【定期考査】~【難関大】(頻出)
・石窟寺院は「敦煌、雲崗、竜門」(北魏史もからめて)
:もう、とにかくよく出ます。頻出事項ですが、うろ覚えの人多いです。これらは位置も含めてよく出るので、常に「敦煌、雲崗、竜門」の順でセットにして覚えておくこと。できた時期もこの順番です。
① 「莫高窟」ときたら敦煌
② 雲崗は北魏の最初の都、平城の近く。(平城は黄河の折れ曲がる右肩のあたり)
③ 竜門は北魏の孝文帝の頃に遷都された洛陽の近く。
北魏は北方異民族の五胡のうち鮮卑の拓跋氏が建てた国です。その関係で、初期の都は平城(地図中の雲崗のそば)であり、それまでの中国の政治の中心からはかなり北の方にあります。華北を統一し、寇謙之を重用して新天師道(道教)を国教とした3代の太武帝の頃は、この平城です。(雲崗の石窟は仏教に帰依した4代目文成帝の時に建造が始まります。)
しかし、6代目の孝文帝の頃には漢民族との同化が進み、漢化政策が採られます。その流れで、都も元々の中国の政治の中心地がある南の方にうつり、洛陽に遷都されます。また、農耕民族である漢民族に同化する中で、農村政策も重視されるわけで、この頃に三長制や均田制の導入が始まります。竜門の造営が始まるのもこの頃です。
以上の流れをおさえた上で、
・太武帝の頃‐華北統一‐北方拠点
・孝文帝の頃‐漢化政策‐南へ遷都
とイメージしておくとわりと頭の中が整理しやすくなります。
コメント