2017年の東京外語は、ある意味ではいつも通りの設問なのですが、例年と比べると時間的な制約を感じる部分が多く、これまで以上に設問を解くにあたってある種の「コツ」が必要になることを意識させる問題となりました。

 東京外語の問題で重要なのは、何と言っても「小問」です。「小問」をいかに取りこぼさないようにするかというのが最重要だと考えてください。外語の小問は「ほぼ」史料とは無関係の一問一答形式で、問題の難度もそれほど高いものではなく、かつ配点の比率が非常に高いです。(2017年については100点満点中70点が小問) ですから、この小問で満点、悪くても1問の取りこぼしですめば、あとは論述で3割~半分も点数が取れれば80点に届きます。それでなくても東京外語は英語がメインの大学で、他の受験生も基本的に「英語好き」、「英語得意」な人で、いわゆる「世界史マニア」が紛れ込んでいる率はそれほど高くありません。ですから、論述のような高度な問題については「どうせ周りもたいしたことは書けやしねぇ」とある程度開き直ることも必要です。ただ、小問の多くのレベルは本当にセンターレベルですので、ここはしっかり拾える勉強くらいはしないと、世界史で足を引っ張ってしまいかねませんので注意してください。

 2017年の問題のレベルを個人的な体感で表にすると以下のようになります。

 2017東京外語設問一覧

 

 以下の解説では、このうち特に解説の必要な小問と、各論述問題について取り上げていきます。

 

【小問解説】

 何度も言いますが、東京外語の小問の多くは、史料を読まなくても、場合によっては設問の大部分を読まなくても解ける一問一答形式の設問がほとんどです。たとえば、以下は大問1の問2の設問です。

 

 下線部②に関連して、アメリカ大陸の銀を掌握したスペインは、香辛料の獲得とカトリック布教を目指して東南アジアに進出し、先行するポルトガルと競合しつつ、フィリピン諸島の領有に成功した。当時、中国商人が運んでくる生糸や陶磁器などの奢侈品を、大型帆船(ガレオン)で太平洋を横断してメキシコのアカプルコまで運び、商品の対価としてメキシコ銀を積載してフィリピンに戻り、これを中国商人が自国の船で中国へ持ち帰っていた。こうしたガレオン交易の拠点で、スペインが1571年にルソン島に建設した都市の名を答えなさい。

 

 長ぇーよw まぁ、この設問を解くのに必要な情報は、ぶっちゃけ赤で示した部分だけです。(これだけでも十分「マニラ」という答えを導くことは可能です。)このように、外語の小問はそのほとんどが設問の末尾の部分だけ見ればわかるようになっています。(このあたりは親切な問題の作りですね。)もし末尾だけ見てもわからない場合には、一通り設問に目を通せばよいわけです。

 普段から外語は時間的な制約がかなりキツイ学校ではあるのですが、今回の設問では大問1の論述が妙に凝っているためにかなり手間がかかり、いつもよりも時間的な制約がタイトになっています。というより「無茶言うな」って感じです。私がこの年の受験生であったならば、まずダッシュで小問を解き、ついで大問2の論述を10分~15分程度で片付けたあとで残り時間は全部大問1の解答作成に使います。それでは、外語の小問を解く時間は何分くらいと想定すべきかというと、かかっても5分です。大問1の論述を考えるとそれ以上はかけられません。なかなか思い出せない問題やわからない問題はとりあえず置いておいて、論述問題に試験時間60分のうちの大半を使うことになると思います。

 

(大問1-問3)

:ポイントは「南ドイツの銀山経営」という部分です。これでアウクスブルクのフッガー家の話をしているということはわかりますが、設問を丁寧に確認しないとミスをします。設問は「(  ③  )の商人」という表現を用いているので、③にはアウクスブルクを入れることができますが、設問が要求しているのはあくまでも「(  ③  )の商人の家名」ですので、解答はフッガー家です。

 

(大問1-問4)

:これはおそらく、マドラスかボンベイかで迷わなければ問題ありません。イギリスのインド拠点はボンベイ・マドラス・カルカッタですが、このうち、「ベンガル湾に面していて南インドにある」という条件を満たすのはマドラス(現チェンナイ)だけです。

 

インド拠点
 

(大問2―問2)

:この問題は難しいですね。つい最近、国立西洋美術館は世界遺産登録をされましたが、その時のニュースをよく見ていた人や美術に普段から関心のある人であれば解けたかもしれません。西美(国立西洋美術館)を設計したのは近代建築の巨匠、ル=コルビュジエです。下は西洋美術館です。

国立西洋美術館
(「国立西洋美術館」Wikipedia)

 

問題とは全く無関係なのですが、私は同じく近代建築の巨匠であるフランク=ロイド=ライトのデザインが好きで、ペンや名刺入れなどもACMEのフランク=ロイド=ライトのデザインをモチーフにしたものを使ったりしていますw とても好きですが、ペンは替え芯の値が少し張ります。もうちょっと安いと嬉しいのですが…。



 フランクロイドライト2

ⒸACME
(大問2-問4)

:一見難しいのですが…。設問の中でも「リーバイ・ストラウス社」と言っているではないですかw リーバイスですよね…。これで違ったら完全に悪意があるとしか思えませんw

 急いで解くと、小さな見落としやミスが生じがちですので注意してください。「急いで解く」と「丁寧に解く」は十分に両立する行為です。この年の小問で、落としていいのは大問2の問2だけだと思います。それで65点を確保し、あとは残りの論述30点のうち何点をもぎ取れるか、という問題ではないでしょうか。

 

【大問1論述(400字)】

(設問概要)

・新大陸の銀がどのような経路をたどってアジアに到達したか説明せよ

・(新大陸の銀が)世界の交易にどのような影響を与えたのか説明せよ

[A][D]の史料、問1~8の設問やそれらの解答を参考にし、利用せよ

・解答の冒頭で、史料[A]の記述をもとに、新大陸産の銀がスペイン本国に運ばれるまでの具体的な流れを簡潔に説明せよ(★)

・指示語:黒人奴隷、生糸、ガレオン交易(使用した箇所に下線)

400字以内

 

 時期は明示されてはいませんが、新大陸の銀の流入がテーマであることと、冒頭のリード文に「現代のグローバルな市場経済の成立の起点は、16世紀半ばのアメリカ大陸における銀山の開発(新大陸銀)と、銀の世界市場への大量流入にあった」とありますので、16世紀以降を想定しておけば良いと思います。この論述は、かなり細々と条件が付いていて、これらを完全にクリアするには相当な手間がかかります。そもそも、外大の論述で完全解答を目指せるのは相当な世界史の知識と短時間で情報を整理し、それを文章として表現するかなりの国語能力を持った人だけです。ですから、完璧な解答を作成することを目指すよりも、まずは小問で確実に得点すること、そして論述ではある程度の点数を確実にキープすることを狙う方が良いと思います。

 その上で、確実に点数をのばすには、設問の要求をきちんとおさえて、それに答えることが重要となります。ですが、史料の読解や設問をなめるように見ながら同時に論述の構成を考えることは非常に困難で時間を使います。そこで、本設問では困難を分割し、まずは解答の大枠をつくること、そして設問要求として挙げられている(★)の部分の答えを考えること、最後に史料をチェックして細かい見落としや話の流れに間違いがないかを確認する、という3段階で進めることをおすすめします。

 

(解答手順1:「解答の大枠」をつくる)

 まずは本設問の二つの主な要求である「①新大陸の銀がどのような経路をたどってアジアに到達したか」と「②新大陸の銀が世界の交易にどのような影響を与えたのか」を考えてみたいと思います。これは、世界史的な知識の問題ですし、少なくとも現在のところは歴史的事実と考えられている内容ですから、史料の内容によって大きく左右される内容ではありません。細かい修正は必要になるでしょうが、全体の流れをまず把握した上で史料に目を通した方が、各資料の「使いどころ」もわかりますし、頭も整理しやすいかと思います。

 

①新大陸の銀がどのような経路をたどってアジアに到達したか

:いろいろなルートはありますが、主要なルートは次のようなものでしょう。

・アカプルコ貿易(ポトシ→メキシコ[アカプルコ]→フィリピン[マニラ]→アジア各地)

・インド航路(喜望峰→インド)→アジア各地

・地中海→レヴァント地方→紅海ルートまたは内陸を経由してアラビア海→アジア各地

・シルクロード、ステップロード

 

このうち、アカプルコ貿易とインド航路が大航海時代以降に特徴的なルートです。対して、伝統的に東方貿易で使われたルートやシルクロード・ステップロードは古くから使われてきたルートです。本設問では設問の意図を考えた場合、アカプルコ貿易やインド航路を利用したルートに重点を置くことを想定しておくと良いでしょう。

 ちなみに、銀の大循環については以前東大への世界史」の中で非常に重要なテーマとしてご紹介したことがあります。こちらに示したAG・フランクの『リオリエント』に掲載されている銀の流入ルートを見ると、当時15世紀~18世紀の銀のおおまかな動きを理解することができると思います。

 

②新大陸の銀が世界の交易にどのような影響を与えたのか

 これについては、実は大問1の冒頭リード文にヒントらしき分が載っています。「国際的な決済手段として十分な量が供給された銀は、国際通貨として、世界各地に展開していた交易圏どうしを結びつけ、大西洋・インド洋・太平洋という3つの大洋を連結する国際的市場経済への道を開いた」という文章からは、銀流入の影響の一つとしてばらばらだった各地の交易圏を結び付けてグローバルな市場経済を成立させたことを想定していることがわかります。また、その舞台として、大西洋・インド洋・太平洋があることもわかります。

 

 これを踏まえた上で、まずは新大陸の銀が各地に与えた影響に関して、教科書的な内容だけさっと挙げてみましょう。

 

[大西洋(ヨーロッパ・新大陸)]

・価格革命

・商業革命(地中海から大西洋沿岸地域へ)

・生活革命

・大西洋三角貿易の成立

・アフリカにおける奴隷市場の形成と人口バランスの崩壊

・アメリカ大陸におけるプランテーションの発展とモノカルチャー経済

[インド洋]

・ヨーロッパの進出とムスリム商人との競合

・中継点としてのイスファハンの繁栄

・インドにおける英仏の進出

・ムスリム商人の交易ルート変更と東南アジアのイスラーム化(スンダ海峡ルート)

[太平洋]

・ヨーロッパの進出(香辛料貿易の独占、日中などをつなぐ中継貿易)

・中国などにおける税制の変化(一条鞭法、地丁銀)

・沿岸部の都市か発展と内陸部の穀倉地帯化

・商品経済の発展や都市化にともなう物価の高騰と農村の窮乏

 

これらは、必ずしも「世界の交易」に影響を与えた内容ではないので、特に「世界の交易」に対する影響として注意した方がいいものをこの中からピックアップすることになります。その辺を意識しながら大枠をまとめると、だいたい以下のような流れは骨組みとして用意できるかと思います。

 

ボリビアのポトシ銀山で採掘された銀は、メキシコのアカプルコ港を通してアジアに、カリブ海を経由してヨーロッパに流入し、商業の中心が北イタリア諸都市から大西洋岸の都市に移った。新大陸では鉱山やプランテーション経営の労働力として西アフリカから黒人奴隷が運ばれ、銀や商品作物をヨーロッパへ送り、ヨーロッパの製品が新大陸やアフリカに輸出される大西洋三角貿易が成立した。アジアには、スペインがマニラに運んだ銀が交易を活発化させ、日中間の中継貿易などが盛んにおこなわれた。銀は香辛料貿易を独占したポルトガルによってインド航路経由でももたらされ、陸海交易の中継点であるイスファハンの繁栄や、インド沿岸諸都市の発展を促し、英仏のインド進出につながった。また、ポルトガルがマラッカ海峡を押さえたことでムスリム商人たちは交易をスンダ海峡経由のルートに変化させ、周辺地域のイスラーム化が進んだが、17世紀からはオランダが代わって香辛料貿易を独占し、台湾を拠点に東・南シナ海域の中継貿易を展開した。(435字)

 

これはあくまで、頭の中で「だいたいこんな流れかなー」というものを文章化したもの(実際の試験場では書きません!そんな時間はありませんw)で、解答というわけではありません。(そもそも設問が400字以内ですから。) この骨組みを確認しつつ、設問の条件や史料の内容に合わせて削ったり、つけ足したりしていきます。

 

(解答手順2:「★」の部分の答えを用意する)

 本設問では、解答の冒頭に「史料[A]の記述をもとに、新大陸産の銀がスペイン本国に運ばれるまでの具体的な流れを簡潔に説明せよ」という要求があります。これは比較的はっきりとした答えを用意できる部分(少なくとも、史料を読めば答えが書いてある部分)なので、取りこぼしのないように丁寧に作っておきたい部分ですね。ただ、この設問の言う「具体的な流れ」というのが何のことを示しているのか漠然としています。この「流れ」というのが、「手順・手続き上の流れ」なのか、「交易のルートや商品が運ばれる流れ」なのかが判然としません。ただ、史料[A]を読むと、出てくる地名は新大陸の中で完結していて、ヨーロッパにいたる交易のルートを読み取ることはできませんので、求められているのは「手順・手続き上の流れ」であることが分かります。

 史料[A]において、鉱脈が発見された後、ヨーロッパに銀が運ばれるまでの描写を読み取ると、以下のような内容を読み取ることができます。

 

①発見した鉱脈を登記し、坑打する

(坑打は問題文中に注有:採鉱者が一定の空間を自己のものとして印付けすること)

②法廷で申告する

③採掘分の五分の一を税として王室に支払う

④スペイン人、インディオが集い、採掘のための街が形成される

⑤船団によって本国に運ばれる

(⑥会計局で課税のための計量が行われ、王室帳簿に記される)

 

これらのうち、⑥はラテンアメリカから運び出されるときに行われたのか、本国に運ばれてから行われたのか判然としなかったのでカッコにしました。ですから、銀が本国に運ばれるまでの流れをまとめると以下のようになるでしょう。

 

 銀鉱を登記・坑打して法廷で申告して採掘された銀は五分の一が王室に納められ、ガレオン船団で本国に運ばれた。(52字)

 

(解答手順3:史料、設問、指示語をチェックする)

 さて、解答手順1と2をまとめるだけでも、内容がしっかりしたものであれば、おそらく設問全体の半分くらいの点数は来るはずです。この論述問題が20点なので、小問に取りこぼしがなければそれだけでも80点ですね。たしかに、この年の問題は時間的にはかなり厳しく、問題のレベルも高く難しいのですが、他の受験生との相対的な評価でとればそれほど焦る必要はなく、あきらめずに丁寧に解答を作ることはやはり大切なのだなぁと思います。

 ただ、解答手順1はもともと自分の中にある世界史的な知識をもとにつくったもので、本当に本設問の史料の内容に沿っているかどうかは分かりません。そこで、最後に史料、設問、指示語を確認して解答の精度を上げていくことになります。[A][D]の史料のうち、[A]の史料には交易ルートに関する記述がほとんどないことは解答手順2で確認済みですので、史料[B][D]を確認していきます。

 

①史料B(「カール5世への手紙」(16世紀)

:この史料は一読するとフッガー家からカール5世に対する借金返済の督促にすぎませんので、内容を熟読する必要はなく、時間もそうはかかりません。

 ただ、この史料については2点注意が必要です。1点目は、商取引の決済だけでなく国家の戦費の貸し出しをフッガー家などの豪商が担っていたことです。もっとも、フッガー家の債権回収は失敗しますし、この史料からはフッガー家が戦費の供出をしていたことは分かっても、その戦費が国外へと流出したことやその経路などは示されていませんから、これをもとに銀の流れの中に組み込むのはどうかなぁと思います。(大航海時代の銀の大きな流れを作ったのは、やはりヨーロッパ産の金銀よりも新大陸産の金銀に求めるべきでしょう)

また、フッガー家の文書であることには注意を払うべきでしょう。フッガー家はアウクスブルクの富豪ですが、その財の源はティロルの銀山やシュレジエンの金山などの鉱山経営でした。フッガー家は、新大陸からの大量の銀が流入したことで経営が悪化して没落します。この点に注目して、商業革命(商業の中心地が北イタリアなどの地中海沿岸都市から大西洋岸都市へ移る)などと結びつけてフッガー家の没落に言及するのはアリかなと思います。

 

②史料C(『ムガル帝国誌』17世紀)

:この史料は銀の経路と交易については多くの情報をもたらしてくれます。特に、受験生があまりイメージできていない中東からインドにかけての交易の様子が具体的に描かれていますので、全部とはいかないまでも一部は解答に取り入れたいところです。この史料から読み取れることは以下の通りです。

 

・インド(ヒンドゥスターン)では米、麦がとれる

・絹、綿、インディゴ、その他エジプトの商品であふれている

・インドでは絨緞、錦、刺繍、金銀糸の布や絹、綿を用いた工業製品が生産、輸出される

・金銀は世界をめぐった後に一部がインドに流入、蓄積される

・金銀の流入経路は「新大陸→ヨーロッパ→トルコ→インド」

または「スミルナ→ペルシア→インド」(地中海航路)

・トルコ、イエーメン(イエメン)、ペルシア(イラン)はインドの商品を購入するため、自国の金銀をインドに運ぶ

・バーブ=エル=マンデブの都市モカ、ペルシア湾に臨むバスラ、ホルムズに近いゴメロン(バンダル=アッバース)から金銀はインドに輸出される

・インドの商品は、インド、オランダ、イギリス、ポルトガルの船によってペグー、テナッセリム、シャム、セイロン、アチェン、マカッサル、モルディヴ群島、モザンビクなどに運ばれる(逆に、これらの地域からは金銀がインドに流れ込む)

・日本の金銀もオランダによりインドに流れ込む

・ポルトガルやフランスなど、ヨーロッパから直接インドに流入する

・インドは、銅、クローブ、ナツメグ、シナモン、象のほか、オランダ人が日本やモルッカ諸島、セイロンから運ぶ品々を購入する

・インドは馬を大量に必要としている(カンダハールからペルシアを経由したり、エティオピア、アラブ諸国からモカ、バスラ、バンダルアッバースの港を経由してインドへ)

 

 よく知らない地名もあると思うので、地名については解答を一通りしめした後に解説したいと思います。ここで注意したいことは、「インドにかなりの量の金銀が流入していること」、「取引の決済手段として金銀が用いられていること」、「流入ルートは大きく三つ(①東地中海地域やアラビア半島から紅海、ペルシア湾を経由、②アジア方面からの流入、③ヨーロッパから直接運ばれる喜望峰をまわるインド航路)」などの情報を読み取ることです。

 

③史料D(『折りたく柴の記』、18世紀初)

:史料Dは主に東アジア地域に関する情報です。史料Cと比較すると情報は少ないですが、大切な情報も含まれています。

・鎖国が行われたこと

・一方で、密貿易が増加したこと

・日本から海外に金銀が大量に流出していたこと

 

④指示語(「黒人奴隷」、「生糸」、「ガレオン交易」)

:最後に指示語ですが、「黒人奴隷」はすでに解答手順2で示した大枠の中に出てきますね。新大陸の労働力となったこと、大西洋三角貿易を入れれば十分でしょう。

「生糸」については基本的には中国産と考えて良いと思います。日本でも生糸は生産されてはいますが、大航海時代の頃の日本の生糸の品質は中国産には全く及ばず、むしろ日本は中国産生糸の輸入国です。鎖国によって中国産生糸がそれまでより入手しづらくなったことから、日本の各藩は養蚕業の改良に乗り出してその質が改善されるのは江戸時代の中期以降のことです。また、ビザンツ帝国をはじめヨーロッパの各地でも養蚕業自体はありますが、やはり中国産生糸や絹の品質は抜きんでていました。

 最後に、「ガレオン交易」は新大陸からの銀の輸送船団として用いれば十分だと思います。

 

(解答例:大問1論述)

 新大陸スペイン領では、銀山経営者は銀鉱を登記・坑打して法廷で申告し、採掘した銀の五分の一を王室に納め、本国に運んだ。カリブ海経由での銀流入で商業の中心は北伊から大西洋岸に移り、物価が高騰し、フッガー家没落や東西ヨーロッパの国際分業につながった。西アフリカからの黒人奴隷を労働力に産出したポトシの銀はガレオン交易でアカプルコからマニラに運ばれ、中国産生糸などを扱う中継貿易を活発化させ、日本銀もアジアに流入した。銀はポルトガルの香辛料貿易や西アジア諸国の絨毯や錦などインド物産購入によってインド航路や紅海、ペルシア湾経由でアジアに流入し、陸海交易の中継点であるイスファハンや、インド沿岸諸都市の発展を促した。欧州諸国の進出と銀の大量流入は銀を決済手段として世界各地の交易圏を連結した国際的市場経済を成立させたが、ムスリム商人が交易をスンダ海峡経由のルートに変化させるなど従来の交易ルートの変更も促した。(400字)

 

 この設問については出題者の意図がくみ取りづらいところがありました。それは、出題者が史料の深い読み取りを要求して、時代ごとの変遷や各交易ルートにおける商品、担い手などの変遷まで書かせようとしているのか、それとも史料はあくまでも味付け程度で、一般的に理解されている世界史の知識をつかって、設問の要求に合わせた概要を書けばよいと考えているのか、どちらなのかいまいち読めませんでした。設問の指示を素直に読めば、求められているのは前者の解答なのですが、正直なところ、前者の解答を用意するには400字では無茶もいいところですし、まして60分では到底仕上がりません。ですから、あまり細部にこだわりすぎてガタガタな文章になってしまうよりも、早い段階で見切りをつけて後者の視点で解答を作ってしまう方が良いと思います。上の解答例はそうした妥協の産物だとご理解くださいw 解いてみての感想ですが、例年と比べてこの年の設問は練れていないというか、実際の受験生や解く側のことをあまり考えていないような気がするというか、バランス悪い感じがしました。

 東京外語は本当に交易と世界の一体化好きですね。また、他の大学ではインド洋海域って問題が作りづらいせいかあまり出ないのですが、東京外語はわりとがっぷり四つに組んだインド洋海域問題出してきます。2014年の外語の問題もヨーロッパのインド洋、アジア諸地域への進出と世界の一体化がテーマの問題でした。まだご覧になっていないかたは是非一度ご覧になると良いと思います。

 

(補足:史料中に示された地理的要素について)

 さて、それでは特に史料Cの中で示された地名やルートがどういったものなのかを確認したいと思います。まず、トルコ、イエメン、ペルシアのおおよその位置関係です。イエメンはアラビア半島の南端、ペルシアは今のイランですね。ただ、この時代の「トルコ」はオスマン帝国のことですから、厳密には東地中海一帯はトルコの扱いになりますね。また、「ペルシア」は16世紀以降はサファヴィー朝のことだと考えて差し支えありません。

紅海アラビア海1


 オスマン帝国

(「オスマン帝国」Wikipedia

 

史料の中に登場するバーブ=エル=マンデブはアラビア半島と東アフリカによって作られた紅海の出口の海峡のことで、モカというのはそこにあるイエメンの都市です。世界史でも出てくるアデンがすぐそばにあります。

モカ
「モカ」(Wikipedia

また、バスラはイラン南東部、ティグリス・ユーフラテス両河川の合流してできるシャトゥルアラブ川の沿岸都市、さらにゴメロンことバンダル(レ)=アッバースはホルムズに面してイラン側にある港湾都市です。

ペルシア湾岸


つまり、何のことはない、要はこの史料で書かれているのは世界史でよく出てくる紅海ルートと、東地中海からティグリス・ユーフラテス両河川を下ってペルシア湾岸に出てくるルートで銀がインド方面に流入していく様子を描いているにすぎません。

 また、ペグーはビルマ、テナッセリムはマレーシア、シャムはタイ、アチェンは多分アチェーでスマトラ北部、マカッサルはインドネシア(スラウェシ島)の都市ですし、モルディヴはインド西南の島、モザンビ(-)クは東アフリカですから、これらはインド洋海域をぐるっと取り囲むような各地域を示しています。史料からは、インドを中心に各地域に放射上にインドの物産が出ていく様子(逆に銀がインドに集中していく様子)を思い描くことができます。(もっとも、実際には沿岸を行くので、インド洋をドカンと横断するような命知らずな航路を思い描かれると困りますがw)

インド洋交易
 

また、取引されていた商品についてです。

・インディゴ

:植物性の青い染料です。藍のことですね。

・絨緞

:ペルシア絨緞は有名ですね。イラン周辺では羊毛や綿を用いた織物生産が盛んです。

320px-Ardabil_Carpet
(「ペルシア絨毯」Wikipedia)

・クローブ(丁子)

:モルッカ諸島原産の香辛料です。名前の通り「丁」の字に似ているのが面白いです。

丁子
(「クローブ」Wikipedia)

・ナツメグ

:同じくモルッカ諸島原産の香辛料で、肉や魚料理の匂い消しなどに使われます。

natumegu
(「ナツメグ」Wikipedia)

・馬

:インドでは従来は戦闘などでも象が使われていましたが、インドにムスリムが進出する中で次第に先頭の中心が馬へと変化します。ヴィジャヤナガル王国などは西アジアからかなりの頭数の馬を輸入していたようで、これについては近年あちこちの教科書に記載されるようになりましたが、教科書によっていくらか記述の仕方には差があるようです。(東京書籍『世界史B』平成30年度版には、本文ではなく注の部分に写真付きで「交易するポルトガル商人」のレリーフの写真と解説文が掲載されています。(p.222) 東京外語で出題されたところを見ると、今後もしかすると出題の頻度が上がるかもしれませんね。

 

【大問2論述(100字)】

(設問概要)

・(1920年代から1930年代にかけての)アメリカの繁栄がもたらされた経緯について説明せよ。

・その後の社会の変化について説明せよ。

・指示語:第一次世界大戦 / フォード / 移民法

100字以内

 

(解答手順:指示語の分析)

 えらくアバウトな条件設定の設問です。そもそも、1930年代のアメリカは世界恐慌のまっただ中ですので、とても「アメリカ社会の繁栄」の時期ではないような気がします。おそらく出題者は1920年代の繁栄を意図しているのでしょうが、1929年には世界恐慌ですし、その後はニューディール政策ですから、1930年代と言われると、「その時期にかけてのアメリカ社会の繁栄」って言っちゃっていいものなのかなぁと疑問を感じます。

また、「1930年にかけて」であれば1920年から1930年で時期を設定してもいいのですが、「1930年代にかけて」と言われると「1930年代のどこまでにかけてじゃい」と突っ込みたくなります。多分、元々は「アメリカ的生活様式は1920年代から30年代にかけて形成されるものなんだよな~」、と何となく考えて文章をつくりつつ、「1920年代から30年代にかけて<の>アメリカ社会の繁栄」と文章をつないでしまったためにおかしなことになってしまったんじゃないかなぁと思います。

 ただ、設問自体が100字ですし、それほど入り組んだことを聞いているわけでもないと思いますので、基本的には1920年代のアメリカ社会の繁栄について書けばよいだろうと思います。また、字数が短いので指示語を分析・活用していけば自然に解答の輪郭は見えてくるでしょう。

 

①第一次世界大戦

:第一次大戦中の物資供給による債権国への上昇や、戦後のヨーロッパの荒廃と、ヨーロッパに物資を輸出したアメリカの繁栄について書けばよいでしょう。1920年代、アメリカはハーディング・クーリッジ・フーヴァーと3代続く共和党政権のもとで経済界の利益を重視する政策がとられ、国内的には自由放任、対外的には高関税を課す保護貿易政策がとられました。高関税政策にもかかわらずアメリカの輸出が不振にならなかった原因は、終戦直後のヨーロッパでは荒廃がひどく、物資の輸入やアメリカ資本を受け入れざるを得なかったからです。ですが、ヨーロッパ経済が回復するとアメリカでは生産過剰によるモノ余りが進行し、これが価格下落と企業業績の悪化につながり、世界恐慌の背景となります。1920年代の成功に味をしめたフーヴァー大統領のスムート=ホーレー法(超高関税による国内産業の保護政策)は逆にアメリカの輸出不振を招き、さらに欧州のブロック経済形成による国際貿易の急激な縮小につながり不況を長引かせることになりました。

②フォード

:ベルトコンベア方式による大量生産によるフォードT型の普及について言及するべきでしょう。当然、大衆消費社会の到来についても合わせて示すべきです。

③移民法

:アメリカへの移民の増加は、奴隷解放宣言によって終了した奴隷制に代わる安価な労働力の供給源として重要でした。労働力が安価に供給されることでアメリカの工業化はその推進力を得ていたわけです。ですが、移民の増加は移民に対する風当たりを強くし、その制限などが行われました。1924年の移民法では日本人移民の禁止に加えて南欧・東欧系の移民の実質的な制限が行われました。

 

(解答例)

 第一次世界大戦中の物資供給で米は債権国となり繁栄した。フォードの大量生産は自動車普及に象徴される大衆消費社会を現出したが、WASPなどは保守的価値観を持ち、移民の入国を禁止・制限する移民法制定につながった。(100字)

 

まぁ、100字ならこんなものではないでしょうか。