東大が解答を公表しましたね。解答や出題の意図については以下のページに公表されています。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/admissions/undergraduate/e01_04_18.html
これを見ての感想ですが、「あれ、これだけか」というのが正直なところ。世界史に関しては出題の意図が少し示されたのみで、解答については公表されませんでした。ただ、「これだけか」と思いつつも、「これで良かった」というのと「そりゃそうだわな」という気持ちが混じった気持ちを抱きました。
というのも、東大世界史論述の解答にはもちろんある一定の基準なりは設けられているのでしょうが、答え方は一つではなく、多様な見方、解答の書き方が存在するはずです。仮に、東大が「あくまでも一例として」と言ってなんらかの解答を示したとしても、そのあたりのところがわからない人がそれを見れば「だって東大の解答には〇〇って書いてありましたよ」と言って、他の見方を受け付けない思考停止状態に陥ることは十分に考えられますし、それはより深い理解や思索を求める東大の意図するところではないと思います。
ですから、東大が解答を公表することに決めたという報道を聞いた時には「え、やるの?やめといたほうがいいのに」と思いつつ、もし出すのであれば自分の思考過程がどの程度東大の求めていることとシンクロしているのか確かめられると期待もしました。ですから、今回のように出題の意図の公表のみにとどめて、突っ込んだ解答・解説が示されなかったことには、残念な気持ちもありますが、「さすが東大、学問をよくお分かりで…」とほっとした気持ちの方が強い気がします。今後どうなるかは分かりませんが、個人的にはあんまり画一的な見方を生むような解答例の提示はして欲しくないなぁと感じています。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/admissions/undergraduate/e01_04_18.html
これを見ての感想ですが、「あれ、これだけか」というのが正直なところ。世界史に関しては出題の意図が少し示されたのみで、解答については公表されませんでした。ただ、「これだけか」と思いつつも、「これで良かった」というのと「そりゃそうだわな」という気持ちが混じった気持ちを抱きました。
というのも、東大世界史論述の解答にはもちろんある一定の基準なりは設けられているのでしょうが、答え方は一つではなく、多様な見方、解答の書き方が存在するはずです。仮に、東大が「あくまでも一例として」と言ってなんらかの解答を示したとしても、そのあたりのところがわからない人がそれを見れば「だって東大の解答には〇〇って書いてありましたよ」と言って、他の見方を受け付けない思考停止状態に陥ることは十分に考えられますし、それはより深い理解や思索を求める東大の意図するところではないと思います。
ですから、東大が解答を公表することに決めたという報道を聞いた時には「え、やるの?やめといたほうがいいのに」と思いつつ、もし出すのであれば自分の思考過程がどの程度東大の求めていることとシンクロしているのか確かめられると期待もしました。ですから、今回のように出題の意図の公表のみにとどめて、突っ込んだ解答・解説が示されなかったことには、残念な気持ちもありますが、「さすが東大、学問をよくお分かりで…」とほっとした気持ちの方が強い気がします。今後どうなるかは分かりませんが、個人的にはあんまり画一的な見方を生むような解答例の提示はして欲しくないなぁと感じています。
コメント
コメント一覧 (32)
茨城県に住んでおります高校3年生の岡本すずと申します。
いつも先生のサイトで楽しく学んでおります^_^
もしよろしければ、東大世界史1992主権国家体制の変容、1997帝国の瓦解の2点について質問をしてもよろしいでしょうか。
ご返信、心よりお待ちしております!
コメントをありがとうございます。お返事が遅くなりました。いつもご覧いただき、本当にありがとうございます。お書込みいただいたメールアドレスは個人情報で危ないので編集して削除させていただきました。
もしよろしければこちらのコメント欄にご質問をお書入れいただければそのままお返事いたします。1992と1997東大のどのあたりに関してのご質問でしょうか?
1992ですが
私は、図1を西欧型主権国家体制の世界展開の序章、図2を集団安全保障のよる主権制限の可能性や民族自決概念の展開による主権国家体制の変質、図3はガバナンスもままならない未成熟な国家が世界中で生まれ、かつての五大国のような主権国家概念の崩壊
と考えましたが、参考となる資料もなく悩んでおります。
また、2012東大では、英仏の植民地政策にフォーカスを当てるべきではあるのですが、分断統治OR NOTだけで物語れないような気もしつつ、どの予備校の解答を見てもしっくり来ません・・・(T_T)
1997の帝国の瓦解につきましては、知識不足から、どのようなアプローチで攻めれば良いのかが資料もなく悩んでおります・・・
また、金融に関する世界史講義を先生が講習でなさったとのこと、資料を頂戴することは叶いますでしょうか。独学で学んでいるため、お願いできましたら幸いです。
承知いたしました。丁寧にご質問をいただき、ありがとうございます!
おそらく今週中にはお返事できるかと思いますので、少しお待ちください。
ものすごく嬉しいです!!
もしいただけそうな資料がございましたら先日申し上げたgmail.comにお送りいただけますと嬉しいです!
風邪が流行っているようですので、くれぐれもご自愛ください!
お返事が遅くなっています、すみません。思いのほか忙しいもので。
まず、1992年ですが、もう少しお待ちください。1992だけ問題が今手元にないのですw 多分どこかにデータしまい込んでしまったせいなので後ほどお答えいたします。また、金融史に関してですが、今年から講習では扱いませんので、この夏休み中くらいに改変した内容をUPしたいと考えていますので、こちらも少しお待ちください。(メールでのやり取りを始めてしまうと、際限がなくなってしまうのでメールで資料等をお送りするのはお断わりさせていただいています。ご期待に沿えず、すみません。)
次に、1997年度です。こちらの問題は「第一次世界大戦前後の時期における旧来の帝国の解体の経過とその後の状況について」述べさせるもので、「それぞれの帝国の解体過程の相違に留意せよ」となっていますね。また、リード文から「一部の地域では独立国家も生まれたが、未解決の問題も多く残った」、「その問題は現代世界の民族と国家をめぐる紛争の原点となった」などがヒントとして示されています。
ここでいう旧来の帝国とは、①ロシア帝国、②清帝国、③オスマン帝国、④オーストリア=ハンガリー帝国のことです。もっとも、一次大戦前後に解体した帝国という意味ではドイツ帝国もそうなのですが、「旧来の」という意味次第では除外されると思います。ドイツ帝国が成立するのは普仏戦争後ですし、指定語句からもそのあたりは見て取れます。
本設問では「帝国の解体過程の相違に留意」とあるので、各国の経過を示せば十分ですが、本来は比較的な視点を持った方がよいと思います。民族、という視点で見るならば少数民族問題を社会主義思想で抑え込んだロシア、帝国主義支配で抑え込まれた中東、民族自決で独立したが少数民族問題が発生した東欧、軍閥割拠により各地の独立や自治を黙認せざるをえなかった中国などの視点を示すことも可能かとは思いますし、領土という面に注目すれば、解体後に旧領が分裂した帝国と、旧領を基本的には維持した帝国というように分けて考えることも可能です。ですが、字数制限も制限時間もあるので、そのあたりにはこだわりすぎずにまずはしっかりと各帝国の解体過程を丁寧に示すことが点数の加算につながると思います。
本設問では、「アジア、アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向」を「地域ごとの差異を考慮」して論ぜよというもので、リード文からはヒントとして①旧宗主国への経済的従属、②同化政策のもたらした旧宗主国との結びつき、③旧植民地からの移民増加による旧宗主国内の問題、などを考慮し、さらにA:植民地政策の差異、B:社会主義や宗教運動、などに注目することが要求されています。
十分にお答えになっているかは分かりませんが、とりあえずはこの辺で。お勉強無理せず頑張ってください!
2012と金融史については少なくともこの1,2週間というわけにはいかないと思います。なんとか8月中にはUPする方向でご勘弁くださいw
ありがとうございます!
先生の記事は、何周も読み返しております!世界史の楽しさを教えてくださり、本当に本当にありがとうございます!!
たびたび申し訳ございません(T_T)
もしよろしければ、先生がお考えになられる次の出題予想テーマをいくつか教えていただけませんでしょうか...
パンイスラーム主義が出題され、残るは金融史(経済史)だけでしょうか..その他にございましたら図書館で調べて参りますので、是非教えていただきたいです(^ ^)
講習準備でお忙しいところ、貴重なお時間を割いてくださり、本当にありがとうございます!!
たびたび申し訳ございません(T_T)
2012の御解説なのですが、いつ頃にアップしていただけそうでしょうか(T_T)
日曜日のお昼には入院をするかもしれないので、もしその前に概要だけでも分かると嬉しいです(T_T)
特に「英‐原材料調達のための植民地経営と市場化」「英から独立した国家と社会主義の関係(冷戦構造)」の2点からどのように「差異」に結びつけるのか皆目見当がつかず悩んでおります。
その他にも差異につきアドバイスいただけると物凄く嬉しいです!
ご返信お待ちしております!!
昨日まで出張でしたのでお返事が遅くなりました。入院されたということですが、お身体は大丈夫でしょうか。お大事になさってくださいね!
また、勉強が不安なのはわかりますが、一つ一つのことを思い煩っても疲れてしまいますので、その時その時でできることに集中していきましょう。受験全体で考えれば、世界史のしかも大論述部分などはごく一部ですから、あまり気に病まない方がよいかと思います。
さて、それではいただいていたご質問にひとつずつお答えしていきますね。
>次の出題予想テーマをいくつか教えていただけませんでしょうか...
率直に申し上げて、わかりませんw あちこちの記事でも言及しておりますが、東大の出題を的中させるということは不可能であるし、仮にできたとしてもまぐれ当たり以上のものではないと考えています。ただ、おおまかな流れというか、テーマについては把握することが可能で、そちらについては「東大世界史大論述出題傾向」の①、②に書いてありますので、そちらをご参照ください。やはり、過去問をしっかり、大量に、「解き」、「理解し」、「消化する」のが一番良い方法かなと思います。
>2012の御解説なのですが、いつ頃にアップしていただけそうでしょうか(T_T)
誠に申し訳ないのですが、金融史も含めて「夏休み中に」ということでご勘弁ください。できるだけみなさまのご要望にお応えしたいとは思っていますが、あくまで趣味のブログになりますので、個々のご要望に全て、または迅速にお応えできないこともございますので、ご了承ください。あくまでもこちらの都合を優先させていただくことになりますので、これについては申し訳ないのですがご了承ください。
>特に「英‐原材料調達のための植民地経営と市場化」「英から独立した国家と社会主義の関係(冷戦構造)」の2点からどのように「差異」に結びつけるのか皆目見当がつかず悩んでおります。
まず、「英‐原材料調達のための植民地経営と市場化」についてですが、イギリスの側では多くの植民地において「原材料の調達」、「英国産製品の市場化」などの植民地の機能を十分に活用することに成功します。インドでは綿花栽培やアヘンの輸出で利益を得、さらに英国産綿布の市場として、さらにはイギリス資本の投資先として機能しますし、エジプトでもスエズ運河利権の確保、マレーでは錫鉱山やゴム・プランテーションの経営と世界史の教科書レベルでも出てくることをあげればきりがありません。ですから、イギリスは経済的利益を享受することができれば良く、極端に言ってしまえば主権のありかについては割と鷹揚です。民族運動が激化するとすぐに自治だの形式的独立だのを認めては沈静化につとめ、裏でせっせと経済的搾取を行いますw
一方で、フランスについてはそうした経営は必ずしもうまくいっていません。アフリカの植民地は富という意味ではあまり期待した役割を果たしているとはいいがたく、各地の植民地の連携もうまくいっていません。また、歴史家の間では有名な議論ですが、当時のフランスではいわゆる「文明化の使命」という考え方に基づいた植民地支配が展開します。これについては、詳しく話すとキリがないので平野千果子『フランス植民地主義の歴史 - 奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで』人文書院、2002年などをご覧になると良いかと思います。平野先生は、たまに研究会や学会でお話しされているところを拝見しましたが、とても頭のよさそうな方でしたw 要は、近代社会の形成と産業の発展を成し遂げた白人(というかフランス人)は、劣等な有色人種に自分たちが享受している文明を分け与えてやる使命があり、植民地支配はそのための手段であって、白人の使命であるという考え方ですね。こうした考え方が土台にあると、そもそも植民地の人間に自治や独立を認めるという発想自体がありません。フランス植民地の独立が基本的に闘争によって達成される背景にはそうしたところももしかするとあるのかもしれません。
次に、「英から独立した国家と社会主義の関係(冷戦構造)」です。これは常に当てはまるわけではないのですが、英から独立した国は冷戦構造の発展の中で、社会主義とまではいかなくても社会主義的な政策や親ソ寄りの政策をとる国がそれなりにあります。例をあげるとインド、エジプト、ガーナ、ビルマなどですね。(パキスタンのような例外ももちろんあります) 対して、フランスの方では社会主義運動は独立闘争や内戦のなかでひとつの強い勢力を形成します。ホー=チ=ミンのインドシナ共産党、カンボジアのポル=ポトとクメール=ルージュ、ラオスのパテト=ラオ、アルジェリア民族解放戦線などです。
以上のところで何か差異を出せないかなぁという思考実験であって、必ずしも「書かなくてはいけない」というものではありません。やはり、一般的には①~③あたりまでがわかりやすく、整理もしやすいのでそれで十分だと思います。
それから、先日いただいていた2012の解答について、できる範囲でお答えいたします。ただ、添削のようなことは、受け付けてしまうとこれもまた際限がありません。(そもそも、手持ちの添削で手一杯ですw) ですから、今回は特別ということでご了承ください。注意すべき点としては以下の通りです。
・指示語をもれなく記述する必要あり(ワフド党がないように思います)
・指示語を指定通りに記述する必要あり(カシミール「問題」ではなく、「紛争」/非暴力不服従ではなく「非暴力・不服従」と私の手元にある問題ではなっています。もしお持ちの問題がそうでなければお気になさらずに。)
・①~③ということで分類し、一般化されているようで、あまり見ないタイプの解答で興味深かったです。ただ、あまりこうした番号を用いて説明するタイプの解答は見かけません。やはり文章で提示するべきでしょう。また、ある文章を番号で示し、その後は番号をしめして省略するというやり方は、別の言い方をすれば「同じ内容を繰り返している」ことに他なりません。東大の大論述は、加点要素があればそれを拾って加算していくスタイルでの採点をしていると思われますので、同じことを繰り返したり、理論を披露するよりも、「できるだけ多くの歴史的事象を示し、それを設問の要求に従って整理する」方が高得点につながりやすいと思います。また、①~③で分類されていますが、必ずしもこの枠に入らない独立の形態もあると思います。個々の国の事情はそれぞれで異なりますので、やはりここは一般化するよりも、個々の国、地域で何が起こったのかを詳述する方が解答としては良いのではないでしょうか。
・「①より高次の独立」という表現がありますが、①に対して②、③が高次であるかどうかは一概には言えません、というよりも「高次である」、「低次である」とは何を基準としているのかが明確ではありません。また、学問的にも議論を呼ぶところで面白い視点ではありますが、東大の論述は「学問的議論を行う場(論文)」ではなく、「持っている知識を示し、設問要求にそってそれを整理する能力を示す場」だと考えると良いのではないかと思います。
・「共産主義の支援を受けたアジア地域では~」とありますが、アジア全てが共産化したわけではないので、このあたりの表現にも注意が必要かと思います。
・「インドパキスタン」、「アラブアフリカ」という表現がありましたが、やはり「インド、パキスタン」、「アラブ、アフリカ」とするべきでしょう。
・加点要素として拾えるかなと思うところは以下の通りです。
「ガンディー」、「インドパキスタンは分離独立」、「イギリスの分断統治」、「ナセル」、「同化政策」「植民地時代に強制された経済構造脱却は難しく」、「資源国有化戦略を採ったアラブアフリカ地域」、「ベトナム」「資本主義・輸出指向型経済の導入」、「ASEANなど近隣諸国との経済関係強化」
書かれていること自体は興味深く、間違っていることも少ないのですが、理論的な記述が主体となってしまっていて、個々の歴史的事実、事象に対する言及が少ないところから加点要素として拾える部分が少なくなり、その分得点が伸びなくなっているように思います。インドの独立過程、エジプトの独立過程、ベトナムの独立過程、アルジェリアの独立過程について丁寧に述べていくだけでもそれなりに加点要素は増えます(それだけで十分というわけではありませんが)ので、まずはそちらを整理すると、よりよくなると思います。
先生、おはようございます!
お忙しいところ、たくさんのアドバイスをありがとうございます(^ ^)
いくつかうかがいたいことがございます!
1. フランスの同化政策についてなのですが、ベトナムではフランス語がほとんど使われていませんよね。アルジェリアに比べて地理的に本国から遠いのと、文明化が進んでいることからなのか、エリート層のみにフランス語教育が施されています。これはどのように理解したら良いのでしょうか。
2. イギリスを間接統治、フランスを同化政策と割り切って良いのかわかりません...イギリスも実際には同化政策を地域によっては実施していましたので...でも例外にばかり目を向けますと、「差異」を際立たせることができず...悩んでおります...
3.インドでは英語の普及を努めようとしましたが、それはイギリスの同化政策なのでしょうか。エジプトでは英語を普及させようとしなかったのは多言語国家だから支配しやすいようにということなのでしょうか。
4. もしよろしければ出題予想のテーマだけでも教えてください(^ ^) 自分で図書館で調べてまいります!
今日も暑いですね。夏バテなさらないでくださいね(^ ^)いつもありがとうございます!
1. フランスの同化政策について…
2. イギリスを間接統治、フランスを同化政策と割り切って良いのか…
1.2についてですが、英仏ともに一定レベルの同化政策は進めている点に注意が必要です。「英は同化政策を進めず、仏は進めた」であるとか、「仏は同化政策を進めたので例外はない」と考えてしまうとわからなくなってしまいます。ちなみに、ベトナムにおいては、早くから直轄化されたコーチシナで当初は同化政策が進められていたようです。ところが、19世紀末にはこうした同化政策の失敗が現地行政官によって認識され、逆にイギリスなどの植民地統治のあり方を参考にした現地エリート層の取り込みが目指されるようになります。一言で同化政策といっても地域差や、同化の程度に差があるので、必ずしも二項対立的に言えるものではありません。個々の地域の際が具体的にどのようなものであったかということについては、フランス植民地については私もそれほど詳しいわけではないのでお応えすることができません。すみません。
同じように「英は間接統治を行った」と単純化することも避けた方がよいでしょう。これについては例えばザミンダーリー制とライヤットワーリー制の違いを見るだけでも一概に間接統治ということばで表現することに無理があるのは明らかです。
「差異を示しなさい」という指示があった場合、必ずしも「Aは正であるのに対してBは負である」というような二項対立的対比をしなさいということではなく、「Aは○○であるのに対しBは●〇である」というそれぞれの事情を示したり、「AとBには〇〇の部分で差異があったが、△△の部分では共通していた」ということもできます。dすから、一番良いのは採点者が、回答者が「差異を意識していますよ」ということを読み取りやすいように個々の歴史的実態(具体的に)を示すように解答をつくるのがよいでしょう。
3.インドでは…
エジプトについては私はそれほど詳しいわけではありません。ただ、イギリスのエジプト支配がインド支配と比べて比較的短期のものであることや、インドのように完全直轄化された植民地ではなく「事実上の保護国」であったこと(もっとも1914年にこの関係は変化しますが)なども無関係ではないでしょう。エジプトに関しては、少なくともインドと同じようにはイギリスはその行政改革を思うように実行できない立場にありました。(実際、ウラービー反乱以降もイギリスは民族運動やフランスをはじめとする諸外国の批判にさらされます。)
インドのケースについては、イギリスははじめから「同化政策」を取っていたわけではありません。また、英語の導入についても、これが比較的後半に導入されたのは偶然の要素も作用したと考えていいと思います。一概には言えませんが、英国の側ではインドにおける英側の「協力者」は一部のエリート層であればよいと考えていた節があります。一部エリートが英語を理解し、そして英国の統治に協力してくれれば良いという発想です。にもかかわらず、広範に一般の初等教育にまで英語教育が拡大した背景の一つとして、従来から機能していたインド独自の教育体制(日本の寺子屋的な)が、インド産業と農村の疲弊・崩壊によって機能不全に陥ったこと、またこれにかわる形でイギリス側が公教育機関を英式教育(英語含む)で整備したことなどがあるようです。もっとも、以上のことは高校世界史の知識で書ける内容ではないので、あまり気にすることはないと思います(少なくとも、受験という意味では)。もし個々の具体的な事象が気にかかるようでしたら、今はかなり優れた研究書や論文がたくさんありますので、1,2冊手に取ってご覧になると面白いと思います。
4>. もしよろしければ出題予想のテーマだけでも教えてください(^ ^) 自分で図書館で調べてまいります!
こちらについては繰り返しになりますが、そもそも「予想」ということをするつもりがないのですw 「予想」をされる塾や先生もいるのでしょうが、私自身はそれをしたとしても意味がないと考えておりますので、申し訳ありませんがすでにUPされている内容や過去問を参考にご自身で考えてみてください。
また、図書館等で気になることをお調べになることはとても大切なことですが、教科書や『詳説世界史研究』などを隅から隅まで理解する方が東大の出題に対応するという意味ではコスパが良いかもしれません。(ただ、ご質問を読ませていただく限り、とてもよく勉強されているようですので、もしかすると『詳説世界史研究』レベルの内容はすでに頭に入っていらっしゃるのかもしれません。もしそうであるなら図書館で様々な研究書を手に取られることはとても役に立つと思います。)どちらがより有用なのかご自身で判断していただければと思います。
急に暑くなりましたね、お身体に気を付けてお過ごしください。
1週間ほど東京を留守にしておりました。
いえ、こちらこそ色々と勉強になりました!暑い日が続きますのでお身体にお気をつけてお過ごしください。
1996のパクスブリタニカについてなのですが、どうしても通信や金融を牛耳ったことを書かないといけないのではないかと思うも、この字数と指定語句からどのような論理構成とすべきかがわかりません⋯
アドバイスをいただけるとうれしいです^_^
申し訳ない、できることからコツコツと対応させてくださいw
とりあえず、先日お約束した2012についてはあげてみました。すこしずつ金融史も上げたいと思っていますが、睡眠時間が全く取れておりませんので、個々のご質問には現状ご対応ができません。すみません…。
いえいえ、睡眠時間が取れないのはある意味いつも通りですので、お気になさらずに!
昨日は台風がすごかったです。