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大学受験向け世界史情報ブログ

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※ 問題解説では、著作権で怒られても困るので、解説に必要な最小限の問題概要のみを示してあります。あくまでも解答にいたるまでの「考え方」を示すためのものでありますので、過去問の正確な内容については各大学にお問い合わせいただくか、赤本買ってくださいw 問題全てが手元にあった方がわかりやすいと思います。

ヘッダーイラスト:かるぱっちょ様

【論述問題についての一般的な知識と注意】

 最も重要なことは、その設問が「求めているものは何か」ということと、「設問の意図」をくみ取ることです。また、設問が付している条件や注意に十分留意する必要があります。設問の要求や条件を満たしていない場合、どんなに歴史的な知識や用語を盛り込んだとしても、点数は大きく下がるものと思っていいでしょう。

たとえて言えば、母親から「ちょっとー、今日夕飯食べるの~?」と聞かれたのに対して「8時~」と答えるようなものです。母ちゃんは夕メシを食うか、食わないかを聞いているのであり、時間を聞いているのではありません。「8時って言ってるんだからその時間にメシを食うって意味だって分かれよ」というのは傲慢というものです。そんなことができるのは斉木楠雄だけです。

 論述とは、出題者の意図した質問に対して、正確かつ明確にこたえることが要求されるものです。つまり、論述では出題者とのコミュニケーション能力を問われています。「論述対策とは何ですか?」と問われた場合、「それはコミュニケーション能力を養うことです」と私は答えたい。普段から単語だけで済ませるような会話で人に接するのではなく、主語と述語の関係を明確に示したり、時系列や因果関係をはっきりと示して物事を説明するコミュニケーションをとっていれば、それが自ずと論述力を高めることにつながると考えてよいでしょう。

もっとも、世界史の論述対策として示すにあたって、「国語力を鍛えろ」というだけではいかにも無責任ですので(真実ではあるのですが…)、世界史の論述を組み立てるにあたり、知っておくと良いと思われるいくつかの知識と注意点は示しておきたいと思います。

 

(1、種類)

A 事項説明型

B 展開・経過説明

C 変化説明

D 比較・相違説明

E 特徴説明

F 意義説明

G 背景・理由説明

H 結果・影響説明

 

 これだけではありませんが、基本的な枠組みを知っておくほうが論述を進める際には便利です。

 

(2、字数)

30字から600字程度の論述まで多岐にわたりますが、基本的な基準としては60字論述に3つから4つほどの採点基準が入ってくると考えていいでしょう。60字論述であればこの中に通常は一つから三つの短文が入り、対比・経過・特徴などの説明がされることになります。

 

ex.1)「設問:上座部仏教と大乗仏教の教えの違いを60字以内で示しなさい」

 

(A)上座部仏教では出家者が自己の解脱を目指して修行を行うことを重視したが、(B)大乗仏教では菩薩信仰を中心に万人の救済を目指した。 (60字)

 

:この例ではAとBの対比と、上座部仏教・大乗仏教の内容説明になります。

 

ex.2)「設問:クシャーナ朝が栄えた理由を、交易という観点から60字以内で説明しなさい」

 

(A)クシャーナ朝は(A)西北インドから中央アジアを支配し、(B)中国とローマを結ぶ交通の要衝をおさえ、(C)東西交易によって経済的に栄えた。  60字)

 

:この例ではAで地理的な支配地域を示し、Bで交易が盛んになる前提や対象を示し、Cでどのような種類の交易を行っているかを示しています。

 

  例題はどちらもZ会の『段階式世界史論述のトレーニング(改定版)』から引用しました。

 

【論述を書く際にありがちな誤りと注意】

1、文章にねじれがある(主語が判然としない、述語が正確に使われていないなど)

:長い文章を書いているうちに文全体の主語とその後の述語にねじれが生じてしまうということはよくあることです。こうした誤りは物事の関係性が正確に読み取れない原因を作ることになるため、採点のしようがなく、減点対象となってしまいます。

 

(例)「設問:秦が郡県制を採用したのはなぜか」

 ・不十分な解答例:「反乱がおさえられ、皇帝に権力を集中するため」

:この場合、設問が要求している通り主語が「秦」であるとすれば「反乱」は「秦」が「おさえる」ものです。「おさえられ」では主語が「反乱」になってしまいます。よって、以下のようにするのが正しいです。

 

・良い解答例:「(秦が)反乱をおさえ、皇帝に権力を集中するため」

 

2、助詞などを正確に使えていない

(例)「郡県制は中央集権的である各地に中央から役人を派遣したのに対し、郡国制は都の周辺は役人を派遣したのを、地方は土地を与えて王として封じた。」

 

:不正確な助詞を用いると、文章の意味自体が変わってしまったり、文意が取れなくなってしまいます。(たとえば、「中央集権的である各地」としてしまうと「中央集権的であること」は「各地」の形容詞になってしまいます。「中央集権的であり、各地に中央から役人を派遣した」が正しい。また、郡国制についての説明も「郡国制は都の周辺には役人を派遣し、地方には土地を与えた王を封じた。」とした方がすっきりします。もっとも、「封ずる=土地を与えること」なので土地を与えた王を封じたってちょっと気持ち悪いですが。)

 

このように、文章自体がしっかりしたものでないと、歴史的な用語や必要な要素に誤りがなかったとしても、文意が取れないと判断されて正解にはしてもらえなくなる可能性がありますので注意が必要です。上記のような文法上の誤りを避けるためには、以下の2点に注意すると良いでしょう。

 

① 「主語は何であるか」に注意を払うこと

② 長い文章としてつなげる前に、まず短い文章を複数作ること。

 

:たとえば、「ローマ教会は東ローマ帝国と対立していた」という文と「ローマ教会は政治的な後ろ盾を欲していた」という文を頭の中でつくり、最終的に「ローマ教会は東ローマ帝国と対立していたため、政治的な後ろ盾を欲していたから」という文章としてまとめ、関係にねじれがないかを確認する。

 

他にも多くの注意点はありますが、それについては各校の論述対策や別の記事の中で示していくことにしたいとおもいます。

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(この記事は執筆当時のもので、現在は古くなっている情報を含んでいます。最新の記事であるhttp://history-link-bottega.com/archives/14929526.htmlを合わせてお読みください)

すでに一橋「世界史」出題傾向1(1995年~2016年)で述べましたが、ここ数年、一橋大学では出題傾向に大きな変化が見られます。これまでの一橋は、深い歴史的知識の整理が要求される設問が多い反面、出題範囲に大きな特徴があったことから、神聖ローマ帝国周辺史や中国近現代史を集中的に勉強する、いわゆる「ヤマをはる」勉強を行えば、ある程度は対応できた部分もありました。しかし、最近の傾向変化によってこうした従来型の出題傾向把握では対処できない部分が増ええきたように思われます。そこで、今回は出題傾向に変化が見られ始めるここ56年ほど(2011年ごろ~2016年)の傾向に特に注目して、その変化の内容と注意点を示してみたいと思います。

 

[ここ数年における出題傾向の変化とその原因]

 

この数年の出題傾向に大きな変化が見られることは特筆に値します。この出題傾向の変化には、かつて一橋で力を持っていたドイツ関連の研究者たちが定年を迎えて入れ替わる反面、新しい分野の研究者たちが一橋の西洋史・東洋史の指導者として招かれはじめているところが大きいのではないでしょうか。

「研究者の専門分野なんかに意味はない」と思うかもしれませんが、さにあらず。特に一橋においては以下に示すように各教員の専門分野と出題の関連性は極めて高かったです。また、近年東大をはじめとして「世界システム論」や「イスラーム世界」といったテーマが取り上げられている背景には、もちろん近年のグローバル化やイスラーム原理主義の台頭といった問題関心が強まっていることもありますが、こうした分野を専門にしている研究者が多いことも背景にあると思われます(東大の副学長である羽田正はイスラーム史の専門家です)。

一橋大学の研究者に関する詳細なデータは一橋大学HPトップページ右上検索から「史学 教授」と検索すれば教員紹介ページが出てきます(http://www.soc.hit-u.ac.jp/teaching_staff/)ので、本学を第一志望に考えている人はぜひ一度は目を通して参考にして欲しいと思います。受験問題に対応するという意味だけでなく、これから自分が通おうとする大学の教授陣がどのような問題関心を持っているのかを知ることは、意味のあることだと思いますので。「歴史社会研究分野」となっている部分が主な該当部分だと思われます。

 

それでは、具体的な例を挙げましょう。現在は「留学生・グローバル化関連担当」教授である中野聡教授の専門は環太平洋国際史・米比関係史などですが、これは一橋大学2015年度大問2の「ECASEANの共通点と相違点」、2012年度大問2の「国際連盟と国際連合の設立とその問題点」や2008年度大問2の「米西戦争」をテーマとした設問などと親和性が高いです。また、現在は総合社会科学専攻に籍を置いている糟谷啓介教授は、歴史社会研究分野に籍を置いている頃は閔妃政権や李朝末期の権力構造をテーマとしていました(ちなみに現在は加藤圭木専任講師がいますが、加藤講師の専門テーマは「日露戦争と朝鮮」、「植民地支配と公害」、「慰安婦問題」などです)が、こうしたテーマも同校の大問3に影響しているようだ。こうした研究テーマが設問に影響している以外にも、以下の2点は近年の設問の変化として強調しておくべき点であると思われます。

 

     出題範囲が従来よりも広い

:これは特に大問12で顕著で、ここ十数年で言えば頻度の低かったイギリス史(2014年度大問1:ワット=タイラーの乱)や、神聖ローマ帝国とは関連の薄い中世史もしくは宗教史(2016年度大問1:聖トマスとアリストテレスの都市国家論の相違[ギリシアポリスと中世都市の比較])などが2010年度以降たびたび出題されるようになってきています。これまではすでに述べてきた出題傾向を念頭にある一定の分野だけを学習してもいくらかの得点を得ることが期待できていたのに対し、近年はいわゆる「ヤマをはった」学習の仕方では総崩れになる恐れが出てきていると言えるでしょう。

 

      史料や設問文からその意味や出題者の意図を読む、より深い読み取りが要求されている

:これまでの史料問題では、史料そのものには深い意味はなく、史料と設問は独立していることが多かったように思います。しかし、近年は史料や設問の本文自体にかなり重要な意味が持たせられており、これを読み解くことで論述の大きな枠組みが初めて得られるという設問が増えてきています。一方、ここで必要とされているのはむしろ国語的な読解力であり、必ずしも深い歴史的知識は必要としません。時間の制約はあるものの、すぐに論述の方向性が見いだせない時には史料や設問本文をじっくり読むという作業が必要になる可能性もあるということは頭に入れておくべきでしょう。

 

(例)2016年大問1 「聖トマスとアリストテレスの都市国家論」

 

I 聖トマス(トマス=アクィナス)に関する次の文章を読んで、問いに答えなさい。

 

 聖トマスは都市の完全性を二因に帰する。すなわち第一に、そこに経済上の自給自足があり、第二には精神生活の充足、すなわちよき生活、がある。しかして、およそ物の完全性は自足性に存するのであって、他力の補助を要する程度、においてその物は不完全とされるのである。さて、霊物両生活の充足はいずれも都市完全性の本質的要件であるが、なかんずく第一の経済的自足性は聖トマスにおいて殊更重要視される。「生活資料のすべてについての生活自足は完全社会たる都市において得られる」と説かるるのみならず、都市はすべての人間社会中最後にしてもっとも完全なるものと称せられる。けだし、都市には各種の階級や組合など存し、人間生活の自給自足にあてられるをもってである。このように都市の経済性を高調することは明らかに中世ヨーロッパ社会の実情にそくするものであって、アリストテレース(アリストテレス)と行論の類似にもかかわらず、実質的には著しき差異を示す点である。聖トマスにおいてcivitasは「都市国家」ではあるが、「都市」という地理的・経済的方面に要点が存するに反し、アリストテレースは「都市国家」を主として政治組織として考察し、経済生活の問題はこれを第二次的にしか取り扱っていない

(上田辰之助『トマス・アクィナス研究』より引用。但し、一部改変)

 

 *civitas:市民権、国家、共同体、都市等の意味を含むラテン語。

 

問い 文章中の下線部における聖トマスとアリストテレスの「都市国家」論の相違がなぜ生じたのか、両者が念頭においていたと思われる都市社会の歴史的実態を対比させつつ考察しなさい。

 

上の問題を一読すると「そんなことは習っていない」と投げてしまいそうになる設問ですが、本文(もしくは下線部)をよく読むと、聖トマスが生きた「都市国家(=中世都市)」が地理的・経済的要素にその特質の多くがあるのに対して、アリストテレスの生きた「都市国家」は政治的組織としての要素が色濃いと言っているに過ぎません。これが分かれば、ここでいう両者の都市国家論の対比というのは「中世都市とポリスの対比」をせよということに気付くことは難しくありません。また、中世都市とポリスの性質などは一橋を受験する受験生には基礎レベルの知識と言えます。

 つまり、一橋大学では必ずしも重箱のすみをつついたような歴史用語や事実についての知識を要求しているわけではありません。むしろ、近年は史資料の読解能力、大きな枠組みにある一定の歴史的事象を位置づけて解釈する能力、そしてそれらを支えるための最低限の現代文読解能力が要求されています。一言でいえば、大学に入学後は様々な書籍を読み、議論したり、レポートを書くことになるわけで、そうした大学生になってから必要となる最低限のスキルを身につけているかどうかが問われていると考えるべきでしょう。一部の塾や過去問解説では、一橋があまりにも専門的な事柄や歴史学的な理解を設問に盛り込むことについて疑問を呈する向きもあるようですが、私は必ずしもそうは思いません。一橋は何もないところからそういう専門的な知識を問うているのではないからです。そうではなく、まず史資料を用いて専門的な歴史的理解を「紹介」した上で、受験生に彼らがもっている知識や理解をもとに「紹介」された専門的な事柄を整理しろと求めているに過ぎません。むしろ、史資料を読めば答えの一部はそこに書いてあるのであって、これまでの問題よりも一部の受験生にとっては易化している面もあるのではないかと思っています。いずれにしても、「本当の意味での歴史的理解とは何か」ということを、これから大学に入ろうとする受験生に歴史学を「体験」させるという意味ではよく考えられた良問であると言えるでしょう。(もっとも、そうした要素を加味しても「これは…(汗)」と思う悪(難?)問もたまーに含まれています。そういう時は、周りと比べて見劣りしない程度の解答に仕上げることに専念すべきでしょう。)

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(この記事は執筆当時のもので、現在は古くなっている情報を含んでいます。最新の記事であるhttp://history-link-bottega.com/archives/14929526.htmlを合わせてお読みください)


 どの大学でも出題傾向を把握することはとても大切ですが、一橋大学の世界史では意欲的な出題がされることが多いため、特にその傾向が強くなります。以下、全体の簡単な特徴をしめした上で、大問ごとの出題傾向について紹介します。ただ、一橋ではここ5年ほどで出題傾向に大きな変化が見られ、従来型の出題傾向の把握だけでは対処しきれないことがあるかもしれません。この近年の変化については、別の記事(一橋大学「世界史」出題傾向2)の方で示したいと思います。


(出題形式)

 ・120

 ・大問3×400字論述 (時折、200×2200字+100×2などのパターンアリ)

 ・大問1400字論述が1のみ、大問2と大問3は複数問になることがある

 

(出題傾向)

 ・西洋史2題、アジア史1題が基本

 

(大問ごとの分析)

【大問1】
 [ 1 ]では中世・近世・近代史(9世紀~17世紀)がメイン。1990年代には4世紀前後の内容が出題されたこともありますが、古代史は少ない。内容としてはドイツ史が重視されています。かつての一橋の学長であった阿部勤也がドイツ中世史の日本を代表する人物であったことをはじめとして、ドイツ系の優秀な学者が多い(マルクス研究で有名な良知力[らち・ちから]など)ことと無関係ではないかもしれません。ドイツ以外で出題されるとすれば英・仏・伊の中世史が目立ちます。

以下は1995年~2016年までに[ 1 ]で出題された問題を地域別にまとめたものです。(以下、大問23の解説に出てくる表も1995年~2016年までの集計です。)


一橋出題傾向1-1



・「叙任権闘争」などはドイツ・イタリアともに1として数えています。

・フランス史は5回ですが、うち2回が「カール大帝」、1回が「フランク王国」をテーマ としたものであり、神聖ローマ帝国の前史としてとらえる方が妥当。

・その他は「農業技術・制度の変化(1996年)」

45世紀のローマ帝国の政治・社会(1997年)」

「聖トマスとアリストテレスの都市国家論比較(2016年)」

・西欧全体は「三十年戦争」です。

 

やはり、全体として神聖ローマ帝国を軸として時代別の変遷を問う問題、他の地域とのかかわりや比較を問う出題が目立ちます。

【大問2】
 [ 2 ]では主に18世紀以降の近代史と現代史が出題される傾向がありますが、出題範囲は多岐にわたり、焦点が絞りづらいです。それでも、あえて傾向を示すのであれば[ 1 ]に比して明らかにフランス史とアメリカ史の割合が多いことは見て取れます。


一橋出題傾向1-2

 50字論述などの短い論述問題は数に加えず、複数問でも一連のものは1問として数えました) 

 

その他は「第2・第3産業革命(1995)」

18世紀半ばのグローバルな紛争(2009:七年戦争)」

「女性参政権(2010)」

「国際連盟と国際連合(2012)」

「エンゲルスの歴史観と西スラヴ人の歴史(2014)」

「ヨーロッパ共同体と東南アジア諸国連合(2015)」です。

18世紀以前は「絶対主義の絶対性(2001)」

「ピョートル1世の西欧化と国内改革(2004年)」

「中世都市市民ほか(2006)」です。

・アメリカ史に関しては20世紀史が頻繁に出題されています。

(マッカーシズム、ヴェトナム戦争、核軍縮、米西戦争[19世紀末]など)

フランス史についてはフランス革命や啓蒙思想と関連する事柄についての出題が近年特に目立ちます。

【大問3】

[ 3 ]はアジア史が出題されますが、近現代史が圧倒的に多いです。中でも多いのが明・清~第2次世界大戦前までの中国史です。戦後中国史は全くと言っていいほど出題がありませんでしたが、2010年に「アジア=アフリカ会議」に関する出題(100字)がありますし、油断はできないと思っていましたら2016年に朝鮮戦争が出題されました。東大でも2016年は久しぶりの戦後史が出題されましたね。中国史以外で比較的よく出題されるのはインド、東南アジア、朝鮮史です。また、「植民地」をテーマにしたと見られる出題も多く見受けられます。明末~清~辛亥革命の前後を軸として学習し、インド史、東南アジア史に対する理解を充実させていくことが[ 3 ]の対策としては有効でしょう。


一橋出題傾向1-3


・清は出題回数で突出していますが、内容は「支配の確立(建国~三藩の乱)」、「交易体制」、「清末の改革(洋務運動~光緒新政)」に集中しています。清末の改革を現代史としてとらえれば、「清朝における支配の確立期~交易体制の変遷」というまとまりと「清朝の衰退と改革~日中戦争以前の民族運動の高揚と国民党・共産党」というまとまりの二つにまとめることができるでしょう。

・朝鮮史は日本の支配や清国との関係の中で出題されることが多いです。

   ex) 朝鮮の開化派の改革(2013

1920年代後半から1940年代前半にいたる日本植民地化の朝鮮(200字、2009

 

(全体的な出題内容分析)

   分野別

-政治史・経済史・社会史・宗教史が中心。

   -政治史の出題頻度は総じて高い。

   -西洋中世・近世史では近年宗教に関連する出題が増加しています。

   -近現代史では、ヨーロッパの革命・国際関係・民族問題が頻出。

    また、ここ4年ほどで超国家的機関・共同体に関する問題が2題出題されていま     す(ただし、単純な比較ではなく国際政治の中に位置付けることが要求されています)。

     ex) ECASEANの歴史的役割(2015

国際連合と国際連盟の設立と問題点(2012

 

  史料問題

   -多くの設問が実際の史料(ただし、現代語訳・簡略化されたもの)を利用したものになっています。そのため、こうした史料が何かを判断する理解力は最低限求められます。また、後述するように、近年はこの史料読解のレベルが引き上げられる傾向があり、より深い読み取りを要求されることがあるので注意が必要です。(一橋大学「世界史」出題傾向2参照)

  

Ex.1)  独立小問としての難問(2014年 III-1 B

  明朝は、徐光啓の建議を採用し、合計30門の紅夷砲をマカオから購入し、北京、および(B)や寧遠などの軍事拠点に投入した。

 

解答は山海関。この問題には「明の軍事拠点」としかヒントがないので、当時数多くあった軍事拠点から特定のしようがなく、難問というよりはむしろ悪問。山海関は明の呉三桂によって守られていた中国と東北地方の国境付近に位置する軍事上の要地で、李自成の乱で北京が陥落すると、侵攻してきていた清の軍勢に山海関を明け渡した。

 

Ex.2)  本文が論述の前提となった難問(2012年 III-1

 

   次の文章は1820年代初頭に植民地官僚ラッフルズが彼の母国イギリスとアジアとの交易について述べたものである。これを読んで、問1、問2に答えなさい。
 私がイギリス国旗をかかげたとき、その人口は二百人にも達しないほどでした。三ヶ月のうちに、その数は三千人に及び、現在は一万人を越えております。主としてシナ人であります。最後の二ヶ月のあいだに主として原住民の色々な種類の船が百七十三隻も到着したり、出帆したりしました。それはすでに重要な商港となったのです。
(中略)……イギリスにおける東インド会社とシナにおける行(ホン)商人の独占は、私たちの船舶や広東港における公正な競争といったようなものの観念を排除しております。……(A.  )においてすべての目的は達せられるでしょう。……シナ人自身が(A.  )にやってきて購買します。彼らは行(ホン)商人の制限や着服なしに広東の色々な港に輸入する手段をもっております。シナの多くの総督は自分で秘密に外国貿易に従事しており、(A.  )は、自由港として、かようにしてヨーロッパ・アジアおよびシナの間を結ぶ環となり、偉大な集積港となるのです。事実、そうなってきています。

 

問1 文中の(A.  )に入る地名を答えなさい。

 

:この設問では、Aをシンガポールと確定することが必要となります。この問題自体はそれほど難度の高いものではありませんが、これに続く設問が「ところで、ラッフルズは(A.  )における交易の自由がアジアの物流を一変させると考えていますが、この思想との対比において、イギリスの東南アジアにおけるその後の政治的経済的活動の展開を述べなさい(200字以内)」であることを考えると、「ラッフルズ」からシンガポールを連想できなかった受験生には心理的にかなりきつい設問であった可能性があります。もっとも、設問で要求していることは19世紀前半におけるイギリスの自由貿易主義と、実際にその後の東南アジア地域で進められた植民地経営の対比にあるので、シンガポールがわからなくても対応することはできます。
 

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