世界史リンク工房

大学受験向け世界史情報ブログ

2022年02月

先日、ジャック=ル=ゴフの『中世の身体』を再読いたしましたので、ちょっとご紹介しようかなぁと思います。

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以前から身体史というのは一つの分野を作っていまして、わりと盛んです。身体のことというのは身近に感じることでもありますので、人気もあるようで、書店に行くとわりと人間の身体にまつわる歴史の本がかなりの数、置かれています。また、たとえば学習院大学などでは身体表象文化学なるものを専攻する場所を大学院(人文科学研究科)に設置し、演劇・映画からマンガ・アニメにいたるまで歴史学という分野に限ることなく身体表象全般について学んだりもしています。同専攻によれば「視覚優位の現代文化において、身体の表象(イメージ化) やパフォーミング・アーツ(舞合芸術)はきわめて重要な役割をはたして」おり、「それらを大きな文化的枠組みのなかで研究することは、現代世界の理解になくてはならない学問領域」だとして「マンガ・アニメ、映画や演劇・ジェンダー研究に興味のある学生が、各々のジャンルの深さに新たな感動を味わい、芸術と学問のより高度な段階に上がれる」場所を提供するとしています。(学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻HPより)

では、身体史とは演劇やマンガについて学ぶものなのかというとそういうわけではありません。身体史とは、およそ人間の身体にまつわるあらゆる事柄について、歴史の中でどのように扱われ、イメージされ、存在し、意味を持ってきたかを探るものです。それはたとえば食事の内容やマナー、服飾、生活空間、性、生理現象など、本当に多岐にわたります。テーブルマナーにおけるナイフの置き方や扱い方にどのような意味があるか、女性の身体が同性や異性からどのようにイメージされ扱われてきたか、排泄行為をある時代、ある地域の人々がどのようにとらえてきたか、人間の抱く感情がどのようにイメージされ、意味を持ってきたかなど、本当に様々です。

大切なことは、こうした事柄のすべてが「現在私たちが暮らしているこの世界と同じではない」という前提に立つことです。歴史を深く読み解くうえで大切なことは、事象としては同じであっても、その事象がどの時代、どの地域、どういった人々と関わっていたかによって、事象の持つ意味が大きく変わってくるということを理解することにあります。たとえば、古代中国における残酷な刑罰を、現代の感覚で忌避したり、古代ギリシア悲劇を現代的な感覚で鑑賞し、「素晴らしい」とか「よくわからん」とか評することは簡単です。ですが、歴史学ではそうした過去の事象が当時の人々に「どのようにとらえられていたか」、どのようなイメージを与えていたか」、「果たしていた機能は何か」などをとらえなければなりません。となれば必然、当時の人々が世界や自分自身をどのように把握していたかという、人々の思考様式や感覚をとらえられなければ、各事象の正しい意味・意義を知ることはできません。

こうした理解のもと、人々の思考様式や感覚、つまり心性(マンタリテ)について研究する「心性史」が、特にフランスの歴史家を中心として生まれたのが20世紀の前半頃でした。リュシアン=フェーブルやマルク=ブロックのグループから始まるいわゆるアナール学派が、従来の歴史学が重視してきた「事件史(特定の大事件などに注目する)」や「大人物史(特定の「偉大な」人物とその周辺に注目する)」を離れ、むしろ民衆の生活文化や、社会全体の集合的記憶などに注目し、それらを明らかにするために他の学問領域(人類学や言語学、経済学や統計学など)の手法を取り入れていわゆる「社会史」を発展させる中で、人間の身体について考察する「身体史」も生まれてきたのです。とまぁ、結構真面目な話なのですが、何も知らずに史学科に入った私が、フランス史関連の講義に出席した時に教授が真面目な顔でいきなり「アナールが」と話し出した時には、自分も真面目な顔をしつつ「むむ?(笑)」となるのをおさえきれませんでしたw 何の話かと思いましたよ。

さて、フェーブルやブロックを第一世代、これに続くフェルナン=ブローデルを第二世代とした時、本書の著者であるジャック=ル=ゴフはこのアナール学派の第三世代に位置する人物です。

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(ジャック=ル=ゴフ[Wikipedia英語版より]

ル=ゴフはなぜ(中世の)身体を問題にするのかについて、『中世の身体』の序文で以下のように述べています。

 

「身体は歴史の重要な欠落の一つであり、歴史家は身体をほとんど忘れ去っているからである。事実、伝統的な歴史は肉体を欠いていた。歴史は男たちに関心を向け、付随的ながら女性たちに関心を向けてきた。しかし、ほとんどいつも身体が不在だったのである。まるで身体の生命は時間と空間の外に置かれ、人類は不変であるという思い込みの中に閉じ込められてしまっているかのように。ほとんどの場合問題となるのは、権力者、王や聖人、それに軍人、貴族たちを描くこと、あるいは、過ぎ去った世界の重要人物たちを、時代の大義や必要に応じてしかるべく見出し、美化し、そしてときには神話化することであった。水面から浮かび出た顔のみに還元されたこれらの人物たちは、肉体を奪われていた。彼らの身体は、象徴、表象、肖像にすぎず、彼らの行為とは、権力の継承、数々の秘跡、戦闘、事件に限られていた。列挙され、記録され、世界史を画するとされる石碑のように置かれた人物たち。これら偉人たちの栄光や失墜を取り巻き、それに手を貸した一群の人々はといえば、彼らの歴史、感情、行動、逸脱、苦しみを語るためには、ただ「下層民」あるいは「民衆」という名を用いれば十分だとされていたのである。」

(池田健二・菅沼潤訳、J=ル=ゴフ『中世の身体』藤原書店、2006 [原書が出版されたのは2003]

 

こちらを一読するだけでも、ル=ゴフが身体を考えることにどのような意義を見出していたのかがひしひしと伝わってきます。こうした問題意識の下に、ル=ゴフは自分自身の研究のほかにも数多くの歴史家の研究も参照しつつ、中世ヨーロッパにおける身体史の様々な側面を紹介し、全体像を描き出そうとしています。ル=ゴフは2014年に90歳で亡くなりますが、80歳を迎えようかという歴史家の著作とは思えないほどみずみずしく、それでいて丁寧な表現で書かれた文体は読みやすく、まろやかです。(もっとも、邦訳しか読んでおりませんが。)そんな本書は、研究書というよりは中世身体史に関する研究を総合的にかみくだいて紹介する内容となっているため、歴史学を専門とはしていない人にとっても刺激的な著作ではないかと思います。もちろん、多くの研究者や諸研究が登場しますので、あらかじめそれらの歴史家についてある程度知っていれば、より深く本書を愉しむことができるかと思います。

 個人的には、キリスト教における身体観、「体は魂の忌まわしい衣である」とともに「体は聖霊のための聖櫃である」という非常にアンビバレントな存在であるということについて、様々な例を挙げながら示していく第1章「四旬節と謝肉祭の闘い」を非常に興味深く読みました。どの章も面白いのですが、禁欲、精液と血液、性の営み、労働、涙、夢、笑いなど、いろいろな題材をもとに中世の人々が抱いていたイメージと、それらを生んだキリスト教の抑圧、あるいは聖性を持つものとしての意味付けや称賛の関係が丁寧に示されていてとても面白いです。ついこの間、映画『薔薇の名前』を見直す機会があったのですが、本書に書かれた内容が頭に入っているとより深く味わって楽しむことができるように思います。

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ショーン=コネリー主演の映画『薔薇の名前』(1986)でも

信仰と笑いの関係が議論されるシーンがあります

 

また、面白いだけでなくとても参考になります。イギリスの大学院で医学史の講義を受講する機会があったのですが、政治・宗教史ばたけの私でもこの本をあらかじめ読んでいたおかげでだいぶイメージがしやすく授業が楽になった記憶があります。ほかには、第4章の「メタファーとしての身体」はとても参考になりました。「心」のありかはどこか、「心臓」のイメージの変化、邪淫の座に貶められた肝臓、手の両義性など、言われてみればなるほどそうかと思えることがらが紹介・整理されていて刺激的でしたが、こちらはもう少し厚みがあってもよかったかなと思いました。歴史を考えるにあたって、あらためて当時の人々の心性、認識がいかに大切かを感じさせられた本でした。それなりの値段はしますが、面白いと思いますよ。

 

 

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【難関大】
 清とロシアの国境をめぐる事柄については、難関大では近年頻出の内容ですが、教科書や参考書ではそれぞれ違う部分で語られることが多いため、一連の流れとして把握するのが難しいです。また、関連する地域については世界史の他の箇所で出てくることもないため、地理的把握が十分でないことが多く、文章で示されても「それっていったいドコ?」と、どのように領土が変遷していくのか分からないケースも想定されます。そこで、この地域の様子を示す地図と、各条約の詳細や背景をまとめた表を作成してみました。

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濃青:アルグン川  緑:スタノヴォイ山脈

オレンジ:アムール川  水色:ウスリー川(ウスリー江)

このあたりの地理で一番わかりにくいところは、実はアルグン川もアムール川もウスリー川もそれぞれがつながっているということを知らないことが多く、どこからどこまでを指しているのか把握しづらいということです。上の図の通り、アルグン川はアムール川の上流部分(濃青)のことで、スタノヴォイ山脈(緑色)と結ぶと康煕帝とピョートル1世との間で結ばれたネルチンスク条約(1689)の国境線となります(黄色いライン)。また、ネルチンスク条約の締結された当時は外モンゴル方面の国境線が定まっておりませんでしたが、17世紀末に康煕帝が外モンゴルのハルハ部を支配下に置くと、同地とロシアの国境画定が問題となりました。その結果、雍正帝の頃に結ばれたのがキャフタ条約(1727)です(ピンクのライン)。

一方、19世紀に入ると欧州列強の清への進出が激しくなりました。こうした中、アイグン条約(1858)が結ばれます。この条約でロシア領とされた「アムール川以北」というのは、「ネルチンスク条約で国境とされたスタノヴォイ山脈よりも南、アムール川よりも北で囲まれた部分」のことを指します。アムール川とは上の地図のオレンジのラインで引かれた部分のことです。ものによっては「アムール川以北」のことを「アムール川左岸」と書いてあったりして分かりにくいんですよね。「左岸」というのは、川を上流から下流に向かってながめたときに左側のことを左岸と言いますが、特別な必要がない限り言葉はできるだけわかりやすく伝えた方がいいかと思いますので、「アムール川以北」の方が個人的には好きですね。

また、同じくアイグン条約では清とロシアの共同管理地、続く[露清]北京条約(1860)ではロシア領とされた沿海州は、水色で示されたウスリー川ならびにその下流のアムール川より東の土地のことを指します。これは「海沿いの州=沿海州」なので分かりやすいですね。

露清国境画定条約一覧 - コピー

上の表が清とロシアとの国境を画定させた主な条約の一覧です。イリ条約は一連の国境画定の流れの中で出てくることはまれなのですが、最近はロシアの南下政策と絡めてユーラシア全体を把握させようとする設問が見られる(例:東大2014など)ことから、念のため追加しました。

 これら諸条約で一番大切かつよく出題されるのはもちろん「どの条約がどのように国境を画定したのか」ということなのですが、意外に清とロシアの通商関係が問題になっていることに気付きます。こうした通商関係をめぐる設問も見られるようになってきていますし(例:東京外国語大学2016)、朝貢体制の外で展開された「互市」という関係を視野におさめた設問や参考書も増えてきました。(例:東大2020 / 『詳説世界史研究』、山川出版社、2017年版、p.236) 私が高校生くらいの頃はこれらの条約の内容を把握しておくだけでも「すごいな」とか「どんだけ世界史やっとんねん。」という感じだったのですが、今後は諸条約をまとめるだけではなく、通商や対外関係なども含めたより広い視点で把握する力が難関大では求められてくるかもしれません。

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東大第3問(小問記述など)の解答または解答に関連する事項のみ一覧にしたものを作成してみました。1988年より以前になると第3問でも小論述が中心になってきてしまい、かえって全体の傾向を把握できないので、今回は1989年~2021年までを対象としています。東大過去問を思い切り昔までさかのぼって確認したい場合には、教学社から出ている『東大の世界史○か年』シリーズや駿台の『東大入試詳解○年世界史』シリーズなどが出ていますので、こちらを用いると良いでしょう。また、ネット上でも「世界史教室」さんなど、過去問や解説が見れるサイトがありますので、そちらからでも良いかと思います。

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(東大第3問解答等一覧[1989-2021]

 

今回の一覧作成にあたっては、手元に『東大の世界史25か年[2]from1985to2009』(教学社)がありますのでそちらと、あとは手元にある最近の東大過去問を見ながら一通り解き直してみました。古い本は取っておくものだわ、かさばるけど。その上で、頻出のものや、高校生に対して聞く設問としてはいささかエグイと思われるものなどをピックアップして色分けしてみました。一覧表を作ってからの確認になるので、一部頻出であるにもかかわらず見逃しているものなどあるかもしれませんが、「あー、これはよぉ出るわw」と思えるものはだいたいチェックしてあるかと思います。(「新大陸産作物のジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシ」なんてのはどんだけ好きやねんレベルで出てきます。)

 

全体を比較できるように、上の表は1989年~2021年の33年か年分すべてをまとめてありますが、もしかすると表示が小さくて見にくい部分もあるかと思いますので、以下には198820012002201120122021に細かく分けたものを示しておきます。

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(東大第3問解答等一覧[1989-2001]

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(東大第3問解答等一覧[2002-2011]

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(東大第3問解答等一覧[2012-2021]

 

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昨日、ブログをお読みいただいている方からエンコミエンダ制とアシエンダ制の区別についてご質問をいただいたので、それについて書いてみたいと思います。こちらの区別は正直専門外ですので、私自身もよく把握していないのですが、とりあえずは高校世界史で紹介されている定義と、私の方で「こういうものかな?」と理解している事柄について書いた上で、「この辺をおさえておけばOK」という点をまとめてみたいと思います。分かりやすくまとめるのが主眼ですので、私自身がイメージしていることについては一部不正確な部分があるかもしれませんが、そのあたりをご理解の上でお読みください。

 

まず、すでにご存じかとは存じますが、エンコミエンダ制とアシエンダ制の高校世界史における基本的な定義は以下のようになっています。

 

エンコミエンダ制

:スペイン王室の認可を受けて、ラテンアメリカに入植したスペイン人植民者が、一定地域の先住民に対するキリスト教化の義務を負う一方で、同地の土地の利用や住民を労働力として使役する権利が認められた制度。

アシエンダ制

:スペイン人大土地所有者が現地人を債務奴隷として労働力とする大農園経営の形態。その地主であり経営者であるスペイン人入植者は現地のインディオの債務者を債務奴隷として家父長的に支配しながら経営した。「世界史の窓」、アシエンダ制より)

 

エンコミエンダの説明は私の方で理解していることを文章にしてみました。アシエンダについての説明は「世界史の窓」さんに書かれていたものを引用させていただきました。ついでに、教科書や参考書に書かれている定義は以下の通りです。(用語集は今手元にないので、後で付け足しておきます。)

 

・『詳説世界史B改訂版』(山川出版社)2016年版

・『新世界史B改訂版』(山川出版社)2017年版

:索引に記載がありません。

 

・『世界史B』(東京書籍)

:スペインの植民地では、17世紀前半から、アシエンダ制とよばれる大土地所有にもとづく農園経営が広がり、大農園主は負債を負った農民(ペオン)を使って、農業や牧畜を営んだ。17世紀半ばから銀の生産が減少に向かって、交易がおとろえると、アシエンダ制はいっそう拡大した。(p.207

:ラテンアメリカ諸国では、19世紀初頭の独立後も大土地所有制(アシエンダ制)が存続し、植民地時代からの階層的な社会構成のもとで、極端な貧富格差と社会的不平等が残った。(p.303


・『詳説世界史研究』(山川出版社)2017年版

:…16世紀末以降エンコミエンダ制にかわってアシエンダ(大農園)制が広がり、スペインの植民地支配は維持された。先住民の減少で不足する労働力を補うためには、アフリカから黒人奴隷が導入された。(P.253

:…マニラ開港とともに、サトウキビ・タバコ・マニラ麻などの輸出向け商品作物生産がさかんになった。こうした商品作物栽培は、商人・高利貸しやスペイン人や修道会による大所有地(アシエンダ)を生み出した。(p.379

 

以上を確認してみると、高校世界史の中で紹介されている両制度の定義の基本的な区別は、エンコミエンダが先住民(インディオ)の強制徴発と半奴隷化によって成り立っているのに対し、アシエンダではインディオにかわる労働力として債務奴隷が用いられたこと。また、その成立の背景から、エンコミエンダが成立するのは基本的にはスペインによる征服時からインディオの人口減少により経営が難しくなり、さらにエンコミエンダに対する批判が強まる16世紀末ごろまでで、アシエンダが成立するのはそれと入れ替わるようにして17世紀以降からだということです。

ただ、私自身もこうした定義、特に「アシエンダとは何か」ということについて、昔はさっぱりイメージがわきませんでした。「エンコミエンダとどこが違うのか」、「そもそもインディオの激減で人口が減ったからアシエンダに変わるのにインディオの債務奴隷って何だ」とか、「債務奴隷ってどうやってできてどういう連中なんだ」とか、「黒人奴隷はどうなるんだ」、などです。

これらの疑問を解決して自分なりに納得するためには、高校世界史で紹介されている定義を離れて、そもそもアシエンダとはどういうものなのかを理解しておく必要があるように思います。そこで、アシエンダについて私なりに理解していることを以下にお示ししたいと思います。厳密には正しくないこともあるかもしれませんが、イメージはしやすくなるように思います。

 

・アシエンダとは、スペイン植民地などで何らかの労働力を用いて経営される大土地所有制のことを言う。

・この場合の労働力は、地域によって様々であり、先住民、黒人奴隷、債務奴隷などが用いられる。多くの場合、奴隷以外の労働力は何らかの形で土地所有者に対して経済的な「負債」を負っており、その対価として労働することになっている。(たとえば、土地を利用するにあたり必要な初期投資を地主に拠出してもらったとか、生活に必要な物資を工面してもらったなど) エンコミエンダとの違いは、エンコミエンダが「王室からの認可」によってその土地の統治を委任されているのに対し、アシエンダの場合は、地主は土地所有者であり、先住民の教化などの義務を負ったり、王室からの認可を(原則)必要とはしない点にある。

・土地の利用の仕方も様々で、商品作物栽培用のプランテーションが経営されることもあれば、その土地の自給自足のために小麦や食肉生産が行われることもあれば、鉱山などが近くにあれば鉱山経営がなされることもあり、そうした大土地経営全てをアシエンダと呼ぶ。(エンコミエンダが富の収奪に主眼が置かれるため、鉱山経営やプランテーション経営に偏りがちなことを考えると、アシエンダの自給自足型土地経営はややエンコミエンダと趣が異なる。)

・概念としては古代ローマにおけるラティフンディアに近く、ただ労働力が奴隷制のみに依存していない点でラティフンディアとは異なる。

・「アシエンダ」という呼称が用いられるかどうかや、その持つ意味も、各地によって異なる。たとえば、メキシコでアシエンダと呼ばれる大土地所有ないし大規模不動産は、アルゼンチンなどではエスタンシアと呼ばれ、このエスタンシアはアルゼンチンでは多くの場合、牛や羊の放牧地として使われる。(代表的な場所が地理などで良く出てくるパンパ。)

・ラテンアメリカに限らず、フィリピンなどのスペイン領植民地でも成立している。

 

だいたいこんな感じが「アシエンダ」のイメージになります。ですから、「アシエンダ制」という名前がついているにもかかわらず、そもそも「制度」ではない気がします。(エンコミエンダは「制」で構わないと思いますが。) イメージしやすくするために、プエルトリコにあるかつてのコーヒー農園だったアシエンダをご紹介しておきます。今ではこうしたアシエンダの一部はリゾート用の宿泊所にもなっているようですね。

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:プエルトリコのアシエンダ[復元] かつてはコーヒー農園で、
労働力として奴隷と地元住民が使役された。
Wikipedia英語版「Hacienda Lealtad」より)

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:罰を受ける奴隷がつながれた場所
Wikipedia英語版「Hacienda Lealtad」より)

また、その利用形態、使われる労働力、利用目的も地域や時期によってバラバラなので、これらを一括して何らかの統一された内容を示す用語として定義すること自体にかなり無理があると思います。より広義の概念を示す用語としてとらえた方がよさそうです。例として適切かはわかりませんが、イメージとしては、日本のものも、ヨーロッパのものも、時代も無視して全部ひっくるめた「荘園」という語のイメージに近いですねw ですから、そもそもエンコミエンダ制と対置できる概念なのかかなり疑問です。

ひと通り見てきましたが、高校世界史でエンコミエンダ制とアシエンダ(制)の両者の区別をするにあたっては、まず「エンコミエンダ制とは何か」をしっかりと理解した上で(エンコミエンダ制の方が定義がはっきりしているので)、以下のことをおさえておくと良いでしょう。

 

・エンコミエンダ制が展開されるのが16世紀であるのに対し、アシエンダ(制)が本格的に展開されるのが17世紀以降であること

・アシエンダ(制)は地域によって様々な形態があるが労働力としては主に負債を負った農民が用いられていること

・アシエンダ(制)はラテンアメリカだけでなく、フィリピンなどのスペイン領植民地でも展開されたこと

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いやー、どうなることかと毎日チェックしてましたけど、復活してくれたようです(2022年2月4日現在)。よかった~(汗) 他のものでも調べられないことはないですけど、ちょっとしたこと調べるにはやはりコスパがいいですからねぇ。
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