世界史リンク工房

大学受験向け世界史情報ブログ

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※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw 問題全てが手元にあった方がわかりやすいと思います。

ヘッダーイラスト:かるぱっちょ様

どうも、週末体調崩していたので更新が遅れました。東大の2014年解説の方も準備中ですが、ちょっと本業の方が忙しいものでもう少しかかります。一週間以内にはUPしたいなぁと思っておりますので、もう少し待ってくださいね。

さて、今日はそんなわけでとりあえず頭を絞らなくてもサクサク書けて、かつできる限りみなさんの役に立つようなことを書こうと思っていたのですが、思いついたのがコレです。

 

「受験までどんな風に何を勉強したらいいですか?」

 

今日はこれについて、大まかな指針を示せればなぁと思っています。ついでに、いくらかの勉強法についても簡単に紹介します。さて、よくあるこの質問なのですが、個別の対応をすることはそれほど難しくありません。普段からその人の力量や授業に対する姿勢、質問の際の勘の良さ(または鈍さ)、志望校、現在進めている勉強の内容などなど、いくつかの質問をこちらからすれば、「ああ、この子ならこれぐらいの勉強をこういう形で進めるのがベストじゃないかなぁ」という絵がある程度は描けるからです。

もっとも、理想を言えば、こうしたアドバイスは後のケアもあわせてすることが大切ですね。たとえば、5月の段階で理想だと思った進め方でも、夏休みをはさんでその人がどんな勉強をしたかによって、9月の段階では理想形ではなくなることもあります。予想以上に学習が進んでいればペースアップを、逆に予定の量がこなせなかったら仕切り直しの調整をしてあげる必要があるのですね。

本当は、この微調整を各受験生が独自に行えるのが最もよいのです。「自分はこれだけのことができるようになった」とか「自分にはまだこの部分が足りない」ということをできるだけ具体的に把握して、そのための対処を練るということの繰り返しを自然に行える受験生は強い。勉強の仕方というものを心得ていますし、こうした自己分析を正確に行える人はその時々の模試の結果にも揺れません。たとえ一時的に成績が落ち込んだとしても、「ここをしっかり補強すれば大丈夫」、「むしろ今回のテストで覚えていないところがはっきりしてよかった」など、自分の力を伸ばす(成績を上げる、ではないところがミソですね)ためのヴィジョンを持っていますから、必要以上には気にしないわけですね。ただ、そうした「しっかりした人」でもやはり我々「教えること」を専門にしている人間とは経験値の差がありますから、不足している情報というのはどうしてもあります。そこをどうやって補ってあげたらいいのかを考えることは、アドバイスをする時の醍醐味でもありますし、気をつかうところでもあります。

 

ただ、上の質問(受験まで何をしたらいいか)に「汎用の答え」を用意しろ、と言われるとこれはなかなか難しいですよね。その人が高1なのか、高3なのか、浪人生なのかによっても違いますし、4月なのか、夏休みなのか、11月なのかによっても変わりますし、目指す目標によっても大きく変わります。ですから、今日お話しするのはあくまでもいくつかのケースを仮定の話として想定した場合、「最低限これだけはやっておくとあとは五分五分で勝負できるんじゃない?」というくらいの内容を示すつもりでいます。主に対象は高校3年生、または来年の受験を見すえた高校2年生に向けてのお話だと思ってください。高校3年生であれば、「自分はそれだけの量をこなしているかな?」というのを目安にしてもらえればいいですし、高校2年生であれば来年のその時期に「あ、最低でもこのくらいのペースでやればいいんだな」といった目安として活用してもらえればと思います。

 

よく聞かれるのですが、「最大でどれくらいやればいいですか」という質問に対しては「ねぇよ、そんなものわw」とお答えします。勉強に上限なんてありませんよ。できるなら体壊さない程度にやれるだけやったらよろしいのです。当たり前のことですが、体壊してしまったら何にもなりませんからね。でも、本当に勉強に上限はないですよね…。マニュスクリプトはさすがに読めますが、曲がりなりにも歴史研究に携わってたくせに古英語もロクに読めなきゃラテン語もダメとか…ほんとに…落ち込むわぁ。やってもやってもキリがないのが学問というものですが、それでも当座の目標達成に必要なラインというものをクリアすることが大切です。高校世界史には幸い、ある一定の枠組みや上限が設定されています。まぁ、どんなにハイレベルな大学でも、『詳説世界史研究』1冊丸暗記できていれば、そうひどいことにはならないはずです。

さて、それではいくつかのケースにわけてどれくらいの量を消化すればいいかを考えてみましょう。具体的な勉強法などは別稿に譲ることにして、まずは分量としてどの程度を見ておけばいいのかを示しておきます。

 

[4月から勉強を開始する場合]

   すでにある程度の通史の履修(半分以上)を終えており、世界史の基礎的知識は頭の中に入っている。

A 目指すのは東大、一橋など論述がメインの難関国公立だ。

 →9月までを目処に以下のものを終わらせましょう。

 ・志望校過去問を過去20カ年にわたり、週1ペースで研究しましょう。

   (月4回だとして、5か月で[夏明けごろ]20カ年分が一周できます)

   ・『詳説世界史研究』、または同レベルの情報量を持つ参考書やプリントを使っての暗記作業。

   ・難関私大向けの問題集(記述式)を少なくとも1冊、できれば2冊。

    :具体的には、簡単なところで『東書の世界史B問題集』、『山川の世界史問題集』、『Z会の世界史100題』あたりは単元ごとに分かれているので使い勝手が良くていいですね。

   ・センター向けのマーク式問題集を1冊。

    :それほどの分量はいりません。駿台の青本(実戦問題集)1周程度で十分かと。

  B 目指すのは早稲田・慶応などの難関私大だ。

    →過去問演習は夏休みに入ってから少しずつで十分です。それまではとにかく通史の把握と暗記に力をさきましょう。9月までに以下のものを終わらせるつもりで。

    ・『詳説世界史研究』、または同レベルの情報量を持つ参考書やプリントを使っての暗記作業。

    ・難関私大向けの問題集(記述式)を2冊(基礎編と応用編)。

     :できれば2周以上行いたい。

    ・センター向けのマーク式問題集を1冊。

     :2度解く必要はないが、見直しに力を入れること。

  C マーチ志望、またはセンターレベルの問題で8割程度をとりたい。

    →9月までに以下のものをつかって通史を抑えましょう。

    ・『詳説世界史B』クラスの学校教科書1冊を丸暗記。余裕があるようであれば『詳説世界史研究』に切り替えも可。

    ・質の良い記述式問題集を1冊、じっくりと仕上げること。

     :解くだけで終わらせず、解きながら特に気になる箇所のまとめや、後で見直せるように問題へのチェックを怠らないこと。できれば、2周、3周と繰り返すと良いですね。

    ・センター向けのマーク式問題集を1冊。

     :同じく、見直しに力を入れること。

 

  全体を通しての注意点

1、見直しが命。

:問題は素早く解く。(論述は除く。大問1問に10分かけるようでは遅い。)見直しにはたっぷり時間をかける。(イメージとしては、大問4つを3040分で解いたら見直しには1時間半。)

2、東大の場合、日本史がメインの時は世界史にかける時間はそこまでこだわらなくてもよい場合もあります。たとえば、『詳説世界史研究』ではなく、『詳説世界史B』をはじめとする教科書で基礎を把握し、残りは問題を解く中で補っていくなど。ただし、これは社会であまり点数を期待していない(英・数・国で点を取りに行く)タイプの受験生に限ります。

3、早稲田や慶応でも、論述のある学部については東大などに準じた形の学習が理想。

    :特に、早稲田の法学部は本格的な論述対策が必要。慶応の場合はもう少し短い形の論述が多いが、経済の論述はデータ解析などの特殊型が主なので、やはり過去問にあたることが望ましい。他にも、短い論述の対策としては前に紹介したZ会の『段階式世界史論述のトレーニング』などや、東大の小論述で練習を積んでおくとよいでしょう。

4、マーチ志望、センター対策の場合はとにかく基礎力(=知識量)をつけること。

:各予備校の模試で偏差62くらいの成績が出るまでは正直なところ基礎的な知識が不足しています。A、B、Cランクの知識で言えばBランクの知識が完全には頭に入っていないです。A、B、Cランクの知識とは、Aランクが一番基礎だとすると「名誉革命」、「ファラオ」、「カノッサの屈辱」、「ハンムラビ法典」、「始皇帝」、「長安」あたりはAランク。Bランクというと「ユトレヒト条約」、「立法議会(仏)」、「鎬京」、「一条鞭法」、「ソロンの改革」あたり。Cランクというと「カルロヴィッツ条約」、「ラシュタット条約」、「アイン=ジャールートの戦い」、「マウントバッテン」、「コムネノス朝」あたりでしょうか。多少手加減はしてる感がありますが。覚えにくいものは挙げればきりがないですね。「ラクナウ協定」とか「呼韓邪単于」とか。要は、ストーリーを構築するうえで必要な要素である、国、王朝、君主、基本的国制、都、戦争、条約、経済・文化のうちメジャーなもの、などを代表的な国や王朝についてうろ覚えでなくしっかり覚えているかどうかということです。マーチやセンター受けるだけならチョーラ朝とパーンディヤ朝の細かい区別をガッツリ覚えている必要はないですし、五代十国のあたりの細かな知識(石敬瑭とか)もいりません。でも、「唐」とか「宋」とか「明」とか言われた時に、建国者や代表的な皇帝、都がうろ覚えでは困る。つまり、そういうことです。

 

   まだ世界史の世の字も入っていない気がする。

:どこを目指すにしても、まずは基礎力が絶対的に不足しています。基本的には①のCのケースをベースとして、急いで世界史の基礎知識の充足をはかりましょう。まだ十分間に合います。入り口として使うものが「詳説世界史B」レベルの教科書ではキツイという場合には、「自分に合う」と感じる教科書や参考書を使っても構いません。ただ、そうした場合でも、できるだけ情報量は多いものを使う方がよいと思います。「覚えていない」と感じていても、実際には何度も見ているうちに体や感覚が「何となく」覚えて、それが選択問題なので効果を発揮したりします。ですが、そもそも情報がゼロではそうした感覚も養いようがありません。「基礎部分だけを覚える」と目標を定めるにしても、まずは一通りの情報に目を通すこと、そして問題集を解くときには解説から目をそらさないことがとても重要です。

 

[10月以降、勉強を進めるのであれば]

   すでに4月から東大などの国公立、早稲田慶応向けの勉強を十分に進めてきた。

・過去問演習を繰り返します。

  :国公立の場合、演習量を増やすのは12月に入ってからでも構いません。直近510年分程度を手厚く、繰り返し演習してみましょう。他校の過去問にもそろそろとりかかかるべきかと思います。基本的には問題演習をベースとして、不足した情報を自分のまとめ教材に書き込む、それを暗記する、苦手箇所をチェックする…を反復することです。その際、必ず自分がどこで間違えたのかや、何点くらいとれたか(配点がわからないときは単純に問題数でパーセンテージ計算でもよい)をチェックしておくことです。1度解いて終わらせず、必ず後で再度解いて前回と比べてみるという作業が必要になります。論述問題については、時間がない場合、あまりにも昔の問題を繰り返す場合には、メモや表、マインドマップの作成で代用しても構いません。とにかく、きちんとした形で「自分の頭を使って整理」をし、「それが正しかったかを確認」する作業を行うことが大切です。

 ・本格的にセンターに取り組みます。

  :センター型の問題集やセンター過去問に取り組みましょう。基本的な目安としては、「実戦問題集2周+過去問5年分×3周(または過去問10年分×3周)」あたりが基本の目安です。これを、大学過去問と同じような手順で進めましょう。ここでも、見直しが命です。

 ・特に見直しておきたい部分だけ、単元別の問題集で復習したり、再度まとめノートをつくるなどする。

  :もうすでに、「書いてまとめる」作業は9月までの段階で終わっています。書いている時間はもうありませんが、どうしても再度関係性を把握したい場合などについてはまとめノートを作ってみるのも良いでしょう。

 ・9月までに解いた問題集の見直しを行う。それが十分にできている場合に限り、力試しに他の問題集を解き進めてみる。

 

 だいたいこんなところですね。1日に社会に取れる時間は2時間といったところでしょう。「週に過去問×2、センター×2、問題集の大問×4程度を解いて、残り二日はまとめの時間」くらいが妥当なのではないでしょうか。(もちろん、やる気になればもっとできますが、他教科との兼ね合い次第ですね。)それでも、「月に過去問×8、センター×8、問題集の単元×4を解いたう上でまとめ」くらいはできますから、12月の冬休み直前ごろまでには「過去問20年分(10年分×2)、センター20年分(10年分×2)、問題集の単元×12にプラスしてまとめや暗記をする時間」がとれることになりますね。あとは、連休や冬休みを利用してペースを巻いていけば、通常のペースで勉強したとしてもかなりの分量の勉強をこなすことができるはずです。その上で、センターが終わる前後からさらに2次試験に向けて大学過去問を繰り返すという作業になります。授業がある場合はその授業を効果的に使うと消費時間が節約できます。大切なことは、継続して、定期的に、大学過去問とセンター過去問やマーク問題集を交互に進めていくことです。いっぺんにやろうとすると必ずムラができます。

正直に言えば、この段階では塾はおすすめしません。塾は「わからないことを紐解く」、「知らないスキルを教わる」ための場所で、「自分の中に情報をインプットし、定着させる場所」であることは稀です。通常、人はスキルを教わってもすぐには活用できません。それを活用できるようになるにはいくらかの時間が必要になるわけで、10月を過ぎた段階でスキルを与えられるくらいなら、一つでも多く自分の中に情報をインプットする時間を確保するべきです。ただし、以下の条件に合う人、または塾に通っていることで自分の力が着実にレベルアップし、役に立っているという人はこの限りではありません。

 

 ・すでに「暗記」の段階は概ね終了したので、あとは「考えを練る」ことや「解答にいたる思考のプロセスやエッセンス」の方を特に重点的に学習したい。

 ・ある程度は「暗記」できている。そのため、塾で授業を聞いたり、問題を解いたりしているうちに自分が忘れていた箇所を自然に思い出すことができ、自分で勉強するよりも効率がいい。

 ・正直、全く理解できない部分があるので、とにかくそのわからない部分をすっきりさせないと前に進めないので塾で解説してほしい。

 

このような場合には、ある程度インプットのための時間を捨てても塾に通う意味はあるかと思います。

 

   9月までさぼっちゃって、まだ全然準備できてないよ…。

:これは正直やばいです。ちょっと荒療治が必要になります。

 

・まず、センター向けの練習(過去問・実戦問題集・マーク式問題集)は定期的に解く・見直しをする時間を作りましょう。

・用いる教科書はやはり「詳説世界史B」クラスの学校教科書が良いでしょう。その上で、試験に頻出の「お前、ここは覚えていないとさすがにやばいだろう」というところだけはみっちり覚えましょう。具体的には、古代ローマ・ギリシアとか、中国で言えば秦・漢・唐・宋・明・清あたり、近代史で言えば絶対王政・啓蒙専制君主・英仏米革命・ナポレオン・帝国主義、現代史なら一次大戦・世界恐慌・二次大戦あたりでしょうか。基準がわからなければ、学校の先生や塾の先生、世界史のよくできる友達に「ここだけは覚えろ章」をピックアップしてもらいましょう。そして、その他の部分は太字だけ覚えて話の流れを理解したらあとはシカトしましょう。

・その上で(あるいはそれと並行して)、「ここだけは落としたくない」大学の過去問を重点的に学習しましょう。各大学には大学ごとの、さらに学部がわかれている場合には学部ごとの設問の特徴のようなものが多かれ少なかれ存在します。それをしっかり把握していると、余分な労力を極力使わずに必要な部分だけをピックアップして強化することもある程度は可能です。ただし、その場合以下の3点に注意してください。

 

 A:「落としたくない大学」とは第一志望の大学とは限りません。たとえば、「第一志望に合格できなければ浪人も辞さず!」と思っている場合には第一志望の大学に重点をおいて勉強するので良いのですが、もし「どうしても現役で!」と考えている場合にはたとえば「この大学だったら行ってもいい第2志望、第3志望の大学の過去問を重点的に学習」という安全策もなくはないです。9月までの段階で全然勉強していないという前提であればむしろアリでしょう。

 B:科目ごとの相性にも気をつけましょう。たとえば、ある大学の社会の過去問を重点的に勉強して、「よし!世界史はばっちり!」と思ったらその大学の英語がどうしても苦手で、「別の大学の世界史をやっておけばよかった…」なんていうことは十分にあり得ます。どの大学の過去問を重点的に学習すればよいのかということは、世界史だけではなく、総合的に判断しましょう。

 C:以上の戦略はセンターについては度外視していることを忘れないでください。もし、一部の単元や項目だけに特化した学習の仕方をするのであれば、それとは別にセンター向けの勉強を少し厚めにやっておきましょう。もちろん、センターを受験しないというのであれば、その限りではありません。

 いずれにしても、この方法で身につくのは世界史のほんの一部に過ぎません。ちょっと視点を変えた問題や、過去問とは全く違う傾向の問題が出てきたときには完全にお手上げです。余裕が出てきたら、できる限り他の学校、単元、問題集にも手を出して、インプットの幅を広げることを忘れないでください。

 

 さて、以上になりますが、いかがでしたでしょうか。かなり簡潔にまとめたので十分に書けなかった部分もあります。特に、具体的な勉強法ですね。問題集はこんなふうに進めようとか、できなかったところのチェックはこうするとあとでわかりやすいとか…時間のある時にその辺の工夫もあげていければと思います。人によって状況は様々でしょうが、その時その時で適した学習法は異なってくるかと思います。遮二無二学習を進めることが何より大切ですが、少し余裕ができたら自分のすべきことを整理してみる時間も大切だと思います、頑張ってください!

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 そもそも解説の必要があるのかなとも思ったのですが、案外参考書や問題集関係の情報は需要があるみたいなので、載せておきます。言わずと知れた「山川の用語集」こと『世界史B用語集』(山川出版社)です。世界史に登場する基礎的な用語を全て網羅している優れもの用語集として、受験生ばかりでなく教育機関含め各所で愛用されている基礎参考書の一つですね。ただ、一言だけ言っておきたい。

 

 少なくとも、私は受験生の頃、これを持っていませんでした。

 

もちろん、全然使ったことがないわけでも見たことがないわけでもなかったですが、少なくとも普段使う参考書の中にこの本は全く入っていませんでしたね。正直、逐一この用語集を調べるくらいでしたらまず例の『詳説世界史研究』をあたりましたし、そんな時間があれば一問でも多くセンターや大学の過去問あたりました。実際、それでも十分に偏差70以上は確保できます。あれば便利なのでしょうが、成績を取る上で絶対に必要かと言われればそこまでのものでもないでしょう。 

別に、この参考書がダメだと言っているんではありません。この参考書はとても優れた参考書で、私も重宝しています。今手元にあるのは2012年版(すいません、新しいのは職場においてきましたw 今あるのは部屋にある私物です)ですが、ボロボロになっています。それくらい使っているということですね。ただ、私思うんですが、この参考書は「受験生がこれをもとに世界史通史を勉強するための参考書」ではないと思うんですよ。この参考書はそのタイトルにもあるように「単なる辞書、用語集」なのです。 

たしかに、各用語は時代ごとに配置されていますし、順番に出てきます。でも、だからといって一つ一つの用語が教科書や参考書にあるように話の流れの中で配置されているわけでもなければ、それぞれの関係性も見えません。ヨコの流れもなければタテの流れもない、基本的には一語一語が断絶している、そういうものなんです。たとえば、国語の辞書を引いた時に、「秋」の次に「悪」が出てきたとしますよね?関係ありますか?英語の用語集で、’vocational(職業の)の次に’pertinent(関連のある)が出てきたとしても同じように関連はないでしょう。いや、pertinentだから関連はあるとか、そういうことではなく。つまり、これはあくまで「用語集」なんです。その範囲では素晴らしい出来ですが、だからといって教科書や、参考書や、問題集の代用になれるものではない。

ところが、受験生の中にはこの用語集を「参考書」状態にして使う人がいるんですね。付箋はりまくって、マーカー引きまくり、文字書きまくりで。多分、コンパクトだから持ち運びはしやすいし、試験に出てくる用語は全部載っているんだからそれでいいじゃんと思っているのでしょう。ご本人が勉強家で不利な点をカバーできるのであれば問題はないのですが、通常は先ほども述べた通り、それではタテ・ヨコの流れはつかめませんし、用語集には地理情報も載っていません。たとえ、用語集に複数の戦いの名前や事件(たとえば、アドリアノープル遷都に、コソヴォの戦いやニコポリスの戦い、アンカラの戦い)が載っていたからといって、オスマンがまさにバルカン半島へ奥深く侵入しようとするルートや、それをティムールに阻まれる様子を思い描くことは難しい。

ですから、この用語集を使う際には、あくまでも「用語集」としての長所を生かした使い方をしてあげるべきでしょう。本当は、学校の先生が使う場合と受験生が使う場合とで便利な使い方のようなものを分けて示してあげたりした方が親切なのですが、そこはさすが天下の山川ですから、エンドユーザーの顔まで見た気づかいは微塵も感じさせませんw 通り一遍の「使用上の留意点」と「まえがき」がついているだけですね。それでも売れるだけの質を兼ね備えているからできることなのでしょうが、何十年も出しているんだからもう少しサービス精神があってもいいような気はしますw ただ、ベストセラーなだけあって、下にあげたような短所長所はありますが、労力を惜しまず作られた良書であることには変わりがありません。一冊あれば便利であることには違いないでしょう。

 

[長所]

・「世界史B」教科書11冊から学習に必要と思われる用語を選んだ、と豪語するだけあって、さすがに基本的な用語はきちんとそろっています。国王の生没年と在位年が分けてあるところや、文化人の生没年が付してあるところなども素晴らしいですね。教科書や参考書では前後関係が不明確になってしまう場合には重宝します。

・通常の教科書ではおろそかになりがちな文化史に関する用語に詳しい説明がついていることも良いです。文化史が覚えにくいのはやはり「その作品がどんな話なのか」など、作者や作品のバックグラウンドに関する情報不足からくることが多いです。(ダンテがベアトリーチェLoveなあたりがルネサンスなんだ!とかが伝われば『神曲』や『新生』に対する愛着もわこうというものです。)同じく、必ずしも十分ではありませんが思想史に関する事柄も、ある程度内容がわかるようになっている点は、この用語集を使うにあたり特に受験生が重宝すると思います。

・索引が丁寧に作られており、求める語が引きやすいです。

・各項目も、極力その内容をくみ取りやすいように書かれています。(たとえば、「ユトレヒト条約」の項目については、この条約がどのようなものかという概略が簡単に示された上で、受験でよく出題されるこの条約で割譲された各地方(ハドソン湾地方、アカディア、ニューファンドランド、ジブラルタル、ミノルカ)が出題頻度とともに別途示されています。

・教科書11冊に出てくる頻度がなどの形で示されています。

 

[短所]

・あくまでも「用語集」なのであり、タテ、ヨコのつながりがわかるほどではありません。

・地図、図表などは当然のことながらまったくありません。

 

 ここまではそもそも本書が「用語集」なのですから当たり前といえば当たり前で、むしろ使う側が「使い方を間違えて短所にしてしまっている」部分があります。ですが、以下の短所については改善の余地があるでしょう。

 

・初めて手に取る受験生などはどのように活用したらいいか意外に見当がつきません。そのため、買うべきか買わざるべきか、限られたお小遣いの中で迷う人もいるようです。

といった頻度はあくまでも「教科書11冊」を調べた中で判明した登場頻度であって、これが受験で出題される頻度とは必ずしも一致しません。ところが、これを勘違いしている受験生が非常に多いんですね。ですから、本来は本書の冒頭にこの点に関して注意を喚起する注意書きがあってしかるべきかと思います。

実際の受験現場では本書に登場しない用語からも多数出題されています。たとえば、『詳説世界史研究』では登場するフィチーノなどは本書には出てこないようです。おそらく、用語的な穴という意味では『詳説世界史研究』の方が少ない気がします。(もっとも、どんな参考書を用いたとしても穴は存在します。ただ、本書の場合、早慶などの難関私大の受験を考えた場合、看過してよいものかどうか迷うレベルだということです。やはり、複数の参考書や問題集に目を通すことが一番だと思います。)

 

(おススメの人)

・時間はたっぷりある人(すくなくとも1年)

・細かいところに気を配る丁寧な学習を心がけている人。

・文化史、思想史などの背景を「手軽に」、「簡潔に」知りたい人。

・本書をあくまでも「用語集」として使うつもりの人。

(おススメしない人)

・時間に余裕のない人(受験まで数か月)

・そもそも、細かいところまで気にせずざっくり歴史を学べれば十分という人。

・文化史、思想史の背景を「深く」知りたい人。

・タテ、ヨコのつながりや地理的情報を入れたい人。

・参考書や問題集の代用として使うつもりの人。

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さて、昨日イタリア戦争の中でバーゼル公会議とフェラーラ公会議について書いていて思い出しましたので、私がこれまでに扱った一橋の難問・奇問の中でもとびきりの悪問であると感じている一橋「世界史」過去問(2003年、大問1)を取り上げてみたいと思います。この問題を取り上げたいのは、確かに「おいおい、それはいくら何でも無茶ってもんだろっ!」というツッコミにも似た感情を皆さんにも共有していただきたいという、いささか野次馬根性的な部分も確かにございますが、それ以上に、このレベルの悪問に対して受験生はいったい何をして、どう対処すべきか、ということを示してみたいと思うからです。

 

 受験というのは非情です。私が浪人して臨んだ1997年のセンター試験旧課程数学は非常に凶悪であったことで知られています。なんと、現役生の平均点よりも浪人生の平均点が22点低いという事態が発生したのですw 数学を苦手としていた私は思いっきりそのあおりをくってしまいました↓ ただ、どんなに凶悪な事態が発生したとしても、「お上(大学当局など)」が「特に対応はいたしません」といえば何の救済もなされないわけで、受験生は泣き寝入りするしかありません。だから私はその時のことをセンター試験に「失敗した」と書くわけです。結局当時私は二次試験で挽回する自信はありながらも「足切りで試験すら受けられない」という事態を回避するために東大を受けずに一橋を受験したわけですが、その判断もセンターで点数が取れなかったことも含めて結局は「自分の失敗」なのです。もっと言ってしまえば能力不足です。同じように受験しながらも堂々と怪しげもなく東大に進学する人もいるわけですから、なぜ失敗したのですかと言われればそれはセンター試験のせいではなく自分のせいなのですね。

脱線してしまいましたが、受験生としては、一見すると不公正な問題の格差や「悪問」に出会うという「不測の事態」に遭遇する危険性は常に付きまとうわけで、だとすればそこでどういう対応をするか、その対応力も含めて問われることになります。問題が「悪問」だからというのは慰めにはなっても言い訳にはならないのです。そこで、そうした場合にどういう対処が可能なのか、2003年一橋の問題を例に取り上げてみたいと思います。

 

 2003年一橋の大問1は、問題自体が短いものですし、内容を見てみないとどの辺が「まずい」のかというニュアンスが伝わらないかと思いますので、概要を示すのではなく全文を示したいと思います。

 

  

 15世紀イタリア社会の動向は、オスマントルコの小アジア、バルカン地方への進出と深く関係していた。トルコ勢力の攻勢の前に領土縮小を余儀なくされたビザンツ皇帝が自ら西欧に赴き、援軍の要請を行ってイタリア社会に大きな影響を与えたし、この時期多数のギリシヤ人が到来して、この地の文化活動にも影響を与えたからである。オスマントルコの進出に伴うこの東西キリスト教世界の交流と、それが15世紀イタリア社会に与えた影響について論じなさい。(400字以内)

 

 これがその問題です。ちなみに、私は一橋の設問が常に悪問や奇問の類だとは思いません。一橋が、受験生に材料を示した上で「歴史学的なものの考え方をさせたい」と考えたある意味では良問とも言える設問を出題しているということについては、一橋大学「世界史」出題傾向で示した通りですが、それにしてもこの2003年の問題はひどいです。何がひどいかといえば、まず、近年の設問では必ず用意されている「受験生の知らない歴史的知識のヒントとなる材料」が全く示されていません。近年の問題では与えられた史資料などをもとに読解・推量によってある程度解答への道筋をつけることができるのですが、本設問では全くそれがありません。さらに、本設問が要求している内容は完全に高校生の学習内容を逸脱しており、教科書・参考書のどこをみてもほとんど記述らしい記述がありません。

それでは、どのような設問なのか解説を進めていきましょう。まず、設問の内容を確認します。

 

[設問の要求]

 「オスマントルコの進出に伴うこの東西キリスト教世界の交流」について論ぜよ

 15世紀イタリア社会に与えた影響について答えよ」

 

 ここで、の「この」とは何かを確認すると、直前に「トルコ勢力の攻勢の前に領土縮小を余儀なくされたビザンツ皇帝が自ら西欧に赴き、援軍の要請を行ってイタリア社会に大きな影響を与えたし、この時期多数のギリシヤ人が到来して、この地の文化活動にも影響を与えた」とあります。ここでさらに「この地」がどこかを確認すると「多数のギリシヤ人が到来し」た地であるからこれは「イタリア」のことを指しています。ですから、「この」東西キリスト教世界の交流とは一言で言えば「イタリアとビザンツ(ローマ=カトリック教会とギリシア正教会)の交流」ということなのですが、そもそも問題文自体が「このこのこの」状態なのでとてもわかりづらいです。大学受験レベルの設問で指示語連発は正直やめて欲しいです。

 設問とほぼ同じ内容をわかりやすく書くとこうなります。「オスマン=トルコの攻勢により領土縮小を余儀なくされたビザンツ帝国では、皇帝が自ら西欧に赴いてイタリアの社会に大きな影響を与えるとともに、帝国内のギリシア人が多数イタリアに到来したことで、文化活動にも影響を与えた。」です。だいぶ意味が取りやすくなりませんか?あんまり変わらないですかねw 

さて、本設問のイカンところは何も設問の文章がイマイチ分かりにくいということにあるのではありません。設問の要求について分析してみましょう。

 

[設問の要求に対する分析]

・まず、に該当する内容は世界史の教科書・参考書・用語集ともに全く載っていません。受験生にとって、「ビザンツ帝国からイタリアへの援軍要請」というと真っ先に思い浮かぶのはアレクシオス1世ですが、これは11世紀にセルジューク=トルコにより圧迫されたことが原因ですから、本設問とは無関係なのは明らかです。「15世紀に皇帝自らが西欧に赴いて援軍要請した」ということになると、該当するのは昨日のイタリア史補足の中で紹介したパラエオロゴス朝のヨハネス8世です。彼が、バーゼル公会議(1431)、フェッラーラ・フィレンツェ公会議(1438-1439)で西欧からの援助を得るために東西教会の統合を提案してオスマン=トルコに対する十字軍を要請したことは書いた通りです。彼のこの提案にローマ教会側も同調し、最終的には東西教会の合同会議と将来の東西教会合同の署名を交わすことが実現しました。

・次に、についてですが、東西教会による公会議の影響と成果についてまとめると、おそらく以下のようになると思います。

 

A 最終的に東西教会の合同は実現せず

:東側が十分な合意形成を行わず反対論が噴出したこと、政治的な思惑から来たものであったことから失敗。

B アルメニアの教会の一部がローマ教皇の教皇権を認めるアルメニア典礼カトリック教会が成立。

C ルネサンスへの刺激

:ギリシアから多くの知識人が亡命し、ギリシア語文献が伝わったことで、これまでプラトン哲学などに関心を示しながらもギリシア語が読めなかったフィレンツェなどの人文主義者たちがギリシア哲学に触れることが可能に。

   

以上の3点になります。中でも、Cについてはまず、ビザンツ学者のプレトンによるプラトン哲学講義によってフィレンツェのプラトン熱が高揚したため、コジモ=デ=メディチによるプラトン=アカデミーがはじめられます。この中で、フィチーノをはじめとする人文主義者が集い、愛や美をめぐる知的な討論、異教的な思想が醸成されていきます。また、フィレンツェでは美術面でもボッティチェリ「春」、「ヴィーナスの誕生」などが生まれる思想的土壌を育んだと言えるでしょう。ですが、上にあげたA~Cのうち、設問の要求である「15世紀イタリア社会に与えた影響」として適切なものはCのみです。また、かろうじて世界史の教科書に出てくるレベルの知識もCのみですが、それにしても内容的には薄いでしょう。「東西キリスト教世界の交流」については書きようがありません。バーゼル公会議(1431)にフェラーラ公会議・フィレンツェ公会議(1437-39)なんて『詳説世界史研究』にすら一字も出てきません。ちなみに、比較的2003年に近い2000年版の『詳説世界史研究』にはこのあたりの事情について以下のような記述になっています。

 

P.191に「後期ビザンツ帝国」の項目があり、パラエオロゴス朝(1261-1453)についても記述がありますが、「ニコポリスの戦い(1396)で敗れ、その後も敗退を続けた。そして1453年メフメト2世率いるオスマン軍によりコンスタンティノープルが陥落」と、見事に該当箇所はすっ飛ばされています。

P.306に「オスマン帝国の拡大」の項目がありますが、ここも「1402年アナトリアに侵入したティムールにアンカラの戦いにおいて敗れ、捕虜の身のまま死去し、これによってオスマン朝の征服戦は一時中断した。メフメト2世は、1453年コンスタンティノープルを約10万の兵を率いて包囲」とあり、こちらも一字も言及されていません。

P.228には「参考」としてメディチ家のプラトン=アカデミーについてのコラムがやや詳しく載っています。コジモ、ロレンツォなどのパトロンの名やブルネレスキ・ギベルティ・マルシリオ=フィチーノといった文化人の名はいくらか挙げられていますが、ビザンツとの絡みは一切かかれていません。

・おそらく、唯一当時のビザンツのルネサンスへの影響について示されているのは、P.192の「ビザンツ文化」の項目です。ここにはビザンツ文化の歴史的意義のひとつとして12世紀ルネサンスをあげた上で「さらにイタリア=ルネサンスの開花にも影響を与えた」としか書いていません。

 

つまり、2003年当時の受験生にとって、この年の一橋の大問1は「どうしようもない」、「手の出しようがない」のです。では、彼らにはどんな道が残されていたのでしょうか。解答作成への道を探ってみたいと思います。

 

[解答作成の道順] 

・高得点を取ることは至難。というより不可能に近い。

・世界史の参考書レベルの知識でどうにかするとすれば以下の流れがベスト。

 

  オスマンのバルカン進出について軽くアピールする

:もっとも、コソヴォの戦い(1389)、ニコポリスの戦い(1396)はともに14世紀末なので厳密には不適切な上、アンカラの戦い(1402)でオスマンのバヤジット1世はティムールに敗れるので、使い方が難しいです。実際のところ、アンカラの戦いでオスマンのバルカン進撃が停滞したということをきちんと把握している受験生がどれだけいるでしょうか。

  とりあえず、ビザンツ皇帝が援軍を求めにやってきたことを書く。

:これは、設問に書いてあるから書けますね。ヨハネスの名前は出せなくても、時期的にビザンツの最後の王朝ですからパラエオロゴス朝の名前をあげることは不可能ではありません。

  ギリシアの学者や文献の流入がルネサンスを刺激したことを示す。

:これも、12世紀ルネサンスの流れが理解できていれば、イタリア=ルネサンス期に 同様の流れがあったことを理解することは難しくありませんし、多分きちんと勉強している受験生なら知っていることです。

   ルネサンスとギリシア哲学を結びつけることが可能な具体例を探す。

:なかなか実例が出てこなくて困るかもしれませんが、幸いなことにルネサンスの中心であるフィレンツェがこうした舞台なわけですから、フィレンツェにおけるルネサンスの展開を思い出してみましょう。その中で「プラトン=アカデミー」の名前を思いだせたらしめたものです。「プラトンギリシア!」の連想から、少し膨らませて書いてみましょう。『詳説世界史研究』を舐めるように読んでいる人であれば、他にもフィチーノ、人文主義者などのキーワードを思いつくことは可能なはずです。『チェーザレ』を読んでいれば『ニコマコス倫理学』なんていうワードももしかしたら出てくるかもしれませんw

 

以上のをふまえて、「何とか周りの受験生とは差がつかない程度の不時着的な解答をつくるとすればどのあたりが限界か」を考えてつくった解答が以下のものになります。

 

[解答例]

 コソヴォの戦いやニコポリスの戦いでセルビアやハンガリーの一部を支配したものの、ティムールにアンカラの戦いで敗れたことでバルカン半島への進出を停滞させていたオスマン帝国は、15世紀前半にバルカン地域への拡大を再開した。この動きに恐れを抱いたパラエオロゴス朝の皇帝は、西欧諸国に対して援助を請うため自ら西欧へと赴いたが、これを契機に多くのビザンツの学者が東方貿易によって富を蓄積して発展していた北イタリア諸都市の貴族や人文主義者たちと交流することになった。ビザンツ帝国の学者との交流や書籍の流入はイタリアの人々の古代ギリシア哲学への理解を深めさせることにつながり、イタリア=ルネサンスが花開く一つの原因ともなった。特に、銀行業などによってメディチ家が力をつけてきていたフィレンツェでは、当主であるコジモによってプラトン=アカデミーと呼ばれる人文主義者の集まりが開かれ、フィチーノなどの人文主義者を輩出した。(400字)

 

正直、このあたりが限界でしょう。逆に言えば、このくらいの解答であれば「書こうと思えば書ける」レベルのものであるということになります。当然、上の解答は十分に設問の要求には答えきれていない、満点解答にはほど遠い内容のものです。(たとえば、「東西キリスト教世界の交流」のあたりはほぼスルーしていますね)。ですが、「周りの受験生と比べたときに、大きく減点はされない」という視点から見れば、この解答は十分に合格答案なのです。俗に「悪問」と呼ばれる類の問題が出た場合、「いかに他の受験生と差がつかないようにするか」を考えることが最善手です。なぜなら、その問題が本当に「悪問」であれば「他の受験生も同じように書けない」からです。ここは重要です。もし他の受験生が書けてしまうようであればそれは「悪問」ではなく、単に「その人にとって難しい設問」であるにすぎません。

 では、どうすれば「他の受験生と差がつかない」ようにすることができるでしょうか。方法はいくつかありますが、まず何よりも大切なのは「設問の要求を外さない」ことです。これは何度も言いますが論述問題を解く際の基本です。どんなに無茶な要求であっても、大きな方向性として設問の要求から外れてはいけません。次に、「歴史的事実に基づいて書く」ということです。いくらわからないからと言って全くのウソを書いてしまっては意味がありません。自分の知っている知識の範囲で、関連するものはないか必死に絞り出してみましょう。さらに「設問から読み取れることをヒントにする」ことも大切です。今回の設問は、情報的には少ないとはいえ、「ビザンツ皇帝が西欧に自ら援軍を求めてきたこと」は読み取れました。ここからは「オスマン帝国がバルカン半島への進出を再開したこと」がかなり確証をもって推測できますので、これを15世紀初頭のアンカラの戦いと結びつけて書けば、一定の歴史的事実をしめすことができます。また、「パラエオロゴス朝」が導かれたのも設問をヒントとしてです。そして最後に「情報を総合して確度の高い推量を行う」ことです。今回で言えば、「イタリア社会に与えた影響」というのがルネサンスへの刺激であったこと、そしてそれがギリシア文化人とフィレンツェを中心とする人文主義者との交流にあったことなどはおそらく間違いのないことだということは推量できます。こうしたことを積み重ねていけば、2003年のようなどうしようもない「悪問」が出たとしても何とか対処することはできるわけです。

 

いかがだったでしょうか?「そんなことできるわけがない」と思うかもしれませんし、「何だ、この程度しか書けないのか」と思われるかもしれません。もちろん、先に示した解答例ほどのものが書けなくてもよいのです。要は、「周りの受験生と比べて遜色ないものに仕上げること。」この部分をしっかりとらえていけば、どんな事態にも落ち着いて対処できると思います。そしてこれは多分、「悪問」や「奇問」が出たときだけのことではありません。結局受験というものは、「(その大学を受験する)平均的受験生よりも、自分は一歩先を行けたか」ということに尽きるからです。もし「不測の事態」に出会ったとしても自信を持って対処してください。みなさんの努力はきっとそういう時に何かしらの形で力になってくれると思います。

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