2013年東大の大論述は歴史上行われてきた開発と人の移動がもたらす軋轢について問う設問でした。東大では、交易や人の移動についてはたびたび出題をされています。移民というテーマをダイレクトに扱った設問としては2002年の「19世紀から20世紀はじめの中国からの移民の背景とその影響」がありますが、それ以外にも人やモノ、カネ、情報などの移動が様々な形で出題されています。移民問題が近年様々な分野でクローズアップされていることは明らかで、当然東大も歴史学会もこれを意識しています。その背景には、冷戦の終結とグローバル化の進展に伴って、特に高所得国への移民が急増していることが挙げられます。1990年に7500万人だった高所得国への移民数は、2017年には16500万人にまで急増しました。

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(児玉由佳編『アフリカにおける女性の国際労働移動』調査研究報告書、アジア経済研究所、2018年、p.3より引用[https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Reports/InterimReport/2017/pdf/2017_2_20_003_intro.pdf]閲覧日、2022年1月2日

 また、それまで大量の移民とは無縁であった日本という国が、少子高齢化やグローバル化といった変化の中で、移民問題と腰をすえて向き合わなければならなくなったことも、移民問題が関心を集めている原因の一つに挙げられるでしょう。いずれにしても、こうした中で「移民問題」、「人の移動」といったテーマは今後も有力なテーマの一つになると思います。

 さて、2013年の設問ではこれに加えて、交易や人的移動と関連する「開発」という視点が盛り込まれました。こうした視点を盛り込んだ背景には、近年歴史学の分野でも「環境史」というテーマが次第に注目を集めつつあるということが言えるのではないかと思います。また、近年ではもう一般にも良く知られるようになりましたが、SDGs(持続可能な開発目標)といったものが意識されるようになってきたことも一つの要因かと思います。SDGsとは、ミレニアム開発目標 (MDGs)が2015年に終了することに伴って、20159月の国連総会で採択されたもので、17の大きな目標と、その他多くの達成基準や指標の総称です。学校教育の場でも言及されることが多くなりました。(もっとも、あと8年しかないので知られていないと困るわけですが。)

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SDGsの一覧[Wikipediaより]

 今後何年かして、教科書の内容に「環境史」的視点が多く盛り込まれ、そうした視点からの記述が充実するようになれば、もしかしたらそうしたテーマの出題が出されるようになることもあるかもしれません。ですが、まだまだそうしたテーマで大論述を出題するほどには教科書の記述は充実していませんし、本設問の「開発」も、これまでの交易史、経済史の延長線上で十分答えうるものですから、特別目新しいといった感じは受けませんでした。内容的にはいかにも東大らしい設問で、当日この設問を見て「びっくりしてしまった」という受験生はそう多くはなかったのではないでしょうか。手持ちの知識で十分対応可能な設問だったのではないかと思いますが、その分ミスや取りこぼしには注意しなければならない設問だったかと思います。また、設問の文章がやや分かりづらく、すっきりしない部分があり、表現上の問題があったように思います。(たとえば、「19世紀まで」という表現がありますが、これは19世紀にさしかかるまでなのか、19世紀を含むのか判然としません。「点Aから点Bまで」といった時に点Bが●(点Bを含む)なのか、〇(点Bは含まない)なのかを考えた場合、通常は点Bを含むと考えるわけですが、「19世紀」というのは一般には点ではなく、相応の期間を含むものとしてイメージされますので、やはり19世紀の「どこまで」なのかは明示するべきではないかと思います。)

 

【1、設問確認】

・時期‐17世紀~19世紀まで

:「まで」というのは上記の通り非常に厄介な日本語ですが、指定語句に1882年移民法があるので、16011900年までで良いと思います。

・メインの要求は以下の①~③

①同時期に地球上で広く展開された開発の内容について論ぜよ。

②同時期の人の移動について論ぜよ。

③同時期の人の移動にともなう軋轢について論ぜよ。

・注意点は以下の通り

 ⓐカリブ海と北アメリカ両地域への非白人系の移動を対象とせよ

ⓑ奴隷制廃止前後の差異に留意せよ

:「留意せよ」とあると、受験生は「気にしていればいいんだろ」と思いがちですが、そうではありません。留意しているかどうかを採点者に伝えるにはこの内容を書かなければならないのであって、差異に留意せよとあるからには、奴隷制廃止前後の差異を示すことは必須項目となります。「言わなくてもわかってくれよ」というのは、もはや一般社会においても通用しなくなってきていますw 厄介な世の中ですねw

18行(540字)以内

 

【2、対象を絞り込む】

:本設問が対象としている人の移動は、「カリブ海と北アメリカ両地域への非白人系の移動」とかなり限定されていますので、発想としては「①同時期、同地域への非白人移動にどのようなものがあったか」→「②それらの移動は世界各地のどのような開発と密接にかかわっていたか」→「③それらの移動はどのような軋轢を生みだしたか」を確認する手順になるかと思います。指定語句を整理してから全体像を導き出すという手順でも良いのですが、本設問のように時期・対象・地域が限定的である場合には先に全体像の見極めを行うやり方もアリかと思います。

 

① 1601年~1900年にかけてのカリブ海、北アメリカ地域への非白人の移動

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19世紀は「移民の世紀」として知られます。その背景には産業革命による人口増加、発展の不均衡、交通機関の発達などがありました。そのため、白人系移民を含めるとその内容・背景ともに多様で整理するのに苦労するのですが、本設問では非白人系に対象が限られているため、整理は非常に簡単で上の表のようになります。上の表を見るとお分かりになる通り、18世紀まではカリブ海・北アメリカにやってくる非白人系の移動人口は黒人奴隷が大半です。(インディオは先住民かつ通常は大規模な移動を伴いませんので対象とはなりません。)対して、19世紀になるとこれがアジア系移民に変化します。この背景には同地域における奴隷解放があるわけですが、この変化が設問の要求する「差異」であることは明らかです。ただし、この「奴隷解放」も、ハイチや英領植民地、合衆国ではそれぞれ事情が異なりますので、その差が分かるように示す必要があるかと思います。

 

② ①で示された人の移動と世界各地の「開発」

:これは、言い換えれば「黒人奴隷は世界のどの開発で使われ、どの地域の開発に影響を及ぼしたのか」ということと「奴隷解放後に増加したアジア系移民は世界のどの開発で使われ、どの地域の開発に影響を及ぼしたのか」ということですので、知識を整理していけばOKです。その際、カリブ海と北アメリカでは使われ方や移動に差がありますので、その差異を丁寧に整理していくと良いかと思います。簡単にまとめたものが以下の表になります。

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基本的には、「開発」というのは奴隷制解放以前については何らかのプランテーション開発を指します。ただ、何を栽培していたのかについては地域、時期によって差がありますので、それらを丁寧に区別して示してあげる必要があるでしょう。一方、奴隷解放以降については北アメリカにおける第二次産業革命の本格化が挙げられます。もっとも、南北戦争以前からたとえばカリフォルニアのゴールドラッシュなどは中国系移民などをひきつける効果をもたらしましたので、そうした個別の具体例は使って差し支えないでしょう。

 

③ ①で示された人の移動にともなう軋轢

:黒人奴隷の流入については、基本的には奴隷解放運動と結びつければOKです。ただし、ハイチ、英領植民地、合衆国ではそれぞれ事情が異なりますので、注意が必要です。

ハイチ…トゥサン=ルヴェルチュールの活動などで1804年に独立

・英領植民地…1807年に奴隷貿易、1833年に奴隷制が廃止(cf.ウィルバーフォース)

・合衆国…南北戦争(1861-1865)と奴隷解放宣言(1863)、憲法修正第13条~15

 

:アジア系移民の流入については、特に合衆国について、指定語句にもある白人下層労働者との競合と排斥について示せばよいかと思います。中国系移民が禁止された1882年移民法もこの文脈で使うことになりますが、その結果、中国系に変わって日系移民が増加したことには触れておきましょう。

 

【3、指定語句の最終確認】

:1、2の方でまとめつつで指定語句の使いどころはだいたい見えてきますが、注意すべき語句がないかを再確認しておきましょう。「アメリカ移民法改正(1882)、産業革命、ハイチ独立、年季労働者(クーリー)、白人下層労働者」については概ね上記で確認済みです。

 

・リヴァプール、大西洋三角貿易

:黒人奴隷の流入のところで使うことになります。イギリスによるアシエントの獲得(1713、ユトレヒト条約)、リヴァプールの繁栄と資本蓄積による産業革命の発生などについても言及しておくとよいでしょう。特に、産業革命についてはその後の合衆国の綿花プランテーションの発達や、交通革命による移民の増加などにもつなげることができます。

 

・奴隷州

:南北戦争にいたるまでの合衆国における奴隷制をめぐる議論と南北対立について示す必要があります。

 

これまで述べたことを整理すれば解答の大筋は書けてしまうので、それほど難しい設問ではありませんが、先に述べたように、奴隷制廃止以前と以後の差異や、地域・時期による違いを丁寧に描くように注意しましょう。

 

【解答例】

タバコや砂糖の需要が急増すると、北米植民地でタバコの、ジャマイカやサン=ドマング、キューバでサトウキビのプランテーション開発が進み、労働力として黒人奴隷が輸入された。ユトレヒト条約で英がアシエントを獲得した18世紀初めごろから大西洋三角貿易は本格化し、リヴァプールが繁栄して資本が蓄積され、産業革命につながった。産業革命の本格化と綿花需要の高まりは米南部で綿花プランテーションを発達させた。米独立や仏革命後に自由・平等の理念が広まるとハイチ独立を皮切りにラテンアメリカ諸国が独立して多くの国で奴隷制が廃止された。英でもウィルバーフォースの活動で奴隷制反対運動が活発化し、英植民地で奴隷制が廃止された。これらの地域ではインド・中国系移民が代替労働力としてプランテーション経営を支えた。一方、米では北部自由州と南部奴隷州の間で南北戦争が発生し、奴隷解放宣言を発したリンカン率いる北部の勝利で奴隷制が廃止されたが、黒人の多くはシェア=クロッパーとして南部農園にとどまった。カリフォルニアの金鉱開発や大陸横断鉄道建設に従事した中国系の年季労働者(クーリー)は第二次産業革命を支えたが、白人下層労働者と対立したため、アメリカ移民法改正(1882)で中国系移民は禁止され、かわって日系移民が増加した。(540字)

 

こんなところでしょうか。設問は、人の移動とそれにかかわる開発、軋轢を求めるものですから、それ以外の影響や意義については最小限で良いかと思います。今回解答を作成するにあたって気を遣ったのは、カリブ海地域と北米における代替労働力としての移民の用いられ方ですね。カリブ海地域においては、インド系・中国系の移民は奴隷制廃止後しばらくの間は以前としてプランテーションを支える安価な労働力として用いられたのに対し、合衆国における移民はむしろ工業化を支える労働力として用いられました。その原因は南部農村地帯で解放されたはずの黒人たちが経済的理由から依然としてシェア=クロッパーとして搾取・酷使されたためです。シェア=クロッパーは分益小作人とも訳されますが、プランター (大農場主)から土地,小屋,燃料,道具,家畜,飼料,種子,肥料などの生産手段を高利で前借りし、収穫物をプランターと均分した小作人のことで、解放黒人は教育も受けず、元手となる資本も持っていなかったことから、解放後も結局は債務奴隷的な立場に陥ってしまいました。そのため、南部農村地帯においては奴隷の代替労働力としての移民はそれほど必要とされず(皆無ではありませんが)、多くが北部や西部で開発の進む工業地帯の労働力として使用されていきます。解答作成にあたっては、奴隷制廃止以前、廃止後の差異だけでなく、こうした北米とカリブ海の差異についてもできれば丁寧に示したいところです。