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カテゴリ: 早稲田大学過去問解説

今回は早稲田大学文学部の簡単な出題傾向分析をしてみました。とりあえず、過去5年分について、各大問ごとの主要テーマと、出題ごとの範囲分析を行いました。毎度のことですが、分類はやや粗い部分もあるかと思いますので、必ずしも厳密なものではありません。たとえば、選択肢が複数あって、それら選択肢が「古代~現代」にわたっている場合などは分類がしにくいのですね。ただ、早稲田の文学部はわりとそのへんはっきりしていて、一つの設問の中に複数の範囲が含まれるような問題はあまり出題されていません。それでも複数の範囲にわたっている場合には、大問の主要テーマ、出題の内容、解答などから照らして妥当だと思われる範囲に振り分けています。

(大問ごとの主要テーマ)
早稲田文学部出題傾向分析2
:大問1でこれでもかと古代オリエント~地中海世界が出てきますので、古代オリエント、古代ギリシア、ヘレニズムあたりは必須です。一方で、アケメネス朝や古代ローマはあまり出題頻度が高くないような印象を受けます。よく出てくるのは、シュメール人以降の古代オリエントにおける諸民族の興亡や活動、古代エジプト関連の出題でしょうか。
他によく出題されるのは中国史の中でも秦・漢・魏晋南北朝・隋・唐・五代・元・明~清初でしょうか。意外に宋がらみはそんなに出題されていない(皆無ではないですが)印象があります。また、中国の近現代史(清朝末期以降)もあまり出ている印象はありません。明朝ではイエズス会宣教師がらみの出題がわりと高い頻度で出てくる印象です。
また、ヨーロッパ中世史も高い頻度で出題されます。2019年こそフランク王国が出てきましたが、それ以外はおおむね10世紀以降、西ヨーロッパの教会制度が整備されて以降の歴史が多く出題されている印象です。また、ヨーロッパ近世史の方ではイギリス・フランス関連の歴史はよく出てきます。特にルイ14世期の周辺の歴史は必須かと思います。中世については、フランク~ルネサンスまでの歴史をドイツ・イタリア・フランス・イギリスなどを中心に(一部、ビザンツ関連の出題がありますが、基本問題です。)学習し、近世史についてはルネサンス・大航海時代・宗教改革のあたりからスペイン継承戦争のあたりまでを手厚く学習しておくと良いでしょう。
近代史・現代史についてはわりとテーマが散っている印象です。それほど難しい問題は出題されず、全て基本問題の範囲内であるように思います。ヨーロッパによるアジア・アフリカの植民地化と民族運動、二つの世界大戦、冷戦に関連して、代表的なテーマを抑えておくとよいでしょう。

(各設問の出題範囲分析)
早稲田文学部出題傾向分析1
:設問ごとに、解答がどの範囲に関係しているものかを分析したのが上の表になります。範囲については山川出版社『詳説世界史研究』2017年度版の章立てを利用しました。もっと細かく分けても良かったのですが、煩雑になってしまうので。また、厄介なことに2017年版『詳説世界史研究』は19世紀・20世紀の文化史をごそっと削ってしまったので、載っていないものもありました。(なんとシュールレアリスムが索引に載っていない!セザンヌやピカソすらない![一応、ピカソはゲルニカの注のところに名前だけ出ていましたが、キュビズム云々は影も形もない。] それなのに「世紀末文化とベルエポック」とかいう項目があったりする[汗]。)こうした掲載されていないものについては、山川用語集の掲載場所から妥当だと思われる範囲に振り分けています。
過去5年間についてですが、ご覧の通り先史時代からの出題はありません。また、意外に19世紀以降の歴史はそれほど出題頻度が高くありません。(2023年に「近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立」で8題出ているのも、ナポレオン関連(テルミドールのクーデタ~ブリュメールのクーデタまで)がごそっと出たためで、どちらかというとフランス革命の延長線上にあるものと考えられます。また、イスラーム史についても申し訳程度にしか出てきていません。(イスラーム史は昨年度に限って言えばいつもよりもやや多かったです。また、この5年でカーリミー商人がたしか2回出て来ました。)
特に出題頻度の高かった(全体に対する割合が10%を超えてきたものは黄色で示しました)範囲は、大問ごとの主要テーマの方で印象として語ったように、やはり「オリエントと地中海世界」、「内陸アジア世界・東アジア世界の形成」、「ヨーロッパ世界の形成と発展」、「近世ヨーロッパ世界の形成」からの出題が多かったです。

(その他)
:早稲田大学文学部の世界史では、2019年までは数十字の論述問題が出題されていましたが、2020年以降は論述問題の出題はありません。(ちなみに、2019年の問題はアカプルコ貿易が中国[明]の社会経済に及ぼした影響について90字で書かせるものでした。[指定語句はラテンアメリカ・マニラ・一条鞭法]) また、これまで大問は8題(まれに9題)の構成でしたが、2023年のみ7題での構成となっています。どこかの大問で文化史についての出題が毎年出て来ますが、印象派など近現代の美術史を多く出題する文化構想学部の出題とは異なり、文学部の文化史問題はわりと多くの時代から、まんべんなく、基本事項を聞いてくるもので、特別な対策は不要であるように思います。「あまりにも文化史ができない」という人だけ、各時代の文化史の基本事項を簡単におさらいしておくと良いでしょう。

以上、簡単な分析をしてまいりましたが、これらはあくまで過去5年分程度の簡単な分析にすぎません。「出題傾向」などというものは時としてガラっと変わってしまうこともありますので、その辺のところをよくご理解の上、参考になるものがあればお使いください。
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 早稲田大学の法学部については、300字論述(以前は250字論述)ということもあって字数がかなり長く、単なる知識だけでは解けない部分もあるために解説をしておりますが、その他の学部の論述については解説をしておりませんでした。(法学部についてはこちら

その理由は「解説はいらん。必要なのは知識。」であるからというのが一つ。もう一つは「正直、作ってもあまり面白くないw」からですw欲望に忠実ですみませんw

ただ、解答自体は教科書や参考書で知識の再確認を行えば済むにしても、学部ごとの出題傾向くらいはある程度把握しても良いかなと思いましたので、2014年以降と限定的ではありますが学部ごとの出題一覧を作ってみました。

 

【早稲田大学政治経済学部論述出題一覧】

早稲田大学の政治経済学部では法学部のような単問形式の論述ではなく、リード文中の下線に関連する問題ということで出題されることが多いです。字数は2015年以降、160字での出題が多かったですが、概ね120字~160字くらいでした。(2014年は120字×22018年ならびに2019年は140字。)

ちなみに、2015年以降は重要な国際会議に関連する出題がされていました。内容としては平易な内容が多く、基本的な事項が分かればある程度は書けます。法学部と異なり用語指定がないため、全く知らない範囲が出題されるとヒントがなく、書きようがなくなる危険性がありました。また、過去7年間(20142020年)の出題は全て1920世紀史からの出題でした。もっとも、早稲田の政経は入試形式の変更にともない、2021年から世界史がなくなっています。ですから、この出題傾向ももう過去のものになりました。では、過去問ももう意味がないかと言いますと、私はそうは思いません。早稲田の他学部(特に法や商)や他大の政治・経済系の学部を受験する人にはチャレンジ問題としてしばらくは良い材料になるのではないかと思います。

早稲田政経論述_2020_2014

 

【早稲田大学商学部論述出題一覧】

早稲田の商学部については、2014年以降の論述問題は全て100字論述でした。かつては平易な内容が多かったのですが、近年かなり深い世界史的知識を要求する問題や、知識をもとに背景・影響・関係性を考えさせる問題が増えてきており、やや難化している気がします。出題範囲はほとんどが20世紀史になるので現代史に対する深い理解が必要となります。

早稲田商論述_2021_2014

 

【早稲田大学文学部論述出題一覧】

早稲田の文学部は50字以内の短い論述で、内容的には平易です。ただ、2019年の文学部では120字論述が登場しました。一方、2020年度、2021年度の文学部では論述は出題されませんでした。範囲については20世紀史が多いのですが、16世紀以降の近代史からの出題もあります。近現代史をしっかり確認する必要があるでしょう。

早稲田文論述_2019_2014

 

【その他】

法学部・政治経済学部・商学部・文学部以外の学部については、2014年以降で論述問題の出題はありませんでした。

 



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早稲田大学の文化構想学部については毎年最後の大問でまとまった文化史の出題がされています。これまでも漠然と印象派周辺の絵画史に関する出題が多いなぁと感じておりましたので、今回は過去数年分の問題について傾向分析をしてみることにしました。(文化構想学部の全問題についての分析ではなく、あくまでも最終大問についての分析ですのでご注意ください。)

 

 まず、以下は年別に文化構想学部の最後の大問で出題された設問の解答と、解答に直接関係する(解答を導くヒントにダイレクトに直結する)と思われる関連事項について示したものです。(関連事項は基本的にリード文や設問の文章の中に含まれています。)

早稲田文化構想解答一覧 - コピー

 また、解答に結びつくいくつかのヒントがリード文や設問中には見られますが、それらのうちかなり直接的に解答に結びつく知識の一覧を示したものが以下の表になります。

早稲田文化構想関連知識一覧 - コピー

 

これを見ただけでもかなり印象派を中心とした19世紀以降の美術史に偏っているなという印象を受けましたので、数的に分析してみることにしました。ただし、「関連知識」については主観が入り込んだり、取捨選択がされてしまう部分もありますので、解答のみに絞って数を数えて分野別にまとめたところ、以下のような結果となりました。

 早稲田文化構想傾向分析 - コピー

  

 表中の「文化以外、その他」というのは、解答の用語自体は、文化史ではなくむしろメインは政治史などの文脈で出てくる用語になります。例を挙げると、「フランス学士院を設立したルイ13世の宰相」というヒントで出題された問題の解答「リシュリュー」は、フランス学士院との絡みで考えれば文化史の範疇に入るものですが、ルイ13世期の宰相としての側面が強い用語であることから、ここでは17世紀~18世紀の文化とは数えず、「文化以外、その他」の範疇として数えました。また、2014年の設問の解答は全てアジア史に関する設問でしかも古代史からの出題でした。その他の年の設問が基本的にヨーロッパを取り扱っておりますので、アジア史についても「その他」として扱いました。

上記のようなものを除外したにもかかわらず、年によって偏りはあるものの、やはり19世紀~20世紀の文化史の割合が多いように思われます(約52%)。ルネサンス以降、ということになれば8割弱(約77%)がそちらからの出題になります。また、19世紀~20世紀の文化史にかかわる解答のうち、「ドビュッシー」、「スメタナ」などの音楽分野や、「アインシュタイン」などの自然科学分野を除外し、印象派を中心とする19世紀以降の絵画史にのみ絞って数を数えたところ、全体の4割近くがこの分野から出題されていました。やはり、印象派などが多く出題されているという感覚はデータ的にも誤っていなかったことになります。

 

【対策】

 全体の傾向を見ますと、特に19世紀以降の文化史(できれば17世紀以降の文化史も含めて)については少し突っ込んだ内容まで覚えるようにし、中でも印象派についての知識はしっかりと入れておけば、大抵の場合には対応できる問題かと思います。ルネサンスまたはそれ以前についても出題されることはありますが、かなり基本的な知識ばかりで、重箱の隅をつついたような設問が出ることは2014年から2021年にかけてはありませんでした。(ラファエロだの、ミケランジェロのダヴィデ像だのはルネサンスの中でもやはり基本でしょう。) それ以外の文化については、通常の学習を進めていれば事足りるので、あえて特別な対策をする必要はないかなと思います。

 理想を言えば、ルネサンス以降、1718世紀のバロックやロココ、新古典などの美術を中心とした文化がどのような流れでつながっているのかについての簡単な理解に加えて、さらに19世紀からのロマン主義、自然主義、写実主義、印象派、アール=ヌーヴォーなどがどのようなものかということについての基本的な理解ができていることが望ましいかと思います。

 注意しておきたいのは、以上の傾向と対策はあくまでも「全体を見ればそういう傾向が(今のところは)ある」というだけで、「絶対にココが出る」というものではない、ということです。現に、2014年の問題なんかは印象派だの19世紀以降の文化だのやっていても全く意味はないですからね。最後には運になってしまうので、あまり傾向や予想に頼り切ってヤマをはった勉強の仕方をするのではなく、可能であればまんべんなくじっくりと取り組む形の学習を進めるべきかと思います。出題傾向は、そうした学習をしっかり積んだ上でプラスアルファとしてより重点的に学習する箇所を定めたい人か、逆に全く勉強が追い付いていない場合に、窮余の一策としてヤマをはりたい人向けのものかな、と個人的には考えています。

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またしても久しぶりの更新になります。もう、何というか、コロナの影響でえらいことになっておりまして、とにかく状況に対応するのに必死といった感じでした。みなさまにおかれましてもお身体にお気をつけてお過ごしください。

そんなわけで、以前読者の方から「とても難しい問題だったので2020年の早稲田政経の解説をして欲しい」というご依頼があったことが心に残りつつもなかなか手を付けることができずにおりました。それでもどうにか落ち着きましたので、久しぶりの更新である今回は2020年早稲田大学政治経済学部の問題解説を進めたいと思います。

解いてみての感想ですが、たしかに例年と比べるとやや難しい問題かなと思います。ただ、同じ「難しい」問題でも、受験生の努力や思考力を問うために工夫された良質の「難しい」問題と、単に出題者の側が受験生の実態をよく把握していないがために生じる、高校世界史ではあまり一般的でない知識(よく勉強している受験生でも把握しきれない可能性がある知識)を問う「難しい」問題、いわゆる悪問の類がありまして、この年の政経にはこうした設問がいくらか混じっておりました。

もっとも、早稲田の政経を受けるくらいの受験生の中には当然「世界史の権化」みたいな受験生もおりまして、こうした受験生は『詳説世界史研究』や用語集の重箱の隅をつついたようなレベルの問題でも無双してしまい、場合によっては満点を取ってしまったりしますので、出題者側が満点を取らせないために意識してこうした設問を入れているのかもしれませんから、一概にそのこと自体が「悪い」と決めつけるわけにもいきません。

ただ、受験生の側としては「どの知識が比較的よく出てくる頻出の問題であるか」、「どの知識は深く勉強すれば身につく知識であるか」、「どの知識がどんなに教科書・参考書とにらめっこしても身につかない知識であるか」などは把握しておきたいところかと思いますので、解説の方ではところどころに「基本問題」「悪問」の表示をしておきました。

「基本問題」としてあるのは、ここでは「早稲田の政経を受験する平均的な受験生であれば、受験当日までにはおそらく身につけているであろう問題」という意味で、当日ここを取りこぼしてしまうと(世界史については)合格点がおぼつかないという意味ですので、別に「こんな問題はチョー簡単で基本問題だよね」みたいな見下した評価ではありません。また、受験当日までに身についていればよいので、その前の段階で身についていないからと言って悲観的になる必要もありません。同じく「悪問」としてあるものは「早稲田政経受験者のうち、一般的な高校世界史の知識をかなり深く勉強した受験生であっても知らない知識が、正解を導くために必要となる問題」だと思っていただければよいのではないと思います。

全体としては、設問数46に対して、「難しい」、「やや難しい」と感じられた問題が11(うち、悪問と感じられた問題が3)ありましたが、一方で基本問題と感じられた問題も11ありました。難しい問題をすべて落としたとしても35/46と、約75%ありますから、解けない問題にはこだわらずにきちんと解ける問題をしっかり拾っていければ合格点の取れる問題だったのではないかと思います。ただ、特に大問1については思考力や情報分析力を必要とする問題ですので、一概に設問の文章だけから難しい、難しくないを言うことはできないと思います。

 

2020年 早稲田大学政治経済学部解説】

 

Ⅰ‐問題数13 清朝

Ⅱ‐問題数15(要求回答数16) 中、近世ヨーロッパ

Ⅲ‐問題数6(要求回答数9) 港湾都市の地図と歴史

Ⅳ‐問題数12(要求回答数13、うち1問は論述問題[160]) 20世紀の経済

 

 

【概要】

:清朝期に関連する①~⑤の史料をベースとした設問です。この史料①から⑤を特定するのがかなり難しいです。まず、内容だけから各史料が何かを特定するのは困難です。ただ、設問の内容や選択肢から限定・特定できるのでいわゆる「悪問」ではありません。もっとも、この特定にもかなりの知識・思考力・注意力を必要としますので、困難であることには変わりがありません。Ⅰ~Ⅳまである2020年政経の大問の中ではまず間違いなく最も手間のかかる設問で、しかもそれが大問1で出てきたため、ここで時間をくってしまったり、戸惑ってしまった学生は十分に力を発揮できなかった恐れがあります。

 また、政経の問題は選択形式の問題をA、記述式の問題をBとしていますが、その中で文章中の下線部や空欄の記号が不規則な形で出題されます。(たとえば、空欄 a と下線部bがあり、空欄 a の問題が記述問題、下線部bの問題が選択型問題の場合、先に下線部bについての設問が出てきてしまう) ですが、2020年の政経に限って言いますと(他の年でもあることですが)、設問順ではなく文章中に出てくるabcの順に問題を解いた方が内容がよく理解できます。これは設問作成上の不備(先にaから順に設問を作った後で、無理やり選択肢問題と記述問題の種別で分けて整序するために、出題者の意図や用意したヒントがぶつ切りになってしまい分かりにくくなる)なのではないかという気がするのですが、そういった情報整理も含めての力を要求しているのかもしれませんし、何とも言えません。(ただ、単純なテクニックに左右されてしまうような力をはかっても意味はないのではないか、という気もします。)

 

【史料と特定の仕方】

(全体)

:まず、史料①~⑤が紹介されます。内容から中国のものだということはわかりますが、どの時代と特定はされていません。ただ、史料のあちこちに西洋人やキリスト教が登場することや、設問の選択肢がほぼ清朝期の出来事であること、史料⑤がマカートニーの日記であることが設問A-5で明言されていることなどから、清朝期の史料であることはすぐに特定できます。

 

①雍正帝期のキリスト教禁令にかんする上奏文 【難】

:史料中に空欄 a があり、戸惑いますが、先に設問B-1を見ると空欄 a に入るのは漢字1字ということがわかります。史料中で西洋人が「 a の作成や他の雑用に役立」つと言っていることや、各地に住まう「 a 法に通じ、技能のあるものを調べて、北京に送り届け」るように命じていることなどから、 a に入るのは「暦」で問題はないと思います。

 また、 a の答えがわからないままでも、技能のある人間は北京に送る一方、「他はマカオに送致して住まわせ、内地に潜伏させないように」という記述や「天主堂は、みな会館として使用し、これまで誤ってその教えに入った者は、厳しく説諭して改宗させます。もし以前のように人々を集めて経を唱える等のことがあれば、重く処罰します。」とありますので、宣教師のマカオへの退去やキリスト教禁令について述べていることは明らかです。

 典礼問題をきっかけとするキリスト教禁令は

 ・康熙帝の禁令(イエズス会以外の宣教師によるキリスト教布教を禁止)

 ・雍正帝の禁令(すべての宣教師によるキリスト教布教禁止)

がありますが、ここでは「これまで誤ってその教えに入った者は、厳しく説諭して改宗させ」とありますので、イエズス会であるかないかにかかわらずキリスト教全体が対象となっていることがわかりますので、雍正帝期の史料であることがわかります。

 

②北京条約(1860 【やや難】

:まず、設問A-2に清と b との間で結ばれた条約の一部とあります。

 さらに、史料中に「北京に駐在の b の欽差大臣(公使)」とありますので、少なくとも「外国公使の北京駐在」を認めた天津条約(1858)以降でなくてはならないでしょう。「天主教(キリスト教)信者が迫害を受けた際に没収された」施設や財産を b の公使に賠償するように命じていることから、 b はフランスであることがわかります(フランスがアロー戦争に参加した口実はフランス人宣教師の殺害)。

 正直、史料だけでは天津条約(1858)か北京条約(1860)かの区別はつきにくいですが、設問2-Aの正解である「800万両の賠償金」から北京条約と確定できます。(天津条約でのフランスへの賠償金は200万両であるため。もっとも、北京条約と確定しなくても設問は解けます。)

 

③康煕帝の勅諭 【やや難】

:設問A-3で「ある皇帝の勅諭」であることが示されます。史料中に「ロシアを討伐する際に」とあることからロシアと争ったことが分かりますが、高校世界史の知識で清朝期にロシアと争う可能性があるのはネルチンスク条約締結前と、イリ事件の前後あたりが思い浮かぶと思います。また、史料より西洋人が「 a 法(暦法)を管理し、先の戦役においては武器を調達し、勤勉に力を尽くしている」、「彼らの教えを邪教と見なして禁止するのは、まったくの冤罪というものである。」とあり、西洋人との協力関係や西洋人の人材・技術・キリスト教に対する肯定的評価がうかがえますので、西洋列強の中国侵略後ではありません。

 ロシアとの争いをネルチンスク条約締結前の軋轢、「先の戦役」を三藩の乱、キリスト教の教え自体を否定してないことを「イエズス会以外のキリスト教布教禁止(イエズス会はキリスト教布教をしても良い)」と対応させればしっくりきますので、同史料は康煕帝のものであると確定できます。

 

④クレメンス11世の命令 【易】

:これは史料より「いかなる理由であれキリスト教信徒はこれ(「 f と祖先に対して中国人が行っている慣習」=典礼)を実施したり、主宰したり、出席したりしてはならない」と、典礼を行うことを禁止しておりますので教皇側の命令であることは明らかです。設問A-4の選択肢に教皇は一人しかいませんので、クレメンス11世であることがわかります。この史料の確定は容易で、これが分からないようだとかなり苦戦すると思います。

 

⑤マカートニーの日記 【易】

:設問A-5の問題文に「イギリスから清に派遣された外交使節マカートニーの日記」とはっきり書かれていますので問題ありません。史料だけから理詰めで確定するのは難しい(カンでわかりますが、論拠を示すのは難しいです)ので、気づくのが遅れると大変だと思います。

 

以上のように、各史料がどういう性格のものか確定すると設問を解くことが容易になりますが、設問に目を通さないと史料の確定が難しく、同時並行的に進めなくてはならないのでかなり大変だと思います。

 

【Ⅰ-A設問】

1 正しい文章は「ニ」 【やや難】

:史料①は雍正帝期のもの。軍機処の設立は雍正帝のジュンガル遠征時ですからニが正解。

(誤文)

 イ:『皇輿全覧図』は康煕帝のとき

 ロ:理藩院の設立はホンタイジのチャハル部平定時

 ハ:ベトナムへの軍事介入は乾隆帝による西山朝に対するもの

 

2 正しい文章は「ロ」

:上記史料②の解説に記載。

(誤文)

 イ:ウスリー川以東の沿海地方(沿海州)を割譲したのはロシアに対して(北京条約)

 ハ:香港割譲はイギリスに対して(南京条約)

 ニ:フランスへのベトナム保護国化承認は清仏戦争後の天津条約(1885年)

 

3 正しい文章は「ニ」

:康煕帝の事績なので、鄭氏台湾の制圧が正しい。

(誤文)

 イ 辮髪令をはじめて出したのは1645年、順治帝のとき(睿親王ドルゴンによる)

 ロ 『四庫全書』編纂は乾隆帝の時

 ハ 国号を金から清にしたのはホンタイジの時

 

4 正解は「ニ」 【基本問題】

:上記史料④の解説に記載。

 

5 正しい文章は「ロ」

:消去法。

(誤文)

 イ 清初にキリスト教が弾圧された事実はない

 ハ 19世紀初頭とあるので、史料⑤のマカートニーが中国にやってきた1793年よりも後

 ニ 黄埔条約は1844年で、1793年よりも後

 

6 正しいものは「ニ」の三藩の乱

:上記史料③の解説に記載。

(他の選択肢)

 イ 「捻軍の乱」は1853-1868年に華北を中心におこった反乱

 ロ 「白蓮教徒の乱」は清朝では1796-1804の嘉慶白蓮教徒の乱が有名

 ハ 「清のジュンガル征服」は1758年の乾隆帝の時

 

7 正しい文章は「イ」 【やや難】

:康煕帝の時期には軍機処はまだ設立されていないため「ニ」が×となり、消去法で選べる。

(誤文)

 ロ 総理衙門の設置は北京条約の翌年(1861年)

 ハ 中書・門下・尚書の三省は唐の行政システム

 ニ 軍機処の設置は雍正帝の時

 

8 正しい文章は「ハ」

:消去法。2択まで絞るのは容易。

 イ 日本(長崎)へ向かう船の主な出航地は江南地方(寧波など)

 ロ 港は広州一行に限定されたが、他のヨーロッパ商人との貿易も行っている

 ニ 公行は広州での貿易を独占した

 

【Ⅰ-B設問】

1 暦

:上記史料①の解説に記載。

 

2 フランス

:上記史料②の解説に記載。

 

3 ネルチンスク条約

:上記史料③の解説に記載。

 

4 孔子 【基本問題】

:史料④の内容が典礼の禁止であることから明らか。

 

5 フランス革命

:マカートニーが中国に来たのが1793年であるので、同時期のヨーロッパにおける「大きな騒動や反乱」として最もありうるものを考えればわかる。

 

【概要】

:設問自体に大きな特徴はありません。ただ、高校世界史としてはあまり一般的ではない知識(重箱の隅をつついたような知識)を問うてくる設問が混じっているため、難しい設問が散見されました。もっとも、「難しい」というだけであり、その知識を入学試験で問う意義はあまり感じませんでした。

 

【Ⅱ-A設問】

1 「ハ」のグレゴリウス1世が正解 【基本問題】

 

2 正しい文章は「ロ」 【難、悪問】

:かなり無茶な消去法。または単純に「ロ」が正しいという知識を持っているかどうか。

(誤文)

 イ ミケランジェロに「天地創造」を書かせたのはユリウス2

 ハ サン=ピエトロ大聖堂の新築工事を始めたのもユリウス2

 ニ システィナ礼拝堂の着工は1473年、完成が1481年なので、レオ10世より前

 

3 順に並べたときに3番目にくるのは「イ」 【やや難】

 イ トリエント公会議招集は1545

 ロ ヘンリ8世の破門は首長法(1534年)の少し後で、1538

 ハ 禁書目録のリスト公示は少なくとも対抗宗教改革(トリエント公会議)の後

 ニ イエズス会の設立認可は1534

 →以上から、順番は「ニ」→「ロ」→「イ」→「ハ」

 

4 正しい組み合わせは「イ」 【やや難】

:やや無茶な消去法。または単純に「イ」が正しいという知識を持っているかどうか。(ファン=ダイクがチャールズ1世の肖像画家である、というのは文化史をきちんと勉強していれば知っていてもおかしくない知識なので、消去法よりは一本釣りの方が正解できそうです。)

(誤った組み合わせ)

 ロ ルーベンスは17世紀前半のフランドル画家で、ルイ13世の母である「マリ=ド=メディシスの生涯」などを描くなどしているが、ルイ13世期の人物でルイ14世の時代ではない。「ルイ14世の肖像」はイアサント=リゴーの作品。

 ハ ベラスケスは17世紀スペインの画家。カール5世(カルロス1世)は16世紀前半。「カール5世の騎馬像」はティツィアーノの作品。

 ニ ムリリョは17世紀スペインの画家だが、宗教画や子どもの絵が多い。「フェリペ4世の騎馬像」はベラスケスの作品。

 

5 順に並べたときに3番目にくるのは「ロ」

 イ スペイン継承戦争についてなので17011713/1714

 ロ カルロヴィッツ条約は1699

 ハ アウクスブルク同盟戦争はファルツ戦争または大同盟戦争のことなので16881697

 ニ 第二次ウィーン包囲のことなので1683

 →以上から、順番は「ニ」→「ハ」→「ロ」→「イ」

 

6 ヴェルサイユ宮殿で起こった出来事なので「ニ」 【やや難】

:国民議会が憲法制定まで解散しないことを誓ったのは「テニスコート(球戯場)の誓い」なので、舞台はヴェルサイユ宮殿(実際に改称されるのは約半月後の79日)

(誤文):高校世界史レベルの知識で自信をもって消去するのはかなり無理がある 

 イ 聖職者民事基本法(1790)は憲法制定議会による

 ロ 革命1周年ということは17907月頃なので、少なくともヴェルサイユ行進(178910月)以降のことであり、当時ルイ16世はテュイルリー宮殿にいたことはわかるため、これを消去することはカンの良い受験生であれば可能

 ハ 同業組合禁止などを定めたル=シャプリエ法は1791

 →フランス革命中の議会のほとんどはテュイルリー宮殿内の各施設(特に屋内馬術練習場[サル=デュ=マネージュ])で行われているため、ヴェルサイユ宮殿ではない。また、山川の『詳説世界史B』(平成28年度版)には、「国民議会もパリに移り」という記述がありますが(p.250)、授業内で教員の側が意識して教えない限り受験生の意識には残りづらいと思います。やはり、ロの選択肢(ヴェルサイユ行進の前か後か)がヒントになるかもしれません。

 

7 正しい文章は「ハ」 【難、悪問】

:消去法。

(誤文)

 イ 選帝侯としてのザクセンは公爵位(ザクセン公)で、辺境伯ではない

 ロ ザクセン選帝侯フリードリヒがルターをかくまったヴァルトブルク城は11世紀にはすでに築城されており、フリードリヒが「建設した」事実はない

 ニ ザクセンが王国に昇格するのは神聖ローマ帝国が消滅した1806年で、ティルジット条約(1807年)によってではない

 

8 正しい文章は「ニ」

:消去法。

(誤文)

 イ アンリ4世がカトリックに改宗するのは国王即位後のことであり、「旧教徒として国王に即位」した事実はない

 ロ サン=バルテルミの虐殺は1572年、ユグノー戦争は1562年~98年で、サン=バルテルミの虐殺からユグノー戦争終結までは26年であり、36年ではない

 ハ ナントの勅令(王令)はほぼカトリックと同等の権利を与えており、公職から追放された事実はない(ユグノーは、自分の教会とは別にカトリックの教会にも十分の一税を払うこと[二重課税]が求められただけ)

 

9 誤っている文章は「イ」 【難、悪問】

:テュイルリー宮殿建設を命じたのがカトリーヌ=ド=メディシス(ルイ13世妃はマリ=ド=メディシス)であることをする受験生はほとんどいないのではないかと思われるので、消去法で解くことになります(ロ・ハ・ニが正しいことから)が、「ハ」の国民公会の議場がテュイルリー宮殿内にあることを確定できる受験生はやはりいない(上述の通り、山川の『詳説世界史B』には国民議会がパリに移った記載はありますが、それ以降の議会と議場が常にパリのテュイルリー宮殿にあったことを確認できる形にはなっていません)のではないかと思われるのでかなり無理があります。ただ、2択までは絞れます。

 

【Ⅱ-B設問】

1 バロック 【基本問題】

:「17世紀」、「劇的な表現」などとあるのでバロックです。ルネサンス期の芸術が調和や均整を重視したのに対し、バロックは動きを出し、表現が派手で感情に訴えかけます。

 

2 幾何学 【やや難】

:漢字三文字で「 g 的庭園」という表現で出てきますし、ヴェルサイユ宮殿やシェーンブルン宮殿の名前が挙げられているので、答えを入れられる受験生もいるかもしれませんが、あまり一般的な問題ではありません。

 

3 マリア=テレジア 【基本問題】

:基本問題です。

 

4 シャルル10

:ひっかけ問題です。ブルボン朝最後のフランス国王はシャルル10世です。ちなみに、設問中にある病とは、瘰癧やてんかん、ある種の皮膚病などで、治療行為はいわゆる「ロイヤル=タッチ」と呼ばれる行為のことです。

 

5 ガリカニスム

:近年は頻出問題になってきました。

 

6 都市名:ポツダム  君主:フリードリヒ=ヴィルヘルム  【やや難】

:サン=スーシがポツダムにあることは有名ですが、1685年当時のプロイセン君主がフリードリヒ=ヴィルヘルムであることは丁寧に勉強していないと出てこないかもしれません。

 

【概要】

:港湾都市α~δ(長崎・バタヴィア・シンガポール・ザンジバル)の説明文と市街地図を示して、関連する設問を解かせるものです。近年歴史学会で「都市史」研究が進んできたことからここ十数年くらい都市図を示した設問が増えてきているように思います。このⅢの設問はⅠほど意欲的な工夫がなされているわけではありませんが、Ⅱのような無茶ぶりの設問は少なく、図表と説明文、そして設問の文章に工夫をすることで一定のレベルをキープしているバランスの取れた良問だと思います。この年に政経を受けた受験生は、この問題で確実に点を取れないとかなり苦しかったと思います。

 

【港湾都市(Ⅲ-B-1)】

:設問としては後に出てきますが、先に港湾都市を確定させた方がラクかと思います。

 

(都市α)=長崎

:「1641年以降は入港を許された外国船との貿易港として、東アジアの交易拠点の一つとなるとともに…」などの文章から日本の鎖国について書いてあることは自明です。

 

(都市β)=バタヴィア

:「17世紀初頭に a の東インド会社…の拠点」とあることや、「1830年から」の強制栽培制度に言及していることなどから、空欄 a がオランダであることと、その拠点バタヴィアであることは自明です。わかりやすい設問だと思います。

 

(都市γ)=シンガポール

:「1819年に地域のスルタンに自由港として開港させ」でラッフルズを思い浮かべられればOKですが、それが無理でも「インド洋交易と極東交易の接点」、「1867年には直轄植民地」、「第1次世界大戦後には海軍基地」などの文章からシンガポールと特定できます。また、空欄 b はイギリスです。ラッフルズが出た2012年一橋の過去問に目を通したことがある人はすぐピンときたかもしれませんが、そうでなければ少し難しい設問です。

 

(都市δ)=ザンジバル 【難】

:説明文と地図だけからザンジバルを特定することは難しいかもしれません。ザンジバルについてよく知っている受験生であれば、説明文はまさにザンジバルのことを説明していますが、「ポルトガル支配→オマーンの支配と丁子(クローブ)プランテーションの発展→イギリスの支配」といった流れは高校世界史における一般的知識ではありません(通常は、ザンジュやスワヒリ語圏の形成といった文脈で語られる)。ただ、アラブ人が活動していることや、奴隷貿易などの用語から、東アフリカ地域であることは想像できるかもしれません。となれば、キルワ、モンバサ、モザンビーク、マリンディなどと並んでザンジバルを思い浮かべる感じでしょうが、特定するとなると難しいかもしれません。

 

【Ⅲ-A設問】

1 正解は「ハ」

:上記説明から a がオランダ、 b がイギリス。

 

2 正しい文章は「ハ」

:消去法。

(誤文)

 イ 要塞や傭兵は少なくとも長崎にはないので間違いだと分かる

 ロ 民族間交流の禁止などは全ての都市の共通事項ではない

 ニ 全ての都市について後背地に至るまで水運が利用されているわけではない

 

3 共通で最大の理由とあるので「ニ」

:「共通」で「最大」の要因とあるので、常識的な判断で選べる。

 

4 誤っている文章は「ロ」

:現地住民が土着植物の絶滅を防ぐために植物園建設反対運動を繰り広げた事実はない。

 

【Ⅲ-B設問】

1 上記【港湾都市(Ⅲ-B-1)】の通り。

 

2 β、γ

:第二次世界大戦中に日本軍の占領を受けた都市はバタヴィア(ジャワ島)とシンガポール。

 

【概要】

20世紀の世界経済を問う政経らしい設問。きわめてオーソドックスな形式と内容で、世界恐慌やブレトン=ウッズ体制といったテーマも頻出のものですから、基本問題と言えると思います。この大問もしっかりと得点しておきたい設問で、論述以外はできれば全問正解したいところです。

 論述は160字でフランクリン=ローズヴェルトのニューディール政策を問うものですが、これも基本的な内容ですから、設問の要求をしっかりとらえて情報を丁寧に示せば、ほぼ満点解答が作れる問題です。

 

【Ⅳ-A設問】

1 正解は「ロ」で、順番は②→①→③→④

 ②:第二次世界大戦の開始がポーランド侵攻なのでこれが最初(1939.9

 ①:開戦後、英仏が本格的な対抗をする前に独がデンマーク・ノルウェーに侵攻(1940.4

 ③:デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギーに侵攻後、パリ陥落(1940.6

 ④:英を除く西欧をひと通り制圧した後にバルカン方面に進出(1941~)

 

2 正しい文章は「イ」

:消去法

(誤文)

 ロ 1939年に満州国境付近で日本が敗れたのはノモンハン事件(対ソ連・モンゴル)

 ハ 日本の北部仏印進駐は1940.9で、日ソ中立条約よりも前

 ニ ヤルタ会談はドイツの無条件降伏(1945.5)の前(1945.2

 

3 正解は「ニ」の『雇用・利子および貨幣の一般理論』

(誤った選択肢)

 イ 『諸国民の富』はアダム=スミス

 ロ 『経済学及び課税の原理』はリカード

 ハ 『貨幣発行自由化論』はハイエク

 →一般に、ハイエクは高校世界史の知識ではあまり見られないので消去法よりは一本釣りで解く人の方が多いと思います。

 

4 誤りを含む文章は「ニ」 【基本問題】

:ブレトン=ウッズ体制は1970年代はじめのドル=ショックと変動相場制への移行で崩壊していると考えられるので、「ブレトンウッズ体制は、1980年代末…まで継続し」という部分がおかしい。

 

5 正解は「ニ」 【基本問題】 

:頻出問題かつ基本問題。世界恐慌前後の工業生産推移をグラフ化したものはセンター試験などでも頻出。世界恐慌の影響を受けない①がソ連、満州事変と満州国建国などで比較的早期に回復する②が日本、1932年に大きな落ち込みを見せる⑤がアメリカなどに注目すれば解ける。

 

【Ⅳ-B設問】

1 フーヴァー=モラトリアム

1931年であることと、1年間の戦債猶予という内容から明らか。

 

2 c 奉天 d 柳条湖 【基本問題】

:満州事変にかかわる問題で、基本問題。

 

3 犬養毅

1932年に「首相が暗殺」されているということで、五・一五事件の犬養毅。

 

4 関税 【基本問題】

:文章から関税であることは明らか。経済学部を受験するのであれば基本問題。

 

5 ブロック 【基本問題】

:同じく、世界恐慌期のブロック経済形成は基本問題。

 

6 福祉 【基本問題】

:世界史の知識では必ずしもないが、「スウェーデン」という国名や「北欧諸国」、「社会保障の充実や所得分配の平等化」などが示された上で、漢字二字指定で i 国家となれば「福祉」が入るのは常識の範囲内。基本問題。

 

【Ⅳ-B-7(論述問題)】

(1、設問概要)

・世界恐慌時の米「大統領の実施した経済政策(ニューディール政策)」の具体的内容

・その政策は合衆国において支配的であった考え方とどのように異なるものであったか

・「大統領の名(フランクリン=ローズヴェルト)」を示す

160字以内

→問題より、経済政策がニューディール政策であることと、大統領がフランクリン=ローズヴェルトであることはすぐにわかるので、これらは明記しておきたい。

 

(2、ニューディール政策の「具体的内容」を整理)

①価格調整[デフレ対策=インフレ誘導]のための生産制限

  ・AAA(農業調整法)‐農業生産制限

  ・NIRA(全国産業復興法)‐工業生産制限

②労働者保護

 ・NIRA‐全国復興局(NRA)設立と、最低賃金、週40時間労働制を定める

     労働組合結成と団体交渉権を認める

③失業者対策

 ・TVA‐テネシー川流域開発公社

 (・NIRAも公共事業局を設立して道路、学校、病院などの公共事業を促進)

 

(3、合衆国において支配的だった考え方との相違)

①従来‐自由競争を進め、独占を禁止する(革新主義または自由主義的資本主義)

②ニューディール政策‐修正資本主義(ケインズ)

            ・国家の経済への介入

            ・自由競争の抑制

            ・不況下のカルテルの公認

 →世界恐慌までの従来の合衆国における支配的な考え方が正確に示せるかどうかで少し差がついたかもしれませんが、その他の要素は基本的なものなので全体としては受験生が高得点を狙える論述問題だったと思います。古典派経済学の自由放任などを書いても必ずしも誤りではないですが、19世紀末から20世紀初めのアメリカで独占資本に対する一定の制限がかけられたことや、シャーマン反トラスト法(1890)、クレイトン反トラスト法(1914)などの知識は高校世界史の知識でも出てくる内容なので、これについてはどこかで言及したいところです(独占を禁止するということは、完全な「自由放任」ではない)。また、よく勉強している受験生であればセオドア=ローズヴェルトからの「革新主義(または進歩主義:高度な資本主義発達により生じた弊害を抑えるために野放しの自由放任主義を改めて独占の制限や抑制、労働者の保護を進めようとした考え方)」などについての知識もあるかもしれません。

 

【解答例】

 フランクリン=ローズヴェルトのニューディール政策は、農業調整法や全国産業復興法で生産や価格を調整し、労働条件を規制して労働者の保護を進め、失業対策としてTVAなどの公共事業拡大を行うなど、修正資本主義の影響を受け国家が経済に強力に介入するもので、独占を禁止して自由競争を保障する従来の自由主義的資本主義を転換するものだった。(160字)

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(記事に誤りがありましたので、訂正いたしました。[2017.2.16、訂正箇所:大問Ⅰ、設問1] ご指摘ありがとうございました!)


 次々に出てきましたので、とりあえず早稲田の文構について解いてみました。理屈は抜きにして大問ごとの表をお見せした上で、注意すべき点と萌えた点について述べていきたいと思います。色分けは同志社の時と同じく、水色:基本問題、白:標準問題、ピンク:やや難、黄色:難しい、としています。問題文自体は各予備校HPなどからDL可能ですので、そちらをご参照ください。(早稲田の問題については、問題概要を示すとその比重が大きくなりすぎ、「解き方」や「考え方」を示すという趣旨から外れると判断しましたので割愛します)

 

(大問Ⅰ・Ⅱ)

早稲田文化構想2017-1.2


 やっちゃいましたね。初っ端から飛ばしてしまいましたよ。いきなり第一問からミスってしまいました(汗) 最初この「ハンムラビ法典碑には( A )神を崇拝するハンムラビ王の姿」が描かれているとあるAには「太陽神シャマシュ」から「シャマシュ神」が入るものだと思って、ずいぶん難しい問題をだすものだなぁと思っていたのですが、お読みいただいている方からご指摘をいただいた通り、「インカ文明でも王は( A )の子と考えられていた」とありますので、( A )に入るのは「太陽」で良いのですね。すみません、昨日のうちにご覧いただいた方にはご迷惑をおかけしてしまいました。訂正いたします。(表の方も合わせて基本問題[水色]に訂正いたします)
 
個人で急ぎで作っておりますので、他にももしかするとミス等あるかもしれませんが、ご容赦いただければと思います。基本HANDは信用がならない。」とお考えいただいて、過度のご期待をされないくらいで丁度良いかと思いますw
 

 800px-P1050763_Louvre_code_Hammurabi_face_rwk

Wikipedia

 

ところで、問題に出てくるハンムラビ法典が上の写真です。この碑文が置かれていたのはバビロンのマルドゥク神殿(後に奪われるので発見地はスサです)なのですが、レリーフに描かれているのは正確には太陽神シャマシュです。授業では一応写真示しつつ名前も毎回伝えているのですが、さすがに覚えている人の方が少ないでしょうねぇ。

 大問1で難しいなと感じた問題は設問5の「天子」に関する問題ですね。引っかかって始皇帝選んでしまう人が続出しそうです。一応、用語集にはちゃんと出ています。周代の周公旦(武王の弟)あたりの思想から発展して使われるようになったようですが、当然そんなことを知っている人はいないでしょう。『詳説世界史研究』もどちらかというと話の流れを重視しますので、サッと見た限りでは触れていませんね。私は「ああ、西周かな」と何となく気づきましたが、それも勉強で気づいたというよりは最近読んでいる『達人伝』という戦国時代末期をテーマにしたマンガに周王朝の末裔が出てきて、それが「天子」呼ばわりされているから「ああ、そういえばw」みたいな形で気づきましたw 

 ただ、難しいのはこの1問だけで、あとの問題は早稲田としては基本問題でしょう。

 

(大問3・4)

早稲田文化構想2017-3.4
 特に注意すべきものはありません。どちらかというと大問3のイスラーム史の方が難しかったかなという印象があります。誤文選択や正文選択は消去法で解こうとするとかえって難しいですね。むしろ、「あ、これだ!」といきなり確定させることができた方が簡単だと思います。ガザーリーがニザーミーヤ学院の教授職にあったというのなんかは有名な話ですし。ただ、カーディーは用語を書かせる問題としてはやや難しいでしょうか。

 

(大問5・6・7)

後半は手ごたえがありましたね。特に、大問の5はしっかりとした知識がないと正解にたどり着けない問題が多く、この設問でかなり差が付きそうです。正答を導くためのヒントは表の方に示しておきましたので参考にしてください。それに対して大問の6は地図を使っての出題の分、設問の内容自体は基礎的なものが多かったように感じました。

早稲田文化構想2017-5

早稲田文化構想2017-6

早稲田文化構想2017-7

文化構想らしさが出たのは大問7ですね。

これは萌えますねw

 全然世界史の受験勉強とは関係のないところから問題を出してきましたw これは何ですか「受験勉強にばかり一生懸命で、他の世界に関心が向かない人間は文化構想では減点対象だー!」とでもいうつもりなんでしょうかw たしかにまぁ、西美(国立西洋美術館)は世界遺産登録されましたから、時事問題と言えば時事問題なんですけど、私みたいに世界遺産嫌い(全てというわけではなく、特に文化遺産については、何でもかんでも遺産だ保護だというのは嫌いですw 自然に時の中で朽ちていく美しさも含めて遺産だというのに)は一体どうしたらいいというのでしょうw

 ただ、それでも設問1~3については、少しでも美術に興味のある人にとってはある意味常識の範疇だと思います。文構目指そうという受験生であれば美術好きな人も多そうですし、案外解けるのではないでしょうか。難しいのは設問4ですね。これは知識では正直解けません。私も知りませんでした。でも、解けました。なぜか。

 実は、この設問文章の雰囲気と、提示された絵と、美術的な知識(ほんのちょっぴり)があればそれで判断できる設問になっているんですね。ある意味、国語的というか、美術的というか、総合的な問題です。

 

 まず、文章を見てみますと、マティスについては「絵画を現実世界の再現という伝統的役割から解放した」人物であり、「実際に見える色にとらわれない自由な色彩を用い」る作風であると書かれた上で、下の「赤の調和」という絵画が示されています。


 red

マティス「赤の調和」

 

こうした文章と絵を見た上で、選択肢を検討してみましょう。

 

ア:イスラーム美術の装飾性が認められる。

イ:フェルメールの細密な描写が指摘できる。

ウ:印象派風の室内風景

エ:ルネサンス絵画の遠近法

 

これらア~エから選ぶとすれば、私はやはりアを選びます。まず、イについて検討しますと、フェルメールの絵とは似ても似つきませんし、マティスの絵からは単純化された線の大胆さは感じますが「繊細さ」は感じません。フェルメールは以下の絵などです。


 uy

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」

800px-Jan_Vermeer_van_Delft_009

フェルメール「地理学者」

 
 また、ウについて考えますと、そもそもマティスは「絵画を現実世界の再現という伝統的役割から解放した」人物なのですから、「印象派風の室内風景」では何だか説明とあわない気がします。ついでに言えば印象派って光を大切にしますから戸外制作多いんですよね。下は印象派のひとりルノアールの「二人の姉妹」です。
 


 800px-Renoir,_Pierre-Auguste_-_The_Two_Sisters,_On_the_Terrace

ルノアール「二人の姉妹」

 

 さらに、エについてですが、うーん、遠近法って感じではないですよねぇ。下はマサッチオの「貢の銭」ですが、初期のルネサンス遠近法を取り入れた代表作です。


 1280px-Masaccio7

マサッチオ「貢の銭」

 

とまぁ、こんな感じで文章と絵画の雰囲気を検討していくんです。そうすると、「ああ、多分これは当てはまらないな」という形で消去できる選択肢が出てくる、という形でも解けます。知識がなくても正解にたどり着ける問題の好例ですね。

 同じように、図2のピカソの絵も検討してみましょう。下がピカソの「アビニヨンの娘たち」です。


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ピカソ「アビニヨンの娘たち」

選択肢は以下の通りです。

 

ア:アフリカ美術の影響が認められる。

イ:レンブラントの明暗法が指摘できる。

ウ:ギリシャ彫刻を思わせる人物像が見出せる。

エ:バロック美術の空間処理が見出せる。

 

…アやな。アやw まず、レンブラントは違う。レンブラントと言えば代表作は「夜警」ですが、下の絵です。全然似てませんw 


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レンブラント「夜警」

 

次に、ウについてですが、ギリシャ彫刻のような均整の取れた人物像とはかけ離れた姿をしています。最後にエですが、バロック美術はルネサンスと比べて調和・均衡が破れたとはいえ、まだまだ構図はしっかりとしています。上に出てきたレンブラントもバロックの人ですよ。

 ということで、総合すればやはりアが答えになるということです。「知識がないからできない」ではなく設問のヒントをじっくりと検討すると解ける場合もあるということには注意しておいた方がイザというときに道を開いてくれたりします。あきらめないって大切です。

 

 それにしても、答え出す時間、代ゼミに負けちゃいましたね…。昨夜のうちには解いてあったのですが、ブログに載せる体裁を整えているとさすがに時間かかっちゃいますねw



 

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