1990年、ずいぶん古いですね。ただ、古いとはいえ東大など国公立大学では類似のテーマがたびたび出題されるので注意が必要です。もっとも、テーマ自体は同じでもやはり時代が違うと、その時に主流な歴史学上の議論・争点も違ってきたりします。それにともなって設問が要求する視点も大きく変わってくるため、一見すると似たようなテーマではあっても要求されている内容が全く違うということがあるので、「過去問を20年、30年分と解いています!」という人はそのあたりに注意が必要です。本ブログで何度もお話ししているように、論述はコミュニケーションなのであって、流れ作業ではありません。つまり、一つとして同じ解答はないということなので、一問一問に対して新鮮な気持ちで「何が聞かれているのだろうか」を愚直なまでに丁寧につかみ取ることが大切になります。

 さて、この年の設問は19世紀初頭の大衆運動がテーマです。このテーマは、早慶などの私大でも頻出のテーマですので、古い問題とは言え少し掘り下げてディテールを確認しても良い設問かと思います。以前と比べると少し鮮度は落ちた(出題頻度が下がった)印象があるとはいえ、アジアの大衆運動・民族運動は依然として良く出ます。特に、中国とインドの大衆・民族運動はかなり長いスパンに渡って流れを把握する必要がありますので、しっかり覚えておくとよいでしょう。(覚えただけの見返りはあるはずです。)また、近年ではトルコ史の出題頻度が増しているように感じますので、できればギュルハネ勅令(タンジマートの開始)~トルコ共和国の建国あたりまでは確認しておく良いでしょう。

 

【解答手順1:設問内容確認】

1914ごろ~1920年代半ば(1925ごろ)の約10年間

・ヨーロッパにおける大衆的な政治運動の展開について論ぜよ

・アジアにおける大衆的な政治運動の展開について論ぜよ

具体的な事例を挙げよ

 

:設問の要求はいたってシンプルです。注意したいことは以下の③点です。

① 「ヨーロッパにおける大衆的な政治運動」と「アジアにおける大衆的な政治運動」は同じものではない。

発生した時期が同じであるにしても、ヨーロッパにおける大衆運動とアジアにおけるそれでは、その意義が異なることを意識しておいた方が良いかと思います。

 

② 「大衆」とは何かに注意を払う必要がある

 「大衆」という言葉を無自覚に使用すべきではありません。歴史学では、一見自明のように見える言葉でもその中身に注意を払う必要があります。では、「大衆」とは何かといえば、この文脈(1910年代~1920年代の政治運動)という文脈で言えば、都市市民、学生、労働者、農民などを指すと考えてよいかと思います(国と地域によって重要度は多少変わってきますが)。このあたりを理解しておかないと、1910年代~1920年代半ばに起こった事件の中から何を書いたら良いのか、書くべき内容が定まりません。

 

③ 第一次世界大戦(総力戦)とその後の影響について考慮する

 設問でも出てきていますが、時期的に第一次世界大戦の影響を丁寧に確認する必要があるかと思います。ロシア革命、ドイツ革命はもちろんですが、アジアでもインドや、ウィルソンの十四か条やパリ講和会議に刺激された中国・朝鮮など、ほとんどの国・地域でその影響が確認できます。

【解答手順2:ヨーロッパの大衆運動、政治運動について整理】

:設問ではまとめられているのでわかりにくいのですが、ヨーロッパにおける大衆政治運動とアジアにおける大衆政治運動はその背景も意義も異なってくるので、二つに分けてディテールを確認した方が良いと思います。最近の東大の設問では先に大テーマがはっきりと見えるパターンが多いのですが、この1990年の問題ではむしろディテールを整理した上でヨーロッパにおけるテーマとアジアにおけるテーマを見つけた方が分かりやすいのではないかと思います。また、設問もそのあたりを考慮して「具体例を挙げよ」としているのかと思います。そこで、まずはヨーロッパ各国における列挙してみましょう。

 

 ロシア:ロシア革命(1917

 これはもう、鉄板ですね。1917年のロシア革命ではまず二月革命(三月革命)が起こりニコライ2世が退位してロマノフ朝が滅亡し、かわって臨時政府が建ちますが、各地に自然発生的に出現したソヴィエトとの間で二重権力状態が続きます。その後、四月テーゼなどを示してボリシェヴィキをまとめたレーニンによる十月革命(十一月革命)が起こり、最終的にはボリシェヴィキ(ロシア共産党)の一党独裁が成立します。この時に出された「土地に関する布告」と「平和に関する布告」は頻出です。特に「平和に関する布告」はウィルソンの十四か条との関係でも重要ですので、注意が必要です。

 

② ドイツ:ドイツ革命(1918

 ドイツ革命のきっかけは「キール軍港での水兵反乱」ですが、その後の革命の広がりは必ずしも兵士によるものだけではありません。高い失業率に不満を抱えていた労働者たちがこれに呼応して各地にレーテ(評議会:ロシアにおけるソヴィエトと同義)が結成され、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は亡命してヴァイマル共和国が成立します。ただ、大衆による政治運動ということであればドイツについては革命だけではなく、大戦前から続いていた社会主義運動の高まりとその分裂、スパルタクス団[1918.12にドイツ共産党に改称]の蜂起(1919)やこれに対する弾圧、1920年代から高まるファシズム運動とナチス結成やミュンヘン一揆などにも目を向けなくてはなりません。

 

③ イタリア:労働運動に対抗する形でのファシズムの高揚

 イタリアでは、第一次世界大戦後にイタリア社会党(1921にはイタリア共産党分離)による北イタリアストライキ(19191920)が発生しますが、この動きは当時の中産階級や保守層の警戒心を強める結果となりました。こうした中で、復員兵や貴族を中心とし、反社会主義を前面に打ち出したファシスト党(1920年結成)への支持が拡大し、ローマ進軍(1922)とムッソリーニ政権の成立につながっていきます。

 

④ フランス:社会党の分裂と共産党の成立

 フランスでは、第一次世界大戦末期からフランス社会党内で戦争協力について意見が対立し、分裂して左派は共産党を結成します。そのため社会党としての党勢は衰えますが、一方で、周辺諸国並びに国内におけるファシズムの高まりを受けてこれに対する危機感が高まり、1930年代の人民戦線内閣(ブルム)結成へとつながっていきますが、本設問は1920年代までなので、フランスについてはほとんど触れなくても差し支えないかと思います。触れたとしても共産党の結成まででしょう。

 

⑤ イギリス:第4回選挙法改正(1918)と労働党政権の樹立 / アイルランド自治問題

 イギリスの大衆運動は必ずしも同じ方向性を持ったものではありません。一番重要なのは総力戦の影響を受けての女性の社会進出拡大と、女性参政権の成立かと思います。また、参政権の拡大は労働党に有利に働き、1924年には第1次マクドナルド労働党内閣が成立することになります。女性参政権と一次大戦の関係については、東大の2018年問題や一橋の2010年問題(大問2)など、たびたび出題されているテーマでもありますので確認しておきましょう。

一方で、アイルランドの自治の問題については分けて考えるべきでしょう。ですが、時期としては同じ時期、しかも自治や独立を目指す運動なので、重要度が低いわけではなく、むしろ植民地における大衆運動や民族運動と性格的には近いものがあります。1916年に発生したイースター蜂起や、一次大戦後のアイルランド自由国の成立などには言及しても良いかと思います。

  アイルランドでは、その後アイルランド自由国容認派と完全独立派の対立が深まり、完全独立派はアイルランド共和党(党首デ=ヴァレラ)を結成し、党勢を拡大します。最終的には1937年の選挙に勝利してデ=ヴァレラ政権が成立し、完全独立を宣言(エールの成立)しますが、これも1930年代の話になるので、本設問では言及は不要です。

 

さて、ひと通りヨーロッパの情勢についてみてきましたが、これらを眺めてみるといくつかの共通するテーマが浮かび上がってきます。すなわち、

A、「社会主義運動の高揚」

B、「ファシズムの台頭」

C、「一部における女性解放運動や民族運動の高揚」

   cf.) 女性参政権はロシア・ドイツ・イギリス

   cf.2) 民族運動としてはアイルランド問題

などが、この時期のヨーロッパの大衆運動としては重要なテーマであると考えてよいでしょう。

 

【解答手順2:アジアの大衆運動、政治運動について整理】

では、続いてアジアの大衆を中心とした政治運動に目を向けてみましょう。こちらについては、ディテールを確認するまでもなく民族運動・独立運動が重要であるということがわかるかと思いますが、一方でロシア革命にも影響を受けた社会主義の高揚など、ヨーロッパとも共通する要素が浮かび上がってくるかと思います。

 

① 中国

‐五・四運動(1919)→中国国民党の結成(1919、孫文)

  ‐コミンテルンの指導による中国共産党の結成(1921、陳独秀)

  ‐第一次国共合作(192427、連ソ・容共・扶助工農)

  ‐五・三〇運動(1925、上海における反日ストライキに始まる反帝国主義運動)

 

② 韓国:三・一独立運動(1919

 

③ 日本:大正デモクラシー(191226:大正時代)

→護憲運動の高まりや政党政治、選挙権獲得運動、女性解放運動

→一方で社会主義運動の活発化

 

④ ベトナム:ホー=チ=ミンの活動とベトナム青年革命同志会結成

 ベトナムについては、20世紀初頭については東遊(ドンズー)運動を展開したファン=ボイ=チャウや東京(ドンキン)義塾を設立したファン=チュー=チンらの活動が有名ですが、一次大戦をはさんで1910年代から1920年代ということであれば、ホー=チ=ミンで良いかと思います。ホー=チ=ミンの主な活動については以下の通り。
(本設問では1930年以降は不要)

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⑤ インドネシア

インドネシアについては以下の3つをおさえればOK。女性解放にからめて女性教育の先駆者カルティニを書きたくなるところですが、カルティニは(1879-1904)没なので不可です。

 

・サレカット=イスラーム(1911) ジャワの商人が中心、華僑に対抗

・インドネシア共産党(1920):弾圧で壊滅

・インドネシア国民党(1927):スカルノによる

 

流れとしては、華僑に対抗する中でジャワ島の民族団体サレカット=イスラームが結成されますが、これは「ジャワ」というくくり(民族主義)にとらわれすぎたために、蘭領東インド全体に拡大することができず衰えていきます。こうした中で、アジア全般で高まっていた社会主義の高揚を受けて共産党が結成されますが、これはオランダ当局による徹底弾圧により壊滅します。その結果、スカルノが創設したインドネシア共産党が民族運動の受け皿となって支持を拡大していきます。

 

⑥ インド

 インドは中国と同様に非常に重要です。かなり入り組んでいるので注意が必要です。特に、戦中から自治の約束があったことに対する反応と、ヒンドゥーとムスリムの対立についてはできれば描写したいところ。

‐インド担当相モンタギューによる大戦後のインド自治の約束(1917

‐ローラット法(1919)とアムリットサル事件

   ‐ガンディーによるサティヤー=グラハ(1919-1922

    →ハルタル(同盟休業、商人や労働者など)

   ‐ヒラーファト運動(1920-、イスラーム教徒によるカリフ擁護運動)

    →一時的にヒンドゥーとムスリムの連携(1924カリフ制の廃止後はまた対立へ)

   ‐全インド労働組合会議(1920、ボンベイ)などによる社会主義運動の開始

    →インド共産党(1925)結成

 

⑦ イラン:英がイランの保護国化を計画(1919、イギリス=イラン協定)

      →民衆の反英、革命運動高揚

      →レザー=ハーンのクーデタ(1921)とパフレヴィ―朝(1926)創始

  

イランについては、対ソ干渉戦争の前線となったことで、半ば無政府状態になり軍事勢力が台頭する素地が作られました。

 

⑧ トルコ

トルコについては、何といってもセーヴル条約に反対するアンカラの国民議会とこれを率いるムスタファ=ケマルによるトルコ共和国建国までの一連の流れが重要です。

‐トルコ大国民議会招集(1920、アンカラ)→ギリシア軍撃退

‐スルタン制廃止(1922

‐ローザンヌ条約の締結とトルコ共和国建国(1923

 

アジアについてひと通り示してきましたが、これらを眺めると以下の3つが大きなテーマとして見えてくるかと思います。

A、「民族自決」の理念に刺激された民族運動、独立運動高揚

B、ロシア革命の影響やコミンテルンの指導による社会主義・共産主義の高まり

C、イスラームなどの宗教の民族運動への影響

 

【解答例】

 ヨーロッパでは、国内経済の疲弊した国で革命が起き、露では二月革命でロマノフ朝が滅亡し、十月革命でレーニンのボリシェヴィキが一党独裁を確立した。独でも革命に際し社会主義の高揚が見られたが、ヴァイマル共和国政府はスパルタクス団の蜂起鎮圧で弾圧した。社会主義に危機感を抱いた各国の中間層や資本家はファシズムを支持し、ナチスやファシスト党が党勢を拡大した。総力戦で女性の社会進出が進むと英の第4回選挙法改正をはじめ、独ソなど女性参政権を認める国も増加した。一方、アイルランドではイースター蜂起が発生し、アイルランド自由国成立後も国内対立が続いた。アジアでは、ウィルソンの十四か条の平和原則に刺激を受け、朝鮮で三・一運動、中国で五・四運動など民族自決を求める反帝国主義運動が発生した。また、ロシア革命の影響やコミンテルンの指導で、中国の陳独秀、ベトナムのホー=チ=ミンなどが指導する共産党が各地で結成されたが強い弾圧を受けたため、地域によってはインドネシアのスカルノ率いるインドネシア国民党など民族主義団体が強い指導力を発揮した。インドではローラット法制定とアムリットサル事件を契機にガンディーが非暴力・不服従運動を進めたが、ヒンドゥー中心の国民会議派とムスリムの対立は根強く残った。敗戦国トルコではセーヴル条約への反感からムスタファ=ケマル率いるアンカラ国民議会がスルタン制を廃止し、トルコ共和国を建国した。(600字)

 

ひと通り、解説に沿ってまとめるとこんな感じかと思います。情報量としてはやや少ない気もしますが、無理にいろいろなことを詰め込むと本当にただの箇条書きや事実の羅列になってしまいます。本来であれば、出題の側でもう少しどのような流れで書くかを示したり、指定語句を示すなどして、書くべき情報量を絞ってあげるべき設問かともいますが、1990年当時はもしかすると受験生の側が十分に論述に対応できるスキルを持ち合わせておらず、書いてきたものはとりあえず拾ってあげるというスタンスの設問だったのかもしれません。