多分、受験に出る知識ではないのですが、勉強をしっかりしている人ほど気になるみたいで、「先生、何でパリ条約でいきなりスペインがしゃしゃり出てくるんですか?」とか「スペインってブルボン家だからフランス寄りのはずなのに何でミシシッピ以西のルイジアナをフランスからぶんどってるんですか?」などの質問が時々寄せられます。(年に1~2回でしょうか。)

そんなわけで、今回のテーマは「なぜパリ条約(1763年)でミシシッピ以西のルイジアナがスペイン領になるのか」です。ぶっちゃけ、多分受験には出ませんがw(2度言ったw) いやいや、こういう疑問を持つことって大事ですよね。それに、何か気持ち悪いって気持ちも分かります。

一言で言うなら、それは「事前にフランスがスペインに『ルイジアナをあげるね』って約束していたから」です。フランスのショワズール公爵とスペインのグリマルディ侯爵(後に公爵)との間に1762年に結ばれたフォンテーヌブロー条約において、フランスはスペインに対してミシシッピ川流域のルイジアナ全域(ミシシッピ以東も含む)を割譲するという秘密条約を締結します。

なぜ、そんな条約を締結したのかということですが、北米大陸で展開されていたフレンチ=インディアン戦争は主にイギリスとフランスの間の戦争で、スペインは距離を置いていました。ところが、フランスは同じブルボン家であったスペインを同盟国として同戦争にある意味で引きずり込み、1762年にイギリスからの宣戦布告を受けたスペインは同年にこの戦争に参戦します。しかし、ニューファンドランドや西インド諸島での戦いで敗北し、ヨーロッパ大陸でもスペイン東部に敵の侵入を許すなど、敗北が必至の状況に陥ると、フランスはイギリスとの講和を模索します。

ですが、戦局が不利な状況での講和は、フランス・スペインともにイギリスからかなり厳しい条件が提示されることが予想されました。(実際、スペインが当時北米に領有していたフロリダをはじめとするミシシッピ川以東の領土はパリ条約で全てイギリス側に割譲されます。)こうした状況下でスペインに講和を納得させるためのいわば補償として、フランスはスペインに対してルイジアナを割譲することを約束したのです。当時、この約束は交戦国であるイギリス側にはふせられていました。

その後、パリ条約が締結されると、ミシシッピ以東のルイジアナはイギリス側に割譲されることとなりましたが、フォンテーヌブロー条約によりミシシッピ以西のルイジアナ領有が決まっていて大損はこかなかったスペインは、これを黙認します。結果的に、パリ条約以降の北米植民地は、ミシシッピ以東とカナダをイギリスが、ミシシッピ以西をスペインが領有するということで落ち着き、北米植民地からフランス勢力は駆逐されることになりました。
(1763年 パリ条約以前の北米大陸)
1763_パリ条約以前_地名入

(1763年 パリ条約以降の北米大陸)
1763_パリ条約後_地名入