1 古代・中世通貨史(ヨーロッパ・西アジアほか)
【古代世界】
①古代メソポタミア・エジプト
:価値の尺度としての金銀の使用
(ただし、定量・同形状の「貨幣」としてではない。)
ex. ハンムラビ法典中の財産関係の記述に出現
②紀元前7世紀
:リディアで世界初の鋳造貨幣が作成(エレクトロン貨)
→隣接するイオニア地方に伝播
(ギリシアにおける商工業の発展と平民の台頭→民主政の進展)
③紀元前4世紀ごろまで
:交易の拡大による鋳造貨幣の普及
→古代ギリシア・マケドニア・アケメネス朝などで使用される
cf. ダレイオス1世による貨幣の統一
【ローマ帝国・中世地中海世界】
:金貨・銀貨・銅貨を鋳造し、貨幣経済が発達
①1世紀~2世紀
:「パクス=ロマーナ」(オクタウィアヌス~五賢帝の時期)
・地中海沿岸地域を中心に貨幣経済が発展、各地に地方都市成立
(ウィンドボナ、ロンディニウム、ルテティア)
・インド・東南アジアと季節風貿易
(『エリュトゥラー海案内記』に記述)
ex.1 扶南(カンボジア)の港オケオからローマ金貨が出土
ex.2 南インドのサータヴァーハナ朝や前期チョーラ朝にはローマ金貨が流入(1世紀頃から)
ex.3 南インドのパーンディヤ朝からローマのアウグストゥスに使者?(AD22年、ストラボンによる記述)
②4世紀
:コンスタンティヌス帝によるソリドゥス金貨鋳造(東ローマではノミスマ)
:「3世紀の危機」後の経済混乱を収拾して国際交易の安定化を図る
→ローマ帝国・東ローマで流通(11世紀まで高純度を保った「中世のドル」)
(Wikipedia「ソリドゥス金貨」より)
:ウマイヤ朝がディナール金貨・ディルハム銀貨を鋳造
(5代カリフ、アブドゥル=マリク[アブド=アル=マリク]の時代)
※ アフリカのガーナ王国(サハラ交易[金-岩塩])、ヌビア(現スーダン)などから金供給
※ ディナール金貨はノミスマ(ソリドゥス金貨)の流通していた旧東ローマ帝国で、ディルハム銀貨は旧ササン朝領で流通したが、アッバース朝下の9世紀には金銀二本位制に移行した
:フィレンツェがフローリン金貨を発行(~16世紀)
:メディチ家の支店がヨーロッパ中に存在し、金融ネットワークを作っていた
→取引において優位に
→ヨーロッパ全土で金貨の流通(ただし、希少なので主に銀貨・銅貨が併用される[実質的な銀本位制])
(Wikipediaより引用)
2 大航海時代とアメリカ銀の流入
【ヨーロッパ】
:1492 コロンブス(ジェノヴァ人、スペインの援助を受ける)によるアメリカ大陸の「発見」
→スペインによって大量のアメリカ銀がヨーロッパに流入
(影響)
① 価格革命
:新大陸からの大量の銀の流入によって貨幣価値が下落・物価高騰
→西欧地域で商工業が活発化
→定額の貨幣地代にたよる封建領主に打撃
→封建制崩壊を促進
② 商業革命
:貿易の中心が地中海岸から大西洋岸に移動
→大西洋岸の都市(リスボン・アントワープなどが発展)
→17世紀に入るとアムステルダムが国際金融の中心都市に
【アジア】
1521 マゼランの世界周航
1545 ポトシ銀山発見
1565 フィリピン領有
1571 マニラ建設
→アカプルコ貿易の展開(メキシコ銀と中国の絹織物・陶磁器を交易)
3 金融の世界史(16世紀以降~第二次世界大戦)
【銀行制度の誕生と金融市場の形成と拡大】
① 中世
:秤量貨幣の信用性と品質の不均衡
:各地の権力者が私的に鋳造
→品位と重量がバラバラなため、取引や計測の煩雑さ
② 近世
:グレシャムの通貨改革 [イギリス、エリザベス1世]
:イギリスの貨幣が他国の貨幣に比べて通用価値が低く、取引に支障をきたしたために、トマス=グレシャムが通貨改革を行い、通貨価値を高める
※ 「グレシャムの法則」(悪貨は良貨を駆逐する)
=貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合に実質価値の高い方の通貨が流通過程から駆逐され、より実質価値が低い通貨が流通するという法則(現在の紙幣の場合、実質価値[紙の価値]が額面価値よりもはるかに低いため、この法則は当てはまらない)
③ 近代
<17世紀>
・初の株式会社・株式取引所の設置[オランダ・東インド会社(1602)]
(英の東インド会社[ジョイント・ストック・カンパニー]は無限責任)
<1637>
・チューリップ=バブル崩壊[オランダ]
→その後のオランダ経済に影響なし
(先物取引で債権者=債務者が多い。一部がババ引いただけ)
→オスマン帝国産のチューリップの球根価格の暴騰と暴落、世界初のバブル崩壊
<17世紀末>
・国債の発明[オランダ・イギリスなど]
:従来の君主発行型の公債は様々な理由でたびたびデフォルト(債務不履行)をひき起こした。イギリスで議会が国家の歳入(徴税)・歳出を安定的に管理し、君主の私的財産が国庫と明確に区別されると国債の発行時に返済の裏付けとなる恒久的な税などが設定された。こうした安定した徴税を信用として18世紀以降のイギリスは国民所得の数倍に及ぶ国債を発行することができ、この財源をもとに18世紀を通じた対外戦争を勝ち抜くことが可能となった(財政軍事国家)
※「財政軍事国家」とは
:歴史家ジョン=ブリュアによって提唱された、名誉革命以降におけるイギリスの巨大な陸海軍、勤勉な行政官(整備された官僚制度)が、消費税をはじめとする重税と徴税システムによって担保される莫大な国債をはじめとする債務によって支えられたとする考え方、またはこうした当時のイギリスの国家システムを指す。イギリスがこの莫大な債務により戦費を維持できたことが、18世紀イギリスが大国フランスとの戦争に勝利した一つの原因だとする。これについては折を見て「東大への世界史」の方で詳述する。(ジョン=ブリュア『財政=軍事国家の衝撃:戦争・カネ・イギリス国家 1688-1783』大久保桂子訳、名古屋大学出版会、2003年)
<1694>
・イングランド銀行設立
→ファルツ戦争・ウィリアム王戦争などの対仏戦争の戦費捻出(財政革命)
→金融におけるイギリスの信用能力を高め、イギリス資本主義の発展に寄与
→第一次世界大戦が始まるまでの金融界を支配
<1720>
・南海泡沫事件(サウスシー=バブル)[イギリス]
:当時の財政危機解決のために国債を引き受ける目的で設立された南海会社が引き起こしたバブル崩壊事件。数か月の間に10倍強にもなった株価が元値以下になるまで暴落した。この事件の事後処理を担当した財政の専門家であるロバート=ウォルポールは後にイングランドの初代首相となった。
・ソブリン金貨の発行(初の金本位制の確立)[イギリス]
:イギリスの貨幣法により、発行されたソブリン金貨の自由鋳造・自由融解を認めることで本位貨幣(通貨の実質価値と額面価値が一致した貨幣)とした。世界金融の中心がロンドンのロンバード街(シティ)に(「世界の銀行」)
→20世紀初頭までに世界各国で金本位制が確立=「国際金本位制=ポンド体制」の成立
・第一次世界大戦によるイギリスの相対的地位の低下と世界金融の不安定化
→アメリカの台頭(黄金の20年代を経てウォール街が世界金融の中心に)
<1923>
・ドイツでハイパーインフレ(ルール占領がきっかけ)
→シュトレーゼマン内閣によるレンテンマルク発行で沈静化
→ドイツの経済・政治危機をアメリカが支援
(対ドイツのアメリカによる支援策)
A、ドーズ案(1924)
:アメリカ資本の対ドイツ貸与、賠償金支払い方法と期限の緩和(減額はなし)
B、ヤング案(1929)
:賠償総額の減額と期限の緩和[ローザンヌ会議(1932)でさらに減額→ヒトラーによる一方的破棄(1933)]
<1929>
・世界恐慌による経済の動揺
A、金本位制の動揺と停止
‐イギリス(1931:マクドナルド挙国一致内閣)
‐日本(1930 金解禁→1931 犬養毅内閣による金輸出再禁止
‐アメリカ(1933:フランクリン=ローズヴェルト大統領)
‐フランス・ベルギー・オランダによるフラン=ブロック(金本位維持)
→フランスの金本位制停止(1937)による管理通貨制度への移行
B、ブロック経済の形成
ex.スターリングブロック(英、1932:オタワ連邦会議)
4 現代の通貨・金融体制(第二次世界大戦以降)
【ブレトン=ウッズ体制】
:第二次世界大戦終了時に圧倒的な経済力を有していたアメリカによる国際為替の安定と自由貿易体制の確立
①ブレトン=ウッズ会議(1944)
:ブレトン=ウッズ協定に基づくアメリカ主導の国際通貨・経済体制の成立
・世界恐慌前の「国際金本位制=ポンド体制」崩壊にかわる新通貨秩序の成立
・米ドルと各国通貨の交換比率を固定した固定相場制の成立
(1ドル=360円、金1オンス(28g)=35USドル)
・二つの国際機関設立の決定
(1945:IMF[国際通貨基金]とIBRD[国際復興開発銀行、後の世界銀行]の設立)
・IMF:固定相場制(金=ドル本位制)の採用
・IBRD:長期資金の融資による戦後復興や発展途上国への資金援助を行う
(1960年に国際開発協会と合わさり現在の世界銀行[WB]に)
②GATT(関税と貿易に関する一般協定)成立(1947)
:関税障壁撤廃による自由貿易体制確立を目指す
→1995年にWTO(世界貿易機関)に発展
【ブレトン=ウッズ体制崩壊】
:世界貿易・財政の拡大に金=ドル本位制が対応できず
(金産出・保有量と経済規模の乖離が拡大)
①ドル=ショック(ニクソン=ショック、1971)
:アメリカ大統領ニクソンが金とドルの兌換を停止
(背景)
・ベトナム戦争(1960 / 1965~1973 / 1975)による米軍事費の増大
・日本・ECの台頭と国際競争力向上により貿易赤字に
②変動相場制へ移行(1973、ブレトン=ウッズ体制の完全な崩壊)
(Wikipediaより)
【経済規模の拡大と国際化に伴う経済危機の発生】
<1970s>
・オイル=ショック(1973、1979)
<1980s>
・対外累積債務問題の深刻化
:中所得国(ラテンアメリカ[メキシコ・ブラジルなど]やフィリピンなど)で対外累積債務問題が深刻化
(対外累積債務深刻化の背景)
・1970sに3つの動き
①一次産品価格が高騰したことによる途上国の交易条件の改善
②過剰な産油国資金の流入(オイルショックによる原油価格の高騰)
③金融自由化により先進国政府ならびに民間機関や国際機関による貸付が容易に
→発展途上国が大規模な借入により工業化を進める(高成長の時期)
・1980sに入り一次産品価格の下落や米国金利の急騰
→途上国の資金繰りが困難に(70年代債務の返済の見通しが難しくなった)
・プラザ合意(1985)
:G5(先進五か国[米・英・西独・仏・日]蔵相会議)で為替レート安定化に関する合意
(背景)
:双子の赤字(貿易赤字&財政赤字)拡大によるアメリカの債務国への転落
(内容)
:アメリカの貿易赤字解消のためにドル安政策を進める
→日銀による独自の金融政策によって当初の目標をはるかに上回る円高・ドル安が進行
・ルーブル合意(1987)
:行き過ぎたドル安の防止のためのG7(G5 + 伊・加)での合意
→失敗
:プラザ合意直後の日銀の短期金利引き締め策(高目放置)と、その後の政府の意を受けた金融緩和策(公定歩合の引き下げ)が人々に極端な金融緩和策が行われているという錯覚(貨幣錯覚)を生じさせて、過剰な投資へと結びつく。
→下落し始めていた不動産価格に財務省・日銀の金融引き締め策(総量規制・公定歩合の引き上げ)がトドメをさして株価暴落
<1980s末~1990初>
:超国家的な経済協力体制・共同体の形成
○APEC(アジア太平洋経済協力会議、1989年)
→日・韓・ANZUS・ASEANなど
○EU(ヨーロッパ共同体)
→1991年の会議で合意、1992年に採択されマーストリヒト条約をもとに発足(1993)
→域内共通通貨ユーロの導入によって米ドルの国際支配に対抗
<1990年代以降>
:経済のグローバル化にともなう金融危機の連鎖と規模の拡大
ex.1) メキシコ経済危機(1994)
ex.2) アジア通貨危機(1997)
:タイを皮切りに韓国・インドネシアなどアジア各国で発生した通貨価値の急激な下落ドルと連動していたアジア通貨がドル高に伴い上昇し、実体経済と乖離した頃にヘッジファンドの空売りを浴びた
→アジア各国が変動相場制へ
ex.3) リーマン=ショック(2008)
:リーマン=ブラザーズが負債総額64兆円を抱えて倒産
→連鎖的な世界規模の金融危機
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