世界史リンク工房

大学受験向け世界史情報ブログ

世界史リンク工房管理人のHANDです。各校の過去問対策、受験対策のほか、世界史を理解する上で役に立つ視点や勉強法についての情報を随時更新していきます。また、X(Twitter)やThreadsなどもやっていますのでよかったらフォローミーですw
X(Twitter)→https://twitter.com/HISTORY_LINKAD7
Threads→https://www.threads.net/@hand_history_link_bottega

また、2023年春より、個別指導塾を始めました。オンライン指導もご対応可能です。大学受験世界史のほか、中学受験や中高の補習授業など幅広い分野でご対応できますので、関心のある方はぜひ一度お問い合わせください。
個別指導塾SOLID→https://solid-iics.com/

※ 目標に向けて頑張る受験生の皆さんの一助になればと思って頑張って更新し、情報もチェックしておりますが、人間ですのでミスなどが出ることもあります。当ブログの情報をご利用の際はあくまでも自己責任でお願いいたします。

※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw 問題全てが手元にあった方がわかりやすいと思います。

ヘッダーイラスト:かるぱっちょ様

【定期考査】

 

第二次世界大戦中の連合国側の首脳会談ってたくさんあるじゃないですか。簡単にまとめるとこんな感じになるわけですけれども。

WWII中の国際会談 - コピー

これがいまいち覚えられないって方は結構いらっしゃると思うんですよ。正直、どれも大切で結局は全部覚えた方がいいっていうのは間違いないのですけれども、その中でもおさえておくといいよっていうポイントはどこなんだろうね、って考えてみると、個人的には以下の内容になるのかなぁ、と思うんですよ。

 

① 蔣介石はカイロ会談のみ!

:第二次世界大戦中の首脳会談でよく出題されるポイントの一つに、出席者があると思うんですね。よくあるパターンが、正誤問題の文章なんかで「〇〇会談には××、△△が出席した。」って書いてあって、正誤を判定するやつです。ただ、受験勉強に慣れてきた人にとって、米:フランクリン=ローズヴェルト、英:チャーチル、ソ:スターリンっていう顔ぶれがポツダム会談除いてほぼ鉄板っていうことは分かるようになるわけです。(初期の会談にはスターリンいないけど。) なので、実は混乱の原因は多分蔣介石なんですね。ですから、「蔣介石=カイロ会談=話の内容は対日戦」ってひとくくりにしておくと、後々全体が整理しやすくなる気がします。

 

② 大西洋上会談は別枠で理解しておく

:大西洋上会談については、大戦中の首脳会談としても出て来ますが、一方で「戦後の国際連合成立の過程の最初のものとして大西洋憲章がある」ということの方がよく出て来ます。「大西洋会談→モスクワ宣言→ダンバートン=オークス会議→サンフランシスコ会議」って流れのアレですね。(途中ヤルタ会談の五大国拒否権の話はさみますが。) ですから、これを自分の頭の中では特別枠設置しておいてあるイメージで整理してますね。

 

③ カイロ会談とテヘラン会談の区別をしておく

:上の表にもありますが、「カイロ会談=蔣介石=対日」、「テヘラン会談=スターリン=第二戦線はよ!(→ノルマンディー上陸作戦へ)」という区別をしっかりつけておくといろいろ楽な気がします。あくまで肌感覚なんですけど、カサブランカ会談とポツダム会談ってそこまで出題頻度高くない気がするんですね。特にポツダム会談の方はポツダム宣言と結びついちゃっているので、出題されても比較的わかりやすかったりします。たくさんのものがあって覚えにくい場合には、「出題頻度が比較的高くて分かりづらいところを確実に把握する」、もしくは「人と差がつくところを確実に自分のものにしておく」が基本な気がします。

 

④ トルーマンとアトリーを忘れるな

:ポツダム会談で常連のフランクリン=ローズヴェルト(病死)とチャーチル(選挙敗北)が入れかわってトルーマンとアトリーになりますよね。特徴がある箇所なんで頭に入れておきましょう。

 

⑤ ヤルタからマルタまで

:ヤルタ会談については、ドイツ降伏の直前という意味合いもありますが、出題されるのはやはり「冷戦の萌芽」という意味合いでの出題の方が多い気がします。ポーランドの国境問題をめぐってチャーチルとスターリンが「キーッ」ってなったアレですね。なので、とりあえず冷戦の開始と終わりということで「ヤルタからマルタまで」は唱えておくことにしましょう。

 

覚え方って人ぞれぞれかなとも思うので、別に「コレだ!」ってわけでもないのですが、個人的には①・②をしっかり確認するようになってからは忘れないようになりましたね。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

最近忙しくてなかなか記事が更新できておりません。にもかかわらずCMですみません。個別指導塾SOLIDの方で冬期講習の募集を開始しています(→こちら)。最近はオンライン授業も行っています。だいぶ冷え込むようになってまいりましたが、お体にお気をつけて!みなさまにとって実りのある冬になりますように。
ロゴマーク_ヨコ_2_png - コピー
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

【難関大】

1453年が「オスマン帝国のメフメト2世によってコンスタンティノープルが陥落してビザンツ帝国が滅亡した年である」と覚えている受験生はいても、一方でこの年が百年戦争の終結年であることを意識している人はそこまで多くないように思います。この感覚はすごーく地味なのですが、意外と汎用性が高いです。

 

(オスマン帝国関係)

・メフメト2世(15世紀半ば)を境に

 前[14世紀後半~15世紀初]

:ムラト1世やバヤジット1世などによるバルカン半島への拡大期

 (1402年のアンカラの戦いでバヤジット1世が捕虜になったことで停滞)

 後[16世紀]

:セリム1世やスレイマン1世による再拡大

  

(百年戦争関係)

・百年戦争の開始時期が漠然とわかる(正確には1339年)

 ちなみに、百年戦争を始めたのがエドワード3世なので、二院制の成立時期もわかる

・百年戦争終結後まもなく、ばら戦争(1455-1485年)が起こるので、ばら戦争の時期やテューダー朝の成立時期(1485年、ヘンリ7世)が分かる。

 

やや発展的な内容ではありますが、出来事の整序問題や論述問題など、時代感覚をとらえる必要がある時にはわりと重宝します。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ