オクタウィアヌスの時代から始まる元首政について、東京書籍版「世界史B」と山川出版社版の教科書・参考書を見比べると、本当にちょっとした表現があるかないかということだけで「わかりにくい」、「わかりやすい」に差が出るんだなぁということに気づきます。元首政というのはやや特殊な政治形態なので、どうも高校生にはなじみにくく、理解しにくいようで、特に「元老院を尊重するってどういうことか」というのが分かりにくいようです。ローマの前期帝政における元首政(プリンキパトゥス)と後期帝政における専制君主政(ドミナトゥス)の違いについて説明する際、よく「前者は共和政の伝統や元老院を尊重したけれども後者は元老院を無視した。」というような説明がされることもあり、「元首政=共和政の伝統や元老院の尊重」という構図は出来上がるのですが、これだけだと元首政とは何ぞやということが分かりづらいのですね。東京書籍版「世界史B」の元首政に関する説明は、そうした意味で十分なものとは言えません。 

27年に元老院からアウグストゥス(尊厳なるもの)の称号を贈られたオクタウィアヌスは、共和政の伝統と元老院の威光を尊重しながらも、万人にまさる権威をもつ第一人者(プリンケプス)として統治する、事実上の皇帝となった。ここに帝政(元首政)がはじまったのである。(東京書籍「世界史B」、2016年版、p.51

 ここでは、たしかに元老院の尊重や権威の利用といった元首政の特徴は述べられているのものの、形式上は共和政の枠内で各種要職を兼任することによる独裁権力を掌握するという、権力行使の実態面については全く触れられておりません。さすがに「えらいよね~、すごいよね~」だけで政治権力が動くはずがないということには高校生でも気づきますので、「元老院を尊重するって何じゃい」という疑問が出てきても仕方ない記述になっています。ちなみに、専制君主政が出てくる箇所をはじめ、ローマ史について記載のある個所をひと通り見てみましたが、これ以外に元首政の仕組みについては触れられておりませんでした。一方、山川版の教科書は字数こそほとんど差がないものの、ある一文を入れることで劇的にその内容が分かりやすくなっていました。 

 権力の頂点にたったオクタウィアヌスは、前27年に元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えられた。ここから帝政時代が始まった。彼はカエサルとは違って元老院など共和政の制度を尊重し、市民の中の第一人者(プリンケプス)と自称した。しかし実際にはほとんどすべての要職を兼任し、全政治権力を手中におさめていた。この政治を元首政(プリンキパトゥス)といい、事実上の皇帝独裁であった。(山川出版社「詳説世界史B改訂版」、2016年版、p.44

この赤字の部分が肝ですね。これがあるかないかで読み手の理解の進み方がずいぶん違ってくるのではないかと思います。同じく山川出版社の「新世界史B」ではこのあたりのところがより詳しく出ておりますので、さらに分かりやすくなっています。

…オクタウィアヌスは、戦時に保有していた軍指揮権などを国家に返還したが、前27年に元老院からアウグストゥス(「尊厳なる者」の意)の称号を与えられ、数多くの属州の統治もゆだねられた。アウグストゥスは、属州の防衛と治安維持のために再びローマの軍隊を指揮下に入れ、まもなくコンスルや護民官の職権も手に入れて、国家宗教の再興神官ともなった。彼はローマ国家の伝統の回復と共和政の尊重を表明し、元老院の「第一人者」(プリンケプス)として振る舞ったため、形式上は共和政が継続しているものの、実際には彼一人が国政上の権限のほとんどすべてを手にしており、「皇帝」の名に値する独裁者であった。(山川出版社「新世界史B改訂版」、2017年版、pp.42-43

まぁ、これだけ書けば分かりやすくなるのは当たり前なのですが、やはり上に示した山川の「詳説世界史B」の赤字部分はかなり大事な要素なんだなぁということが分かります。もっとも、これは別に東京書籍版はダメで、山川版が良いという単純な話ではありません。東京書籍版にも良いところはたくさんあります。それぞれの教科書に一長一短があり、元首政の説明では山川版の方が分かりやすいなぁというだけです。ちなみに、教科書ではなく参考書ですが、『詳説世界史研究』には、アウグストゥスの権力と権威について以下の事柄が示されています。(木村靖ニほか編『詳説世界史研究』山川出版社、2017年版、p.58

 

【制度上の権力】

 インペラトル(最高軍司令官)

 属州総督命令権

 執政官

 護民官職権

 戸口調査官職権?(人口調査を行う権限)

 最高神官

元老院主席

元首(プリンケプス・最高裁判権を持つ)

【名誉・権威の称号】

 最高司令官・カエサル・神の子・アウグストゥス

【栄誉の象徴】

 アウグストゥスの4つの徳を讃える黄金の楯、月桂樹の冠、カシワの葉の飾りが邸宅におかれる。(いずれも共和政期の国家に貢献した人物に与えられた名誉の飾り。)

 

 ほんまに片っ端からっていう感じがよくわかりますね。制度の利用の仕方や解釈の仕方次第で独裁権力を確保できるということはいつの時代もあまり変わりません。ここでは元首政について教科書内での表現の差についてお話ししましたが、元首政と専制君主政について専門書まで行かなくても、もうちょっとだけ詳しい内容を見たいという場合には桜井万里子、本村凌ニ『世界の歴史5:ギリシアとローマ』中央公論社、1997年(pp.322-325)や同じく本村凌ニ『興亡の世界史04:地中海世界とローマ帝国』講談社、2007年(pp.224-227306-311)あたりは、たいていの図書館に置いてあるでしょうから読み物として読みやすい気がします。いずれにしても、何かを伝えようとする場合に大切な要素は何かということをあらためて考えさせられました。