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カテゴリ: 東京外語大対策

東京外国語大学の歴史総合・世界史探究の問題については、昨年(2025年)より、歴史総合を含む形に変化しました。また、問題の形式や配点に大きな変更が加わりました。今年(2026年)の問題でもこの基本形式は維持されていました。配点に大きな変更はありませんが、世界史探究の論述問題が500字となり、昨年の400字論述と比べて100字拡大されています。昨年の解説では、今後の東京外国語大学では論述問題の比重が無視できなくなると述べましたが、今年は世界史探究の論述が500字に拡大され、論述対策の重要性がさらに明確になりました。

 

設問の内容についてですが、東京外国語大学では、小問は例年基本的なものが多く、また比較的わかりやすい良問といえる問題が多かったのですが、今年の問題では、一部に通常の高校世界史の教科書・用語集を中心とした学習だけでは対応しにくい設問や、資料からの推測も容易ではない難問が一部含まれていました。もっとも、こうした設問は他の受験生の多くも解けないことが多いので、こうした設問での失点を特に気に病む必要はないと思います。一方で、それ以外の小問については極めて基礎的な問題が多く、1問あたりの点数が5点と比較的高いことから、こうした小問での取りこぼしは大きく響きかねません。やはり小問においては一部の難問を除いて、「取りこぼしはなくす」ぐらいの状態にしておくことが、東京外国語大学を受験する上においては必要となるかと思います。

 

論述問題については、歴史総合・世界史探究ともに、世界史の知識もさることながら、本文を読解するしっかりした国語力が要求される設問となっています。基本的には与えられた本文や資料を読み解き、それを設問の要求に合わせて再構成するということが要求される設問で、一定の国語力がないとこれらの問題に対処することは難しいと思われます。また、試験時間が90分ということになっていますので、小問について時間をかける余裕はありません。試験時間の多くは、論述問題を解く時間に使うと考えたほうが良いでしょう。ただし、論述問題も解答の自由度が比較的高い分、必ずしも満点に近い出来を求められているわけではありません。完璧な答案でなくても、設問の要求を正確に捉え、必要な資料と指定語句を筋道立てて配置できれば、多くの答案に対して優位に立つことができます。逆にその分、設問の要求から外れた回答を書いてしまうと、それが致命傷となりかねないというところがありますので、設問の内容や要求、あるいは本文の内容を丁寧に読み解き、理解するということが要求される問題だと感じます。

 

【小問概要と解説】

 

(歴史総合-問1)

概要:空欄[  ①  ]に入る社会思想(吉野作造が唱えた思想)の名称を答えよ。

解答:民本主義

 

:基本問題です。

 

(歴史総合-問2)

概要:下線部②(大正デモクラシー)に興味を抱いた生徒が調べるべき関連文献として優先度が最も低いものはどれか。

解答:(e) 国会期成同盟についての文献

 

:世界史選択者にはやや難しい問題です。大正デモクラシーは日露戦争後から大正時代の末期にかけて、日本で広がった民主主義的・自由主義的な風潮や運動の総称で、時期的には1910年代~20年代頃になります。⒜~⒡の選択肢のうち、「⒠国会期成同盟」だけは自由民権運動の時期に結成された政治団体(1880年結成)なので、明らかに時期が違います。

 

国会期成同盟の存在自体を知っていれば、少なくとも大日本帝国憲法制定(1889年)や帝国議会開設(1890年)よりは前だと分かるので問題ないのですが、おそらく世界史選択者が国会期成同盟を目にするのは高1の時に学習する歴史総合くらいしか機会がないのではないかと思われますので、やや難しく感じたのではないでしょうか。

 

(歴史総合-問3)

概要:空欄[  ③  ]に入る人物名(1848年にエンゲルスとともに共産党宣言を発表した人物)の名前を答えよ。

解答:マルクス(大学の模範解答ではカール=マルクス)

 

:基本問題です。大学発表の模範解答では「カール=マルクス」となっていますが、山川の用語集も教科書も「マルクス」ですし、高校世界史の範囲で他にマルクスは出てこないので、マルクスで問題ないと思います。

 

(歴史総合-問4)

概要:下線部④(対華21カ条要求)の第2号において、日本政府が安奉鉄道とともに99年間の権益期限延長を求めた鉄道名は何か。

解答:南満洲(州)鉄道

 

:世界史選択の場合、対華21カ条要求の細かい内容まで把握している受験生は少ないかもしれませんが、日本が当時利権を持っていた鉄道といえば真っ先に南満洲鉄道が浮かぶのではないかと思いますので、難しい問題ではありません。安奉鉄道を聞かれたら難しいですが。ちなみに、安奉鉄道は日露戦争時に建設が始まった安東(現在の丹東)から奉天(現在の瀋陽)を結ぶ路線です。

 

対華21カ条要求についての主な内容は以下の通りです。

○ 山東省におけるドイツ権益の継承

○ 旅順、大連の租借・南満洲鉄道及び安奉鉄道の権益期限の99か年延長

○ 漢冶萍公司の日本との合弁化 など

 

(歴史総合-問5)

概要:空欄[  ☆  ]に入るのにふさわしい説明を、資料[D]に書かれている内容を参考にして自分の言葉で答えよ。(40字以内、問われているのは「城内平和」の意味であり、資料[D]にはこれについてのカウツキーの見解が示されている。)

 

解答例1:戦時には、戦争遂行のため国内の資本家と労働者が協調して、他国の労働者とも戦うべき(40字)

解答例2(大学の模範解答):戦時には国内での階級対立をやめるべきであり、労働者同士が戦うこともやむを得ない(39字)

 

:こちらについては、文章内にカウツキーの見解が示されていますので、そこから読み取ることが可能です。文中には「…戦時と平時を分け、万国のプロレタリアートの団結は平時のものであって、戦時には国内の階級協調と各国労働者間の戦闘が必要と説くカウツキーの見解」とありますので、これをきちんと読み取れれば良いということになります。

 

(歴史総合-問6)

後述。[本稿の最後に示します。]

 

(世界史探究―問1)

概要:教皇ユリウス2世が老朽化を理由に改築を決定し、晩年のミケランジェロが改築計画を策定したローマにあるキリスト教世界最大の石造建築は何か。

解答:サン=ピエトロ大聖堂

 

:基本問題です。最近、本設問のように、サン=ピエトロ大聖堂の設計者(主任建築家)としてミケランジェロをヒントに特定させようとする設問を見かけるようになりました。サン=ピエトロ大聖堂の修築はユリウス2世に始まり、その後長い年月をかけて進みます。特に、教皇レオ10世の時にこの修築費用を贖宥状で賄おうとして宗教改革の発端となったことは良く知られています。この間、サン=ピエトロ大聖堂の設計者(主任建築家)は、当初のブラマンテから始まり、その後ラファエロ、ミケランジェロへと変わっていきます(他にもいますが)。ですから、別にミケランジェロをヒントに出した設問が悪いとか間違っているというわけではない(私も授業では一通り紹介しますし)のですが、通常高校世界史の範囲では、サン=ピエトロ大聖堂の設計者はブラマンテで学習することが多く、山川の用語集などもそのようになっています。そのためラファエロやミケランジェロが設計者に名を連ねていることを、高校教科書・主要参考書を通した通常の学習では身につけられない高校生も多いのではないかと推察します。出題者はそのあたりもよく汲んで、努力が素直に結果に反映される形の出題をしてあげて欲しいなぁと思います。

 

(世界史探究―問2)

概要:資料(B)で言及されている「アーケオプテリクス・リトグラフィカ」の日本語名は何か。

解答:始祖鳥

 

:高校世界史の範囲外の設問ですw ただ、資料(B)の中に、「ある鳥の羽毛の印象化石」とか、「アーケオプテリクス・リトグラフィカ」の姿の説明として「脚と足、骨盤、肩帯、そして羽毛の構造は、現存する一般的な鳥のものと完全に一致している。一方、尾は非常に長く、この点では鳥よりも爬虫類に似ている。」とあり、「特定の点において、この鳥は現代の鳥よりも爬虫類の構造に近づいていることは事実である。」ともありますので、一般的な教養として始祖鳥の存在を知っていれば、特定することは難しいことではないため、無茶な設問だとは思いません。

 

(世界史探究―問3)

概要:ササン朝において国教とされ、善悪二元論に基づく世界観などの特徴を持ち、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教などの一神教に影響を与えた宗教は何か。

解答:ゾロアスター教

 

:基本問題です。

 

(世界史探究―問4)

概要:天神(テングリ)を信仰し、君主が可汗(カガン)を称した遊牧民集団は何か。

解答:突厥

 

:基本問題です。唐の2代皇帝太宗(李世民)が東突厥討伐の際に彼らから天可汗の称号を得たことなどもあわせて覚えておくべき事柄です。

 

(世界史探究―問5)

概要:中国各地に作られた石窟寺院のうち、北魏第4代皇帝文成帝により造営が始められ、世界文化遺産にもなっている石窟は何か。(漢字2字で)

解答:雲崗

 

:基本問題です。敦煌・雲崗・竜門の石窟寺院は、場所や内容も含めて頻出です。

 

(世界史探究―問6)

概要:厳密な史料批判に基づく実証主義的な近代歴史学の基礎を築いた人物は誰か。

解答:ランケ

 

:少し以前であれば難しめの知識だったのかもしれませんが、近年ランケは頻出です。基本問題です。

 

(世界史探究―問7)

概要:神聖文字の解読に成功したフランス人学者は誰か。

解答:シャンポリオン

 

:基本問題です。

 

(世界史探究―問8)

概要:1970年に採択された「文化財不法輸出入等禁止条約」の寄託者となっている国際連合の機関の名前は何か。

解答:ユネスコ(国連教育科学文化機関、UNESCOなど。「正式名称で」とは設問にはない。)

 

:やや難問です。高校世界史の範囲外の出題ですし、出題のヒントからも通常の学習の範囲内でユネスコと結びつけることができる内容は見当たりません。ただし、「文化財返還問題」などが設問の文章中にあることなどから、「文化財の保護などをやっている機関なんだろうな」と推測することは可能で、そこまで推測した際に、世界文化遺産の登録に関わっているのがユネスコであることなどを思い浮かべれば、「国際連合の機関」とあるので特定することも可能かなという設問です。絶対に解けないというほどではないですが、少なくとも良問ではありません。

 

(世界史探究―問9)

概要:イギリスにおいて「無名戦士の墓」が設置され、歴代国王の戴冠式が行われることでも知られる、国会議事堂近くにあるイングランド国教会の教会の名前は何か。

解答:ウェストミンスター寺院

 

:地味に難問です。高校生にはしんどいと思います。私も、授業の中で「ウェストミンスター議会」に言及することはありますが、寺院に言及することは全くありません。私自身、大学院生の頃にロンドンに留学して初めて「ウェストミンスター議会(宮殿)」と「ウェストミンスター寺院」と「ウェストミンスター大聖堂」が別々にあることを知ったくらいなので、正直この問いを高校生に出題するのは意味が分かりません。始祖鳥やユネスコとは違い、この問題はまず解けません。東京外国語大学の設問は比較的基本的な良問がそろっていることが多いのですが、2026年の問題は高校世界史で一般的に扱われる知識との間にやや乖離を感じる設問でした。


Westminster_Abbey_-_West_Door

ウェストミンスター寺院(Public Domain, Wikipedia)
 

(世界史探究―問10)

概要:世界恐慌に対処する挙国一致内閣を率いるため、ジョージ5世によって1931年に首相に任命された人物は誰か。

解答:マクドナルド

 

:マクドナルドは、当初は労働党内閣を率いていましたが、世界恐慌を受けて失業保険の削減を行おうとしたところ、労働党から事実上除名されます。これを受けて、自派を率いて保守党・自由党の一部と協力してつくった挙国一致内閣がマクドナルド挙国一致内閣です。近代史をしっかり勉強している人であれば解けますが、正答率は高くないと思います。

 

(世界史探究―問11)

後述。[本稿の最後に示します。]

 

【歴史総合、問6:300字論述解説】

(設問概要)

・20世紀初頭の社会において、労働者はどのようなことを具体的に求めていたか、述べよ。

・社会主義運動はなぜ、そうした個別要求に留まらず、社会や世界の変革を目指したのか、述べよ。

・資料[A]~[E]の記述を踏まえよ。

・先生と生徒の対話も参考にせよ。

・指定語句(使用した箇所すべてに下線を引くこと。)

女工 / 半纏 / 社会問題の解決 / 帝国主義 / 西欧民主主義の限界

 

【1、設問の意図をくみ取る】

:本設問は、昨年(2025年)の設問と同じく、固定化された正解のある問いとは違い、見方によって様々な解答を示すことが可能な問いです。そのため、こちらの設問ではまず、設問の意図をよく汲み取ることが大切です。

 

設問の要求と問題のリード文は密接に連動しています。特に、少し本文に目を通した人であれば、問6で示されている指定語句がそれぞれ資料[A]から[E]と深く対応しているということに気づくはずです。例えば、[A]の『労働者と農民』という資料では、「女工」の話が出てきます。[B]の「無産政党と労農運動」では「半纏」が話題に出てきます。さらに[C]の『戦争と社会主義を考える』では、「社会問題の解決」という語句が見られます。このように、各資料が指定語句と対応しているということに気づければ、資料と先生・生徒の対話を丁寧に追っていくことで、設問の2つの要求、すなわち「労働者がどのようなことを具体的に求めていたのか」ということと、「社会主義運動がなぜ個別的な要求にとどまらずに、社会や世界の変革を目指したのか」という2つの問いに対する答えを書くことができるということが見て取れます。

 

もちろん、もともと持っている世界史の知識をベースにして、ある程度の内容を書くことも可能ではありますが、本設問では「資料の記述」、「先生と生徒の対話」を参考にしながら述べよということになっているので、自分の頭の中にある世界史の知識だけを組み合わせて解答を作成したとしても、設問が意図している内容に近づくとは限りません。(むしろ遠ざかってしまうかもしれません。)そこで、この問題では設問の意図をよく汲み、本文の内容に沿って要求に対する答えを用意するという答案の作り方が、最も高得点を狙える答案の作り方となります。

 

昨年の設問と比べるとやや誘導的な要素が強く、解答の自由度が低い設問ではありますが、丁寧に作りこまれた設問であると思います。

 

史資料については、以下の6つが用意されています。

 

・先生と生徒の会話

・資料[A] 中村政則『労働者と農民』

・資料[B] 伊藤晃「解説:無産政党と労働運動」

・資料[C] 久保亨『戦争と社会主義を考える』

・資料[D] 姫岡とし子『ローザ・ルクセンブルク-闘い抜いたドイツの革命家』

・資料[E] 横山宏章『孫文と陳独秀-現代中国への二つの道』

 

【2、各資料、先生と生徒の対話から重要箇所をチェックする】

:上記の通り、指定語句や設問要求を意識しながら各資料や先生と生徒の対話をチェックしていきます。

設問要求は

① 20世紀初頭の社会において、労働者はどのようなことを具体的に求めていたか

② 社会主義運動はなぜ、個別要求に留まらず、社会や世界の変革を目指したのか

を示すことですから、おそらく「最初に労働者の個別要求が出てくる」、「そしてそれが次第に社会や世界の変革を目指す動きに変わってくる」という流れで文章や資料が出てきているということは想像がつきます。これは、指定語句が「女工」・「半纏」という個別の事柄を予想させる語句から「社会問題の解決」、「帝国主義」、「西欧民主主義の限界」という大きな問題を感じさせる語句へと並んでいることからも分かります。また、問1~問5を解くためにはある程度本文に目を通さなければなりませんので、一から本文に目を通していない場合でも、文章の構成がある程度上に示したような流れで進んでいることは読み取れるはずです。(または、「そうしたことを読み取る力が必要である」と大学から求められていると思って良いかと思います。)

 

(① 資料[A]・[B]とその周辺:労働者の具体的な要求)

:資料[A]・[B]とその周辺の先生と生徒との会話では、1920年代の労働者たちが自分の体験に根差した具体的な要求をしていたこと、それらの具体的要求が人間としての尊厳と密接に関係していたことが示されます。

 

こうした労働者の求めに対して、「大正デモクラシー」時代のヒューマニズムは素早く応え、資本主義的諸矛盾を意識し、「社会問題」の解決に進出する姿勢を示したものの、一方でこうした「改造」を目指す諸思潮は、何かと観念的な理想主義や抽象論(つまり、頭の中でだけ考えられた理想論)へと傾き、そのため現実的な諸問題があちこちで見過ごされてしまっていたことなどが示されます。

 

・鮭や目刺しなど人間らしいものを食べさせてもらいたいと思います。([A]の女工)

・私たちは働くりっぱな労働者であって、ブタではない。([A]の女工)

・皆さん、もっと人間らしいものを食べたいと思いませんか? これが私の要求です。([A]の女工)

・「私たちは働く立派な労働者であって、ブタではない」、っていうところにあるように、人間としての尊厳を認めてほしいということでもあるのかなと。([A]を読んだ生徒の感想)

・当時彼らは制服として、〇〇区道路工夫、○○区清掃人夫と染め抜いた半纏を着ていたのである。印半纏は下層の、いわば前近代的労働者を象徴している。(資料[B])

・この労働組合は、労働者たちの人間としての尊厳の主張を、はじめて声にして発したのである。(資料[B])

・それは、「大正デモクラシー」時代のヒューマニズムが、労働者の無権利と非人間的待遇を放っておかなかったのだともいえる。けれども、資本主義的諸矛盾を意識し、「社会問題」の解決に進出したとはいえ、「改造」の主張がとかく観念的な理想主義に走り、社会の現実的な諸問題を各処で取り落としていたこともたしかである。(資料[B])

・半纏を強制するのをやめてほしいという要求が強かったのが意外です。([B]を読んだ生徒の感想)

・それを強制されることは彼らにとって差別にほかならなかったんだよね。(生徒に対する先生の応答)

・一方で気になるのは、「「改造」の主張がとかく観念的な理想主義に走り、社会の現実的な諸問題を各処で取り落していたことも確かである」という一文です。なぜこういう抽象的な運動になっていっちゃうんだろう…。([B]を読んだ生徒の感想)

・そこで重要になってくるのが社会主義なわけだよね。(生徒に対する先生の応答)

 

(② 資料[C]とその周辺:社会主義はなぜ世界の変革を目指したのかという疑問)

:資料[A]・[B]の分析を通して、生徒と先生は労働者の具体的な要求が次第に抽象的な運動へと変化していく中で、社会主義が重要な役割を果たすようになることをおさらいしてみようということになります。これを受けて、資料[C]が示され、その中で「社会問題の解決」を求める動きの中から、「社会を何よりも大切にしようという社会主義」の思想が誕生したことが語られ、19世紀に産業革命が進展する中で、社会変革を目指す民衆運動を伴いながら社会主義が誕生する流れが示されます。

 

ところが、これを受けて生徒は、労働者たちの要求が世界史における社会主義誕生の流れの中にあったことは分かったが、なぜ食事の改善や半纏の強制廃止といった個別問題の解決にとどまらず、社会変革まで進んでしまうのかということに疑問を呈します。これに対し、先生は社会主義者がその場しのぎの対症療法的政策ではなく、世界そのものを変えようと考えた理由を考察するために資料[D]を示します。

 

・格差社会を憂い、貧困など社会問題の解決を求める思想として生まれてきたのが、社会を何よりも大切にしようという社会主義の思想である。[C]

・産業革命が進展した19世紀に、社会の変革を目指す民衆運動を伴いながら生まれたのが社会主義思想である。[C]

・産業革命の後、社会が発展する中で、そのゆがみやしきずみが明らかになって、社会主義思想が登場するという流れは、歴史総合でも勉強しました…(資料[C]を受けての生徒)

・でも一方で、賃金を上げたり労働条件を改善したり、半纏の強制をやめたりすれば、それで済むんじゃないかという気もします。社会主義者みたいに、社会を変革しようというところまで行かなくてもいいんじゃないかと…。(資料[C]を受けての生徒)

・そう、そこが大きなポイントなんだよね。今までみたいに、恵まれない人を助けましょうというその場しのぎの政策ではうまくいかない。社会の仕組み、もっと言えば、世界そのものを変えなくてはいけないと社会主義者たちは考えた。なぜそう考えたのか。(生徒に対する先生の応答)

 

(③ 資料[D]とその周辺:社会主義が世界の変革を目指した理由)

:資料[D]では、ドイツの社会主義者ローザ=ルクセンブルクの活動が紹介されます。その中で、従来の社会主義者たちの反戦運動が、第1次世界大戦とともに自国を優先する考えにおされて崩壊したこと、そしてそれを目の当たりにしたローザ=ルクセンブルクが帝国主義の戦争は労働者にとって百害あって一利なしであり、これを避けるには「革命的介入」による帝国主義の打倒が必要だと考えたことが示されます。このあたりのことは、通常の世界史の授業でも第2インターナショナルの崩壊理由などで語られる部分ですので、受験生にもおなじみかと思います。

 

この説明を受けて、生徒は社会主義が社会や世界そのものを変えようとした理由について納得しますが、一方で先生は「人々が社会主義に期待を寄せた理由」には別の理由もあったとして、陳独秀についての資料[E]を紹介します。

 

・帝国主義時代の戦争では、いずれのグループが勝利しても労働者には悪がもたらされるだけであり、したがってプロレタリアートが統一して帝国主義と戦うという革命的介入によって平和が獲得されなければならず、そのためには階級闘争を継続的に発展させなければならないと主張した。(資料[D])

・「帝国主義時代の戦争では、いずれのグループが勝利しても労働者には悪がもたらされるだけ」という認識だったんですね。そのためには労働者が一つになって革命的介入をしなくてはいけないのだと。(資料[D]を読んだ生徒の感想)

・ただ人々が社会主義に期待をしたのはそれだけが理由じゃない。(生徒に対する先生の応答)

・陳独秀は西欧民主主義の素晴らしさを説いているんだけど、あるとき、西欧民主主義に失望して社会主義を唱えるようになる。そのきっかけが、歴史総合でも勉強したパリ講和会議だったんだ。

(生徒に対する先生の応答)

 

(④ 資料[E]とその周辺:人々が社会主義に期待を寄せた理由)

:資料[E]では、パリ講和会議で21カ条要求撤廃を求めた中国側の主張が一顧だにされず、山東主権が日本に奪われたままで終わったことに対する陳独秀の失望が示されます。その中で、陳独秀が西欧啓蒙思想や西欧民主主義には限界があることを痛感し、そのことが彼を社会主義へと向かわせたことが紹介されます。

 

これを受けて、先生は、議会制民主主義では富裕層や企業の意見が通りやすくなること、陳独秀が民主主義には議会制民主主義以外のあり方も存在し、五・四運動などの大衆運動をきっかけに大衆が直接政治に参加できる社会を社会主義で実現できると考えたことなどが示されます。

このあたりについても、陳独秀が当初は新文化運動(文学革命)を牽引した『新青年』を始めた人物であり、その後中国共産党の初代委員長であることなどは世界史の基本知識ですので、こうした知識が入っている人であれば、内容をくみ取ることはそれほど難しくはありません。

 

・陳独秀は、そこに帝国主義的野望を克服できない欧米国家の醜態を見いだした。それは換言すれば、西欧啓蒙主義思想、西欧民主主義の限界であると決断することとなったのである。(資料[E])

・パリ講和会議の結果に失望した陳独秀は、西欧啓蒙思想の道を離れ、それに代わって新たに社会主義への道を踏み出した。(資料[E])

・議会制民主主義では、その国が富裕層に有利な政策だったり、裕福な個人や企業の意見は強い力を持ちやすいんだよね。(資料[E]を受けての先生のまとめ)

・五・四運動みたいな大規模な大衆運動の経験をきっかけに、陳独秀は大衆が直接政治に関与できる社会を社会主義を通して実現できるんじゃないかと考えたんだ。(資料[E]を受けての先生のまとめ)

 

【3、読み取ったチェック内容から、設問に答えるために必要な要素を整理する】

:最後に、読み取った内容をもとに、設問要求に沿った解答を作成するために必要な要素を整理します。だいたいですが、以下のような内容となるかと思います。

 

・設問要求1(労働者の具体的要求は何か)

○ 女工による食事などの待遇改善要求

○ 土木・清掃部門の労働者による半纏の強制廃止要求

○ 根本にある人間としての尊厳要求

 

・設問要求2(なぜ社会主義は社会変革を目指したか)

○ 個別要求の解決では社会問題は解決しない

○ 帝国主義が戦争と搾取を生み出す構造への批判

○ 西欧民主主義の限界への失望

 

【歴史総合300字論述:解答例】

女工が人間らしい食事を求め、土木・清掃労働者が下層労働者の象徴である半纏着用の強制を拒否し浴場の設置を要求するなど、20世紀初頭の労働者たちは人間としての尊厳を回復するための具体的な要求を掲げた。民衆運動と並行して拡大した社会主義思想は、貧富の差など根本的な社会問題の解決を模索した。第一次世界大戦を機にローザ=ルクセンブルクが帝国主義の戦争が労働者に害しかもたらさないことを見抜き、パリ講和会議を通して陳独秀が西欧民主主義の限界を悟るなど、既存の社会構造や議会政治では民衆の要求を十分に実現できないとの認識が一部の社会主義者に広がると、社会主義運動は革命的介入による社会や世界の根本的変革を目指した。(300字)

 

【世界史探究、問11:500字論述解説】

(設問概要)

・「石に刻まれた歴史」について古代から現代の順に論ぜよ。

・その際、導入資料を踏まえ、資料(A)から(F)を具体例として用いよ。

・設問の文章や短答の回答を参考にせよ。 [「短答の回答」は原文ママ]

・世界史で学んだ知識を使って文章を組み立てよ。

・指定語句を必ず使用し、それらを主題として論ぜよ。(初出時には下線を引くこと。)

 高貴な血統 / 芸術作品 / 近代科学 / 進化論 / ナポレオン / 総力戦

 

:こちらの設問は「石に刻まれた歴史」をテーマに論ぜよというもので、当然ですがこうしたテーマでの見方は通常の高校世界史学習で意識することはありません。歴史総合の論述と同様に、示された本文や資料を読解し、その内容に沿って設問要求に合わせて再構成することになります。社会主義運動についての歴史総合の論述が本文の内容や指定語句から話の流れがほぼ確定する、やや誘導的な設問だったのに対し、こちらの世界史探究の論述はもう少し自由度の高い設問であるように思われます。いずれにしても、2025年の東京外大の問題と同じく、世界史知識だけでは十分な解答を作ることができず、本文・史資料の内容をしっかり踏まえることができているかが重要な要素となります。かなりの国語力が要求される設問です。語学の専門大学ですから、「母語くらいは扱えるのが前提」ということでしょうか。

 

【1、設問の意図をくみ取る】

:こちらの設問でも、まずは設問の意図を正しく理解することが最重要となります。ただし、歴史総合の論述とは異なり、こちらの設問では本文中の資料と指定語句にはっきりとしたつながりと順番は見出せませんし、本文を読んでも内容的にやや入り組んでいます。何より、歴史総合では「先生と生徒」が各資料の意味付けを確認しながら話が進んでいたのに対し、こちらの資料は各資料が並べられているだけで、その内容も理論的内容というよりは個々の事例を示したものに過ぎないため、これらを眺めているだけでは設問が求めているストーリーが判然としません。そのため、「Aで、Bだから、Cです。」という一本筋の通った論として構築するには、丁寧な読解と少しの工夫が必要となります。

 

そこで重要になるのが「導入資料」になります。設問でもはっきりと「導入資料を踏まえ」と指示されていますので、まずはここをしっかり読んで、核となると思われる部分を確認することが大切でしょう。

 

「導入資料」の内容を簡単にまとめると、以下のようになります。

 

① 地層の中に封じ込められた(刻まれた)地球の過去(歴史)は遠い未来に向けて痕跡を残す

② 人の歴史においても、石や金属は政治的権力・経済的価値・文化的記憶を託すものとして姿を現す

③ 考古資料(石に刻まれた記憶)は、近代以降の学問的分析を通して、西洋中心の歴史観を相対化し、世界史的視野を広げる役割を果たした。

④ 考古資料研究は、学問的探求としての役割の他にも古代文明の継承者としての文化的権威を示す役割もあわせもち、帝国主義と科学を結び付けた。

⑤ 近代においても、石に歴史を記憶させる営為は、国民の記憶の刻印と共同体意識の涵養のために実践された。

⑥ 現代においては、記念碑をめぐる議論の中で従来の歴史観が問い直されており、こうした現代の歴史観もまた未来へと伝えられていく。

⑦ 石に刻まれた歴史は「記録」と「記憶」の双方に深く関わっている。

⑧ 碑文研究と記念碑という「石に刻まれた歴史」は過去の記録と未来への継承を進める人類の営為として深く結びついている。

 

こうして導入資料をまとめると、重要なポイントがいくつか見出せます。

 

A、石は「記録」を刻むとともに、人々がそれを読み解き、未来へ継承していく「記憶」の媒体でもある

:自然にできた地層であれ、人々が人為的に刻んだ石碑や記念碑であれ、石は「記録」→「読解」→「記憶」という一連の流れによって過去を未来へと継承していく役割を担っているということです。

 

B、導入資料では、「石に刻まれた歴史」として碑文研究と記念碑が主なものとして意識されている

:導入資料の大部分が近代以降の碑文研究と記念碑に割かれており、まとめ部分でもこの両者をベースに「記録」と「記憶」が語られていますので、導入資料が強く意識しているものは地層に封じ込められ自然に残された痕跡よりも、人の力によって刻まれた石の歴史の方にやや重点が置かれていると考えられます。

 

以上のことを踏まえると、解答を作成する際には、(自然に残されたものを省くのはまずいですが)碑文研究と記念碑の例を軸に、「石に刻まれた歴史は、自然史・人類史の記録であると同時に、人々がそれを読み解き、意味づけ、未来へ継承していく記憶の媒体でもある。」という流れで各具体例を配置するとおさまりが良いという基本方針が定まります。この本文の主旨をとらえた基本方針を定めることが極めて重要です。極端な話、この基本方針がしっかりとしたものでありさえすれば、設問要求から大きく外れた解答になることはありません。もちろん、指定語句の適切な配置は必要となりますが、それでもある程度の得点は確保できることが予想できます。論述問題では、満点を目指す必要はありません。特に、こうした自由度の高い論述では、受験生の多くは設問要求から的外れな解答を書きがちです。そうした中では、「設問要求にしっかり沿っている」ということだけでも大きなアドバンテージになります。

 

全体の流れとしては、以下のような形でまとめることを想定します。

 

(1、冒頭でテーマ[設問要求に対する直接の答え]を提示)

○ 「石=記録と記憶の媒体」(導入資料の結論を最初に示す。)

(2、自然が石に刻んだ歴史と人の営為が石に刻んだ歴史)

○ 地層・始祖鳥(自然)

○ 墓廟・碑文(人為)

(3、碑文研究)

○ 墓廟・碑文(ユリウス2世の墓廟、ベヒストゥーン碑文)

○ ロゼッタ=ストーン

(4、帝国主義と石の歴史)

 ○ 広開土王碑の解釈

 ○ 記念碑と「国民の記憶」(凱旋門、無名兵士の墓)

(5、現代)

○ 記念碑論争

○ 従来の歴史観の更新

○ 未来への継承

 

【2、各資料・指定語句の分析と扱いを検討する】

:基本の流れが定まってきたら、資料や指定語句をどのように配置し、用いるかについて検証します。指定語句を再度確認すると、以下のようになります。

 

高貴な血統 / 芸術作品 / 近代科学 / 進化論 / ナポレオン / 総力戦

 

これだけでは、どう用いたら良いのか判然としませんので、本文や資料と結び付けていきます。また、指定語句については各小問の文章や答えもかなりヒントにはなります。ただ、時間が限られていることを考えると、各小問の文章を逐一確認することは現実的とは言えないと思います。ですから、やはり論述の設問と本文・資料を中心に考え、各小問の文章はあくまで参考程度に考えておいた方が良いと思います。本設問の資料を簡単にまとめると、以下のようになります。

 

資料(A) 教皇ユリウス2世によるミケランジェロへの自身の墓廟作成依頼

:こちらについては、導入部分にも示唆されている政治的権力(宗教的権威)の記録で用いるのが一番しっくりきそうです。また、ミケランジェロという芸術家の作品をのこすという意味での文化的記憶の側面もあるかもしれません。実際、小問の問1には、「こうした教皇の庇護と促しにより、作品は価値ある芸術であり、その制作者は芸術家であるという認識が広まっていった。」という文章があります。こうした意味で、指定語句の「芸術作品」などはこれと合わせると使いやすいかもしれません。

 

資料(B) 始祖鳥の化石を通しての進化論についての議論

:こちらについては、自然が石に刻んだ過去の記録としての側面や、近代科学の発展、またはそれまでの聖書的な世界観の相対化などを思い浮かべることができます。聖書的世界観の相対化などは本文中には一切書かれていませんが、地理上の発見や進化論といった近代科学の発展が、それまでのヨーロッパにおける聖書的世界観を変化させていくという話は、高校世界史の範囲でも耳にすることがあると思います。本設問では、「世界史で学んだ知識を使って文章を組み立てよ」と指示があるので、そうした視点を盛り込んでも差し支えありません。また、小問の問2には「化石標本は現世種との比較を通じて、科学的主張の根拠となった」とありますので、指定語句の「近代科学」や「進化論」などはこちらで使いやすいように思います。

 

資料(C) ダレイオス1世のベヒストゥーン碑文

:本資料には「碑文では自身の高貴な血統が正当なものであること、および帝国の統治権が光明神である善神アフラ=マズダから授与されている点を明示している」という記述がありますので、こちらについても、資料(A)と同様に、政治的権力(宗教的権威)の記録の文脈で用いて良いと思います。また、指定語句の「高貴な血統」はここで使えます。

 

資料(D) 広開土王(好太王)碑文についての諸解釈

:こちらの資料は扱いに少し注意が必要になります。内容は、広開土王碑文の解釈が戦前の日本と、朝鮮の学者間で解釈が異なるというものです。

 

日本側の学者の解釈

:倭が百済と新羅を臣従させていたと解釈し、朝鮮半島侵略の根拠として利用しようとした。

 

朝鮮(韓国・北朝鮮)側の学者の解釈

:倭が朝鮮半島において有利な状況にあったとは認めず、むしろ碑文中の「海を渡った」主体を高句麗だとして、日本列島が朝鮮側勢力によって支配された見解などを示した。

 

こちらの資料からは、①確固たる証拠のように見える碑文も解釈の違いによって全く異なる見解が示されうる、②碑文の解釈から読み取られた過去の記録が帝国主義支配の正当化に利用されうる、という2点が読み取れますが、これらの内容は実は先に読み取った「導入資料」の中には明示されていません。そのため、これをどう解答の中に盛り込んでいくかが重要となります。

 

資料(E) ロゼッタ=ストーンを通してのヒエログリフ解読過程

:こちらの資料では、ロゼッタストーンを通してのヒエログリフ解読過程が示されているのですが、実は内容が非常に読み取りにくく、正直なところ、意味を正確に解読できた受験生はほとんどいなかったのではないかと思われます。

 

本資料では、まず解読の初期において、ギリシア語の「アレクサンドロス」と「アレクサンドリア」に対応する部分を調べると、ヒエログリフによっても似たような文字列が存在することが確認できたことが示されます。そのため、初期の解読者たちは「ヒエログリフはアルファベットと同じく表音文字なのだ」という前提での解読を進めようとしましたが、なぜか碑文全体を矛盾なく解読できる文字列(アルファベット)を構築できず、解読できません。

 

そこで、発想を変えて、ヒエログリフの中に中国語(漢字)のような表意要素が含まれているのではないかと考えます。漢字のような文字では、たとえば「生」のような文字があるとき、これだけでは意味や音を十分に特定することができません。「生を全うする」という文脈では「生」は「生涯・一生」の意味になり、音も「せい」になります。一方で「生まれる」という文脈では「生」は「誕生」の意味になり、音も「う」に変わります。さらに言えば、「生田さん」であればこれは人名の一部であり「いく」という音で読まれます。このように、漢字のような文字では表記上は「生」という同じ文字であっても、その周囲にある要素によって、表す意味や音が変化します。これは、アルファベットのように、一文字がだいたいの音を表す文字体系とは異なる特徴です。こういったことを、本資料中の文章では「それは中国語を話す際、文字を限られた数の音に翻訳するようなものであり、意味を確定するため、また類似した音による他の概念と区別するために、総称となる語を付け加える必要があるのと同じである。」などの部分で示しているのですが、この解読は非常に難しいと思います。シャンポリオンは、それまでの固定観念を排して、ヒエログリフには表意要素も含まれていることに気付いたため、解読にこぎつけることができました。

 

いずれにせよ、本資料が示したいことは単純に「ロゼッタ=ストーンがヒエログリフ解読に役立った」ということではなく、「碑文がそれ自体で歴史を語ることはなく、人間が適切な方法で読み解いて初めて歴史を語る史料となる。」ということです。そういった意味で、解釈の仕方によって読み取り方が大きく変わることを示した資料(D)と関連していると考えることもできるでしょう。

 

ただし、最終的な解答作成の際にはそこまで深く読み取る必要は必ずしもありません。(時間的な制約もありますし。) 指定語句にある「ナポレオン」などと結び付けて、解答に盛り込むだけでも、大きな不利にはつながらないと思います。

 

資料(F) イギリスのホワイトホールにあるセノタフ

:こちらの資料ではイギリスのホワイトホールにある「セノタフ」について示されています。セノタフとは、遺体を納めずに死者を追悼する「空の墓」形式の記念碑です。ホワイトホールのセノタフは、第一次世界大戦をはじめとするイギリスおよび帝国の戦没者を象徴的に追悼する施設となりました。

Cenotaph_Unveiling,_1920

「セノタフ」の除幕式(1920年、Public Domain, Wikipedia)
 

「セノタフ」は高校世界史ではまず言及されませんが、「無名戦士の墓」については第一次世界大戦や総力戦、ナショナリズムなどの文脈でコラムや写真などが示されることがあるので、聞いたことのある受験生もいると思います。「無名戦士の墓」とは、第一次世界大戦のように多くの人々が身元不明のまま戦死した際に、その死を悼むために建てられる慰霊碑・記念碑のことです。

 

「無名戦士の墓」についての研究については、私自身は大学院時代に少し聞きかじった程度であまり詳しくないのですが、戦争史・記憶についての研究・ナショナリズム研究・記念碑研究などで紹介される大きなテーマの一つとなっています。そういう意味では、今回の「石に刻まれた歴史」の「記録」と「記憶」という設問とも、非常に親和性が高いテーマであると思います。以前から記憶についての研究によって発展していたようですが、私自身がこの「無名戦士の墓」研究を耳にするようになったなぁと感じ始めたのは2010年前後あたりだったような気がします。また、その文脈も「パブリック=メモリー(公共的記憶)」の中で語られることが多かった印象があります。

 

「無名戦士の墓」が持つ意義としては、

① 個人を越えた「全ての戦没者」を追悼する(匿名性)

② 国家と国民を結びつける役割(名も知られぬ、○○の国の犠牲者たち)

③ 社会全体の記憶を維持する装置

④ 個人の悲しみを共有する場所

などが挙げられます。

 

いずれにしても、「セノタフ」や「無名戦士の墓」などの記念碑には、本来は別々の「個人の死」というできごとを「国全体の犠牲」と位置付けることによって「パブリック=メモリー」として長く維持するとともに、これを通して国家意識・国民意識を刺激する役割も果たすという面があります。また、近年ではこうした研究を通して、新たに「国家による利用の側面」、「無名兵士の対象(その兵士は白人か、黒人か、男性か、女性か、本国人か、植民地人かなど)」、「忘れ去られたものは何か(記録し、記憶されたものが残される反面、記録されなかったものは忘却されるが、その選択は何によって行われたか)」など、様々な視点が提示されている研究かと思います。ここ最近、「国民国家」や「ナショナリズム」など、共同体ないし共同体意識をテーマとする論述問題はあちこちの大学で出題されていますので、そうした設問に慣れた受験生であれば、内容についてはいくらか読み取りやすかったかもしれません。

 

少し脱線しましたが、仮に上記のような「無名戦士の墓」研究を知らなかったとしても、本資料中には「セノタフ」が「帝国全体の第一次世界大戦の戦没者追悼記念碑として建立された」ことは示されていますし、出典にも「戦争記念碑と無名戦士の墓から見た集合的記憶形成の諸問題」とあります。また、本設問最初の「資料導入」の最後の部分に「記念碑は、国民国家の歴史を聖別化すると同時に、過去の記憶を多様な視点から問い直す対話の場としての役割を果たしている」という部分がありますから、解答の中に位置づけることはそこまで困難ではありません。指定語句の「総力戦」などはここで使うとおさまりが良いでしょう。

 

【3、全体構成と指定語句・資料をまとめていく】

:では、1で示した全体構成に、2で読み取った資料や指定語句をあわせて、使いどころを考えるとともに、全体構成の一部を調整していきます。

 

① 石に刻まれた歴史=記録と記憶の媒体であることを示す

 

② 自然が石に刻んだ歴史の例 ‐ 資料(B)、「始祖鳥」、「近代科学」

:進化論という新しい近代科学の発展による解釈で、自然に作られた始祖鳥の化石に意味が見いだされる。

 

③ 人の営為が石に刻んだ歴史の例 – 資料(A)、「芸術作品」、資料(C)、「高貴な血統」

:ユリウス2世の墓廟やダレイオス1世のベヒストゥーン碑文のように、宗教的権威・政治的権力やそれらの正当性を示すために作られ、後世に伝えられた。また、それらの中にはミケランジェロの彫刻作品のように、当時の美術・文化を伝える芸術作品をのこすと言う役割もあった。

 

④ 碑文研究と解釈 ‐ 資料(D)・(E)、「ナポレオン」

:碑文は過去の歴史を伝えるが、碑文がそれ自体で歴史を語ることはなく、人間が適切な方法で読み解いて初めて歴史を語る史料となる。また、その解釈の仕方によって読み取れる歴史像は異なる。

 

⑤ 近代国家と石の歴史 – 資料(D)、(F)、「総力戦」

:近代国家では、自ら建立する石碑や石造を通して、国民の記憶を刻印し、共同体意識を涵養した。(例、ナポレオンのエトワール凱旋門、総力戦を通して多くが戦死した「セノタフ」など。)また、帝国主義と科学は結びつき、碑文研究は学問的探求であると同時に国の威信を示したり、帝国主義的拡大の正当化に用いられることもあった。(広開土王碑の解釈など。)

 

⑥ 記憶の継承と再検討

:古代の記念碑に多くの解釈が生じたことと同様に、現代においても、かつての近代国家が建てた記念碑の多くが、その意味を問い直されている。これにより、従来の歴史観は更新されていくが、それも含めて石に刻まれた過去の記録は未来へと継承されていく。

 

流れとしてはこんな感じで良いのではないでしょうか。

 

【世界史探究500字論述:解答例】

石に刻まれた歴史とは、自然や人間社会の過去を記録するものであり、それを人々が読み解き未来へ継承する記憶の媒体である。自然が残した地層中の始祖鳥化石は、過去の生物の姿を伝え、近代科学により解釈されて進化論を支えた。人の営みは、ダレイオス1世の高貴な血統と王権の正当性を誇るベヒストゥーン碑文や、宗教的権威を示すユリウス2世墓廟のように、支配者の権威を石に刻み残し、その過程でミケランジェロの芸術作品のような文化的記憶も継承した。一方で、碑文はそれ自体では歴史を語らず、ロゼッタ=ストーンのヒエログリフのように解読が必要で、また広開土王碑の解釈の違いに見られるように、立場により異なる歴史像が導かれることもあった。近代国家は、碑文研究を帝国主義政策の正当化にも利用した。また、ナポレオンの凱旋門や、総力戦となった第一次世界大戦後のセノタフのように、共同体の記憶の刻印や国民意識の涵養に用いられる記念碑もあった。現代では、これらの記念碑の意味は問い直され、従来の歴史観は更新されようとしている。石に刻まれた歴史は、絶えず各時代の人々に問い直されてその意味を変え、未来へと受け継がれていくものであると言える。(500字)

 

解答例としては上記になります。解答例については東京外国語大学が公開している解答例もHPに掲載されています。こちらの設問については最初にお話した通り解答の構成の自由度は比較的高いので、設問の要求にきちんと答え、その他の指示に従ってさえいれば、様々な書き方があり得ると思います。

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【全体概観】

今回は、2025年の東京外国語大学の問題解説を進めたいと思います。外大の問題をご紹介するのはずいぶん久しぶりです。本業が忙しくて、ホンマにすみませんw

さて、以前ご紹介した東京外国語大学の出題傾向でもお話しした通り、東京外国語大学では2025年の問題から歴史総合+世界史探究の形に問題形式を変更しており、そのため歴史総合で60点、世界史探究で90点の計150点に配点が変更されています。これについては出題傾向の記事をご覧いただくことにして、こちらの記事では各大問の特徴・内容・解答の作り方などについて解説していきたいと思います。

歴史総合(大問1に相当)は、朝鮮戦争前後の朝鮮半島情勢をめぐる史料やリード文などを参考に、アジア地域における民族運動と冷戦秩序構築の関係を考えさせるものでした。設問は一問一答式の小問が4×5点、文章内容から空欄に30字以内の文章を作る問題が1×10点、300字論述が1×30点の計60点です。

一問一答問題は率直に言って基本問題レベルです。これまでもそうでしたが、東京外国語大学では一問一答問題のレベルはそれほど難しくないので、このレベルの問題で取りこぼしているようでは世界史で合格点を取ることはおぼつきません。文章の空欄補充問題も国語ができれば問題ありません。(外国債とは何か程度の知識は理解しておく必要がありますが。

一方で、300字論述はかなり手ごたえのある内容になっています。ただ、こちらの問題も世界史の知識をフル動員して解く問題かといえばそうではなく、多くのヒントはリード文や各種の史資料に示されていて、それらを読み解く方が重視されるタイプの論述と思って良いと思います。ですから、細かい世界史の知識は不要ですが、それでも史資料を読み解くにあたり世界史の知識がある方が分かりやすい&深く読み解くことができるのは確かですから、東京外国語大学で出される一問一答問題は基本解けるレベルの力はつけておくべきでしょう。目安としては大学入学共通テストで9割以上取れれば、東京外国語大学の歴史総合+世界史探究を武器にすることができ、低くても8割程度の点数を取れる力がないと、2次試験に十分に対処するのは難しくなるかなと思われます。

続いて世界史探究(大問2に相当)ですが、こちらは移民についてのリード文ならびに各種史料をテーマにした設問です。移民や国境といったテーマについては東京外国語大学では直接的・間接的に何度も出題されているテーマなので、それほど目新しいものではありません。設問は一問一答式の小問が10×5点、400字論述が1×40点の計90点です。これまでの東京外国語大学と違い、大論述の配点が非常に大きくなっています。大問1と合わせると計70点となりますので、今後東京外国語大学対策では論述対策が必須となってくると思います。また、論述の内容も世界史の知識に合わせて、史資料を活用する必要のあるかなり難度の高いものとなっています。さらに、この年の大問2の一問一答問題には、一部かなり難しい問題が含まれていました。こうした設問で取りこぼした人もいたかと思いますが、東京外国語大学の一問一答はほとんどが選択式でなく記述式なので、難しい問題については他の受験生も解けない可能性が高いため、それほど差がつくとは思えません。ですから、「細かい知識まで難関私大並みに徹底して覚えないと」と焦る必要は基本的にはないでしょう。

 

 

【小問概要と解説】

(歴史総合-1)

概要:文章中の空欄①に入る人名を答えよ。

解答:李鴻章

:人物名のヒントとして文章中に「①は日清戦争の講和条約である下関条約の清側代表としてよく知られている」とありますので、超頻出の基本問題です。

 

(歴史総合-2)

概要:アジアから日本への留学生研究をするとした場合に最も優先度が低いものを選べ。

解答:e(内国勧業博覧会)

:選択肢概要と選ぶ根拠は以下の通り

 

⒜ 魯迅の経歴:日本に医学の勉強のために留学しています。『藤野先生』は有名。

⒝ 東京の私立大学の文献:日本への留学ですから、当然重要です。

⒞ ドンズー運動の文献:ドンズー運動はベトナムから日本に留学生を派遣する運動です。

⒟ 朝鮮開化派の文献:開化派からは多くの日本人留学生が来ています。

⒠ 内国勧業博覧会の文献:国内の産業発展促進のためのもので、留学生との関連は薄い。

⒡ 中国同盟会の文献:結成は東京ですし、多くの留学生が参加しています。

 

(歴史総合-3)

概要:下線部③(1884年に日本の援助を得た金玉均らが朝鮮でクーデターを試み、それに清軍が介入して鎮圧する事件)の事件名を答えよ。

解答:甲申政変

:朝鮮近代史は東京外国語大学では頻出ですし、基本事項です。

 

(歴史総合-4)

概要:下線部④(赤十字条約)について、この条約のもととなる考えを提唱してノーベル平和賞を受賞した人物を答えよ。

解答:デュナン

:ノーベル平和賞云々まで知っている必要はありません。赤十字のもとを作ったという情報でデュナンと答えてしまってよいと思います。基本問題です。

 

(歴史総合-5)[文章の論旨読み取り問題]

概要:空欄☆に入るのにふさわしい説明を30字以内で考えて答えよ。

解答例:導入は、日本の政治に外国が介入する危険を招くと考えた(26字)

 

:☆の前には、日本が外資の導入に極めて消極的であった理由として、不平等条約などによる不利な条件が課せられていたために事実上その導入が不可能であったことを示したうえで、「しかし同時に、明治政府が外国債の  ☆  からでもあるのです。」とあるので、☆の中身には「明治政府が外国債の導入に消極的だったもう一つの理由」が入ることになります。これについては、☆のすぐ後ろに南北戦争の北軍の将軍としても知られているアメリカ大統領グラントから日本政府への忠告が史料として示されています。その概要は以下の通り。

 

・忠告の内容:外国債への非依存

・国によっては弱い国に金を貸すことでその国を篭絡する国がある

・弱い国に金を貸す国の目的は、弱国の政権を掌握することである

・東洋で外国の干渉を逃れているのは日清両国のみだが、この両国の戦争は、両国の政治に干渉しようとする国々を喜ばせるだけである

 

こうした内容が示された上での問題ですから、世界史の知識がなくても資料読解で十分に解答できます。どちらかというと国語の問題です。

 

(世界史探究―1)

概要:バーブルが滅ぼした王朝とバーブルが創始した王朝との組み合わせ

解答例:⒟ ロディー朝 / ムガル朝

:基本問題です。デリー=スルタン朝については、個別で出てくるとすればアイバクが建国した最初の「奴隷王朝」くらいで、それ以外の王朝が個別に問われることはめったにありません(皆無ではありませんが…)。 ですから、デリー=スルタン朝については最初の奴隷王朝をしっかりおさえた上で、残りの王朝の順番(ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝)だけ覚えておけばよいでしょう。この順番は共通テストレベルでもよく出ます。覚えにくいという人は頭文字だけ覚えておくといいですよ。「ハトサロ」とか。

 

(世界史探究―2)

概要:ティムール朝の首都で、ティムールが再建した都市の名称

解答例:サマルカンド

:基本問題です。ティムール朝では他にもヘラートなどの町が中心地になったことはありますが、ティムールが再建したという情報があればサマルカンドで問題ありません。

 

(世界史探究―3)

概要:プロテスタント勢力の拡大をうけ、カトリック教会の全般的改革をめざして1545年に始まった公会議が開催された都市はどこか

解答例:トリエント

:「カトリック教会の全般的改革」が対抗宗教改革(カトリック改革)のことであると分かれば難しい問題ではありません。対抗宗教改革では①トリエント公会議(1545~1563)と②イエズス会の創設の2点がおさえておくべき事柄です。

 

(世界史探究―4)[やや難]

概要:クレタ島出身のギリシア人画家で、ヴェネツィアで活動後、フェリペ2世統治下のスペイン・トレドに移住し多くの宗教画を制作した人物は誰か

解答例:エル=グレコ

:こちらの問題はやや難しい。エル=グレコはルネサンス後期からバロック期の画家で、高校世界史ではスペインのバロック画家として紹介されます。ところが、そもそもバロック期のスペイン画家自体が高校世界史ではやや扱いがマイナーになりがちで、またスペインの画家というと圧倒的にベラスケスの方が出題頻度が高いため、このベラスケスや少年の絵で有名なムリリョに目がいきがちです。ただ、宗教画という点が強調されていることや、過去にはあちこちの大学で類似の問題は出ているので、そうしたものを目にしていた受験生であれば解けたかとは思います。エル=グレコ関係でよく出てくるヒントは「ギリシア出身」というところで、彼の名前は「ギリシア人」を意味するグレコに、スペイン語の男性定冠詞エルがついた通称であるということを一度知っておけば間違えることはないと思います。

エル・グレコ
エル=グレコ『聖母被昇天』
(シカゴ美術館蔵、Public Domain, Wikipedia)


(世界史探究―5)

概要:インド系の年季契約労働者や大陸横断鉄道建設で酷使された中国系の移民労働者に対する呼称は何か

解答例:クーリー(苦力)

:基本問題です。

 

(世界史探究―6)

概要:南アフリカにおけるインド系移民差別の撤廃運動を行い、インド帰国後に独立運動を指導した人物は誰か

解答例:ガンディー

:基本問題です。ガンディーがもともと南アフリカで弁護士として活動し、その後インド系移民の差別に対する運動を展開したことはわりとよく知られていることなのでおさえておきましょう。

 

(世界史探究―7)

概要:南米の独立運動に参加した後、両シチリア王国を占領した人物は誰か。

解答例:ガリバルディ

:19世紀に両シチリア王国を占領した人物とあるので、これをヒントにガリバルディで良いと思います。基本問題です。高校世界史では両シチリア占領と赤シャツ隊でしか出てこないガリバルディですが、こちらの問題にもあるように南米各所での独立闘争や、ヨーロッパ各地の自由を奉ずる運動闘争のために駆け回った人でもありました。

 

(世界史探究―8)

概要:「ツー」、「トン」という2つの記号の組み合わせで情報を伝達する通信方式を答えよ。

解答例:モールス信号

:基本問題ですが、「通信方式を答えよ」とありますので、モールスではなくモールス信号と答えなくてはいけない点には注意しましょう。電信については、19世紀前半に有線電信を発明したモールスと、19世紀末に無線電信を発明したマルコーニの区別をつけておく必要があります。

 

(世界史探究―9)[難]

概要:米西戦争で最初の戦場となり、アメリカに割譲されたスペイン植民地はどこか。

解答例:フィリピン

:米西戦争後のパリ条約(1898年)でスペインからアメリカ領となったのは、グアム、フィリピン、プエルトリコで、これについては基本事項なのですが、これらのうちから米西戦争の最初の戦場となったというヒントで特定しなくてはならないのは少々厳しい問題です。この問題については、上記グアム、フィリピン、プエルトリコのうちどれかを書いたのであれば、仮に間違っていたとしても引きずらない方がよいでしょう。

 

(世界史探究―10)

概要:1914年に完成した太平洋と大西洋を結ぶ運河は何か。

解答例:パナマ運河

:基本事項です。

 

【歴史総合、問6:300字論述解説】

(設問概要)

・日本の「近代化」とはどのような特徴を持っているといえるか、述べよ。

・資料[A]~[E]の記述を踏まえよ。

・日本が「文明化」の道を進む上で日清戦争が持った意味を踏まえよ。

・先生と生徒の会話も参考にせよ。

・300字以内で述べよ。

・指定語句(使用した箇所すべてに下線を引くこと)

 条約改正 / 外国債 / 国際法 / 東洋連衡 / 文明諸国 / 東学農民軍

 

まず、本設問の要求は日本の「近代化」の特徴を述べよというかなり漠然とした内容指定になっています。いわゆる固定化された正解のある問いとは違い、見方によって様々な解答を示すことが可能な問いです。ですが、本設問では同時に、「資料[A]~[E]の記述」や「日本の文明化と日清戦争の関係」、「先生と生徒の会話」などを踏まえて参考にしなさいという指示が出されていますので、これらの主旨から外れた解答は加点の対象とはならないと考えるべきでしょう。

ですから、本設問でまず取りかかるべきは、これらの史資料が日本の「近代化」についてどのように述べているかを適切に把握することです。その上で、これらの史資料に書かれた情報のうち、何をどのように利用すれば日本の「近代化」の特徴を語ることができるかを考えて、整理することが必要となります。つまり、文章の読解と情報の整理を要求される極めて「国語的」な問題と考えてよいでしょう。ただし、書かれている内容はかなり専門的な内容になりますので、世界史についての知識が読み取りの際には役に立つことになります。全体の印象としては、非常に丁寧に作られた問題という印象があります。東京外語大の先生方が、入試問題の作成に非常に熱意を傾けて作成されたことが伝わってくる気がします。

 

史資料については、以下の6つが用意されています。

 

・先生と生徒の会話

・資料[A] 三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』

・資料[B] 小野寺史郎『戦後日本の中国観』

・資料[C] 大谷正『日清戦争』

・資料[D] 檜山幸夫「日清戦争と日本」

・資料[E] 中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』

 

本設問では、各資料の前後に、その資料が何について述べているものかや、先生と生徒の感想や評価などが書かれているので、資料単体で読み取りを行うだけでなく、彼らの会話からある程度資料の内容や意味を推し量ることができます。

 

(解答手順1、史資料の読み取り)

① 導入-先生と生徒の会話

:先生と生徒の会話では、東アジアの近代化について様々な視点で話が交わされます。特に、日本の「近代化」について、生徒が文明開化や欧化政策など西洋文明を積極的に取り入れていた点を指摘したのに対し、先生はそれを肯定しつつも、一方で日本が欧米の助けをなるべく借りずに進めようとしていた「近代化」があることを指摘し、資料[A]を提示します。

 

② 資料[A] 三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』

:本資料では、明治新政府にとって財政的基礎を確立することが重要であった一方、その基礎は租税に求められ、外資導入に極めて消極的であったことが語られます。その上で、外資導入に消極的であった要因として

 

・不平等条約による条件上の制約

 ・外資導入による諸外国からの政治的干渉のおそれ

 

の2点があったことを示し、その根拠として米大統領グラントの忠告が示されます。

 

また、その後の先生・生徒の会話では、グラントの忠告にもかかわらず日清両国が戦争に突入したことと、日清戦争後の日本は財政政策を転換させて外国債導入に積極的になったこと、これを資料の著者である三谷が「自立的資本主義から国際的資本主義への転換」と表現していることなどが示されます。

「歴史総合」では日露戦争において日本の高橋是清が英米からの外債調達のために奔走したことなどが示されますので、こうしたことを覚えている人にとっては読みやすい内容だったかと思います。

 

③ 資料[B] 小野寺史郎『戦後日本の中国観』

:本資料は、先生と生徒の会話の中で、欧米の助けを借りない自立した「近代化」と日清戦争をつなぐものが「文明化」であったとして示される資料です。資料内では東洋連衡論と脱亜論の二つが示されたのち、脱亜論に代表される考え方が、日清戦争の勝利後に日本において一般化したことが指摘されます。

 

▶草間時福「東洋連衡論」(1879年)

 ・日本がアジアで最も開化が進んでいる

 ・東洋連衡は諸国に率先して日本が担うべき

 ・東洋が団結して西洋に対決すべき

▶福沢諭吉「脱亜論」(1885年、『時事新報』)…甲申政変の失敗をうけて

 ・日本国民の精神はアジアの頑迷を脱して西洋の文明に移っている

 ・隣国(中国・朝鮮)は古い習慣にしがみついている

 ・日本に隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はない

 ・日本は西洋の文明国と同様に振る舞い、隣国に対しても西洋と同様の形で処置すべき

 

▶陸奥宗光『蹇蹇録』(1929公刊)…日清戦争直後に書かれたもの

 ・日本は明治維新以降長年にわたり西洋文明を採用する努力をしてきた

 ・清は旧態依然のままである

 ・日本は西洋文明を代表し、清は東アジアの習慣を守っている

 (西欧の新しい文明と東アジアの古い文明との衝突) 

 

この資料を見た先生と生徒は、「アジア主義」と「脱亜論」の相違点と共通点について指摘します。

 

▷アジア主義

 ・アジアと連帯する意識

▷脱亜論

 ・アジアと連帯する意識の消失

▷両論の共通点

 ・日本がアジアで最も文明化が進んでおり、アジアは遅れているという視点

 

そして、日本が自分たちを「文明的」で他のアジアはそうでないと考えた原因を考えるために資料[C]と[D]が示されます。

 

④ 資料[C] 大谷正『日清戦争』

:本資料中では、日本政府や在野の知識人共に、日清戦争は「文明国・日本」対「野蛮国・清」という「文野の戦争」であることが強調され、これが国民のナショナリズムと国民の戦争協力を促進する役割を果たしたことが指摘されます。また、日本が文明国であることを示し、条約改正交渉を促進するため、国際法遵守が政府にとっての大前提であったことが示されます。

 

⑤ 資料[D] 檜山幸夫「日清戦争と日本」

:本資料中では、戦勝の中、文明化された近代日本、「大和民族」として団結した強国日本などでイメージ付けされた「皇軍の民」が形成されていく一方、急速に中国人差別・蔑視が生まれていった様子が示されます。

 

さらに、先生と生徒の会話の中で、「文明諸国の一員であることを示すことが条約改正のために重要であったこと」(資料C)、それが「中国人への蔑視につながっていったこと」(資料D)などが示されますが、先生はさらにもう一歩踏み込んで考える必要があると資料[E]を提示します。

 

⑥ 資料[E] 中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』

:本資料中では、国際法を遵守することを言明されているはずの日本軍が、朝鮮の東学農民軍に対しては「悉く殺戮」することを命じたことや、こうした対処が非交戦国である朝鮮の主権を侵害するものであると同時に、仮に交戦中であったとしても国際法に照らして不適切な内容であったことが示され、東学農民軍が日本軍にとって国際法遵守の対象とはなっていなかったことが指摘されます。

 

これを受けて、先生と生徒の会話では「文明化」という言葉が文明と野蛮を区別し、相手を野蛮とみなした際に、あらゆる行為が文明という言葉で正当化される傾向を持つことが指摘されます。

 

(解答手順2、史資料の内容整理と設問要求への対処)

:設問は「日本の『近代化』とはどのような特徴を持っているか」と「日本が『文明化』の道を進む上で日清戦争が持った意味」について問うていますので、史資料に基づいてこれらを読み解いてみます。

 

① 日本の「近代化」の特徴

 ・文明開化や欧化政策など西洋文明を積極的に取り入れた

・一方で、欧米の介入を避けるために外国債の導入に消極的な姿勢を示すなど、欧米の助けをなるべく借りずに近代化を進めようとした一面があった

 

② 日本の文明化と日清戦争の意味

 ・開戦以前から東洋連衡論から脱亜論への変化が見られたこと

 ・東洋連衡論、脱亜論ともにアジアを遅れたものととらえる共通認識が見られたこと

 ・日清戦争は日本が「文明諸国」の一員であることを示す機会であったこと

 ・日清戦争の戦勝が日本人の優越意識と中国蔑視を促進したこと

 ・日清戦争の過程で、自らを「文明化」したと考えた日本は「野蛮」に対して国際法を無視するなどの行為で、自らの非文明的行為の正当化を始めたこと

 

概ね、こんなところではないでしょうか。あとは、歴史的な事実に沿って、資料から読み取れたことを設問要求にしたがってまとめていけば解答が作れると思います。深い歴史の知識がある方が確かに有利ですが、かなりの部分は国語的な読解と整理で対処可能な設問でもあります。

 

(歴史総合300字論述:解答例)

日本の近代化は、明治維新後の文明開化や欧化政策などで西洋文明を積極的に取り入れる一方、欧米の介入を避けるために外国債導入に消極姿勢を示すなど、自立的一面も有していた。当初は日本を盟主にアジアをまとめて西欧に対抗する東洋連衡も目指されたが、甲申政変などで日清対立が高まると脱亜入欧を解く風潮が高まった。日清戦争では条約改正交渉のために文明諸国の一員であることを示したい日本が国際法遵守を掲げて近代戦を戦ったが、これに勝利したことは自らを「文明化」したと考える優越意識とナショナリズム形成につながった。また、東学農民軍への対処のように、野蛮とみなしたアジアに対する非文明的行為を西洋諸国同様に正当化した。

 

こんなところではないですかね。あまり清とか朝鮮とか局所にこだわりすぎず、例としては使いながらも「文明と野蛮」や「日本とアジア」という軸で解答を作る方がすっきりするように思います。また、東洋連衡と脱亜論の比較では、脱亜入欧などの用語が出てくると、説明に字数を割かなくて済むので便利です。

 

【世界史探究、問11:400字論述解説】

(設問概要)

・1880年代以降の地球規模の人の移動について,

 ① 移住の動機付け

 ② 距離の変化

 ③ 受け入れ先社会

という移住のプロセスの観点から論述せよ。

・世界史上の出来事を踏まえよ。

・以下のものをまとめながら答えよ。

 ① 冒頭の基礎資料の特に波線部分

 ② 資料[C]~[E]

 ③ 各設問の文章

・400字以内。

・指定語句(使用した箇所に下線を付すこと)

 植民地 / 新興移民国家 / 交通革命 / 移民組織 / 故郷 / 国民国家の境界

 

本設問の要求自体は、これまでにもあちこちの大学でたびたび類似のものが見られた内容で、特に目新しいものではありません。(例:東京大学2002年大論述、一橋大学2005年大問3など)

ただし、本設問にはかなりしっかりした史資料が備えられており、これらを踏まえることが要求の中に入っておりますので、自分の持っている世界史知識をただ羅列するだけでは高得点とはならず、史資料の内容をしっかり踏まえることができているかが重要な要素となります。そのため、歴史総合と同じく、これら史資料の読み取りを正確にしっかり行うことが必須となります。いずれにしても史資料を読まなければならないのですが、事前に設問の要求が分かっていた方が史資料のどのあたりに注目しながら読めばよいのかのアタリがつきますので、東京外語大学の論述問題については、リード文などの史資料を読み始める前に先に論述問題の要求を確認しておくのはアリかもしれません。

 

史資料については、以下のものが用意されています。

 

・基礎資料(リード文)

:各所に波線部があり、これらをまとめながら解くことが設問で要求されています。

・資料[A] バーブルの回想録

・資料[B] 17世紀後半のスイスにおけるキリスト教諸宗派間の改宗と移民の記録

・資料[C] 19世紀インドからアフリカへの移民と定住に関する記録

 ① 英領植民地における奴隷廃止法案(1833年)

 ② インドからモーリシャスへの年季奉公契約書(1834年)

 ③ ナタールにおける参政権法に関するイギリス下院本会議録(1894年)

・資料[D] 19世紀末から20世紀初頭における外国移民が流入したアルゼンチンの資料

 ① 『母をたずねて三千里』の文章の一部

 ② アルゼンチンへの移民と主要産業の変化

・資料[E] キューバで亡くなった中国人労働移民の遺骨送還に関する記録

 

これらのうち、設問で内容を踏まえることが要求されているのは資料[C]~[E]のみですので、資料[A]・[B]は論述問題については直接考慮する必要はありません。歴史総合の方の設問は全体としてのまとまりが良かったのですが、世界史探究の方はこのあたり、きちんと指示が出ているとはいえ、リード文や各設問の文章まで参考にしろと言っているわけですから、一部の資料のみ除いて考えなければならない設問構成は、やや混乱を招くつくりになっている気がします。できれば、受験生がこうした手続き上の処理の問題で損をしそうな問題構成は避けて欲しいですね。

 

(解答手順1、設問要求にそって全体像をつかむ)

:全体的な要求がふわっとしていた歴史総合の大論述とは違い、世界史探究の方の設問では、1880年代以降の地球規模の人の移動について、「①:移住の動機付け」、「②:距離の変化」、「③:受け入れ先社会」という移住のプロセスの観点から論ぜよとかなり限定的な内容になっていますので、いきなり目的もなく史資料読解に移るよりは、これら3つのポイントについて、まずは世界史の知識で常識的に考えられる範囲でのフレームワークを簡単に作っておいた方が、全体像がとらえやすい気がします。

 

① 移住の動機付け

:これはたとえば、経済的な困窮から脱するため、政治的な混乱や迫害から逃れるためなどの内容が考えられます。そのあたりのことを念頭に置きながら、他の動機が史資料から読み取れるようであれば付け加えていきましょう。

 

② 距離の変化

:こちらについても、すぐに思いつくのは交通革命です。おそらく、汽船の発達や電信の発達などによって、移住における距離によるハードルが低くなったことなどが書けるはずですので、それを念頭に置きつつ、史資料を読んで他の要素がないかどうかをチェックすることになります。

 

③ 受け入れ先

:こちらについても、高校世界史の内容でも先住の人々とあとからやってきた移住者との軋轢や、あるいは同じ移民間であっても、たとえば合衆国における白人移民とアジア系移民の競合や、それにともなう諸々の移民法などがすぐに思いつくはずです。そのあたりを注意しつつ、史資料に別の視点がないかをチェックしていくことになります。

 

(解答手順2、史資料の読み取り)

:続いて、史資料の読解に移ります。もし、上記1の全体像がなかなか思い浮かばない場合には、いきなり史資料読解からでも構わないと思います。

 

① 基礎資料(リード文)

:基礎資料については、文中の波線部について踏まえるように指示が出ていますので、基本的にはここを中心に読解するのでも構いません。ただし、内容の取り違えが心配な場合には、前後の文章を参考とすると良いでしょう。波線部の概要は以下の通りです。(一部、前後の内容を考慮して要約しています。)

 

 ・移民に対するイメージは、一度きり・単一の目的地に向かい、移住によりそれまでの苦境から脱して生活条件を改善するという特定の思考モデルに縛られている。

 ・近年の研究は、こうした思考モデルよりも多面的理解の視座を提供してきた。

 ・移民の実態は比較が困難なほど多様な意思決定・行動様式・集団と個人の取りうる行為の幅などを持ったものである。

 ・移民には様々な移民組織の援助が影響を及ぼしうる要因として存在する。

 ・かつては、国境よりも社会的空間の方に仮借のない「境界」が存在しえた。

 ・交通手段の変化が、物理的距離、移動時間、移動コストを変え、そのことが移住への決断に影響した。

 ・一部の移民は移住により当初達成しうると考えた成果を見る前にこの世を去った。

 

② 資料[C] 19世紀インドからアフリカへの移民と定住に関する記録

:資料[C]では、上述の通り、「英領植民地における奴隷廃止法案(1833年)」、「インドからモーリシャスへの年季奉公契約書(1834年)」、「ナタールにおける参政権法に関するイギリス下院本会議録(1894年)」の3つがあげられています。

これらのうち、はじめの2つについては、1833年のイギリス帝国内における奴隷廃止による労働力不足を補うために、年季奉公契約などによって移民を労働力として使用する方向に変わっていった、というように利用することが予想できます。(これは、資料の内容を読まなくても、世界史の知識である程度予想がつくものです。逆に、これくらいの類推が移民関係で働かないとすれば、それは高校世界史の基礎勉強が不足しているので、見直しておきましょう。) また、カンの良い人であれば、最後のナタールにおける参政権法についても、「移住者たちと先住者たちの間で権利関係をめぐる何らかのトラブルが生じた事例として利用するのではないか」ということが予想できるかもしれません。

資料中の注にもありますが、ナタールは後に南アフリカ連邦を構成する英領植民地です。南アフリカというと南ア戦争やトランスヴァール共和国、オレンジ自由国が有名ですが、ナタールはこれらよりも以前の19世紀前半から英領植民地とされています。本資料を読むと、ナタール植民地内において、インドから移住してきたインド人の参政権をめぐる争いが生じていることが読み取れます。

南アフリカ連邦_名称つき
以上の内容を考えると、本資料は奴隷解放による労働力不足が移民を引き付けるプル要因となったことや、移民の増加により先住者との間に参政権などの問題も含む競合が生じたことなどを論述の内容に加える材料とできることが分かります。

 

・資料[D] 19世紀末から20世紀初頭における外国移民が流入したアルゼンチンの資料

:本資料では『母をたずねて三千里』の文章の一部と、「アルゼンチンへの移民と主要産業の変化」が示されています。最初の資料では、経済的困窮を背景として女性であっても遠く離れたイタリアからアルゼンチンまで、ある種の出稼ぎのために移住する人が少なくなかったことが示されます。また、二つ目の資料では、こうしたイタリアからの移住者の一部が最終的にはアルゼンチンに定住して自作農となった(19世紀後半から20世紀前半にかけて自作農となった農民の8割がイタリア移民であったことが資料中で示されています)ことで、アルゼンチンの主要産業にそれまでの牧畜業だけでなく小麦生産が加わり、19世紀後半までは穀物輸入国であった同国が20世紀前半には世界有数の小麦輸出国に変貌する様子が描かれます。

これについては、本設問の指定語句に「新興移民国家」がありますので、その一つの例として用いることができるはずです。もっとも、この用語の「新興」が時代的・内容的にどのような意味を含んでいるのかは、本設問の文章や史資料からは判然としません。アメリカ合衆国も新興移民国家といえばそうですし、19世紀に相次いで独立したラテンアメリカ諸国についてもそうです。ですから、特定の国に限定せず、アメリカ大陸の新興移民国家などのようにふわっとした表現で使って差し支えないかと思います。アメリカ合衆国についても、19世紀後半の第二次産業革命の発展は移民の労働力に負うところが大きかったわけですから、こうしたことを念頭において、移民の労働力が新興国の産業構造に大きな影響を与えたくらいの内容で示せればよいのではないでしょうか。

 

・資料[E] キューバで亡くなった中国人労働移民の遺骨送還に関する記録

:本資料では、奴隷貿易廃止の圧力の高まりを背景として、キューバがラテンアメリカで初めて中国人の契約労働者を導入したことが示されます。また、当初は契約満期前に死亡するものが多かったのが、20世紀になると商業に従事する者が増えた影響で商業ネットワークが形成され、移民先で亡くなったものを故郷で埋葬できるように手配する慈善活動とその組織が整えられていく様子などが描かれています。

こちらについても、本設問の指定語句に「故郷」がありますから、移民と故郷のつながりを指摘する材料として活用することが考えられます。また、本資料中では遺骨が運ばれる経緯を伝える手紙・連絡などが示されていますので、電信なども含めた通信環境の発達が、移民と故郷をつないでいたことなども指摘して問題ないかと思います。

 

・各設問の文章

:設問では、各設問の文章もまとめる材料とするように指示が出ていますが、史資料を読んでいけばあえて問題文を一から読む必要はありません。史資料を読んでもピンとくるものがない時などにヒントになりますので、時間などを考えてもそうした時に見返す程度でよいでしょう。たとえば、問6の設問文からはインド系移住者が南アフリカのイギリス人植民者から競合者・敵対者と見られたことが読み取れますし、問8の設問文からは移住者にとって故郷とのつながりを保つ通信手段が心の支え・情報源となったことが読み取れます。こうした情報は史資料を読むだけでは気づかない部分でもありますので、参考にするのが良いでしょう。

 

(解答手順3、史資料読解に基づいて、設問要求の3つの要素に肉付けする)

:史資料の読解を通して読み取れたことなども加味して、1であらかじめ作っていた全体像に肉付けをしていきます。

 

① 移住の動機付け

 ・経済的な困窮の改善

 ・政治的な混乱や迫害からの逃避

 ・植民地間の移動の促進(大英帝国の形成など)

 ・家族、友人の存在

 ・移民組織やネットワーク

 

② 距離の変化

・19世紀後半までは国境による境界がさほどの意味を持たなかったこと

・社会的境界の方が大きな意味を持ったこと

・交通革命(物理的距離、移動時間、移動コストの軽減)が移住のハードルを下げる要因として働いたこと

・電信をはじめとする通信環境の変化や、徐々に移住先で形成された同郷者による移民組織やネットワークなども、心理的距離を縮める働きをなしたこと

 

③ 受け入れ先

 ・19世紀に進んだ奴隷解放から生じた労働力不足が、移民を呼び込むプル要因として働いたこと

 ・移住者の増加は、移住先において職の奪い合いや参政権をめぐる諸問題などの競合や軋轢を生んだこと。また、時にはそうした摩擦が移民法などの法制定につながったこと。

 ・一方で、アメリカ大陸の新興移民国家においては、労働力としての移民の増加がその国の産業構造を変化させる大きな力となることがあった。(19世紀後半以降のアメリカ合衆国の工業発展や、アルゼンチンの穀物輸出国化など。)

 ・故郷からの通信や、移住先で形成された組織やネットワークが、移民と故郷をつなぐ心の支えや情報源として機能し、移民は移住後も故郷とのつながりを一定程度保っていた。(キューバの中国系移民がつくった遺骨送還のための互助組織など。)

 

(解答手順4、指定語句との整合性チェック)

:これまでの1~3の手順で、指定語句をどのあたりで使えばいいかは概ねつかめてくるはずです。設問や史資料などのヒントがない場合には指定語句をヒントとして広げていくという方法もアリかとは思いますが、本設問では参考にすべき史資料がかなり豊富に与えられていますし、指定語句もあまりそれ自体から多くの情報を引き出せる性質のものではありません。ですから、本設問については指定語句は後回しにして、まずは史資料から解答の方向性を導いてやる方がうまく全体像を構築できるはずです。

 

(世界史探究400字論述:解答例)

1880年代以降、経済的困窮や政治的混乱を背景に中国・インドや東欧・南欧からの移民が増加した。移住先は国民国家の境界が障害となりにくいアメリカ大陸の新興移民国家やアフリカ・西インド諸島など西欧諸国の植民地が多く、移住先の家族・友人・移民組織などのネットワークが移住を促進した。汽船・鉄道の発達による交通革命が時間やコストを軽減し、電信・郵便網の発達が移住者と故郷の心理的距離を縮めたことも移住を促進した。受け入れ先でも、奴隷解放で生じた労働力不足解消に移民を利用したため、社会的境界は当初は大きな壁とならず、移民は合衆国の工業化やアルゼンチンの穀物輸出国化など、受け入れ先の産業構造を変える原動力となった。しかし、移民の増加は職の奪い合いや参政権などの諸権利をめぐる争いなどの軋轢を生み、移民法などの移民排斥や差別が強まる中で、移民は同郷者の組織やネットワークにより、故郷との文化的つながりを一定程度維持した。

(400字、問題の規定によりアラビア数字は2文字1コマで計算。)

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さて、先日は早稲田大学法学部の論述問題出題傾向について解説しましたが、今回は東京外国語大学の世界史について、特に論述問題を中心に出題傾向の解説を進めていきたいと思います。

東京外国語大学については、2025年の問題からそれまでの「世界史」ではなく「歴史総合+世界史探究」の形に形式を変更しており、また配点もそれまでの100点満点から150点満点に変わるなど、かなり大きな変更が見られました。そこで、こちらでは2024年以前と2025年の新方式について、まずは形式上の注意点について述べた後、全体の傾向と対策についてお話ししていければと思います。

 

【2024年以前の出題形式】

・問題数:15~16問(うち大論述1問、小論述などが1問)

・配点など(100点満点) 

① 大論述(ほぼ400字[まれに500字~600字]):配点20点~25点

② 小論述(40字~150字[まれに要旨の読み取り問題など]):配点10点[まれに15点]

③ 小問(一問一答形式の記述・選択問題):配点65点~70点

 

以前ご紹介したいくつかの過去問解説でもお話ししていますが、2024年までは論述問題やそれに準ずる要旨の読み取り問題などの比重がそれなりに高く、30点~35点(100点満点)を占めていました。

一方で、ほぼ一問一答形式で解くことができる小問が65点~70点ほど出題されており、またその内容もごく基本的な内容であったため、まずは小問をしっかり解く基礎力を身につけることが重要でした。その上で、論述については、満点を狙いに行くよりもまずは設問の要求にしっかり答える形でかける部分を書いていき、半分強もとれれば小問の取りこぼしがなければ十分に7割~8割程度を狙える、世界史が得意な人であればそれ以上も狙える内容の問題でした。ただし、論述の内容は小問と比べるとレベルも高く、やや難しい内容であったため、実際には小問をしっかりおさえて8割ごえをめざし、配点が大きい英語(300点)の足しになるようにするというところが現実的な目標となっていたように思います。

 

【2025年の出題形式】

・問題数:17問(うち400字論述1問、300字論述1問、論旨の読み取り問題1問)

・配点など(150点満点[歴史総合60点、世界史探究90点])

 ① 400字論述:配点40点

 ② 300字論述;配点30点

 ③ 論旨の読み取り問題(30字):配点10点

 ④ 小問(一問一答形式の記述・選択問題):配点70点

 

これに対し、2025年の問題ではいくつかの大きな変更が見られました。

 

・変更点1:歴史総合+世界史の総合問題に

・変更点2:配点が150点に増加(外国語は300点のまま)

・変更点3:論述問題の全体に占める割合が増加(約半分が論述問題)

 

まず、変更点1についてですが、大学入学共通テストと同じく世界史探究だけではなく、歴史総合が追加されました。(これは、日本史の方でも「歴史総合+日本史探究」の形に変更がなされています。) 「歴史総合」が科目として入って来るとは言っても、問題によっては日本史の内容にそこまで突っ込まない内容の出題も多いので、特に世界史履修者の場合には「歴史総合」の対策を特に行っていなくても解けてしまうというケースはあり得るのですが、東京外国語大学の場合はどうだったのでしょうか。

あらためて2025年の東京外国語大学の「歴史総合」の問題を見てみますと、世界史の知識だけでも解けなくはないのですが、論述問題や論旨の読み取り問題に「外国債」についての理解を試したり、「東洋連衡」などを指定語句として福沢の脱亜論と対比させるなどの内容が入っており、通り一遍の世界史の知識に頼るよりも、より日本史部分についての理解を深めている方が解きやすい設問がいくつか見られました。そういう意味では、「歴史総合」について、特に日本史部分を中心に復習しておくことは有益であるように思われます。ただし、コスパの面を考えると疑問符もつくので、できれば高1のうちにがっちり歴史総合を固めておきたいところです。

 

変更点の2についてですが、2次試験において「歴史総合+世界史探究」の配点が150点となり、従来の世界史(地理歴史)の100点から50点増加しています。英語の配点は300点と変化がありませんので、これは歴史の全体に対する配点比率が上がったことを示しています。(25%から33%に上昇。)2024年以前は、何だかんだいって英語が全体の75%を占めていたので東京外国語大学では英語が主役、世界史は足を引っ張らない程度にできればよいと考えていた人もいたと思うのですが、さすがに歴史が全体の3割を超えてくると、そうも言っていられません。このことは、今後は東京外国語大学を目指す受験生は英語一辺倒ではなく、ある程度歴史にも力を注ぐ必要が出てくることを示しています。次々に試験から世界史を削っていっている早稲田(母校w)などと比べると真逆の動きで、「さすがに分かってんな!」という気が個人的にはします。世界史を教える立場としては応援しますw

 

変更点の3についてですが、これがおそらく一番重要かもしれません。何しろ、「歴史総合+世界史探究」150点中、70点(約47%)が論述問題で、しかも300字論述と400字論述というかなり重ための論述が歴史総合と世界史探究のそれぞれで課せられています。また、歴史総合で出題された論旨の読み取り問題の10点を論述の一種として計算すると、実に150点中80点(約53%)となり、論述の配点に占める割合が半分を超えて来ます。ただでさえ全体配点に対して歴史の占める割合が増えてきているところに、半分近くが論述問題になっているわけですから、これはもう完全に別物の試験です。2024年以前のように、世界史の基礎を身につけて小問を「ちょちょいっ」と解くというレベルでは、もはや通用しません。もし、来年度も同様の出題形式・内容になるのであれば、東京外国語大学を受験する際に論述対策は必須となると考えてよいでしょう。

とは言え、「歴史総合+世界史」になったのは2025年が初めてですから、今後もこの傾向が続くかどうかは何とも言えません。来年以降、2~3年ほどは問題形式・内容が定まるかどうか様子を見る必要があるでしょう。

 

【東京外国語大学「世界史」大論述・小論述の出題傾向(2006年~2025年)】

:以下は、東京外国語大学の「世界史」(2025年は「歴史総合+世界史探究」)の大論述と小論述の出題テーマを示したものです。大論述、小論述ともに3語~5語程度の指定語句が示されることがあり、それらの語数については表中の〇の中にある番号で示しています。


2025_2020
2010_2019
2006_2009

時折、イレギュラーな問題が出ることもありますが、概ね近現代の国際関係などを中心としたものが多く見られます。また、文化史が出題されることはまれで、政治史・経済史が中心となっています。内容的には、いわゆる王道のテーマが出題されることが多く、ニッチな内容が主題とされることはめったにありません。以前にもご紹介した通り、東大で出題される近現代史の問題とテーマ的には親和性が高いと言えるでしょう。

ただし、東京外国語大学の場合には、リード文や途中で紹介される史資料のかなり深いところまでの読み取りが要求されることが少なくありません。そういった意味では、上智のTEAP利用型などとも似ているところがあるかもしれません。(一橋なども資料読解型の部分はありますが、時代・テーマ的に東京外国語大学とはかなりズレがあります。)

 

【東京外国語大学「世界史」大論述が対象とした時代区分(2006年~2025年)】

:続いて、以下は東京外国語大学の「世界史」(2025年は「歴史総合+世界史探究」)の大論述が対象とした時代がいつであったかを表にまとめたものです。

スクリーンショット 2025-05-12 153153

19世紀・20世紀に集中していることが一目瞭然だと思います。特に、近年はその傾向が強いです。また、あまり長いスパンでの変化などについては取り扱われることがありません。長くてもせいぜい2世紀にまたがるほどの内容になりますので、長いスパンでのタテの関係よりは国際関係などのヨコの関係や、内容の深い理解に重点が置かれていると考えてよいと思います(たとえば、2025年の歴史総合で出題された「日本の近代化とは何か」など)。この点では、比較的長いスパンでの変化・変遷を問うことがある東大などの問題とは少々違いがあります。ただし、数十年程度の単位でのタテの流れ・変遷については普通に出題されるので、その点には注意が必要です。数十年から100年程度のスパンでの物事の移り変わりについては説明できるようにしておきましょう。

 

【対策など】

:上記の通り、東京外国語大学では2025年に歴史分野についての配点比率が上がり、中でも論述問題の比率が大幅に高まった出題がされました。ですから、これまでのように「英語にだけ力を注いで歴史は片手間でよい」という姿勢では、歴史をしっかり勉強してきた受験生に差をつけられてしまうことになるでしょう。また、論述問題の比率が高いことを考えると、付け焼刃の勉強ではどうにもなりませんので、東京外国語大学の論述に的を絞った論述対策をしっかりと進めていく必要があります。幸いなことに、出題テーマについては大きな変更は今のところ見られないので、東京外国語大学の過去問演習は依然として有効です。効果的な学習法としては以下のようなものが挙げられると思います。

 

① 世界史探究のしっかりとした基礎固め

 (少なくとも、大学入学共通テストで9割が狙えるレベルにしておく)

② 歴史総合のうち、日本史分野の見直し

③ 世界史探究の近世以降(16世紀以降)の歴史の重点的な見直し

④ 大学入学共通テスト過去問演習や実戦問題集演習

⑤ 東京外国語大学「世界史」過去問の演習

⑥ 上智大学TEAP利用型過去問の演習

⑦ 東京大学過去問の演習(大論述・近現代史を中心に。第3問の演習は有益)

 

もっとも、上記のうち⑥・⑦は「余裕があれば」で良いと思います。上智については東京外国語大学と併願するケースも少なくないでしょうから、その場合には両方の過去問対策を進めることは非常に有益かと思います。

また、配点比率が下がったとはいえ、依然として英語は全体の3分の2を占めますので、英語をおろそかにしては始まらないことには変わりがありませんので、注意しましょう。


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【概観】

 今回は、2021年の東京外国語大学の問題解説を進めたいと思います。大問1は、冷戦体制下における核兵器開発をめぐる史料3つ(ニュージーランド、ソ連、アメリカ合衆国)を参考に関連する問題を解くというものでした。小問数は6でしたが、答えるべき箇所は7なので5点×7=35点で例年と変わりません。また、論述問題が1で、25点というのも変更はありません。文字数は500字以内で、2019年以降の形式を踏襲しています。

 設問の内容についてですが、小問についてはごく基本的な内容です。ある程度世界史をしっかり勉強している受験生であれば十分全問正解できる内容かと思いますので、この35点はしっかりとキープしておきたいところです。論述問題についても内容としては基本的な内容ではあるのですが、特に現役の受験生は現代史、中でも核や環境についての設問は後回しになりがちな分野でもあります。こうした中で、核をめぐる国際関係とがっぷり四つで向き合わねばならない本設問には抵抗感を持つ受験生も少なくなかったのではないでしょうか。また、人によっては核関連の知識が年代別に整理されていないこともあるかもしれませんので、時期が「1960年代半ばまで」と区切られていることも、障害の一つとなったかもしれません。ただ、核関連の知識を完全に放棄してしまったなどがなければ、丁寧に自分の知っている知識を整理していけば、多少の誤りや勘違いがあったとしても得点が入らないということはなかったのではないかと思います。また、東京外国語大学では、2018年の災害史に関する設問中で核を扱った設問が出ていますから、過去問に触れたことのある受験生にとっては全くノータッチで出てくる知識でもなかったと思います。そういう意味でもこの論述問題はごく標準的な設問であったように思います。

 大問2は、歴史学の分野ではよく知られた「長い19世紀」論についての文章を読んで、設問に答えるというものです。小問数は6なので5点×6=30点、これに40字の論述(10点)が加わって計40点。2019年以降のスタイルと同じです。「長い19世紀」論は『創られた伝統』で知られるホブズボームというイギリスの歴史学者が提唱した考え方で、1801年から1900年までという機械的に区切られた19世紀ではその時代の特徴や連続性を十分に説明することができないという考え方から、時代区分についてもそれぞれの実態に即した区分を考えるべきであり、このような考え方に沿えばフランス革命から第一次世界大戦の開始までは一定の連続性と特徴を持った「長い19世紀」ととらえることができるという考え方です。私が大学院生だった頃に専門としていた分野は17世紀末から18世紀のイギリスでしたが、ここでは「長い18世紀」(たとえば、17世紀末の名誉革命の頃から、19世紀に向けての展開までの流れ[ナポレオン支配の終わりとウィーン体制の成立頃まで]を一連の時代ととらえる)という見方がかなり意識されていたように思います。よく、地理的な概念についても「一国史」という機械的に限定された空間で歴史をとらえるのではなく、より広域で、「国家」という概念にとらわれない世界で考えなくてはならない(たとえば、「地中海世界」のような)という話が出てきますが、「長い〇〇世紀」、「短い〇〇世紀」論というのは、その時代区分バージョンだと考えることができます。
 もっとも、本設問においてこの「長い〇〇世紀」論についての知識は不要で、基本的には紹介されているユルゲン=オースタハメルの文章を読めば時代区分を機械的にではなく、その内容に応じて行うべきであるという議論は理解できるはずですし、その見方自体が設問を解く上で必要になるのも設問7の40字論述のみとなりますので、全体に大きな影響を与えるものではありません。(読み物としては面白いですが。) 大問1、2ともに標準的な問題で、東京外語の問題としてはむしろ、比較的平易な設問と言えるのではないでしょうか。

 

【小問概要と解説】

(大問1-1)

概要:日本の漁船が被爆した水爆実験をアメリカが行った環礁はどこか。

解答:ビキニ環礁

 

:設問では色々とぼかした形で聞いてきていますが、日本の漁船が核実験で被爆したと言えば第五福竜丸事件(1954)のことだということはピンときます。この原因となったアメリカ合衆国の水爆実験(キャッスル作戦のブラボー実験)がビキニ環礁で行われたというのは基本知識です。

 

(大問1-2)

概要:文章の空欄に入る形で( A )・( B )の適語を答える・

( A )のヒント…サハラ / 7年に及ぶフランスからの独立戦争の末、建国

( B )のヒント…フランス大統領 / 独自外交の展開 / ( A )独立に対処

解答:A‐アルジェリア B‐ド=ゴール

 

:空欄の(  A  )が独立したことでサハラにおける核実験ができなくなったとあるので、アルジェリアであると分かります。第二次世界大戦後のフランス植民地の独立については、インドシナ戦争(1946-1954)とアルジェリア戦争(1954-1962)がよく出てきます。東京外語ではありませんが、東大の2012年問題の大論述はこの二つについての知識がないと書けない問題でした。また、フランスの戦後「独自外交」と言えばド=ゴールですね。これも基本知識だと思いますが、第五共和政の開始とド=ゴール政権の成立がアルジェリア戦争と密接に関係していることはよく勉強していないと見落としがちな部分なので注意が必要です。

 

(大問1-3)

概要:1956年のソ連共産党大会で批判された人物は誰か。

解答:スターリン

 

:フルシチョフによるスターリン批判は超重要な基本事項です。また、スターリン批判はその影響が各方面に波及したことでも知られていますので、簡単にではありますが以下にまとめておきます。

 

✤ スターリン批判の影響

・「雪解け」

:ソ連国内での言論抑圧が弱まり、東西冷戦の緩和と平和共存路線の模索へとつながる。

・反ソ暴動の発生(1956)

:ポーランドとハンガリーで発生。ポーランドについてはゴムウカが事態を収拾。ハンガリーではソ連の軍事介入を招き、首相のナジ=イムレが処刑された。

・中ソ対立の開始

:平和共存路線をとるフルシチョフに対し、中国が批判的姿勢をとり始める(1962年頃から公開論争の開始)

 

(大問1-4)

概要:1963年に米・ソ・英が締結した調印した核実験をめぐる条約は何か。

解答:部分的核実験禁止条約(PTBT)

 

:基本問題。1962年のキューバ危機との関係も含めて受験に際しては必須の知識。

 

(大問1-5)

概要:史料[C]の史料中にある「私」とは誰か。

ヒント:史料のタイトルに「アメリカ合衆国大統領からソヴィエト連邦指導部への書簡」とあり、その日付が1962年10月22日とある。また、内容がキューバにおけるミサイル基地配備の問題についてソ連側に適切な対処を求める内容。

解答:ケネディ

 

:1962年のキューバ危機が思い浮かべば答えられる基本問題。

 

(大問1-6)

概要:史料[C]の史料が出された当時のキューバの首相は誰か。

解答:カストロ

 

:1959年のキューバ革命でカストロがバティスタ親米政権を倒したことがキューバとアメリカの緊張激化の原因。カストロはその後キューバの指導者となった。基本問題。

 

(大問2―1)

概要:米西戦争時のアメリカ合衆国大統領は誰か

解答:マッキンリー

 

:砲艦外交で知られる人物です。ハワイの併合や門戸開放宣言などもこの大統領の統治した時期に起こった出来事です。米西戦争はどの大学でも意外なほど出題頻度が高いので、注意が必要です。

 

(大問2-2)

概要:1917年のロシア革命勃発時のロシア皇帝は誰か

解答:ニコライ2世

 

:基本問題です。

 

(大問2-3)

概要:インドで「非暴力・不服従」運動を指導した人物は誰か

解答:ガンディー

 

:基本問題です。

 

(大問2-4)

概要:フランス革命後に導入された度量衡法は何か。

解答:メートル法

 

:基本問題です

 

(大問2-5)

概要:1802年にヴェトナムを統一し、皇帝になったのは誰か

解答:阮福暎(嘉隆帝)

 

(大問2-6) 

概要:南京条約(1842)で清がイギリスに割譲した島はどこか

解答:香港島

 

:基本問題です

 

【小論述解説(40字、大問2-7)】

(設問概要)

:内容的に19世紀をとらえた場合に、1842年の南京条約締結を中国近代史の始まり(同時に帝国主義的侵略の始まり)とし、1919年の反帝国主義闘争の始まりを「現代史」ととらえることができるため、中国史については「長い19世紀」は当てはまらない(「短い19世紀」となる)が、同様のことは日本史にも言える。なぜ日本史に「長い19世紀」論が当てはまらないかを述べよ。

(解答)

:日本では1868年の明治維新の開始が近世史の終わりと近代史の始まりととらえられるため。(40字)

 

:あまりなじみのない設問かと思いますが、本文の内容と設問の内容がしっかり確認できれば難しい問題ではありません。ただ、意外に設問の意味が取りづらい可能性はあります。(上記の「設問概要」は設問を要約したもので、実際の設問は下線部⑦「これによれば、内容的に規定される19世紀は1840年代に始まることになる」を受けて、中国史同様、日本史に「長い19世紀」論が当てはまらない理由を述べよというものでした。) 解答については明治維新が日本近代史の始まりであることを示せば十分ですが、「短い19世紀」であることを示す必要がありますので、明治維新の開始時期を明示する必要はあると思います。

 

【大論述解説(500字、大問1-7)】

(設問概要)

・時期:第二次世界大戦中から1960年代半ばまで

・核軍備の増強、反発、均衡の歴史を具体的に説明せよ

・史料[A]~[C]と問1~問6の設問文をふまえること

・指定語句(使用箇所には下線)

:原子爆弾 / 北大西洋条約機構 / 放射能汚染 / 原水爆禁止運動 / フルシチョフ / 中華人民共和国

・500字以内

 

<史料A:ニュージーランド元首相デービッド=ロンギの回想>

:史料自体は高校世界史では見慣れないものです。また、デービッド=ロンギの名前を聞くこともありません。内容はいたって平易なもので、ニュージーランドのオークランド近郊にいた若き日のロンギが、1962年に米国が遠く太平洋上のジョンストン島で行った核実験の残光を見て、非核への思いを強くした、というものです。また、ロンギは同年にフランスが核実験場をサハラから仏領南太平洋の島に移すことに対する反発についても語っています。

 本史料で注目すべき点としては、以下のような内容があげられます。

 

① 米国の太平洋上における核実験と、それに対する批判

 (特に、問1の第五福竜丸事件とその後の非核運動と絡めること)

② 1962年がキューバ危機の年であり、翌年の部分的核実験禁止条約へとつながること

 (問4~6や史料[C]とも関係している点に注意)

③ 1962年はアルジェリアの独立年であり、仏の核実験場移転の背景となっていること

 (特に問2との関係が深い)

 

 また、解答作成と直接の関係はありませんが、ANZUS(太平洋安全保障条約)に当初加盟していたニュージーランドは、本史料の書き手であるデービッド=ロンギが首相に在任していた頃にニュージーランドの非核化を進めたため、ANZUSから実質的に離脱しています。現在は、オーストラリア・ニュージーランド間の防衛相会合(The Australia-New Zealand Defence Ministers' Meeting [ANZDMM])や、米国・ニュージーランド間の安全保障協力によってその関係の再構築が進んでいますが、ニュージーランドの非核化は継続しています。こうしたことが、本史料が提示されたことに背景にあるのだということを知っておくとより深い読みができるかと思いますが、設問は1960年代半ばまでが対象ですから、ニュージーランドのANZUS離脱までは書く必要はありません。(余談ですが、ANZUSはなぜか日本語では太平洋安全保障条約と訳されますが、正式名称はAustralia, New Zealand, United States Security Treaty[オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ合衆国安全保障条約]です。Aがオーストラリア、NZがニュージーランド、USがアメリカ合衆国ですから、参加国を記憶するのは簡単ですね。)

 

<史料B:サハロフの回想>

:サハロフはソ連の物理学者で、水爆の父とも称される人物です。一方で、後に反核運動に従事し、その平和活動や人権擁護活動が評価されて1975年にノーベル平和賞を受賞しましたが、ソ連内部ではこうしたサハロフの活動は冷ややかな目で受け止められました。ブレジネフの指導下で起こったアフガニスタン侵攻に反対したことから一時流刑とされましたが、ゴルバチョフの指導体制にかわると流刑が解除され、ペレストロイカに協力したため「ペレストロイカの父」とも称された人物です。

本史料はそんなサハロフの回想録で、「原水爆の開発に従事」→「第20回党大会をきっかけとする平和・反核運動への方針転換」→「核実験をめぐる自身の提言と1963年の米ソによるモスクワ協定の締結」という内容になっています。冷戦史や核関連の歴史について基本的知識が備わっていれば、この回想録の内容を理解することは難しいことではありません。ソ連の原爆開発が1949年、水爆開発が1953年ですから、サハロフがこれらの開発に関わっていたことは読み取れますし、1956年の第20回(共産)党大会はフルシチョフがスターリン批判を行い、平和共存を唱えた年です。また、1962年は上述の通りキューバ危機の発生した年であり、翌1963年には米・英・ソの間で部分的核実験禁止条約(PTBT)が締結されますから、資料中の「モスクワ協定」がこれのことを指しているのだろうということもわかるはずです。本史料の大切な部分をまとめると以下のようになります。

 

① ソ連による原水爆開発

② サハロフなど、科学者による反核運動

③ キューバ危機をきっかけとした部分的核実験禁止条約(PTBT)の締結

※  PTBTというのは、Partial Test Ban Treatyの略です。(「部分的=Partial」ですね。Partが部分なので分かりやすいです。Testは試験とか実験、Banが禁止、Treatyが条約です。これに対して、1996年の包括的核実験禁止条約は「包括的=Comprehensive」ですので、CTBTとなります。世界史や政経などで出てくる略称は英語の正式名も知っておくと意外に英語なんかで役に立ったりします。

 

<史料C:米大統領からソ連指導部への書簡[1962年10月22日]>

:本史料は一人称が「私」で、これは問5の内容にもなっていますが、1962年当時の米国大統領なのでケネディです。資料の内容もキューバ危機当時における米国の立場を示すもので、読み取り自体は平易です。本史料は資料の読み取りを要求するために示されたというよりは、これを示すことによって史料としては読み取りにくい史料A・Bの意味や方向性に気付かせるためのものと考えた方がいいでしょう。

 

(解答手順1:核開発と反核運動に関連する歴史を概観)

:核の歴史は教科書や参考書などではぶつ切りで出てくるので、なかなか全体像を把握しにくいのですが、少なくとも一度は何らかの形で全体の流れを知っておく方が良いと思います。おおよその流れは以下のようになります。また、これらの流れは自然に設問の要求する「核軍備の増強、反発、均衡の歴史」にも対応するものとなっています。

 

① 冷戦の拡大と核開発の進展[核軍備の増強の歴史]

:トリニティ実験(1945.7)で原爆の実験に成功したアメリカが広島に続いて長崎にも原爆を投下し(1945.8)、第二次世界大戦は終結しましたが、その後米ソ両大国の対立が先鋭化して冷戦構造が構築されていく中で、ソ連をはじめとする大国が核兵器の開発を進めていきます。各国の核兵器開発に成功した時期は以下の表の通りです。

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② 反核平和運動の拡大[核軍備への反発の歴史]

:アメリカに次いでソ連が1949年に原爆の保有宣言を出し、これに対抗したアメリカが水爆製造を開始すると、大国間の核開発・軍拡競争を危惧した人々から反核の声が上がり始めます。1950年にストックホルム(スウェーデン)で開催された平和擁護世界大会は、核兵器の禁止を訴えるいわゆる「ストックホルムアピール」を表明します。その後、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験(キャッスル=ブラボー実験)に巻き込まれて被爆した第五福竜丸事件などもあり、反核運動は勢いを増していきました。広島では1955年に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。また、同年、哲学者のバートランド=ラッセルと物理学者アルベルト=アインシュタインが中心となってラッセル=アインシュタイン宣言が出され、科学者や第一級の知識人により核兵器の廃絶が訴えられました。さらに、1957年にはこれに刺激を受けてカナダでパグウォッシュ会議が開かれ、日本からも湯川秀樹や朝永振一郎らが参加して核兵器の使用に反対しました。

 

③ 核軍縮の進展[核軍備の均衡の歴史]

:多くの人が危惧していた核戦争の危険は、1960年代に入ってにわかに現実味を帯びてきます。1950年代半ば以降、フルシチョフの平和共存提唱から次第に関係が改善され、1959年にはフルシチョフの訪米が実現したものの、翌1960年に発生したU2型機撃墜事件(アメリカの偵察機U2型機が撃墜された事件)をきっかけに米ソ関係が緊張し、1961年のベルリンの壁構築、1962年のキューバ危機などを通して米ソ関係、東西関係は緊張の度を一気に増すこととなりました。なかでもキューバ危機において明らかになったキューバでの長距離ミサイル基地建設は、その射程にアメリカ東海岸が入ることが明白なことから当時の合衆国大統領ケネディにとっては看過し得ない事態でした。史料Cを見ると、当時のケネディの緊張感が伝わってくるのではないかと思います。このキューバ危機において、米ソ両国は核戦争の危機に直面したのですが、最終的には米ソ首脳の歩み寄りによって事態は収束へと向かっていきます。しかし、一歩間違えれば世界を巻き込む核戦争に突入しかねない状況にあることを再認識した両国は、首脳同士の直接対話回線(ホットライン)の設置に合意し、さらに核開発競争に一定の歯止めをかけるために1963年には部分的核実験禁止条約(PTBT)の締結にこぎつけました。これにより、条約に調印した米・ソ・英は地下以外(宇宙空間・大気圏・水中)での核実験を停止することとなりました。

一方、まだ十分に核実験を行えていなかったフランスや中国(上の表を参照)はこれに反発し、同条約への参加を見送ります。しかし、その後フランス、中国が水爆実験に成功すると、今度は米・英・仏・ソ・中以外の国が核兵器を持つことが懸念され始めました。こうした中、核の無秩序な拡大を嫌った核保有国は、核拡散防止条約(NPT)を締結し、核保有国(米・英・仏・ソ・中)以外の国が核兵器を持つことを禁止しました。



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(Wikipedia「核拡散防止条約」より、投稿者Allstar86、CC表示‐継承3.0)

 

ですが、本設問では「1960年代半ばまで」となっておりますので、NPTについては解答に盛り込む必要はありません。(NPTの最初の調印は1968年ですが、「1960年代の半ば」といった場合、1965年頃までとなるはずで、1968年まで行ってしまうとさすがに「1960年代後半」になるかと思います。) ただ、設問要求にある「核軍備の均衡」ということを考えた場合、NPTまであった方がバランスはいいんだよな~、という気はします。(PTBTだと仏・中不参加で全然均衡してないじゃないか、となりますしね。) 核の不拡散については国連で採択されるのは1963年ですので、書いてあっても減点はされないかなぁという気もしますが、設問の設定時期は明確に「1960年代半ばまで」となっていますので、多少バランスの悪さを感じつつもPTBTで止めておくのが正解かと思います。

 

(解答手順2:指定語句の分析)

:問題概要でも書いた通り、指定語句は「原子爆弾」、「北大西洋条約機構」、「放射能汚染」、「原水爆禁止運動」、「フルシチョフ」、「中華人民共和国」です。解答手順1で示した流れのどの部分でも使える用語が多いですが、原爆については核開発の最初の部分で、北大西洋条約機構(NATO)については冷戦構造の形成の中で使うのが良いかと思います。また、「放射能汚染」や「原水爆禁止運動」については第五福竜丸事件などに絡めつつ反核平和運動の拡大の流れの中で述べれば良いですし、「フルシチョフ」についてはキューバ危機周辺の米ソ関係の中で使用すればOKです。問題は「中華人民共和国」ですが、定番の使い方はPTBT(部分的核実験禁止条約)への反対と不参加について述べることかと思いますが、書き方によっては中ソ間の技術協力とその後の関係破棄(中ソ技術協定の破棄)や、フランスや中国が核開発に成功したことによる核拡散への危惧について述べるというやり方もアリかなと思います。

 

(解答手順3:史料の分析)

:史料の分析についてはすでに上記の問題概要のところであげていますが、手順としては軽く史料の内容を確認したら、まずは「核関連史の概要把握」、そして「指定語句の確認」、最後に資料をより深く読解して、全体の中でどのように位置づけるかを検討するとバランス良く書き進めることができるように思います。

 

(解答例)

米国が第二次世界大戦中に広島と長崎に原子爆弾を投下すると、ソ連も続いて原爆を開発した。また、ソ連や東欧など共産圏の広がりを危惧した西側資本主義諸国が北大西洋条約機構を組織し、冷戦構造が作られたことは、核戦争や放射能汚染の拡大を危ぶむ人々に深い不安を与え、平和擁護世界大会でストックホルムアピールが表明されるなど、反核運動が強まった。さらに、米国がビキニ環礁で行った水爆実験により第五福竜丸事件が起こると、広島の原水爆禁止世界大会、ラッセル=アインシュタイン宣言に刺激を受けたパグウォッシュ会議など、原水爆禁止運動は勢いを増した。ソ連のフルシチョフによるスターリン批判と平和共存提唱により、一時は関係改善に向かった米ソであったが、1962年のキューバ危機で核戦争の危機に直面した。米大統領ケネディとフルシチョフは危機を回避したが、核の扱いに脅威を覚えた両首脳は、ソ連のサハロフの提言もあり、英国も巻き込んで部分的核実験禁止条約を締結して地下以外の核実験を禁止し、核兵器の制御を試みた。また、核の不拡散も目指したが、依然として原水爆開発を進めていたフランスや中華人民共和国は反発し、同条約への不参加を表明した。(500字)

 

書き方は色々あろうかと思いますが、基本は設問の要求通り、核軍備の「増強、反発、均衡」というフェーズにそってまとめていき、それに具体例を示しながら肉付けしてくことになります。(増強→米ソの原水爆開発と保有、キューバ危機など、反発→ストックホルムアピール、原水爆禁止世界大会、ラッセル=アインシュタイン宣言、パグウォッシュ会議など、均衡→部分的核実験禁止条約) 史料については、無理に解答の中に盛り込まなくても良いですが、使えるものがあれば書き入れても良いかもしれません。

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 2018年から、東京外国語大学の出題形式に変化があり、従来の「400字論述+100字論述」から2018年は「600字論述+30字論述」、2019年は「500字論述+40字論述」となったことについてはすでに述べました。2020年はどうなるのだろうと思っていましたが、2020年も2019年と同じく「500字論述+40字論述」となりました。また、このスタイルは2021年の問題でも共通しています。3年連続で「500字論述+40字論述」となっておりますので、しばらくはこのスタイルで定着するのではないかと思っています。東京外国語大学の過去問については、東京外国語大学の方で過去3年分の過去問を掲載しています(→こちら)が、問題文の一部が欠落している部分などもありますので、やはり赤本を購入されるか、各学習塾の過去問データベースなどを利用されるのが良いかと思います。

 ところで、2020年の東京外国語大学の出題ですが、これはかなり注目すべきものでした。と言いますのも、500字論述として出題された「オスマン帝国の政治的統合と思想」というテーマはほぼ前年の東京大学の出題の焼き直しと言ってもよい内容でしたし、類似の出題はさらにその前年の2018年の京都大学でも出題されていました。以前こちらのブログでも書きましたが、このテーマは以前から「ホットだな」と感じていたテーマで、当ブログではすでに2017年に予想問題として掲載していました(→こちら。実際に作成したのは2016年ですが)。また、2020年に東京外国語大学で出題された設問の史料の一つであるユスフ=アクチュラの『三つの政治路線』(1904年、所収は歴史学研究会編『世界史史料8』より)についても、当ブログで紹介した予想問題で使用した史料そのままでした。

 もっとも、資料が同じものになること自体は、このテーマに関心を持ってこのテーマに関する出題をしたいと思って史料を探せば、かなり高い確率で『世界史史料』(『世界史史料』については→こちら)は用いることになりますので、別に特筆すべきことではありません。重要なことは、東京大学、京都大学、東京外国語大学という主要な国公立大学において、3年という短い期間の間に同一のテーマで出題がなされるくらい、このテーマはホットであったということです。

 私が、本テーマについて「ホットだな」と感じた理由はいくつかあります。まず、一つ目は「以前よりもオスマン帝国近代史に関する教科書、参考書の記述量が増えてきた」こと。二つ目は「以前は、やや難しいと感じられていた近代オスマン帝国がらみの用語の出題が、むしろ一般的でよく出題されるものに変わってきている」こと。三つめは「帝国やナショナリズムについての注目度や出題頻度が上がっている」こと。四つ目は「受験生が出題に耐えるだけの環境が整った(教科書、参考書の記述の増加や、出題頻度の増加により、きちんと学習さえしていればやや込み入った内容のオスマン帝国近代史でも対応できるようになってきている。)」ことなどです。

 たとえば、『詳説世界史研究』などにおけるオスマン帝国の近代史についての叙述は、以前のものと比べると目に見えて詳しく、その実態が分かるような記述にかわってきています。私は、オスマン帝国史を中心とする歴史学は専門外なのですが、その背景には近年のオスマン帝国史の隆盛があるようです。近年のオスマン帝国史の発展については、Web上のものですが永田雄三「近年のオスマン史研究の回顧と展望」(→こちら)などをごらんになると概要がつかみやすいでしょう。また、各種史料についての紹介は公益財団法人東洋文庫研究部イスラーム地域研究史料室の「オスマン帝国史料解題」(→こちら)などで見ることができます。

 重要なことは、たしかにこうした歴史学会における研究の隆盛などもあるのですが、先にあげた東京大学・京都大学・東京外国語大学などは高校で教えられている世界史の実態も鑑みて、歴史学的にも重要でかつ受験生も解くことができる出題とそのテーマはどのあたりかという感覚を共有しているということです。それはかなり、現場の感覚とも近いものだということが言えるわけで、だとすれば教科書や参考書の中で「最近、記述の分量が増えてきた」と感じる部分や、「叙述の仕方に変化が表れてきた」と感じる部分には注目するべきだと思われます。中でも、単に記述量が増えたというだけでなく、全体としてそれらの変化がこれまでの世界観やストーリーを上書きするような内容となってきている部分には注意が必要でしょう。そういう意味では、東京大学の2020年問題で出題され、東京外国語大学の2020年問題でも40字論述(小論述)として出題された琉球の日清両属など、東アジアがヨーロッパの主権国家体制に巻き込まれていく過程での伝統的関係の変化などは注目すべきテーマの一つであると思います。

 

2020 東京外国語大学

【概観】

:大問1は、オスマン帝国内外の動向にかかわる三つの史料を用いて、関連する事項について問うもので、小問数7と大論述1(500字)という構成は前年と同様のものでした。また、大問2は、東アジアの境界地域とそこに暮らす人々についての文章を読み、関連事項を問うもので、小問数6に対して小論述1(40字)と、こちらも前年と同様のものでした。

 内容は、大問1の方がほぼ近代オスマン帝国の周辺史のみで解答できる内容であったのに対し、大問2の方は時代的にも地域的にもややバラエティーに富んだ出題がなされていました。問題の難易度についてですが、小問のレベルは前年よりもやや難しくなったのではないかと感じます。易しい問題と難しい問題がはっきりと分かれていて、難しい問題はかなりしっかりと世界史の勉強をしてきていないと解けないのではないかと思います。また、すでに前年、前々年と京都大学や東京大学で立て続けに出題されたとはいえ、オスマン帝国における帝国維持の動きと思想を問うテーマは、おそらく英語主体の勉強を進めてくるであろう東京外国語大学志望の受験生にとってはまだまだとっつきにくいテーマであったかと思いますので、大論述もやや難しいと感じたのではないでしょうか。例年であれば、小問は基本全問正解、落としても1、2題までにしたいところですが、この年はそれよりも取りこぼしたとしても仕方なかったのではないかと思います。

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【小問概要と解説】

(大問1-1)

概要:以下の絵を描いた人物と、その人物に代表される理性や規範よりも個性に重きを置く思潮の名称を答えよ。

解答:ドラクロワ / ロマン主義

Eugène_Delacroix_-_Le_Massacre_de_Scio
(Wikipedia「キオス島の虐殺」より)

:ギリシア独立戦争に関連する頻出問題で、基本問題かと思います。強いて言えば、ドラクロワは出てもロマン主義が書けない人はいるかもしれません。関連事項としては、同時期に活躍し、ギリシア独立戦争に義勇兵として参加したものの熱病で亡くなったバイロンをおさえておくとよいでしょう。バイロンの代表作としては『チャイルド・ハロルドの巡礼(遍歴)』などがあります。

 

(大問1-2)

概要:ベルリン会議(1878)の調停を担当したドイツ帝国宰相は誰か。

解答:ビスマルク

 

:基本問題です。ただし、ベルリン会議の内容は私大などでも頻出事項ですから、細かいところまでしっかり確認しておきましょう。

 

(大問1-3)

概要:一時ロシアに割譲された後、パリ条約(1856)で一部が放棄され、ベルリン条約で改めて獲得した地域はどこか。

解答:ベッサラビア

 

:この設問は難しいです。各種模試で偏差値70UPなど、よく勉強している人であれば解けるかもしれませんが、そうでなければほとんどの受験生は書けないと思います。

 

(大問1-4) 

概要:アブデュルメジト1世により開始された改革の名称を答えよ。

解答:タンジマート

 

:基本問題です。これが解けないと正直この年の世界史は苦しいです。

 

(大問1-5) 

概要:エジプト遠征を指揮し、ピラミッドの戦いで勝利した軍人は誰か。

解答:ナポレオン=ボナパルト

 

:基本問題です。ですが、実際の設問は他にも多くの情報があり、それに惑わされると意外に思い浮かばないかもしれません。

 

(大問1-6) 

概要:反帝国主義とイスラーム世界の統一を訴え、当時のムスリム知識人に大きな影響を与えた思想家は誰か。

解答:アフガーニー

 

:一昔前であれば難しい設問でしたが、最近はすっかり定番の問題になりました。知識がきちんとアップデートされている先生の授業を受けていれば多分解けるはずです。

 

(大問1-7) 

概要:サイクス=ピコ協定を結んだ参加国はどこか

解答:イギリス、フランス、ロシア

 

:基本問題です。この協定は英・仏・露で結ばれましたが、よく出てくる下の地図にはロシアの支配地が描かれていません。これは、ロシアの支配地とされたのがボスフォラス・ダーダネルス両海峡周辺とされてこの地図の中におさまらないことが原因で、ロシアは同協定に参加しています。ですが、1917年にロシア革命が発生すると、この秘密協定は暴露されて、この協定を締結した主体であるロシア帝国は滅亡します。その結果、第一次世界大戦後の中東地域は英・仏を中心にその実質的支配下に置かれることとなりました。

サイクスピコ協定_勢力入り
サイクス・ピコ協定

(大問2-1) 

概要:倭寇の頭目、王直の拠点や、ポルトガル、オランダ、イギリス商船の拠点となった日本の島はどこか

解答:平戸

 

:この設問は少し難しいかと思います。ポルトガルが1550年に平戸を拠点に商館を設置した話は教科書、参考書等で出てくるので、そうした知識を丁寧に拾った人であれば解けるかもしれません。

 

(大問2-2) 

概要:アメリカ大陸(新大陸)の発見者は誰か。

解答:コロンブス

 

:超基本問題です。

 

(大問2-3) 

概要:7世紀前半に陸路でインドにおもむいた仏僧とその著作

解答:玄奘 / 『大唐西域記』

 

:基本問題です。同じく唐の時代の仏僧として義浄がいますが、義浄は海路での往復になりますのですぐに玄奘と特定できるはずです。漢字にだけ気をつける必要があるでしょう。

 

(大問2-4) 

概要:金を成立させた人物は誰か

解答:完顔阿骨打

 

:標準的な問題です。唐・宋の時代の周辺諸民族とその建国者はわりと良く出題される割に受験生が区別できていない&漢字の書けない部分です。逆に言えば、そこを身に着ければ点数になるということですので、どこかで確実に身につけておく必要があるでしょう。

 

(大問2-5) 

概要:大黒屋光太夫と親交のある、1792年に来日したロシア使節は誰か

解答:ラクスマン

 

:基本問題です。

 

(大問2-7) 

概要:2019年の法律で、日本で初めて法的に「先住民族」と認められた民族は何か

解答:アイヌ

 

:あまり世界史で出てくる内容ではなく、どちらかというと時事問題ですが、設問の文章から類推することは可能です。そもそも、「日本の先住民族」といった時にアイヌ以外の単語が思い浮かぶ受験生はそう多くないでしょうし、最近では『ゴールデンカムイ』なんかも人気でしたので、解けた人も多いのではないでしょうか。

 

【小論述解説(40字、大問2-6)】

概要:1870年代に琉球を舞台に発生した日清の対立について、その契機を指定語句を用いて40字以内で説明せよ。

解答例:日本が日清両属の琉球王国に沖縄県を設置する琉球処分を行ったため、清と対立した。(39字、下線部は設問の指定語句)

 

:標準的な小論述かと思います。40字と字数がややタイトなのでまとめるのに苦労するかもしれませんが、内容については知っていてほしい内容です。また、上述の通り2020年の東京問題の大論述でもテーマの一つとして出題された内容です。

 

【大論述解説(500字、大問1-8)】

(設問概要)

・オスマン帝国に体制改革を必要とさせた当時の国際情勢について説明せよ。

・19世紀~20世紀はじめのオスマン帝国で、為政者や知識人の間にあらわれた、人々を政治的に統合する思想について論ぜよ。

・史料[A]~[C]と問1~7の設問文を参考にせよ。

・500字以内

・指定語句:ギュルハネ勅令 / ミドハト憲法 / 青年トルコ / パン=イスラーム主義 / ムスタファ=ケマル(使用した箇所全てに下線を付せ)

 

(史料[A]) ベルリン条約

:第1条、第3条、第25条、第26条が示されています。出典は歴史学研究会編『世界史史料6』です。大論述を解くにあたって特に注意すべき内容はありませんが、セルビア・モンテネグロ・ルーマニアの独立やブルガリアの自治、ボスニア=ヘルツェゴヴィナに対するオーストリアの統治権承認など、オスマン統治下にあったバルカン半島の諸民族が独立、自立化したことによる帝国の分裂や、それにつけこんだ列強の進出など、基本事項はしっかり押さえておくべきです。(もっとも、本史料は読まなくとも、持っている世界史の知識で事足ります。)

 

(史料[B]) ユスフ=アクチュラ『三つの政治路線』(1904年)

:この史料の詳細とその解釈の仕方については、以前掲載した予想問題とその解説の方に示してあります(→こちら)。東京外国語大学が引用した箇所もほぼ同じ個所(少し東京外国語大学の方が長く引用していますが)です。本史料から読み取れる重要なことは以下の3点です。

 

①三つの政治路線とは「オスマン国民」の創出、「パン=イスラミズム」、「トルコ人の政治的ナショナリティ」の形成の三つ

:この三つの政治路線がどういうものかということについては、東京大学2019年の問題解説で詳しく解説済みですので、こちらをお読みください。

 

②「オスマン国民」とは、オスマン政府の名のもとに多様な諸民族を同化すること

:つまり、オスマンの分裂の原因であった多様な民族の混在の原因を、諸民族の同化によって根本から絶つことを意図しています。その際、同化の中心にあるのは「オスマン政府」であり、これはつまり「オスマン帝国に所属していること」を根拠としてそこに住まうものはみな同じく同化されるべきであるという発想です。これは、主としてタンジマートの期間中に新オスマン人が追い求めた「オスマン主義」に他なりません。それまで複数の民族や宗教によって多種多様な民族の坩堝であったオスマン帝国を、法の下の平等をはじめとする諸改革によって等しくオスマン臣民(オスマン人)とし、一つにまとまった国民国家を形成しようとする考え方で、だからこそタンジマートは西欧式の行政・司法改革を進めていきます。

ところが、これについてアクチュラは「実行不可能である」と言い切っています。これは、当時オスマン帝国内の諸民族がその文化、宗教などの違いから分裂傾向にあったことを考えれば、現実的ではなかったからです。アクチュラによれば、「オスマン国民」という概念は「オスマン国家のすべての民族の意思に反して、外国の妨害にもかかわらず、オスマン政府の指導者の何人かが、いくつかのヨーロッパ諸国…を頼って創出しようとしたものなのだ!」と述べており、オスマン帝国の分裂を避けたいオスマンの指導層による無理な創出物に過ぎないと指摘し、「オスマン国民」という単一の民族・国民の創出は現実的に不可能であることを主張しています。

 

③「パン=イスラミズム」は、全てのイスラームを政治的に統一するが、オスマン朝はこれを自身の権力の強化に利用しようとしていること

:アクチュラは、パン=イスラミズム(パン=イスラーム主義)について「カリフ権がオスマン朝の君主にあることを利用して」とオスマン朝のスルタンがスルタン=カリフ制を利用してイスラームの連帯を隠れ蓑に自身の専制政治の強化を図っていることをはっきりと認識しています。史料中にそれについての言及はほとんどありませんが、世界史の教科書や参考書にはその点記載があるはずです。また、同時代にアブデュル=ハミト2世自身が示した『政治的回顧録』や彼の政策(ミドハト憲法の停止、アフガーニーの招聘、皇帝専制の強化など)、そしてその後の青年トルコ革命などを思い浮かべれば、アクチュラがパン=イスラミズムに対して期待を寄せていないであろうことは想像がつきます。

 

(史料[C]) T.E.ロレンス『知恵の七柱』(1922年)

:トマス=エドワード=ロレンスは俗に「アラビアのロレンス」として知られるイギリスの軍人で、オスマン帝国に対抗して独立を目指すアラブ人の反乱を支援した人物です。昔の映画は場合によっては感覚が古すぎて見るのがつらいものもあるのですが、映画『アラビアのロレンス』は映像・音楽ともに今見ても新鮮さを感じさせる部分も多く、わりと安心してみることができます。ただ、昔の映画はとにかく長い!w この映画も今調べたら完全版227分だそうなので、もしご覧になるのであれば、覚悟して鑑賞する必要があるかもしれません。

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(Wikipedia「アラビアのロレンス」より、1963年のポスター)

本史料はそのロレンスから見たオスマントルコの状況について言及した部分になりますが、論述に関連するポイントを示すと以下のようになります。

 

① 「青年トルコ」革命はアラブにとって視野が明るくなるものだった

② パン=イスラーム主義を統治に利用しようとしたアブドュルハミトの野心

③ トルコは、ソヴィエトが公開したサイクス=ピコ協定を西欧に対抗する武器とした

 

ただし、注意しておきたいのはロレンスの史料は基本的にイギリス側からの見方であるということと、オスマン帝国内の諸民族をヨーロッパ的な「オリエント」という視点で混同しがちなことです。たとえば、①についてですが、たしかに青年トルコ革命はロレンスの史料内で述べられているように「主権国家の憲法理論に駆られ」た「自治と民族の自由を目指す」ものでありましたが、その基本理念はパン=トルコ主義(トルコ民族主義)でした。とすれば、青年トルコによる政権はトルコ人以外の民族についても帝国内の人々をトルコ人として扱おうとする、つまり同化圧力がかかるのであって、必ずしもアラブ人の自立や独立にプラスの影響を与えるものではなかったと言えます。(そもそも、青年トルコ革命にアラブ人が満足するのであれば、アラブ大反乱がおこる理由がありません。)そうした部分を割り引く必要はありますが、それでもパン=イスラーム主義とアブデュルハミト2世の専制強化との関係や、それに対する青年トルコの対抗、サイクス=ピコ協定に対するトルコ人の不満などは本史料から読み取ることが可能です。

 

(解答手順1:オスマン帝国に体制改革を必要とさせた当時の国際情勢を整理)

:本設問の要求は19世紀~20世紀はじめとなっていますので、「当時」とはこの時期で考えればよいでしょう。オスマン帝国の体制改革は、すでに18世紀末から19世紀はじめにかけて、セリム3世のニザーム=ジェディット(西洋式軍隊)の創設やマフムト2世によるイェニチェリの全廃などによって進められておりましたが、より大きな改革としてはアブドュルメジト1世のギュルハネ勅令を機に開始されたタンジマート(恩恵改革)があります。ですから、本設問は、なぜオスマン帝国がタンジマートをはじめとする諸改革を始めることになったのか、その背景となった国際情勢について言及すればよいことになります。それらをまとめれば以下のようなものになるでしょう。また、タンジマートは非常に長い期間にかけて展開された諸改革ですので、その過程において影響を与えた事柄として⑤についても言及するとよいかと思います。

 

① ロシアの南下

② ギリシアの独立をはじめとする各地域の自立化傾向

③ エジプト=トルコ戦争の敗北とエジプトの実質的独立

④ 欧州列強の進出と脅威

⑤ クリミア戦争

 

(解答手順2:政治的統合についての思想を整理する)

:上述の通り、政治的統合についての思想には以下の三つがあります。これは、設問に史料として提示されているユスフ=アクチュラの思想が『三つの政治路線』となっていることもヒントになるかと思います。

 

① オスマン主義

② パン=イスラーム主義

③ パン=トルコ主義(トルコ民族主義)

 

これらが、当時のオスマン帝国でどのような意味をもったのかについては、上述の通り、すでに2019年の東京大学大論述解説で示しておりますので、そちらをご覧ください(→こちら)。

 

(解答手順3:記述すべき内容の整理)

:今回は細かい部分の解説を過去の記事(東大2019年過去問や予想問題)に任せてしまったので、ここでどういった内容を解答に盛り込むべきか整理しておきたいと思います。

 

① ロシアの南下

② ギリシアの独立をはじめとする各地域の自立化傾向

③ エジプト=トルコ戦争の敗北とエジプトの実質的独立

④ 欧州列強の進出と脅威

:①~④によるタンジマートの開始

⑤ クリミア戦争

:オスマン帝国の財政破綻、西欧諸国への経済依存度の高まり

⑥ オスマン主義

:立憲制樹立に向けての「新オスマン人」の活動、国民国家創出を目指す

⑦ ミドハト憲法の制定と停止

:露土戦争を契機としたミドハト憲法の停止

⑧ アブデュルハミト2世によるスルタン専制とパン=イスラーム主義の利用

⑨ パン=イスラーム主義の内容

:アフガーニーによる反帝国主義とイスラーム世界の統一を目指す思想

⑩ 青年トルコの活動

:アブデュルハミト2世の退位とミドハト憲法の復活

⑪ パン=トルコ主義(トルコ民族主義)

⑫ 西欧の中東分割に対するトルコ人の反発

:サイクス=ピコ協定に対する反発、セーヴル条約とこれを締結したスルタン政府に対する反発

⑬ ムスタファ=ケマルとアンカラ国民議会による抵抗

:イズミルに侵入したギリシア軍の撃退、ローザンヌ条約(1923)の締結

⑭ スルタン制の廃止

⑮ トルコ共和国の樹立

⑯ 政教分離策と西欧的近代化の推進

 

時代的にどこまで書くべきかという問題がありますが、指定語句に「ムスタファ=ケマル」があることから考えても、トルコ共和国の建国までは書くべきだと思います。また、ムスタファ=ケマルの政教分離策が、スルタン専制支配につながるイスラーム色の排除を意図したものであったと考えれば、新しい国民統合の形として政教分離を選んだという部分もありますので、これについても言及して差し支えはないかと思います。

 

【解答例】

オスマン帝国は黒海北岸へのロシアの南下やギリシアの独立、ムハンマド=アリーとのエジプト=トルコ戦争の敗北などで衰退の度を増したため、アブドュルメジト1世のギュルハネ勅令でタンジマートを始めた。広範な西欧化改革を進めた背景には、法の下の平等により多様な民族をオスマン帝国臣民として統一せんとする新オスマン人と呼ばれる知識人層のオスマン主義があった。クリミア戦争敗北を機に立憲君主制を志向するまでに改革は進み、ミドハト憲法が制定されたが、財政破綻は西欧列強への依存度を高めた。露土戦争を口実にアブデュルハミト2世が憲法を停止し、パン=イスラーム主義を利用して専制を強化すると、失望した青年知識人層はトルコ民族主義を軸に憲政復活を目指す統一と進歩委員会を結成し、青年トルコ革命で憲法を復活させた。議会はスルタンから主導権を奪ったが、第一次世界大戦の敗北で解体した。権力の奪還を図るスルタン政府が連合国とセーヴル条約を締結すると、反発したムスタファ=ケマルとアンカラ国民議会はトルコ民族主義を高めて抵抗し、スルタン制を廃止してセーヴル条約を破棄し、トルコ共和国を建国して政教分離政策に基づく近代化を開始した。(500字)

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