しばらく更新しておりませんでした。受験前はもう、戦争ですね。銃弾飛び交っている中でブログの更新とかしたら頭スカーンと撃ち抜かれて逝ってしまいますのでしばらく放置してました(汗)

 

ただ、センター試験が終わりましたので、受験生向けに問題解説を作成しました。元々がブログ用に書いたものではないので、地図など不十分な部分も多いと思いますが、後から追加、修正していきます。急いで作成したので多分ミスなどあるだろうなと思っていたら、案の定一部変なことになっていたので修正しました(2017.1.16)。また、最近モバイルからご覧になっている方が多くなってきているようですので、そちらからでも読みやすいように修正しました(2017.1.17

 

分析等は大手予備校の方で出していますので、私の方では問題解説のみにしました。解いた感想としては、例年と比べて特に大きく難しい・簡単と感じるものではなかったと思います。全体としては例年並みなのではないでしょうか。ただ、現役生にはとっつきにくい部分からの出題が多かったかもしれません。問題はネット上で公開されています。(http://www.nikkei.co.jp/nyushi/2017/

 

2017 センター「世界史B」 解答・解説

 

問1 

【解説】

:ネストリウス派が中国に伝わるのは唐代。また、ネストリウス派が異端とされたエフェソス公会議は431年であり、漢代には伝わりようがない。 

:トリエント公会議(1545-1563)は対抗宗教改革の原動力となった。フスが異端とされたのはコンスタンツ公会議(1414-1418)。

  :三位一体説はアタナシウス派。

 

問2 

【解説】

:ニジェール川(下図)は北アフリカ西部を流れる川で、ガーナ王国・マリ王国・ソンガイ王国などが栄えた地域。対して、モノモタパ王国は西南アフリカに存在した王国で、現在のジンバブエ周辺(ザンベジ川流域)。


Niger_river_map
 

Wikipediaより引用)


:アマルナ美術が栄えたのはテル=エル=アマルナに遷都し、アトン神信仰を強制し  

たアメンホテプ4世(イクナートン)の時。フスが異端とされたのはコンスタンツ公会議(1414-1418)。

:マダガスカルはフランスの植民地。 

アフリカ分割_作成

問3 

【解説】

:カスティーリャとアラゴンの合同でできるのはスペイン王国。 

  :ラテン帝国が成立するのはヴェネツィアが主導した第4回十字軍の時。

:(両)シチリア王国の建国者はノルマン人(ノルマン系貴族)。アヴァール人はカール大帝の頃に撃退されたモンゴル系騎馬民族。

 

問4 

【解説】

:全インド=ムスリム連盟結成は1906年。1905年のベンガル分割令(別名カーゾン法。ベンガル地方をムスリムに有利になるような行政区に分割した)に不満を持ったティラクの指導する国民会議派(主にヒンドゥー教徒)がカルカッタ大会で4綱領(スワラージ[自治]・スワデーシ[国産品愛用]・ボイコット[英貨排斥]・民族教育)を採択するなど、反英的な姿勢を強めたことに対して、イスラームの立場を強化したいムスリムがインド総督ミントーに協力を申し出て結成した親英団体。

 

問5 

【解説】

:アイバクは奴隷王朝(デリー=スルタン朝の最初)の建国者。イランのカージャール朝はアーガー=モハンマドが建国。

:ムワッヒド朝(12世紀~13世紀)はモロッコからイベリア半島に進出したイスラーム王朝で、アナトリア(小アジア)には進出したことがない。

:アチェ王国(15世紀末~20世紀初)はスマトラ島北部のイスラーム王国。

 

問6 

【解説】

a:正。チョーラ朝はインド南部、東岸地域にあった国。紀元前3世紀~紀元3世紀ごろの前期チョーラ朝はインド洋交易圏の中、海上交易で栄えた。

b:誤。ゴアをアジア交易の拠点としたのはポルトガル。ちなみに、イギリスがインドに進出した後の拠点はカルカッタ・マドラス・ボンベイ。(現在のコルカタ・チェンナイ・ムンバイ) 

インド

 

問7 

【解説】

:アイグン条約は1858年、清朝とロシアの条約。アムール川北岸(左岸)地域の割譲と沿海州の共同統治が決められた。 

露清国境地名入

:ロシアはアラスカをアメリカ合衆国に売却(1867年)。「スワードの冷蔵庫」と批判の対象になった。

  :アフガニスタンからの撤兵はゴルバチョフの時(1988-89)。

 

 問8 

【解説】

a:誤。第1次世界大戦は1914-1918。グラフを見ればドイツの銑鉄生産量がイギリスを上回るのは大戦開始よりも前であることがわかる。

b:正。第2次五か年計画は1933-37年。

 

問9 

【解説】

:チェチェン紛争の勃発は冷戦の終結後。1994-961999-2009

 

10 

【解説】

:ミドハト憲法はトルコで制定された憲法。1839年に始まるタンジマートの流れを受けて、1876年、アブデュル=ハミト2世の時に宰相ミドハト=パシャが起草したが、露土戦争勃発を理由に停止され、近代的な立憲制ではなくアブデュル=ハミト2世の専制政治に逆戻りした。これに不満を感じた人々がミドハト憲法の復活を要求して起こす立憲革命が1908年の青年トルコ革命である。

 

11 

【解説】

:メッテルニヒ失脚(亡命)はウィーン3月革命(1848)によるもの。 

:模範議会はイギリス(1295年、エドワード1世の時)。

:ドゥーマはロシアの議会。1905年のロシア第1革命で開設が約束された。

 

12 

【解説】

a:正。ルイ=フィリップは1830年の7月革命で王となり、1848年の2月革命で亡命。

b:正。リベリアはアメリカ合衆国の解放奴隷が建国して以降独立を維持した。 

アフリカ分割_作成

13 

【解説】

  :共和政期であっても、貴族(パトリキ)や富裕な平民層から形成された新貴族(ノビレス)が要職を占めた。また、紀元前367年のリキニウス=セクスティウス法制定以降、コンスルは貴族・平民から各1名とされた。

  :帝政開始はオクタウィアヌスから。

:ローマ帝国の東西分裂はテオドシウス帝の死後、アルカディウスとホノリウスが東西に分割統治したことから。

 

14 

【解説】

:ヴェネツィアはイタリア半島の東側の付け根。ちなみに、西側の付け根はジェノヴァ。 

 イタリア

 

15 

【解説】

:キール軍港の反乱(1918)はドイツ革命のきっかけとなる事件。設問が要求しているのはロシア。

 

16 

【解説】

:メキシコ革命は1910年に始まる。革命以降の流れは以下の通り。

 

・ディアスの独裁政権を自由主義者マデロが打倒。ディアスは亡命。

・マデロの政策に不満を感じた農民出身のサパタ・ビリャが離脱。

・マデロ、ウェルタ将軍のクーデタで死亡。

・独裁を図るウェルタ将軍を、カランサなどの立憲派が打倒。

・カランサらが1917年憲法を発布。

・憲法の実施に消極的なカランサに対し、自由主義的地主層出身のオブレゴンが反発。サパタ・ビリャをも含めて闘争が開始される。

・オブレゴンが大統領となり、カウディーリョ(軍事ボス)支配が続く。

1934年に大統領となったカルデナスはカウディーリョを一層。石油をはじめとする産業の国有化などの左派的諸政策を展開する。

 

17 

【解説】

  :カイロ会談は米・英・中(フランクリン=ローズヴェルト、チャーチル、蒋介石)。 

  :中華ソヴィエト共和国臨時政府は江西省瑞金で成立。

:八・一宣言は中国共産党による国民党への呼びかけ(1935)。これを受けて張学良が1936年に西安事件を起こした。

 

18 

【解説】

:チャウシェスクはルーマニアの独裁者。ポーランドではワレサ率いる「連帯」が民主化を要求。

:朴正煕は開発独裁を進めた。

:九・三〇事件はインドネシアのスカルノからスハルトへと権力がうつるきっかけとなった事件。

 

19 

【解説】

  :コロナートゥスが本格的に拡大するのは帝政期。共和政期はラティフンディア(奴隷を使用した大農場経営)が主体。最大領域を達成したトラヤヌス帝以降は戦争捕虜と属州が減少したことから、奴隷を使うラティフンディアから小作人を用いるコロナートゥスへと移行する。

  :均田制は北魏の孝文帝の時代から。その知識がなくても、唐の時代には間違いなくあるので、元では遅すぎることに気づきたいところ。

:ティマール制はオスマン帝国。セルジューク朝では、ブワイフ朝期に導入されたイクター制が整備。

 

20 

【解説】

:朱全忠は後梁の建国者。五代十国の開始期。

  :焚書・坑儒は秦の始皇帝。

  :カトリック教徒解放法は1829年、アイルランドのカトリック教徒解放のためにイギリス議会で定められたもの。また、スペインはむしろ伝統的にカトリック国なので、カトリックに対する差別があるとすれば不自然。

 

21 

【解説】

ア:スタンリーのアフリカ探検がベルギー領コンゴ建設のきっかけとなった。タスマンは17世紀にオーストラリアの周辺を探検した人物。

イ:アムンゼンはイギリスのスコットと南極点到達を競った人物。

 

22 

【解説】

:隋で建設が進められた運河は下図。

B_6_1隋の大運河

23 

【解説】

:燕雲十六州は後晋の石敬瑭が援助の見返りに契丹に割譲した土地なので、秦では時代が合わない。

  :ネーデルラント北部(オランダ)が独立するのはスペインから。

  :エフタルは4世紀から6世紀なので、ムガル帝国(1619世紀)とは時代が合わない。エフタルの圧迫で衰退するのはグプタ朝。

 

24 

【解説】

:五胡十六国時代は魏晋南北朝期なので、唐代ではない。

:康熙帝は清の時代の皇帝。

:ロシアが沿海州を獲得するのは1860年の北京条約。(清の時代)

 

25 

【解説】

:五銖銭は前漢の武帝。

  :交鈔は金・元の時代。

:レンテンマルクの発行はドイツのシュトレーゼマン。ストルイピンはロシア第1革命後の首相。

 

26 

【解説】

:マラトンの戦いの主力はミルティアデスが率いるアテネ軍。(第2次ペルシア戦争)

:オドアケルが滅ぼすのは西ローマ帝国(476)。

:ヴァレンシュタインは神聖ローマ帝国側の傭兵隊長。

 

27 

【解説】

a:誤。プロノイア制はビザンツ帝国の土地制度。11世紀ごろからセルジューク朝に圧迫されたビザンツ帝国はそれまでのテマ(軍管区)制・屯田兵制にかえて、軍事奉仕と引き換えに土地の管理権を与えるプロノイア制へと移行、封建的土地所有関係へとつながった。

b:正。周の封建制、秦の郡県制に対し、漢の高祖劉邦は郡国制(中央は郡県制、地方は封建制)を採用した。

 

28 

【解説】

:インカはペルーを中心に栄えた国で、ピサロが滅ぼした。(最後の皇帝はアタワルパ) 対して、アステカはメキシコを中心に栄えた国で、コルテスが滅ぼした。(最後の国王はモンテスマ)彼らのようなスペイン人の征服者をコンキスタドール(複数形でコンキスタドーレス)と呼ぶ。

 

29 

【解説】

:ボリビアのポトシ銀山でとれた銀は、メキシコのアカプルコなどを経由してガレオン船などでフィリピンのマニラへと至った。(アカプルコ貿易)

 

30 

:プレヴェザの海戦(1538年)とレパントの海戦(1571年)を区別する。ちなみに、プレヴェザの海戦の時の君主はカルロス1世(カール5世)とスレイマン1世。 

 

【解説】

:アクティウムの海戦(BC31年)で、プトレマイオス朝エジプトのクレオパトラと結んだアントニウスは、オクタウィアヌスに敗れた。

:トラファルガー海戦(1805年)でフランス海軍をネルソン率いるイギリス海軍が破った。

  :ミッドウェー海戦(1942年)で日本軍はアメリカ海軍に敗北し、これが太平洋戦争で日本が劣勢となる転換点となった。

 

31   

【解説】

a:正。

b:誤。『本草綱目』は明の時代の李自珍による薬物書の総合書。宋応星(明末~清初)は『天工開物』という産業技術書を著した人物。 

 
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『天工開物』に見られる製紙工程

Wikipediaより引用)

 

32   

【解説】

:マタラムはマジャパヒト王国滅亡後のジャワ島で成立するイスラーム王国(16世紀~)。また、チャンパーはヴェトナム南部。

 

33   

【解説】

:無制限潜水艦作戦は第一次世界大戦時のドイツが用いた作戦。

   ハーグリーブズはジェニー紡績機。蒸気船はフルトン。

 亀甲船は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の李舜臣が、豊臣秀吉の朝鮮出兵時の日本軍を苦しめた船。

 

34   

【解説】

a1869年、フランス人レセップスによる。英のディズレーリ内閣の時にスエズ運河会社株を買収するのが1875年。

bTVAは世界恐慌(1929)後のニューディール政策(1933)で設立された。

c:ナセルがアスワン=ハイダムを建設しようとしてスエズ運河の国有化宣言を出したことが第2次中東戦争(スエズ戦争、1956)につながった。     

 

35   

【解説】

  :鉄器の最初はヒッタイトとされる。

  :フィレンツェはイタリアの都市で、主な産品も木材ではなく毛織物業と金融業で栄えた都市である。

:ジョン=ケイは飛び杼。コークス製鉄法はダービー父子。

 

36   

【解説】

ア:リンネはスウェーデンの博物・植物学者で分類学の創始者。メンデルはオーストリアの植物学者。

イ:ゲーテはドイツにおける疾風怒濤(シュトルムウントドランク)の時代の先駆けとなった文豪。作品に『若きウェルテルの悩み』、『ファウスト』。シラーはゲーテとともにドイツ古典主義を完成させたとされる文豪で、代表作は『群盗』など。