2011年の東大大論述では、7世紀~13世紀までのアラブ・イスラーム圏文化圏の拡大ならびに異文化の需要と発展がテーマでした。2011年より前の大論述が10年近くにわたって主に近現代から出題されていた(15世紀以前が問われたのは、2007年の農業生産の変化とその意義を問う設問で一部が11世紀にかかっていたところを除けば、2001年のエジプト5000年の歴史に関する設問までさかのぼる)ことや、イスラームの文化圏を真正面から取り扱う設問が長らく出題されていなかったことなどから、この年の東大受験生にはやや唐突な感じのする設問だったように思います。どちらかというと、それまでの一橋に近い匂いを感じた受験生も多かったのではないでしょうか。本設問に近いものとしては、東大では1995年にだされた地中海とその周辺地域に興亡した文明と、それらの交流・対立を問う設問(前1世紀~後15世紀)まで見られません。ただ、問われている内容はかなり基本的なものですので、唐突な感じを受けつつも、比較的しっかりとした解答を書けた受験生も一定数いたと思われます。率直に言って、それほど面白味のある設問ではありません。注意すべき点があるとすれば、イスラームが外部から文化を取り入れてそれを自己のものとして消化した後、さらにその文化を他地域へと伝えて影響を与えるというように、交流・対立が「一度伝わって終わり」ではなく、「いくつかの変容を経て、さらに別の段階へとつながっていく」という様子を描き切れるかということでしょう。このあたりを設問の要求としてくるあたり、イスラーム文明が融合文明であるという特徴をよくとらえていると思います。

 

【1、設問確認】

・時期は7世紀から13世紀まで

・アラブ・イスラーム文化圏をめぐって生じた以下の動きについて論ぜよ

①、イスラーム文化圏拡大の中で、新たな支配領域や周辺の他地域からことなる文化が受け入れられ、発展していったこと。

②、①で育まれたものが、さらに他地域へ影響を及ぼしたこと。

17行(510字以内)

・指定語句(使用箇所に下線を付す)

インド / アッバース朝 / イブン=シーナー / アリストテレス / 医学 / 代数学 / トレド / シチリア島

:リード文より、意識すべきは異なる文化間の接触や交流、軋轢、文化や生活様式の多様化と変容などになります。

 

【2、7世紀~13世紀のイスラーム世界(フレームワーク)】

:いきなり文化の受容・発展・伝播について書き連ねても良いのですが、リード文にもあるようにこれらの動きはイスラーム世界の拡大と連動しています。また、周辺世界の状況とも関係してきますので、文化だけを思い描いて思いついたものから書くという手法ではとりとめもなくただ出来事を箇条書きするだけの解答になってしまいかねません。そうしたことを避けるためにも、大まかで良いのでイスラーム世界の拡大がどのように展開されたか、イスラームの拡大にともなって周辺世界がどのように変化したかの枠組みは把握しておいた方が良いと思います。イスラーム世界の拡大については、概ね以下の内容を確認しておけば良いでしょう。(13世紀までなので、実際にはより細かい変化もあるのですが、最終的に書く内容は文化の受容・発展・伝播なのでこのくらいで十分かと思います。)

 

① ムハンマドの出現、イスラーム共同体の形成と拡大(ムハンマド~正統カリフ)

② イスラーム王朝の誕生(ウマイヤ朝~アッバース朝)

③ イスラーム世界の分裂と3カリフ鼎立(後ウマイヤ朝・ファーティマ朝・アッバース朝)

:イベリア/北アフリカ/西アジア~中央アジア

④ トルキスタン、インドのイスラーム化

⑤ ムスリム商人の活動

 

【3、イスラーム世界と周辺世界間の文化の伝播、社会の変容】

:では、続いてイスラーム世界はどのような文化を発展させ他の世界に伝わっていったのか、またどのように他の文化を受容したのかについてまとめてみたいと思います。まず、上にも書きましたがイスラーム文化は融合文明としての特徴を備えており、同じイスラーム文化でも地域によって異なる多様性を持っています。一方で、どの地域においても基本的には共通する要素もあります。本設問が要求する時期に発展したイスラーム文化として、多くの場合に見られる要素をいくつかピックアップすると以下のようなものになるかと思います。

 

アラビア語 / クルアーン / シャリーア / マドラサ / ウラマー / スーフィズム / 都市文明 / モスク / ワクフ / 市場(バーザール) / 隊商交易 / 小切手

 

外部世界とイスラームの関係について、教科書などで言及されるものをまとめたのが以下の表になります。こちらの表では、復習しやすいように文化に限らず、両者の交流が影響して生まれた制度や習俗、交易品なども含めて記載していますが、本設問で要求されているのは文化の発展と伝播になりますので、文化に関する部分のみ赤字で示しました。もっとも、設問のリード文では文化に限らず生活様式の多様化にも言及しています。そうした場合、制度の変化や習俗の変化、交易品を通しての生活の変化なども含まれると考えることができますので、そのようにとらえれば書くべき内容はもう少し幅広くなるかと思います。

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① ビザンツ帝国(東欧世界)

:ビザンツ帝国とのかかわりの中では、イスラーム世界に流れ込んできたギリシア語文献をアラビア語に翻訳するための知恵の館(バイト=アル=ヒクマ)がアッバース朝の7代カリフマームーンによってバグダードにつくられました。この中で、特にアリストテレス哲学を中心とするギリシア哲学の研究が進められていきます。また、外の世界から入ってきた学問は「外来の学問」として整備されていきます。

:一方で、イスラームの拡大はビザンツ帝国の国境防備の整備を促しました。7世紀のヘラクレイオス1世の頃から屯田兵制やテマ制(軍管区制)が導入され始めます。また、11世紀にセルジューク朝が迫った際にはこのテマ制はプロノイア制へと変化していくことになります。ただ、これらは基本的にはビザンツの国制の変化に関するものですので、本設問では記入の必要はありません。

 

② 西ヨーロッパ世界

:西ヨーロッパ世界の側からイスラームに対して与えた文化的影響というのは、教科書などではあまり示されません。実際、当時の西ヨーロッパは基本的には守勢に回っておりますし、カールの頃にようやくカロリング=ルネサンスと言い出し、大学にいたっては最古とされるボローニャ大学が11世紀に出てくるような状況ですので(ちなみに、知恵の館は9世紀前半、ファーティマ朝のアズハル学院は10世紀)、基本的には文化の伝播は「イスラーム世界→西ヨーロッパ世界」という構図で思い描いて差し支えないかと思います。

解答に必ず盛り込みたいのは12世紀ルネサンスと、その中でアラビア語文献がラテン語文献に翻訳されたという内容ですね。これと関連して、中心地としてのイベリア半島のトレド、シチリア島のパレルモや、具体例として医学(『医学典範』イブン=シーナー)、哲学(イブン=ルシュド)、スコラ学(『神学大全』、トマス=アクィナス)、大学の発展、ロジャー=ベーコン(数学の重要性、経験的な観察・実験)、地理学(イドリーシー『ルッジェーロの書』)、光学(イブン=ハイサム『光学の書』)などを示すことができるかと思います。挙げたもののうち、イブン=シーナーと医学典範、イブン=ルシュドとアリストテレス哲学、スコラ学の発展あたりが書ければ十分ではないでしょうか。また、表中では赤字(文化)としては入れていませんが、サトウキビ(砂糖)、オレンジ、ブドウなどの新たな産物の流入がもたらした生活の変化を文化の一部としてとらえるならそうした内容を書くことも可能かとは思います。

 

③ インド

:インドについては、イスラーム世界に伝えたものとしてゼロの概念があります。ここから代数学がフワーリズミーなどによって発展し、さらにそれがヨーロッパへと伝わっていきます。

:一方で、イスラーム世界からインドへの影響としてインド=イスラーム建築の成立、ウルドゥー語の形成などが挙げられます。インド=イスラーム建築としては奴隷王朝の祖、(クトゥブッディーン=)アイバクが築いたクトゥブ=ミナールというインド最古のミナレットが挙げられます。最近、模試などでも示されることが増えてきました。

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Wikipedia「クトゥブ=ミナール」より)

 

ウルドゥー語については、デリー周辺の方言にペルシア語やアラビア語の要素を取り入れて形成された言語で、ガズナ朝が侵入した時期の1213世紀が起源とされています。

 

④ 中央アジア

:中央アジアについてはあまり文化的交流について書かれることはありませんが、イスラームがトルキスタンに侵入したことを受けてマムルークが導入されたことをイスラーム世界の新習俗=文化とみなせば、そのようにとらえられないこともないかと思います。

 

⑤ 中国

:イスラーム世界が中国から受容したものとしては、製紙法、羅針盤、火薬などがあります。製紙法についてはタラス河畔の戦い(751)などにも言及できますね。最終的にはこれらの技術はヨーロッパへと伝わっていきます。また、中国絵画の技法がモンゴルによるユーラシアの一体化の中でイル=ハン国に伝わると、ここからイスラーム世界におけるミニアチュール(細密画)が発展していきます。また、陶磁器は交易品ではありますが、美術工芸としてとらえた場合には文化と考えることも可能でしょう。本設問では直接の関係はないですが、中国の陶磁器の発展にイランから輸入されたコバルトが利用されたことなども思い浮かべると良いですね。中国というよりはモンゴルとの交流の中で生まれてくるものとしてラシード=ア[]ッディーンの『集史』がありますが、これは14世紀のものなので本設問では利用ることができません。

:イスラーム世界から中国に伝わったものとしてはイスラーム天文学に言及しておけば良いでしょう。元の郭守敬が授時暦を作ったことを示しておけば十分です。もっとも、元の時代には色目人と呼ばれる西方由来の人々がやってきてもおりました。色目人の中にはイラン系のムスリムなどもいたわけですが、こうした人が財務官僚などとして活躍していましたので、こうした人々から財務処理に関する知識・技術が伝わったということはあったと思います。また、『説世界史研究』(山川出版社、2017年版)にはこうした色目人のうち、イラン系ムスリム商人がオルトク((あつ)(だつ))と呼ばれる共同出資制度を作ってユーラシア全域で活動した記載などもあります。(あつ)(だつ)については旧版の『改訂版詳説世界史研究』(山川出版社、2008年版)にも記載がありますので、両方を引用してみたいと思います。

 

 …イラン系のムスリム商人は、オルトク(仲間の意)といわれる会社組織をつくり、共同出資による巨大な資本力によってユーラシア全域で活動した。内陸の商業ルートと南シナ海・インド洋の海上ルートは、彼らの活動によって結びつけられた。ムスリム商人の商業活動はモンゴルの軍事力を背景としておこなわれ、またその利益の一部は、出資者であるモンゴル諸王家の手にはいった。このようにして、色目人の経済活動は、モンゴル人の軍事活動とともに、モンゴル帝国にとって不可欠の役割をはたしていたのである。(木村靖二ほか編『詳説世界史研究』山川出版社、2017年版、p.210

 

当時イスラーム世界の東部では銀が不足しており、中国から銀を持ち出せば交換レートの差により大きな利益がえられた。そこで斡脱と呼ばれたムスリム商人は、中国の銀を集めるため、科差のひとつである包銀の施行を元朝に提案したといわれる。包銀は中国初の銀による納税で、科差のもう片方の糸料(絹糸で納税する)とともに華北でしか施行されなかったが、納税者である農民に銀の需要を高めた。さらに斡脱は、こうした納税のために銀を必要とする農民相手に高利貸しを営み、複利式年利10割の高利で銀を搾りとってイスラーム世界に流出させた。また、この利率だと、元利ともに年々2倍になり、羊が子羊をどんどん産んでいくようすに似ているとして、羊羔利、羊羔児息と呼ばれて中国人に恐れられた。(木下康彦ほか編『改訂版詳説世界史研究』山川出版社、2008年版、p.150

 

これらを経済活動として見れば本設問とは関係ないのですが、金融知識の伝播ととらえれば文化の伝達の一環ととらえられないこともありません。

 

⑥ アフリカ

:イスラーム世界がアフリカから受けいれたものとしては黒人奴隷(ザンジュ)がありますが、奴隷制度自体は特にアフリカから導入したというわけでもないので、文化の伝播としてとらえる必要はない気がします。一方、イスラーム世界がアフリカに与えた影響としては東アフリカ沿岸のスワヒリ語あたりを示せれば十分かと思います。

 

地域別には上記のような内容がまとまっていれば良いかと思いますが、これをイスラームの拡大と関連して文章化するのであれば、大きく①「イスラーム側が文化を受容する時期(外来の学問の成立期)」と②「イスラーム文化が拡大・伝播する時期」に分けて考えるとすっきりしそうです。

 

【解答例】

 アラビア半島から勢力を拡大したイスラームは、各地にモスクやマドラサ、バーザールを築き、クルアーンと現地文化を融合した都市文明を発展させた。タラス河畔の戦いで西伝した製紙法をもとにアッバース朝では多くの文献が編纂され、文化の普及に寄与した。ビザンツから流入したギリシア文献がバグダードの知恵の館でアラビア語訳されて哲学、幾何学、天文学などが導入され、インドのゼロの概念からフワーリズミーが代数学を大成するなど、外来の学問も発達した。10世紀には中心地がカイロやコルドバへと拡大し、各地に伝播した。十字軍・東方貿易・レコンキスタを通して、トレドシチリア島のパレルモはイブン=シーナーの『医学典範』、イブン=ルシュドのアリストテレス研究がラテン語訳される中心地となり、大学設立や『神学大全』に大成されるスコラ学、医学が発展する12世紀ルネサンスが起こった。ムスリム商人の活動は東アフリカでスワヒリ語の成立、中国でコバルトを用いた陶磁器の作製を促し、インドへの侵入はウルドゥー語成立やクトゥブ=ミナール建造につながった。さらにモンゴルとの接触は元の郭守敬による授時暦や、中国絵画技法を取り入れたミニアチュールの成立へとつながった。(510字) 

 

解答例の方では判断が微妙なものは除いて、教科書等で頻出のものだけ使って書いてみましたが、それでも十分に510字分を埋めることは可能かと思います。