2013年一橋の大問3は、19世紀末から20世紀初頭ごろの中国・朝鮮における政治状況を問う設問で、一橋では頻出のテーマだったかと思います。一部、高校世界史には出てこない知識を要求される設問でしたが、全体としては史料の読解によって解答を導くことができる設問ですので、大問2と同様に悪問とまでは言えないかと思います。(ただし、空欄bの補充だけは、採点時に幅を持たせないのだとすればかなり極悪な問題です。) 同年の大問2と合わせてみると、当時の一橋の設問が史料の読解と情報分析にかなり重点を置いていることが見て取れるかと思います。
【A】
(1、設問確認)
・空欄( a )~( d )に適語を入れよ
・革命派と立憲派の論争について説明せよ
(2、空欄補充)
a:興中会 / b:梁啓超 / c:北洋軍閥 / d:国民党
:a、c、dについては特に問題はありません。リード文の情報で十分に解答を導くことは可能です。問題なのは、空欄bです。こちらの方は、高校生の受験知識で確定することはほぼ不可能かと思います。おそらく、まともに考えて解答に近づけた受験生の多くが「康有為」と解答したのではないかと思います。個人的には、これは出題側の落ち度だと思いますので「康有為」でも正解で良いのではないかと思いますが、実際の採点がどうなっていたのかまでは分かりません。
では、なぜ康有為ではなく梁啓超なのかと言いますと、変法運動時点での中心人物は康有為なのですが、戊戌の政変以降の言論活動については、康有為は目立った活動をしておりません。対して、梁啓超については『新民叢報』をはじめとするいくつかの雑誌を創刊して啓蒙活動を展開し、活発な言論活動を行います。しかし、梁啓超の言論活動は、1905年に中国同盟会を結成した孫文をはじめとする革命派から批判されます。中国同盟会の機関誌『民報』などで、孫文は立憲君主制を目指す梁啓超ら立憲派を時代遅れの保皇派として批判します。孫文ら革命派が目指したのは四大綱領の中でも示された通り「創立民国」であって、清朝の打倒と共和政の樹立でした。つまり、変法運動時点では進歩的とみなされた立憲君主制は、わずか数年後には皇帝制維持のための方便に過ぎない、時代遅れの考え方だとみなされていたわけです。このあたり、攘夷論、開国論、公武合体論、倒幕論などが入り乱れた日本の幕末のムードを彷彿とさせるものがあります。
さて、やや脱線してしまいましたが、以上の内容を考えますと、「1900年の義和団事件のあと、革命派の勢力が拡大し、1905年には多数の留学生がいた東京で中国同盟会が結成された。その後、革命派は、( b )ら立憲派と激しい論争を展開することとなる。」というリード文中の( b )にあてはめるとすれば、梁啓超が適切だろうということになります。ただ、上述しました通り、( b )のヒントになりうるのはこの文章だけで、他の場所には( b )を確定できる要素が見当たりません。私は、高校受験生に対する出題であるということを考えた場合、解答者が「立憲派とは何か。革命派とは何か。」が把握できたかどうかが重要であると思いますので、解答と背景については一通り示した上で、「康有為でもいいよ。」という風に伝えることにしています。
(3、革命派と立憲派の論争)
・革命派:孫文(リード文からもわかる)、章炳麟、黄興ら
・立憲派:康有為、梁啓超ら
・「革命派vs立憲派」の論争とは「共和政vs立憲君主政(制)」
:革命派と立憲派については、すでにご説明してきました。高校世界史では立憲派と革命派の間に論争が展開されたことはあまり紹介されませんが、リード文から「革命派=中国同盟会」であることは自明ですので、革命派=孫文であることは確定できます。そこまで確定できれば、あとは立憲派が何かを割り出せばよいわけです。「立憲派」という名称から「立憲制、または立憲君主制を目指している」ことは推測可能ですし、時期や孫文ら革命派と論争していることなどから「立憲派=変法運動の指導者たち」であることを導くのはそこまで無茶な要求ではないかと思います。(梁啓超を確定させるのはかなり無茶な要求ですが。)
ちなみに、立憲君主制は変法運動だけでなく、20世紀初頭には光緒新政の中で現実のものとされていきます。光緒新政の中心人物は西太后の意図を受けて改革を推進した袁世凱や、かつて洋務運動でも活躍した張之洞などでした。
革命派が孫文であることがわかれば本設問では十分ですが、中国同盟会結成に際しては孫文の興中会以外にも、章炳麟の光復会、黄興の華興会などが母体になったことが知られていますので、そうした人たちを思い浮かべても良いかと思います。『民報』を中心とした言論活動では彼らのうち章炳麟や、後に国民政府の首班となる汪兆銘らが高校世界史で出てくる人物としてはかかわっています。
【解答例】
A、a:興中会、b:梁啓超、c:北洋軍閥、d:国民党、共和政を目指す孫文ら革命派は、「民族独立、民権伸長、民生安定」の三民主義と「駆除韃虜、恢復中華、創立民国、平均地権」の四大綱領を掲げて民族資本家や知識人、留学生などの支援を受けながら清朝打倒を主張したが、変法運動を主導した康有為や梁啓超ら立憲派は中国における共和政は時期尚早と考えて立憲君主政を主張し、革命派からは保皇派と非難された。
(すべて含めて200字)
【B】
(1、設問確認)
・史料を参考にせよ。
・1880~1890年代に開化派のめざした改革はどのようなものであったか
・1880~1890年代の開化派による改革は朝鮮の社会と政治をどのように変えたのか
(2、1880~1890年代の朝鮮)
:本設問を考える上では19世紀後半の朝鮮史に対する理解が必須です。簡単な流れを以下に挙げておきます。また、この時期の朝鮮史については甲午改革の部分を除いて、過去の記事にも掲載されています。
(http://history-link-bottega.com/archives/cat_213698.html)
1882年 壬午軍乱:大院君の閔氏に対するクーデタ
1884年 甲申政変:開化派(独立党)の閔氏に対するクーデタ→袁世凱による鎮圧
1894年 甲午農民戦争
→日本側の朝鮮に対する圧力
1894年~1895年 甲午改革:開化派(金弘集[キムホンジブ]、朴泳孝ら)
※
金玉均は1894年3月に上海で暗殺されている
1895年 三国干渉→日本の影響力が低下、政権内部の対立で崩壊、親露派の台頭
乙未事変:閔妃暗殺(朝鮮公使三浦梧楼の関与が通説)
乙未改革:金弘集が内閣を組織し、急進的改革
→守旧派の激しい反発、国王高宗の露館播遷
金弘集は群衆により殺害される
※甲午改革、乙未改革を合わせて甲午改革ともいう
(3、史料確認)
[史料1:金玉均らが樹立した政権による改革方針]
:設問より、本史料が1884年のものであるのは明らかですから、この史料は甲申政変時のものであるということがわかります。史料の内容を簡単にまとめると以下の内容が読み取れます。
① 大院君の帰国要請
② 朝貢の「虚礼」の廃止(清の宗主権に対する反対、「独立党」)
③ 門閥の廃止と人民の平等
④ 地租の改革(汚職の一掃と財政再建)
[史料2:1894年7月から8月に開化派が決定した改革方針](甲午改革)
:こちらの史料は甲午改革とよばれる1894年~1895年にかけて進められた近代化改革です。この甲午改革については高校世界史では通常出てきませんが、1894年が日清戦争の開始年、つまり甲午農民戦争の起こった年だということはわかりますので、「日清戦争の開戦で日本の影響力が高まる→朝鮮で開化派による改革が進む」ということを推測することはそこまで無茶な要求ではありません。また、本設問のメインテーマは「改革の目指したもの」であって、改革の背景ではありませんから、丁寧に史料読解を進めていけば世界史の知識に頼らなくても正解を導くことは十分に可能です。史料を読み取ると以下の内容が読み取れます。
① 開国紀年の採用(朝鮮独自の暦[従来は清の暦を使用])
② 門閥、両班、常民の平等と人材登用
③ 奴隷制の廃止
④ 税制改革(銭納)
甲午改革を進めたのは金弘集や朴泳孝たちでした。金弘集が高校世界史で出てくることはありませんが、朴泳孝は甲申政変(1884)で知られています。金玉均は当時すでに暗殺されておりましたので、この改革には参加しませんでした。改革の内容を見ると、開化派(独立党)の目指す「清朝からの自立」と「近代化の推進」が目指されていることが読み取れます。たとえば、「開国記年の採用」は、それまでの清の暦(時憲暦)にかわる独自の暦法を採用しようということで、独立した国家としての体裁を整えていこうという姿勢の表れです。また、身分制や奴隷制の改革、税制改革による財政再建などは近代化を目指す姿勢の表れです。ただ、この甲午改革は民衆の支持を得ることができず、最終的には挫折をしていきます。
[史料3:1898年11月「中枢院官制改正件」]
:中枢院も高校世界史では全く出てきません。ですから、これは史料から何が問題となっているのかを読み取らなくてはなりません。
① 中枢院の役割
・法律・勅令の制定・廃止・改変
・行政府から上奏する一切の事項の審査議定
・人民が建議した事項を審査議定
② 議官の半数は政府から、半数は人民協会で投票選挙
この内容からは明らかに、中枢院を通して民衆が国政の場に参加するヨーロッパ型の議会を目指していることが読み取れます。
(4、全体のフレームワークを確認)
:以上の内容をもとに、設問の要求している「開化派の目指したもの」と「朝鮮の社会と政治の変化」をまとめると以下のようになるかと思います。
[開化派の目指した改革]
① 朝鮮王朝の独立(清の宗主権の否定)
② 人民の平等
③ 有能な人材の登用
④ 財政改革
[朝鮮の社会と政治の変化]
① 朝貢や清暦(時憲暦)の廃止
:清への服属から独立・自立した近代国家へ
② 人民の平等
:両班の支配する世界から身分差のない社会へ
③ 奴隷制の廃止
:②に同じ
④ 税の銭納
:現物納から銭納への転換と財政の安定
⑤ 人民の国政への関与(中枢院議官の選挙)
:議会制への転換
【解答例】
金玉均や朴泳孝ら開化派は甲申政変後の改革で閔氏と対立する大院君を担ぎ、朝鮮の独立、人民の平等、人材の登用、汚職一掃や税制改革を目指したが、清の袁世凱の介入で挫折した。その後、甲午農民戦争が起きて日本の圧力が強まると開化派は再び改革に着手し、朝鮮独自の暦の採用による清の宗主権否定や人民の平等と奴隷制の廃止、税の銭納などを方針とし、中枢院の議官の一部が選挙で選ばれるなど、人民の国政への参加が拡大した。(200字)
コメント
コメント一覧 (4)
各国の選挙の歴史(参政権付与など)の一覧はございませんでしょうか(T_T) アメリカ大統領選挙のこともあり出されたらこわいなと思いまして...資料集を見てもまとまっているものがなく(T_T)
私のところではないですが、世界史の窓さんの普通選挙の項目などはどうでしょうか。
https://www.y-history.net/appendix/wh1103_1-054.html
女性参政権については直近ですと2018年東大の問題がありますね。
http://history-link-bottega.com/archives/cat_383773.html
資料集などで綺麗に図解されたものはご存じないでしょうか><
また、海の道や草原の道、シルクロードについて、詳しく特集されている資料集をご存知でしたらうかがいたいです><
いつもすみません・・
ちょっと存じ上げないですねぇ。お力になれずすみません。