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大学受験向け世界史情報ブログ

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※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw 問題全てが手元にあった方がわかりやすいと思います。

ヘッダーイラスト:かるぱっちょ様

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2024年の早稲田大学法学部の大論述は、前年に引き続きある国や地域について、長期にわたるタテの流れを意識した設問となりました。(2014年中国の外交関係の展開、2016年の19世紀ドイツ史、2020年のメキシコ近現代史、2023年の南アフリカとアパルトヘイトなど。) 16世紀ごろの貿易拠点としての働きにせよ、19世紀末から20世紀にかけての独立をめぐる動きにせよ、受験世界史では頻出事項なので、早稲田の法学部を受けるレベルの受験生であれば「全く書くことが無くて困った」ということはなかったのではないかと思います。ただし、高校世界史では、この両時期の間の期間についてはあまり記載がなく、すっぽりと穴になっているため、そこに不安を感じたり、バランスの悪さを感じる人はいたかもしれません。ですが、そもそも記載されていないことは書けませんので、両時期のつながりを無理に意識する必要はなく、本設問については単純にそれぞれの時期で起こった出来事を併記すればまずそれなりの点数は来ます。頻出事項であることを考えれば、内容的にそう難しいものではありません。もし点差がつくとすると、米西戦争前後の動きをどこまで正確に書けるかということと、最終的にフィリピンの独立はアメリカ合衆国による法整備の下で達成されたことがきちんと示せるかというところではないかと思いますが、とは言え指定語句に「アメリカ=スペイン戦争」と「独立の約束」がありますので、これについても特に問題なく引き出せるのではないかと思います。

蛇足ですが、東京大学2021年世界史の第2問⑵はこのフィリピンの独立に関する小論述が、同じく⑶では2023年の早稲田法学部で出題されたのと同じアパルトヘイト撤廃までの流れが出題されています。まぁ、たまたまだと思いますが、大学にこだわらず色々な問題に手を出しておくといいことがあるかもしれないっていうことですね。

 

【1、設問確認】

・時期:16世紀~第二次世界大戦直後

・①フィリピンが16世紀以来アメリカ大陸と深い交易関係を持ったこと

 ②そうでありながら第二次世界大戦直後に独立を果たしたこと

 →これらについての政治的経緯ならびに経済的経緯を説明せよ。

・その際、17世紀半ば以降の歴史的経緯をともに説明せよ。

250字以上300字以内

・指定語句(語句には下線を付す)

/ アギナルド / アメリカ=スペイン戦争 / 独立の約束

 

:本設問については、「16世紀にフィリピンのマニラがアカプルコ貿易の拠点となると同時に、アジア交易の拠点としての役割を果たしたこと」と、「米西戦争を機に支配者がスペインからアメリカに変わり、この時に展開された独立運動が鎮められたこと」、そして「20世紀に入りアメリカがフィリピンの独立を認め、法整備を通して独立が達成されたこと」の3点がきちんとおさえてあれば大きな問題はありません。また、指定語句もこれらをまとめる中で自然に使用できると思います。その上で、できれば19世紀のマニラ開港による商品作物の生産基地としてのフィリピンに目を向けられればそれに越したことはないと思いますが、これについては目立った事件や用語などがあるわけでもないので、少々ハードルが高い気がします。解説する側としてはいささか面白みに欠けるのですが、以下ではこれらに関連する事柄をまとめてみたいと思います。

 

【2、時期ごとのフィリピンをめぐる出来事の整理】

① 16世紀フィリピンとアカプルコ貿易・アジア交易

・マニラの建設(1571年)

:総督レガスピによるマニラ市の建設と市政の開始

・アカプルコ貿易の拠点

:メキシコのアカプルコ港からガレオン船によって運ばれたラテンアメリカの銀(メキシコ銀)をもとに中国の絹織物や陶磁器などと交易

・アジア貿易における重要拠点

:国際的な交易都市として発展し、中国人などが活躍した。また、小規模ながらも一時期日本人町なども形成された。

 

② スペインによる支配とマニラの開港

・スペインはフィリピンにおいてもラテンアメリカと同様の支配を行い、次第に白人による大土地所有支配が拡大された。また、こうした支配層にはカトリック教会や修道院も含まれており、大きな影響力を持った。

・本国スペインの衰退や、英・蘭などの進出にともない、アカプルコ貿易は衰退へと向かい、19世紀にはマニラは諸外国に港を開き、その結果フィリピンはイギリスやアメリカなどの国々へ砂糖やマニラ麻、タバコなどを輸出する生産基地へと性格を変化させた。

 

③ フィリピンの独立運動と米西戦争

・開港により諸外国の船が入ってきたことも一つの要因となって、フィリピンでは19世紀後半から自由主義的な動きや独立運動などが活発化。特に、ホセ=リサールによる活動の中でこれらの動きが本格化した。

19世紀末から20世紀にかけてのフィリピンの主な独立運動家

〇ホセ=リサール

:小説『ノリ=メ=タンヘレ』などの文筆活動や「フィリピン民族同盟」の結成などを通し、スペインの圧政や地主・教会の支配を批判した。その後、秘密結社カティプーナンの蜂起にともない関与を疑われて処刑された。

〇ボニファシオ

:秘密結社カティプーナンを結成し、1896年に蜂起。(フィリピン独立革命の開始)

〇アギナルド

:フィリピン民族同盟やカティプーナンに参加して独立闘争を展開していたが、米西戦争(1898)が始まるとアメリカ軍と共闘してスペイン軍を撃退し、フィリピン共和国(マロロス共和国)の独立を宣言した。(1898) しかし、米西戦争後のパリ条約でグアムやプエルトリコとともにフィリピンのスペインからアメリカへの割譲が決定すると、1899年からアメリカ=フィリピン戦争(米比戦争)が開始され、これに敗れた。

・米西戦争(1898)とアメリカ合衆国支配の開始

:キューバの独立運動をきっかけに開始された米西戦争に勝利したアメリカは、パリ条約でスペインからグアム・フィリピン・プエルトリコを獲得し、さらにアギナルドの抵抗を排してスペインの支配を開始した。

 

④ アメリカ合衆国によるフィリピン独立準備と独立

・アメリカ側の事情

:アメリカでは、フィリピンで続く抵抗や米国内での革新主義の広がりなどから、フィリピンへの自治を容認する声が次第に広がる。こうした中、1916年にはジョーンズ法が制定され、フィリピンに大幅な自治が認められた。さらに、1929年に世界恐慌が発生すると、米国内ではフィリピンからの安価な作物・労働力の流入を懸念する声も広がり始め、こうした声を受けてフランクリン=ローズヴェルトは1934年にフィリピン独立法(タイディングズ=マクダフィー法)を制定して10年後のフィリピン独立を認めた。(当時のアメリカ外交が善隣外交の流れの中にあった点にも注意。) これにより、フィリピンには独立準備政府が発足した。

・日本軍の支配

1941年に太平洋戦争が始まり、日本はフィリピンも占領して軍政下においた。日本は大東亜共栄圏を掲げてフィリピンに形式的独立を認めたが、実質的な日本軍政下におかれたフィリピンでは、フクバラハップ(フィリピン共産党が組織した抗日武装組織)が抗日闘争を続けた。

・フィリピンの独立(1946

:フィリピン独立法に基づき、アメリカ合衆国とフィリピン間で条約が取り交わされ(マニラ条約)、フィリピンが独立を達成した。一方で、アメリカへの経済依存や米軍基地は残存した。

 

【解答例】

16世紀にスペインが植民地化を開始したフィリピンにはマニラが建設され、メキシコと中国の絹織物や陶磁器を交換するアカプルコ貿易の拠点となった。19世紀のマニラ開港により英米に輸出する砂糖などを生産するためのプランテーションが拡大する一方で自由主義思想も拡大し、地主や教会の大土地支配を批判したホセ=リサールの活動に影響を受けてフィリピン革命が開始された。アギナルドアメリカ=スペイン戦争に乗じ共和国樹立を宣言したが、パリ条約で同地を領有したアメリカに敗れた。世界恐慌を機にアメリカがフィリピン独立法により独立の約束を示すと独立準備政府が作られたが、太平洋戦争時に日本に占領され、終戦後に独立を達成した。

 

設問の要求が「アメリカ大陸と(の)深い交易関係」を中心とするものでしたので、マニラのアジア交易の拠点としての役割の説明は削り、アメリカ大陸との関係性が極力前面に出るように書いてみました。また、基本は教科書や用語集に載っている内容をベースに組み上げています。(多分、パリ条約だけは載っていません。「新たに同地を領有した~」とかでもいいんじゃないでしょうか。)

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