ようやく仕事が落ち着いてきましたので、2026年の大学入学共通テスト「歴史総合、世界史探究」についての解説を進めてみたいと思います。いつもと同じく、ダブルチェック等は行っておりませんので、「チェックが不十分でところどころ見落としや誤りなどあるかもしれませんので、ご覧になる際はご注意ください。」というエクスキューズ付きでお願いします。
すでに昨年の時点で「ある種の型ができて安定してきた」とお話しておりましたが、2026年度の試験内容を見る限り、概ね「これが大学入学共通テストだ」という形ができた様子です。問題の種別としては、①世界史の知識と資料読み取りを併用する設問、②資料読み取りから判断する設問、③世界史の知識のみで解答にたどり着ける設問に分類することができます。内訳は以下の通り。
① 世界史の知識と資料読み取りを併用する設問:15問
② 資料読み取りから判断する設問:5問
③ 世界史の知識のみで解答にたどり着ける設問:12問
もっとも、厳密に言えば③と分類した問題も、ある程度問題文を読まないといけないのですが、「史資料の内容を読み取り、精査しなければいけない」ものと「問題文を読めばよい(問題の指示内容を理解すればよい)」ものとでは内容的に異なるので、後者については③の知識問題としました。
主体となっているのは①と②で、史資料を読み取らせた上での内容・正誤チェックという形式が多く出題されています。扱われている史資料の数はかなり増大していますが、文書史料だけでなく、視覚的にチェックできる資料も数多くあるため、読み取りにかかる負担やかかる時間は見た目の印象やページ数ほどには増大していないように感じました。
また、昨年世界史分野からの出題が中心であった「歴史総合」部分については、日本史分野からのものが多く出題されました。昨年の問題が過度に世界史選択者に有利だとの批判があったので、いくらか調整が入ったのでしょうか。ただし、日本史分野からの出題とはいっても、内容的にはごく常識的な内容や、世界史分野でも言及されるような内容にとどまり、日本史の本当にディープな知識がないと解けないという内容ではありませんでした。塾によっては「世界史・日本史の横断的な学習が必要」というような型通りの講評なども見られますが、実際には「しっかり日頃から学習している人は点数が取れ、そうでない場合には点数につながらない」という類の設問に過ぎないように思います。
ただし、今後の出題を考えた場合、よほど日本史寄りに寄せない限りは、基本的には世界史選択者に有利な出題となるのは避けられないように思います。なぜなら、世界史を本格的に学習する機会は高2・高3でしかない(歴史総合を含めれば高1も)のに対し、日本史の基礎部分の学習は中学受験から高校までの間に繰り返しありますので、世界史選択者であっても日本史の基礎知識に親しみがある分、対処可能となる場合が多いと思われるからです。
いずれにしても、教科書レベルの知識があれば十分に高得点は狙えます。共通テストだけを受験する人であれば、教科書の学習を中心に進めればよいでしょう。一方で、国公立・私大の難関校と共通テストで必要とされる知識量にはやや乖離が生じています。ですから、第1志望が国公立・私立の難関校である場合には、最初からこれらに照準を合わせた学習を進めるべきで、共通テスト向けの学習はその過程で進めることになるでしょう。
共通テストの資料読解はそれほど難しいものではありませんが、適切な情報を抽出して整理する情報処理能力や、丁寧さ、集中力が求められます。資料読解に苦手意識がある場合には、それに特化した練習をどこかでする必要があるかと思います。
【2025年 大学入学共通テスト「歴史総合、世界史探究」 解答と解説】
1 ④
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
読み取りが要求されているのは図1、図2とノート1なので、19世紀のパリについての資料読み取りが要求されていることが分かります。その上で、選択肢中で問われているポイントは以下の4点。
ⓐ 19世紀のパリで高度情報化社会が成立したかどうか。
ⓑ 19世紀のパリで工業化が進展したかどうか。
ⓒ 富裕層と労働者層が地域的な住み分けから垂直的な住み分けに移行したかどうか。
ⓓ 富裕層と労働者層が垂直的な住み分けから地域的な住み分けに移行したかどうか。
このうち、ⓐとⓑは資料から直接読み取ることはできない知識問題ですが、「高度情報化社会」とは高度な情報通信ネットワークと情報処理技術により、知識・情報が経済や生活の中核的な価値を生み出す現代社会のことですから、19世紀のパリで成立するはずがありません。また、フランスで産業革命が本格化するのは19世紀前半のことですから、「工業化が進展」が正しい。この時点で、選択肢①と②は消去されます。
また、ⓒとⓓについて考えると、図1とノート1から19世紀前半には2階・3階は「間取りが広く調度品が豪華」で4階・5階は「狭く・調度品も少ない」とあるので垂直的な住み分けがされていることが分かり、一方、図2とノート1からパリ大改造があったことと、富裕層が多数住む地域と労働者が多数住む地域への地域的住みわけがなされていることが分かります。よって、上記ⓑとⓓにあたる内容を備えた④が正解だと分かります。
2 ②
:世界史知識のみで解ける問題です。
ノート1中のフランス皇帝とはナポレオン3世で、彼の在位した期間(第二帝政)は1852年~1870年です。あとは、この時期に起こった出来事として
・フランスによる長州藩砲撃(1863年)
・フランスによる英露とのオスマン帝国分割協定(サイクス=ピコ協定、1916年)
のどちらが正しいかを選べば良いので、答えは明らかです。
仮に、年号自体が分からなくても、「長州藩が存在する=明治維新(1868年)前」であるとか、「サイクス=ピコ協定は第一次世界大戦(1914年~1918年)の頃」などが分かればよく、かなりアバウトな時代理解でも十分正解が選べます。よく「年号が分からないと解けない」という人がいますが、年号ではなく数十年単位で離れている出来事のおおまかな前後関係が把握できているだけでも対処できる問題は多くあります。
3 ④
:知識のみで解く問題です。
誤りを見つける設問ですが、ヒントはこのパネル1の文章だけなので、純粋な知識問題となります。④の中に「日露戦争までに、郊外に文化住宅」とありますが、たとえば山川の『詳説世界史:世界史探究』や『世界史用語集』には「文化住宅」の語は登場しませんので、普通に世界史探究の勉強だけをしている場合には分からないかもしれません。
一方、山川の『現代の歴史総合:みる・読み解く・考える』にはp.110に文化住宅について
「大正末期から普及した、洋室の応接間を持つ和風住宅」と記述がありますので、歴史総合の内容をしっかり覚えていた人であれば対処可能です。日露戦争は1904年~1905年、大正時代は1912年~1926年なので、文化住宅が普及するのは日露戦争よりも後の出来事なので、「日露戦争までに」としているこの④が誤りだと分かります。
こちらも、「大正時代が何年か」を覚えるよりも、大正時代と第一次世界大戦の始まりがほぼ同時期だということや、第一次世界大戦後に米騒動や大正デモクラシーが起こるといった大きな話の流れをつかめていれば、「日露戦争までに」ということは時期的に無理があると判断できます。
4 ③
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
(グラフ1から読み取れる事柄)
「あ」:1970年代の公定歩合と新規住宅着工数を示すグラフは逆方向に動いているので、誤り。
「い」:1990年代に公定歩合が6%から0近くに低下していること、新規住宅着工数が横ばいであることが確認できますので、正。
(背景)
確認すれば良いのは正しい「い」の文章の背景です。
「X」:正しい。
「Y」;1990年代の出来事に「列島改造を掲げた内閣(田中角栄内閣、1970年代)」は明らかにおかしいので、誤り。
よって、答えは「い」と「X」の組み合わせである③。
5 ③
:知識のみで解ける問題です。
③◎:18世紀に成立したコンバウン朝は19世紀に起こった3次にわたるイギリス=ビルマ戦争の結果、イギリスの支配下に入り、インド帝国の一部に編入されます。
①×:現在のインドネシアへオランダの進出は17世紀から始められ、19世紀に入ると本格的な植民地経営が進みます。1830年から導入される強制栽培制度に見られるように、オランダによるインドネシア支配では現地農民に対してコーヒー、サトウキビ、藍などの輸出用作物を栽培させ、それをオランダ本国の利益のために輸出する仕組みが作られていきます。こうしたことを考えれば、「オランダから農産物が輸入され、インドネシアがそれに依存する」という構造はむしろ逆で、間違っていると判断することができます。
②×:マラッカを拠点としたのは、最初はポルトガル(1511年~)、その後はオランダ(1641年~)、さらにその後はイギリス(1824年~)になりますので、スペインがここを拠点としたことはありません。
④×:カンボジアは1863年にフランスの保護国になります。英仏の緩衝地帯として独立を保つのはタイ。
6 ①
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
要求されている資料読解は2点。一つ目は、地図とパネルの文章から1930年代の京城の様子を正しく読み取ることができるか。二つ目は、1930年代よりも前の出来事と後の出来事を正確に区別できるか。
まず、文章から「京城中心部の北部=日本人の割合少ない(8.7%)、京城中心部の南部=日本人の割合多い(52%)」ということと、「朝鮮人が多い居住区=地名に洞、日本人が多い居住区=地名に町」ということが読み取れます。その上で地図に目を移すと、新しい朝鮮総督府がある地図上の北部に「洞」、三越百貨店などがある地図上の南部に「町」が多いことが分かりますので、「あ」が正、「い」が誤(朝鮮総督府の移転先の日本人割合は小さいため)であることが分かります。
また、三・一独立運動は1919年、日本のODAによる工業化の進展は戦後の日韓基本条約(1965年)後であることから、「う」が正、「え」が誤となります。
そのため、正解は「あ・う」の組み合わせである①となります。
7 ②
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
「ア」:ノート2は1950年代のことを述べており、また中国人民義勇軍の介入について言及していることから、「ア」に入る戦争は「朝鮮戦争」だと分かります。(朝鮮戦争は1950-1953、ベトナム戦争の本格化は1960年代。)
「イ」:ノート2には「内戦から逃れてきた人の流入」が述べられている一方で、「労働集約型製造業(繊維・プラスチック製品)の発展」が示されているので、香港発展の背景は「周辺からの労働力の流入」が正しく、「重工業への優先投資」は間違いだと分かります。ちなみに、ここで言う「内戦」とは中国の国共内戦のことと考えてよいと思います。
よって、アが「朝鮮戦争」、イが「周辺からの労働力の流入」となるので、答えは②。
8 ②
:世界史知識と資料読み取りの総合問題ではありますが、資料の読み取りだけでも正解にたどり着くことは可能です。
(グラフの読み取り)
グラフ2
:現地人が主体で宗主国の人がほとんど住んでいない
→1950年代の香港(ノート2における「イギリス本国からやってきた人は少なく」などや、その後の記述とグラフ下の注の内容などからも読み取れる。)
グラフ3
:現地人・華僑・華人・宗主国の人々などが混在する社会
→1880年代のサイゴン(班の話し合いにおける吉村の会話からも読み取れる。)
グラフ4
:現地の人が多いが、宗主国の人も2割近くおり、その他の人種が少ない
→1930年代の京城(パネル2に「1936年の京城の人口は60万人で、そのうち日本人は約13万人」という記述からも読み取れる。[13万人は60万人の約21%にあたる。])
(メモについて)
メモ1:グラフの読み取りより、グラフ4は京城のグラフで香港ではないから誤り。また、「ノート2の内容から、1950年代の香港での現地の人が占める割合は1931年よりも減少している」とあるが、グラフ下の注を見ると、「現地の人は、もともとの住民と周辺から流入した人を合わせたもの」とあるので、周辺からの人口流入はグラフの「現地の人」に含まれてしまうため、人口流入を理由に「割合は…減少」はおかしいのでこれも誤り。
メモ2:内容は正しい。
よって、答えは「メモ2のみ正しい」の②。
9 ④
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
(アに入る語句)
令は行政法、律は刑法であり、資料1に書かれているのは「夜間に通行したものはむち打ち」という内容なので、「ア」に入るのは律。
(白居易の考え)
白居易が作成した資料2には「甲はうかつであった」、「(甲は)夜間通行禁止の規則に従うべきである」と書かれているので、「甲の釈明は正当ではなく、夜間の通行禁止に違反する」と考えていたことが分かるので、白居易の考えは「Y」。
よって答えは「い-Y」の④。
10 ③
:「前の文章を参考にしつつ」とあるが、実質的には世界史の知識だけで解ける正誤問題。
③◎:唐代の中期ごろからは、科挙官僚たちの中から古文復興を主張する人々が増えてきます。こうした中で、唐宋八大家である韓愈や柳宗元が活躍します。
①×:文治主義は北宋時代にとられた政策で、唐代ではない。
②×:唐代は州県制であって封建制ではない。封建制は古代の周など。
④×:色目人が活躍するのは元代。
11 ①
:世界史知識のみで解ける問題です。
(イに入る文)
11世紀ヨーロッパの農村社会では耕作地や牧草地が共同で利用される開放耕地の形をとっていましたので、正しいのは「あ」。ちなみに、「い」に書かれているような状態はイギリスで展開された囲い込み(エンクロージャー)で起こるので、11世紀ではない。
(表現されている図)
中世の農村を描いているのは「X」の「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」。「Y」はミレーの「落穂拾い」で、19世紀のフォンテーヌブロー近くの農場を描いたものとなります。
よって、組み合わせは「あ-X」の①。
12 ③
:教科書的な知識を離れた、資料の読解が要求される設問です。
まず、中島が「資料4では、授業で学んだ荘園における農奴の立場とは、異なる立場が見て取れる」と言っており、資料4の中では「慣習で定められた貢納の義務を果たす限りにおいて、その領主の裁判権の及ばない所へと奉仕しに行くことができ、また移り住むことができる」とありますので、貢納さえ納めていれば移動の自由が認められていたことが読み取れます。そのため、「移動の自由がなかった」と書いてある②と④は×。
さらに、教科書や授業で学習する内容と実態に食い違いがあることが示されていますので、食い違いの示されない①は×となるため、残った③が正解となります。
13 ⑤
:意外に難しい問題です。というのも、文章の内容は全く参考にならず、ほぼ地図と世界史知識だけから答えを導く問題で、なおかつ、あまり受験生がカバーできていない内容だからです。
パネルの中に、地図中のbが「ウ」領、cが「エ」領とあります。下の地図は該当地域の地図になります。bはイタリア領エリトリアとソマリランド、cはイギリス領ソマリランドになりますので、「ウ」がイタリア、「エ」がイギリスとなり、正解は⑤となります。
文章は基本的には参考にならないのですが、文中に出てくるブラヴァの領事の名前はカペッロとなっています。通常、カペッロというのはイタリア圏の人名なので、それが分かる人であれば「多分イタリアかな~」と考えることも可能ではありますが、決め手に欠けますし、高校生の世界史知識で分かる内容でもありません。
14 ③
:資料読解問題です。
(メモ1)
資料5では、原告側の証人が「アッラーに対して証言」し、「その証言は承認され」、カーディー(裁判官)が「被告に支払いを命じる判決を下した」とありますので、証人の証言が根拠とされていたとするメモ1の内容は正しいと分かります。
(メモ2)
資料6に「証言者としてはアッラーで十分」とあることや、資料6について解説したパネルの文にこの表現が定型表現として使用されていること、資料6で判決の根拠となった証言をした証人もムスリムであったことなどが書かれていますので、「宗主国の法律ではなくシャリーアに則して裁定が下されていた」というメモ2の内容も正しい。
よって、解答は③(二つとも正しい)となります。
15 ②
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
まず、資料7はいわゆるコロヌス土地緊縛令で、これを出したのはコンスタンティヌスですから、「オ」にあたるのはコンスタンティヌス。また、本設問で出てくる1班から3班の学習内容は以下の通り。
1班:中国唐代の法(夜間通行の禁止)
2班:中世ヨーロッパの慣習法(農奴の移動の自由の実態)
3班:エチオピア周辺地域における裁判の実態(金の貸し借りや売買)
内容的に考えて、「農業に従事した人々への制約」について比較することができるのは「2班」の学習内容だと分かります。
よって、解答は②。
16 ④
:話題になったベルばら問題です。もっとも、資料読み取りとしてはごく基本的な内容です。フランス革命の基本的な時系列をきちんとおさえられていれば十分で、世界史の知識のみで解ける問題です。
図1:「バスティーユへ!」とあるように、バスティーユ襲撃(1789年、フランス革命勃発)
文Ⅰ:ロベスピエールと公安委員会の支配(フランス革命勃発後)
文Ⅱ:フランスのアメリカ独立支援と財政難(フランス革命前)
革命前→革命勃発→革命勃発後なので、「Ⅱ→図1→Ⅰ」の順となり、④が正解。
17 ①
:世界史知識のみで解ける問題です。
(下線部ⓐに関して述べた文)
「あ」:正。文章は「ヴェルサイユ行進」について述べたものです。
「い」:誤。オランプ=ド=グージュはラ=ファイエットが起草した「人権宣言」の中に女性の人権が明示されていないことを批判し、1791年に「女性の人権宣言」と題したパンフレットを発表して女性にも平等な権利があることを主張した人物。
(アに入る文)
ナポレオン法典は所有権の不可侵、法の下の平等、信仰の自由、労働の自由などを規定した近代的内容の民法典でしたが、一方で家父長権(男性が支配的な法的地位を占める)を設定するなど、前近代的要素を残していたことで知られています。そのため「ア」に入るのは「家父長権は肯定された」になるので、Xが正となります。
よって、答えは「あ-X」の①。
18 ②
:世界史知識のみで解ける問題です。
『集史』はイル=ハン国のイラン人宰相ラシード=アッディーンがペルシア語で編纂した歴史書なので、モンゴル語で書かれたものではありません。
19 ②
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
②◎:会話文中に登場するアメリカ大統領は「棍棒外交」とあるのでセオドア=ローズヴェルト。ローズヴェルトはラテンアメリカへの「棍棒外交」のほか、日露戦争の仲介を行いポーツマス条約締結につなげたことで知られています。
①×:先生が「どのような手段に関しても、作者など、発信者側の意図や立場にも留意する態度が求められる」と言っていますので、考慮する必要がないと書いてある①は誤り。
③×:図3のゲルニカはスペイン内戦(1936-1939)中のバスク地方の都市ゲルニカへの無差別空爆を描いたピカソの作品であって、1990年代のコソヴォ紛争を描いたものではありません。
④×:図4はケープタウンからカイロまで鉄道用の電線を敷設するケープ植民地首相セシル=ローズを示した風刺画で、イギリスの縦断政策を示す際にもよく用いられます。そのため、「フランスの自信を象徴」というのは誤り。
20 ③
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
(グラフから読み取れる事柄)
「あ」-誤
:グラフより、1926年の都市人口は約50万、1939年の都市人口は200万弱なので、「都市の人口が10倍以上増加した」とする「あ」は誤り。
「い」-正
:1931年の人口は650万以上、1933年の人口は500万を切っているので、「総人口は100万人以上減少した」とする「い」が正しい。
(背景)
「X」-正
:総人口の減少の背景として妥当。
「Y」-誤
:大量の失業者の都市への流入は都市人口の増加の根拠となるべきものですから、総人口の減少を示す「い」の背景としては不適切です。また、ソ連は世界恐慌の影響をあまり受けなかったことが知られていますので、失業者が「世界恐慌によって発生した」としている点も誤りです。
以上のことから、「い-X」の組み合わせとなり正解は③。
21 ③
:資料の読み取りだけで解ける問題です。
メモ1‐正
:パネルにアルマティには「1957年以来、レーニン像が設置されていた」とあるので「十月革命の指導者の像が建てられた」は正しい。また、パネルに「1940年代末以降、数百回の核実験が行われ、住民の健康被害が多発した」とあるので、核実験による健康被害の部分も正しい。
メモ2‐正
:パネル中の文章に、アルマティの中心広場に建てられた女性兵士はレニングラードの戦いで戦死したとあるので、正しい。
よって、文章は二つとも正しいので答えは③。
22 ④
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
(アに入る文)
資料1と木村の会話から、カエサルの頃に「帝国」を意味するインペリウムという言葉が使われていたことが分かるので、帝国をオクタウィアヌスから始まる「元首政の開始とともに」始まったとする「あ」は誤りで、「共和政の時代から」帝国と呼べる存在だったとする「い」が正しい。
(資料2から読み取れる内容)
資料2には、アウグストゥスが征服で手に入れた王国の多くについて、「奪っていた王位を元の王に返却」し、統治能力のない王がいる場合も後見人を指名して「インペリウムの一部と見なして気を配」っていたとあるので、「直轄領とし、集権的な体制を確立した」とある「X」は誤りで、「復活させた諸王国についても、帝国の一部とみなしていた」とある「Y」が正しい。
よって、組み合わせは「い-Y」となり、答えは④。
23 ②
:ローマ帝国の領域変遷を問う問題で、ほぼ世界史知識だけで解く問題ですが、地図の読み取りがやや難しい設問です。
資料2:文中より「資料2は五賢帝時代に書かれた」とあるので五賢帝時代
図Ⅰ:シチリア・ヒスパニア・カルタゴや、ギリシア・マケドニアが領域下にあるので、ポエニ戦争が終結した頃と分かる。また、ガリアが領域下に入っていないことから、少なくともカエサルのガリア遠征よりも前であることは確実。
図Ⅱ:地中海沿岸が支配下にあるものの、ガリアやブリタニアが支配下に入っていません。こうした状態になる時期は、ローマ共和政期・ローマ帝政期ともにありません。設問には、「ある時代にローマ人やローマ皇帝の[インペリウム]が直接及んだ地域を示している」とありますので、必ずしもローマ共和政期・ローマ帝政期に限ったことではないことが分かります。こうした判断に基づいた場合、該当するのはビザンツ帝国のユスティニアヌス帝時代であることに気づきます。
以上を順に並べると、「図Ⅰ(ポエニ戦争期)」→「資料2(五賢帝期)」→「図Ⅱ(ユスティニアヌス期)」となるので、答えは②。
24 ④
:世界史知識だけで解く問題。単純な消去法です。
④◎:アウラングゼーブの時代にムガル帝国の領域が最大となったのは頻出です。
①×:タージ=マハルを建立したのはシャー=ジャハーンであってアウラングゼーブではない。
②×:シク教が創始されたのは15世紀末。ムガル帝国の建国は1526年のパーニーパットの戦いでバーブルがロディー朝を破った頃。アウラングゼーブの時代にはすでにシク教は創始されて百数十年が経過している。
③×:上記の通り、ロディー朝打倒はバーブルの頃。
25 ①
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
「あ」
:資料3の中に、ヒンドゥー教の神であるシュリーナートジーの豪華な聖衣や装飾にイラン=イスラーム文化の影響が示されているとあるので、正。
「い」
:まず、田口の会話に「ダーラ=シコーが、スーフィズムとウパニシャッド哲学とが共通していると考え」たとあります。そして、ウパニシャッド哲学はブラフマン(梵)とアートマン(我)の同一性を悟ろうとした思想(梵我一如)でしたので、正。
よって、答えは「①」。
26 ③
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
(イに入る語句)
資料4はキューバの独立運動で活躍したホセ=マルティの論説。ここで、「北のアメリカ(アメリカ合衆国)」は「野望」を持つ存在として描かれ、「我らのアメリカ」について何も知らない強大この上ない隣国と表現されていることから、彼が合衆国を脅威として感じていたことが分かる。よって「い」が正しい。
(場所)
下線部ⓑのアメリカ=スペイン戦争の結果アメリカ合衆国が手に入れたのは、グアム・フィリピン・プエルトリコなので、答えは「X」。アラスカは1867年にロシアからアメリカ合衆国の国務長官スワードが主導して購入したもの。
よって、「い-X」の③が正解。
27 ②
:世界史の知識というより、理解を問う問題。
(メモ1)‐×
:古代ローマ帝国に対する諸民族の自立の動きを「国民国家建設を目指す独立運動」ととらえているが、国民国家の出現は18世紀以降の西ヨーロッパで登場するものなので、古代ローマには存在しないので、誤り。
(メモ2)‐◎
:フェリペ2世のプロテスタント弾圧がオランダ独立戦争を招いたこと、アウラングゼーブがイスラームを篤く信仰し、ヒンドゥー教寺院の破壊を行ったこと、彼らの不寛容な宗教政策がその後の国の衰退につながったこと、
すべて正しいので正。
(メモ3)‐×
:マンサブダール制は与えられたマンサブ(官位)に応じて給与の額や保持すべき騎兵・騎馬の数を定める一種の軍事官僚制なので、むしろ中央集権的な制度であるから、「地方分権を進めた」という文章は誤り。
よって、答えは「メモ2のみが正しい」の②。
28 ②
:世界史知識と資料読み取りの総合問題。
②◎:パネルには、「地域有力者」(郷紳)が、「納税代行に従事して、富を蓄積するようになった」とあるので、正。
①×:交子・会子は宋代に使用された紙幣。
③×:両税法は唐代に導入されたもの。その後も続きましたが、明代後期には一条鞭法が導入され、銀納が求められました。
④×:資料より、納税用の銀に換える経費は農民たちが負担していたことが分かります。
29 ①
:世界史知識と資料読み取りの総合問題。
「ア」
:オスマン帝国の税制はティマール制(徴税権分与)だったものが徐々に徴税請負制にとってかわられて、地方有力者(アーヤーン)が台頭します。③・④に書かれている非ムスリムに人頭税を課すのはジズヤのことなので無関係。よって「ア」に入る語句としては「農地の徴税権を分与する制度」が正しい。
「イ」
:資料1に「自分の請負期間は1年または2年」とあり、「収奪物の全てを奪おうとする」とあるので、「イ」に入る語句としては「短期間に利益を最大化しようとした結果、激しい収奪が行われた」が正しい。
よって、①が正解。
30 ④
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
(リストの主張)
資料2を読むと、「ドイツ域内」に対しては「関税を廃止すること」とありますが、「ドイツ以外の諸国民」に対しては「共通の関税を設定すること」とあるので、「い」が正しい。
(事例)
リストの主張は「保護貿易」ですので、それと同じ事例を選ぶ必要があります。コブデンとブライトは穀物法廃止を求めた自由貿易論者ですが、南北戦争前のアメリカ北部の主張した貿易政策は保護貿易ですから、「Y」が正しい。
よって、組み合わせは「い-Y」となり、正解は④。
31 ③
:世界史知識と資料読み取りの総合問題です。
資料3に示される協定は、ノートより「第二次世界大戦後の経済的な世界的秩序を築くことを、目的としていた」とあるので、GATT(関税と貿易に関する一般協定)とわかります。GATTが目指したのは自由貿易の推進であり、ブロック経済の成立が国際貿易を縮小し、最終的に世界大戦につながった反省から作られたものでした。また、アジア通貨危機が起こるのは1997年のことですのでGATT成立とは無関係であることは明らかです。この時点で、選択肢は③・④に絞られます。
また、GATTをはじめとする戦後の国際的経済秩序構築に積極的であったのはアメリカ合衆国でした。
これらに合致する正解は、③。
32 ③
:資料読解問題です。
③◎:1班の事例に明清時代の地方有力者による納税代行があること、2班の事例にオスマン帝国における徴税請負があること、資料5に仲介人による商税支払い代行があることなどから、これらを参照に納税や徴税の具体的仕組みを探究するのは妥当。
①×:1班のパネルや2班の資料1には税率の変更についての記述はありません。また、流通については、選択肢中に言及されている全ての資料に記述がありません。
②×:資料4は増税ではなく減税措置について述べている資料なので明らかな誤りです。
④×: 3班の資料はドイツ関税同盟、4班の資料はGATTについて述べているものなので、これらを参照して税制と地域の有力者との関係について探究するのは無理があります。






