世界史リンク工房

大学受験向け世界史情報ブログ

2017年04月

すでに2017年一橋世界史解説において申し上げましたが、比較的安定していた一橋大学の出題傾向に最近変化が見られます。大きな変化を感じたのは2014年の問題でしたが、ただ歴史的事実を整理し、まとめさせるだけの問題から、与えられた史資料を活用して自分の頭で考えるスタイルの出題が増えてきているように思います。これに伴って、出題範囲にも徐々に変化が見られ、2017年の問題をもって、もはや従来型の一橋の出題傾向分析は役に立たない、と言っても過言ではなくなってきました。

 

 そこで、その変化が見られ始めた2014年問題以降の出題を中心に、近年の出題傾向を再度まとめ直してみたいと思います。細かい部分の解説などはすでに問題解説の方で行っておりますので、ここでは大きな傾向のみを把握するにとどめたいと思います。今回、分析の対象にしたのは2014年~2017年の4年間に出題された問題で、これらのうち「史資料読解の重要性が特に高い問題はどれか」、「出題で対象とされている時期はいつか」、「出題のテーマは何か」について調べてみました。以下がその表になります。

一橋分析2014-2017①訂正

この表から言えることは、

 

・史資料読解の重要度の高い設問が数多く出題されている

・出題の対象となる時期には一定の法則性は見られない

・設問の内容についても特に目を引く法則性は見当たらない

 

ということです。つまり、これまでとは異なり、ひどく的を絞りにくい出題になっています。入試問題としてはこちらの方が本来のスタイルだとは思うのですが、受験生にとっては取り組みづらい要素が強くなってきているのは間違いありません。

 

 まず、史資料読解の重要度が高い設問が多いという点についてですが、一橋は従来から史資料を出題する傾向の強い大学でした。ですが、その史資料の多くは、論述の構成にまで影響を与えるようなものは少なく、せいぜい文章中にあけられた空欄補充のヒントとなる程度で、決定的な要素ではありませんでした。極論を言ってしまえば、史料やリード文がなくても設問さえあればある程度の答えを書くことが可能でした。

 ところが、近年の問題は、この史資料の読解から得た発想が論述の内容に大きな影響を与えるスタイルの問題が増えています。史料の性格を突き止め、出題者の意図をくんで解答することが求められているフシがあります。その変化を見るために、2014年までではなく、2000年の問題までさかのぼって史資料読解の重要度にのみ焦点をあてて分析しました。それが以下の表になります。

 一橋分析2014-2017②訂正

これを見ると一目瞭然ですが、明らかに近年は史資料の重要性が増しています。また、このように表にしてみることではっきりしますが、従来は史料すら使われていなかった大問1、大問2において史資料が活用され、かつそれに重要な意味が込められている問題が増加しています。2014年問題のインパクトが強かったために目立ちませんでしたが、こうした変化は2014年よりも少し前、2011年頃から始まっているように見受けられます。大問3については、従来においても史料が示されることがほとんどでしたが、その内容には大きな変化が見受けられます。史資料の読解に重きをおく2003年から2006年ごろのスタイルへと回帰しているように思われます。もっとも、この「重要度」をはかっているのは私の主観ですから、必ずしも正確なものではありません。しかし、全体の傾向としては明らかではないかと思います。

 ためしに、無作為にかつての大問1を抽出してみましょう。以下は、上の表で史資料の重要度が「×」となっている時期のちょうど真ん中あたり、2004年の大問1です。

 

 宗教改革は、ルターにより神学上の議論として始められたが、その影響は広範囲に及び、近代ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした。ドイツとイギリスそれぞれにおける宗教改革の経緯を比較し、その政治的帰結について述べなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(400字以内)

 [指定語句:アウクスブルクの和議 首長法]

 

 この問題と、史資料重要度で「◎」となっている2014年の大問1や2016年の大問1と比較してみてください。(本ブログの解説に、史資料をどのように活用すべきかも含めて示してあります。) その差は歴然ではないでしょうか。つまり、ここ数年の一橋の出題傾向の変化に対する違和感の正体の半分は、この史資料の重要性の変化に帰すると言ってよいでしょう。

 しかも、出題の対象となる範囲も多岐にわたっています。これまではほとんど出題例のなかった古代史からの出題、大問3における明史以前(1113c)からの出題など、近年ますます幅が出てきました。強いて言えば、16世紀以降の近代史の出題頻度が多い(2014年以降では12問中8問が該当)ようですが、これもあてにはなりません。また、出題内容にもこれといった法則性はありません。同じくこちらもあえて言えば大問3については中国周辺の国際関係史が主であるように見受けられますが、ひっくり返すのは容易でしょう。これも同じくあてにはなりません。

 

 このような一橋の新しい出題傾向に対して、ある特定のテーマだけに絞ってヤマをはって学習するという手法は意味をなしません。無駄というものです。今後の一橋受験を考えるのであれば、東大向けの受験勉強を進めることが一番妥当であるように思います。私がもし通年で一橋向けの受験対策を行うのであれば、東大・京大の過去問10年~15年分に加えて一橋の過去問10年分ほどをベースに論述の地力をつけ、史資料読解問題練習として東京外語の史料問題に触れさせる(ただし、設問は史資料読解の重要性を増したものに改変)といった形の授業をどこかで組み込むと思います。もちろん、これらに限らず、良問に触れる数は多ければ多いほど良いです。芸がないように思われるかもしれませんが、今後の一橋受験を世界史で考えるのであれば、「世界史に対する理解と論述」の地力をつけることが一番の近道であるように思います。その分、私大対策を特別にする必要は逆に少なくなるかもしれません。(それだけの地力をつけられれば私大の設問は苦も無く解けます)別の意味で、闘い甲斐のある相手になりましたねぇ、一橋世界史は。

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今回はちょっとマイナーな?問題集をご紹介します。東京書籍が出している『世界史B』の流れに沿って作られた『東書の世界史B 入試対策問題集』です。これも教科書と間違えられると困るので一応示しておきますと、下が教科書の『世界史B(東京書籍)』。

textbook_img 
 ちなみに、よく教科書の良し悪しが問題になることがあるのですが、正直山川とか東書とか帝国の『世界史B』であれば、多少の視点の違いこそあれ、受験に対応するのにレベル的に問題があるということはまずありません。細かい違いにこだわる前にまず全部覚えてしまうべきですw そもそも、難関大の場合、教科書ベースで勉強することにこだわる必要すらありません。かといって、教科書ベースで勉強したらアカン、というわけでもありません。その人の状況次第ですよね。世界史で偏差が65欲しいのか、75以上欲しいのかでも違いは出るでしょうし、世界史が得意科目・得点源の人と、苦手科目・足を引っ張らない程度にと考えている人でも異なります。ついでに言えば、受験に合格するだけが勉強ではないわけですから、「もっと深いとこまで行ってみたい」と思うのであれば山川の『詳説世界史研究』あたりを手がかりに色々な歴史の概説書に手をのばして、受験を度外視した勉強をしても構わないわけです。そうした学びを「無駄」として退けるのは行き過ぎた効率主義というもので、そういうことばかり気にしている人が官僚になると基礎研究に金出さないとか色々言い出すことになるわけですw


 まぁ、それはそれとして、東書の『世界史B』の良いところは最新の歴史学の研究成果を取り入れることに敏感で、意欲的なところですね。あちこちにあるコラムも、ものによってはすでに古くなっている感もあるものはありますが、興味深いものが多いです。もっとも、それが受験にダイレクトに役立つか、と言われると一長一短といった感じがします。  

 

一方、こちらが問題集の方です。

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 ちょっと画像ではよくわからないのですが、実物はもう少し紫がかった色をしています。外観は正直「売る気あんのか、これw」っていうくらい素っ気ないカッコをしていますが、問題集は中身なので、中身の検討をいたします。

まず、この問題集の良いところは以下の2点につきます。

 

・単元別であること

・図表問題が多いこと

 

これら2つです。

まず、「単元別であること」の利点ですが、これはやはり「授業で勉強した部分を小さなズレもなく復習することができる」という点です。東京書籍のHPには[教科書『世界史』(B301)傍用の入試演習問題集です。…(中略)…リード分の穴埋めと,下線部対応の設問(短答,国公立対応の記述,センター試験対応の正誤など)を効果的に設定しています。「概観とまとめ(教科書の章扉に対応)」や「横にみる世界史」(教科書の)「世紀の世界」に対応)など,教科書とのタイアップをはかっています]とあります。

https://www.tokyo-shoseki.co.jp/materials/h/2/695/

このように、教科書の内容に沿って作ってある問題集で、全部で155の問題(それ以外にテーマ史が13題)が用意されていることから、自分の学習した内容に合わせて復習を進めるには最適の問題集だと思います。例えば、「一週間学校で授業が進んだら、週末に進んだ分だけの問題を解き、できなかったところをチェックする」。これだけでもただ漫然と授業を聞いたり教科書を読むよりはグッと定着度が上がってくるかと思います。

 また、本問題集の利点として「図表問題が多い」という強みがあります。ざっと数えてみたところ、地図・写真・表やグラフなどが全部で200点以上あります。これは山川の世界史B問題集にはない強みです。こちらはこちらでレベルの高い問題集なのですが、こと図表ということに関する限りほとんどと言っていいほど掲載されていません。近年のセンター試験や2次試験を考えた場合、地図・図表問題に触れる機会がないというのは大きなデメリットであると思いますので、そうした部分を補い、早いうちに地理を確認し、図表問題に慣れることができるということはこの問題集の大きなメリットでもあります。

 

 ですが、どんなに優れた問題集にもイケていないところがあるのですから、当然この問題集にもそうした残念な部分はあります。大きいところでは以下の3点です。

 

・問題のレベルが難関大向けの内容としては物足りない。

・用語の意味内容に対する意識の低い部分が散見される。

・誤植や事実誤認が多い。

 

まず、問題のレベルについてですが、東書のHPには[国公立大学2次・市立大学上位を意識した入試演習問題で構成されています]とか[別冊の解答編には詳細な解説を付し,「入試力」錬成に万全を期しました]とあります。このうち「国公立大学2次」というのは国公立でも数多くの大学がありますので間違いではないかもしれませんが、少なくとも東大・京大レベルの問題に対応できるだけの難度を維持できているとは思えません。レベル的にはセンターレベルまたはセンター+αレベルか、マーチの素直な問題くらいの難しさでしょう。また、解答も言うほど詳細だとは思えませんw ですから、世界史を習いたての人間がそれを復習するためや、一度学習はしたものの忘れてしまった人が忘れてしまった知識の再確認のために活用するには向いていますが、受験直前期の人間がさらに力を伸ばすのには明らかに不適です。そうしたことを目的とするのであれば前出の山川の問題集や各大学の過去問の方がはるかに適しています。

 また、ところどころに「これは問題としてはどうなんだろう」と思えてしまうような、用語に対する意識の低い部分が見られます。たとえば、「新石器時代」という用語がある場合、「この問題集は新石器時代をどうとらえているのだろう」と首をかしげたくなる部分があります。そうした定義が曖昧なまま正誤問題などの設問を作っているため、正答と誤答の境界線が曖昧になるというか、どちらにもとりうるという設問がちらほら見られます。もっとも、こうした設問は実際の大学入試でも見られるもの(下手をすれば正解が二つとかw)ですので、そこまで気にしなくてもいいと言えばいいのですが、まだしっかりとした知識を持っていない人にとっては混乱の元になる要素だと思います。

 最後に、誤植や事実誤認ですね。後から訂正が送られては来ましたが、ちょっとそのあたりで信頼度が落ちる部分はあります。

 

 以上述べたような短所はありますが、先ほどから述べているように、通史を習いたての人が、授業進度に合わせて復習を進めたり、世界史についての知識がだいぶ抜けてしまった人が総復習を手軽にこなすということを目的とした場合には便利な問題集かと思います。『世界史B』を学習したての高1や高2が毎週これを使って復習した場合、かなりの力がついてくるのではないでしょうか。やはり、教科書に準じて単元別になっているというところが最大の強みですかね。価格も900円と手頃で、まぁそのくらいの使いごたえはあるかなぁという気がします。偏差で言うと「~60前後」までの問題集という感じです。65こえてくる人には「割と簡単かも」と思えてしまうでしょうね。

 

(おススメの人)

・今、はじめて世界史の通史を勉強しているところで、その復習をしたい。

・『世界史B』を学習したての高1・高2である。

・基本的な知識を定着させたい。

・できるだけ図表問題にも触れてみたい。

・一度世界史を勉強したけれどもかなり忘れてしまったので総復習したい。

・東書の『世界史B』を使って勉強している。

・まずは偏差60UP(河合塾あたりの模試で)を目指して勉強したい。

・まだ受験までにかなりの時間的余裕がある。

 

(おススメしない人)

・すでに世界史の基本知識は入ったのでさらに上を目指した勉強をしたい。

・偏差65以上(河合塾あたりの模試で)がコンスタントにとれる。

・受験直前で2次試験対策を進めている。

・難関大受験を考えていて、すでに時間的余裕が半年を切っている。 

 

 


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先日は2017年一橋の大問1向けに作成した予想問題のうちの一つをご紹介しましたが、続けてこちらも賞味期限切れではありますが、大問2(または3)向けに作成したもののうちの一つをご紹介したいと思います。先ごろ、東大向けに何か気になるテーマはありませんかというご質問にお答えした中でも言及したパン=イスラーム主義(パン=イスラム主義)に関する設問です。これに絡めて問題を作れないかなぁということで作ってみました。使用している史料の出典は同じく、岩波の『世界史史料』からのものです。(http://history-link-bottega.com/archives/11994047.html

 

【問題】

以下の(A)、(B)の二つの史料を参考に、続く問いに答えなさい。

 

(A) アブデュル=ハミト2世『政治的回顧録』(執筆年代不詳)

 

 カリフ制とシーア派

 

 イスラーム主義の本質を考えるとき、われわれは結束を強化すべきである。中国、インド、アフリカの中央部をはじめ、全世界のムスリムたちはお互いに密接な関係になることに有効性がある。このような時に、イランとの相互理解がなされていない事態は残念なことである。それゆえ、ロシアおよび英国にもてあそばれないように、イランはわれわれに接近することが重要である。

わがユルドゥズ宮殿で知識ある人として高名なセイド=ジェマレッディンは「スンナ派とシーア派は、誠実さを示すことによって統一は可能である」と私に進言して希望を持たせてくれた。もしこの言葉が実現すればイスラーム主義にとって崇高な状態をもたらすだろう。

 

(B) ユスフ=アクチュラ『三つの政治路線』(1904年刊)

 

 オスマン帝国において、西洋に感化されつつ、強化と進歩への願望が自覚されて以来、主として三つの政治的路線が構想され追求されてきたと私は考える。その第一は、オスマン政府に属する多様な諸民族を同化し、統一して一つのオスマン国民(ミッレト)を創出すること。第二には、カリフ権がオスマン朝の君主にあることを利用して、すべてのイスラーム教徒を上述の政府の統治下で政治的に統一すること(西洋人が「パン=イスラミズム」と呼ぶところのもの)。第三に、人種に依拠したトルコ人の政治的ナショナリティを形成することである。(中略)

 すなわち、オスマン国民は、オスマン国家のすべての民族の意思に反して、外国の妨害にもかかわらず、オスマン政府の指導者の何人かが、いくつかのヨーロッパ諸国…を頼って創出しようとしたものなのだ!(中略)要するに、国土の内外でこの政策[オスマン国民の創出]に全く適合しない環境が生じた。それゆえ私の考えでは、もはや、オスマン国民の創出に努力するのは、無駄な骨折りなのである。(中略)

 トルコ人の統一という政策の利益についていえば、オスマン帝国のトルコ人は、宗教的かつ人種的な紐帯によってきわめて緊密に、単に宗教的である以上に緊密に統合されるだろう。(中略)しかし、本質的で大きな利益として、それは、言語、人種、慣習、さらには大多数の宗教でさえ一つであり、アジア大陸の大部分とヨーロッパの東部に広がるトルコ人の統一に…寄与するだろう。また、この大きな集合体においてオスマン国家は、トルコ人社会の中で最も進歩的で最も文明的であることから、最も重要な役割を演ずるだろう。

(中略)オスマン国民の創出は、オスマン国家にとって利益があるが、実行不可能である。ムスリムあるいはトルコ人の統一に向けた政策は、オスマン国家にとって、利益と不利益が同等と言えるほど含まれている。実行面については、容易さと困難さはやはり同程度と言える。

それでは、そのどちらの採用に努めるべきであろうか。

 

問い

 

 19世紀以降、西洋諸国の進出に対抗するためにオスマン帝国はタンジマートをはじめとする諸改革を実行したが、19世紀後半になると様々な政治的・対外的混乱に巻き込まれて西欧諸国の植民地主義に十分に対応することはできなかった。こうした中で、オスマン帝国では史料中にもみられるように、様々な形で帝国の統一と強化を進めることを模索した。史料中に見られるアブドュル=ハミト2世の治世以降、オスマン帝国ではどのような理念のもとに国家の再編をはかり、それはどのような政治的展開をもたらしたかを説明しなさい。また、この19世紀末の政治的展開に始まるその後の変化は、20世紀前半までに長く続いたオスマン帝国を消滅させるにいたるが、この過程において(B)の史料中の下線部に示された「オスマン国民(ミッレト)」、「すべてのイスラーム教徒を上述の政府の統治下で政治的に統一すること(西洋人が「パン=イスラミズム」と呼ぶところのもの)」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」がどのように関連を持つか、当時の思想的潮流と政治的展開に留意した上で論じなさい。

 

【解答】

 タンジマート以来の西洋化が進む一方で、諸民族の分裂が問題となったオスマン帝国では、統一を保つため「オスマン国民」意識の創出が試みられたが、多民族国家で、非イスラームにミッレトを通して一定の自治を認めていた帝国で共通の国民意識を創出することは困難だった。露土戦争を口実にミドハト憲法を停止したアブデュル=ハミト2世は皇帝専制を復活させ、パン=イスラーム主義を利用し帝国の再統一を図ったが、反動政治を嫌う人々はこれを保守的なものとして批判し、パン=トルコ主義を掲げて対抗した。青年トルコ革命でアブデュル=ハミト2世が退位するとこの傾向はさらに強まったが、これはバルカン半島などの非トルコ諸民族の反発をかった。第1次大戦後にスルタン制を廃止しトルコ共和国を成立させたムスタファ=ケマルは、民族主義と共に世俗主義を掲げてカリフ制を廃止し、イスラームの宗教的支配から政治・文化・教育を解放する西欧化を目指した。

400字)

 

【設問の要求とその前提】

 おそらく、お気づきになる方もいるのではないかと思いますが、この問題は問いとしては少々「くどい」ですw それというのも、これはそもそも「解かせる」ことを想定して作った問題、というよりはオスマン帝国末期の政治状況と当時の思潮を意識・整理させることを目的として作った問題だからです。

 オーストリアとカルロヴィッツ条約(1699)を締結してからのオスマン帝国の縮小・衰退の流れについては受験生にとっては必須の箇所ですから、いろいろとご存じの方も多いと思いますが、全体像や大きな流れとして語りましょう、といったときに流れるように話せる人はかなり少ないのではないでしょうか。どうしても、クリミア戦争や露土戦争などに目がいってしまい、オスマン帝国内部の変化からその衰退を語る視点というものはなかなか持てない受験生が多いように思います。

 そうした、オスマン衰退史について語ると本設問の論述ポイントから離れてしまいますので、それは別稿に譲ることにしますが、19世紀のオスマン帝国はその「分裂」に悩まされていました。宮廷とその周辺においては既存の保守勢力と西洋的な教育を受けた「新オスマン人」と呼ばれる人々の間の対立があり、一方で地方においてはイルティザーム制の導入以降力をつけたアーヤーンなどの地方勢力の自立化が見られました。

 こうした国内の混乱の中で、アブデュル=ハミト2世が即位します。そもそも、彼がスルタンに即位したのも、皇帝専制を目指すスルタン側と改革を目指す新オスマン人との間の軋轢の結果でした。アブデュル=ハミト2世の叔父にあたるアブデュル=アジーズは、オスマン帝国の西洋化・近代化を進める一方、断固として皇帝専制の維持を考えたために、これに不満を持った改革派であるミドハト=パシャをはじめとするグループによって退位に追い込まれます。このあたり、中国(清)の末期の「中体西用」とか「保皇派vs革命派」の雰囲気と似通ったところがありますね。アブデュル=アジーズを退位させたミドハト=パシャは、かねてから新オスマン人に理解を示してきたアブデュル=ハミト2世の兄であるムラト5世を即位させます。ところが、ムラト5世は即位後まもなく精神疾患によって退位を余儀なくされました。その結果、やむなくミドハト=パシャはムラト5世の弟であったアブデュル=ハミト2世に即位を要請します。

 このような事情があったことから、新しくスルタンになったアブデュル=ハミト2世と新オスマン人の間の関係はかなり微妙なものでした。アブデュル=ハミト2世にしてみれば、自分がスルタンになれたのはミドハト=パシャをはじめとする改革派のおかげですから、これを無視するわけにはいきません。一方で、改革派の側でも、紆余曲折を経てスルタンの位につけたアブデュル=ハミト2世ですから、この機嫌を損ねて再度政治的な危機を招くわけにもいきません。こうした中で制定されたミドハト憲法はある意味で両者の妥協の産物でした。アブデュル=ハミト2世は確かに改革派の言をいれた憲法の公布を認めましたが、その中で彼は「国益に反する人物を国外追放する権利」などの強力な君主権を残すことに成功します。その結果、アブデュル=ハミトはミドハト=パシャに反感を持つ保守派政治家と協力してミドハト=パシャを追放し、憲法を停止することに成功しました。その結果、アジアで初めて成立した立憲制はわずか1年ほどで終わり、アブデュル=ハミト2世による専制支配がはじまったのです。

 

 本設問に出てくる史料は、こうした前提のもとで読まなくてはなりません。その上で、本設問の要求を整理してみましょう。

 

①    アブデュル=ハミト2世の治世以降、オスマン帝国ではどのような理念のもとに国家の再編をはかったか。

②    ①の結果、どのような政治的展開をもたらしたか。

③    アブデュル=ハミト2世の治世から20世紀前半にオスマン帝国が消滅するにいたるまでの間に、史料中に登場する「オスマン国民」、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」はどのような意義をもったか。

 

あまり詳しく書くと問いをただ繰り返すだけになってしまいますので、少し大胆に要約すれば、上の3つにまとめることができます。その上で、史料の読解を進めてみましょう。

 

【史料の読解】

1、アブデュル=ハミト2世の『政治的回顧録』から読めることは何か

・イスラームの連帯=パン=イスラーム主義

:史料中には「イスラーム主義の本質を考えるとき、われわれは結束を強化すべきである」、「全世界のムスリムたちはお互いに密接な関係になることに有効性がある」など、イスラームの連帯を説いていることが読み取れます。

 

・列強に対抗する手段としてのパン=イスラーム主義

:さらに「ロシアおよび英国にもてあそばれないように」など、イスラームの連帯を通して列強の侵略に対抗する意図があることも読み取れます。

 

・宗派の壁を越えて、トルコと同様に英露の侵略をうけるイランへの呼びかけを図る

:「イランとの相互理解がなされていない事態は残念なことである」、「スンナ派とシーア派は、誠実さを示すことによって統一は可能である」など、イランとイスラームを紐帯とした協調関係を築こうとする意図が見えます。アブデュル=ハミト2世の統治していた頃、イランのカージャール朝は財政破綻から英露に王朝利権を切り売りせざるを得ない状況が続き、国民の不信をかっていました。こうした中で起きたタバコ=ボイコット運動がパン=イスラーム主義の影響を受けていたことはよく知られていますが、当時の時代状況と史料との関連を読み解くことが大切。

 

2、ユスフ=アクチュラの『三つの政治路線』から読めることは何か

・三つの政治路線とは「オスマン国民」の創出、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」の形成の三つ

 

・「オスマン国民」とは、オスマン政府の名のもとに多様な諸民族を同化すること

 :つまり、オスマンの分裂の原因であった多様な民族の混在の原因を、諸民族の同化によって根本から絶つことを意図しています。その際、同化の中心にあるのは「オスマン政府」であり、これはつまり「オスマン帝国に所属していること」を根拠としてそこに住まうものはみな同じく同化されるべきであるという発想です。ところが、これについてアクチュラは「実行不可能である」と言い切っています。これは、当時オスマン帝国内の諸民族がその文化、宗教などの違いから分裂傾向にあったことを考えれば、現実的ではないと考えるのは無理もないことです。アクチュラによれば、「オスマン国民」という概念は「オスマン国家のすべての民族の意思に反して、外国の妨害にもかかわらず、オスマン政府の指導者の何人かが、いくつかのヨーロッパ諸国…を頼って創出しようとしたものなのだ!」と述べており、オスマン帝国の分裂を避けたいオスマンの指導層による無理な創出物に過ぎないと指摘し、「オスマン国民」という単一の民族・国民の創出は現実的に不可能であることを主張しています。

 

・「パン=イスラミズム」は、全てのイスラームを政治的に統一するが、オスマン朝はこれを自身の権力の強化に利用しようとしていること

 :アクチュラは、パン=イスラミズムについて「カリフ権がオスマン朝の君主にあることを利用して」とオスマン朝のスルタンがスルタン=カリフ制を利用してイスラームの連帯を隠れ蓑に自身の専制政治の強化を図っていることをはっきりと認識しています。史料中にそれについての言及はほとんどありませんが、アブデュル=ハミト2世の『政治的回顧録』や彼の政策(ミドハト憲法の停止、アフガーニーの招聘、皇帝専制の強化など)、そしてその後の青年トルコ革命などを思い浮かべれば、アクチュラがパン=イスラミズムに対して期待を寄せていないであろうことは想像がつきます。

 

・トルコ人という「人種」に依拠した政治的ナショナリティの形成は、オスマン帝国の利益になる

:まず、アクチュラはトルコ人という「人種」に依拠した政治的ナショナリティの形成に言及していますが、これは後に青年トルコなどが主張する「パン=トルコ主義」の主張と同じです。そして彼は、この「パン=トルコ主義」は「オスマン帝国内のトルコ人」を「宗教的かつ人種的な紐帯によってきわめて緊密に」統合するであろうと主張し、「言語、人種、慣習、さらには大多数の宗教でさえ一つであり、アジア大陸の大部分とヨーロッパの東部に広がるトルコ人」を含めた連帯を可能にするであろうと主張します。つまり、トルコ人の民族主義はオスマン帝国内の連携強化に資するだけではなく、より大きな政治的勢力を形成してヨーロッパに対抗しうるし力を持つという主張です。アクチュラが目指していたのがこの「パン=トルコ主義」の採用にあったことは史料から明らかであると言えるでしょう。

 

【採点基準】

以上の史料読解と設問の要求から、以下のような内容を盛り込むことが必要となります。

 

①    オスマン帝国では、「オスマン国民」の創出や「パン=イスラーム主義」などを利用した国家の統一を、オスマン政府(またはスルタン)が中心となって展開してきたこと。

②    しかし、こうした主張はオスマン帝国内の諸民族の自立という現状の下では無力であり、またアブデュル=ハミト2世の専制強化とパン=イスラーム主義の利用は、オスマン帝国内ではかえってパン=イスラーム主義に対する否定的な評価を生み出すもとになってしまったということ。

③    史料の読解を通して、「オスマン国民」、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」の意味するところを正確に読み解き、これらを当時のオスマン帝国の政治状況と結びつけること。

④    最終的には、「パン=トルコ主義(トルコ人の政治的ナショナリティ)」に傾倒する青年トルコによって立憲革命が達成されたこと。

⑤    行き過ぎた「パン=トルコ主義」はオスマン帝国内のトルコ民族以外の諸民族の反発を買い、最終的にトルコ人はトルコ共和国を建国して諸改革を行ったこと。

 

正直なところ、⑤まで要求するのはどうかなとも思うのですが、設問の方に「20世紀前半までに長く続いたオスマン帝国を消滅させるにいたるが」とありますので、設問の射程が青年トルコ革命で終わりなのではないということは明らかかと思います。まぁ、あくまでも練習用に作成したものですので、これが本番の試験に出てどうこうということではないのですが、作成している側としては面白い設問でした。

 

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史料読解演習1

‐2017年一橋「世界史」大問1を想定した問題1

(作成時期:20171月)

 

 さて、以前お話しした一橋の予想問題として作成した問題をご紹介します。これは2017年一橋「世界史」を想定して、史料を用いた問題を作れないかということで、受験の直前期に作成したものです。すでに実際の試験は終わってしまいましたし、先にも書いた通り一橋の出題傾向は大きく変わってしまったことから、もう予想問題としての価値は全くありません。まぁ、言ってみれば賞味期限切れのものです。ですから、当然今年の受験の傾向も加味した分析を再度行った上で、来年の2018年には全く違う問題をまた用意するつもりでいます。ですが、一般的に史資料を読解しながら論述を構成する必要がある学校の受験を考えている人にはちょっとした練習になるかなと思いましたので取り上げてみました。史料は、以前ご紹介した岩波の『世界史史料5』の276-277ページから持ってきています。

 

【問題】

I

 リヴォルノ憲章(1593610日)

 

 [3代トスカーナ大公]フェルディナンド・メディチ殿は、貴方がた商人が次のどの民族や国民であれ、貴方がたすべてを歓迎する。すなわち、東方人、西方人、スペイン人、ポルトガル人、ギリシア人、ドイツ人、イタリア人、ユダヤ人、トルコ人、ムーア人、アルメニア人、ペルシア人、およびその他の人々。(中略)外国人が、貿易や商業をするために、ピサ市、リヴォルノ市港に来て滞在し、居住しようとすることを、公共の利益のために促進したい。このことは、イタリア全体、そしてわれらの臣民、とりわけ貧民のためになるであろうと期待している。それゆえこの特許状によって、貴方がたに下記の恩恵、特権、不可侵権、免除を与え、認めるものとする。

 

 第5条 (ピサやリヴォルノに住む)貴方がたは、(同職組合への)登録料、カタスト(資産)税、通行税、人頭税、賦課金、および類似の物的、人的賦課金については、すべてのものから自由である。フィレンツェやシエーナに住むユダヤ人に課せられている納付金、服従義務、法令、規約は、上記のようにこれを課さない。

 第8条 貴方がたがリヴォルノ港、ピサ市、フィレンツェ市に輸入する商品にかかわる、用船料、陸上輸送量、為替、その他の諸経費に充てるための資金として、貴方がたのシナゴーグの管理人たちに10万スクードを貸与する。

 第20条 貴方がたは、ピサ市とリヴォルノ地域において、土地ごとに一つのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)を持つことができる。その内部では、ユダヤ教 の儀式、掟、規律をすべて実施することができる。

 第25条 貴方がたのシナゴーグのユダヤ人である管財人たちは、ユダヤ同士の間に生じるすべての不和について、貴方がたユダヤ人の慣例にしたがって適当と判断するように採決し、終わらせ、処罰する建言を持つ。

 第29条 貴方がたは、あらゆる種類の職業を営み、あらゆる種類の商品を取り扱うことにおいて、すべての特権、権利、恩恵を与えられる。貴方がたあるいは貴方がたの家族の誰も、キリスト教徒から識別するための、いかなる標識も身につける必要はない。さらに、不動産を購入することができる。(後略)

問い

上記の史料は16世紀末に中部イタリアのトスカーナ大公がトスカーナ地方の都市リヴォルノに対して発したリヴォルノ憲章と呼ばれる特許状である。こうした特許状が発行された背景には、15世紀頃からの政治的・経済的・社会的変化が大きく影響していたが、この変化とはどのようなものであったか。トスカーナ大公と都市リヴォルノが上記の特許状を発した意図を示しながら、15世紀にはじまり、この特許状が発せられた16世紀末にいたる変化について400字以内で述べなさい。

 

【解答】

 15世紀末の新大陸発見とインド航路開拓などにより、ヨーロッパでは経済的な中心地が大西洋岸の諸都市へと移る商業革命が進展していた。同時期に、イタリアではシャルル8世の侵攻によりイタリア戦争が勃発し、フィレンツェでメディチ家が追放され、カール5世によるローマ略奪(サッコ=ディ=ローマ)が起こるなど都市が荒廃し、プレヴェザの海戦でスレイマン1世が指導するオスマン帝国が地中海への影響力を強めたことによって香辛料交易を中心とした東方貿易が衰退した。一方、イベリア半島ではレコンキスタが完了したことでユダヤ人、ムスリムなど異教徒の追放が進み、さらにドイツで宗教改革が起こると宗派対立が激化して異端に対する迫害が進んだ。こうした中でトスカーナ地方の都市リヴォルノは各地で迫害されていた異教徒に対する諸税を免除して資金融資を行い、さらにユダヤ人には居住の自由と一定の自治を与えることで商業の振興を図り、ユダヤ資金が流入することを期待した。(400字)

 

[論述のポイント]

 何度も言うように論述問題を解く基本は設問の要求に答えること、コミュニケーションです。設問が要求しているのは大きく以下の5つです。

 

 15世紀からの政治的変化

 15世紀からの経済的変化

 15世紀からの社会的変化

は、都市リヴォルノが「リヴォルノ憲章」を発する背景となるべきもの)

 トスカーナ大公・または都市リヴォルノが特許状を発した意図

 時期としては16世紀末までを想定

 

以上の点について考察する必要があります。ただ、受験世界史の中に「リヴォルノ憲章」は出てきませんから、史料を読み解く中でどのようなことが言われているのかを読み解く必要があります。

 

【史料の読解】

 史料に書かれている内容を再度確認してみましょう。要約すると、

 

   おそらくはトスカーナ大公の管理下にあるリヴォルノ市が、商業奨励のために人種・民族・宗教にかかわらず承認を誘致していることがわかる。

   リヴォルノはやってくる商人に様々な免税特権を認めている。

   同じく、資金の貸与などの優遇措置を与えている。

   特に、ユダヤ人に対しては信仰の自由のほか、不動産購入なども認めている。

   優遇されている商人の中には、ペルシア人、ムーア人などのイスラム教徒も含まれている。

 

こうしたことがヒントとして読み取れます。これらをヒントとして、なぜリヴォルノ市がこうした措置をとったのかを、15世紀~16世紀末までのヨーロッパにおける変化を念頭において書け、というのが設問の要求です。

 やはり、注目したいのはユダヤ人についての記述が多いことです。また、ムーア人というのは北西アフリカに居住したイスラムで、ベルベル人と同一視される人々ですが、当然のことながらイベリア半島と深いかかわりを持ったイスラームです。こうした人々がイタリアにやってくる、またはイタリア側がこれらを呼び込む必要が生じるような変化として何があるのだろうか、と考えたときに「レコンキスタの終結」または「商業革命」の両方ではなくどちらかを思い浮かべるのは、そこまで無理難題ではないと思います。

 

[採点基準]

 15世紀からの政治的変化として

  ・レコンキスタの終結(1492:ナスル朝グラナダ陥落)

・イタリア戦争

14941559:シャルル8世のイタリア侵入~カトー=カンブレジ条約)

  ・オスマン帝国の進出(1538:プレヴェザの海戦、スレイマン1世)

 15世紀からの経済的変化として

・イタリア諸都市の荒廃

・東方貿易の衰退(オスマンの進出、商業革命)

 15世紀からの社会的変化として

  ・イベリア半島からのユダヤ人、ムスリムなど異教徒の追放

  ・宗教改革、対抗宗教改革の進展と宗教的不寛容

   (カルヴァンの神権政治と不寛容、各地の宗教戦争、トリエント公会議[1545-63]、異端審問)

 トスカーナ大公と都市リヴォルノの意図

・他のイタリア諸都市で徴収されていた諸税を免除し、資金融資を行うことで、迫害されていたユダヤ人、ムスリムなどの異教徒を誘致して商業の振興を図る。

 ・特にユダヤ人に対しては一定の自治を認めることを通して、迫害されていたユダヤ人たちの資金を集める。

 

 史料を参考にこうした点を盛り込んで書いていけば、十分に解答を作成することは可能です。今気づいたのですが、今年の一橋予想「商業革命」をテーマに盛り込んでいたのですね。実際には「価格革命」でしたから、ピッタリではなかったものの、スペインと大航海時代以降のヨーロッパ経済という点ではかなり近いところを挙げていたようです。ただ、ちょっと張り切って凝りすぎちゃいましたかね

 ちなみに、リヴォルノというのはトスカーナの都市で、メディチの傍系の家系であるトスカーナ大公フェルディナント1世=デ=メディチの時代にここに掲げたリヴォルノ憲章などの商人の誘致を行ったことから地中海の重要港として栄えることになった港です。史料中にも出てくるユダヤ人や、モリスコと呼ばれるスペインでカトリック改宗を強制されたイスラームなど様々な商人が訪れる国際商業都市でした。 

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  さて、さっそく第1弾ですが、ここはやはり歴史マンガの王道、横山大先生を抜くわけにはまいりません。本当は『チェーザレ』あたりからはいろうかと思ったのですが、いや、やっぱり横山光輝です。

 横山光輝先生と言えば、最近日経電子版の広告なんかでも三国志が使われてますよねw あれも好きですが、今回は三国志ではなくあえて『史記』を選びました。それはなぜかと言えば、三国志って面白いのですけど、世界史とか古典ではそれほど出てきませんし、受験に直結する知識とか、あとで役に立つエピソードって案外少ないんですよねw すごく有名なシーンを除けば、あとは三国志好きな人同士でしか通じない話だったりするものが多かったりします。(それでもまぁ、「桃園の誓い」とか、「三顧の礼」とか「泣いて馬謖を斬る」とか「出師の表」とか常識の範囲内のもの挙げるだけで案外キリがありませんがw)

 一方で、『史記』の方は春秋・戦国~前漢期までのいろいろなエピソードが出てくるわけですけれども、故事成語の由来などの古典知識から豆知識まで、とにかく出てくるものが幅広い。大人になって「読んでてよかった…」とそれこそ日経電子の版のキャッチコピーになってしまうような感想を持ってしまうと思います。たとえば、私の手元にはやっすいコンビニで売っていたワイド版の史記が数冊あるわけですが、そのうちの1冊をパラパラとめくっただけでも以下のような歴史的事実がずらりと並び、それをイメージづけることができます。

 

・『史記』の作者司馬遷が『史記』を完成させるまで

(宮刑になったりとかね…。子どもの頃ホンマに怖かったわ、宮刑。価値観変わったw)

・封禅の儀式とは何か

・前漢初期の匈奴対策と武帝期の遠征

・管仲と鮑叔(管鮑の交わり)

・春秋五覇(斉の桓公、晋の文公[重耳]など)

・屍に鞭打つ(伍子胥と平王)

・日暮れて道遠し

・倒行逆施

・臥薪嘗胆(呉王夫差と越王句践)

 

まぁ、ざっとこんな感じです。結局、古典とか漢文を「勉強してもなかなか話の内容がわからない」という人と「勉強しなくても何となく話の内容はわかる」という人の差というのは、もちろん才能云々もあるのかもしれませんが、結局は小さいころからこの手の話にマンガでも小説でも映画やドラマでも、または小さいころに買い与えられた「ことわざ辞典」的なものでも、触れているかどうかというのが大きい気がします。勉強って、真面目に座学したり演習するだけが勉強ではなくて生活すべてで学ぶものである気がしますねぇ。はじめから話の内容知っていれば解けるのは当たり前ですもんねw

 

 私もどちらかと言えば古典や漢文は勉強した記憶がありませんが、話の内容はなぜかスムーズにわかりました。逆に、「勉強」が必要な単語だけを抜き出して意味を聞くとか、文法の内容を答えるとかは真面目に勉強しだすまではめちゃくちゃ苦手でした。でも、文章の大意はとれる。多分大河ドラマだの歴史小説だの「あさきゆめみし」だののおかげだと思うのですが。そうすると、そちらの方が配点が高いから、そこそこ点数になったりするんですよねw すごく得した気分でした。でも、じゃあこの手のマンガとかを読めば点数になるんですか、と言えばそれは正直わかりません。だって、はじめからテストの点数が目的で読んでいるんじゃなくて、「面白い」から読んでたんですもの。たくさんのことが書いてありますが、その全てがテスト向けの知識じゃなくて、それこそくだらない豆知識みたいなものもたくさんありますから。知識や教養を身につけるって、きっとそういうたくさんの無駄の集積の上にあるもので、狩りをするように効率を追い求める先にあるものじゃない気がします。もっとも、マンガだけ読んでたわけでもありませんがw

 

 いずれにしても、史記はおすすめです。学校の図書館に『ブッダ』を置くのであれば(『ブッダ』も名作ですがw)、むしろ『史記』を置くべきだと思いますw それだけで平均点は3点から5点伸びる!(かもしれないw)

 難点をあげるのであれば、現代のきらびやかな絵のマンガに慣れ切った子どもたちにとって、横山光輝の絵柄は「なめてんのか」って気分になる可能性があるところですかねw それでも、たくさんの「ムムム」に免じて「それも味だよね」と思えば新たな世界が広がるかもしれませんw

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