【共通テスト→難関大】

・アフリカ分割では、最低限3つのポイントをおさえるべし!

1884年から1885年にかけて開かれるベルリン会議をきっかけに、ヨーロッパ列強は「先占権の原則(先に占領したもん勝ち)」と「実効支配の原則(占領した地域をきちんと統治できているか)」を確認して急速にアフリカ内部に入り込んで植民地化を進めていきます。いわゆる「アフリカ分割」です。このアフリカ分割については、アフリカがどのように列強によって分割されたかを示す地図が良く出てきます。こんな感じのやつですね。

 アフリカ分割_作成
(アフリカ分割)
 

アフリカがどのように分割されたかについては共通テストなどでもよく地図が示されて出題される頻出ポイントです。一見すると入り組んで見えるのですが、コツをつかむと問題を解くこと自体はそれほど難しくありません。ここでは、【大学入学共通テストレベル】の理解と、【難関大レベル】の理解の2段階にわけて確認してみましょう。

 

(共通テストレベル)

① ど真ん中はベルギー領コンゴ

② 縦に長く広がっているのはイギリス、横に広く広がっているのはフランス

③ 独立維持はエチオピアとリベリア

 

まず、①についてですが、そもそもアフリカ分割の進むきっかけとなったベルリン会議(1884-1885)が開かれるきっかけとなったのはベルギー王レオポルド2世によるコンゴ領有宣言でした。そのためか、このベルギーの位置を問う設問が最頻出で、しかも他の受験生と差がつくポイントになります。なぜなら、まだ十分に勉強できていない受験生は、イギリスの縦断政策とフランスの横断政策(これが②)のような「基礎中の基礎」は覚えていても、ひょいっと出てきたベルギー領コンゴなどにはその意義を見出しがたく、見逃しがちだからです。

また、20世紀まで独立を維持した国として、エチオピアリベリアを聞く問題も頻出です。これは、位置だけでなく国名まで聞いてきます。注意しておきたい点としては、エチオピアはたしかに20世紀前半までは独立を維持するのですが、1930年代に入るとムッソリーニの率いるイタリアによって占領され、イギリス軍によって解放されるまで一時的にイタリアの植民地となります。(19361941)ここまで抑えておけば、まず共通テストレベルの設問にはおおよその場合対応できます。

 

(難関大レベル)

①、②、③をしっかりと抑えた上で、余裕のある人はドイツ、イタリア、ポルトガルの植民地となった地域がどこかを確認しておきましょう。国名を聞かれることはまれですが、ドイツの場合はカメルーンかタンザニア(タンガニーカ)、イタリアの場合はリビアをおさえておくと良いでしょう。ポルトガルの植民地であるアンゴラやモザンビークが聞かれることはまずありませんが、ポルトガル植民地についての設問が出るとすれば、アフリカ分割よりはむしろ、1974年のポルトガル本国でのカーネーション革命(リスボンの春)の影響で独立していく文脈だと思います。