世界史リンク工房

大学受験向け世界史情報ブログ

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※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw 問題全てが手元にあった方がわかりやすいと思います。

ヘッダーイラスト:かるぱっちょ様

多分、受験に出る知識ではないのですが、勉強をしっかりしている人ほど気になるみたいで、「先生、何でパリ条約でいきなりスペインがしゃしゃり出てくるんですか?」とか「スペインってブルボン家だからフランス寄りのはずなのに何でミシシッピ以西のルイジアナをフランスからぶんどってるんですか?」などの質問が時々寄せられます。(年に1~2回でしょうか。)

そんなわけで、今回のテーマは「なぜパリ条約(1763年)でミシシッピ以西のルイジアナがスペイン領になるのか」です。ぶっちゃけ、多分受験には出ませんがw(2度言ったw) いやいや、こういう疑問を持つことって大事ですよね。それに、何か気持ち悪いって気持ちも分かります。

一言で言うなら、それは「事前にフランスがスペインに『ルイジアナをあげるね』って約束していたから」です。フランスのショワズール公爵とスペインのグリマルディ侯爵(後に公爵)との間に1762年に結ばれたフォンテーヌブロー条約において、フランスはスペインに対してミシシッピ川流域のルイジアナ全域(ミシシッピ以東も含む)を割譲するという秘密条約を締結します。

なぜ、そんな条約を締結したのかということですが、北米大陸で展開されていたフレンチ=インディアン戦争は主にイギリスとフランスの間の戦争で、スペインは距離を置いていました。ところが、フランスは同じブルボン家であったスペインを同盟国として同戦争にある意味で引きずり込み、1762年にイギリスからの宣戦布告を受けたスペインは同年にこの戦争に参戦します。しかし、ニューファンドランドや西インド諸島での戦いで敗北し、ヨーロッパ大陸でもスペイン東部に敵の侵入を許すなど、敗北が必至の状況に陥ると、フランスはイギリスとの講和を模索します。

ですが、戦局が不利な状況での講和は、フランス・スペインともにイギリスからかなり厳しい条件が提示されることが予想されました。(実際、スペインが当時北米に領有していたフロリダをはじめとするミシシッピ川以東の領土はパリ条約で全てイギリス側に割譲されます。)こうした状況下でスペインに講和を納得させるためのいわば補償として、フランスはスペインに対してルイジアナを割譲することを約束したのです。当時、この約束は交戦国であるイギリス側にはふせられていました。

その後、パリ条約が締結されると、ミシシッピ以東のルイジアナはイギリス側に割譲されることとなりましたが、フォンテーヌブロー条約によりミシシッピ以西のルイジアナ領有が決まっていて大損はこかなかったスペインは、これを黙認します。結果的に、パリ条約以降の北米植民地は、ミシシッピ以東とカナダをイギリスが、ミシシッピ以西をスペインが領有するということで落ち着き、北米植民地からフランス勢力は駆逐されることになりました。
(1763年 パリ条約以前の北米大陸)
1763_パリ条約以前_地名入

(1763年 パリ条約以降の北米大陸)
1763_パリ条約後_地名入
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2025TEAP利用型のリード文は「学生になる、学生であること」の意味や価値について歴史的変化を概観した上で考察することをテーマとした文章でした。前年の「世界史の世界史」という文章に続き、具体的な歴史というより、やや抽象的な文章でした。さらに論述問題の方も本文を土台としつつ、「学生になる、学生であること」の意味を論じさせるというもので、世界史の知識をただ整理すればよいという類のものではなく、解答作成の自由度が高い一方で、受験生に本文の本質的な読解力・作文能力を要求するものでした。2020年頃から上智TEAP利用型の論述問題は、「受験生に自分の考えを述べさせる」スタイルの設問を模索してきたように思いますが、リード文の内容も含めて設問の「型」が徐々に整いつつある印象を受けます。来年度も類似の問題が出題されるとすれば、受験生には単なる世界史の丸暗記ではなく、一定の世界史知識と理解をもとに、文章の内容を読み取り、その上で自身の論を展開する確かな国語力が必要とされることになるでしょう。 

試験の基本的な形式については大きな変化はありません。小問が5題、200字論述が1題、350字論述が1題の90分試験でした。こちらも先日書いた出題傾向の方で述べましたが、2018年以降、試験の形式自体には大きな変化はなく、安定してきているように思われます。小問の内容についてはごく基本的なもので、大学入学共通テストやGMARCHクラスの設問が解けるのであれば難問といえるものはありませんでした。さすがに小問で取りこぼしたくはないですが、内容を考えると論述の配点が大きいと思われますので、早くから論述対策に取り組んでおくことが必要となります。

 

【小問(設問1、⑴~⑸)】

設問1

問⑴ d

:北宋の頃に導入された皇帝による直接試験は殿試。基本問題。

 

⒜ 郷挙里選は前漢の武帝の頃に始まったもので、高祖の時期ではない。

⒝ 九品中正法は結果として豪族の貴族化を招いた。

⒞ 科挙を朝鮮王朝で導入したのは李成桂であって世宗ではない。また、科挙自体はその前の王朝である高麗時代から導入されている。

 

問⑵ b

:ツンフトは同職ギルド(手工業者の同業組合)のことを指し、商人ギルドとは異なる。受験生の中には商人と手工業者を混同してしまう人がいますが、商人は「物品の流通・販売を担う人」であり、手工業者は「物品の製造を行う人」です。つまり、商人は「売る人」、手工業者は「作る人(職人)」と簡潔に区別できますので、意識しておくと良いでしょう。

 

問⑶ d

:三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約(1648)によって、カルヴァン派も公認された。

 

⒜ ドイツ農民戦争において、ミュンツァーが指揮する農民軍が農奴制廃止などを要求する「十二か条」を掲げると、ルターはこれに反対し、諸侯に鎮圧を訴えかけた。

⒝ サン=バルテルミの虐殺(1572)はユグノー戦争(1562-1598)中に発生した事件。

⒞ ルター派のドイツ諸侯が結んだのはシュマルカルデン同盟。

 

問⑷ c

:インドの初代首相となったのはネルー。ガンディーはインド独立の翌年に暗殺されるが、その当時で78歳の高齢。

 

問⑸ a

:ハンガリーで反ソ暴動が発生したのは1956年。この年にソ連が行ったスターリン批判をきっかけに自由化の波が強まったことが背景にあった。ソ連はこれに介入し、首相ナジ=イムレは連行されて秘密裏に処刑された。スターリン批判とポーランド・ハンガリーにおける反ソ暴動(1956)は冷戦史の中でも頻出の基本事項。

 

設問2(論述問題、200字以内)

【設問概要】

・リード文中の下線部(第一次世界大戦を契機に社会が大衆化した)に関連して、第一次世界大戦が参戦国の政治・社会に与えた影響について説明せよ。

200字以内。

・指定語句:植民地 / 女性参政権 / 総力戦 / 民族運動

 

:第一次世界大戦の影響については、いろいろな大学でも出題される超頻出の問題で、論述問題としては基本問題といってよい問題です。この年の受験生でこちらの問題を取りこぼしてしまった場合は、かなり不利な状況になったのではないかと思われます。一応、「参戦国の政治・社会に与えた影響」という限定はされていますが、特に目新しいところもない設問ですので、以下に第一次世界大戦の特徴ならびにこの戦争が各所に与えた影響と、解答例を示しておきます。

 

(第一次世界大戦の特徴)

① 世界大戦

:ヨーロッパのみならず、アジア・アフリカ・アメリカなどの各地が様々な形で戦争にかかわった世界大戦となったこと。

② 新兵器の登場

:毒ガス、戦車、飛行機などをはじめとする新兵器が登場したこと。

③ 総力戦

:国家の総力を動員し、工業力をはじめとする国力が戦争の勝敗を決定する総力戦となったこと。(銃後への戦争拡大[女性の軍需工場への動員、経済活動の国家統制など]、植民地からの戦力・物資の動員、挙国一致内閣の成立など)

 

(第一次世界大戦の影響)

① 植民地における民族運動の高揚

:戦争のために物資や人員を動員した植民地では、自治や独立を要求する民族運動が高揚

② 女性参政権の拡大

:女性の目に見える形での戦争協力が評価されたことや、ドイツ・ロシアで起こった革命などが原因となって、主要国において女性参政権が拡大し、大衆の政治参加がさらに進んだ。

 

[第一次世界大戦前後に女性参政権が成立した主な国]

・ソヴィエト=ロシア(1917

・ドイツ、イギリス(1918

・アメリカ合衆国(1920

 

③ 国際関係の変化(ヨーロッパの相対的地位の低下)

:ヨーロッパ列強中心の国際体制が動揺し、相対的地位が低下。また、東欧周辺の4つの帝国が消滅(ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国・ロシア帝国)。一方で、アメリカ合衆国が台頭し、後にはソ連や日本などが存在感を増す。

 

(解答例)

総力戦となった第一次世界大戦で各国経済は疲弊し、その影響で革命が発生したドイツとロシアでは、ヴァイマル共和国とソヴィエト=ロシアが成立した。また、女性が総力戦の一翼を担ったことで、英・米でも女性参政権が認められるなど、大衆の政治参加が進んだ。物資や人員を供給した植民地では権利意識が高まったが、ヴェルサイユ体制下での民族自決がアジア・アフリカに適用されなかったことから、民族運動や独立運動が高揚した。 (200字)


設問3(論述問題、350字以内)

【1、設問概要】

・波線部に関連し、学生になる、学生であることが持ちうる普遍的な意味、もしくは複数の地域や時代に共通する意味を論ぜよ。

・波線部は以下の通り。

「学生になる目的や学生であることの意味は時代や地域によって異なり、それに応じて社会における学生の役割や学生に対する社会のまなざしも多様でありうるのだ。しかし、逆説的に、そうした歴史的変化を俯瞰できてはじめて、学生になる、学生である、ということの普遍的な意味や価値も見えてくるのではないだろうか。」

・問題文の内容を踏まえよ。

・論ずる際に、論の裏付けとなるような歴史的な出来事・具体的な事例を複数挙げよ。

300字以上350字以内。

 

【2、設問の要求を正確にとらえる】

:設問の意味を何となくとらえてしまっては、答えを用意することはできません。本設問に限らず、設問の要求を正確にとらえることが論述問題を解くときの基本です。特に、本設問の場合は問われている内容が具体的な歴史的事項ではなく、やや抽象的な内容ですので、通常の設問以上に設問の要求を正確にとらえることは重要となります。本設問は、

 

① 学生になる、学生であることが持ちうる普遍的な意味を論ぜよ。

② もしくは、複数の地域や時代に共通する意味を論ぜよ。

 

とありますので、これらを理解することが重要となります。

まず、「もしくは」とありますので、①または②のどちらか一方を答えれば良いということになります。

では、①とはどういうことでしょうか。以前にもご紹介した気がしますが、「普遍的」とは「時代や場所を超えて、変わらずに当てはまる」ことを指します。ですから、本設問は「学生になること」や「学生であること」が、時代や場所を超えて共通して持ちうる意味にはどういったものがあるか、と読み替えることが可能です。そのように考えますと、②の意味もほぼ①と同じことを聞いていることが分かります。ただし、①は「普遍的な」とかなり広くとっているのに対し、②の方は「複数の地域や時代」とやや限定的な問い方をしていることになります。

①、②のいずれにしても、「学生になる、学生であること」が、多くの場合に共通して持ちうる意味について論ずることを要求されていることには変わりありません。あとは、その要求に従って論を組み立てるだけです。

 

【3、リード文の内容を整理する】

続いて、リード文の内容を読解し、整理します。設問には論の裏付けとなる歴史的な出来事や事例は「問題文に挙がっているものでなくてもよい」とありますが、それでも自分で勝手に作ったあまり一般的ではない事例を挙げても論に説得力が出ませんし、一から話の流れを作るのも大変です。それよりもむしろ、リード文の内容を整理することを通して、「出題者はどのような議論・立論を想定しているのか」をある程度読み取った方が、全体像を把握しやすくなるはずです。

 

リード文には、学生や大学についての話として、①辞書的な意味、②西洋中世、③西洋近世、④近代、⑤第一次世界大戦以降~20世紀後半、現在の日本、の大きく6つの区分で、それぞれの変遷について述べていますので、これらを整理してみます。設問で聞かれているのは「学生」についてですが、学生について書かれている場所が少ないことや、大学の意味を通して学生の意味も考えることができることから、ここでは学生と大学の両方について整理していきます。

 

① 辞書的な意味

学生:学問をしている人。特に大学に通って学ぶ人。

大学:⑴ 中国の周代以降、王者の建てた最高学府。管理の養成機関。 ⑵ 高等教育の中核をなす学校で、学術の研究および教育の最高機関。

② 西洋中世

学生:学問をしている人。

大学:学者や教師、学生たちの独自の組合から発したもの。大学が先にあるのではなく、人が集まり大学を成した。

③ 西洋近世

学生:聖職者・官吏・医者・教師になるのと同義。官公吏の予備軍。

大学:領邦(国家)と大学の結びつきが強まる。

④ 近代

学生:専門化された学問を追求するために学生になる。国家や社会の中枢を担うエリートの卵。学生ではない人や女性を自分たちとは異なると差別するエリート男性意識と結びつく。

大学:学術機関として発展。(従来からの学問分野における成果、新しい専門分野の確立など。)外国からの留学生も受け入れる。人脈作りの場。行政・司法・医療・教育などの各分野に専門家を輩出するための機関。

⑤ 現代

学生:近代と比べると「学生=エリートの卵」という等式が成り立ちにくくなったものの、名門大学の学生になることは依然として社会的上昇のための有力な手段や自己実現への近道。20世紀後半には既存の政治・経済体制、文化規範を批判する精神と行動力を持つ社会集団に。

大学:大衆に門戸が開かれ、女子の学生も増加。(「エリート型」から「マス型」へ。)国家や社会について学生が意見をかわし、行動を起こすための公共圏としての側面を持つ。

⑥ 現在の日本

学生:カスタマー化した存在。様々な目的を持って学生になる者が増えたため、主体的に活動する学生だけでなく、ただ大学からのサービスを受け取るだけの受動的な学生が増加。

大学:レジャーランド化。社会的上昇や自己実現よりも、別の目的のために楽しむ場。

 

【4、共通している点と変化している点を整理】

:3で整理した内容をもとに、各時代・地域における学生や大学の、どのような部分に共通した意味・内容を見いだせるかや、また逆に時代とともに変化した点が何かについて整理して、自己の立論の核となる部分を見定めます。少なくとも、リード文の読み取りが正確で、かつその後の立論が設問の要求に沿ったものとなっていれば、大きく的外れな解答を作成してしまう危険性はぐっと減ります。

 

(学生・大学に共通する点)

・学問を学ぶ場所であり、学ぶ人であるということ

・多くの時代について、国家と結びつき、また国家を支える人材を輩出してきたこと

・意見交換の場や公共圏として作用した時代があったこと

・時代によって目的は変わるものの、学生たちはそれぞれの目的をもって大学に入ること

 

(学生・大学の変遷)

・学生や教師などの人的結合が大学の中核をなすこともあれば、大学という施設や制度が中核となって人を引き付けることもあったこと

・国家に有用な人材を輩出する機関として機能することもあれば、国家とは離れた形で学問を学ぶ場所として機能することもあった

・特定の身分集団(ギルド、エリートの卵、男社会)を形成することが多かったものの、近年は大衆化し、女子の参加も増加するなどの変化が見られること

・学生の目的は、学問研究、特定の職につくことやエリートになること、社会的上昇や自己実現を達成すること、青春を謳歌することなど、時代によって大きく変わること

 

概ね、こんなところかと思います。本設問では普遍的な意味や、共通する意味が問われていますので、共通点を中心に立論を考えていくことになります。

 

【5、共通点を示す際に、論の裏付けとなる歴史的事項を整理】

:立論の際には、「学生になること、学生であること」が持ちうる普遍的な意味や共通点を示すにあたり、それを裏付ける歴史的事実なども挙げる必要があります。ここでは、4でまとめた共通点を軸にして、関係する事柄にどんなものがあるか考えていきます。

 

① 学問を学ぶ場所であり、学ぶ人であるということ

:こちらについては、辞書的な意味のほか、中世から現代にいたる大学を例として挙げれば十分でしょう。


② 多くの時代について、国家と結びつき、また国家を支える人材を輩出してきたこと

:こちらについては、まず辞書的な意味のほか、近世の神聖ローマ帝国や近代の国民国家における事例などを中心に挙げればよいでしょう。日本の近代化の事例を挙げるのも良いかと思います。

学問と国家の結びつきという点では中国の科挙なども思いつきやすいかと思います。ただし、中国では国家によって設立された最高教育機関は前漢武帝による「太学」や、西晋の頃に設置され、隋の文帝により整備された「国子監」などとなるため、本文で挙げられている西洋の大学とは趣が異なる点には注意が必要です。

また、イスラーム圏における大学、マドラサについても例示できるかと思います、マドラサはシャリーアなど、クルアーンに基づく学問を学ぶ場で、ウラマーが養成される場でしたが、官僚(特に法官・書記・行政官)として国家に仕える人材の教育機関としての役割も果たしていました。法官(カーディー)や勅令起草官・財務官など、シャリーアに対する深い理解を必要とする職に就くにはマドラサで教わる知識が不可欠でした。また、セルジューク朝のニザーム=アル=ムルクによるニザーミーヤ学院では、ウラマーだけでなく政務に携わる学識者の育成も行い、国家官吏の養成機関としての側面も持っていました。

「科挙」や「マドラサ」といった用語は世界史ではごくごく基礎的な知識ですが、本文の内容に頼るだけでなく、こうした用語・視点をところどころで織り交ぜることで、様々な時代・地域において大学が国家と結びつき、国家を支える機能を果たしていたことを、より説得力をもって示すことができます。(本文の内容は、時代こそ違えど大部分が西欧における内容なので、それを補うことができます。)


③ 意見交換の場や公共圏として作用した時代があったこと

:たとえば、中世のウニベルシタス(ユニベルシタス)は教師と学生によって構成された一種のギルドであり、教師と学生が大学における自治を担っていました。また、当時の学生たちは大学のある場所とは別のヨーロッパ各地から集まってくることが普通でした。自治を行うにあたり、学生たちは互いの意見交換を行ったり、時には教師の集団と対抗したり、移転をほのめかして市当局と交渉するなどして、独自の場を構成していました。こうした点を、ベトナム戦争中の反戦運動を展開して既存の政治・経済体制や文化規範を批判した合衆国の学生や、グローバルに反戦運動を展開した世界の学生とあわせて示すのも良いでしょう。また、日本であれば安保闘争や全共闘などの学生運動を例示しても良いかもしれません。

少し脱線しますが、公共圏というのは、「人間の生活において、他者や社会と相互に関わりあいを持つ時間や空間、または制度的な空間と私的な空間の間に介在する領域」のことを言います。公共圏という言葉自体をはっきり定義するのは難しいのですが、この議論の先駆者であるユルゲン=ハーバマス18世紀のヨーロッパ市民社会において成立した「ブルジョワ公共圏」の分析を通してこの公共圏を考えていましたので、世界史に登場するもので言えば17世紀以降に登場したカフェ、サロン、新聞などが公共圏を成したものと考えてよいかと思います。これらのように、完全に「家庭内(ドメスティック)」な領域ではないけれども、一方で完全に「公的」な領域ではない空間のことを指して「公共圏(Public Sphere)」と呼びました。(もっとも、ハーバマスはドイツの人なので原語はエッフェントリヒカイト[Öffentlichkeit]ですが。) 今風に言えば、SNSとか市民団体の討論会などはこうした公共圏といってよいかと思います。要は、国家とは無関係な独立した空間において、公共善などの社会全体や比較的広く共通される諸問題などについて、理論的に自由な意見交換が可能な場のことと考えてよいのではないかと思います。

公共圏は歴史学の分野でも注目されている分野ですので、歴史学研究をしている人なら多分ハーバマスまたはミシェル=フーコーなどには一度は触れるかと思います。この分野について知るのであれば、まずはハーバマスの『公共性の構造転換』(細谷貞雄・山田正行訳、未来社、1973年)は邦訳も出ていますので、こちらを読まれるのが良いかと思います。また、公共圏について具体的な実像を見たい場合には、イギリスの事例に偏ってしまいますが、『近代イギリスと公共圏』(大野誠編、昭和堂、2009年)はいろいろな事例が示されていて面白かったです。

 

④ 時代によって目的は変わるものの、学生たちはそれぞれの目的をもって大学に入ること

:これについては、正直当たり前といえば当たり前のことなので、あまり強調しなくても良いかと思います。上記②と結びつけて述べたり、またリード文では現在の学生がレジャーランドにいるカスタマーとして見られていることが示されていますので、そうしたものと結びつけて論じてみても良いかもしれません。

 

【解答例】

学生になる、学生であることは、「学問を学ぶ人」という普遍的意味を持っていたが、同時に国家を支える人材となることを意味することも多かった。科挙に挑戦した書生や、マドラサで学んだウラマーの多くは官僚となり活躍したし、近世・近代のヨーロッパでは、学生は聖職者・官吏・医者・教師の予備軍であり、学生になることは社会的上昇や自己実現の機会を得ることを意味した。一方で、大学の自治を担った中世のウニベルシタスや、言論の自由を求めたブルシェンシャフト、反戦運動を展開した20世紀後半の学生運動のように、学生は一種の公共圏たる大学において既存の体制や文化を批判する勢力ともなり得た。このように、専門的知識を持つ学生になることは、国家を支え、社会を変革することが可能な存在となることを意味していたと考えることができる。(350字)

 

解答例は上記【5】でまとめた内容のうち、を中心にまとめてみました。ちなみに、本設問の模範解答は上智大学のHPでも公開されています。そちらでは、学生たちが「国家や政府を批判的に捉えて変革しようとして、大きな存在感を示す」存在としてとらえ、具体例としてブルシェンシャフト、ベトナム反戦運動、第二次天安門事件、香港の雨傘運動などを示していますので、主にの内容をまとめたものになっています。このように、本設問はリード文に示されている普遍的意味ないし時代や地域を超えて見られる共通の意味を取り違えることさえなければ、様々な事例をもとに色々な事柄を挙げて答えることができる、比較的解答作成の自由度が高い設問となっています。その分、解答を作る受験生の読解力・文章構成力・世界史の基礎知識を満遍なく問うことができる良問となっているように思います。ただし、採点は大変でしょうね…。


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【全体概観】

今回は、2025年の東京外国語大学の問題解説を進めたいと思います。外大の問題をご紹介するのはずいぶん久しぶりです。本業が忙しくて、ホンマにすみませんw

さて、以前ご紹介した東京外国語大学の出題傾向でもお話しした通り、東京外国語大学では2025年の問題から歴史総合+世界史探究の形に問題形式を変更しており、そのため歴史総合で60点、世界史探究で90点の計150点に配点が変更されています。これについては出題傾向の記事をご覧いただくことにして、こちらの記事では各大問の特徴・内容・解答の作り方などについて解説していきたいと思います。

歴史総合(大問1に相当)は、朝鮮戦争前後の朝鮮半島情勢をめぐる史料やリード文などを参考に、アジア地域における民族運動と冷戦秩序構築の関係を考えさせるものでした。設問は一問一答式の小問が4×5点、文章内容から空欄に30字以内の文章を作る問題が1×10点、300字論述が1×30点の計60点です。

一問一答問題は率直に言って基本問題レベルです。これまでもそうでしたが、東京外国語大学では一問一答問題のレベルはそれほど難しくないので、このレベルの問題で取りこぼしているようでは世界史で合格点を取ることはおぼつきません。文章の空欄補充問題も国語ができれば問題ありません。(外国債とは何か程度の知識は理解しておく必要がありますが。

一方で、300字論述はかなり手ごたえのある内容になっています。ただ、こちらの問題も世界史の知識をフル動員して解く問題かといえばそうではなく、多くのヒントはリード文や各種の史資料に示されていて、それらを読み解く方が重視されるタイプの論述と思って良いと思います。ですから、細かい世界史の知識は不要ですが、それでも史資料を読み解くにあたり世界史の知識がある方が分かりやすい&深く読み解くことができるのは確かですから、東京外国語大学で出される一問一答問題は基本解けるレベルの力はつけておくべきでしょう。目安としては大学入学共通テストで9割以上取れれば、東京外国語大学の歴史総合+世界史探究を武器にすることができ、低くても8割程度の点数を取れる力がないと、2次試験に十分に対処するのは難しくなるかなと思われます。

続いて世界史探究(大問2に相当)ですが、こちらは移民についてのリード文ならびに各種史料をテーマにした設問です。移民や国境といったテーマについては東京外国語大学では直接的・間接的に何度も出題されているテーマなので、それほど目新しいものではありません。設問は一問一答式の小問が10×5点、400字論述が1×40点の計90点です。これまでの東京外国語大学と違い、大論述の配点が非常に大きくなっています。大問1と合わせると計70点となりますので、今後東京外国語大学対策では論述対策が必須となってくると思います。また、論述の内容も世界史の知識に合わせて、史資料を活用する必要のあるかなり難度の高いものとなっています。さらに、この年の大問2の一問一答問題には、一部かなり難しい問題が含まれていました。こうした設問で取りこぼした人もいたかと思いますが、東京外国語大学の一問一答はほとんどが選択式でなく記述式なので、難しい問題については他の受験生も解けない可能性が高いため、それほど差がつくとは思えません。ですから、「細かい知識まで難関私大並みに徹底して覚えないと」と焦る必要は基本的にはないでしょう。

 

 

【小問概要と解説】

(歴史総合-1)

概要:文章中の空欄①に入る人名を答えよ。

解答:李鴻章

:人物名のヒントとして文章中に「①は日清戦争の講和条約である下関条約の清側代表としてよく知られている」とありますので、超頻出の基本問題です。

 

(歴史総合-2)

概要:アジアから日本への留学生研究をするとした場合に最も優先度が低いものを選べ。

解答:e(内国勧業博覧会)

:選択肢概要と選ぶ根拠は以下の通り

 

⒜ 魯迅の経歴:日本に医学の勉強のために留学しています。『藤野先生』は有名。

⒝ 東京の私立大学の文献:日本への留学ですから、当然重要です。

⒞ ドンズー運動の文献:ドンズー運動はベトナムから日本に留学生を派遣する運動です。

⒟ 朝鮮開化派の文献:開化派からは多くの日本人留学生が来ています。

⒠ 内国勧業博覧会の文献:国内の産業発展促進のためのもので、留学生との関連は薄い。

⒡ 中国同盟会の文献:結成は東京ですし、多くの留学生が参加しています。

 

(歴史総合-3)

概要:下線部③(1884年に日本の援助を得た金玉均らが朝鮮でクーデターを試み、それに清軍が介入して鎮圧する事件)の事件名を答えよ。

解答:甲申政変

:朝鮮近代史は東京外国語大学では頻出ですし、基本事項です。

 

(歴史総合-4)

概要:下線部④(赤十字条約)について、この条約のもととなる考えを提唱してノーベル平和賞を受賞した人物を答えよ。

解答:デュナン

:ノーベル平和賞云々まで知っている必要はありません。赤十字のもとを作ったという情報でデュナンと答えてしまってよいと思います。基本問題です。

 

(歴史総合-5)[文章の論旨読み取り問題]

概要:空欄☆に入るのにふさわしい説明を30字以内で考えて答えよ。

解答例:導入は、日本の政治に外国が介入する危険を招くと考えた(26字)

 

:☆の前には、日本が外資の導入に極めて消極的であった理由として、不平等条約などによる不利な条件が課せられていたために事実上その導入が不可能であったことを示したうえで、「しかし同時に、明治政府が外国債の  ☆  からでもあるのです。」とあるので、☆の中身には「明治政府が外国債の導入に消極的だったもう一つの理由」が入ることになります。これについては、☆のすぐ後ろに南北戦争の北軍の将軍としても知られているアメリカ大統領グラントから日本政府への忠告が史料として示されています。その概要は以下の通り。

 

・忠告の内容:外国債への非依存

・国によっては弱い国に金を貸すことでその国を篭絡する国がある

・弱い国に金を貸す国の目的は、弱国の政権を掌握することである

・東洋で外国の干渉を逃れているのは日清両国のみだが、この両国の戦争は、両国の政治に干渉しようとする国々を喜ばせるだけである

 

こうした内容が示された上での問題ですから、世界史の知識がなくても資料読解で十分に解答できます。どちらかというと国語の問題です。

 

(世界史探究―1)

概要:バーブルが滅ぼした王朝とバーブルが創始した王朝との組み合わせ

解答例:⒟ ロディー朝 / ムガル朝

:基本問題です。デリー=スルタン朝については、個別で出てくるとすればアイバクが建国した最初の「奴隷王朝」くらいで、それ以外の王朝が個別に問われることはめったにありません(皆無ではありませんが…)。 ですから、デリー=スルタン朝については最初の奴隷王朝をしっかりおさえた上で、残りの王朝の順番(ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝)だけ覚えておけばよいでしょう。この順番は共通テストレベルでもよく出ます。覚えにくいという人は頭文字だけ覚えておくといいですよ。「ハトサロ」とか。

 

(世界史探究―2)

概要:ティムール朝の首都で、ティムールが再建した都市の名称

解答例:サマルカンド

:基本問題です。ティムール朝では他にもヘラートなどの町が中心地になったことはありますが、ティムールが再建したという情報があればサマルカンドで問題ありません。

 

(世界史探究―3)

概要:プロテスタント勢力の拡大をうけ、カトリック教会の全般的改革をめざして1545年に始まった公会議が開催された都市はどこか

解答例:トリエント

:「カトリック教会の全般的改革」が対抗宗教改革(カトリック改革)のことであると分かれば難しい問題ではありません。対抗宗教改革では①トリエント公会議(15451563)と②イエズス会の創設の2点がおさえておくべき事柄です。

 

(世界史探究―4)[やや難]

概要:クレタ島出身のギリシア人画家で、ヴェネツィアで活動後、フェリペ2世統治下のスペイン・トレドに移住し多くの宗教画を制作した人物は誰か

解答例:エル=グレコ

:こちらの問題はやや難しい。エル=グレコはルネサンス後期からバロック期の画家で、高校世界史ではスペインのバロック画家として紹介されます。ところが、そもそもバロック期のスペイン画家自体が高校世界史ではやや扱いがマイナーになりがちで、またスペインの画家というと圧倒的にベラスケスの方が出題頻度が高いため、このベラスケスや少年の絵で有名なムリリョに目がいきがちです。ただ、宗教画という点が強調されていることや、過去にはあちこちの大学で類似の問題は出ているので、そうしたものを目にしていた受験生であれば解けたかとは思います。エル=グレコ関係でよく出てくるヒントは「ギリシア出身」というところで、彼の名前は「ギリシア人」を意味するグレコに、スペイン語の男性定冠詞エルがついた通称であるということを一度知っておけば間違えることはないと思います。

エル・グレコ
エル=グレコ『聖母被昇天』
(シカゴ美術館蔵、Public Domain, Wikipedia)

(世界史探究―5)

概要:インド系の年季契約労働者や大陸横断鉄道建設で酷使された中国系の移民労働者に対する呼称は何か

解答例:クーリー(苦力)

:基本問題です。

 

(世界史探究―6)

概要:南アフリカにおけるインド系移民差別の撤廃運動を行い、インド帰国後に独立運動を指導した人物は誰か

解答例:ガンディー

:基本問題です。ガンディーがもともと南アフリカで弁護士として活動し、その後インド系移民の差別に対する運動を展開したことはわりとよく知られていることなのでおさえておきましょう。

 

(世界史探究―7

概要:南米の独立運動に参加した後、両シチリア王国を占領した人物は誰か。

解答例:ガリバルディ

19世紀に両シチリア王国を占領した人物とあるので、これをヒントにガリバルディで良いと思います。基本問題です。高校世界史では両シチリア占領と赤シャツ隊でしか出てこないガリバルディですが、こちらの問題にもあるように南米各所での独立闘争や、ヨーロッパ各地の自由を奉ずる運動闘争のために駆け回った人でもありました。

 

(世界史探究―8)

概要:「ツー」、「トン」という2つの記号の組み合わせで情報を伝達する通信方式を答えよ。

解答例:モールス信号

:基本問題ですが、「通信方式を答えよ」とありますので、モールスではなくモールス信号と答えなくてはいけない点には注意しましょう。電信については、19世紀前半に有線電信を発明したモールスと、19世紀末に無線電信を発明したマルコーニの区別をつけておく必要があります。

 

(世界史探究―9)[]

概要:米西戦争で最初の戦場となり、アメリカに割譲されたスペイン植民地はどこか。

解答例:フィリピン

:米西戦争後のパリ条約(1898年)でスペインからアメリカ領となったのは、グアム、フィリピン、プエルトリコで、これについては基本事項なのですが、これらのうちから米西戦争の最初の戦場となったというヒントで特定しなくてはならないのは少々厳しい問題です。この問題については、上記グアム、フィリピン、プエルトリコのうちどれかを書いたのであれば、仮に間違っていたとしても引きずらない方がよいでしょう。

 

(世界史探究―10

概要:1914年に完成した太平洋と大西洋を結ぶ運河は何か。

解答例:パナマ運河

:基本事項です。

 

【歴史総合、問6:300字論述解説】

(設問概要)

・日本の「近代化」とはどのような特徴を持っているといえるか、述べよ。

・資料[][]の記述を踏まえよ。

・日本が「文明化」の道を進む上で日清戦争が持った意味を踏まえよ。

・先生と生徒の会話も参考にせよ。

300字以内で述べよ。

・指定語句(使用した箇所すべてに下線を引くこと)

 条約改正 / 外国債 / 国際法 / 東洋連衡 / 文明諸国 / 東学農民軍

 

まず、本設問の要求は日本の「近代化」の特徴を述べよというかなり漠然とした内容指定になっています。いわゆる固定化された正解のある問いとは違い、見方によって様々な解答を示すことが可能な問いです。ですが、本設問では同時に、「資料[][]の記述」や「日本の文明化と日清戦争の関係」、「先生と生徒の会話」などを踏まえて参考にしなさいという指示が出されていますので、これらの主旨から外れた解答は加点の対象とはならないと考えるべきでしょう。

ですから、本設問でまず取りかかるべきは、これらの史資料が日本の「近代化」についてどのように述べているかを適切に把握することです。その上で、これらの史資料に書かれた情報のうち、何をどのように利用すれば日本の「近代化」の特徴を語ることができるかを考えて、整理することが必要となります。つまり、文章の読解と情報の整理を要求される極めて「国語的」な問題と考えてよいでしょう。ただし、書かれている内容はかなり専門的な内容になりますので、世界史についての知識が読み取りの際には役に立つことになります。全体の印象としては、非常に丁寧に作られた問題という印象があります。東京外語大の先生方が、入試問題の作成に非常に熱意を傾けて作成されたことが伝わってくる気がします。

 

史資料については、以下の6つが用意されています。

 

・先生と生徒の会話

・資料[A] 三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』

・資料[B] 小野寺史郎『戦後日本の中国観』

・資料[C] 大谷正『日清戦争』

・資料[D] 檜山幸夫「日清戦争と日本」

・資料[E] 中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』

 

本設問では、各資料の前後に、その資料が何について述べているものかや、先生と生徒の感想や評価などが書かれているので、資料単体で読み取りを行うだけでなく、彼らの会話からある程度資料の内容や意味を推し量ることができます。

 

(解答手順1、史資料の読み取り)

① 導入-先生と生徒の会話

:先生と生徒の会話では、東アジアの近代化について様々な視点で話が交わされます。特に、日本の「近代化」について、生徒が文明開化や欧化政策など西洋文明を積極的に取り入れていた点を指摘したのに対し、先生はそれを肯定しつつも一方で日本が欧米の助けをなるべく借りずに進めようとしていた「近代化」があることを指摘し、資料[A]を提示します。

 

② 資料[A] 三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』

:本資料では、明治新政府にとって財政的基礎を確立することが重要であった一方、その基礎は租税に求められ、外資導入に極めて消極的であったことが語られます。その上で、外資導入に消極的であった要因として

 

・不平等条約による条件上の制約

 ・外資導入による諸外国からの政治的干渉のおそれ

 

2点があったことを示し、その根拠として米大統領グラントの忠告が示されます。

 

また、その後の先生・生徒の会話では、グラントの忠告にもかかわらず日清両国が戦争に突入したことと、日清戦争後の日本は財政政策を転換させて外国債導入に積極的になったこと、これを資料の著者である三谷が「自立的資本主義から国際的資本主義への転換」と表現していることなどが示されます。

「歴史総合」では日露戦争において日本の高橋是清が英米からの外債調達のために奔走したことなどが示されますので、こうしたことを覚えている人にとっては読みやすい内容だったかと思います。

 

③ 資料[B] 小野寺史郎『戦後日本の中国観』

:本資料は、先生と生徒の会話の中で、欧米の助けを借りない自立した「近代化」と日清戦争をつなぐものが「文明化」であったとして示される資料です。資料内では東洋連衡論と脱亜論の二つが示されたのち、脱亜論に代表される考え方が、日清戦争の勝利後に日本において一般化したことが指摘されます。

 

▶草間時福「東洋連衡論」(1879年)

 ・日本がアジアで最も開化が進んでいる

 ・東洋連衡は諸国に率先して日本が担うべき

 ・東洋が団結して西洋に対決すべき

▶福沢諭吉「脱亜論」(1885年、『時事新報』)…甲申政変の失敗をうけて

 ・日本国民の精神はアジアの頑迷を脱して西洋の文明に移っている

 ・隣国(中国・朝鮮)は古い習慣にしがみついている

 ・日本に隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はない

 ・日本は西洋の文明国と同様に振る舞い、隣国に対しても西洋と同様の形で処置すべき

 

▶陸奥宗光『蹇蹇録』(1929公刊)…日清戦争直後に書かれたもの

 ・日本は明治維新以降長年にわたり西洋文明を採用する努力をしてきた

 ・清は旧態依然のままである

 ・日本は西洋文明を代表し、清は東アジアの習慣を守っている

 (西欧の新しい文明と東アジアの古い文明との衝突) 

 

この資料を見た先生と生徒は、「アジア主義」と「脱亜論」の相違点と共通点について指摘します。

 

▷アジア主義

 ・アジアと連帯する意識

▷脱亜論

 ・アジアと連帯する意識の消失

▷両論の共通点

 ・日本がアジアで最も文明化が進んでおり、アジアは遅れているという視点

 

そして、日本が自分たちを「文明的」で他のアジアはそうでないと考えた原因を考えるために資料[C][D]が示されます。

 

④ 資料[C] 大谷正『日清戦争』

:本資料中では、日本政府や在野の知識人共に、日清戦争は「文明国・日本」対「野蛮国・清」という「文野の戦争」であることが強調され、これが国民のナショナリズムと国民の戦争協力を促進する役割を果たしたことが指摘されます。また、日本が文明国であることを示し、条約改正交渉を促進するため、国際法遵守が政府にとっての大前提であったことが示されます。

 

⑤ 資料[D] 檜山幸夫「日清戦争と日本」

:本資料中では、戦勝の中、文明化された近代日本、「大和民族」として団結した強国日本などでイメージ付けされた「皇軍の民」が形成されていく一方、急速に中国人差別・蔑視が生まれていった様子が示されます。

 

さらに、先生と生徒の会話の中で、「文明諸国の一員であることを示すことが条約改正のために重要であったこと」(資料C、それが「中国人への蔑視につながっていったこと」(資料Dなどが示されますが、先生はさらにもう一歩踏み込んで考える必要があると資料[E]を提示します。

 

⑥ 資料[E] 中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』

:本資料中では、国際法を遵守することを言明されているはずの日本軍が、朝鮮の東学農民軍に対しては「悉く殺戮」することを命じたことや、こうした対処が非交戦国である朝鮮の主権を侵害するものであると同時に、仮に交戦中であったとしても国際法に照らして不適切な内容であったことが示され、東学農民軍が日本軍にとって国際法遵守の対象とはなっていなかったことが指摘されます。

 

これを受けて、先生と生徒の会話では「文明化」という言葉が文明と野蛮を区別し、相手を野蛮とみなした際に、あらゆる行為が文明という言葉で正当化される傾向を持つことが指摘されます。

 

(解答手順2、史資料の内容整理と設問要求への対処)

:設問は「日本の『近代化』とはどのような特徴を持っているか」と「日本が『文明化』の道を進む上で日清戦争が持った意味」について問うていますので、史資料に基づいてこれらを読み解いてみます。

 

① 日本の「近代化」の特徴

 ・文明開化や欧化政策など西洋文明を積極的に取り入れた

・一方で、欧米の介入を避けるために外国債の導入に消極的な姿勢を示すなど、欧米の助けをなるべく借りずに近代化を進めようとした一面があった

 

② 日本の文明化と日清戦争の意味

 ・開戦以前から東洋連衡論から脱亜論への変化が見られたこと

 ・東洋連衡論、脱亜論ともにアジアを遅れたものととらえる共通認識が見られたこと

 ・日清戦争は日本が「文明諸国」の一員であることを示す機会であったこと

 ・日清戦争の戦勝が日本人の優越意識と中国蔑視を促進したこと

 ・日清戦争の過程で、自らを「文明化」したと考えた日本は「野蛮」に対して国際法を無視するなどの行為で、自らの非文明的行為の正当化を始めたこと

 

概ね、こんなところではないでしょうか。あとは、歴史的な事実に沿って、資料から読み取れたことを設問要求にしたがってまとめていけば解答が作れると思います。深い歴史の知識がある方が確かに有利ですが、かなりの部分は国語的な読解と整理で対処可能な設問でもあります。

 

(歴史総合300字論述:解答例)

日本の近代化は、明治維新後の文明開化や欧化政策などで西洋文明を積極的に取り入れる一方、欧米の介入を避けるために外国債導入に消極姿勢を示すなど、自立的一面も有していた。当初は日本を盟主にアジアをまとめて西欧に対抗する東洋連衡も目指されたが、甲申政変などで日清対立が高まると脱亜入欧を解く風潮が高まった。日清戦争では条約改正交渉のために文明諸国の一員であることを示したい日本が国際法遵守を掲げて近代戦を戦ったが、これに勝利したことは自らを「文明化」したと考える優越意識とナショナリズム形成につながった。また、東学農民軍への対処のように、野蛮とみなしたアジアに対する非文明的行為を西洋諸国同様に正当化した。

 

こんなところではないですかね。あまり清とか朝鮮とか局所にこだわりすぎず、例としては使いながらも「文明と野蛮」や「日本とアジア」という軸で解答を作る方がすっきりするように思います。また、東洋連衡と脱亜論の比較では、脱亜入欧などの用語が出てくると、説明に字数を割かなくて済むので便利です。

 

【世界史探究、問11400字論述解説】

(設問概要)

1880年代以降の地球規模の人の移動について,

 ① 移住の動機付け

 ② 距離の変化

 ③ 受け入れ先社会

という移住のプロセスの観点から論述せよ。

・世界史上の出来事を踏まえよ。

・以下のものをまとめながら答えよ。

 ① 冒頭の基礎資料の特に波線部分

 ② 資料[C][E]

 ③ 各設問の文章

400字以内。

・指定語句(使用した箇所に下線を付すこと)

 植民地 / 新興移民国家 / 交通革命 / 移民組織 / 故郷 / 国民国家の境界

 

本設問の要求自体は、これまでにもあちこちの大学でたびたび類似のものが見られた内容で、特に目新しいものではありません。(例:東京大学2002年大論述、一橋大学2005年大問3など)

ただし、本設問にはかなりしっかりした史資料が備えられており、これらを踏まえることが要求の中に入っておりますので、自分の持っている世界史知識をただ羅列するだけでは高得点とはならず、史資料の内容をしっかり踏まえることができているかが重要な要素となります。そのため、歴史総合と同じく、これら史資料の読み取りを正確にしっかり行うことが必須となります。いずれにしても史資料を読まなければならないのですが、事前に設問の要求が分かっていた方が史資料のどのあたりに注目しながら読めばよいのかのアタリがつきますので、東京外語大学の論述問題については、リード文などの史資料を読み始める前に先に論述問題の要求を確認しておくのはアリかもしれません。

 

史資料については、以下のものが用意されています。

 

・基礎資料(リード文)

:各所に波線部があり、これらをまとめながら解くことが設問で要求されています。

・資料[A] バーブルの回想録

・資料[B] 17世紀後半のスイスにおけるキリスト教諸宗派間の改宗と移民の記録

・資料[C] 19世紀インドからアフリカへの移民と定住に関する記録

 ① 英領植民地における奴隷廃止法案(1833年)

 ② インドからモーリシャスへの年季奉公契約書(1834年)

 ③ ナタールにおける参政権法に関するイギリス下院本会議録(1894年)

・資料[D] 19世紀末から20世紀初頭における外国移民が流入したアルゼンチンの資料

 ① 『母をたずねて三千里』の文章の一部

 ② アルゼンチンへの移民と主要産業の変化

・資料[E] キューバで亡くなった中国人労働移民の遺骨送還に関する記録

 

これらのうち、設問で内容を踏まえることが要求されているのは資料[C][E]のみですので、資料[A][B]は論述問題については直接考慮する必要はありません。歴史総合の方の設問は全体としてのまとまりが良かったのですが、世界史探究の方はこのあたり、きちんと指示が出ているとはいえ、リード文や各設問の文章まで参考にしろと言っているわけですから、一部の資料のみ除いて考えなければならない設問構成は、やや混乱を招くつくりになっている気がします。できれば、受験生がこうした手続き上の処理の問題で損をしそうな問題構成は避けて欲しいですね。

 

(解答手順1、設問要求にそって全体像をつかむ)

:全体的な要求がふわっとしていた歴史総合の大論述とは違い、世界史探究の方の設問では、1880年代以降の地球規模の人の移動について、「①:移住の動機付け」、「②:距離の変化」、「③:受け入れ先社会」という移住のプロセスの観点から論ぜよとかなり限定的な内容になっていますので、いきなり目的もなく史資料読解に移るよりは、これら3つのポイントについて、まずは世界史の知識で常識的に考えられる範囲でのフレームワークを簡単に作っておいた方が、全体像がとらえやすい気がします。

 

① 移住の動機付け

:これはたとえば、経済的な困窮から脱するため、政治的な混乱や迫害から逃れるためなどの内容が考えられます。そのあたりのことを念頭に置きながら、他の動機が史資料から読み取れるようであれば付け加えていきましょう。

 

② 距離の変化

:こちらについても、すぐに思いつくのは交通革命です。おそらく、汽船の発達や電信の発達などによって、移住における距離によるハードルが低くなったことなどが書けるはずですので、それを念頭に置きつつ、史資料を読んで他の要素がないかどうかをチェックすることになります。

 

③ 受け入れ先

:こちらについても、高校世界史の内容でも先住の人々とあとからやってきた移住者との軋轢や、あるいは同じ移民間であっても、たとえば合衆国における白人移民とアジア系移民の競合や、それにともなう諸々の移民法などがすぐに思いつくはずです。そのあたりを注意しつつ、史資料に別の視点がないかをチェックしていくことになります。

 

(解答手順2、史資料の読み取り)

:続いて、史資料の読解に移ります。もし、上記1の全体像がなかなか思い浮かばない場合には、いきなり史資料読解からでも構わないと思います。

 

① 基礎資料(リード文)

:基礎資料については、文中の波線部について踏まえるように指示が出ていますので、基本的にはここを中心に読解するのでも構いません。ただし、内容の取り違えが心配な場合には、前後の文章を参考とすると良いでしょう。波線部の概要は以下の通りです。(一部、前後の内容を考慮して要約しています。)

 

 ・移民に対するイメージは、一度きり・単一の目的地に向かい、移住によりそれまでの苦境から脱して生活条件を改善するという特定の思考モデルに縛られている。

 ・近年の研究は、こうした思考モデルよりも多面的理解の視座を提供してきた。

 ・移民の実態は比較が困難なほど多様な意思決定・行動様式・集団と個人の取りうる行為の幅などを持ったものである。

 ・移民には様々な移民組織の援助が影響を及ぼしうる要因として存在する。

 ・かつては、国境よりも社会的空間の方に仮借のない「境界」が存在しえた。

 ・交通手段の変化が、物理的距離、移動時間、移動コストを変え、そのことが移住への決断に影響した。

 ・一部の移民は移住により当初達成しうると考えた成果を見る前にこの世を去った。

 

② 資料[C] 19世紀インドからアフリカへの移民と定住に関する記録

:資料[C]では、上述の通り、「英領植民地における奴隷廃止法案(1833年)」、「インドからモーリシャスへの年季奉公契約書(1834年)」、「ナタールにおける参政権法に関するイギリス下院本会議録(1894年)」の3つがあげられています。

これらのうち、はじめの2つについては、1833年のイギリス帝国内における奴隷廃止による労働力不足を補うために、年季奉公契約などによって移民を労働力として使用する方向に変わっていった、というように利用することが予想できます。(これは、資料の内容を読まなくても、世界史の知識である程度予想がつくものです。逆に、これくらいの類推が移民関係で働かないとすれば、それは高校世界史の基礎勉強が不足しているので、見直しておきましょう。) また、カンの良い人であれば、最後のナタールにおける参政権法についても、「移住者たちと先住者たちの間で権利関係をめぐる何らかのトラブルが生じた事例として利用するのではないか」ということが予想できるかもしれません。

資料中の注にもありますが、ナタールは後に南アフリカ連邦を構成する英領植民地です。南アフリカというと南ア戦争やトランスヴァール共和国、オレンジ自由国が有名ですが、ナタールはこれらよりも以前の19世紀前半から英領植民地とされています。本資料を読むと、ナタール植民地内において、インドから移住してきたインド人の参政権をめぐる争いが生じていることが読み取れます。

南アフリカ連邦_名称つき
以上の内容を考えると、本資料は奴隷解放による労働力不足が移民を引き付けるプル要因となったことや、移民の増加により先住者との間に参政権などの問題も含む競合が生じたことなどを論述の内容に加える材料とできることが分かります。

 

・資料[D] 19世紀末から20世紀初頭における外国移民が流入したアルゼンチンの資料

:本資料では『母をたずねて三千里』の文章の一部と、「アルゼンチンへの移民と主要産業の変化」が示されています。最初の資料では、経済的困窮を背景として女性であっても遠く離れたイタリアからアルゼンチンまで、ある種の出稼ぎのために移住する人が少なくなかったことが示されます。また、二つ目の資料では、こうしたイタリアからの移住者の一部が最終的にはアルゼンチンに定住して自作農となった(19世紀後半から20世紀前半にかけて自作農となった農民の8割がイタリア移民であったことが資料中で示されています)ことで、アルゼンチンの主要産業にそれまでの牧畜業だけでなく小麦生産が加わり、19世紀後半までは穀物輸入国であった同国が20世紀前半には世界有数の小麦輸出国に変貌する様子が描かれます。

これについては、本設問の指定語句に「新興移民国家」がありますので、その一つの例として用いることができるはずです。もっとも、この用語の「新興」が時代的・内容的にどのような意味を含んでいるのかは、本設問の文章や史資料からは判然としません。アメリカ合衆国も新興移民国家といえばそうですし、19世紀に相次いで独立したラテンアメリカ諸国についてもそうです。ですから、特定の国に限定せず、アメリカ大陸の新興移民国家などのようにふわっとした表現で使って差し支えないかと思います。アメリカ合衆国についても、19世紀後半の第二次産業革命の発展は移民の労働力に負うところが大きかったわけですから、こうしたことを念頭において、移民の労働力が新興国の産業構造に大きな影響を与えたくらいの内容で示せればよいのではないでしょうか。

 

・資料[E] キューバで亡くなった中国人労働移民の遺骨送還に関する記録

:本資料では、奴隷貿易廃止の圧力の高まりを背景として、キューバがラテンアメリカで初めて中国人の契約労働者を導入したことが示されます。また、当初は契約満期前に死亡するものが多かったのが、20世紀になると商業に従事する者が増えた影響で商業ネットワークが形成され、移民先で亡くなったものを故郷で埋葬できるように手配する慈善活動とその組織が整えられていく様子などが描かれています。

こちらについても、本設問の指定語句に「故郷」がありますから、移民と故郷のつながりを指摘する材料として活用することが考えられます。また、本資料中では遺骨が運ばれる経緯を伝える手紙・連絡などが示されていますので、電信なども含めた通信環境の発達が、移民と故郷をつないでいたことなども指摘して問題ないかと思います。

 

・各設問の文章

:設問では、各設問の文章もまとめる材料とするように指示が出ていますが、史資料を読んでいけばあえて問題文を一から読む必要はありません。史資料を読んでもピンとくるものがない時などにヒントになりますので、時間などを考えてもそうした時に見返す程度でよいでしょう。たとえば、問6の設問文からはインド系移住者が南アフリカのイギリス人植民者から競合者・敵対者と見られたことが読み取れますし、問8の設問文からは移住者にとって故郷とのつながりを保つ通信手段が心の支え・情報源となったことが読み取れます。こうした情報は史資料を読むだけでは気づかない部分でもありますので、参考にするのが良いでしょう。

 

(解答手順3、史資料読解に基づいて、設問要求の3つの要素に肉付けする)

:史資料の読解を通して読み取れたことなども加味して、1であらかじめ作っていた全体像に肉付けをしていきます。

 

① 移住の動機付け

 ・経済的な困窮の改善

 ・政治的な混乱や迫害からの逃避

 ・植民地間の移動の促進(大英帝国の形成など)

 ・家族、友人の存在

 ・移民組織やネットワーク

 

② 距離の変化

19世紀後半までは国境による境界がさほどの意味を持たなかったこと

・社会的境界の方が大きな意味を持ったこと

・交通革命(物理的距離、移動時間、移動コストの軽減)が移住のハードルを下げる要因として働いたこと

・電信をはじめとする通信環境の変化や、徐々に移住先で形成された同郷者による移民組織やネットワークなども、心理的距離を縮める働きをなしたこと

 

③ 受け入れ先

 ・19世紀に進んだ奴隷解放から生じた労働力不足が、移民を呼び込むプル要因として働いたこと

 ・移住者の増加は、移住先において職の奪い合いや参政権をめぐる諸問題などの競合や軋轢を生んだこと。また、時にはそうした摩擦が移民法などの法制定につながったこと。

 ・一方で、アメリカ大陸の新興移民国家においては、労働力としての移民の増加がその国の産業構造を変化させる大きな力となることがあった。(19世紀後半以降のアメリカ合衆国の工業発展や、アルゼンチンの穀物輸出国化など。)

 ・故郷からの通信や、移住先で形成された組織やネットワークが、移民と故郷をつなぐ心の支えや情報源として機能し、移民は移住後も故郷とのつながりを一定程度保っていた。(キューバの中国系移民がつくった遺骨送還のための互助組織など。)

 

(解答手順4、指定語句との整合性チェック)

:これまでの1~3の手順で、指定語句をどのあたりで使えばいいかは概ねつかめてくるはずです。設問や史資料などのヒントがない場合には指定語句をヒントとして広げていくという方法もアリかとは思いますが、本設問では参考にすべき史資料がかなり豊富に与えられていますし、指定語句もあまりそれ自体から多くの情報を引き出せる性質のものではありません。ですから、本設問については指定語句は後回しにして、まずは史資料から解答の方向性を導いてやる方がうまく全体像を構築できるはずです。

 

(世界史探究400字論述:解答例)

1880年代以降、経済的困窮や政治的混乱を背景に中国・インドや東欧・南欧からの移民が増加した。移住先は国民国家の境界が障害となりにくいアメリカ大陸の新興移民国家やアフリカ・西インド諸島など西欧諸国の植民地が多く、移住先の家族・友人・移民組織などのネットワークが移住を促進した。汽船・鉄道の発達による交通革命が時間やコストを軽減し、電信・郵便網の発達が移住者と故郷の心理的距離を縮めたことも移住を促進した。受け入れ先でも、奴隷解放で生じた労働力不足解消に移民を利用したため、社会的境界は当初は大きな壁とならず、移民は合衆国の工業化やアルゼンチンの穀物輸出国化など、受け入れ先の産業構造を変える原動力となった。しかし、移民の増加は職の奪い合いや参政権などの諸権利をめぐる争いなどの軋轢を生み、移民法などの移民排斥や差別が強まる中で、移民は同郷者の組織やネットワークにより、故郷との文化的つながりを一定程度維持した。

400字、問題の規定によりアラビア数字は2文字1コマで計算。)

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