さて、本日はこれまでも当ブログで解説してまいりました早稲田大学法学部の2017年「世界史」のうち、大問5の論述問題について焦点を当てたいと思います。問題はすでに各予備校HPで公開されていますので、そちらをご覧ください。
今回の問題を見た第一印象ですが、「お、ワセ法もちょっと洗練されてきたぞ」というのが私の印象です。私の早稲田法学部論述に対するこれまでの印象は一言で言うと「無骨」です。「直球どストレート工夫なし!」という雰囲気であったわけで、イメージ的にはモブ化した後のタイガーショットであり、鳳翼天翔です。
今回の問題ではその雰囲気が少し変わりました。たしかに、航海法は「ベタ」な設問で頻出の箇所です。これまでの設問では、この航海法は主に17世紀イギリスの重商主義政策の典型、または英蘭戦争の原因という流れの中で出題されることが多かったものです。ところが、今回の設問では、まずイギリスの国内事情への視点が追加されました。つまり、重商主義政策から自由貿易主義への転換という視点です。(これが近年一橋などでは頻出のテーマであることはすでにご紹介しました) さらに、ここでは19世紀前半の反穀物運動や選挙法改正という別視点も加わってきます。また、制定された17世紀の状況から19世紀半ばまでという時期的な長さも確保されています。つまり、これは航海法をテーマとした設問というよりは、イギリスの通商政策の変化とその背景として存在した工業化の進展と産業資本家の台頭という社会構成の変化を説明せよ、という設問なわけで非常に複合的な設問です。
もっとも、ワセ法がこうした変化をする兆しを見せているということはすでに出題傾向の中でも指摘していました。(http://history-link-bottega.com/archives/cat_231096.html)それまでの単線的な出題が、次第に多面的、多角的な設問になってきているという点には注意が必要だと述べたかと思いますが、今回の設問でこの傾向が今後も続いていく可能性がさらに高まったと思います。今回はイギリスを中心に複数の要素を抱えるテーマについて説明するという形のものでしたが、場合によってはむしろ地理的に広い範囲のもの同士の関係を問う(いわゆるグローバルな展開の)設問が出題される可能性もあると思います。いずれにしても、一つの物事を一つの側面からのみ理解するような勉強の仕方では今後のワセ法の論述を解くことは難しくなってきそうですね。レベル的には東大の方が高いと思いますが、東大の過去問演習などは役に立つかなぁと思います。
また、形式的な点としては、昨年に続いて上限は300字となりました。どうやらこちらもこの変化で固定されるようです。
早稲田大学法学部「世界史」2017年論述問題(問題概要・解説とポイント)
【問題概要】
・17世紀半ばに制定されたイギリスの航海法が制定された理由を答えよ。
・19世紀半ばに航海法が廃止された理由を答えよ。
・当時の政治と経済の情勢に関連付けよ。
・指定語句を全て用いよ。(選挙法改正/重商主義/自由貿易/中継貿易)
・指定字数は250字から300字。
・指定語句には下線を付せ。句読点、数字は1字として数える。
【解答手順1:設問内容の確認】
設問の要求
:イギリスの航海法が制定・廃止された理由を当時の政治・経済と関連付けて説明せよという、きわめて明快な問題設定です。実は、類似の設問はすでに2012年早稲田大学法学部の論述問題で出題されています。(17世紀における英蘭両国の友好関係と敵対関係) ですから、過去問をしっかりやってから臨んだ受験生であれば、今回の設問の「制定の理由」を答えることはそう難しくなく、こちらの部分で差がつくことはなかったと思います。
【解答手順2、設問の二つの要素ごとに事実関係を整理】
:今回の設問のテーマは、問題設定自体も明確ですし、頻出の箇所ですから、大きなフレームワークを描くことはさほど困難ではありません。まずは、指定語句に頼ることなく、素直に設問の要求している「制定の理由」と「廃止の理由」、そして関連事項の整理をしてしまうのが解答作成への近道だと思います。
もっとも、今回の要求のうち「廃止の理由」については漠然としか理解していなかった受験生も多いのではないでしょうか。「何となく穀物法廃止の3年後くらいに航海法が廃止されたことは覚えているけど…何でだ?」と固まってしまった受験生と、「よっしゃ、来た!自由貿易の流れね!」とすぐに判断のついた受験生で差がついたものと思われます。固まってしまった場合でも、半分は書けるわけですから、ここは焦らず半分+αを狙いましょう。どんなに頑張っても、人間の記憶には限界というものがあります。たまたま、自分の記憶からすっぽり抜け落ちてしまっている、というところから出題される可能性は常にゼロではありません。そうした時に大切なのは、周囲との差を最小限にすること。まずは不時着解答を作成するためにも、できる整理、「制定の理由」を整理することからしておくべきです。
1、制定の理由
オランダの中継貿易を妨害するため。
(関連事項)
① 航海法の内容:イギリスへの輸入をイギリスの船か原産国の船に限定すること。(正確には、アジア・アフリカ・アメリカからの輸入についてはイギリス船のみ、ヨーロッパからの輸入についてはイギリス船または生産国か最初の積載を行った国の船に限定する)
② 制定の時期:クロムウェル統治下の1651年。議会に影響力を及ぼした貿易商の要望によるもの。
③ 政治的関連:クロムウェル、議会、重商主義、英蘭戦争
④ 経済的関連:貿易商、重商主義、中継貿易、海洋覇権
制定の理由については上に書かれたようなことが盛り込まれていれば十分でしょう。注意しておきたいのは、航海法はたしかにクロムウェルの政権下で成立しましたが、クロムウェル自身は航海法制定に対しては否定的であった点です。クロムウェルは、同じプロテスタント国家であるオランダと積極的に敵対する政策には内心反対でした。貿易商の働きかけを受けた議会の要請で仕方なく、というのが本当のところであるようです。ですから、ここをはき違えてクロムウェルが積極的に航海法制定を行った、という風に書いてしまうと実態とのずれが生じてしまいます。
「そんな細かいこと知らないってw」と思うなかれ。実は、このクロムウェルの態度は17世紀イギリス史を研究している人間が読む基本の概説書にはきちんと載っています。ですから、おそらくこの設問を作成した先生はすぐにこうした点に違和感を持つと思います。
脱線ついでに書いておくと、独裁者のイメージが強いクロムウェルですが、この独裁自体もクロムウェルが望んだ形ではなかったようです。国王を殺害してしまった議会派でしたが、慣れない「共和政」なる政体に完全に戸惑ってしまい、意見がまとまりません。かれらは、自ら政策を立案決定などしたことがなかったので、それを任された時に途方に暮れてしまいます。何だかこのあたり、突然政権を担当することになった万年野党のようですね。そこで議会は強力なリーダーシップを持つ指導者を待望するようになります。そして議会は、あろうことかクロムウェルに「どうか僕たちの国王陛下になってください!」とお願いをします。せっかく苦労して王政を打倒したにもかかわらず、です。
これには、クロムウェルの方が面食らってしまいます。厳格なピューリタンで清貧と節制を良しとしたクロムウェルは、この要請を断ります。当然ですねw 自分で国王を殺しておいて自分が国王になってしまったら全く自己を正当化することができません。完全な簒奪者、弑逆者になってしまいます。まるでシェイクスピアのリチャード3世みたいな立ち位置になることはクロムウェルの本意ではありません。ところが、あきらめきれない議会は「それなら、国王陛下ではなくて、国を守るために僕らを導くリーダーになってください!」と要請します。これはさすがにクロムウェルも断るわけにはいかず、承諾します。これが「護国卿(Lord Protector)」というあの地位です。
ですから、クロムウェルの独裁というのは、絶対王政における国王による統治とは異なりますし、ヒトラー的な強権による独裁とも全く異なります。たしかに、クロムウェルは軍を握り強力なカリスマを持ってはいましたが、その権力は議会からの委任とその後の調停役としての力量によるものであって、彼自身が何でも自由にすることができた、というのとは根本的に違うのです。ですから、彼自身が望まなかった航海法が制定されたというのも、そうしたコンテクストの中で考える必要があります。このあたりのやや突っ込んだイギリス史の概説が読みたいという時には、色々な本がありますが、私のお勧めは17世紀についてはBarry Coward, The Stuart
Age: England 1603-1714 (London: Longman, 2003)、17世紀末から19世紀初頭についてはFrank
O’Gorman, The Long Eighteenth Century: British
Political & Social History 1688-1832 (London, Hodder Arnold, 1997)、18世紀史を中心としてはH.T. Dickinson(ed.), A
Companion to Eighteenth-Century Britain (Oxford, Blackwell, 2002)あたりがしっかりしていて面白いと思います。
だいぶ話がそれましたw 問題なのは廃止の理由ですね。これについては、かねてからお話ししていた19世紀初頭のイギリスの自由貿易体制、自由主義外交の動きをしっかり頭に入れてあるかがカギになります。すでに、当ブログの「あると便利なテーマ史③:近現代経済学の変遷」の「ここがポイント」のところで詳しく説明してありますし、一橋の問題解説の方でも似たようなことをお話しした記憶があります。
(http://history-link-bottega.com/archives/cat_216372.html)
イギリスでは産業革命の進展に伴い、産業資本家が台頭してきます。その中で、既存の特権を持った集団との軋轢が生まれてくるわけです。
ですが、産業資本家は選挙法改正前には選挙権は持っていません。(昔、この時期について指摘して「19世紀の議会においては貴族などの旧来の支配階層による寡頭制は崩された」とする説を、図表などを駆使して批判せよ、という設問が慶応で出ましたねぇ。記憶曖昧ですが、たしか1994年でしたか。「ジェントルマン資本主義」論が流行ってたからですかね。)ですが、彼らは「圧力団体(Pressure Group)」として議会に対して効果的なロビー活動を行うことは可能でした。こうした中で、産業資本家が要求する自由貿易主義論が高まっていきますし、選挙法改正も達成されるわけです。産業資本家に選挙権がないからと言って議会に対して無力であったなら、いつまでたっても選挙法が改正されるわけがありませんからねw ですから、航海法廃止の理由も、基本の路線は「産業革命→産業資本家の台頭→自由貿易要求の高まり」で良いと思います。この動きに当時の穀物法廃止運動をからめて、選挙法改正による産業資本家の選挙権獲得がこうした自由貿易への動きを加速したとしておけばまずまずの解答が仕上がるでしょう。まとめると、以下のようになります。
2、廃止の理由
産業資本家の台頭と自由貿易要求の高まり
(関連事項)
① 産業資本家台頭の背景:産業革命
② 自由貿易要求の背景:長年の保護貿易による物価高騰に対する労働者、産業資本家の反感
③ 廃止の時期:1849年、ラッセル内閣(ホイッグ党)の時
④ 政治的関連:19世紀初頭ヨーロッパの自由主義の波、第1回選挙法改正(1832)
⑤ 経済的関連:反穀物法同盟(1838結成)、コブデン・ブライト、穀物法廃止
【解答例】
オランダと海上交易の覇権を争っていた貿易商の要請を受け、クロムウェル統治下の議会はイギリスへの輸入をイギリス船または原産国の船に限定する航海法を制定し、オランダの中継貿易を妨害する重商主義政策を展開した。その後の英蘭戦争に勝利し海洋覇権を握ったイギリスであったが、産業革命による工業化が進み産業資本家が台頭すると、長年の保護貿易による物価高騰に対する不満から自由貿易要求が高まった。第1回選挙法改正により産業資本家にまで選挙権が拡大されると運動は勢いを増し、コブデンやブライトが攻撃した穀物法とともに航海法も自由貿易の障害と批判され、1849年に航海法が廃止されたことでイギリスでは自由貿易体制が確立した。(300字)
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