇権の「揺らぎ」と「立て直し」がテーマです。すでに上智TEAPの傾向については別稿において述べていますので割愛しますが、上智の問題は「比較」や「対比」に加え、ある一つのテーマから複数(基本的には二つ)の見方、立場が見出せるものをリード文で紹介し、それを世界史の知識をベースに読解した上で整理せよ、というタイプの設問が多いように思います。今年度の問題は、過去5年の問題と比べると比較的解答が作りやすかった問題ではないかと思います。ただ、この「立て直し」の部分は難しいですね。とりあえず、解いてみたのでご紹介します。問題は赤本なり予備校なりから手に入れていただければと思います。

 まずは、今年度の小問の方から簡単に解説していきます。

 

設問1 a

第一次世界大戦直後のインドにおける反英運動となれば「a:アムリットサール事件」。インドでは、戦中よりイギリスから自治の約束が交わされていた(インド担当相モンタギューによる:1917)が、戦後制定された1919年のインド統治法では形式的な自治を与えるにとどめ、さらにこの法律と合わせてローラット法(令状なしの逮捕、裁判なしの投獄を定めた)を制定。これに対する反対運動が高まる中、民衆に対しイギリス軍が発表した事件がアムリットサ(-)ル事件。

 

他の選択肢ですが、ガンディーによる塩の行進は1930年から、国民会議派のカルカッタ大会で四大綱領(スワラージ、スワデーシ、ボイコット[英貨排斥]、民族教育)が決議されるのは1906年、シパーヒーの反乱(インド大反乱)は18571859にかけてです。

 

設問2 d

誤っている部分は以下の通り。

a-「×ニコライ2世はケレンスキーを首相に登用して」

 :ニコライ2世は1917年の革命で退位します。ケレンスキーは臨時政府の首班になるが、最初に臨時政府を率いたのはリヴォフ公(立憲民主党[カデット])。ちなみに、1905年のロシア第一革命で首相となるのはポーツマス条約のロシア側代表でもあったウィッテ。

b-「×自由主義者のウィッテと対立した」

:ウィッテは1915年に亡くなっていますので、レーニンの四月テーゼの時期にこれを批判することはできません。また、教科書などでもウィッテが最後に出てくるのはドゥーマの開設と首相就任まで。

c-「×1917年…レーニンは…血の日曜日事件を起こした」

 :血の日曜日事件は1905年の事件で、きっかけをつくったのはロシア正教の僧侶であったガポン。

 

設問3 b

 パリ講和会議に出席したのは立ち姿がくまモンっぽいクレマンソーです。

 クレマンソー

 

その他の選択肢ですが

a-マクマホン

:世界史に出てくる人物となると、ティエールの後の大統領(マクマオン)か、フサイン=マクマホン協定を結んだイギリスの高等弁務官。

c-ブリアン

:ケロッグ=ブリアン条約(パリ不戦条約)締結など、1920年代後半の国際協調に尽力したフランスの外務大臣。

d-ダラディエ

:ミュンヘン会談に参加したフランス首相。

 

設問4 c

:第一次世界大戦前のズデーテン地方はベーメン(チェコ)なのでオーストリア=ハンガリー帝国の一部。

 

設問5 d

:セーヴル条約はオスマン帝国のスルタン政府が締結した講和条約であるが、トルコ領土の大部分が失われる内容であったことから、ムスタファ=ケマル率いるアンカラ政府はこの条約の締結を拒否した。また、イズミルの奪還は19191922のギリシア・トルコ戦争において。

 

以上が小問です。普段から世界史をしっかりやっていないと解けない問題ですが、かといってものすごく難解でどうあがいても解けない、というレベルの問題でもありません。

 

設問6(論述問題:120字程度)

■設問概要

・中東欧に西欧の国民国家体制を適用する試みの問題点はどこにあるか。

・ハンナ=アーレントの引用文を踏まえて答えよ。

 

(ヒント1:アーレントの引用前の解説文)

・(中東欧諸国の独立は)いかなる国家によっても代表されず、保護されない少数民族や無国籍者の存在を浮かび上がらせた。

 

(ヒント2:アーレントの引用文)

・西欧の国民国家体制は全ヨーロッパには拡大できない。

・(国民国家において)「主権はどこでも他の民族の裏切られた願いに対立する形で貫徹されたため、主権を得た民族は最初から圧制者の役割を演ずる」ことになった。

・被抑圧民族=民族自決権と完全な主権なしに自由はあり得ないと確信

      =民族的熱望をないがしろにされ、人権をだまし取られたと感じた。

      =フランス革命を支えとした

      (フランス革命が国民主権と人権の享受を等置することにより築かれた)

 

■分析と解法

:設問のテーマ自体は古くからあるものです。第一次世界大戦後の民族自決に基づく東欧諸国の独立が少数民族問題を生み出すという問題点を持っていた、というものですね。これについて、東京書籍の『世界史B』では「しかし、もともと多数の民族が混在していた東欧では、一民族一国家を理念とする国民国家の形成は、事態をいっそう複雑にするものであった。敗戦国ハンガリーは領土の71%を失い、多数のハンガリー人が周辺のルーマニアやチェコスロヴァキアなどに少数民族として取り残された。独立を達成したチェコスロヴァキアには、ドイツ人が多数住むズデーテン地方がとりこまれた。また、セルビア人、クロアティア人、スロヴェニア人は、1918年、南スラヴ人としてまとまってオーストリアから独立したが、内紛が絶えず、29年には国王独裁のユーゴスラヴィア王国となった。」(pp.3565-356)とあります。つまり、西欧式の「一民族一国家」の理念に基づいた「国民国家」を形成すると、多くの民族が混在する東欧ではその枠組みの中におさまならい少数派が必ず生まれてしまうわけです。(もっとも、こうした問題は西欧においても見られることではありました。)基本的にはこのことを指摘すれば十分だと思います。

■解答例

 多くの民族が住む東欧に、一民族一国家の理念に基づく西欧型の国民国家体制が適用したことで、新興国家が少数民族を抱えて複雑な民族構成を持つことになっただけでなく、国外にも多数の自民族を残したため、民族運動の激化や各国間の対立を招く火種を残したから。(122字)

 より本文に即した形で解答をつくるのであれば、以下のような形でしょうか。
■解答例2
 新たに中東欧に成立した国家にはヴェルサイユ条約によって主権が与えられない少数民族や無国籍者が多数混在したため、構造的に主権を持つ民族が少数派の抑圧者となり、少数派は自決権や人権を侵害されたと感じたために、一つの国民としての統合が困難だったから。(122字)

 

設問7(350字)

■設問概要

・第一次大戦後の世界においてヨーロッパの覇権はどのような形で揺らいだか。 

・また、それはどのような形で立て直されたか。

・波線部に留意せよ。(リード文内に多数)

・指示語は

 ワシントン体制 / 旧オスマン帝国 / サイクス・ピコ協定 / 委任統治 / 植民地

 

手順1:指示語の分析

  やや指示語自体に偏りがあるように感じますが、それぞれの指示語が「揺らぎ」と「立て直し」とどのように関係するかを検討してみましょう。 

 

・ワシントン体制=揺らぎと立て直し  

    ‐ワシントン体制自体は「アメリカ主導」の東アジア・太平洋における国際秩序ですから、それまでのヨーロッパ主導から見ると「揺らぎ」の要素を備えています。このことは、九か国条約がアメリカがかつて発した「門戸開放宣言」の具体化であり、アメリカの対中進出の足掛かりになるものであることを考えてもわかります。

    ‐一方で、ワシントン体制はアメリカとイギリスの協調の結果であり、四か国条約に見られるように太平洋の現状維持などが確認されたため、ヨーロッパの勢力を極端に後退させるものではなかったということもできます。

    →以上から、ワシントン体制はヨーロッパの覇権をアメリカという新興国が揺るがせつつも、そのアメリカとの協調という形で保ったものであるということができます。

 

・旧オスマン帝国、サイクス・ピコ協定、委任統治=立て直し

    ‐これら三つの指示語が指し示しているところは、西アジア地域です。旧オスマン帝国領のうち、バルカン半島方面は第一次大戦以前にほぼオスマン帝国の支配下を脱しています(ギリシアの独立、セルビア、ルーマニア、モンテネグロの独立やブルガリアの自治と独立、アルバニアの反乱など)から、ここで言及すべきはイラク、シリア、パレスティナなど、サイクス=ピコ協定で分割の対象となった地域と考えていいでしょう。これらの地域の多くは第一次世界大戦後に委任統治領として実質英仏の支配下に入るので、これについてはヨーロッパの勢力拡大(立て直し)ととらえてよいと思います。

 

・植民地=揺らぎと立て直し

   ‐これらの地域については、平和に関する布告やウィルソンの十四ヵ条に示された「民族自 決」に刺激された民族運動や独立運動が激化するため、ヨーロッパ(特に英仏)による植民地支配は脅かされ、「揺らぐ」ことになりました。

   ‐一方で、パリ講和会議の結果、民族自決の適用はアジア・アフリカ植民地にはされないことが確認され、さらに英仏は、妥協と弾圧によってその後も植民地の支配を維持しえたわけですから、こうした政策をもって「立て直し」としての要素ととらえることも可能です。

■手順2:波線部の確認

「平和に関する布告」の一部として

(問題中の引用は歴史学研究会編『世界史史料10』岩波書店)

  ・公正な、または民主的な講和は、戦争で疲れ果て苦しみぬいているすべての交戦諸国の労働者階級と勤労者階級の圧倒的多数が待ち望んでいたもの

  ・政府がこのような講和とみなしているのは、無併合(すなわち、他国の土地を略奪することも他の諸国民を強制的に統合することもない)、無賠償の即時の講和である。

  ・政府が併合または他国の土地の略奪と理解しているのは、…弱小民族が同意または希望を正確に、明白に、自由意思で表明していないのに、強大な国家が弱小民族を統合することである。

  ・その民族がヨーロッパに住んでいるか、遠い海外諸国に住んでいるかにも関わりない。

リード文の一部として

  ・…ヴェルサイユ体制は、民族自決と国際協調を原則としながらも、敗戦国ドイツに敵対的で、共産主義国となったソ連を排除し、また世界一の経済大国となったアメリカを欠くなど、さまざまな矛盾を抱えていた。

  ・…民族自決の原理は、旧オスマン帝国が統治していた地域には適用されなかった。

 

■手順3:本文全体の構成

 ・ポール=ヴァレリーの『精神の危機』の引用を通して、第一次世界大戦後のヨーロッパ覇権の揺らぎについて述べています。

 ・続いて、ウィルソンの「十四ヵ条の平和原則」がロシア革命時の「平和に関する布告」を踏まえたものであることを示しつつ、両史料を民族自決に関する部分を中心に紹介。

 ・「平和に関する布告」については上記波線部に大部分が示されています。

 ・「十四ヵ条の平和原則」については普遍的かつ理想主義的な第5条とハプスブルク支配下にあった諸民族の処理について述べた第10条の二つを引用した上で、ヴェルサイユ体制が敗戦国に敵対的で、共産主義国ソ連を排除し、世界一の経済大国アメリカを欠いたために民族自決と国際協調を十分に達成できなかったとします。

 (十四ヵ条の平和原則:問題中の引用は歴史学研究会編『世界史史料10』岩波書店)

  五、すべての植民地に対する要求は、自由かつ偏見なしに、そして厳格な公正さをもって調整されねばならない。主権をめぐるあらゆる問題を決定する際には、対象となる人民の利害が、主権の決定をうけることになる政府の公正な要求と平等の重みをもつという原則を厳格に守らねばならない。

  一〇、われわれは、オーストリア=ハンガリーの人々が民族としての地位を保護され保障されることを望んでいる。彼らには自治的発展のため、最大限の自由な機会を与えられるべきである。

 ・続いて、第一次世界大戦中または戦後にロシア帝国、ハプスブルク帝国、オスマン帝国の3つ、さらにこれにドイツ帝国を加えて4つの帝国が終焉を迎えたことを述べ、これらのうちハプスブルク帝国とオスマン帝国は解体され、さらにこれらのうち民族自決が適用されたハプスブルク帝国は新たな問題と課題に直面することになったことをハンナ=アーレントの『全体主義の起源』を引用しながら指摘します。(アーレントの議論の概要は設問6の解説中で紹介)

 ・民族自決の原理は旧オスマン帝国支配地、アジア・アフリカの旧ドイツ植民地、英仏の植民地に適用されなかったことを指摘。

 ・本文の最後で、第一次世界大戦後のヨーロッパが「アジア大陸の小さな岬の一つ」となってしまったか「巨大な体躯の頭脳」の地位にとどまり得たかは、排他的な二者択一ではなく、両義的なものであり、その両義的性格を押さえることが重要と述べます。

■手順4:重要点の確認

・設問の要求が一次大戦後のヨーロッパの覇権の「揺らぎと立て直し」であること。
・本文最後にヨーロッパ覇権が揺らいだか、維持されたかは「両義的なものである」との指摘があることを確認。この部分が最重要。
リード文に依拠する部分は設問6と比較すると少ないと思います。リード文をそのまま読み取るのではなく、参考程度にして、「揺らぎ」とは何か、「立て直し」とは何かを考察することが大切であることを見抜く必要があるでしょう。

 

■手順5:第一次世界大戦後の「ヨーロッパの覇権の揺らぎ」とは何か
・大前提として、「ヨーロッパ」は敗戦国も含むヨーロッパであることを理解する必要あり。
・「ヨーロッパ」は第一次世界大戦によって大きく疲弊した。

    ‐敗戦国のドイツ、オーストリア…多くの領土や植民地を失う

    ‐戦勝国のイギリス、フランス…大戦中の国土荒廃、負債の増加(多くは対アメリカ)

 

 さらに、本文中波線部「敗戦国ドイツに敵対的で、共産主義国となったソ連を排除し、また世界一の経済大国となったアメリカを欠くなど、さまざまな矛盾を抱えていた。」の部分を参考にするだけでも以下の内容が見出せます。

 ・ヨーロッパにおける対立の残存と民族問題

  ‐英仏の対独強硬姿勢

  ‐旧ハプスブルク領の独立国における少数民族問題

 ・共産主義国ソ連の台頭と共産主義の脅威

  ‐対ソ干渉戦争の失敗

・アメリカの台頭(世界最大の債権国に、世界の半分に及ぶ金保有量)

  ‐ウォール街が金融の中心地に

  ‐イギリスが「世界の銀行」の地位を手放す

 ・国際秩序構築に対するアメリカの発言力増大

 (欧州のヴェルサイユ体制に対し、米主導のアジア・太平洋地域秩序であるワシントン体制)

 
 また、第一次世界大戦後のヨーロッパの覇権の揺らぎということから、各植民地、特にアジア各地での民族運動や独立運動の高揚があげられます。具体的には以下の通り。

・エジプト:ワフド党の活動・アフガニスタン:独立(1919
・インド:ローラット法への反発からのアムリットサル事件、サティヤーグラハ(第1次)
・ビルマ:タキン党の結成(1930)とアウン=サン
・インドシナ:ホー=チ=ミンの活動(ベトナム青年革命同志会1925、インドシナ共産党1930
・インドネシア:インドネシア共産党結成(1920)、スカルノとインドネシア国民党結成(1927
・韓国:三・一独立運動
・中国:五・四運動

 

かといって、これらを全て書く必要はないでしょう。

さらに、上記の現象が発生した原因には以下のようなことがありました。

[ヨーロッパの覇権動揺の原因]

・第一次世界大戦によるヨーロッパの分断と疲弊

 (戦争による国土荒廃、イギリスの経済封鎖による中立国オランダ・北欧諸国の通商制限)

・イギリスをはじめとする連合国の債務問題と債権国化したアメリカ

 (1924年段階で総額約210億ドル、うち100億ドルが対米債務)

・共産主義国家ソヴィエトの成立と社会主義運動の興隆

 (フランスは対ロシア投資が回収できず、国外資産の半分が消失)

・戦後経済の対米依存

・民族自決の理念に対する期待

・戦時における戦争協力と見返りとしての自治要求

・アジアにおける知識人層、民族資本家の成長と、民族運動の大衆化

 

 ■手順6:ヨーロッパの覇権の立て直しとは何か

 覇権の立て直しということは、手順5で示したようなヨーロッパにとって不利な状況を覆すまたは改善し対処するための様々な方策について考えればよいわけです。すると、単純に以下のような構図が浮かび上がります。

 

・ヨーロッパにおける争いと疲弊
 →国際協調路線への転換と軍縮推進による歳出圧縮
  速やかな平時体制への移行と経済の緩やかな回復
・対ソ連
 →早い段階では対ソ干渉戦争
  その後は国際社会の枠組みの中にソ連を組み込もうとする

・対アメリカ
 →十分な対応はできないものの、戦時債務の償還と経済復興

  また、国際連盟を通じた国際的発言力の強化(アメリカは不参加)

  ワシントン体制など、アメリカとの協調による実質的な支配の維持

・対植民地など
 →アフリカ支配の維持
  アジアにおける植民地の確保(民族自決はアジア・アフリカに適用せず)
  中東の委任統治による旧オスマン帝国領支配
  速やかな平時体制への移行と経済の緩やかな回復

  国際協調路線への転換と軍縮推進による歳出圧縮

 

■解答例1

 第一次世界大戦中の国土荒廃や経済封鎖よる貿易縮小などで欧州諸国は多大な経済的損失を被って巨額の対外債務を負い、さらにその債権の多くを米が握ったため、経済の中心が英のシティから米のウォール街に移り、さらにアジア・太平洋地域で米主導のワシントン体制が成立して、欧州の覇権に翳りが見られた。ロシア革命により仏の対露投資の回収が不可能となり、さらに中東を英・仏・露間で分割するサイクス・ピコ協定が暴露されると、アラブ人の反発や、民族自決を叫ぶ植民地の民族運動、社会主義運動が高揚するなど、各地でその政治的支配に揺らぎが見られた。しかし、民族自決をアジア・アフリカに適用せず、旧オスマン帝国領を英・仏が委任統治することで支配地域を維持・拡大し、国際協調と軍縮を推進して歳出面の負担を軽減し、経済の回復に努めた。(350字)

 
急ぎで作ったのであんまりイケてないかもしれませんが、練っても同じようなものかもしれませんw なるべく設問の要求に沿ってみたつもりではありますが、「覇権」という言葉自体がかなりアバウトなものなので、その中身をどうとらえるかによって幅のある問題かなぁと思います。

解答例2

 第一次世界大戦後、独墺は領土や植民地を失い英仏も負債を拡大して、その力を減退させた。英仏の強硬姿勢は独経済の復興を妨げ、十四ヵ条の民族自決に基づき東欧諸国が独立したが、少数民族問題は国内統一を遅らせた。世界最大の債権国となった米のウォール街が金融の中心となり、ソ連も対ソ干渉戦争を退けて五か年計画で急成長して台頭した。さらに植民地では民族運動が高揚したため欧州の地位は相対的に低下した。欧州各国は協調外交へ転換し、不戦条約を結ぶなど戦禍からの回復に努めた。英仏はワシントン体制で米と協調し太平洋の現状を維持する一方、国際連盟に独ソを組み入れ、対米発言力を確保した。植民地には妥協と弾圧により支配力を維持し、サイクス・ピコ協定に従い旧オスマン帝国領を委任統治で支配するなど、欧州覇権の立て直しを図った。(350字)

解答例1がやや教科書的に毒されているような気がしたので、「揺らぎ」と「立て直し」がよりはっきり出るようにもう一つ作ってみましたが、全体的なバランスは1の方がよい気がしますねぇ。練れば練るほどうぇっひゃっひゃっひゃっひゃの好例かもしれません。

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上智のTEAP利用型が始まって今年で5回目の試験になります。上智は2015年度からTEAPを活用した試験を導入してきましたが、この試験では世界史が採用されていて、さらにかなり本格的な史料読解と論述試験が採用されています。試験が始まってまだ歴史が浅く、試験の傾向分析にどの程度の意味があるのかは難しいところではありますが、TEAP型試験の情報があまりにも少ないので、簡単にまとめてみたいと思います。各年の問題分析については別途準備が整い次第UPしていきたいと思います。

先に申し上げておきますと、私は上智の世界史については「ん~?」となることがとても多く、良し悪しはともかくとしてはっきり言って嫌いですw それはなぜかと言いますと、おそらく私が実際に上智の試験(たしかできたてほやほやの地球環境法学部だったかとおもいますが…)を受験した際、世界史を解きながら「こんなのは世界史じゃねぇ!」と憤ったことが原因なのではないかと思います。ちなみに、今でも覚えているのはこんな問題でした。

 

・イタリアの国旗の色は右から順に何色か。次から選べ。

 ① 赤、白、緑  ② 緑、白、赤 …

・ローマの緯度とほぼ同じ都市を次のうちから選べ。

 ① 名古屋  ② 仙台  ③ 秋田  ④ 函館

 

みたいな感じだった気がします。いや、まぁ、イタリアくらいはいいんですよ。わかんねえことはないですからね。ちなみにこれ。

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でも、ローマの緯度はなぁ。あ、選択肢は適当につくりましたが、確かあんまり区別つかないようなところが選択肢だったんですよ。ちなみに、答えは函館です。(北緯41度)

 上智では、最近はそこまででもないのかもしれませんが、かつてはこんな感じでコツコツコツコツ世界史を積み重ねて「おれは英語と数学できねぇから世界史で稼ぐしか手がねぇんだよ」みたいに世界史に期待をかける人間を崖から突き落とすような問題を出すことがたまーにある(そして英語が鬼のように重い。上智だから当たり前―w)もので、あんまり好きじゃありませんw 私大向けの授業でもあんまり上智扱いませんw 個人的な好みの問題なので勘弁してください。(大学としてはとても良い大学だとうかがっていますw 学生が勉強面で苦労する大学は良い大学でしょう、きっと。)

 

 ですから、このTEAP型についてもちょっと後ろ向きだったのですが、受験生がたびたびこの問題の解説を聞きに持ってくるに及んで、「しょうがねぇ、やるか」ということで取り組んでみました。ところが、取り組んでみると意外に「使えそうだ」ということに気づきます。TEAP利用型の問題は、小問には特別見るべきものはありませんが、論述については意外に一橋に通じるものがあります。どの辺がかというと、史料を読ませ、その史料の内容と世界史の知識を合わせて適切な解答を用意するというプロセスが、近年の一橋の論述問題の一部と似ています。史料を読ませる、という意味では東京外語の問題とも似たところがありますが、外語の問題よりも史料に依拠する割合が高いですね。また、外語の小問数が多いのに対して上智の小問数は少なく、論述が占める割合が非常に高くなっています。おそらく、今後一橋の受験生を教える際には上智のTEAP型は良い練習として取り入れていくことになるでしょう。年によって良し悪しはありますが、全体的に論述問題としてはよく練られていて、質はかなり高いと思います。(個人的に、史料を読み取らせるタイプの設問は作るのが難しいことを知っているというのと、史料扱うのが好きなことからそう思うのかもしれませんが。)

 過去5年分の上智TEAP型の設問データは以下の通りです。

 上智TEAP出題傾向1

(時間・設問数・論述字数と全体のテーマ)

 上智TEAP出題傾向2

(論述問題内容一覧)

 

 設問の形式はわりとコロコロ変わりますね。大きな変化としては2018年から60分問題であったものが90分問題に変化した2019年の試験時間も90分だったと聞きましたが、一応後で確認を取りたいと思います)ことでしょうか。これはまぁ、無理もないでしょう。特に2017年の問題で60分は鬼の所業だと思いますw TEAPを利用して受けようという受験生で「世界史得意」っていう人はあんまりいない(勝手なイメージですが、普通英語に自信があるからTEAP利用するのでは)でしょうし、600字近い論述を含んで小問付き60分はあんまり余裕なかったのかなぁという気がしますね。こころなしか、2017以降の問題はだいぶ内容的にわかりやすくなっています。小問については、たしかに決して簡単ではないのですが、早慶上智を受けるレベルの受験生であることを考えれば、基礎とまでいかなくても解けて然るべき問題かなというレベルです。問題数が少ないことを合わせて考えても、やはり小問で取りこぼしはしたくないですね。

 全体のテーマも論述も近現代史が中心です。今のところは18世紀以降しか出題がされていません。また、地域としてはヨーロッパとその周辺が主ですね。アジア・アフリカでも植民地史や独立のプロセスなどはしっかり追っておくべきでしょう。小問などで結構出ています。テーマ自体は一橋よりも東大や外語に親和性がある気がします。2016年のスペイン領と13植民地の「対照的な」という表現は1998年東大のアメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国の対照的発展についての問題とそっくりですし、2018年のヨーロッパ統合の「加速」・「抑制」要因という表現は、2006年東大の戦争の助長要因と抑制要因についての問題を思い出させます。絶対とは言いませんが、出題側も一度は東大ほか他大の問題にひととおり目を通しているのではないですかね。

 

 対策ですが、ヤマはるんだったら近現代史やってくださいw 私大の過去問としては慶應の経済、法や早稲田の政経、法あたりは活用できるでしょう。論述の練習としては、東大過去問や東京外語過去問、あるいは論述用の問題集のうち近現代史をあつくやっておく方がよさそうです。一橋などの過去問は形式面で似たところもありますが、テーマが異なる部分も多いので上智のTEAP利用対策として一橋を解くのはおすすめめしません。もちろん、これまでの傾向がそうだからといって、これからもそれが続くわけではありません。一度でも中世史や古代史が出れば過去5年の傾向と対策なんてガタガタもいいところですからねw まんべんなくやっておくのが他の併願校対策にもなって結局は一番力になると思います。

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