世界史リンク工房

大学受験向け世界史情報ブログ

2025年05月

【全体概観】

今回は、2025年の東京外国語大学の問題解説を進めたいと思います。外大の問題をご紹介するのはずいぶん久しぶりです。本業が忙しくて、ホンマにすみませんw

さて、以前ご紹介した東京外国語大学の出題傾向でもお話しした通り、東京外国語大学では2025年の問題から歴史総合+世界史探究の形に問題形式を変更しており、そのため歴史総合で60点、世界史探究で90点の計150点に配点が変更されています。これについては出題傾向の記事をご覧いただくことにして、こちらの記事では各大問の特徴・内容・解答の作り方などについて解説していきたいと思います。

歴史総合(大問1に相当)は、朝鮮戦争前後の朝鮮半島情勢をめぐる史料やリード文などを参考に、アジア地域における民族運動と冷戦秩序構築の関係を考えさせるものでした。設問は一問一答式の小問が4×5点、文章内容から空欄に30字以内の文章を作る問題が1×10点、300字論述が1×30点の計60点です。

一問一答問題は率直に言って基本問題レベルです。これまでもそうでしたが、東京外国語大学では一問一答問題のレベルはそれほど難しくないので、このレベルの問題で取りこぼしているようでは世界史で合格点を取ることはおぼつきません。文章の空欄補充問題も国語ができれば問題ありません。(外国債とは何か程度の知識は理解しておく必要がありますが。

一方で、300字論述はかなり手ごたえのある内容になっています。ただ、こちらの問題も世界史の知識をフル動員して解く問題かといえばそうではなく、多くのヒントはリード文や各種の史資料に示されていて、それらを読み解く方が重視されるタイプの論述と思って良いと思います。ですから、細かい世界史の知識は不要ですが、それでも史資料を読み解くにあたり世界史の知識がある方が分かりやすい&深く読み解くことができるのは確かですから、東京外国語大学で出される一問一答問題は基本解けるレベルの力はつけておくべきでしょう。目安としては大学入学共通テストで9割以上取れれば、東京外国語大学の歴史総合+世界史探究を武器にすることができ、低くても8割程度の点数を取れる力がないと、2次試験に十分に対処するのは難しくなるかなと思われます。

続いて世界史探究(大問2に相当)ですが、こちらは移民についてのリード文ならびに各種史料をテーマにした設問です。移民や国境といったテーマについては東京外国語大学では直接的・間接的に何度も出題されているテーマなので、それほど目新しいものではありません。設問は一問一答式の小問が10×5点、400字論述が1×40点の計90点です。これまでの東京外国語大学と違い、大論述の配点が非常に大きくなっています。大問1と合わせると計70点となりますので、今後東京外国語大学対策では論述対策が必須となってくると思います。また、論述の内容も世界史の知識に合わせて、史資料を活用する必要のあるかなり難度の高いものとなっています。さらに、この年の大問2の一問一答問題には、一部かなり難しい問題が含まれていました。こうした設問で取りこぼした人もいたかと思いますが、東京外国語大学の一問一答はほとんどが選択式でなく記述式なので、難しい問題については他の受験生も解けない可能性が高いため、それほど差がつくとは思えません。ですから、「細かい知識まで難関私大並みに徹底して覚えないと」と焦る必要は基本的にはないでしょう。

 

 

【小問概要と解説】

(歴史総合-1)

概要:文章中の空欄①に入る人名を答えよ。

解答:李鴻章

:人物名のヒントとして文章中に「①は日清戦争の講和条約である下関条約の清側代表としてよく知られている」とありますので、超頻出の基本問題です。

 

(歴史総合-2)

概要:アジアから日本への留学生研究をするとした場合に最も優先度が低いものを選べ。

解答:e(内国勧業博覧会)

:選択肢概要と選ぶ根拠は以下の通り

 

⒜ 魯迅の経歴:日本に医学の勉強のために留学しています。『藤野先生』は有名。

⒝ 東京の私立大学の文献:日本への留学ですから、当然重要です。

⒞ ドンズー運動の文献:ドンズー運動はベトナムから日本に留学生を派遣する運動です。

⒟ 朝鮮開化派の文献:開化派からは多くの日本人留学生が来ています。

⒠ 内国勧業博覧会の文献:国内の産業発展促進のためのもので、留学生との関連は薄い。

⒡ 中国同盟会の文献:結成は東京ですし、多くの留学生が参加しています。

 

(歴史総合-3)

概要:下線部③(1884年に日本の援助を得た金玉均らが朝鮮でクーデターを試み、それに清軍が介入して鎮圧する事件)の事件名を答えよ。

解答:甲申政変

:朝鮮近代史は東京外国語大学では頻出ですし、基本事項です。

 

(歴史総合-4)

概要:下線部④(赤十字条約)について、この条約のもととなる考えを提唱してノーベル平和賞を受賞した人物を答えよ。

解答:デュナン

:ノーベル平和賞云々まで知っている必要はありません。赤十字のもとを作ったという情報でデュナンと答えてしまってよいと思います。基本問題です。

 

(歴史総合-5)[文章の論旨読み取り問題]

概要:空欄☆に入るのにふさわしい説明を30字以内で考えて答えよ。

解答例:導入は、日本の政治に外国が介入する危険を招くと考えた(26字)

 

:☆の前には、日本が外資の導入に極めて消極的であった理由として、不平等条約などによる不利な条件が課せられていたために事実上その導入が不可能であったことを示したうえで、「しかし同時に、明治政府が外国債の  ☆  からでもあるのです。」とあるので、☆の中身には「明治政府が外国債の導入に消極的だったもう一つの理由」が入ることになります。これについては、☆のすぐ後ろに南北戦争の北軍の将軍としても知られているアメリカ大統領グラントから日本政府への忠告が史料として示されています。その概要は以下の通り。

 

・忠告の内容:外国債への非依存

・国によっては弱い国に金を貸すことでその国を篭絡する国がある

・弱い国に金を貸す国の目的は、弱国の政権を掌握することである

・東洋で外国の干渉を逃れているのは日清両国のみだが、この両国の戦争は、両国の政治に干渉しようとする国々を喜ばせるだけである

 

こうした内容が示された上での問題ですから、世界史の知識がなくても資料読解で十分に解答できます。どちらかというと国語の問題です。

 

(世界史探究―1)

概要:バーブルが滅ぼした王朝とバーブルが創始した王朝との組み合わせ

解答例:⒟ ロディー朝 / ムガル朝

:基本問題です。デリー=スルタン朝については、個別で出てくるとすればアイバクが建国した最初の「奴隷王朝」くらいで、それ以外の王朝が個別に問われることはめったにありません(皆無ではありませんが…)。 ですから、デリー=スルタン朝については最初の奴隷王朝をしっかりおさえた上で、残りの王朝の順番(ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝)だけ覚えておけばよいでしょう。この順番は共通テストレベルでもよく出ます。覚えにくいという人は頭文字だけ覚えておくといいですよ。「ハトサロ」とか。

 

(世界史探究―2)

概要:ティムール朝の首都で、ティムールが再建した都市の名称

解答例:サマルカンド

:基本問題です。ティムール朝では他にもヘラートなどの町が中心地になったことはありますが、ティムールが再建したという情報があればサマルカンドで問題ありません。

 

(世界史探究―3)

概要:プロテスタント勢力の拡大をうけ、カトリック教会の全般的改革をめざして1545年に始まった公会議が開催された都市はどこか

解答例:トリエント

:「カトリック教会の全般的改革」が対抗宗教改革(カトリック改革)のことであると分かれば難しい問題ではありません。対抗宗教改革では①トリエント公会議(15451563)と②イエズス会の創設の2点がおさえておくべき事柄です。

 

(世界史探究―4)[やや難]

概要:クレタ島出身のギリシア人画家で、ヴェネツィアで活動後、フェリペ2世統治下のスペイン・トレドに移住し多くの宗教画を制作した人物は誰か

解答例:エル=グレコ

:こちらの問題はやや難しい。エル=グレコはルネサンス後期からバロック期の画家で、高校世界史ではスペインのバロック画家として紹介されます。ところが、そもそもバロック期のスペイン画家自体が高校世界史ではやや扱いがマイナーになりがちで、またスペインの画家というと圧倒的にベラスケスの方が出題頻度が高いため、このベラスケスや少年の絵で有名なムリリョに目がいきがちです。ただ、宗教画という点が強調されていることや、過去にはあちこちの大学で類似の問題は出ているので、そうしたものを目にしていた受験生であれば解けたかとは思います。エル=グレコ関係でよく出てくるヒントは「ギリシア出身」というところで、彼の名前は「ギリシア人」を意味するグレコに、スペイン語の男性定冠詞エルがついた通称であるということを一度知っておけば間違えることはないと思います。

エル・グレコ
エル=グレコ『聖母被昇天』
(シカゴ美術館蔵、Public Domain, Wikipedia)


(世界史探究―5)

概要:インド系の年季契約労働者や大陸横断鉄道建設で酷使された中国系の移民労働者に対する呼称は何か

解答例:クーリー(苦力)

:基本問題です。

 

(世界史探究―6)

概要:南アフリカにおけるインド系移民差別の撤廃運動を行い、インド帰国後に独立運動を指導した人物は誰か

解答例:ガンディー

:基本問題です。ガンディーがもともと南アフリカで弁護士として活動し、その後インド系移民の差別に対する運動を展開したことはわりとよく知られていることなのでおさえておきましょう。

 

(世界史探究―7

概要:南米の独立運動に参加した後、両シチリア王国を占領した人物は誰か。

解答例:ガリバルディ

19世紀に両シチリア王国を占領した人物とあるので、これをヒントにガリバルディで良いと思います。基本問題です。高校世界史では両シチリア占領と赤シャツ隊でしか出てこないガリバルディですが、こちらの問題にもあるように南米各所での独立闘争や、ヨーロッパ各地の自由を奉ずる運動闘争のために駆け回った人でもありました。

 

(世界史探究―8)

概要:「ツー」、「トン」という2つの記号の組み合わせで情報を伝達する通信方式を答えよ。

解答例:モールス信号

:基本問題ですが、「通信方式を答えよ」とありますので、モールスではなくモールス信号と答えなくてはいけない点には注意しましょう。電信については、19世紀前半に有線電信を発明したモールスと、19世紀末に無線電信を発明したマルコーニの区別をつけておく必要があります。

 

(世界史探究―9)[]

概要:米西戦争で最初の戦場となり、アメリカに割譲されたスペイン植民地はどこか。

解答例:フィリピン

:米西戦争後のパリ条約(1898年)でスペインからアメリカ領となったのは、グアム、フィリピン、プエルトリコで、これについては基本事項なのですが、これらのうちから米西戦争の最初の戦場となったというヒントで特定しなくてはならないのは少々厳しい問題です。この問題については、上記グアム、フィリピン、プエルトリコのうちどれかを書いたのであれば、仮に間違っていたとしても引きずらない方がよいでしょう。

 

(世界史探究―10

概要:1914年に完成した太平洋と大西洋を結ぶ運河は何か。

解答例:パナマ運河

:基本事項です。

 

【歴史総合、問6:300字論述解説】

(設問概要)

・日本の「近代化」とはどのような特徴を持っているといえるか、述べよ。

・資料[][]の記述を踏まえよ。

・日本が「文明化」の道を進む上で日清戦争が持った意味を踏まえよ。

・先生と生徒の会話も参考にせよ。

300字以内で述べよ。

・指定語句(使用した箇所すべてに下線を引くこと)

 条約改正 / 外国債 / 国際法 / 東洋連衡 / 文明諸国 / 東学農民軍

 

まず、本設問の要求は日本の「近代化」の特徴を述べよというかなり漠然とした内容指定になっています。いわゆる固定化された正解のある問いとは違い、見方によって様々な解答を示すことが可能な問いです。ですが、本設問では同時に、「資料[][]の記述」や「日本の文明化と日清戦争の関係」、「先生と生徒の会話」などを踏まえて参考にしなさいという指示が出されていますので、これらの主旨から外れた解答は加点の対象とはならないと考えるべきでしょう。

ですから、本設問でまず取りかかるべきは、これらの史資料が日本の「近代化」についてどのように述べているかを適切に把握することです。その上で、これらの史資料に書かれた情報のうち、何をどのように利用すれば日本の「近代化」の特徴を語ることができるかを考えて、整理することが必要となります。つまり、文章の読解と情報の整理を要求される極めて「国語的」な問題と考えてよいでしょう。ただし、書かれている内容はかなり専門的な内容になりますので、世界史についての知識が読み取りの際には役に立つことになります。全体の印象としては、非常に丁寧に作られた問題という印象があります。東京外語大の先生方が、入試問題の作成に非常に熱意を傾けて作成されたことが伝わってくる気がします。

 

史資料については、以下の6つが用意されています。

 

・先生と生徒の会話

・資料[A] 三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』

・資料[B] 小野寺史郎『戦後日本の中国観』

・資料[C] 大谷正『日清戦争』

・資料[D] 檜山幸夫「日清戦争と日本」

・資料[E] 中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』

 

本設問では、各資料の前後に、その資料が何について述べているものかや、先生と生徒の感想や評価などが書かれているので、資料単体で読み取りを行うだけでなく、彼らの会話からある程度資料の内容や意味を推し量ることができます。

 

(解答手順1、史資料の読み取り)

① 導入-先生と生徒の会話

:先生と生徒の会話では、東アジアの近代化について様々な視点で話が交わされます。特に、日本の「近代化」について、生徒が文明開化や欧化政策など西洋文明を積極的に取り入れていた点を指摘したのに対し、先生はそれを肯定しつつも一方で日本が欧米の助けをなるべく借りずに進めようとしていた「近代化」があることを指摘し、資料[A]を提示します。

 

② 資料[A] 三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』

:本資料では、明治新政府にとって財政的基礎を確立することが重要であった一方、その基礎は租税に求められ、外資導入に極めて消極的であったことが語られます。その上で、外資導入に消極的であった要因として

 

・不平等条約による条件上の制約

 ・外資導入による諸外国からの政治的干渉のおそれ

 

2点があったことを示し、その根拠として米大統領グラントの忠告が示されます。

 

また、その後の先生・生徒の会話では、グラントの忠告にもかかわらず日清両国が戦争に突入したことと、日清戦争後の日本は財政政策を転換させて外国債導入に積極的になったこと、これを資料の著者である三谷が「自立的資本主義から国際的資本主義への転換」と表現していることなどが示されます。

「歴史総合」では日露戦争において日本の高橋是清が英米からの外債調達のために奔走したことなどが示されますので、こうしたことを覚えている人にとっては読みやすい内容だったかと思います。

 

③ 資料[B] 小野寺史郎『戦後日本の中国観』

:本資料は、先生と生徒の会話の中で、欧米の助けを借りない自立した「近代化」と日清戦争をつなぐものが「文明化」であったとして示される資料です。資料内では東洋連衡論と脱亜論の二つが示されたのち、脱亜論に代表される考え方が、日清戦争の勝利後に日本において一般化したことが指摘されます。

 

▶草間時福「東洋連衡論」(1879年)

 ・日本がアジアで最も開化が進んでいる

 ・東洋連衡は諸国に率先して日本が担うべき

 ・東洋が団結して西洋に対決すべき

▶福沢諭吉「脱亜論」(1885年、『時事新報』)…甲申政変の失敗をうけて

 ・日本国民の精神はアジアの頑迷を脱して西洋の文明に移っている

 ・隣国(中国・朝鮮)は古い習慣にしがみついている

 ・日本に隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はない

 ・日本は西洋の文明国と同様に振る舞い、隣国に対しても西洋と同様の形で処置すべき

 

▶陸奥宗光『蹇蹇録』(1929公刊)…日清戦争直後に書かれたもの

 ・日本は明治維新以降長年にわたり西洋文明を採用する努力をしてきた

 ・清は旧態依然のままである

 ・日本は西洋文明を代表し、清は東アジアの習慣を守っている

 (西欧の新しい文明と東アジアの古い文明との衝突) 

 

この資料を見た先生と生徒は、「アジア主義」と「脱亜論」の相違点と共通点について指摘します。

 

▷アジア主義

 ・アジアと連帯する意識

▷脱亜論

 ・アジアと連帯する意識の消失

▷両論の共通点

 ・日本がアジアで最も文明化が進んでおり、アジアは遅れているという視点

 

そして、日本が自分たちを「文明的」で他のアジアはそうでないと考えた原因を考えるために資料[C][D]が示されます。

 

④ 資料[C] 大谷正『日清戦争』

:本資料中では、日本政府や在野の知識人共に、日清戦争は「文明国・日本」対「野蛮国・清」という「文野の戦争」であることが強調され、これが国民のナショナリズムと国民の戦争協力を促進する役割を果たしたことが指摘されます。また、日本が文明国であることを示し、条約改正交渉を促進するため、国際法遵守が政府にとっての大前提であったことが示されます。

 

⑤ 資料[D] 檜山幸夫「日清戦争と日本」

:本資料中では、戦勝の中、文明化された近代日本、「大和民族」として団結した強国日本などでイメージ付けされた「皇軍の民」が形成されていく一方、急速に中国人差別・蔑視が生まれていった様子が示されます。

 

さらに、先生と生徒の会話の中で、「文明諸国の一員であることを示すことが条約改正のために重要であったこと」(資料C、それが「中国人への蔑視につながっていったこと」(資料Dなどが示されますが、先生はさらにもう一歩踏み込んで考える必要があると資料[E]を提示します。

 

⑥ 資料[E] 中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』

:本資料中では、国際法を遵守することを言明されているはずの日本軍が、朝鮮の東学農民軍に対しては「悉く殺戮」することを命じたことや、こうした対処が非交戦国である朝鮮の主権を侵害するものであると同時に、仮に交戦中であったとしても国際法に照らして不適切な内容であったことが示され、東学農民軍が日本軍にとって国際法遵守の対象とはなっていなかったことが指摘されます。

 

これを受けて、先生と生徒の会話では「文明化」という言葉が文明と野蛮を区別し、相手を野蛮とみなした際に、あらゆる行為が文明という言葉で正当化される傾向を持つことが指摘されます。

 

(解答手順2、史資料の内容整理と設問要求への対処)

:設問は「日本の『近代化』とはどのような特徴を持っているか」と「日本が『文明化』の道を進む上で日清戦争が持った意味」について問うていますので、史資料に基づいてこれらを読み解いてみます。

 

① 日本の「近代化」の特徴

 ・文明開化や欧化政策など西洋文明を積極的に取り入れた

・一方で、欧米の介入を避けるために外国債の導入に消極的な姿勢を示すなど、欧米の助けをなるべく借りずに近代化を進めようとした一面があった

 

② 日本の文明化と日清戦争の意味

 ・開戦以前から東洋連衡論から脱亜論への変化が見られたこと

 ・東洋連衡論、脱亜論ともにアジアを遅れたものととらえる共通認識が見られたこと

 ・日清戦争は日本が「文明諸国」の一員であることを示す機会であったこと

 ・日清戦争の戦勝が日本人の優越意識と中国蔑視を促進したこと

 ・日清戦争の過程で、自らを「文明化」したと考えた日本は「野蛮」に対して国際法を無視するなどの行為で、自らの非文明的行為の正当化を始めたこと

 

概ね、こんなところではないでしょうか。あとは、歴史的な事実に沿って、資料から読み取れたことを設問要求にしたがってまとめていけば解答が作れると思います。深い歴史の知識がある方が確かに有利ですが、かなりの部分は国語的な読解と整理で対処可能な設問でもあります。

 

(歴史総合300字論述:解答例)

日本の近代化は、明治維新後の文明開化や欧化政策などで西洋文明を積極的に取り入れる一方、欧米の介入を避けるために外国債導入に消極姿勢を示すなど、自立的一面も有していた。当初は日本を盟主にアジアをまとめて西欧に対抗する東洋連衡も目指されたが、甲申政変などで日清対立が高まると脱亜入欧を解く風潮が高まった。日清戦争では条約改正交渉のために文明諸国の一員であることを示したい日本が国際法遵守を掲げて近代戦を戦ったが、これに勝利したことは自らを「文明化」したと考える優越意識とナショナリズム形成につながった。また、東学農民軍への対処のように、野蛮とみなしたアジアに対する非文明的行為を西洋諸国同様に正当化した。

 

こんなところではないですかね。あまり清とか朝鮮とか局所にこだわりすぎず、例としては使いながらも「文明と野蛮」や「日本とアジア」という軸で解答を作る方がすっきりするように思います。また、東洋連衡と脱亜論の比較では、脱亜入欧などの用語が出てくると、説明に字数を割かなくて済むので便利です。

 

【世界史探究、問11400字論述解説】

(設問概要)

1880年代以降の地球規模の人の移動について,

 ① 移住の動機付け

 ② 距離の変化

 ③ 受け入れ先社会

という移住のプロセスの観点から論述せよ。

・世界史上の出来事を踏まえよ。

・以下のものをまとめながら答えよ。

 ① 冒頭の基礎資料の特に波線部分

 ② 資料[C][E]

 ③ 各設問の文章

400字以内。

・指定語句(使用した箇所に下線を付すこと)

 植民地 / 新興移民国家 / 交通革命 / 移民組織 / 故郷 / 国民国家の境界

 

本設問の要求自体は、これまでにもあちこちの大学でたびたび類似のものが見られた内容で、特に目新しいものではありません。(例:東京大学2002年大論述、一橋大学2005年大問3など)

ただし、本設問にはかなりしっかりした史資料が備えられており、これらを踏まえることが要求の中に入っておりますので、自分の持っている世界史知識をただ羅列するだけでは高得点とはならず、史資料の内容をしっかり踏まえることができているかが重要な要素となります。そのため、歴史総合と同じく、これら史資料の読み取りを正確にしっかり行うことが必須となります。いずれにしても史資料を読まなければならないのですが、事前に設問の要求が分かっていた方が史資料のどのあたりに注目しながら読めばよいのかのアタリがつきますので、東京外語大学の論述問題については、リード文などの史資料を読み始める前に先に論述問題の要求を確認しておくのはアリかもしれません。

 

史資料については、以下のものが用意されています。

 

・基礎資料(リード文)

:各所に波線部があり、これらをまとめながら解くことが設問で要求されています。

・資料[A] バーブルの回想録

・資料[B] 17世紀後半のスイスにおけるキリスト教諸宗派間の改宗と移民の記録

・資料[C] 19世紀インドからアフリカへの移民と定住に関する記録

 ① 英領植民地における奴隷廃止法案(1833年)

 ② インドからモーリシャスへの年季奉公契約書(1834年)

 ③ ナタールにおける参政権法に関するイギリス下院本会議録(1894年)

・資料[D] 19世紀末から20世紀初頭における外国移民が流入したアルゼンチンの資料

 ① 『母をたずねて三千里』の文章の一部

 ② アルゼンチンへの移民と主要産業の変化

・資料[E] キューバで亡くなった中国人労働移民の遺骨送還に関する記録

 

これらのうち、設問で内容を踏まえることが要求されているのは資料[C][E]のみですので、資料[A][B]は論述問題については直接考慮する必要はありません。歴史総合の方の設問は全体としてのまとまりが良かったのですが、世界史探究の方はこのあたり、きちんと指示が出ているとはいえ、リード文や各設問の文章まで参考にしろと言っているわけですから、一部の資料のみ除いて考えなければならない設問構成は、やや混乱を招くつくりになっている気がします。できれば、受験生がこうした手続き上の処理の問題で損をしそうな問題構成は避けて欲しいですね。

 

(解答手順1、設問要求にそって全体像をつかむ)

:全体的な要求がふわっとしていた歴史総合の大論述とは違い、世界史探究の方の設問では、1880年代以降の地球規模の人の移動について、「①:移住の動機付け」、「②:距離の変化」、「③:受け入れ先社会」という移住のプロセスの観点から論ぜよとかなり限定的な内容になっていますので、いきなり目的もなく史資料読解に移るよりは、これら3つのポイントについて、まずは世界史の知識で常識的に考えられる範囲でのフレームワークを簡単に作っておいた方が、全体像がとらえやすい気がします。

 

① 移住の動機付け

:これはたとえば、経済的な困窮から脱するため、政治的な混乱や迫害から逃れるためなどの内容が考えられます。そのあたりのことを念頭に置きながら、他の動機が史資料から読み取れるようであれば付け加えていきましょう。

 

② 距離の変化

:こちらについても、すぐに思いつくのは交通革命です。おそらく、汽船の発達や電信の発達などによって、移住における距離によるハードルが低くなったことなどが書けるはずですので、それを念頭に置きつつ、史資料を読んで他の要素がないかどうかをチェックすることになります。

 

③ 受け入れ先

:こちらについても、高校世界史の内容でも先住の人々とあとからやってきた移住者との軋轢や、あるいは同じ移民間であっても、たとえば合衆国における白人移民とアジア系移民の競合や、それにともなう諸々の移民法などがすぐに思いつくはずです。そのあたりを注意しつつ、史資料に別の視点がないかをチェックしていくことになります。

 

(解答手順2、史資料の読み取り)

:続いて、史資料の読解に移ります。もし、上記1の全体像がなかなか思い浮かばない場合には、いきなり史資料読解からでも構わないと思います。

 

① 基礎資料(リード文)

:基礎資料については、文中の波線部について踏まえるように指示が出ていますので、基本的にはここを中心に読解するのでも構いません。ただし、内容の取り違えが心配な場合には、前後の文章を参考とすると良いでしょう。波線部の概要は以下の通りです。(一部、前後の内容を考慮して要約しています。)

 

 ・移民に対するイメージは、一度きり・単一の目的地に向かい、移住によりそれまでの苦境から脱して生活条件を改善するという特定の思考モデルに縛られている。

 ・近年の研究は、こうした思考モデルよりも多面的理解の視座を提供してきた。

 ・移民の実態は比較が困難なほど多様な意思決定・行動様式・集団と個人の取りうる行為の幅などを持ったものである。

 ・移民には様々な移民組織の援助が影響を及ぼしうる要因として存在する。

 ・かつては、国境よりも社会的空間の方に仮借のない「境界」が存在しえた。

 ・交通手段の変化が、物理的距離、移動時間、移動コストを変え、そのことが移住への決断に影響した。

 ・一部の移民は移住により当初達成しうると考えた成果を見る前にこの世を去った。

 

② 資料[C] 19世紀インドからアフリカへの移民と定住に関する記録

:資料[C]では、上述の通り、「英領植民地における奴隷廃止法案(1833年)」、「インドからモーリシャスへの年季奉公契約書(1834年)」、「ナタールにおける参政権法に関するイギリス下院本会議録(1894年)」の3つがあげられています。

これらのうち、はじめの2つについては、1833年のイギリス帝国内における奴隷廃止による労働力不足を補うために、年季奉公契約などによって移民を労働力として使用する方向に変わっていった、というように利用することが予想できます。(これは、資料の内容を読まなくても、世界史の知識である程度予想がつくものです。逆に、これくらいの類推が移民関係で働かないとすれば、それは高校世界史の基礎勉強が不足しているので、見直しておきましょう。) また、カンの良い人であれば、最後のナタールにおける参政権法についても、「移住者たちと先住者たちの間で権利関係をめぐる何らかのトラブルが生じた事例として利用するのではないか」ということが予想できるかもしれません。

資料中の注にもありますが、ナタールは後に南アフリカ連邦を構成する英領植民地です。南アフリカというと南ア戦争やトランスヴァール共和国、オレンジ自由国が有名ですが、ナタールはこれらよりも以前の19世紀前半から英領植民地とされています。本資料を読むと、ナタール植民地内において、インドから移住してきたインド人の参政権をめぐる争いが生じていることが読み取れます。

南アフリカ連邦_名称つき
以上の内容を考えると、本資料は奴隷解放による労働力不足が移民を引き付けるプル要因となったことや、移民の増加により先住者との間に参政権などの問題も含む競合が生じたことなどを論述の内容に加える材料とできることが分かります。

 

・資料[D] 19世紀末から20世紀初頭における外国移民が流入したアルゼンチンの資料

:本資料では『母をたずねて三千里』の文章の一部と、「アルゼンチンへの移民と主要産業の変化」が示されています。最初の資料では、経済的困窮を背景として女性であっても遠く離れたイタリアからアルゼンチンまで、ある種の出稼ぎのために移住する人が少なくなかったことが示されます。また、二つ目の資料では、こうしたイタリアからの移住者の一部が最終的にはアルゼンチンに定住して自作農となった(19世紀後半から20世紀前半にかけて自作農となった農民の8割がイタリア移民であったことが資料中で示されています)ことで、アルゼンチンの主要産業にそれまでの牧畜業だけでなく小麦生産が加わり、19世紀後半までは穀物輸入国であった同国が20世紀前半には世界有数の小麦輸出国に変貌する様子が描かれます。

これについては、本設問の指定語句に「新興移民国家」がありますので、その一つの例として用いることができるはずです。もっとも、この用語の「新興」が時代的・内容的にどのような意味を含んでいるのかは、本設問の文章や史資料からは判然としません。アメリカ合衆国も新興移民国家といえばそうですし、19世紀に相次いで独立したラテンアメリカ諸国についてもそうです。ですから、特定の国に限定せず、アメリカ大陸の新興移民国家などのようにふわっとした表現で使って差し支えないかと思います。アメリカ合衆国についても、19世紀後半の第二次産業革命の発展は移民の労働力に負うところが大きかったわけですから、こうしたことを念頭において、移民の労働力が新興国の産業構造に大きな影響を与えたくらいの内容で示せればよいのではないでしょうか。

 

・資料[E] キューバで亡くなった中国人労働移民の遺骨送還に関する記録

:本資料では、奴隷貿易廃止の圧力の高まりを背景として、キューバがラテンアメリカで初めて中国人の契約労働者を導入したことが示されます。また、当初は契約満期前に死亡するものが多かったのが、20世紀になると商業に従事する者が増えた影響で商業ネットワークが形成され、移民先で亡くなったものを故郷で埋葬できるように手配する慈善活動とその組織が整えられていく様子などが描かれています。

こちらについても、本設問の指定語句に「故郷」がありますから、移民と故郷のつながりを指摘する材料として活用することが考えられます。また、本資料中では遺骨が運ばれる経緯を伝える手紙・連絡などが示されていますので、電信なども含めた通信環境の発達が、移民と故郷をつないでいたことなども指摘して問題ないかと思います。

 

・各設問の文章

:設問では、各設問の文章もまとめる材料とするように指示が出ていますが、史資料を読んでいけばあえて問題文を一から読む必要はありません。史資料を読んでもピンとくるものがない時などにヒントになりますので、時間などを考えてもそうした時に見返す程度でよいでしょう。たとえば、問6の設問文からはインド系移住者が南アフリカのイギリス人植民者から競合者・敵対者と見られたことが読み取れますし、問8の設問文からは移住者にとって故郷とのつながりを保つ通信手段が心の支え・情報源となったことが読み取れます。こうした情報は史資料を読むだけでは気づかない部分でもありますので、参考にするのが良いでしょう。

 

(解答手順3、史資料読解に基づいて、設問要求の3つの要素に肉付けする)

:史資料の読解を通して読み取れたことなども加味して、1であらかじめ作っていた全体像に肉付けをしていきます。

 

① 移住の動機付け

 ・経済的な困窮の改善

 ・政治的な混乱や迫害からの逃避

 ・植民地間の移動の促進(大英帝国の形成など)

 ・家族、友人の存在

 ・移民組織やネットワーク

 

② 距離の変化

19世紀後半までは国境による境界がさほどの意味を持たなかったこと

・社会的境界の方が大きな意味を持ったこと

・交通革命(物理的距離、移動時間、移動コストの軽減)が移住のハードルを下げる要因として働いたこと

・電信をはじめとする通信環境の変化や、徐々に移住先で形成された同郷者による移民組織やネットワークなども、心理的距離を縮める働きをなしたこと

 

③ 受け入れ先

 ・19世紀に進んだ奴隷解放から生じた労働力不足が、移民を呼び込むプル要因として働いたこと

 ・移住者の増加は、移住先において職の奪い合いや参政権をめぐる諸問題などの競合や軋轢を生んだこと。また、時にはそうした摩擦が移民法などの法制定につながったこと。

 ・一方で、アメリカ大陸の新興移民国家においては、労働力としての移民の増加がその国の産業構造を変化させる大きな力となることがあった。(19世紀後半以降のアメリカ合衆国の工業発展や、アルゼンチンの穀物輸出国化など。)

 ・故郷からの通信や、移住先で形成された組織やネットワークが、移民と故郷をつなぐ心の支えや情報源として機能し、移民は移住後も故郷とのつながりを一定程度保っていた。(キューバの中国系移民がつくった遺骨送還のための互助組織など。)

 

(解答手順4、指定語句との整合性チェック)

:これまでの1~3の手順で、指定語句をどのあたりで使えばいいかは概ねつかめてくるはずです。設問や史資料などのヒントがない場合には指定語句をヒントとして広げていくという方法もアリかとは思いますが、本設問では参考にすべき史資料がかなり豊富に与えられていますし、指定語句もあまりそれ自体から多くの情報を引き出せる性質のものではありません。ですから、本設問については指定語句は後回しにして、まずは史資料から解答の方向性を導いてやる方がうまく全体像を構築できるはずです。

 

(世界史探究400字論述:解答例)

1880年代以降、経済的困窮や政治的混乱を背景に中国・インドや東欧・南欧からの移民が増加した。移住先は国民国家の境界が障害となりにくいアメリカ大陸の新興移民国家やアフリカ・西インド諸島など西欧諸国の植民地が多く、移住先の家族・友人・移民組織などのネットワークが移住を促進した。汽船・鉄道の発達による交通革命が時間やコストを軽減し、電信・郵便網の発達が移住者と故郷の心理的距離を縮めたことも移住を促進した。受け入れ先でも、奴隷解放で生じた労働力不足解消に移民を利用したため、社会的境界は当初は大きな壁とならず、移民は合衆国の工業化やアルゼンチンの穀物輸出国化など、受け入れ先の産業構造を変える原動力となった。しかし、移民の増加は職の奪い合いや参政権などの諸権利をめぐる争いなどの軋轢を生み、移民法などの移民排斥や差別が強まる中で、移民は同郷者の組織やネットワークにより、故郷との文化的つながりを一定程度維持した。

400字、問題の規定によりアラビア数字は2文字1コマで計算。)

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2025年の早稲田大学法学部の世界史論述問題のテーマは、現在のインド・パキスタン両国が分離独立するまでの過程において、両地域で展開された支配政策と宗教間の対立と融和の関係を問うものでした。ワセ法では、2010年代まではいわゆる王道の主要国の歴史からの出題が中心でしたが、2020年に入るころから主要国の歴史からはやや外れた、ラテンアメリカ・アジア・アフリカなどからの出題が多くなっています。

 

2020年 メキシコ(独立から20世紀末)

2021年 仏・墺に対する英の外交政策の変遷(18世紀)

2022年 中央アジア・北アジアのトルコ系民族集団(6世紀~10世紀)

2023年 南アフリカのアパルトヘイトをめぐる歴史的経緯

2024年 フィリピン独立の歴史的経緯(16世紀以降)

 

中には受験生には対処しにくい設問もありましたが、2025年の設問はごく基本的な内容です。ただし、ムガル帝国成立以降となっていますので、イギリスによる植民地政策だけでなく、ムガル帝国における宗教政策の変遷もあわせて書けるかがポイントとなります。もっとも、こちらもアクバルによるジズヤの廃止とアウラングゼーブによるジズヤの復活というありふれた内容をつけ足せばよいだけですので、全体的に平易な内容かつ点数のもらいやすい論述問題であったように思います。

 

【1、設問確認】

・時期:1526年のムガル帝国成立~1940年頃まで

・インド・パキスタン両国が分離独立するまでの過程において、両地域で展開された支配政策が宗教間の対立と融和に与えた影響について説明せよ。

250字以上300字以内

・指定語句(語句には下線を付す)

ジズヤ / インド大反乱 / ベンガル分割令 / 新インド統治法

 

【2、全体のフレームワークの確認】

問題が難しかったり、手掛かりに乏しい時には指定語句をヒントに話を広げていくのが定石ですが、本設問のテーマであるインドにおける宗教政策は超ド定番の内容なので、ワセ法受けるレベルの人であれば、ある程度は話の内容を知っていることが多いのではないかと思います。ですから、時間短縮のためにも自分でいきなりフレームワークを作るところから始めてよいと思います。

 

<ムガル帝国の支配政策>

① ムガル帝国の建国(イスラーム王朝)

:まずは、ムガル帝国がイスラーム王朝であることはおさえておく。

 

② 3代アクバルによるジズヤの廃止とヒンドゥー教徒との融和

:アクバルは、インドのヒンドゥー教諸侯であるラージプート族との融和による王朝の安定化を図ります。その中で、妻にラージプート族出身の女性を迎え、ジズヤを廃止します。また、彼は神秘主義に影響を受けた独特の宗教観を持っていたらしく、これは「ディーネ=イラーヒー」(神の宗教)として知られています。従来はこれをアクバルが創始しようとして失敗した新宗教と説明されていましたが、実際には必ずしもイスラームの枠組みを超えた新宗教を創始したものではなく、あくまでも国家統治に寄与させるために従来の宗教をアクバル独自の観点からとらえなおしたものととらえる見方もあるようです。(小名康之「S. A. A. リズヴィー著『アクバル治世におけるムスリムの宗教と思想の歴史とくにアブール=ファズルに関して(一五五六-一六〇五)』」『東洋学報』第58号、1977年) もっとも、ここではこうした細かい点については不要で、「ジズヤの廃止とヒンドゥー教徒との融和」をしっかりおさえてあれば十分でしょう。

 

③ 6代アウラングゼーブによるジズヤの復活とヒンドゥー教徒弾圧

:アウラングゼーブによるジズヤの復活は、アクバルのジズヤの廃止とセットにして覚えるべき超重要事項です。また、アウラングゼーブは熱心なスンナ派ムスリムとしてヒンドゥー教に限らずイスラーム以外の宗教寺院の破壊など、かなり強硬な宗教政策を展開します。このことが、各地の非ムスリムの反感を買い、シク教徒のパンジャーブ地方やヒンドゥー教徒主体のマラーター王国の分離など、後のムガル帝国の分裂につながることになります。

ムガル帝国の分裂

 

(イギリスによるインド支配の拡大と植民地政策)

① イギリス東インド会社による支配の開始と拡大

:イギリス東インド会社は、1757年のプラッシーの戦いや、1763年のパリ条約でインドにおける活動からフランス勢力を駆逐すると、1764年のブクサールの戦いでムガル皇帝とベンガル太守の連合軍を破って、翌1765年にはベンガル・ビハール・オリッサにおけるディーワーニー(州財務長官権限)を獲得します。これにより、イギリス東インド会社はそれまでのインド物産をヨーロッパに運んで利益を得る商社としての立場から、インドにおける地方行政権(徴税権・司法権など)を有した支配機構としての性格を帯びることになります。

 

② イギリス東インド会社に対する本国監督の強化

:一方で、東インド会社は当時かなりの財政難に陥っており(不慣れな行政・売り上げ不振・防衛費の増額・飢饉による徴税不振などに起因)、また会社組織内の腐敗(非効率な運営・密輸・着服など)もあったため、1773年には規制法が定められ、ベンガル総督にヘースティングズをあてられて本国による東インド会社の監督が強化されることとなりました。

その後、イギリスにおける産業資本家の台頭と自由主義的な風潮の高まりもあって東インド会社の諸特権は徐々に失われ、1813年にはインド貿易独占権が廃止され、さらに1833年には商業活動を停止しますが、行政機構としての役割はその後も続いていきます。

 

③ インド大反乱と東インド会社の解散

:その後、1857年~1859年にかけて発生したインド大反乱を機に、イギリス東インド会社は1858年に解散が決定し、会社が有するインド統治の権限は全てイギリス本国が持つことになりました。インド大反乱の契機としては豚や牛の獣脂を使用した弾薬包を問題視したムスリムやヒンドゥー教徒のシパーヒーによる反乱がクローズアップされるので、宗教が無関係というわけではないのですが、本設問は「支配政策が宗教間の対立と融和に与えた影響」となりますので、設問の主旨とは無関係ですので、あまり触れる必要はありません。

 

④ イギリスによる「分割統治」

:イギリスは、その後インドにおける反英感情が集まって一つの力とならないように、いわゆる「分割統治」政策を展開します。高校世界史ではヒンドゥー教徒とムスリムの対立を煽るという宗教面の分断が強調されがちですが、イギリスによる分割統治は宗教に限らず、身分、カースト、財産、生活文化など多岐にわたる分野を区別して、インドの人々のコミュニティを細分化するものでした。ディヴィッド=キャナダインの『虚飾の帝国』(平田雅博・細川道久訳、日本経済評論社、2004)には、従来からインドに存在した伝統的な階層構造を、さらにイギリスが国勢調査等を通して把握し、インドにおける支配階層をイギリスの貴族階級になぞらえて体制側に包摂していくことなどが示されています。ただし、本設問ではごく単純にこのイギリスの分割統治が宗教対立を煽ったことと、その具体例を示してあげればよいかと思います。具体的な例として挙げられるのは以下の通りです。指定語句と重なりますね。

 

 ・1905年 ベンガル分割令(カーゾン法

  →ヒンドゥー教徒を中心とするインド国民会議派の急進化

  (ティラクによる1906年のラホール大会と四大綱領)

  →全インド=ムスリム連盟の結成(イギリスが後押し)

 1935年 新インド統治法

  →1937年地方選挙におけるインド国民会議派の圧勝とムスリムの危機感

  →ヒンドゥー教徒とムスリムの対立激化

  (1940年のムスリム連盟ラホール大会における分離独立決議の採択)

 

このあたりのインド近現代史については、以前の記事でもご紹介していますので詳しくはこちらもご参照ください。[→インド近代史(インド大反乱~分離独立)] 


ベンガル分割令_人口比入

さて、細々と書いてきましたが、流れとしては概ね以下の流れを示せば十分かと思われます。あとは、必要に応じて情報を取捨選択します。300字しか書けないので、書きながら設問のテーマである「支配政策が宗教の対立と融和に与えた影響」に焦点をあてて内容を吟味する必要があります。

 

① イスラーム王朝としてのムガル帝国

② アクバルによるジズヤの廃止とヒンドゥー教徒(ラージプート族)との融和

③ アウラングゼーブによるジズヤの復活と異教徒弾圧

④ ムガル帝国の分裂(シク王国・マラーター王国・マイソール王国など)

⑤ イギリス支配の開始(東インド会社から本国統治へ)

⑥ インド大反乱を契機とする分割統治の徹底

⑦ ベンガル分割令による国民会議派の急進化と全インド=ムスリム連盟の成立

⑧ 新インド統治法後の選挙によるヒンドゥーとムスリムの対立激化

⑨ ジンナーが指導する全インド=ムスリム連盟大会での分離独立決議採択

 

設問では「1940年代」ではなく「1940年頃」とありますので、おそらくインド総督マウントバッテンによる分離独立裁定(1947年)ではなく、1940年の全インド=ムスリム連盟のラホール大会における分離独立決議を意識していると思います。ですから、実際に両国が分離独立するところまで書く必要はありません。ただし、1940年ラホール大会については高校世界史の教科書にははっきりわかる形では出てこないので、「新インド統治法以降、ヒンドゥー教徒とムスリムが別国家建設に向けて動くことになった」くらいの表現でよいのではないかと思います。

 

cf.) ちなみに、山川出版社の『詳説世界史:世界史探求』には「こうしたなか、ジンナーを指導者とする全インド=ムスリム連盟は、40年、新たにイスラーム国家パキスタンの建設を目標に掲げた。」(p.296)と書かれています。

 

【3、指定語句との整合性チェック】

すでに上記【2】の手順で概ね解答は作成できる状態になっているかと思いますが、一応指定語句をこの流れの中でどう使うのかをチェックすることになります。ただ、与えられている指定語句が「ジズヤ / インド大反乱 / ベンガル分割令 / 新インド統治法」ですので、全く抵抗なく使用できるかと思います。本設問については、指定語句にこだわりすぎるとかえって大きな流れをとらえ損ねてしまう可能性があるので、全体像の構築の際には指定語句は参考程度に見るにとどめて、大枠ができてから忘れずに組み込むくらいでよいかもしれません。

 

【解答例】

イスラーム王朝のムガル帝国では、アクバルがジズヤを廃止しヒンドゥー教徒との融和と体制の安定を図ったが、アウラングゼーブはジズヤを復活し、異教徒の弾圧を行ったため、パンジャーブのシク教徒やデカンのマラーター王国などが分離して帝国は分裂し、これに乗じたイギリスの支配を許した。イギリスは、インド大反乱を機に東インド会社を解散し、本国による直接統治に乗り出して分割統治を強化し、ベンガル分割令後に反英化したインド国民会議に全インド=ムスリム連盟を対抗させるなど、宗教対立を煽った。新インド統治法後の地方選挙での国民会議派圧勝で危機感を高まらせたジンナーはムスリム国家パキスタン建設による分離独立を目指した。(300字)

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慶應義塾大学では経済学部と商学部で多数の論述問題が出題されます。特に、経済学部については難関国公立と同じくらいの分量の論述問題が出題されるので注意が必要です。それでは、経済学部・商学部の数年間の論述問題の概要と出題傾向についてご紹介します。

【本記事についての注意事項】
・分析対象は、いわゆる「論述問題(文章で書かせる問題)」が対象です。その他の記述問題や選択問題は分析の対象ではありません。
・人間なので、見逃し等があるかもしれません。多少雑な点があるかもしれませんが、大目に見てやってください。
・字数は、慶応経済学部では厳密には「〇〇字」と指定されません。また、商学部でも字数指定のあるものとないものがあります。そのため、字数指定のない問題については、公開されている模範解答などから、おおよその字数を出しています。
・時代区分については、おおよその時代区分です。特定できないものについては、数量分析の際の数としてはカウントしていません。
・時代のまたがるものについては、またがる両方の時代について「1」としてカウントしています。 (例:「16世紀~20世紀」→「15~17世紀」で1、「18世紀~21世紀」でも1)


【慶應義塾大学経済学部 論述問題出題テーマ概要(2014-2025)】

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【慶應義塾大学経済学部 論述問題時代区分別分類(2014-2025)】
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(慶應義塾大学経済学部論述問題分析)
経済学部の試験は、現在は80分、150点ですが、大学広報によると2027年度(再来年度)以降の試験では、世界史を利用する経済学部B方式で外国語が100分200点満点、地理歴史が100分200点満点に変更になるとのことです。(現行が英200点、小論70点、地理歴史150点の割合。)世界史の占める割合が大きくなりますので、論述問題の分量やレベルは上がることはあっても下がることはなさそうです。
経済学部の論述問題は明確な字数制限がなく、解答欄におさまる範囲で答えさせる設問です。30字~60字程度の小論述と90字~160字程度の中論述が1回の試験につき10題前後出題されます。合計の文字数は一部の年に550字前後という少なめの年もありますが、全体としては650字前後を要求する年が多く、かなりの分量を書く必要があるため、時間配分に注意が必要です。時間不足を防ぐためにも、「しっかりと書ける論述問題については後回しにせず、先にしっかりと書いておく」、「判断に迷ったり、内容が難しいと感じる設問は一通り解ける問題を解いたところで時間をかけて取り組む」など、メリハリのある解答づくりを心掛ける必要があります。
問題数と要求される字数は多いですが、内容的には平易なものが多いです。慶應義塾大学の経済学部は、論述以外の小問のレベルが高いので、論述問題はむしろ得点源とできる可能性もあるため、加点要素をしっかりと組み込んだ解答づくりを心掛けたいところ。
一方で、一部の論述問題では深い世界史の知識や思考力を要求されるものも出題されます。特にデータや資料を提示してそれを読み取らせ、内容または背景を説明させる設問は「情報の読み取りと整理」、「思考力」、「歴史的知識」の全てを要求する総合力を問う設問であるため、丁寧に解答づくりを進める必要があります。(例:2025年、問7③・問11②・問13①②など) 日頃から資料や図表に触れて読み取りに慣れておくことも必要です。
また、2025年の論述問題では、おそらく今後の試験形式の変更を意識したと思われるこれまでとは少々毛並みの違う設問が出題されました。架空の「慶應みらい君」という生徒が史資料をベースに調査するという設定から、みらい君がこれらの史資料から読み取ることができたと推察される内容についてまとめよという内容のもので、世界史の基本的理解を問うと同時に、適切に史資料を活用して読み取る能力があるかどうかを問う設問が出されています。おそらく、実験的に出題されたものではないかと思いますが、もしこのスタイルの設問の導入について、大学側が「イケる」と判断した場合には、こうしたタイプの出題も増えてくると思われます。対策としては、まずは世界史について深い理解を養っておくことと、探究型学習などを通して思考力を養っておくことが大切になります。 
世界史の出題については、経済学部は一般試験向けの要項などで「1500年以降を中心とする」と言い切っていますので、論述問題の時代区分も当然近世以降が中心となります。特に、19世紀~20世紀史の出題頻度が突出しており、全体の6割近くを占めます。ただ、17世紀・18世紀史からの出題はそこまで多くはなく、むしろ16世紀史の出題率が高い(約20%)です。こと論述に限っては、16世紀・19世紀・20世紀で全体の約8割を占める計算になりますので、これらの時代の事柄については、内容・背景・展開・影響などを中心にしっかり理解を深めておくことが重要です。
また、論述に限らずデータ読み取り型問題の範囲としては、16世紀以降の近現代史、中でも英・仏・独・米や中国史は出題頻度が高いです。また、当然のことではありますが、経済分野からの出題が多くなっています。まとまったデータや推計が残されているのは主要国・近現代が中心ですので、この傾向はおそらく今後も大きな変化はないと思われます。オーソドックスな分野からの出題になるため、基本的な事柄はきちんと書けるようにしておきたいところです。

【慶應義塾大学商学部 論述問題出題テーマ概要(2014-2025)】
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(慶應義塾大学商学部論述問題分析)
慶応の商学部の論述は形式が一定せず、字数指定があることもあれば、字数という形で指定されないこともあります。いずれの場合も要求される字数は15字~60字以内と短めです。内容的にもごく基本的なものが多く、特別な対策は必要ない気がします。近現代史からの出題が多いところは経済学部の論述と変わりありません。
まれに、世界史の知識からやや離れた、思考力を問う問題が出題されることがあります(例:2017年の論述問題や2020年の大問1の問6など)が、こうした設問については、出題頻度・量・配点を考えた場合に、これだけのために特別な対策をするのはさすがにコスパが悪すぎるように思います。普段からものをよく考える習慣をつけることや、ニュースなど世間の動向に一定の気を配ること、常識的な知識を身につけることが大切なのではないでしょうか。
また、商学部は論述問題は割合として気にするほど多くはないので、むしろ論述以外の小問をしっかり得点できるかの方が大切であると思われます。世界史の基本的な知識をおさえ、理解を深めていくことが大切です。
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上智のTEAP利用型も、導入されてからずいぶん経ちまして前回の2025年でもう11年目です。月日の経つのは早い。さすがにこれだけ時間が経過すると、試験形式の方も落ち着いてきて、形がしっかり定まってきたように思います。現在の基本的な試験形式は以下の通りです。


・試験時間:90分

・設問数:小問5、論述2問(200字論述+300字~350字論述)


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2018年に試験時間がそれまでの60分から90分に変更され、そのあたりから設問数はほぼ5問で統一されるようになりました。論述問題については、最初の方こそ字数が安定しなかったものの、2020年以降は「200字論述+300字または350字論述」の形で安定しています。もちろん、突然の試験形式の変更などはありえますが、とりあえずはこの形で出題されることを期待して良さそうです。

上智TEAP利用型世界史の問題では、小問は相変わらずごく基本的な内容で、大学入学共通テストレベルの知識があれば解ける問題が大半です。5問とも全て選択式となっており、問題数が少ないことを考えても、取りこぼすことなく全問を正解したいところです。


一方で、最後についている論述問題についてはかなり手ごたえのある問題となっています。以下は、2015年~2025年までに出題された論述問題の設問概要一覧になります。

スクリーンショット 2025-05-14 224615


以前、2021年までの問題を分析した記事で指摘しましたが、2019年までは史料読解の必要はありつつも基本的には世界史の知識と読み取った情報を整理してまとめれば十分であったのに対し、2020年と2021年の論述問題では解答者自身の見解や用意された文章の文脈を考慮する必要があるなど、解答者自身が自分の言葉で語る必要のある設問が続けて出題されるといった傾向の変化が見られました。

まさに、このあたりの時期から、論述問題のうち第2問目の300字~350字論述の方では、資料の読み取りに加えて受験生自身の受験生自身の歴史に対する視点や立論の仕方などを問うスタイルの問題が出されるようになりました。大学入試と言うよりは大学で出される論文試験に近いスタイルの問題と言って良いと思います。ただし、やや受験生の主観に左右されそうであった2020年の出題の仕方とは異なり、2021年以降の設問はあくまで世界史の知識と与えられた資料をもとに、受験生がどのように情報を整理するか・論を立てるかが問われており、基本に世界史に対する深い理解が必要となるスタイルの設問となっています。それにともない、200字論述の方はそれまでの少し凝った雰囲気がなくなり、世界史の基本的知識を説明させるスタイルの平易な出題が続いています。
こうした試験形式を見るに、小問と200字論述をしっかりと解き切る世界史の基礎力を身につけることは必須です。その上で、300字論述をある程度はまともにかけるようにするというのが、まずは目指すべき目標となるかと思います。

また、以前はかなり限定されたテーマについて述べるリード文が主体で、時代的にもはっきり何世紀をテーマにしているということが言えたのに対し、直近2年のリード文は世界史の個別テーマと言うよりは、より一般的なテーマをもとにして世界史的な意味や視座を問うというスタイルのリード文に変化してきています。そのため、厳密に何世紀頃のことをテーマにしているということは言えなくなりました。特に根拠はなく、カンではありますが、この傾向は今後も続きそうな気がします。依然として近現代史に対する理解が最重要であることには変わりがありませんが、これまで以上にリード文、資料の読解が重要となり、世界史の知識をベースとしつつも、国語力(読解力だけでなく文章作成能力も含めた)が要求される出題に徐々に内容がシフトしてきているように感じます。採点は大変かと思いますが、個人的には受験生の総合力を問う良い設問だと思います。(ただ、問題のバランス的にもう少し小問を増やしたりしてくれても良いかなぁとは思います。)

非常に対策が難しい問題ではありますが、練習・対策用としては上智TEAP利用型の過去問演習は必須です。それ以外に練習材料として使えるということであれば以前からお話ししている通り、東京外国語大学の過去問が良いと思います。扱っている時代、小問数、論述問題が資料読解を必要とする点、論述問題の字数など、類似している点も多く、やや設問の内容に方向性の違いはあるものの、良い練習材料になると思います。また、論述対策は必ずしもないのですが、ICUの人文・社会科学考査あたりは、少しレベルの高い人文社会学系の長い文章を読み、その内容をしっかり理解できているかを確認するトレーニングとしては有用な気がします。(ただし、文章のレベル自体は上智TEAP利用型よりも一段上の文章が多いので内容的には難しい。) 個人的には、材料は上智TEAP利用型と東京外国語大学の過去問で十分かと思いますが、自学自習はかなり難しいので、世界史について深い理解があり、国語力も兼ね備えた信頼できる指導者に解説・添削ともに指導してもらえるのであればそれに越したことはないと思います。学校の先生が「使える」のであればバリバリこき使うのもアリでしょうw

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さて、先日は早稲田大学法学部の論述問題出題傾向について解説しましたが、今回は東京外国語大学の世界史について、特に論述問題を中心に出題傾向の解説を進めていきたいと思います。

東京外国語大学については、2025年の問題からそれまでの「世界史」ではなく「歴史総合+世界史探究」の形に形式を変更しており、また配点もそれまでの100点満点から150点満点に変わるなど、かなり大きな変更が見られました。そこで、こちらでは2024年以前と2025年の新方式について、まずは形式上の注意点について述べた後、全体の傾向と対策についてお話ししていければと思います。

 

2024年以前の出題形式】

・問題数:1516問(うち大論述1問、小論述などが1問)

・配点など(100点満点) 

① 大論述(ほぼ400[まれに500字~600]):配点20点~25

② 小論述(40字~150[まれに要旨の読み取り問題など]):配点10[まれに15]

③ 小問(一問一答形式の記述・選択問題):配点65点~70

 

以前ご紹介したいくつかの過去問解説でもお話ししていますが、2024年までは論述問題やそれに準ずる要旨の読み取り問題などの比重がそれなりに高く、30点~35点(100点満点)を占めていました。

一方で、ほぼ一問一答形式で解くことができる小問が65点~70点ほど出題されており、またその内容もごく基本的な内容であったため、まずは小問をしっかり解く基礎力を身につけることが重要でした。その上で、論述については、満点を狙いに行くよりもまずは設問の要求にしっかり答える形でかける部分を書いていき、半分強もとれれば小問の取りこぼしがなければ十分に7割~8割程度を狙える、世界史が得意な人であればそれ以上も狙える内容の問題でした。ただし、論述の内容は小問と比べるとレベルも高く、やや難しい内容であったため、実際には小問をしっかりおさえて8割ごえをめざし、配点が大きい英語(300点)の足しになるようにするというところが現実的な目標となっていたように思います。

 

2025年の出題形式】

・問題数:17問(うち400字論述1問、300字論述1問、論旨の読み取り問題1問)

・配点など(150点満点[歴史総合60点、世界史探究90]

 ① 400字論述:配点40

 ② 300字論述;配点30

 ③ 論旨の読み取り問題(30字):配点10

 ④ 小問(一問一答形式の記述・選択問題):配点70

 

これに対し、2025年の問題ではいくつかの大きな変更が見られました。

 

・変更点1:歴史総合+世界史の総合問題に

・変更点2:配点が150点に増加(外国語は300点のまま)

・変更点3:論述問題の全体に占める割合が増加(約半分が論述問題)

 

まず、変更点1についてですが、大学入学共通テストと同じく世界史探究だけではなく、歴史総合が追加されました。(これは、日本史の方でも「歴史総合+日本史探究」の形に変更がなされています。) 「歴史総合」が科目として入って来るとは言っても、問題によっては日本史の内容にそこまで突っ込まない内容の出題も多いので、特に世界史履修者の場合には「歴史総合」の対策を特に行っていなくても解けてしまうというケースはあり得るのですが、東京外国語大学の場合はどうだったのでしょうか。

あらためて2025年の東京外国語大学の「歴史総合」の問題を見てみますと、世界史の知識だけでも解けなくはないのですが、論述問題や論旨の読み取り問題に「外国債」についての理解を試したり、「東洋連衡」などを指定語句として福沢の脱亜論と対比させるなどの内容が入っており、通り一遍の世界史の知識に頼るよりも、より日本史部分についての理解を深めている方が解きやすい設問がいくつか見られました。そういう意味では、「歴史総合」について、特に日本史部分を中心に復習しておくことは有益であるように思われます。ただし、コスパの面を考えると疑問符もつくので、できれば高1のうちにがっちり歴史総合を固めておきたいところです。

 

変更点の2についてですが、2次試験において「歴史総合+世界史探究」の配点が150点となり、従来の世界史(地理歴史)の100点から50点増加しています。英語の配点は300点と変化がありませんので、これは歴史の全体に対する配点比率が上がったことを示しています。(25%から33%に上昇。)2024年以前は、何だかんだいって英語が全体の75%を占めていたので東京外国語大学では英語が主役、世界史は足を引っ張らない程度にできればよいと考えていた人もいたと思うのですが、さすがに歴史が全体の3割を超えてくると、そうも言っていられません。このことは、今後は東京外国語大学を目指す受験生は英語一辺倒ではなく、ある程度歴史にも力を注ぐ必要が出てくることを示しています。次々に試験から世界史を削っていっている早稲田(母校w)などと比べると真逆の動きで、「さすがに分かってんな!」という気が個人的にはします。世界史を教える立場としては応援しますw

 

変更点の3についてですが、これがおそらく一番重要かもしれません。何しろ、「歴史総合+世界史探究」150点中、70点(約47%)が論述問題で、しかも300字論述と400字論述というかなり重ための論述が歴史総合と世界史探究のそれぞれで課せられています。また、歴史総合で出題された論旨の読み取り問題の10点を論述の一種として計算すると、実に150点中80点(約53%)となり、論述の配点に占める割合が半分を超えて来ます。ただでさえ全体配点に対して歴史の占める割合が増えてきているところに、半分近くが論述問題になっているわけですから、これはもう完全に別物の試験です。2024年以前のように、世界史の基礎を身につけて小問を「ちょちょいっ」と解くというレベルでは、もはや通用しません。もし、来年度も同様の出題形式・内容になるのであれば、東京外国語大学を受験する際に論述対策は必須となると考えてよいでしょう。

とは言え、「歴史総合+世界史」になったのは2025年が初めてですから、今後もこの傾向が続くかどうかは何とも言えません。来年以降、23年ほどは問題形式・内容が定まるかどうか様子を見る必要があるでしょう。

 

【東京外国語大学「世界史」大論述・小論述の出題傾向(2006年~2025年)】

:以下は、東京外国語大学の「世界史」(2025年は「歴史総合+世界史探究」)の大論述と小論述の出題テーマを示したものです。大論述、小論述ともに3語~5語程度の指定語句が示されることがあり、それらの語数については表中の〇の中にある番号で示しています。


2025_2020
2010_2019
2006_2009

時折、イレギュラーな問題が出ることもありますが、概ね近現代の国際関係などを中心としたものが多く見られます。また、文化史が出題されることはまれで、政治史・経済史が中心となっています。内容的には、いわゆる王道のテーマが出題されることが多く、ニッチな内容が主題とされることはめったにありません。以前にもご紹介した通り、東大で出題される近現代史の問題とテーマ的には親和性が高いと言えるでしょう。

ただし、東京外国語大学の場合には、リード文や途中で紹介される史資料のかなり深いところまでの読み取りが要求されることが少なくありません。そういった意味では、上智のTEAP利用型などとも似ているところがあるかもしれません。(一橋なども資料読解型の部分はありますが、時代・テーマ的に東京外国語大学とはかなりズレがあります。)

 

【東京外国語大学「世界史」大論述が対象とした時代区分(2006年~2025年)】

:続いて、以下は東京外国語大学の「世界史」(2025年は「歴史総合+世界史探究」)の大論述が対象とした時代がいつであったかを表にまとめたものです。

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19世紀・20世紀に集中していることが一目瞭然だと思います。特に、近年はその傾向が強いです。また、あまり長いスパンでの変化などについては取り扱われることがありません。長くてもせいぜい2世紀にまたがるほどの内容になりますので、長いスパンでのタテの関係よりは国際関係などのヨコの関係や、内容の深い理解に重点が置かれていると考えてよいと思います(たとえば、2025年の歴史総合で出題された「日本の近代化とは何か」など)。この点では、比較的長いスパンでの変化・変遷を問うことがある東大などの問題とは少々違いがあります。ただし、数十年程度の単位でのタテの流れ・変遷については普通に出題されるので、その点には注意が必要です。数十年から100年程度のスパンでの物事の移り変わりについては説明できるようにしておきましょう。

 

【対策など

:上記の通り、東京外国語大学では2025年に歴史分野についての配点比率が上がり、中でも論述問題の比率が大幅に高まった出題がされました。ですから、これまでのように「英語にだけ力を注いで歴史は片手間でよい」という姿勢では、歴史をしっかり勉強してきた受験生に差をつけられてしまうことになるでしょう。また、論述問題の比率が高いことを考えると、付け焼刃の勉強ではどうにもなりませんので、東京外国語大学の論述に的を絞った論述対策をしっかりと進めていく必要があります。幸いなことに、出題テーマについては大きな変更は今のところ見られないので、東京外国語大学の過去問演習は依然として有効です。効果的な学習法としては以下のようなものが挙げられると思います。

 

① 世界史探究のしっかりとした基礎固め

 (少なくとも、大学入学共通テストで9割が狙えるレベルにしておく)

② 歴史総合のうち、日本史分野の見直し

③ 世界史探究の近世以降(16世紀以降)の歴史の重点的な見直し

④ 大学入学共通テスト過去問演習や実戦問題集演習

⑤ 東京外国語大学「世界史」過去問の演習

⑥ 上智大学TEAP利用型過去問の演習

⑦ 東京大学過去問の演習(大論述・近現代史を中心に。第3問の演習は有益)

 

もっとも、上記のうち⑥・⑦は「余裕があれば」で良いと思います。上智については東京外国語大学と併願するケースも少なくないでしょうから、その場合には両方の過去問対策を進めることは非常に有益かと思います。

また、配点比率が下がったとはいえ、依然として英語は全体の3分の2を占めますので、英語をおろそかにしては始まらないことには変わりがありませんので、注意しましょう。

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